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日々の破片

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2012-07-08

_ ガレルの愛の残像

イメージフォーラムでフィリップガレルの愛の残像を観る。おもしろかった。多分、初ガレル。最初に名前を知ったのは六本木のシネヴィヴァンの頃だが、えらくつまらなそうな芸術系作家だと予告編を観て思ったので敬遠してた。

(どうもその後に普通の映画を撮ったら、元より才能のある作家なのでえらくヒットしたらしいが、それも未見)

一応、まともな物語があって、若いカメラマンがそれなりに売れている女優の写真を撮りに女優の家を訪問するところから始まる。女優の夫はハリウッドに仕事に行っていて不在。仲良くなるのだが朝の4時に夫が帰ってきて、絵に書いたような間男の恰好で家を抜け出る羽目になり、相当にプライドが傷ついたのか疎遠になる。女優は死ぬ。墓参り。2007年のことだと墓碑銘からわかる。だが、映像はモノクロなので時代感はまるで1970年代だ(誰も携帯電話は使わず、紙でメモを取るので日常生活が21世紀には見えない)。

黒髪でちょっと顎がしゃくれた女性とつきあうようになり、妊娠し、ちょっといざこざがあるが結婚することになる。夢の中で廃屋での情事の後と女優の訪問。父親と女性の会話。母親はずいぶん昔に歌手を追っかけて家出したことがわかる。

写真家が女性の家を訪問する。広く明るい作業部屋。父親から過去の話を聞かされているが、観客には「祖母の部屋にいた」ということと「繊細だ」ということ「何かあったらすぐに連絡しろ」と忠告せざるを得ないということはわかる。どうも、何かを引き寄せるタイプの男なのだろう。そこに至るまでも1人で異様な目つきで考え込んでいるシーンが多い。

鏡の中に上目使い(首が埋もれているので相当気持ち悪い)で女優が出てきてはおいでおいでする。

友人と道端で会い、相談する。それは無意識の表象で、待ち受けるブルジョアの暮らしに対する嫌悪感だろうと言われる。立ち合い人になってくれ。なぜだ? 友人だからだ。ネクタイを締めなければならないのか。

自ら鏡へ呼びかけて女優を呼び出す。ドサッ。開いた窓。そこで終わるかと思ったら、舗道の俯瞰。

最初のあたりで、もう少し窓からの光を顔にあてたほうが良いなぁとか思うところが多々あるが、光は常に外側にしかないのであった。

最初から最後までまったく弛緩もなければ退屈もなく、見事にきちんと筋が運ばれていく。間男が壁の手前に立ち、後ろの玄関口から二人が入り、壁の向こうへ消え、扉を開閉する音がして、男が玄関から出るまでの長いシーンとかしびれるほどうまい。

これまで敬遠していたのが実にもったいない作家であった。

_ JLGの影の列車

それとは別にゲリンの影の列車も観る。

遠い昔に観たボカノウスキーの天使を思い出す(正確には2作目の海辺にてのほう)。

1930年代に撮影された映画の断片という設定で加工が施された映像。シェーンベルクの浄められた夜とホフマンの舟歌、ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、チャイコフスキーの弦楽セレナーデ(おれが覚えていない場所ではバルトークの弦とチェレスタのための音楽も使われていたらしい)が交互に繰り返される。繰り替えしによって少しずつシーンが先に進む。自転車。向こうで手を振る家族、子供、少女、白い帽子、部屋の中、ファサード、庭園、スクラッチ。1930年代なので台詞は無い。それを撮影している1990年代の映像。

まどろみの映画と呼ぶのにふさわしく、すべてを目に焼き付けるよりも人生のように記憶できるところだけを観て記憶の中へしまいこむのが正しい鑑賞の在り方だろうと、途中で開き直って観ると、なんと美しいことか。

というわけで、素晴らしい映像作家だということは完全に理解したし、大好きな作家となったが、当分の間、次を観ることはないだろう。もうちょっと暇な時なら映画祭に通って、全作品を観るところだが、残念だ。

(良い映画は他の映画の記憶を目覚めさせる。デプレシャンの魂を救えの外交官の裕福な家庭を描いた庭でのシーン。創り直された去年マリエンバードで)

_ do-whileとwhile

ついに木村さんが怒りの全貌を示したが、そもそもdo-whileどころかwhileも使わないほうが今となっては正しいんじゃないかとおれは思う。もちろん原則論としてだが。

というのは、変数の宣言とスコープルールに相性が極めて悪いからだ。COBOL時代なら変数はdata divisionだから構わないんだろうが、C++(C99)以降の{}言語には向かないのなんのって。

絶対的に使う例を示す。

string line;
while ((line = stream.ReadLine()) != null)
{
   ....
}
あるいは
do
{
    var line = stream.ReadLine();
    if (line == null) break;  // 絶対1回は実行する必要がある例
    ...
}
while (true); // lineはブロックに閉じこもったがtrueを中に書くのはおれは嫌い。
どう考えたところで
for (var line = stream.ReadLine(); line != null; line = stream.ReadLine()) // でもReadLineの重複は嫌だね
{
}
みたいにlineという変数をブロックに閉じ込めたいのでwhileは勘弁だし、まともな条件判定を書きたいという意味ではdo-whileもいまいちだ(lineという変数の宣言位置からwhileよりはマシだと思う)。上の書き方だとforはdo-whileよりも悪い。
とすると
for (;;)
{
    var line = stream.ReadLine();
    if (line == null) break;
    ...
}
が一番まともっぽくなり、結局は、forがあればwhileやdo-whileは不要なんじゃないかという気になってくるわけだった。

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