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ずいぶん前になるが、妻がお掃除ロボットに惹かれてちゃおを買ってきた。
で、本体の雑誌のほうがテーブルの上に置いてあったので何気なく手にとって読むと、読むところがない。ずいぶん前に今の少女マンガの世界は一昔前のレディースコミック水準というのを聞いていたが、さすがにちゃおのターゲット読者だとそこまではないんだなぁとか、その程度の感想で、目はやたらとでかい昔風のマンガばっかりだ。
で、必然的に文字のほうに目が行く。
すると、延々と細かな字が並んでいるページ群が目についた。で、なんだろうと思って老眼鏡に変えて(というと嘘だが、そういう感覚)読んでみたら、1000人名前占いというページだった。
1000人分の名前に短評というか占いが出ているので、細かい字が延々と並んでいるのだった。
先頭は
あーす
要領バツグン。恋はガマンが苦手
くはー、「あーす」だよ「あーす」。白髪で髭が長くて杖持って火山島の中で人造人間の開発研究している科学者の名前だぜとか吹き出しながら順番に眺めていくうちに、いや、これはガチだ、と気づいた。
マグマ大使 (第1巻) (SUNDAY COMICS―大長編SFコミックス)(手塚 治虫)
少なくとも、編集部が持つ人名リストには「あーす」は存在しているのだ。
が、おれの名前はない。
妻の名前(平凡な「子」で終わる名前)はある。
子供の名前もある(DQNネームをつけた覚えはないが、AV女優に結構多い名前のようで実はびびっている)。
子供の(おれが知っている)同級生たちの名前も一人を除いて男女問わずある。
無いのは「くにお」くんだ。
1000人すみからすみまで調べてしまった。
「お」で終わる名前で男の名前と考えられるのは唯一
みねお
マイペース。恋する気持ちが伝わりにくい
だけだ。
「お」で終わる名前は1000個の名前(男女問わずだが)の中で1つだけだった。
というわけで、おれにとっては、明確に昭和の名残が切れた世代によって時代が作られていることが可視化されていて、ちょっと衝撃だった。
現在のちゃおのターゲット読者となる子供に命名した親の世代は「お」を排することを選択したのであり、「お」というのは「男」や「夫」や「雄」だ。
と考えると、なんか、とても良い時代になったような気がする。
いいね。
新国立劇場でオテロ。多分、観るのは3回めになる水の都と二重写しのキプロス演出。
冒頭、すさまじいオーケストラの音量と速度で度肝を抜かれる。が、そのあとの合唱が小さい。
あまりのオーケストラの迫力にすごい指揮(パオロカリニャーニ)だなぁと思いながら聴いていたが、どうも違うんじゃないか? とクレドのときに気づく。
イヤーゴのウラジミールストヤノフは、立ち居振る舞いは断然かっこいいし、声も良い、強烈な陰謀家らしい良いイヤーゴなのに、なぜかクレドがあまり聴き取れない。歌い終わったあとのポーズもかっこいいのだが。
舞台下のオーケストラと舞台上の声のバランスが取れていないのじゃないか? という気がしてくる。
花道のような仕組みで、左側を凱旋してきたり、イヤーゴとオテロが舞台に入ってきたりするのは今回初めて知った(前は4階から見ていたのかもしれないが、今回は3階奥で舞台がよく見える)。
幕間終わった3幕から、音量がえらく変わって、合唱や独唱とのバランスが良くなった。どうも、初日ということもあって、1幕2幕は音量のバランス調整に失敗していたようだ。しかし、今度はいささか小さくなり過ぎて迫力がなくなったような(が、3幕以降はオテロの異常な心理に焦点が当たるから大音量が必要なわけでもなく、これで良いのかも知れない)。
演出をよく見ていると、イヤーゴが塔になんの意味があるのかバケツの水をかぶせたりいろいろしているが、どうも塔を回転させるための合図のようだと気づいたり、なかなかおもしろい。
セレーナフィルノッキアのデズデモーナは、自然に揺れる倍音が多い声で、歌唱法も合わせてフリットリみたいだなと思いながら聴いていたが、ここぞというところで豊かには響かない。声はおもしろい楽器だ。その点でいまひとつ感がある。カーテンコールのときに良く見たら顔や体型もフリットリみたいで、そういうタイプの声顔姿の歌手(=楽器)なんだなぁとか考える。
カルロヴェントレはもう何回観ただろうか。立派な歌手だ。
清水華澄のエミーリアは寸言人をさすエミーリアっぽくて印象的(あまり歌がないのだが、歌うときは常に重要な妙な役回りだ)で、カッシオの与儀巧は良いカッシオだった。カッシオは軽薄才子っぽいわりには、ロデリーゴ返り討ちとか実は腕もたつ(か、ロデリーゴは本当に無能なのかどちらかだ)、良きローマ人の若大将の典型みたいな印象なのだが、いかにもそういう声と振る舞い。3幕で呼ばれて登場してくるところとかなかなかかっこよい。演出はイヤーゴに顕著だが、個々の歌手に大見得を切らさせることを重視したかのようだ。
ふと気づいたが、オテロがベネツィアに召喚されるというのは実際にそう指令書に書かれていたのではなく、デズデモーナとカッシオの動揺をチェックするためにオテロが考えた即興なのではなかろうか。
1幕の音量はともかくとしてテンポの良さはずっと持続して気分良い舞台だった。
カーテンコールでは、指揮者と合唱指揮者が手をつなぐ。なんとなく、この形になるのは好きだ。
VS2015のときは、c2.dll問題とかあってもなんとなくクリアできていたのだが(clangはx86用だということさえわかれば、あとは適切なほうのclang.exeのPATHを設定する)、VS2017では常に失敗するようになった。
-vを付けてやり直せと出てきたので、やってみると、link.exeの起動に失敗している。
おや? と思ってVS2015のclangで見てみると、こちらはlink.exeをフルパスで起動している。ふつうに考えてみれば、MSがclangをコマンドラインで利用できないように一工夫したようだ。本気か?
で、解決策として、clang.exeと同じディレクトリにlink.exeを入れるとか考えてみたが、ばかげている。
であれば、しょうがない。
MSBuildの出番である。
とはいえ、なんかいろいろあるので、AppWizardにコンソールアプリケーションをclang指定で作らせたvcxprojから余分なものを削除することにした。
<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?> <Project DefaultTargets="Build" ToolsVersion="15.0" xmlns="http://schemas.microsoft.com/developer/msbuild/2003"> <ItemGroup Label="ProjectConfigurations"> <ProjectConfiguration Include="Release|Win32"> <Configuration>Release</Configuration> <Platform>Win32</Platform> </ProjectConfiguration> <ProjectConfiguration Include="Release|x64"> <Configuration>Release</Configuration> <Platform>x64</Platform> </ProjectConfiguration> </ItemGroup> <PropertyGroup> <VCProjectVersion>15.0</VCProjectVersion> <WindowsTargetPlatformVersion>10.0.15063.0</WindowsTargetPlatformVersion> <ConfigurationType>Application</ConfigurationType> <UseDebugLibraries>false</UseDebugLibraries> <PlatformToolset>v141_clang_c2</PlatformToolset> <CharacterSet>Unicode</CharacterSet> <Configuration>Release</Configuration> <Platform>Win32</Platform> </PropertyGroup> <Import Project="$(VCTargetsPath)\Microsoft.Cpp.Default.props" /> <Import Project="$(VCTargetsPath)\Microsoft.Cpp.props" /> <Import Project="$(VCTargetsPath)\Microsoft.Cpp.targets" /> <ItemDefinitionGroup> <Link> <SubSystem>Console</SubSystem> </Link> </ItemDefinitionGroup> <ItemGroup> <ClCompile Include="$(src)" /> </ItemGroup> </Project>
Developer Command Promptを使って
MSBuild /p:src=ソースファイル名
で実行する(1ファイル専用)。実行ファイル名はvcxprojの名前になる。
x64の場合は
MSBuild /p:src=ソースファイル名 /p:Platform=x64
Releaseディレクトリに生成されてしまうのが気にくわないが、これ以上調べる気にはならないので、こんなものだな。
clangを使っているかclを使っているかを確認するには、可変長配列を書けばわかる。
char a[strlen(argv[0]) + strlen(argv[1]) + 1]; strcat(strcpy(a, argv[0]), argv[1]));燃えよウータン(期間生産限定盤)(ウータン・クラン)
子供に誘われて家族でバルト9で美女と野獣。
ミュージカルは好きだ。で、これも楽しかった。
もう20年近く前になるが、多分妻だと思うが、ディズニーのシングアロングソング(LD時代)を買ってきて、それに美女と野獣のファニーガールが入っていて、散々見たから「ご覧あの子はいつでも少し風変わり」とか歌えるくらい覚えてしまった。子供が、おもちゃ入れにしているプラスティックのカゴを腕に通して妙な歩き方でそこらをぐるぐるしていて、はてなんだろう? と妻と考えて、あ、ベルの真似だ! と気づいたり。
月日が流れるのは少しも早くないが、そういった思い出はありありと思い浮かぶから、そのありありっぷりをもって、すぐ前のように感じて、月日の流れは早いとか表現するのだろうか、などと考える。
それにしても奇妙だ。
最初、眠りの森の美女のように、数百年という歳月が流れたあとの物語だろうと考えていた。したがってバラの花弁は数十年に一度落ちるとかかなとか考えていたら、ガンガン落ちまくる。む?
さらにパン屋が忘れたけど思い出せないのはポット夫人とチップのことだとか、いろいろわかってくる。
ベルは0歳時の頃にパリから村へやって来て、例によって14歳とすると村で14年暮らしていることになる。
チップの年齢はいたずらっ子設定から5歳から10歳までとする。
そもそも城の中で物化した連中は時が止まっているのだろうか? であれば、5歳児は5歳児のままでそれほどおかしくないが、成長するとしたら、現在5歳児だとすると城が呪われたのはたかだか5年前の話ということになる。
はてベルとモーリスは放浪の旅を続けて、数年前にこの地に来たのだろうか。砂の器みたいだな。であれば、呪われたのは数年前ということで辻褄はあうが、それにしてはどうもベルは幼いころから村にいるようにも見える。
おとぎ話だ。
ベルが父親が欲している道具を察して取り出すとか、マエストロは鍵盤ミサイルによって乱ぐい歯になった(らしい)とか、細かく設定されているのもなかなかおもしろかった。
それにしても、本を読むということが実に奇妙なことに見えるというのが物語の暗黙の前提だとすると(そのため野獣が読書人だと知ったあとのベルの態度の変化(仲間を見出した喜びみたいなもの)は、野獣の外見を超えるものとして説得力を持つ)、そのことそのものが奇妙に思えたが、先日の大統領選挙の分析みたいなものを眺めると、どうも本当にそうなんだろうなぁとか、いろいろ考えてしまった。
何度目かの白い箱の中のフィガロ。
これは素晴らしかった。序曲のテンポが実に快調(トリンクス)、フィガロは朗々ったる歌いっぷり(パルカという人)、スザンヌの中村恵理、アルヴァーヴァのスパニョーリ、ロジーナのミコライ、いずれも良い。
それにしても今まで気づかなかったが、6重唱のドン・クルツィオ(糸賀修平という人)が実に良い。うまいタイミングできれいな声でくだらない喚き声(内容は)が入るのが抜群におもしろい。こんなにおもしろい曲だったとは(今回の演奏のせいなのか、指揮なのか、歌手なのかはわからないが、おそらくすべてなのだろう)。
観終わって、モーツァルトの作品とは思えぬ満足感を得たが、ここのところの新国立劇場の作品はどれもこれも素晴らしい。これは飯守芸術監督の功績なんだろうか? というか、そうとしか考えにくい。どの作品もテンポが良く、キレがあり、しかもその作品のおもしろさが良くわかる。全体としてどういう傾向でいくのか決める立場の人間なのだから、色が出ないはずはないだろう。
なんかワーグナーを振る(ワーグナーをかければ彼らが来るので興行収益が上がる)ために選出されたのかと思っていたが、それはそれとしても監督として素晴らしい業績を残していると思う。
つい19世紀のころまでは、感染症とかまったくわからずに適当な治療をしてかえって患者を殺すことになっていたんだよなぁとか言っているうちに(妻と人間ドックの話をしていたら、胃カメラの問題としてちゃんと洗浄しない(難易度が高いのでできない)病院、さすがに今はほとんどないだろうけど、によって病気をもらうというようなことがあるそうだ、と妻が言い出したのがきっかけだ)、なぜ考えつかなかったんだろう? と考えて、思い当たった。
目に見えないからだ。ウィルスはもちろん細菌ですら見えない存在なのだ。微細過ぎて。
見えないものが存在すると仮定するには、とんでもない想像力が必要だ。
普通であれば、論理的にファクトを組み立てた結果として、そこには見えないが何か悪さをするものがあると考えたとしても、そこで終わってしまうだろう。見えないのに悪さをするといえば、悪霊とか妖精とか、およそ科学とは異なる世界の存在の世界だからだ。
と考えて、つくづくと、パスツールはすごいやつだなぁとあらためて感動してしまった。
B016UJEJEW
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