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QTtaskをHKLM\Software\Microsoft\Windows\CurrentVersion\RUNに無理やり書き込む病気が治ったように見えるなぁ。
エドワードヤンが死んでしまった。
牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件〈上下巻・2本組〉 [VHS](チャン・チェン)
中学生なのに過去と未来を見て希望が絶望に簡単に変わることを知ってしまった少年を描いた、大好きなエドワードヤンが死んでしまった。
地下鉄と携帯電話とクラブと終わらない倦怠とフランスから来た美少女を描いたエドワードヤンが死んでしまった。
エドワード・ヤンの恋愛時代 [DVD](チェン・シァンチー)
軽やかな退屈をヒカリに満ちた色彩で描いたエドワードヤンが死んでしまった。
夜になると痛み止め(バッファリン)を飲んでも歯の痛さが強くなるんだが、なぜだろう? 効果が現れるまで半日かかるってのなら話はわかるんだが、そんなに時間がかかるとも思えないし、謎だ。っていうか、たまらんな。
Air on the G Stringって、Ruby on Railsに似てるなと思ったが、実際に書いてみると全然、似てないなぁ。
Windowsでsjis-dosして、Debian(Virtual PCで動かしている)ではutf8-unixして、さらにSolarisでsjis-unixして(ja_JP.PCKなのだ)、RHに入ると今度はeuc-jp-unixしたりしているうちに、ほとんどすべての文字列用に-Ksなのに正規表現内の漢字と読み込むファイルはeuc-jpというむちゃくちゃなスクリプトを作って(euc-jpは2バイト目に\が入ったりはしないので、それなりに動くわけだな)、しかもその環境は1.6なのでiconvが無いとかで(nkfはあるけど)さすがに何がなんだかわからなくなったので(というか、スクリプト内のすべての文字を可読表示できないよ)、全部euc-jpで仕切り直したり(でも、cvsのログはsjisというかPCKだったり)。
おかげでiconvの引数を覚えてしまった。iconv -f foo -t bar fileなのか。
GetModuleFileName(う、忘れた)というようなAPIを利用すると、自分の位置がとれる。まあ、int main(int arc, char* argv[])を持っていれば、argv[0]でも運が良ければ位置がわかるけど、APIを使うほうが良い。
ところが、何を勘違いしたのか、次のような設定を環境変数に要求するプログラムに出会った。仮にFOOBAR.exeとする。
FOOBARPATH=C: PATH=%FOOBARPATH%\FooBar\Bin;%FOOBARPATH%\FooBar\Data;%FOOBARPATH%\FooBar\Ini;%PATH%
最初のはパスじゃなくて、ドライブレター+:を設定する必要があるという時点ですでに名前がおかしいのだが、なぜPATHにBinはとmかく、DataだのIniだのを設定しなきゃならんのだ?
というわけで、セットアップマニュアルを書いたやつが何か間違えたんだろうと好意的に解釈して、あっさり無視したら、怒る怒る。NT EventLogにDataディレクトリが見つからないと吐きまくり。
むむ、じゃあ、これならどうだとバッチファイルを作る。
@echo off set FOOBARPATH=C: set PATH=%FOOBARPATH%\FooBar\Bin;%FOOBARPATH%\FooBar\Data;%FOOBARPATH%\FooBar\Ini;%PATH% FooBar.exe
しばらくはうまく動くが、ある局面からいきなりイベントログにDataディレクトリが見つからないと吐きまくり。forkしてるようには見えないのだが、バッチファイルに設定した環境変数って引き継がれないのかな? (と、書いていて気付いたがシステム環境変数とユーザー環境変数の区別があるから、システム環境変数を参照してるのかも。で、バッチのはユーザー環境変数になるとかなのかな)。
と、敗北感を味わいながら、詳細設定でシステム環境変数にPATHを設定。
で、順調に動作するようになったが、声を大に言いたい。PATHは、実行ファイルをシェルが検索するための環境変数だ。データディレクトリを記述するための場所じゃない。
というか、どういう見方をしてるんだろう? システム環境変数のPATHを読み取って、最後がFooBar\DataやFooBar\Iniという名前のディレクトリを抽出してるんだろうか? でも、それって、binの兄弟ということにしておけば、自分の位置に対して..\Dataとかすればよいのだから、おかしいだろう。
という具合に、久し振り(1990年代前半ころまではDOSや16ビットWindowsで見ないこともなかった)に、システム環境の意味を無視したオレ様ワールドを堪能した。
はー、王様の耳はロバの耳。
これって、alternativeなリーダーじゃなくて(まったく新しいのを作るための実験サイトなのかとか思った)、単にldRの英語版なのかな? (OPMLをインポートして眺めてやっと気付いた)
団さん(るびまの入門記事もありますね)のゲーム本をいただきました。どうもありがとうございます。(本書を読めば、なんで献本していただけたかはわかります。というか、ASRのruby consoleにこういう利用方法があるというのは、レビューの場で初めて知って感動しました。フォルダー単位にプロジェクトを作るという開発/管理方法には意外と相性が良いのですね)。
Rubyではじめるゲームプログラミング―人気の国産言語で、誰でも簡単にゲームが作れる! (I・O BOOKS)(山本 団)
書影がまだなのが残念ですが(7/8に書影が出たのでキャッシュを消して取り直した)、見るからにゲームプログラミングの入門っぽい表紙です。つまり新しいタイプのRuby本です(無理やり言うと、秋山さんの人工無脳本が同じように特化分野という意味では実は近いのかも)。
Windowsを利用していれば……のような記述もあるけど、Ruby/SDLなのでLinuxとかでも動くんじゃないのかなぁ?
まあ、今はちょっと読む時間が取れないってのがあってレビュー時の記憶と、今、ぱらぱら全体を眺めただけで書くと、
・この本で特にイイと思うのは、団さん自作のゲーム用フレームワークが付いてくるところ。さらに、巻末にはExerbを利用したexeファイル化とか配布時の注意が書いてある点。
つまり、この本は、読者に消費じゃなくて生産を薦めてる点。
これは、中学生とか高校生とかに、いいんじゃないかな。
・そうか。素材(絵とか)がうまいなぁ、と思ったらそういうことだったのか。
・もし、あおきさんがゲームを作ろうとRubyを手にしたときに、この本があったら、RaccもTMailもなかっただろうなぁ(net/httpも。多分)。で、Raccがないと、RHGもなかったかも知れないし、するとふつうもないかも知れないし、つまることろ、時宜を得た本なんだろうな。
もしかし、PC8801から名前を取ったのかな? (松だからだとは思うけど、今、PC8801の写真を見たらMA2とか書いてあるので突然そう思った)
ネタだったのかな?
さて、国営企業を片っ端から生成し、フルシチョフ的修正主義共産主義国家と真の共産主義国家で実行して比較すれば、違いを調べることはできる。
しかし、共産主義国家が (私の考えるところの) 正しい 共産主義国家であるか、というのはわからない。
共産主義国家の正しさを調べるには、正しい 共産主義国家が必要である。それさえあれば、現状の修正主義共産主義国家と、正しい共産主義国家を比較できる。
というわけで、造反してみた。
——毛沢東 1962年 延西大学での訓話
しかし、スターリン的一国共産主義思想自体が腐っていることは検出できないのは盲点であった。
——毛沢東 1975年 第2回政治局拡大会議での発言
(いやー、修正主義と教条主義って言葉を見かけなくなって久しいなぁ、というか、マルクスへ還れと……)
僕は原音主義者なので、隣の国にいた人民の太陽と言われた男のことはマオツォートンと書くということにして置けば、誤解は生じないだろう
最近、仕事でレガシーなものを相手にしてたんで、ExcelをDSLとして使いまくっていろいろツールを作ったわけだが。
こういう方法って知ってる人は当たり前に知ってるわけだけど、もしかしたら知らないで無駄なことをしてたり、面倒なことをしてたりする人もいるかも知れないから、ちょっと書いておこうかなぁとか。
というわけで、下のようなExcelブックがあると仮定する。本物はもっといろいろなカラムがあったり、行と行の間に隙間があったりするかも知れないけど、本質的には名前と長さとタイプの3つのフィールドがある。
たとえば、これは固定長レコードのファイルのフィールド仕様だったりするわけだ。
つまりは、こういうレコードのフォーマットのファイルがそこら中にあったり、あるいはログの中にこのフォーマットのレコードのダンプが書き込まれていたりする。そして、上図のような(多分、もっと書式はきれいだろうとは思うが)Excelのレイアウト定義書みたいなものが存在するという状況を想定する。
たとえば、
10:15:23 レコードフォーマットエラー:"820070712ABCDEFGH 48 "
みたいなやつ。まあ、この例はフィールド数が少ないから、見れば「ああ、形態が48ってことは……」のようにすぐわかるわけだけど、2バイトや1バイトのフィールドが200個くらい定義された620バイトのレコードとかだと、492バイト目のなんちゃらフラグの正当性をチェック、とか言われるとそれなりに面倒だ。
でも、それが
処理区分: 8 日付 : 20070712 名称 : ABCDEFGH 形態 : 48 予約領域:
のようになっていれば、これは簡単だ。
で、そういうプリティプリントをするプログラムを作れ、と言うと、Excelのレイアウト定義書を見ながらプログラムをおもむろに作り始めたり。
そうではなく、Excelそのものを利用すれば話はぐっと簡単になる。
たとえば、次のプログラムは、このシートを読み取って、タイプに応じたクラスのインスタンスを作成するコードを吐きまくるRubyのコードだ。
#!/usr/local/bin/ruby -Ks require 'win32ole' def convert(v) #数値はデフォルトでフロートになって厄介なので整数化する if Numeric === v v.to_i else v end end def print_code(sheet) offset = 0 2.upto(sheet.usedRange.Rows.Count) do |rc| name = convert(sheet.cells(rc, 1).value) next unless name len = convert(sheet.cells(rc, 2).value) puts " Type#{convert(sheet.cells(rc, 3).value).to_s}.new('#{name}', #{len}, #{offset})," offset += len end end def read_sheets(file) begin excel = WIN32OLE.new('Excel.Application') excel.displayAlerts = false excel.visible = true if $DEBUG book = excel.Workbooks.Open(file) excel.ScreenUpdating = false 1.upto(excel.ActiveWorkbook.Sheets.Count) do |num| print_code(excel.Sheets.item(num)) end excel.ScreenUpdating = true book.close(false) excel.Quit rescue RuntimeError => e p e.backtrace STDERR.puts e.message end end read_sheets(File.expand_path('dsl.xls'))
マジックナンバー使いまくりだが、それで良いのだ。というのは、このプログラム自身は基本的にExcelシートデペンデントだからだ。(もちろん、パラメータ化したり、あるいは値が「項目名」ならスキップするというような作りにしても良い)
実行すると標準出力に以下が出力される。
C:\home\test>ruby excelconvert.rb Type9.new('処理区分', 1, 0), Type9.new('日付', 8, 1), TypeX.new('名称', 40, 9), Type9.new('形態', 2, 49), TypeX.new('予約領域', 1, 51), C:\home\test>
実はこの時点では、Type9とかTypeXなんてクラスはどこにも存在しない。
これから始めるのだ。
最初に作るのは、Type9とかTypeX。そしてレコードを与えられたら上記の並びに適用するコードだ。それを上記の出力の周りに作っていく。
module FooBar class TypeX def initialize(name, l, o) #出力時の順番を間違えたらこっちで調整。どう考えても、オフセットが長さより先だなぁ @name = name @offset = o @length = l end attr_reader :name def format(record, out) # 名前と値の区切りをすべてのフィールドで揃えたい場合にはもう一工夫必要。 out.puts "#{@name}: #{record[@offset, @length]}" end end class Type9 < TypeX def initialize(n, l, o) super(n, l, o) end def format(record, out) # タイプ9は数値なので、リーディングゼロを削除 out.puts "#{@name}: #{record[@offset, @length].to_i}" end end Fields = [ # Excelから生成したコードを貼り付ける Type9.new('処理区分', 1, 0), Type9.new('日付', 8, 1), TypeX.new('名称', 40, 9), Type9.new('形態', 2, 49), TypeX.new('予約領域', 1, 51), ] # レコードにフィールド定義を適用してフォーマット出力させる def self.pprint(record, out) Fields.each do |x| x.format(record, out) end end end
あとは、FooBar.pprintにレコードと出力先を与えるコードを書けばおしまい。レコードはファイルから直接読むのもあれば、ログファイルから正規表現を使って抜き出したものを与えるとか、いろいろあるので、必要に応じて考えれば良い。
ここでのミソとなる考え方は、せっかくExcelに項目名や長さ、タイプといった文字列がたくさん書かれているのだから、それをそのまま利用する(自分でコードしない)という点だ。
ここでは生成したコードもRubyだが、別にそこは必要に応じて、JavaやC#にすればよい。たとえば
puts " Type#{convert(sheet.cells(rc, 1).value).to_s}.new('#{name}', #{len}, #{offset}),"
の行を
puts <<EOD new Type#{convert(sheet.cells(rc, 1).value).to_s}("#{name}", #{len}, #{offset}), EOD
とすれば、JavaでもC#でも利用できる。
なんで、こんなの書いてるんだ? 他に書かなきゃならん似たようなの書いてるじゃん。
えー、これが3部作の最後なのか? それは最期だ。
と絶望のあまり歩いても歩いても小舟のような負け犬3部作のトリを飾る傑作であった(どうでもよいが記号は「敗者」なのに、字幕で「負け犬」という言葉を使ってたので違和感を覚えた。というか、敗者の映画の中にセリフとして「敗者」が出てくるのにはちょっと衝撃を受けた。言葉なので「敗者」とは訳せないから「負け犬」としたのだろうけど)。
浮雲は相当なハッピーエンド。千客万来だし。
続く、顔のない男では、ささやかなハッピーエンド。ちょうど真夜中の虹くらいかな。べらぼうな幸せは来ないけど、でもまあ、ささやかに幸福ではある。未来のことはよくわかんないけど。
でも街のあかりは、違う。白い花のような逆転のカタルシス(には程遠いけど)すらない。
何もない。
でも犬はいる。腹をすかした犬のために勇気を振り絞ってウィスキーをあおってゴリラ(とクレジットには出てた)に立ち向かったりしたからか。
もしかしたら、明日のジョーみたいなもので、別の見方もできるのかも知れない。
でも、たぶん、ありゃだめだな。
つまり、本当の負け犬の映画なのだ。本当の負け犬の映画といえば、ファスビンダーの自由の代償。でも、あれは自由の代償な分だけまだ救いがある。自由を選んだんだから。
ところが、街のあかりは違う。すべての行動がすべて裏目に出て海の見えるところに座り込む。
ああ、それで良いのか。まなざしがある。
#突然気づいたが三原順のマンガって敗者のマンガだったんだな。
で、まあ、負け犬の映画のせいであまり晴れやかでもない気分のまま、ちょっとケータイのldRみてたら、読んだことないマンガを向井さんがお勧めしていたので、なんとなくブックファーストで大人買いして帰って読んだりして。
これ、園長の造形がいいな。物語の全能者なんだが、それをとてもうまく利用しているせいで説教臭くなく、でもうまく状況を説明している。
実は、数年前に築地の三代目のマンガがコンビニマンガになってるんで出ると買う状態なんだが、最初に妻が買ってきたのを読んでやたら気に入った。なんで、このマンガは気持ちが良いんだ? と不思議がっていると、妻いわく、ようするにイヤなヤツが出てこないからではないか? と。イヤというのは別に不快という意味ではなく、たとえば明白なライバルとかでも良い。無理やり言うと寿司ネタ卸の三代目がそれに近いのだが、でもそうではない。最初はスーパーの仕入れのオヤジがそんな感じだったのだが、すぐに変わってしまうので、結局、そういう存在が不在のマンガなわけだ。これがおいしんぼうとかだと課長とか、イヤなヤツが必ずいるもんだ。おそらく、イヤなヤツを出すと物語にメリハリを出しやすいんだろうと想像するわけだが、それが実は読んでいて単に不快感になるのではなかろうか?
ってのは、このZOOKEEPERにも、まったくイヤなヤツが出てこない(ワニを捨てるやつはいたけど)。新人がいろんな部署をたらい回しで見聞を広げるとかいうと、ブラックジャックによろしくが浮かんでくるわけだが、あれなんかイヤなヤツの大全集みたいな不快なマンガだったわけだ(赤ん坊のやつあたりから、そうでもなくなったけど)。
まあ、物語の中にイヤなヤツが出てくるというのは、主人公の主観の問題なのだから、イヤなヤツを主人公が認識する世界かどうかということでもあるし、主人公の性格付けの問題でもある。
というわけで、なんか、いい感じであるなぁ、と思いながらもあっという間に3巻分を読み終わったので子供にやって、おしまい。
VirtualPCでVistaを作ったら、案の定、遅い。ディスクアクセスが(なんかしょっちゅう、ディスクをいじってるからだと思う)。
で、見るとフラグメントがものすごいので、せめてDefragすればましになるかな、と思って、次の戦略を立てた。
・Virtual Diskをネットワークのお隣にコピーする。すると30G近く空く。
・そこでDefragしてある程度きれいにする。
・コピーバックすると、相当きれいにコピーできるんじゃなかろうか。
というわけで、ステップ1を70分かけて行った。30Gでそんなに時間がかかるか100Base。
で、Defragして、まあ、こんなものかな状態にした。
で、コピーバックを60分、残りあと10分というところで、「リソースが不足だよん」といってアボートされる。アベンドという言葉を使わないのはその文化圏じゃないからだけど。
?????? リソース?
もう一度、試してみるか。で、また60分。でもやっぱり「リソースが不足してますよ」でだめ。
どうやら、とても悲しいことをしてしまったらしい。
と嘆いていてもはじまらないというか、やばい。
取りあえず検索だ。
Windows NT 4.0 または Windows 2000 が実行されているコンピュータ上でサイズの大きなファイルをコピーできない
これのXPSP2版はどこだ?
というタイトルではなく、
地元の本屋を使っておかないとSF本の取り扱いがどんどん減っていってしまうので可能なかぎりは地元で買うことにしているわけで、なんかどのみち嬉しくない感じ。
(前半を省略することで元の意味を変えることになる引用の仕方)
売ってなければそもそも注文をかけることになるわけだから、売っているだけましなわけなんだが、確かにじわりじわりとメインストリームとはいえないものは、結局、全部、アマゾンでしか買えないことになる未来があるとして。
もしアマゾンがそこで、xxx系はアマゾン的価値観から取り扱いやーめた、となることもないわけじゃない。商売とはいえポリシーはあってしかるべきだし。
そのときどうなるか? というと、なんとなくだが、それでもthe internetがある、と言えることができれば良いなぁ、と思う。
そして、これまでの歴史から、これいいね、と「みんな」が思って、しかし思うだけだったものは必ず国家とか宗教とか思想とかの権力によって収奪されてしまって骨抜きになると推測できたりするのであった。
骨抜きになってしまったら、それはポリシー付きの世界なんだから、それはだめだ。というかポリシーを決めて強制するのがまさに国家なわけで。
ここで、C++でのテンプレートを利用したポリシーに再度戻る。
戻る先は、Rubyでエンタープライズアプリケーションの構築が可能か? という論点だ。
現在のRubyでは、どうあがいても(あがく必要はないんだけど)、ポリシーを適用することはできない(たとえばビジネスロジックのベースクラスを規約によって決めておき、ポリシーを実装したモジュールをファクトリなどのレイヤーで適用していくという方法が考えられる)。適用した先から、骨抜きにできるからだ。
それでもなお、エンタープライズアプリケーションを構築したいとしたら?
元々、制約を強める方向にバイアスがかかったプログラミング言語に対して、制約を緩める方向にバイアスがかかったプログラミング言語という切り口で見ることができる。
おーぷんくろーずぷりんしぷるが通用しない世界。
おーぷんおーぷんな世界。
ぷりんしぷるが異なるものに、同じ方法を適用しようとするのが、そもそもの間違いではないだろうか?
そこに新たなルールを生む必要がある。もしルールが必要なら。
昨日、なんとなくマルクスに対して否をつきつけたバクーニンのことを思い出した。壊血病で死んだネチャーエフのことをネットで調べているうちにたどりついた。いつもそこにあるけれど。
第1インター政治局多数派のマルクスは、バクーニン一派を追い出すことに成功する。しかしバクーニン一派は政治局少数派だが、インター構成員多数派だった。(すでにボルシェヴィズムの萌芽を嗅ぎ付けてみたり)
どうして、こうも人間のいとなみというものは、相似形をとるのだろうか? まったく異なる分野、異なる歴史、異なる地理、をものともせず。
おれたちはパターンが好きなのだ。
マルクスは言う。共産主義は(なにか美しい世界)だが、そこにいたるには、厳密な階級的な独裁が必要である。
バクーニンは言う。共産主義は(なにか美しい世界)だから、そこにいきなりいたればいいじゃん。
マルクスは言う。いやそれは無理ぽ。
バクーニンは言う。まあ、手を動かせや。とりあえず銃を取れ。
こういう場合、指導部はマルクスが正しいと思う。そして、参加者はバクーニンの言葉が正しいと思う。
そして、いつでも敗れるのは多数の側である。
壊血病を調べていたら、面白い記述にであった。たぶんウィキペディアだろうが、違うかも。
遠征は必ず死人を生む。壊血病のせいだ。
そこで、キャプテンクックたちは、何か、不足している食い物について思い至る。
そこで、次の3つを用意した。小麦汁、オレンジジュース、ザワークラウト(キャベツのつけもの)。そして、みんなそれを飲み食いしながら航海した。
かくして、奇跡的に1人も死人を出さずに遠征から戻ることができた。
イギリス人はクックの話をきき、小麦汁の効用に目を見張る。3種の中で一番おいしかったから、クックが小麦汁の偉大さをたたえたからだ。
以後、イギリス海軍は壊血病に苦しむことになる。
いっぽうドイツではザワークラウトを船に乗せた。
そこで21世紀のビタミンCの知識を持つわれわれは大きな疑問を抱く。なぜ、オレンジジュースではないのか?
クックたちは、オレンジジュースを良く沸騰させてからビンに詰めたのであった。
(脚色しているが、大体、そんなことだったらしい)
これは良い記事ですね(もっともオレはこうは書かないようだ。テストは比較的に気分任せだが、インプットを先に書くことが多い気がする——いや、違うな。仕様によって異なるみたいだ。場合によってはテストを書いて、動かして結果を得てからそれをexpectedに書き、以後のレグレッションテスト用の基準とする場合があるから、そう感じただけで、基本的にはexpected、inputの順に確かに書いている)。
全然別の話:自動化できることは自動化するわけだが、いやそこはオレが自分でやりたい、という譲れないものがあるときがある。その線をどこに引かれている(やむにやまれぬ衝動によって譲らないとすれば、それはあらかじめ引かれているのであって、引いたわけではなかろう)かというのが、その人間がどこまで未来へ進めるか、の分水嶺なんじゃなかろうか? (しかし、それはまた、その人間がどれだけ人間的かの分水嶺かも知れない)
そういえばorkutってどうなったんだ? と突然思い出したが、評価するのが好きなのか、評価されるのが好きなのか、どっちなんだろう?
子供が通う学校は2期制なので、7月の期末テストってものはない。でも、なぜないんですか? あってしかるべきです、やってください、と訴えるお母さんとかお父さんとかがいるという話が出てた。なんでだ? 評価を見たいからだろう。絶対評価で考えれば良いのに。違うのかな? そういや、妻も相対的に評価するなぁ。判断は相対的に、評価は絶対的に、がおれのモットーだから(今作った)、ちょっと意見が合わない。とか。
はるか以前のこと、銀座か日本橋の裏通りを歩いてたら、妙な顔面をマークにしたスマトラカレーっていう店を見つけた。食いたかったが休みだった。
それから幾星霜、虎ノ門をうろうろしてたら、その顔面の看板が目に入った。スマトラカレーの店だ。
大喜びで入って注文して、出てきたカレーを食ったら、これっぽっちも好みじゃなくて、心底がっかりした。絶望したとはどんなに絶望しても書かないよ。
小麦粉を使ったカレーだ。田舎のうどん屋のカレーライスみたいなやつ。
おれは、スマトラやボルネオがその語感から大好きなんだが、まったく、裏切られた気分だ。
それでも、食い物を残すのは、お百姓さんに失礼極まりないのでやらない(という教育を受けたのが身に沁みこみまくっている)。そうは言うものの、あまりにも好きではないので、テーブルの上に置いてある紅ショウガをてんこもりにしたら、おや、これはうまいぞ。福神漬(たいしておいしくないのが置いてあった)とかではだめだが、ショウガがぬるまゆみたいな田舎のうどんや味に対して良いアクセントを付けてくれる。これは発見だ、とは言うものの、あまりにささやかではある。
古臭くてもデリとかいんでいらとかは好みなんだがなぁ。(ボルツは30年前に感動し、20年前にはなんじゃこりゃと思ったし、アジャンタは25年前に感動し、15年前にこんなんだっけ? と思ったし、マハラジャは24年前にたいしたこたないな、と思い、サムラートは20年前に通いつめてすっかり飽きてしまい、マラバールは15年前に見つけて今でも気に入っているとか、いろいろ変遷してるなぁ。ムルギーは25年前に恐怖に震えたけど、今はどうなってるんだろうかとか)バルチックも名前が好きなので結構好きだな。
で、晩飯にチリチリカレーで口直し。このあたりも口に合う。
自慢ってのは、あまり良いことではない、という考え方がどこかにある。
だいたい「慢」ってのがネガティブワード扱いにされてんじゃないか?
たとえば、「慢」のつく熟語を挙げよ。
「慢心」「傲慢」「増上慢」——ろくでもないと考えられている状態を示す言葉ばかりだ。
しかし、もし、マスイ理論=ネットはジマンパワーの発露の場仮説が正しいとするならば、自慢というのはむしろ良いことだ。なぜなら、それによって発露された情報の中に有益なものがあるからだ。(っというか、なんでカタカナかと言えば、きっと「慢」の字が持つネガティブパワー重力圏からの離脱のためなんだろうが)
たとえば「masuidrive的プロジェクトの方針」を増井つながりで引いてみたり。
で、まあ、思ったのは、「慢」の字、大いに結構じゃん。カタカナでジマンとかやらずに、「一発、おいらに自慢させてくれよ、」とやりゃいいんじゃないか? ということだったり。
言葉を変えるには、意外にも、やはりマスメディアの力はでかい。
そこで、今後、日経BPあたりは、「成功事例」という言葉の代わりに、「成功自慢」という言葉を使うようにすれば良いだろう。「我が社のSOA成功自慢」「オープンソース利用でコスト減自慢」「我が社のWindowsサーバー管理技術自慢」「COBOLからHskellへの書き換えでトラブルゼロ自慢」なんていうタイトルが踊り食い状態。
そして、数年、ネットが自慢で覆い尽くされたとき、人は、謙虚さの美徳(謙譲の美徳ではない)をあらためて発見し、感動することになるのだ。
マンキーウィッツは、そんなにたいした監督ではないが、良い監督ではある。
マンシーニのムーンリバーは名曲過ぎて、映画というよりも原作が持つ狂気をすっかり骨抜きにしてしまった。
っていうのは、どうでも良いが、
ウィンチェスター銃 73 [DVD] FRT-249(ジェームズ・スチュワート)
マンは、本当の漢の映画監督だ。ホークス、フォード、マン。殺しのダンディは傑作だよ(確かクロッキーの人形の糸が切れるのはこれじゃなかったかな?)。
Vista気に食わないナンバー1、それはCommand Prompt Hereがインストールできないことだ。
が、なんてこった。インストールしなくても、最初から組み込まれてたのであった。
普通に右クリックすると、こう出る。
が、シフトキーを押しながら右クリックすると
見てのとおり、「コマンドウィンドウをここで開く(Wara)」。
注)7-Zipは別途インストールが必要
フォルダビューでは使えないのがちょっといやんなとこだけど。
でも、UNCに文句を垂れるXPとは違って、エクスプローラ組み込みだけあって、UNC(\\host\directory\foo\bar みたいなやつ)に対して実行すると、勝手にドライブアサインしてちゃんと開いてくれる。これはいい。
via Tim Sneath
(2006年のポストなのか。全然、この情報は見かけなかったが、RCの頃に使いたい人は全員知ってしまってそこで止まったということなんだろうか? っていうか、おれがMS系のコミュニティサイトを見ないのが問題なのかも)
Tim Sneathは、コマンドプロンプトのことしか触れてないけど、「パスとしてコピー」は、おれが前から欲しかったやつだ。(追記:次のエントリーで触れてた。川西さんが作ったインデックス)
フォルダでは大して使い道ないけど、ファイルをシフト右クリックして「パスとしてコピー」するとフルパス名がクリップボードにコピーされる。
知ってる人は、うんざりしてることのもう1つの雄が、(セキュリティ的な理由らしいが)コマンドプロンプトへエクスプローラからドラッグアンドドロップしてパス名をコピーするのが、Vistaではできなくなっていることだ。
それでいつも面倒だなぁと思いながら、エクスプローラのアドレスバーからフォルダ名をコピーして、次に、ファイル名を変更状態にしてファイル名をコピーしてとか、面倒なことしてたんだが、「パスとしてコピー」を使えば一発じゃん。
っていうか、どうして隠しコマンドにしとくのかね?
C#での書き方は知らなくても、配列って概念は知ってるんだよね? だからある問題領域に対してそれを適用すれば良いと考えて、で、書き方はなんじゃい? となる、と。
素晴らしい。
そういうプログラマは歓迎です。
というようなことを言わざるを得ないようになるまでもうちょっと、という感じがするなぁ。
鍵穴が渋くなって家に入るのが大変。
ラ・ボエーム*歌劇 [DVD](カラヤン(ヘルベルト・フォン))
メロディーとオーケストレーション(音色)、ハーモニー、人間の声、詩、状況、こういったものをすべて統合して完全無欠な作品を形成できるとしたら、それは天才だ。
つまり、プッチーニは真の天才だ。
ベリズモの時代にあって、ベリズモではなく、ポストワーグナーとポストヴェルディを他の作家が真剣に考えているのに、そんなものお構いなしに、ひたすら美しいメロディーがどばどば流れ出す。
この状況無視っぷりと出てくるものがすべて詩になるという意味では、なんとなく、石川啄木とかを思い出したりもする。
貧乏なクリエイターたちが明日の成功を夢見て歯を食いしばりながら、辛うじてカップヌードルとモヤシとかを齧りながら、暮らしている。たまたま隣の部屋に住んでる田舎から出てきてどうでも良い賃仕事で若さをすり減らしている可愛い女の子と知り合いになる。で、まあお互いに夢を語ってみたり。
でも、金がないと暮らせない。かくして女の子は援交に手を染める。金はいくらでも手に入るようになったかも知れないけど、かえって生活が荒れ出す。かくして病を得ておしごともできなくなり、元のアパートに戻ってくる。そして、彼氏にみとられながら息をひきとる。
ラヴィ・ド・ボエーム/コントラクト・キラー [DVD](アンドレ・ウィリアムズ)
アキカウリスマキでなくたって、おまえ、その話にその音楽は無いだろう、と茶々の1つも入れたくなるようなお話だ。
(が、このフィンランド化しているおっさんが、実はプッチーニが好きでたまらないってことは、こないだの「街のあかり」がプッチーニで溢れてしまったのを観なくても見当はつく。
メロディーの美しさはほとんど狂気の技と化す。どんな一部分を切り取っても良い。
たとえばロドルフォがマルチェロにミミとの別れ話を切り出さなきゃならない本心を打ち明けるとこと。
彼女は重い病気なんだ。日ごとに弱っていく。かわいそうにもう駄目なんだ
木陰に隠れてそれを耳にするミミ(このエンコー女は家から出てけ、とか言われて飛び出したところ)。
いったいなんのことかしら?
ロドルフォは続ける。
ひどい咳で胸は波打ち、頬には血の赤味が差している。
後半、ミミがきれいなメロディーで重なる。
ああ 死ぬんだわ
それに対してロドルフォが重なる。
僕の部屋は穴蔵のようで、暖炉には火もない。北風が吹きさらし渦をまいている
(ここの途中、渦の中に、すばらしいパウゼがある)
ロドルフォは続ける。
彼女は歌い笑うけど、僕は悲しい思いでいっぱいだ
どうすれば良いんだと、マルチェロのディアログが入ったあと、すばらしいメロディー。
ミミは温室の花……貧しさがそれを枯らしてしまった
書き写すだけでうんざりする陳腐で紋切り型の貧乏自慢、それをすばらしいメロディーとオーケストレーション、朗々たるロドルフォのテノール(ライモンディってこれでしか知らないのだが、良い歌手だ)。
そして3重唱となり、複雑な思いのまま、オーケストラは高揚に高揚する。ミミは咳き込み、ロドルフォは駆け寄る。マルチェロのかわりに軽いメロディを一瞬流し、マルチェロはそれにかこつけて二人だけにしてやるために退場する。
どうしようもない人たちのどうしようもない生活を描いた物語が天才の音楽によってこのうえもなく至高のものとなる(詩に目をとめなければ)。
そこで、ペロンパーを使って、どうしようもない人たちのどうしようもない負け犬っぷりをこれっぽちの美しさもなく描いたカウリスマキの気持ちはよくわかる。それにしても、ピクニックの場面の美しさ。それよりも、むしろ醜い女優のミミとの出会いの美しさときたら。カウリスマキもまた、映画の天才だったということだ。
あまり見かけない話だが(単純に上から下へ落とすことではなく、それぞれの中での順序)、確かに必要な観点。
むしろ、時間軸はないことにするほうが良いみたいな考えのほうが多そうに思う(というか、思い出せないが、そっちの感覚はそっちの感覚ですごく手ごたえつきであるので、何かの考え方があるはず)が。
抽象化っていうのは空間把握に関するものなんだっけ?
時が暴走する。
どうでもよいが変換すると最初に土岐が暴走するになったが、暴走する土岐氏といえば婆沙羅なんだが、アマゾンに無い。まさに時が暴走してる。
また、QTTaskが復活したよ。D&Dで起動できるようになるとか、もっとWindowsの作法にしたがった行儀良いアプリケーションなら我慢もできるんだが、まったくかすだからなぁ。というわけで、また削除。
イタリアの最高のオペラ作家のヴェルディの印象が強すぎて、最後の、異国を舞台にした大作は、あまり好みじゃないんじゃないかと思って、トゥーランドットはこれまで敬遠してきた。(あと、なんかスイニートッドみたいなタイトルだってのもあるかも。違うのはもちろんわかってるけど)
でも、街のあかりでの引用があまりに美しかったので、どうしても聞きたくなって、いろいろ考えた末、ベリオ補完版を買った。
プッチーニ:トゥーランドット(ベリオ補作版) [DVD](ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)
ベリオは好きだ。
ブレーズ、ノーノ、シュトックハウゼンの3人の影に隠れてたけど、歌があったし、音がきれいだったからだ。
これも良かったけど、30年以上前にRCAから出てた、シルエットと顔のコラージュのやつが良かったなぁ。ボカリーズみたいな題だったと思うけど、どこにもないみたいだ。なんか間違ってるかも。
で、そんなベリオが補作したなら悪いことはあるまーに(とイタリア人)。
愛とな
しかし、解説を読むと、しっかり、「プッチーニのオペラはイタリア野郎に都合の良い女しか出てこない」とか書かれてる。まったくだ。というか、イタリア野郎と限定する必要はないと思うけど。
#っていうか、この解説者、ぶおとこのカラフとぶおんなのトゥーランドットとかいうことを平気で書いているもんで、観るとまさにそのとおりなんで、思わずわらってしまいそうになるわけだ。が、このカラフ(ヨハン・ボータ)むちゃくちゃ良い声だ(スピント・ヴォイスというかヴォーチェスピントってのはこういうのを指すのか)、が、この解説者によるとそれすらも「弱点をカヴァー」って。そこまで書かれるほどぶおとことは思えなく……もない。(アマゾン書評を読まずに、ベリオとウィーンてだけで選んだわけだが、どちらもぶおとこぶおんなに言及してるな。うむ、確かに最近の歌手としては圧倒的な存在感かも)
だが、忘れてはならないのは、真に美しい歌は、テノールのために書かれているということだ。そして、また「誰も眠ってはならぬ」が美しいのなんのって、……そういえば、こないだイギリスのやらせ番組でも取り上げられてたような気がしてきたが……傑作だなぁ(要するに曲がすごいので、ある程度の歌手なら誰が歌っても人を感動させることができるってだけなのだ、と思う)。
しかし、マリンスキーリングでも気になったが、ゲルギエフってそんなに大した指揮者か? はったりっぽい音な気がする。変なリズム感のせいかも。音色は豊かかな。
演出は奇妙に古臭い。ドイツ風ってことか。北京市民が仮面をかなぐり捨てた後も、奇妙な口なのはなぜなんだろうか? とか。(誰も眠ってはならぬ経由で星を眺める王子様のシーンの演出は好きだ。割れた巨大な仮面をうまく利用して、勝利を確信して世界を睥睨するカラフをうまく表現している)
irb(main):002:0> methods.each do |x|eval("def #{x};end");end (eval):1: warning: redefining `__id__' may cause serious problem (eval):1: warning: redefining `__send__' may cause serious problem => ["inspect", "pushws", "cwws", "clone", "cb", "help", "public_methods", …… a?", "fg"] C:/ruby/lib/ruby/1.8/irb/context.rb:145:in `kind_of?': wrong number of arguments (1 for 0) (ArgumentError) from C:/ruby/lib/ruby/1.8/irb/context.rb:145:in `verbose?' …… from C:/ruby/lib/ruby/1.8/irb.rb:69:in `catch' from C:/ruby/lib/ruby/1.8/irb.rb:69:in `start' from C:/ruby/bin/irb.bat:15 C:\>
ステレオタイプは、タグ。集まればクラウド。要件の定義付けはフォークソノミー。
るいもさんとの連載を持たしていただいている、Vol.9が出ました(もっと前から出てると思いますが、諸事情から今日やっと見本版を手に取ることができました)。よろしければお買い上げください。
今回、連載のほうは、るいもさんにお任せして(題材はロギングですが、commonsの暗黒面のあたりを深堀してるので、おもしろい)、特集と書評を書かせていただきました。
今号の特集は、「技術力アップの新常識!」ですが、それはつまり温故知新ですな。
で、私が特集で取り上げたのはフローチャート。
私の年齢を考えれば、フローチャートをバインダーに数冊以上(牛車に三台とか言わないところが奥床しい)書いたことがあるだろうってことは想像できると思いますが、その一方、この10年以上、まったく書いてない(というと嘘になるわけで、原稿ではそのへんの整理も含めてたりするわけですが)のも、また事実。
最初、モジュール、ルーチン、ブロックの粒度感の養成/判定のツールという方向で書こうと考えてたわけですが、雑誌の性格を考えて、もうちょっと大局的な(実装とは離れた)利用価値の説明を半分(こういうのって、「仕事だから書け」じゃなくて、なぜ必要かってことを明文化しておく必要があるだろうと考えたからです)、残り半分は逆にうんと詳細論に分け入って現在の実装との矛盾の指摘(いろいろ思うところがあるので、読者に問いかけて放置)という構成にしました。(念のために書いておくと、ZOOKEEPERの園長の考えに近い理由から、結論は書く必要性を感じなかったということだ。書いてもそれは私のバイアスに過ぎないし、そこを自分で考えられなければ意味がない)
最初の予定だと、はぶさんが以前書かれたり講演されたりした内容とおそらく被る内容になるはずだったのですが、むしろそれより前のところを押さえておく必要性を感じたからというのが理由です。というわけで、はぶさんには同工異曲な記事を書きますとメッセージを送ったにもかかわらず、全然違うものにしてしまいました。
フローチャートはつまり、奥が深く、語ろうと思えばいろいろ語れるのだ。
同じく語ってないことに、UNIXという文化とメインフレームという文化、あるいはワークステーションプログラミングとビジネスプログラミングの差という観点もあるのだけど、雑誌の性格が後者である以上、自明なので無視できるので、それも無し。
一方、書評はお勧めを3冊取り上げて好きなこと書いてよい(ちょっと語弊があるな。実装をテーマにという制約はあった)ということだったので、以下のラインナップ。
UNIXネットワークプログラミング〈Vol.1〉ネットワークAPI:ソケットとXTI(W.リチャード スティーヴンス)
プログラミング言語C 第2版 ANSI規格準拠(B.W. カーニハン)
Binary Hacks ―ハッカー秘伝のテクニック100選(高林 哲)
ハードコアで行こう。
それにしても、UNIX ネットワークプログラミングは高林さんがいいタイミングで「今回の本もほとんどすべてのページに、重要なことが書かれています」と書かれているけれど、まさにその通り。
IE7にフォーカスが移ると、どうあっても青玉が出てくる。
気付かないと、全角に直すために^PしてEnter押すから、結果的にプリンターからどうでも良いページのプリントがいつのまにか出てくる。気付いても、やってしまう。
で、「詳細なテキストサービスをオフにする」をチェックすればどうにかなることがわかったのは良いが、こんだ、言語バーが閉じてしまう。普段は邪魔なだけで役に立たないから問題なさそうに見えるのだが、そうすると、辞書登録したくなったときに、困る。そしてIMEを気にする必要があるモードに入っているということは、辞書登録が頻発するのであった。
で、しょうがないので戻す。
で、IE7使っていつのまにかプリントしてる。
Vistaだとこのあたりは問題ないので、IE7をXPに入れさせるってことがVistaへの移行圧力になってるのか(IE7に慣れるとIE6に戻すくらいなら、Vistaにしたほうがましじゃないかという気がしてくる)。
それとも、IME2002スタンダードを100点とした場合に、0点のIME2002 Naturalに比較すれば、3点は取れているIME2007のほうが遥かにましだから、IME2007+IE7を使えという意味なのか。
(Anthyは、この伝では1点しか取れないし、ことえりは0.5点なので、Windows以外はとりあえず選択できない。SKKは別問題だし)
Rubyには++や--が無いおかげで、即値を即値として特別扱いしなくて済むというメリットがあるのかな?
たとえば、C#とかJavaのように値型とオブジェクト型の2種類が存在すると
int a = 3; int b = a; a++; // a => 4, b => 3という値型の振る舞いに対して、オブジェクト型だと
StringBuffer a = new StringBuffer("ab"); StringBuffer b = a; a.append('c'); // a => "abc", b => "abc"
と、振る舞いが異なる。
ところが、Rubyには++や--のような、即値自体の!メソッドが無いのでせいぜい
a = 3 b = a a += 1 # =使ってるってことは再代入なので、bと異なってもOKでしかない。もし、ここで++を!メソッドとして実装してあるとすると、
a = 3 b = a a++ # a => 4, b=> 4 じゃないとすべてがオブジェクトではない
となるけど、それだと即値として実装できなくなるし(パフォーマンス上、不利)、しかも、++という演算子を利用したい人からすれば、期待する振る舞いとも異なる。つまり、誰も嬉しくない結果となる。
追記:コメント欄とか、a++(ょゎさんのところ)とかも参照
そうか。ビジネスモデルのベンチャーの誕生(テクノロジーでもなければ(というと違うし、それは文字通りにインフラなんだろうけど)、輸入型のビジネスモデルでもない)だったのか。
なんにしろ、すごいことだな。
Yuguiさんのコメント の、イテレータとか数え上げってのは、こういうことなのかなぁ? と考えてみる。(追記:合ってたらしい)
for (int i = 0; i < limit; i++) { ... }
(確かに、i++と何も考えなくても書いているなぁ)
に対してRubyだと
0.upto(limit - 1) do |i| ... endとか、
(0...limit).each do |i| ... end
と書くわけで、確かに++は出てこない。
あ、イテレータってあれか。
for (std::string::iterator it = str.begin(); it != str.end(); it++) { ... }これはもろに、
str.each_byte do |c| ... endだしな。
あまりにくだらないので何かを書く必要もないように思ったんだけど(木村さんのちくちく遊びだなぁとか思った)、暇なので問題提起。
とか、
のあたり。
(追記:もう1人の緑茶さんも釣れている。Cから覚えるべき?
7月下旬の日曜日ってのはみんな閑みたいだ。追記の追記:どこが閑なんだ? とふと気付いてしまった……ばかだ)
そうじゃなくて、あなたがウチの業界でメシを食って行こうと志すなら、あるいは
プログラミングの本質を理解し、プログラミング上級者を志すなら、是非C言語で
基本をしっかり勉強して下さい。
はっきり言って、基本をマスターしないうちにJavaやVB、Perlなどでいい加減な感覚を
身に付けてしまった人は、ちょっとやそっとでは矯正が効きません。
という愚かな言葉が、なぜ愚かかを考えてみよう。
疑問: ということは、Cより歴史的に前のプログラマは基本をマスターしていないので、だめということか? MARSはどうよ? (あれは、並行処理にもかかわらず、トランザクションのACID特性とかそれ以前に排他制御に最初、思いがいたらなかった(というか、ああいう歴史がトランザクションとして認識されてTPモニタによるフレームワーク化とかに通じるんだなぁってあたり)ってことだとテレビ見て思った)。
基本ってのが、過去のなんちゃらを見ることだったら、ヘブライ語でしっかり基本を、とか、MAC-LISPでしっかり基本を、とか、いや基本はABCのプログラミングです(ってどうやるんだろう?)、最初に購入するパソコンは、TK-80じゃなければなりません。基本をマスターしないうちに、VAIOだのMacBookなどでいい加減な感覚を…… あるいは、車の運転の前に基本を学ぶために大八車を引っ張れとか、ファッションセンスを磨くために、基本は貫頭衣とか。竹槍と気合で戦闘機と戦えとか、まるで旧日本軍(イメージとしての)だ。
どこまでさかのぼれば気が済むんだ?
その答えは、簡単で、「基本をマスター」先生の出発点にさかのぼれということなのだ。馬鹿げている。こういうことを言うやつがいるから、老いぼれは引っ込んでろ、となる。年を取れば取るほど、現実から乖離して言うことがずれてくるからだ。
それこそ、基本の問題だ。
歴史の流れを見極め、節目となったポイントを見逃さず、現在をゼロとした場合の最短となる基点を考える。人類の進歩は梯子を上るように、ステップを上げて行く。地面から現在までをたどり直す必要があるのは、そういう学問を志す人だけで十分だ。
まあ、梯子がはずされることもあるけどな。
いい加減が良いか悪いかは言語とは別の話だし、そもそもいい加減が本当に悪いことかどうかもわからない。いい加減っていい湯加減にも通じるし、良い加減であるということでもあったり。むしろ、「良い加減」を知っていたほうが、幅があっていいだろう(というようなのを言葉尻をとらえた言葉いじりというのだと思う)。
Cはある時点までは確かに基点だったと言える。
でも、1999年には、ほぼ間違いなく、Javaか、VBか、C++のいずれかを基点とすれば良い。
で、今は2007年の真ん中あたりだ。
さて、なんでしょう?
(思いつくのは、マルチパラダイムな言語なんじゃないかということで、C++か、Rubyか、Lispか、OCaml(知らないけど) なんじゃないかな、と。あとは教科書しだいなんじゃない? ということで、これなのかな?
プログラミングの基礎 ((Computer Science Library))(浅井 健一)
って言うか、RHG読書会の次のお題だと思って買ってしまったわけだが(予習で第1〜4章を読んだけど、なんか新鮮な感覚)、実際のところ、何に決まったんだろう? (KISHIMOTOさんのメールへの返事もないし)
追記:K&Rを取り上げていることについて、自分の足を撃ってるように見えるかも知れないが、それは違うんだな。スティーヴンスの本については技術的な課題のために読めなのだが、K&Rは歴史を知るために読めで、BHはコンピュータを楽しむために読め、なのだ。K&Rをスティーヴンスの本のように読めと書いているわけじゃない。
劇場で見逃してた、チェンカイコー(チェンガイグって書く人もいるが、どっちなんだろう? の陳凱歌)のプロミスをテレビでやってたので、あっけにとられて最初の40分と、最後の40分くらいを見た。
この人が、群集を扱わせたらただごとではないってのは、大閲兵でも見たし、黄色い大地でも見たし、琴の糸でも、というか、キリングミーソフトリー以外(先生の映画以外は、結局、全部見てるようだ。追記:確かに先生のやつ以外は全部見てる)ではいつも見てたわけだが、それにしたって、野牛と囮の奴隷と漢軍と蕃軍の出だしのところは、何が起きたのかとびっくり。いや、そもそも最初の、「お前が落としたのはこの饅頭かい?」というか、その手前の明日のジョーの金さんの子供時代のエピソードっぽい饅頭を手に入れるところからして、いったい何事かのオンパレードで、こんなおかしなものを平然と撮れる作家は、他の誰でもなく、まさにチェンカイコー。
しかも、相変わらずの、女性ヘイトっぷりで、女主人公がネガティブで気分悪いし。(で、そのぶんだけ、クーヒャンというような名前の貴族が、見た範囲では、誤解してるかも知れないが、実らぬ将軍への恋に苦悩していて、敵役にも関わらず美しく描かれていたり)、というか、この人が描く人間は、すべて自分のことしか見ていないし、いつもながらの不協和音っぷりは健在なんだが、どうして作品を作る資金が得られるのかそれが不思議ではある。こんなイヤなやつに映画を撮らせる資金があるのなら、ゲルマンとか(生死不明の)カネフスキーへ資金を回してやってくれ。
それにしても、ペキンのバイオリン少年のラストで見せた、異様な空間把握の撮影方法に磨きがかかっているのにも驚きではある。進歩を止めないってのはすごいな。(というか、ますます嫌いな作家になるのだが、やはり才能ってやつなんだろうか、力量は尋常じゃないので、あっけにとられながらもつい見てしまうのであった)
そんなの、自明じゃん。必要に決まってる。分野によるけど。少なくてもハードウェアとかリソースとかをフルに利用する必要が少しでもあるんなら、現時点ではC以外の選択肢は、アセンブリそのものしか無い(し、最適化を考えると、多分、Cのほうが良い)。
だから、ネットワークを本気でやるなら、スティーヴンスの本だし、それを読むにはCが読み書きできなきゃ全然、だめだ。
そうではなく、最初にプログラミングを学習すんのに、どの言語を学べば良いですか? っていう質問にどう答えるかだ。
プログラミングで覚えなければならないことってなんだろう?
考え方だと思う。
学習するときに必要なことってなんだ?
良いお手本とフィードバックだ。フィードバックはプログラミングについて言えば簡単で、作って動かして結果を見れば良い。だから、自分ってやつを用意すればとりあえずはOK。UIとか言い出したら別の話だけど、プログラミングって言ってんだから、そいつはどうでも良い、多分。
良いお手本とはなんだろう?
もちろんソースだ。
(書いているうちに脱線しそうな気がしてきたから、話半分)
でも、ソースから考え方を読み取るには、それ以前の段階が必要な気がする。なんだろう? 勘なんだけど、それはつまりは養うしかない。
養うには、結局は、経験ってことなんだろうか? なんの経験だ? プログラミングの経験だ。始めに戻った。
経験を詰むのに必要なことはなんだろう? 持続できることだ。持続するには何が必要か? おもしろいという感じとか、達成感とか。
お、kitajさんの名言が出てくるぞ。おれってすげー感。
職業としてのプログラマーってのにも、いろいろあるわけだから、それも勘案してみたい。
がちがちに書かれた仕様書と、箸の上げ下げまで指定してあるコーディング規約にしたがって、もくもくとプログラミング。そういう職業としてのプログラマーであれば、おれってスゲーも、ソースを読む必要も、経験も、いらないだろう。良いアルゴリズムを考える必要も、最適化戦略を練る必要も、やばい匂いを嗅ぎ分ける能力もいらないだろう。だったら、Cをやる必要なんて、どこにもない。
そうではなく、いろいろなアイディアを生み出し、生み出した先から片っ端から実装していくプログラマーであれば、おれってスゲーで突っ走るしかあるまい。やはりCをやる必要なんてどこにもない。とりあえずは。そのうち、必要があれば深追いすりゃいいし、必要があればCの言語仕様はシンプルだからプログラミングそのものはすぐわかる。むしろ、ハードウェアとかネットワークとかリソースの扱いかたの知識のほうが必要になるだろう。
その中間のプログラマー(おれとかそうだ)であれば、どうだろうか? 必要な言語を必要に応じて使えなきゃならないね。.NETの仕事? じゃあ、C#だ。Javaの仕事? じゃあJavaだ。NT4.0用? 今頃? しょうがないな。じゃあC++だ。だったら、OOPを最初からやっときゃいいね。なんでもやるんだから、なんでもできる言語をきっちり知っておけば後は応用だ。突然、デバイスが振ってきたらCでもOK。というか、実装をどうするかを考えるのが必要なわけで、それを養うには別にCである必要はない。
それに、ジョエルあたりが書いてそうだが、学習が終わったころに、求人が最大になりそうな言語を選べば良い。どう考えたってCの求人が最大ってこた、ないだろう。
というわけで、どう転んでも、最初は絶対にCをマスターという必要がないことがわかる。
むしろ、ライブラリが豊富に用意された言語ならいろいろなAPIを使って、こんなAPIはこれこれだから使いにくい、こういうAPIはこれこれだから、こういう場合には良いけど、こういう場合には中途半端だな、とか見識が広がる可能性が高い。
というように考えていくと、最初:に対して落ち着くところは、処理系が入手しやすく、良質なソースが(あるいは、悪質であってもプログラムの実行結果が良ければ、読む気になるので、それでも良いのかも、というあたりからいくらでもソースが手に入るくらい大量に出回っている)そこら中で公開されていて、ライブラリが充実していて、良い教科書/入門書がほどよく出回っているプログラミング言語ってのが答えになる。
Cは確かにそういう言語に見える。でも、ライブラリが充実していて、というあたりでいささか怪しい。いろいろ作って楽しめなきゃ続かないと思うからだ。いきなり仕事パターンなら別だろうけど。
それに、最初に覚えるべきことに、ヒープの解放なんていうのがあるところがちょっと問題だろう。それは後で良いからだ。
つまり、その作られた時代によってライブラリの充実度が異なる。
ネタ元のCの基本をマスター先生は、PASCALを否定してたけど、時代をスライドさせてDelphi(綴り違うかも)を最初の学習用に渡されていたら、きっと、PASCALで基本をマスター先生になってたんじゃないか? 基本をマスター先生が自分が楽しむのに十分なライブラリがその時点ではPASCALよりCのほうが充実してたんだ、と思えるのが、そのあたりの書き方。
というわけで、JavaとかC#とかVBとかだと、GUIは作れる、ネットワークは叩ける、悪貨も良貨もソースはそれなりに手に入る。Rubyだったら、持ってるコンピュータがPCならSwinがあるし、MacならCOCOAがあるし、LinuxならGTKとか、その気にさえなれば手に入るし、というか、SDLか。ゲームの本がライブラリ付きであるわけだし。ネットワークも叩き放題だ。
JavaScriptだって実は全然OKで、GUIはDOMがある。むしろ、実用度は高いかも。(P言語はよくしらないので書けないけど、多分OKだろう)
で、まあ、そうやっていろいろやったその後で、はじめて、遅いとか、スレッドがどうとか、多重化が、とかあって、Cを見ればいいんじゃなかろうか。というか、話が逆でOSの知識が必要となっていろいろ調べていくと、そのうちCにぶつかる。でも、その時点で覚えりゃいいし、もうプログラミングの感覚は身についてるはずだから、読むのだってK&Rで十分だ。
でも、確かに、足が地に着いてないと落ち着かない人もいる。そういう人は、いきなりcoreを眺めて安心できるわけで、そういう場合はCでも良いのかも。でも、そう思う反面、それはやはり、ライブラリが充実していなかったからなんじゃないか? とも思うのだ。でも、さらに気付くのだが、asはたいてい入ってるし、Windowsでさえ、masmのフリー版があるわけで、なぜアセンブリやれ、とならんのか? それはマスター先生と同じ罠に落ちて、自分がコンピュータ=プログラムの関連を納得した経験(=C)に頼ってそう言っているだけかも知れないじゃないか。(おれは、そういう意味じゃ、68000が最初で、次がCというのが正しい。メインフレームのはスタックマシンじゃないところで特殊なアセンブリだったから、全然、別のことだったし。まあ、16進で読み書きして、アドレッシングモードを計算してjmp書くのも慣れてたから、むしろアセンブリのほうが読みやすかったようだ。で、考えるのは、Cのポインタポインタとポインタ配列の関係を理解するのにアセンブリリストを見て納得したわけだが、おそらくCがそういうハードウェアに密着した理解を求める言語だからそういう理解の過程を踏んだんであって、最初からJavaだったら、最終的にはVMを眺めてたかも知れないけど、ヒープとスタックの2つを仮想的に理解してれば後はいらなかったかも、と思うのだった。っていうか、間接参照してどうたらみたいなことって全然基本じゃないよ)。むしろ、副読本みたいな感じで、CPUの作り方みたいなのを読めばいいような気がしてきた。必要ならば。逆に、デザインパターンみたいなものを副読本にすべき人もいそうだな。そのあたりって性格とか学習方法の癖みたいなもので決まるんじゃなかろうか。
言葉をしゃべくるとき、脳みそが言葉を選択し、声帯と舌と口蓋の形を音に合わせて動かすように、筋肉に対して指令を出すと、それが神経を通して……ってなところがイメージできなきゃ、しゃべれないという人はいない。それが必要になるのは、リハビリをするときじゃないかな?
やっぱり、思いつくはしから書いていると違うことを書いてるな。
というかね、ああいうところで質問してる時点でだめだよね。いくらでも転がってるんだけど、目移りするってこともあるまい。職業だけで考えてるんなら、求人広告を眺めて決めれば良いし、何かまねしたいアプリケーションでソースが公開されてるやつ探して決めても良いし、なぜ質問してるのか、と考えると、それがすでに釣りだったりして。
それにしても、なんかむかついてきたが、デイブトーマスですら、いろんな言語をとっかえひっかえして、手にあったツールを探してるっていうのに(そして出会えたらしいので良かったね)、なんで、最初に学ぶ言語なんてものを気にするんだ? とりあえず本屋に行って、表紙のデザインが気に入って、ぺらぺら眺めて自分にとって読みやすそうな入門書を買ってくれば済む話だ。本屋で売ってるくらいだから、そこそこメジャーな言語なはずだから、それがたまたまCならそれでいいし、Haskellならそれでいいじゃん。3ヶ月くらいして、おれにはこの言語は合わないとわかったとしても別に無駄になるわけじゃない。プログラミングはプログラミングだ。
最初は「ここはこう書く」ってきっちりと決まってる方がやりやすいんじゃないかな。
昔PASCAL、今Python。という印象も受けるけど、これはこれで納得がいく考えですね。
マルチパラダイムは、2日前には最初に覚えたプログラミング言語をずっと引っ張っていくと幸せかも、ってことで、それ1つでなんでもできそうなものを考えたわけだけど、昨日になったら、いやなら取り替えればいいじゃん、に考えが変わったので、まあ、そうかなとも思います。(でも、C#を入れとくべきだったとは思う)
あとがきにもあるけど、ジュピターさんが主役のマンガは読んでみたいな。
意外なほど、戦国時代ものが良かった。
松本次郎のおもしろさってのはモンタージュってことになるのかなぁ。
最初の作品は、意外なほど物語の構成がうまくできてるのに感心。かっちりまとめることもできるんだな。
アフィリエイトではなく、Consumers Generated Marketing(綴り怪しい)と考えることで、ニッチとかロングテールとかから始めてもう少し先まで考える。
それなりに謎めき系で。
何人かには状況についてぽろっと漏らしたことがあるけど、それなりの数が出ています(まだキャンセンルとかがあるだろうから、最終的なことはわからんけど)。
で、なぜか今月のナンバー1(といっても片手より少ない)は、今頃(これまではゼロ)、例のゲッターロボです。これが今頃、というのが着目点(正しくは着眼点なのだろうけど、着目した点で、ちょっと着眼点というと考えに対する正確な写像とならないので、着目点という言葉を造る……が、検索すると大量に使われてるなぁ。でもそんな日本語はないよ)となります。
ちなみに、今月も楽譜(これが元々の着目点)はやはり出ています。
検索−コンテンツ−販売 の3つ組みがうまく組み合わさるということと、特に専門分野のコンテンツ、それから旬を外れたものがコンテンツとして残っているということ(ゲッター。しかも、これはごぞんじのように単なるダジャレのネタであって、批評があるわけでもなんでもない(内容はメソッド命名の話)ので、興味を持つ人が確実に存在するジャンルの優れたプロダクトが単にWebで露出しているという、ただその1点)。
途中をすっとばして、結論だけ書くと、自分でコンテンツを作っている人間は、アフィリエイトをやれ、ということです。そして、買うときは(自分のではなく、他人の)それを経由して買えということです。
一番、恐れるべきことは、販売がマーケティング費用を、ネットワークではなくTVや新聞(つまるところはエージェントに対して)に向けるようなることでしょう。
関連する狐の王国のエントリーも参照「 アフィリエイトはみんなが幸せになるから積極的にやるべきだ」。これはその通りだと思います。買いたいやつが買うための便宜を図ってるんだから、購入先に対して含みがあるわけでなければ、やってください。考えられる含みとしては、集中による独占で、その懸念は十分にあるわけだけど、それ以前に流通対象が買われずに消えていく可能性のほうがもっとある。
追記:具体性があることはネタになっているゲッターロボ以外、削除。
具体性をなくすとスカだな。
コメント欄のやり取りが味わい深過ぎる。普及委員会みたいなのが設立されていて、そこら中を監視していて、有益なところ(これ重要)にアドバイスをなれなれしく入れまくっているとかな妄想。
otsuneさんの多分tumblr経由。
追記:
学校でこのHPを紹介したら何それって言われました……(´・ω・)かわいそす
本文は読めないけど、思い出したのは約6〜7年前くらいだと思うのだが、1M程度のデータを30台に送る処理。単純に(プロトコルのオーバーヘッドを抜けば)1M×30バイト必要になる。4Mbpsだと、帯域をフルに使えたとして30M/0.5MBps(4/8だと思うが、4/10なのかも)で、60秒だが、実際には実効速度は40%いかなかったはずだから、150秒くらい。
でも実際にやってみると、3分(いきなり単位がおおざっぱに分になるのだ)くらいで、しかもその間、ネットワークを使うほかのことはできなくなる。
で、当時、Winsock2で利用が余裕に使えるようになったIPマルチキャストを使うことにした。そうすれば、1/0.5MBps / 0.4として5秒ですむじゃん(おおざっぱに分にすると0分だ)。こりゃいいや。
で、これからが大変なことになるのだったが、それは別の物語である(必ず、遅れるやつが出る。そこで再送をさせるわけだが、一歩間違えると、全台が再送を求めてくることになる。
おい、IME2007はやっぱり、だめだな。全然、追随してこない。本当にやっかいだな。
IME2002だと、IEがNaturalくされIMEに切り替えやがるし、IME2007だとみんなIME2007だし、^u, ^i, ^o, ^pが使えるが、追随しない。
~をspamフィルターに入れ忘れてたので、ユーザーディレクトリ付きURLを書き込むtb spamに侵蝕されてた。がしがし削除の刑。
カイルベルトの録音でど肝を抜かれたきれいな録音だけど、こんだ、フルトヴェングラーの合唱付きのとんでもない録音が見つかったらしい(オペラ好きな先輩が買って聞いたらぶったまげたとこないだ言ってた)。
ベートーヴェン : 交響曲第9番ニ短調op.125 「合唱」(シュワルツコップ(エリザベート))
これがいつもの定番。だいたい、これを擦り切れるまで聞くから、音が悪いというのは問題ではならなくなるというか、録音が良いとか悪いとかと演奏は関係ないということが学べる仕組みになっている。が、そうは言っても細部は聴けないわけで、録音が良ければ良いに越したこたないのもまた事実。
きよほーへんがあるのは今では誰でも知っている困ったおやじだったかも知れないが、フルトヴェングラーが指揮者というものの1つの類型となるほど、何かただものではないのは聴けばわかる。で、シュワルツコップがまたすばらしいわけだ。
ところが、こないだ、その録音のバックアップが見つかったというところから、今までのあれはなんだったんだという話になったらしい。
ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱つき》[バイロイトの第9/第2世代復刻](ヘンゲン)
(リマスターした会社のノイズ除去の技術だみたいなことを書いてる人もいるからそういうことなのかな? わかんないからどうでもいいや)
というわけで買う。
ちなみに、先輩によれば、フルトヴェングラーが指揮台に上る足音つきだそうだが、まあ、それはどうでもいんだけど。
コンビニマンガの「イッキ読み!」というアオリに惹かれて、4日前くらいに7を読んで、3日前に4,5、で昨日ついに6を見つけて読んだ。(というかまとめて置いてあるとこがないのがコンビニマンガだな)
やっと、「最後にはガッツが勝つ」とか、「鷹の団が良い成果を出すにはグリフィスが必要だ」がわかった(書いてあるこたわかるが、具体性を帯びた)。というか偶然なんだが、突然出てきたとこみると、同じくコンビニマンガになってるので読んだんだろうか、とか。どうでも良いけど。
で、おれは、運が良くて、かつなんか左腕のマシンをありあわせでハックしてしまうリッケルトに憧れるわけなんだが(なぜか主役ではない)、そのあたりの心理をつらつら考えるにチームものってのは、おもしろいな。
というわけで、以下におれがぱっと思いつくチームもの(5人以上)を挙げてみる。
・009 (これ最初)
性格付けとか、人種問題とか、南北格差(ということが言われるより前のような)、冷戦(これはいきなり出てくるから意識してる)とかを国連主義と死の商人の戦いとか、武器が人格を持つとか、良くここまで子供マンガに詰め込んだものだ、と石森章太郎の志の高さにたまげるわけだが、子供のころには疑問だったが、なぜ一番完成されているはずの009が最も特殊な能力を持たないのか(結局、パーツ強化と移動速度だけに落ち着いているわけだし)とか。
サイボーグ009 既刊21巻セット 秋田文庫(石ノ森章太郎)
子供のころ、これの単行本を買ってもらっていやになるほど読んだので記憶が鮮明なのだが、どうも最初にブラックゴーストが9人を入手するまでの経緯の部分が一番おもしろかったのは、それほど長くないのだが、個々のメンバーの境遇とか性格とかがその部分だけできっちり書かれてたからだと思う(水滸伝みたいだ)。しかし、006に関しては、ちょっと違うなぁ。大躍進から文革の間の時期にたった一人で農民をしてるわけで人民公社にいたとも思えないし、多分、時空を超えて革命前の農村から連れてこられたんだろう。あと、009があの出自で主人公として暖かく読者に迎え入れられるってところが、当時の世相(いつ、自分がそっち側に落ちるかわからん/運良くこっち側にいるという意識)を反映してると言えるわけで、軍鶏の主人公とは違う。
・レインボー戦隊
全然覚えてないけど、テレビは見てたな。妙な看護婦ロボットがいたような気がする。
・オバQ (正ちゃん、Qちゃん、ゴジラ、木座くん、ミドリちゃん、ハカセのチームはドラえもんとはまたちょっと違ってバランスが抜群。でもこのてのは別にしたほうが話が簡単なのでジャンルを絞ると)
・ヤマト
さすがにこのあたりになると、チームを構成したマンガという意味がわかってくるので、バランスの取り方とかいろいろおもしろく読めた。
(ビーグル号とかエンタープライズとかは、おいておくとして、このあたりまでは博士とか艦長とか大人がいるわけだが)
・漂流教室
これはすごい。が、全部読んでないんじゃないかという気がしてきた。しかも覚えてない。げじげじのお化けが遠くに見えるシーンだけだな。
・ホワイトベース
で、それをもっとプロジェクト管理マンガにしたと言えなくもない。スキル/自信ともに-だったチームが、どっちも+の象限になるまでのマンガ(ブライト視点では)。やはり名作ってことになるんだろう。
・仲町サーカス(ちょっと違うな。ちょっと違うけど、この作家はなんか別格のような気がする)
からくりサーカス (1) (少年サンデーコミックス)(藤田 和日郎)
3〜4程度はわりといくらでも出てくるが5人以上(ちゃんと顔と名前と性格付けが出てくる)というのはあまり思いつかない(忘れたのも多そうだが。ヘルシングの3チームはちょっと違うしなぁ)。
で、結局、たった1人+ロボット3台のこのチームが好きなんだったりして。
ロデムが機械だというところがすばらしいが、暗澹たる気分になる。というか、結局、普通の高校生だった主人公がいかに人間から殺戮機械へ変貌するかというマンガとしか読めない。
たとえば、今、「ボエーム」を検索したら次のCDが174位だった。
プッチーニ : 歌劇「ボエーム」(全曲)(アルバネーゼ(リチア))
定価で3000円だ。もちろんこれを買うわけだが(一仕事、片がほぼついたので甘い飴)、
これが、71位。ユースト価格のプレミア付きで12800円。それだけの価値はあるとは思うが、3000円で同じものが買えるのにそれはないだろう。
(というか、本よりも背取り屋的には、こっちのほうが、こういうわながいっぱいあるから、うまく検索キーワードを入れたら儲かると思う)
というか、なぜ、どっちもキーワードに「トスカニーニ」を入れてないんだ? 71位のほうはNBC交響楽団とあるから、ヒントにはなる(というか、NBCはトスカニーニのある意味専属楽団だから迷いようがないから良いとして)けど。
と、なぜか突然、トスカニーニ旋風が吹き荒れている今日この頃なのは、カイルベルトを聴いてるうちに、(ヴィンラントワグナー曰くの)ラテン風の再評価が始まってしまったからだ。それくらいあのニーベルングの指輪は良かった。
ワーグナー:ニーベルングの指環 全曲(ヴァルナイ(アストリッド))
(というか、在庫切れか。250万円くらいでなら売っても良いかな)
Ring From Bayreuth 1952(Wagner)(でも輸入盤なら35000円だ)
で、来日公演の録音をNHKが放出したブラームスの4番を買っちまった。
颯爽というか、軽快というか、それでいてベルリンみたいに極端にうまいわけではないので(極端にうまいと、ヴァイオリンとか厚みがある1本の線に聴こえるわけだが、カラヤンの晩年のベートーヴェン全集とか)木みたいな感じで(引っ掛かりがあるといえば良いのか)、心地よい。というか、好きだな。軽いんだな。軽いのだが、音色は渋いから、そのバランスが実に心地よい。(マイスタージンガーもすごくいいのだが、やはりテンポが大きい)
(ライナーのバンベルク交響楽団(元ドイツ交響楽団)の数奇な運命もおもしろかった。というか、絵に描いたような数奇な運命だ)
でも、考えてみれば、中学高校のころからの習慣で、ずーとロマンティクな演奏が好きだったわけで、たとえば、バルビローリとウィーンとか。
ブラームス:交響曲第4番(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)
耽美派だ。
でも、嗜好が変わって来たのかも。あるいは、こういうのも年を取るってことなのかな?
同じブラームス4番の第1楽章が、バルビローリが13'58''で振ってるのをカイルベルトは12'24''で振っている。13分の曲で1.5分速いってのがどれだけの差で聴こえるかわかる人はわかるが、そりゃ全然違う曲だ。同じ飲み物でも、マックシェイクと麦茶くらい違う。
で、つらつら考えるに、こういう演奏は以前耳にしたことがあるなぁと。
で、思い出したのが、クラシック聴き始めのころに良く聴いていたボストンとミュンシュのメンデルスゾーンだ。
メンデルスゾーン:交響曲第3番&第4番(ミュンシュ(シャルル),ボストン交響楽団)
へー、まだ売ってるんだ。ミュンシュはくせがあるけど、やはり颯爽としてた。というか、あの頃のアメリカの楽団は、バーンスタインのニューヨーク(元を正せば、きっとワルターとコロンビアということになりそうな)を除けば、(オーマンディのフィラデルフィアはまたちょっと違うかも。でも大筋では同じ流儀)クリーブランドのセル、シカゴのライナー、デトロイトのドラティ、思えばあの連中(50〜60年代にアメリカのオーケストラを世界水準に持ち上げた連中)、遅れてショルティもそうだな、のスタイルというのは、みんな、こんな感じだった。こんな感じというのは、新古典主義とひとくくりにされるやつ。インテンポ(でも実は違う)で速め。ヴァイオリンを鳴かせたりはしない。そのスタイルの中で圧倒的だったのが晩年にはgdgdなgodになるベームだったわけだが(なぜ、おれはそういうのを知ってるのかというと、ちょうど聴き始めたころに、そのあたりの連中の録音が軒並み廉価版落ちして入手しやすかったからなのであった。普通のLPが2500円のときに、廉価版は1200円で中古だと100〜300円くらい)。
でもなぜなんだろう?
アメリカは伝統が無いからか? 録音向け? でもそれならストコフスキースタイルになりそうなもんだが……で、すっかり念頭になかった大人物を思い出したのであった。つまりトスカニーニ。欧州がフルトヴェングラー帝国だったころに、新大陸にトスカニーニ政権を樹立したってことか。
あ、「ラテン風」ってもしかしたら、そういう意味なのか?
で、なぜ好きじゃなかったというか、念頭にないかといえば嫌いだったからだ。テンポが速すぎるじゃん。
でも、今だったら違う印象になりそうな印象。
そこで、無難な線のを買って聴いた。
チャイコフスキー : ピアノ協奏曲第1番 / ブラームス : ピアノ協奏曲第2番(ホロヴィッツ(ウラジミール))
速いよ。チャイコフスキーの1番の第1楽章が17'32''だ。いきなり鬼のように速い。ホロヴィッツはそれにしてもちゃんと追随してるのだがそれでも最初のところはいきなり濁る(ホロヴィッツ主導というこたないだろうと思う)けど剛腕だなぁ、というかNBCもうまいわけか(ディナミークは直線的だけど、わざとそうしてるのかも)。歌は歌だし。第1楽章の展開部の終わりのあたり、きれいに歌わせてるし(速度的な感覚を麻痺させられるからかも知れないが、結局、全体が速過ぎるのでちょっとしたルバートが実に甘美に感じるわけだと思う)。
ちなみに、ワルター、ホロヴィッツ、アムステルダムコンセルトヘボウの神録音(1944ライブ)だと18'50''と、1'20''遅いし、おそらくホロヴィッツもこっちのほうが自由な感じ(この組み合わせが、ライブだとは、1944年のヨーロッパって実は余裕たっぷりだったんじゃないかという気がするのであった)。
もう一度、このLPを聴きたいなぁ。音はお話にならんけど。というか、こういう演奏が残ること考えると、あながち(JASRACな別の話)。
というわけで、トスカニーニの再評価をするなら、やはりおれの好きな曲、やつの得意なジャンル、やつの友達の曲、やつが初演した曲を聴かなきゃな、というわけで、ボエームを買うのであった。
見てきた。これまでで一番おもしろかった。
なんでだろう? ひとつ考え付くのは主人公たちが大人になったので、演技ではなく、単にそこに居ることができるようになったからかも知れない。
あるいは、物語を追うのがいそがしくて余分な停滞が演出上、不要だからかも。
ケーブルモデム−ルーター−HUBのポートまでが一気にすっ飛んだ。ケーブルモデムもルーターも機械自身は生きているようなのだが、LANコントローラ(になるのか?)だけが往ってしまったようだ。
というわけで困る。
18:40 復旧
今回の雷の被害
・ケーブルモデム 交換
・ルータ 交換(OpenBlockSにお別れ)
・スィッチのポート1ヶ(放置)
・電話 (スピーカーがすっ飛んだ)
・Fax用プリンタ (完全に逝ったようだけど、とりあえずサポート呼んでみる予定)
スターロジック,人月商売の悪弊がはびこるSI業界に成果物価格で挑戦 - ものづくりとIT - Tech-On!
まつもとさんのところで、羽生さんの工数ベースの見積もりから要件ベース(ユースケースベースのほうが正確かな?)への見積もりへの転換発言が取り上げられているのだが、コメント欄の流れが興味深い。
要点をまとめるとこんな感じか。
Matz:怠惰な顧客には通用しないだろうなぁ
yk: こっちを考慮したほうが良い(いくつか)
Matz:それはどうでもいいんじゃない? 重要なのは怠惰な顧客への対応
yk: なぜそう考えるのか?
Matz: だって羽生方式が主流になったら問題になるのは怠惰な顧客
yk: なぜ単なる宣伝をそう読むのか?
で、何が興味深いかというと、まつもとさんが一貫して、羽生さんの発言をビジネスモデルの提示で、かつそれが一定の成功を収めることを前提としていること。で、それが一定なのかそれを超えるのか、を問題にしている点。
それに対してykさんが、一貫してビジネスモデル(モデルというのはもちろんモデルだ)ではなく、スターロジックという一企業の話に収めようとしているところ。
僕も、具体的なツールを利用することで可能となったビジネスモデルの提示だと思う。そしてモデルをああいう形で発表するということは、(宣伝という側面があるのは当たり前のこととして)業界をそっちへ向けようという意思があるのだと思う。土俵は作ったものの勝ちということもあるだろうし、どちらにしても従来の土俵がおかしいというのは(そこに旨味がある一部を除いて)暗黙の了解になっているわけだし。
で、真に興味深いのは、ykさんの「方法論(マジカは登録すればダウンロードできるけど)とかツール(大概オープンソースだけどbeafは秘密だしとか)とかその組み合わせにしても、簡単には真似できないよ、と思ってるでしょうし。」というのが鋭い点。
つまり、まつもとさんが唐突に「しばらく前はOSSも似たようなキワモノ的見方がされてましたが、こちらはほぼ定着してきたようです。 」とオープンソースビジネスの話を持ち出して比較していることに対応している。
もっとレベルが低ければ、「オープン? ばかですか」の一言で終わっているはずなのに、「オープンたって、誰でも読めるわけでもないし、書いた人ならではのノウハウがあるよね」というレベルに踏み込んでる。わかって言ってるのだな。
と読むと、ykさんは実はまつもとさんから見たスターロジックのビジネスモデルの可能性について(おそらくOSSとの類似性から、成功したOSSの人の観点という価値)を引き出そうとしているように見える。そこが興味深い。
それにしてもマジカシートが3案件くらいたまるとSaaSの元ネタになるな、と感じるわけだがいろいろ興味深い。
あまりに怠惰が強調されるので、ふと考えた。
プログラマはすべて怠惰である。
したがって、一度覚えた環境(エディター、プログラミング言語)から乗り換えない。
しかし真に怠惰であれば、より怠惰であるために、より優れた環境へ乗り換える。
そこまで怠惰だと人は彼を真のプログラマと認める。
しかしさらに怠惰であれば、より怠惰であるために、より優れた環境を自分で開発する。
そこまで怠惰だと人は賞賛の念から彼をハッカーと呼ぶ。
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