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日々の破片

著作一覧

2022-02-05

_ フレンチディスパッチ ザリバティ

友人と新宿のTOHOシネマズにウェス・アンダーソンのフレンチディスパッチ ザ リバティ カンザス・イブニング・サン別冊を観に行く。犬が島以来のウェス・アンダーソンだ。

木曜あたりに席を予約したら、通路際はすでに埋まっていたが、実際に行くとほぼ満席で驚いた。ウェス・アンダーソン、人気あるんだな。

事前知識なしだったが(物語はつまらないが技巧はおもしろいと小山さんから教えてもらっていたが、これだけの情報だと単におもしろそうだとしかならないなぜ)、なかなか意表を突かれなくもなかった。

物語は、カンザス出身の新聞社の社主の息子がフランスに行き、そこで発刊したフレンチディスパッチ・ザ・リバティという(カンザスの新聞の)別冊(最終的には10万部クラス)の最終号(社主の息子の死により廃刊決定)の内容という形式で、地元紹介記事、芸術記事、政治記事、料理記事の4つの短編から構成される。そこに自由自在に執筆者と社主の息子、執筆者と記事の内容の歴史的事実などのメタデータが織り交ざる。

フランスはアンニュイ(なんて名前だ)にあるフレンチディスパッチの社屋に隣のビルのピザ屋が配達に行く。ファサードの色使いがきれいだ。複雑な階段を上るため(カメラは正面に据えっぱなしで社屋が入っているアパルトマン全景のまま)姿が見えたり消えたりする。

カメラとピザ屋が社内に入り社員紹介。

ところどころ何言っているかわかると思ったらフランス語(全部は聞き取れないしおれの語彙は英語より少ないので意味を把握できるわけでもない)と英語(まったく聞き取れない)をあまり理由なく(行き当たりばったりとしか読めなかった)行ったり来たりしている。よくみたら、フランス語でしゃべるときは英語の埋め込み字幕がついていた。そういえば犬が島も似たような仕組みを導入していた。

地元紹介でジゴロを男娼と翻訳していたが紐じゃないのか。そういえば紐はマトロだったかもしれない。地元紹介では記者の自転車がガードレールに引っ掛かって記者が消えるシーンが挿入される。

次の美術欄は、刑務所で10年目にして創作意欲(というよりも作品を残したい欲)にかられた頭のいかれた画家、画家のモデルとなる看守(レアセドゥ(俳優はだいたい知らないのだが、この人はBIG ISSUEで読んだから知っていた))、画家の作品に惚れ込んだ画商、カンザスの美術収集家の物語。おもしろい。

政治記事は3月だが5月革命のカフェを舞台に、当局とチェスで交渉する男子学生、その両親の知人でもある執筆者、女子学生リーダー(ヴィアゼムスキーではなくオートバイ少女だ)、催涙ガスの物語。おれこれ好きだな。

それにしてもなぜ女性の活動家は全世界共通で同じような(北朝鮮の放送部員的な)話し方になるのだろう? それはそれとしてオートバイのシーンは美しい。

料理記事は、執筆者をゲストに呼んだテレビショーで語られる、警部の息子の誘拐物語。途中、バンドデシネっぽい(というかタンタンというか、とにかくフランスの漫画の絵柄なのだ)絵柄のアニメとなって追跡劇が行われる。車のボンネットにしがみついたレスラーが急停車で向かいの店に放り出されるが、賊が車に戻るとわざわざ再びボンネットにしがみつく。

「で、どこが料理記事なのか?」と編集長。

「コックが主役です」と執筆者。

「一言しか喋らんぞ」

「もっと台詞があるんですが、長いから廃棄しました」

編集長、床の上の丸まった紙を見る。

読み上げると、猛毒を食べたコックが何か教訓めいたことを病床で喋る。

「原稿へ戻しておけ」

おもしろかった。

# テキサス出身のウェス・アンダーソンがカンザスの新聞社の物語という点で、赤い河をなんとなく連想するが、もちろんまったく関係ない。


2022-02-06

_ 新国立劇場のさまよえるオランダ人

期せずしてのオール(指揮者除く)日本人キャストとなったさまよえるオランダ人だが、びっくり仰天、日本すげぇと心底思った。

ゼンタの田崎は最初からの予定だったようだから当然なのだろうけど、声量、声、立ち居振る舞い、本物のゼンタだ。

オランダ人の河野も、2幕のゼンタの後方に立っての二重唱でこそ歌い負けしているように感じたが、これまた声量、声、立ち居振る舞いどれをとっても抜群で、結局さまよえるオランダ人として前回観たときよりも遥かに良かった。

(まあ最近の妻屋が良いのは今や当然なのだが、コミカルな役もうまいな。それにしても最初にファーゾルドだかファフナーだかで観たときはなんか背丈はともかくぱっとしないと思ったのだが、ナブッコあたりからえらく存在感が出てきたように感じる)

で、まったく期待していなかったエリック(どうせ日本人テノールの鼻にかかったような気持ち悪い歌だろうと思っていたわけだ)なのだが、城ってとても良いではないか。声は美しく良く通る。なんか一本調子かなぁと思わなくもないが、とにかくきれいな声で感動的ですらある。

それにしてもさまよえるオランダ人は奇妙な物語だ。

シンドバッドのように稼げる商人=船長である親父が、見張りが居眠りしている間に突如現れた船の船長の贈り物に目がくらみ娘との結婚の約束をする。バスバス(バリトン)の二重唱が美しい。(が、一幕はちょっと退屈でもあるのだが)

2幕が始まると、商人の家なのかなんなのかよくわからない場所で娘たちが糸を紡いでいるところに、さぼって絵に描かれた「さまよえるオランダ人」の絵姿に胸をときまかせている二次元オタクのゼンタが現実の恋人のエリック(なぜか商業の港町の猟師。というかなぜ猟師なんだろう? 魔弾の射手へのオマージュなのかなぁ)よりも、絵に描かれた伝説のオランダ人こそ自分の憧れとばかりにバラードを歌いまくる。

そこにエリック登場。お前、現実の恋人のおれをしかとするんじゃねぇ。ていうか嫌な夢を見た。お前の親父が悪魔を連れてくるんだが、お前はその悪魔と一緒に旅立っちまうんだ。

「わーうれしい」

「くそ」

というやり取りをしているうちに親父登場。上手にオランダ人が立つと、ゼンタ、絵姿そっくりのオランダ人にぴぴっと来てしまう。親父グッドジョブ。

親父は欲に目がくらんで勝手に結婚の約束をしてしまったものでいろいろご機嫌うかがいしまくるが、二人にしておきますですと立ち去る。

すぐさまお互い理解しあう二人。やったね。

3幕、親父の船の船乗りが上陸祝いをしていると恋人とか妻とかがやってきて賑やかなシーンとなる。見張りが、オランダ人の船乗りにも酒を振舞おうぜと言い出し、みんな賛成する。が、オランダ人の船は静まり返っていて灯りもついていない。どうも怪しい。と、不吉な歌声が聞こえてくる。

新国立劇場の合唱団は本当に素晴らしい。間違いなく、最高のオランダ人(の1つ)だろう。

うん、どうもこの船は伝説のオランダ人の幽霊船だな、と一同気づく。

一方、エリックは正夢だと気づいてゼンタを詰問する。美しい歌。歌手が抜群で説得力がありまくる。

それを見ていてオランダ人、気づく。

自分を救済するには、死ぬまで誠をつらぬく乙女が必要だが、契りを結べば乙女ではなくなり地獄へ落とされる。だからこれまで自分が救済されることはなかったのか(オランダ人は十分以上にもてるのだ)。呪いは堅結びだ。これ以上、乙女を犠牲にすることはできない。

オランダ人、ゼンタを振り切って船に乗ろうとする。

が、実はゼンタはそんなことは百も承知だ(何しろ、ずーっと絵姿を眺めながらシミュレーションをしていたからだ)。

大丈夫、私に任せなさいとオランダ人とエリックを振り切って船に乗り込む。

そこに町中の人たちがやってくる。

困ったオランダ人、説明のために名乗りの歌を歌う。「私がさまよえるオランダ人だ!」

が、親父以外は全員知っているので何も起きない。

(なんでこんな妙な脚本にしたのかなぁと子供に話したら、ワーグナーは名乗りの歌が好きなんじゃない? と言い出す。ローエングリンでやっと脚本的にも成功するわけだな。でもジークフリートではさすらい人はジークフリートに名乗る前に去られてしまうわけだが(その代わりワルキューレではジークムントは2回も名乗る))

一方ゼンタは誠を貫く乙女は私よと叫びながら幽霊船もろとも海に沈んでいく。

無事オランダ人の呪いが解ける。浦島太郎の玉手箱どころではない年月がたっているのでオランダ人はそのままミイラ化して昇天する。


2022-02-11

_ ウエストサイドストーリー

スピルバーグのウエストサイドストーリーを観に渋谷のTOHOシネマズ。

インターネットですでに購入していたのだが、チケット発券機がすごい行列で閉口した。というか、ミュージカルなのにえらく人気あるんだな。いくらスピルバーグでも空いているのかと思った。

いきなりビルの解体現場から始まる。スラム街を潰してオペラハウスや文化施設、超高級タワーマンションの複合施設の神宮の杜再開発計画が明らかにされる。その現場の穴からペンキ缶を持って飛び出してくるところから幕が開く。少しずつジェット団のメンバーが増えてプエルトリコ人街へ殴り込み(といっても落書きのプエルトリコ旗を塗りつぶすだけなわけだが)に行進する冒頭から実にかっこ良い。

カメラは上下に移動する。とうていクレーンでは不可能な動きをしているがドローンを使っているのか、CGを併用しているのかなかなか奇妙でおもしろい。

しかしダンスシーンは俯瞰をほとんど使わないで腰下あたりからの撮影なので抜群。やはり才能ある監督なのだな。

クールは、最初トニーがリフから拳銃を奪って取り返させようと挑発する。リフが奪い返し後半はリフと残りのジェット団(ザ・ジェッツと訳さないのは原典の翻訳への敬意なのだろうか?)とトニーの鬼ごっことなる。オリジナルはバトルの前にリフがクールダウンさせるために歌ったような記憶があるから変更したのかなぁ(とはいえ原典を観たのは半世紀近く前だからわからん)。その他、アメリカの歌はプエルトリカン女性コーラス(というか掛け合いというか)が、アメリカに居つこうとする女性たちに対して故郷へ帰ることを勧めるというかアメリカをくさしまくる男性たち(というか、もともとはアニータとベルナルドの口喧嘩が発端だからそのノリをずっと延長させる)。

チノはスラムから抜け出そうと夜学で会計を学ぶまじめなメガネ男の役回りだが、ジェット団とシャーク団の戦いの塩倉庫にトニーと一緒にシャッターを開けたあたりから変わってくる。眼鏡無しでも拳銃を撃てるということは伊達メガネだったのだろうか?

アニータは原典の原典の僧ジョンと神父と乳母の3役を担う複雑怪奇な役回りだが、うまかった。というか、役者はいずれも良い。トニーの役者は優しそうな良い青年だが、実は切れると何をしでかすかわからない(というか人を殺せる)を好演している。リフは最初から見るからにヤバい奴でこれも良いし、ベルナルドも良いなぁ。チノがイモ臭い眼鏡青年が切れた後はこれまたきれきれのヤバい奴に早変わりして印象的だった。

はるか前に高橋悠司が原典に対して、東欧人の死骸を前に本国人と植民地人が和解の葬列を組み、その後ろを植民地女が引きずられていく見事なまでに20世紀の世界を表現した映画というような嫌味を書いていたが、ラストはまったく同じで、確かにいやこれは妙だなと思わなくもない。マリアは荷物を再び手に取り、この場に見切りをつけて逆方向へ歩き始めて欲しい。

それはそれとして最初にジェット団とシャーク団を知ったのは002(ジェット)からなのだった。

サイボーグ009(1) (石ノ森章太郎デジタル大全)(石ノ森章太郎)

ジプシーキングって、この作品(の原典)から名前(入所前にトニーに潰されたグループがジプシーキング)を取ったのか?

_ 雨に唄えば

ウエストサイドストーリーの後はシアターオーブで雨に唄えば。

なんとなくMGMでジーンケリーだと巴里のアメリカ人(この日本語訳はおもしろい。なぜパリのアメリカ人でも巴里の亜米利加人でもなく、巴里のアメリカ人にしたのだろう? 異国の異邦人ということを強調するためだろうなぁ)のほうが全然好きなので過去に1度観ただけなのでまったく忘れていたことが多い(ザッツエンターテインメントでシングインザレインとかは幾度となく見てはいるが)。

特にドナルドオコーナーのコズモ(ジーンケリーのドンの学友にして途中からピアニストに転じてのちに音楽監督になる)があんなに重要な役(make em laugh)だということは完全に忘れていたが(show must go onか)、確かに3人組の物語だったのだな。

そういえば巴里のアメリカ人でもオスカーレバント(本職のピアニストで、確かルビンシュタインのピアノ協奏曲のレコードを持っていたので、先にそっちを知った)がルームメイトでピアノを弾いていたがコズモほど重要な役回りというわけではなかった。

make em laughを観ていると、スタージェスのサリヴァンの旅を思い浮かべる。

ともあれ素晴らしい舞台体験だった。

終演後、ドン役のアダムクーパーインタビュー。アダムクーパーってリトルダンサーで白鳥の湖を踊っていた人なのか。

シングインザレインのシーンでは段々服が水を吸って重くなる。が、踊りは後半になるにつれて派手になる。特に水を観客席に振りまくためにばんばん蹴り上げるわけだが、これが大変。なるほど。そういう実情を微塵にも感じさせないのは凄い。プロだ。


2022-02-23

_ バナナハートを食べる

たまにジャックフルーツのようにあまり見かけない食材を売っているワイズマートにバナナハートというこれまた見慣れない果物(コーナーにあったからそう考えたのだが、食べ物としては果物ではなく野菜だった)があったので買ってみた。

498円なり

店員さんにどうやって食べるのか聞いたら、細かく切って炒めて食べるみたいだけど良くわからん(それ果物じゃないじゃんと思った)とか言われてますます興味が湧いた。

で、家帰ってから調べると、どうも要領を得ない。最初はバナナをハート型にくり抜く記事ばかりがヒットしてまったく役に立たず、そのうち、酢にさらさないと変色するとか面倒なものばかりが出てくる。

最終的に妻がYoutubeにフィリピンの人が上げていた調理法を見つけたので、それを参考にすることにした。

で、とりあえず赤い皮を剥くと下のほうに萼が並んでいた。

まるでブックマッチだ。

剥いても剝いても萼が出てくるのには驚いた。バナナってたくさんなるのはバナナワニ園で見て知っていたが、なるほどこれがバナナになるのだな。

皮の色から赤味がとれはじめると、萼も白っぽくなってきてちょっとおもしろい。

とにかくモヤシみたいに大量に採れた。

で、試しに1つ2つ食べたら信じられないほどエグい。というか食べ物ではない。これがバナナになるとはちょっと想像し難いものがある。

で、とにかく塩揉みしまくる。途中から水も足して塩揉みしまくる。

試しに1つ2つ食べたら、エグ味も多少は取れた感じになった(そこまでやって、やっと生のウドくらいのエグさ)ので、これなら炒めたら食べられそうだ。

次に、皮が素直に剥けなくなってタケノコみたいな感じになったほうを茹でる。面倒だから数分で良いや(こちらは刻んで萼といっしょに炒めるつもり)。

白いバナナハートの中身

半分に切ったらまだまだ萼がたくさん入っていた。

バナナハートの唐竹割

が、皮を食ったら結構固い。で、しょうがないからさらに少し剥いて(茹でたら剥きやすくなった)から、刻む。先端は美味しそうだから少し大きめに残した。

フライパンに油を熱してショウガと玉ねぎを刻んだのを炒めて甘みを出す。というか、バナナハートがエグいから玉ねぎの甘みがとても重要なのだろう。

さらに塩揉みした萼と刻んだ残りを入れて炒める。

できた。

バナナハートの炒め物

(このサイズが10杯分以上)

不味くはない。がやはりエグ味は残っている。

なんか、バナナ以外の作付けを禁止されているバナナ農園の奴隷が、果物のバナナ以外のおかずというか食事に甘くないものを食べたいときにしょうがなく食べる料理という感じがしないでもない。正直なところ、モヤシで作ったほうが美味しい。

が、山ほどできたので、がんがん食べているうちに、逆に多少残っているエグ味に魅力を感じてきた。なるほど食用にしている人がいるだけに、これはこれで美味しいものだ。ただ、日本の豊かな食材の前にはリピートする気はおきないかなぁ。


2022-02-26

_ 矢嶋楫子の映画を観る

新宿のK'sシネマという耳慣れない映画館で「われ弱ければ」

JGの初代学長ということくらいしか知らずに観に行く。

映画としてはともかく(そつはないけど紋切り型が多く、伝記映画という枠組みのせいか個々のエピソードの細切れとなるのでどうにもテレビドラマみたいだ。とはいえ、耳にした音楽の美しさに煙管を置いたまま礼拝堂へ進んで立ちすくすとか各エピソードを構成する一連の流れはうまいのだった)、楫子という主人公が実に立派な人で感動的だった。明治期に名を残した女性に特有だと思うが、世は御一新だから自分も後続の人のために新しい時代の尖兵として戦うという気概に心を打たれる。

もっともそれを言い出すと、そもそも矢嶋楫子を学長に置いた元の築地の伝道師の妻というか(なんだっけ)の選択眼が抜群ということになるのだろう。楫子についてのネガティブな話をすべて知ったうえで、逆にそれだからこそ学長にふさわしいと考えるある種の抜群の逆張り思考(その端的な例が、まったくキリスト教の知識がない楫子を聖書の授業担当におくことに現れている)の先見性がすごい。

熊本藩の医者の家の末娘として生まれた楫子(最初は異なる名前なのは、女子ばかり生まれるので父親が名前もつけずに放ったらかしにしているので姉が適当な名前をつけてくれるのだが、なんて付けたか忘れた。おすえ、かなぁ)は学問好きもあって医師の兄の助手を務めていたのだが、その兄の勧めもあり横井小楠の弟子筋の武士に嫁ぐ。が、この男は消え行く武士という存在に対する焦燥と元々の酒癖の悪さもあり酔うと乱暴狼藉(どれだけおっかないか、下働きの娘たちを描写することで示しまくる)、ついに子供と自分の身の危険を覚えた楫子は家出して、三行半を叩きつける。これが日本で最初の女性からの離婚申請ということで歴史に刻まれる。その前にもこの男は妻から離縁されているのだが、そちらは勘定に入っていないということは妻の実家の親父からの申し立てということなのだろうか。

が、ごりっぱなお武家様に三行半を叩きつけた恥知らずな女と、さすが熊本は田舎でござると厄介なことこの上ない。そこに先に東京に出ていた兄から上京を促されて故郷を離れることにする。この時点で、自らの運命を自らの楫取りで行うと決意して以後楫子と名乗ることになる。

が、兄の家について愕然、床の間の花は枯れているし、女中は団子を食いながらさぼっているし、どうにもおかしい。かくして兄に申し入れて自分が家を采配することにする。女中は追い出して、書生群(たくさんいる)に当番制を敷く。

そのころ、明治政府は義務教育導入により大量に教師が必要となり、兄の勧め(ここでも兄の勧めだな)もあって教員教育を受けて教師として勤めることになる。

事実なのだろうが紋切型でもある、優秀な生徒が貧困のために学業を放棄せざるを得ないような現実を体験したり、悪いことをした子供を叱るのではなく抱きしめる築地の謎の教師(伏線だなとわかるわけだがどうも史実らしき事件とうまく組み合わせてある)の噂を聞いたりしながら教師として自立していく。その一方で良くできた書生と恋に落ちて子供を産むのだが、それなりに開明的な書生ですら妾にしようかと持ち掛ける程度の人権意識の時代でもある。その後の廃娼運動などの思想的な種が撒かれる(しかし、この団体が日中戦争以降にどう振る舞うことになったかとかいろいろ考えるものはある)。

・不義の子を自分で育てようとして結局里子に出してしまうとかなんとなく伊藤野枝(時代は数十年下るわけだが)などとも重なるが、どうも明治~大正の一部の社会と、現在認識されている明治期は相当異なるものがあるなと思う。

ただラストがカヴァレリアルスティカーナ(浮気を巡る刃傷沙汰を主題とした歌劇)の間奏曲なのはいかがなものか,(なにも考えずにメロディの美しさだけで選んだのだろう)とちょっと興覚め。


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