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MSDNのRSSを眺めていたら、「解決策にfinallyを推奨するなんて、どうかしていると思う。」という少なくともコミュニティコンテンツの意図は外しているが、しかし興味深い書き込みが流れて来たので、見に行った。
うむ、finallyを使うのは、Javaっぽいし、スコープが気味悪い変数の導入にもなってしまう。しかし、Javaな人間には受けが良さそうな解決策ではある。しかし、何のためのusingなんだ? usingがあるのだから、おれならnewの重ね着にする。他にも内側のみusingとかいろいろ手段はありそうだ。
12/1は新国立劇場でホフマン物語。
オッフェンバックといえばカステラ一番だしオペレッタだしで、アリア集でゴンドラの唄やオランピアの唄を聴くことはあってもあまり興味を持っていなかったのだが、驚きのおもしろさだった。ひとつには演出家の異様な解釈による(この演出家は、新国立劇場で僕が観たものでは、まるで紅衛兵のようなサンキュロットによる革命劇に仕立てたアンドレアシェニエを担当していた。舞台の色使いから、愛の妙薬の演出家かと思ったが間違っていた)。
(12/19につけているので、記憶が相当薄れている)
まず、一幕が良い。ミューズがピアノから生まれると歌うのを聴いてすごい違和感があったが、演出家の意図による改変だとプログラムにあって、納得した。が、音楽から生まれた詩神が、詩人の魂を恋愛による堕落から救済するというとてつもなく異様な物語が紡がれる。詩が唄に乗るのではなく、唄が昇華されて詩になるというのだから、コペ転のように感じる(本来は、アルコールから詩が生まれるのだから、そちらのほうは、ランボーやベルレーヌみたいだ)。
この演出では、ホフマンの3つの恋愛と進行形の恋愛はいずれも破局して当然のものとして扱う(もっとも、オランピアに関しては破局しなければ不気味だけど)。しかし、ミューズは常に傍観的な位置にいる。
歌手はいずれも良かった。ただ、オランピアはちょっと違うかなぁと(たぶん、デッセーの機械的なやつを聴き過ぎているからかも知れないが)感じた。オランピアの人は夜叉ケ池の人。アントニアは素晴らしかった。トゥランドットでリューを歌った人だった。あの時は演技も歌も良いが、それにしてもあまり通らない声だなと思ったが、管弦楽の厚さや他の歌手に負けていただけなのかも知れない。
最後、ホフマンは酔いつぶれるのではなく、明示的に死ぬ。したがって最後の合唱は魂の救済を意味する。オルフェウスのようだ。
フィガロの結婚に引き続き、連続してバックステージツアーに当たった。
子供はオペラグラスでみていたので、最初に舞台にある3つの扉にはドンナアンナ、ドンナエルヴィーラ、ツェルリーナと書いてあり、終幕ではドンナ・アンアがステラに変わったと教えてくれたが、なるほど確かにそう書いてある。ホフマン物語とドンジョヴァンニを重ね合わせているわけではないだろうが、片や恋愛にほとんど常に勝利して(ツェルリーナには勝てなかったが)地獄に落ち、片や恋愛に常に敗北して救済される、という対称は一応あることはある。
観ている間、ホフマンではなくエーベルス(存在すら忘れていた)の窓のことを時々想起させられたが、謎だ。
MD5: c97a7562590e8a42e8dd6b2ba634031d x:Ruby-2.0.0.msi
size: 16,716,800
週末にはリリースディレクトリへ置く予定です。
・今回引っかかった点
ruby/win32.hがインストールされない(Bug #9199)
FileUtils.mkdirの作成先ディレクトリ名がc:c:になる(mkmf.rb生成のMakefile)(だと思う)
後者は以前ircで報告したけど実害がほとんどないはずなので(野良ビルダー専用だし)放置プレイに決めたような気がするのだけど、自分がまた引っかかったようだ。
ogijunお勧めシリーズを買って読んだつもりだったけど、あらためてリンクしようとしたら、別段、誉めてなかった。
企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン~新しい統治者たちの素顔 (アスキー新書)(松井 博)
一言にまとめれば、そんじゃーねお姉さんの放言を、もう少しアメリカ在住の元中の人の立場から少し調べて書いたような本。
アップル、エクソン、マクドナルド、モンサントといった一部の企業の中のさらにごく一部の考える人が世界を動かす世の中になった。それは文字通り世界を動かしているのだから、帝国と呼べる。彼らが風邪をひけば産業全体がひっくり返るほどの影響力を持つ。これらの帝国が支配する世界で生きるには、一部の考える人になるか、さもなければ下層階級として賃労働で暮らすかのどちらかだ。もっとも、自分はある程度金を稼いだところで帝国から離脱して保育園を営むという地方密着小規模手産業、つまり帝国の支配がおよばない中間地帯での生活を選択した。そんじゃーね。
Kindle版381円で通勤4日で読める内容の本だが、それなりに調べて書いているのでおもしろいところはある。議論は知見の拡大のため、といったそれなりに役に立つことも書いてある。
民間企業という帝国が支配する世界といえば、いやでも想起するのはディックだ。
おれの大好きなザップガンでは、銃器帝国にかかわってしまった下層階級の男の冒険が描かれてどえらくおもしろい。
アマゾンがディック的世界を展開している。ザップガンで見える世界
The Zap Gun (Gollancz) (English Edition)(Dick, Philip K.)
(その実体)
ザップ・ガン (創元SF文庫)(フィリップ・K. ディック)
(その仮体)
もう少し有名な例だとブレードランナーが視覚的にもわかりやすかった。
ブレードランナー ファイナル・カット 製作25周年記念エディション [Blu-ray](ハリソン・フォード)
ネクサスのビルがそびえたつが、そこで実際に働いている=考えているのは1フロアぶち抜きの広い部屋にたった一人で籠っている社長だけだ。
その足元は貧民街で、みんなウドンを食いながら失業している(単純労働は賃金を払う必要すらないレプリカントの役回りなので、考える人でもない大多数の人間の役回りは失業者しかない)。
主人公のデッカード刑事は専門職だから、少しはまともなコンドミニアムに暮らしているが、労働条件は厳しい。結局、帝国支配を逃れて辺境へ旅立つ。
というわけで、実は、常にオルターネイティブとしての辺境は存在する。保育園を経営するというのも現時点ではオルターネイティブだ。
帝国は滅びる。
鉄・銃・病原菌によれば、中華大帝国(宋以降清まで)は行き過ぎた中央集権による硬直化によって停滞し、先進国の座を滑り落ちた。
20世紀中頃に、各種帝国は帝国としての形態は瓦解した。帝国を構成する植民地経営の負荷が大きくなり過ぎたからだ(もっとうまい支配方法を見つけたのだが、それは民間によってなされているので、帝国という形態が瓦解したことは明白だ)。
20世紀の帝国瓦解はなんのことはなく、2000年前の三国時代の中国で、諸葛孔明が予見していた。
「丞相、なぜ、孟獲を放つのですか? というよりも、なぜ蜀に編入しないんですか?」と蒋琬あたりが聞く。孔明へらへら笑いながら説明する。「蜀に組み込んだら役所を設置しなきゃならないじゃん。ってことは役人を置くことになるよな。ってことは、そいつらを守るために軍隊を用意しとかにゃならん。っていうか、税金を取り立てる連中も必要だし、警官もいる、こいつらの給料や報告書を蜀とやり取りしなきゃならない。蛮族といえども蜀の臣民にしたら、皇帝の威光をあててやらにゃならん。福祉もそれなりに充実させてやる必要はあるよな。皇帝が恨まれるようではまずかろうて。うわ、金ばかりかかるじゃん。それより蛮族はばかだから、おまえらが自分で自分の国を治めれば良いといえば大喜びで勝手に働いて貢物を持ってくる。やつらが持ってくるんだから輸送の手間も省けるし、全然、得じゃん。しかも、蛮人は教育がないからほっとけば、ばかすか増えるから、奴隷じゃなかった人間の壁じゃなかった、独立軍隊として、蜀のために戦えば名誉も富も思うがままとか言えばどんどこやって来る。もちろん、そんな連中は単なる弾除けだから、すぐに魏との国境へ送り込めば良いわけよ。ひゃひゃひゃ」
新植民地主義の先取りである(しかし悲しいかな2000年後の帝国後ほどの知見はなかったので、従属させることまでは考え付かなかった。というわけで、いつの間にか孟獲と蛮族は何回目かの北伐のあたりから姿を見せなくなる)。
帝国が滅びた後は、帝国前の世界秩序が復活した。ただし、よりソフィスティケートされた支配は残り、一部は民営化されたと考えられる。
同じことが、企業帝国についても当てはまるはずだ。なぜならば、それは帝国であり、帝国という支配体制が持つ根本的な問題は解消していないからだ。
すると、たかだか数10年後には、1970年代あたりの世界秩序じゃなくて企業秩序が復活する、ただし、よりソフィスティケートされた支配として、となるだろう。
というわけで、グローバルがどうしたみたいな言質にこの期におよんで踊らされるのはあまり得策ではないだろうなぁ。
先週の黒に引き続き、白の避妊手術。ぐったりふらふらしていた黒に比べて、白は家に帰るとよたよた歩きだして(麻酔が残ってふらついているのか、白いチョッキのせいかはわからないけど、多分、両方)遥かに元気だ。
すると黒が寄って来て、舐め始めた。
やっぱり、黒のほうが世界をちゃんと見ているようだ。
しばらくして、白はベッドの下に閉じこもってしまった。痛いの我慢しているのかなぁとか心配になる。
と、黒がベッドの下に手を突っ込んで、白の頭を触ったりしている(ポコポコ猫パンチではなく、優しく撫で撫で)。しばらくすると、1人で毛糸で作ったおもちゃで遊んでいるが、時々我に返って、ベッドの下を覗き込んでは手を突っ込んで撫で撫でする。
同じネコ姉妹でも随分と反応が違っておもしろい。
シンプルな舞台美術だけど、演出はノーマルなトスカ。最初はトスカが身を投げるところの映像で始まる。幕があくとチャンチャーチャチャと鳴り響く。舞台がシンプルなので、最初にトスカが花を献じるところや、ナイフを取り上げるところ、カヴァラドッシが通行書を丸めて捨てるところなどの細かな動きがきっちりと見える。最後、城壁が回転し、それまで中から見ていたのが外から見たところとなり、トスカが身を投げるところで映像に戻る。地面に激突するところでぴったりオーケストラが終わる。
ノセダの指揮はゆっくりめに感じる。妙なる調和とかこんなにゆっくりで歌えるのかとはらはらした。で、そんなカヴァラドッシをアルバレスが歌っていて良い声良い演技だった。トスカはラセット。なんとなくだが、テンポがゆっくり過ぎて、フリットリが降りたのかなとか考えたり。
オーケストラが実に美しい。止まるところでは完全に無音になる。歌に生きの直前が完全な静寂となり、すばらしく効果的だ。
実に満足した。
トスカの作曲開始は1896年。台本は1889年。本はリコルディ。
それにしても、アンドレア・シェニエの二番煎じに見える。革命側の芸術家がテノール、その恋人への横恋慕がバリトン。密偵が良い味を添えて、パストラーレとガボットが余興に演じられる。最後テノールとソプラノは刑場の露となっておしまい。舞台はフランス革命-ナポレオン時代(作曲時代の100年前)。
で、アンドレア・シェニエは1894年に作曲開始、1985年に完了。1896年に初演で成功。本屋はソンツォーニョ。
とみると、どうにもリコルディが対ソンツォーニョの秘密兵器としてプッチーニを投入したとしか思えないなぁ。
で、どちらもイリッカの作品なので、どれだけイリッカが重要人物かと。
ネコの避妊手術をしたら、獣医さんに、高いところから飛び降りると傷口が開くかも知れないから気を付けてくれ、と言われた。
で、爪とぎがそれなりのタワーになっているので、とりあえず横に倒しておいたのだった。
ところが、黒がそれを使って鉄棒競技みたいなことをして遊ぶ。妻が作った小さな赤い毛糸玉を咥えて一番高いところで落として追っかけてでんぐり返りしたり、横向きに半分ぶら下がったような体勢で移動してみたり、いろいろだ。
むしろ遊ぶバリエーションとしては、単に上へ伸びているのよりもおもしろそうだ。
iOSのプログラムがDoes not recognize selectorで死ぬので、@selectorの書き間違えだろうと思っていたら、そうではなく、スタティックライブラリ内に定義されたカテゴリ(ミキシンというよりもC#の拡張メソッドに近いのかな)の展開に失敗しているという問題だったらしい。
で、調べるとすぐに-ObjCというリンカフラグを設定すれば良いということがわかって、まずさすがのアップルクォリティにびっくりする。最初にプロジェクトをウィザードのできそこないで生成した時に、Objective-Cのアプリケーションだということは指定しているのだから、既定で設定しておきゃいいじゃないか。と、20世紀の輝けるATL_MIN_CRTを思い出す。良く訓練されたCOMプログラマはリンクに失敗するとATL_MIN_CRTを反射的に削除するのと同様に、良く訓練されたiOSプログラマはselector認識不可が出れば、反射的に-ObjCを設定するのだろう。違いは、ビルドの時点か、実行時かで、21世紀になった分、判明するまで時間がかかるのが素晴らしい。
で、とにかく設定してプロジェクトメニューからcleanしてbuild。
で、実機にロードして……いや変わらないぞ。
調べるとiOSの場合は-all_loadを付けろというのが出て来た。なんか古い資料っぽいので、そんなバグを修正していないのかとさすがのアップルクォリティに讃嘆しながら設定して、cleanしてbuild。
で、実機にロードして……いや変わらないぞ。
しかも、Xcode4以降はall_loadは不要と書いたものまで見つかる。なるほど、付けても変化しないのだから確かに不要だわい、と納得さすがのアップルクォリティ。
と言ってもどうにもならないので、arされているはずだから分解してスタブコードを書いて無理矢理呼び出せるように人間リンカをしようかと、考えながら、しかしあまりに面倒くさいので、stackoverflowの関連しそうなやつを順に眺めていく。というか、stackoverflowがたまに落ちていると実に困る。
と、見つけた。
1行リプライにビンゴがあった。
Xcodeを終了して、起動して、cleanしてbuildしろ、と書いてある。
すごい。
21世紀にもなって、プロジェクトのリンカ設定を変えたら、IDEもどきの再起動が必要なんだ。さすがアップル。Visual Studioの4だか5だかの頃に追いついたらしい。
で、解決。その後、all_loadを消して試したら、確かに問題ない。
でも、アップルのXcodeだということは、再起動が必要なんだな、あぶないあぶない。
でも、問題なかった。
さすがアップル。実に生産性が高い。
OSXはWindows Meと違って、再起動しなくても、スリープだけで運用できるし、いち早く標準的に64ビットをサポートしたから、メモリをてんこ盛りできる。
だったら、Xcodeを起動したら、プロジェクトをたくさん開いてずーっと使い続けるのが当然だと思っていた。
さすがだ、アップル。驚きの品質に感服しまくった一日だった。
なんかはてぶから飛びまくっているうちに、アニメの黒歴史まとめみたいなところに突き当たって読んでみたが、甘い。
∀みたいにシャレを利かせた書き込みはあるし、うむそれは確かにとうなずけなくもない桃太郎海の神兵(これ、確かに兵器であり、敗戦後にGHQによって封印されたのだから、∀の意味でも黒歴史と言えなくはない。観ていて感動的なのは、ニューギニアだかポリネシアだかの原住民に、犬とか猿とか雉が日本語教育(というか、皇国臣民化教育)を一生懸命施すところの、実に楽しそうな良い風景なのだが、もちろん、飴よりも鞭の大日本帝国のことだから、現実は腹減って肉食ったり食われたりになってしまうんだよなぁ)もあるが、たかだか作画が崩壊していたり、視聴率が取れなかったり、原作とは異なる観点からアニメ化したりしている程度のスケールの小さなやつをグチグチあげつらっているだけだった。ピカチューのポリゴンぴかぴかは、メトロン星人が内容を差し換えて子供を操作するために放映したならばすごい事件だが、多分単なる事故(問題になるとは気づかずにやってしまった)なので、これも違う感が漂う。
アニメの歴史で黒歴史と言ったら、その制作手法をもって、猫目小僧以外に無い。
つぶやきシローの映画ではない。
猫目小僧は今を去ること40年近くか以上か前に、少年画報に連載されていて、家では買っていなかったので、友達の家で読むくらいだったが、実に陰惨極まりない、当時の楳図かずおならではの、それはそれはおっかないマンガだった。
何しろ猫目の小僧なので、行く先々で差別される。しかも不幸が身についているので、コナンの如く出歩けば事件にあたり、事件にあたれば、よそ者の不気味な顔つきの小僧だということで、村人たちに山狩りされてリンチされて、それでもどっこい生きていくあー人生は辛いよというようなお話で、なんで放浪しているかといえば、確か、まだ見ぬ母親が恋しくて探しているというような、物悲しい背景があったような。母親が人間なら父親が猫又なのかな、そのへんは覚えていないというか、ちゃんと読んだわけではないのでわからないが、とにかく読めば、必ず村人に追っかけられているか、捕まって拷問されているか、腹を減らしているかのどれかだ。
問題は、それがアニメ化されることになぜかなったことだった。
おれは狂喜した。それまで、飛ばし飛ばしに友達の家で読むだけだった、あの奇怪極まりないマンガがアニメになる。つまり、全貌を観ることができる。
しかも、期待を高めるための事前の宣伝ががんがんある。
世界で最初の特殊な手法を採用した画期的なアニメだということなのだ。
なんかわからないが、すごい!
さて、最初の放映日、おそらくおれと同じように、少年画報を読んでいない(注:当時、講談社のぼくら、少年画報社の少年画報、冒険王といった、少年用マンガ月刊誌は、完全にすたれていて、ふつうの購買対象ではなくなっていたので、連載をちゃんと読んでいる子供はごくまれだったはず。少女マンガのリボンは随分長く生き残っていたし、花とゆめのような新規に参入するものがあるのと好対照だが、なんでだろう? と突然不思議になったけど、余談)おっかない系大好きな子供たちは胸を躍らせてテレビの前に座ったに違いない。当時だって楳図かずおはビッグネームで呪いの猫面だの、笑い仮面(これも少年画報だが、1巻ものの単行本が出ていたので、みんな読む。すごい兵器を開発した科学者が、あまりの威力に恐れをなして軍部への協力を拒んだために、笑い仮面という鉛の仮面を顔に溶接されるという刑(想像するだけで熱そうだし苦しそうだしでとんでもない話だ)を受けるのだが、脱獄する。しかし頭がすっとんでしまったために、恐ろしい復讐劇が始まるというようなお話だったと思うがどうなるかは忘れた)だのは知っているのだ。
はじまった。
え?
口あんぐり。
確かに、特殊な手法を採用した画期的なアニメだった。
昭和初期の話に聞く紙芝居というメディアを彷彿させる背景の画がある。
その手前を割り箸に紙で書いた人間を貼り付けたようなものが、水平に動いていく。
え? 割り箸人形劇?
おれは相当辛抱強い子供だと思うが、最初のCMが始まるまでの15分を我慢できずに観るのをやめたのを覚えている。
その後、特に友達の家で途中まで読んで続きが気になっていたエピソードの回だけは、結末が知りたくて観ようとして、そして途中でやめた。
おそらく、あらゆる意味で、猛烈にコストダウンできる革命的なアニメ手法だと思うが、その後、その技術を採用した作品が出てくることはおそらくなかったはず。
こういった、画期的な技術の封印がなされたものを黒歴史と呼ぶのだ。
(原作は読みたいような今更読む気はしないような)
企業が帝国化するを読んでいて、トウモロコシの価格低下、安定供給という件に反応する。
企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン~新しい統治者たちの素顔 (アスキー新書)(松井 博)
猫の餌に買っているロイヤルカナンの成分表を見て、ほーっと感じたことがある。
ほとんどトウモロコシなのだ。
ネコは本来は肉食だが、その本質はアミノ酸の直接取得ということになる(はず)。したがって、脂肪については肉由来か野菜由来かはあまり関係ないので、トウモロコシを主原料として脂肪と繊維とタンパク質の大部分を確保し、そこに必要となるアミノ酸を追加し、不要あるいは害となる成分を除去したりすることで、その生物にとって理想的な食料を人工的に作りだせるということなのだろう。後は、そうは言っても自ら進んで口にするものなので、香りや味をほとんどの猫の嗜好に合うように調整し、油脂が大量に含まれるため酸化防止剤などで安全性を確保する。昭和のネコや犬と違って、最近のネコや犬が長生きになったのも当然だ。餌が違う。
そういう餌を安全(衛生的)かつ安価に生産するためには、それなりの規模の工場が必要となり、それを安定的に稼働させるためには、安定供給を受けられる原料が必要となる。
なるほど、トウモロコシが主材料となるはずだ。で、モンサント帝国のところで、ロイヤルカナンも帝国に依存している企業で、その生産物を毎日食っているうちのしろちゃんくろちゃんも、帝国に依存していることになるのだなぁと、感心してしまうのであった。
で、今日、動物病院に、しろちゃんの抜糸のために連れて行って、待っているあいだに、待合室に置いてある本を手に取って読んだ。
それがペットフードのひみつだ。
一見すると、ふつうの学研のひみつマンガだが、ちと違う。
ヒルズコルゲートのPR本なのだ。そうは言っても、ペットを飼おうとしている子供に読ませても損はしない内容になっている(それだけに、他にも同じようなコンセプトで作られているペットフーズがあっても、子供がヒルズのペットフード以外は見向きもしないように刷り込まれる可能性もあるし、当然、そのつもりでヒルズが作ってばらまいているわけだ)。
このマンガの出だしがまともなのは、ステレオタイプな親子の会話にあらわれていた。
子供1:犬が飼いたいよ
子供2:猫が飼いたいよ
母親:すぐにあきるんでしょ。遊ばなくなったおもちゃを見なさい
子供1:ぐぐ。でもペットは違うよ(説得力なし)
子供2:わたしは違うよ!
母親:ピアノを習う、絶対続けるといったのは誰?(ほこりをかぶりまくったピアノを指差す)
子供2:ぐぐ。でもペットは違うよ。
子供たち:ちゃんと世話するよ!!!!
父親:世話ってなにするの?
子供たち:ぐぐ…………食事をあげたりとか……
父親:どんなエサを1日何回、どのくらいの量をあげるの?
子供たち:ぐぐ……
父親:世話できないじゃん。はいロンパ
これは良い。頭ごなしではなく、飼いたい主体がすべきことを提示している。
当然この後、子供たちはペットショップや獣医のところでいろいろ教えてもらって理論武装することになり(当然、ヒルズの能書きもたくさん出てくる)結局、犬も猫も飼うことになるのだが、ヒルズもトウモロコシがあってできる製品だ(大量生産となった現在では)。
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それにしても、1960年代の子供は、未来の食事というのは、栄養が必要十分に取得できる丸薬のようなものになると信じ込まされていたのだが、そういう未来は猫や犬のものとしてとっくに来ていたのだった。(が、それが人間にもやってくる可能性があり得るわけで、そう考えると、むしろ栄養バランスが非常に悪いものをマクドナルドやてんややガストが提供している現在は、むしろ健全なのではないかと思える)
結構はまったのでメモ。
10G程度で済むのは間違いないので、ライセンスをけちってSQL Expressを2008R2にインストールしてDBとして使おうとした。
クライアントは.NETで作る。
SQL Management Studioも入れず、Visual Studioも入れず、サーバにSQL Express 2012を入れただけのところに、とりあえずデータベースを作成してテーブルをクリエイトしまくる、C#(本当はSQL PowerShellで良いのだが、.NET Frmaeworkは素の2.0と4.0を入れただけで、3.5を入れていなかったため、動かないのだ)のプログラムを作って、送り込み実行する。
? 接続エラーで死ぬ。
Data Source=.\SQLEXPRESS;Initial Catalog=Master;Integrated Security=True で問題ないはずだが……
と、不思議になる。SQL構成ツールで、TCP接続も有効になっているし、1344に割り当てられているのはnetstat -an -oで見えているし、はて。
結論からは、SqlClient.SqlConnectionがSQLEXPRESSに接続するにはインスタンス名の指定が不要なのだった。もともとWindows認証しかないから、余分なパラメータも不要だ。
Server=127.0.0.1;Initial Catalog=Master
何を見てもインスタンス名を指定しろと書いてあるので、なかなかたどり着けなかった。
北朝鮮の動きを見ていて、おもしろいなぁと思う。
共産主義、独裁、粛清と3拍子揃えば、歴史的には最初の向共産主義国家(途中からふてぶてしく共産主義を名乗ったけど)のソ連を考える。
でも、これはずいぶん違った。
最初の内戦状態の間はともかく、ボリシェビキ独裁が確立して、最初に粛清(この時点では国外追放だけど)されたのは、赤軍創設者にしてペトログラード占拠の立役者のレオン・トロツキーだった。ソ連での最後の一時期、あまりのスターリンからの圧力を見るに見かねたオフセエンコが、赤軍はあなたと共にある、一緒に戦いますか? とクーデターを示唆したらしいが、民主主義(=多数決)には従うよ、と莞爾として追放を受け入れたらしい。
(もちろん十月はスターリン以降の作品なのでトロツキーは日和見主義者として一瞬登場するだけとなっている(いなかったことにするのが、粛清の第一歩で、北朝鮮の張も拍手する姿が抹消されていることから粛清されたらしいとわかった。100年たっても手法は変わらない)。が、十月はレーニンとトロツキーが主導したのは間違いなさそうだ。映画の中で冬宮への突撃を指示しながら先頭を踊りながら進む隊長として、帽子とひげ、メガネのおっさんが出てきて、トロツキーとして撮ってあとからオフセエンコということに変えたのかと思ったが、その後、オフセエンコの写真を見たら、やはり髭メガネなので、良くわからない)
その後も、スターリンと仲間たちは、カーメネフやブハーリンといった政治家を粛清するが、その一方で、オフセエンコ、トゥハチェフスキーといった軍人も着実に粛清していく。バルバロッサ作戦に対抗するために、あわや粛清寸前のジューコフをスターリンがすんでのところで呼び出すところは興味深い。クーデターを恐れるあまり、有能な軍人はほとんど殺すか殺しかけていたのだった。「おや、君は爪がないようだね」とスターリンは何食わぬ顔でジューコフに語り掛ける。
モスクワ攻防戦――20世紀を決した史上最大の戦闘(アンドリュー・ナゴルスキ)
一貫して、ソ連は政高軍低に見える。
これは中国も同じで、軍が主導権を持つことはないように見える。朱徳ですら文革の最中は閑職に追いやられていたし、彭徳懐にいたっては文革中に虐殺されている(そもそも大躍進の責任を被せられている)。
権力闘争の過程で政治家同士が粛清合戦をするだけでなく、クーデターを恐れて軍人を粛清していくというのはパターンなのだ。
が、北朝鮮は違う。粛清の歴史を見ると、金一族とその取り巻きの間の粛清合戦はあるが、軍はいつでもそれを冷徹に見ているように見える。生粋の軍人が粛清されている様子がない。
なぜだろう。
理由は一つしかない。クーデターがあり得ないからだ。
なぜクーデターがあり得ないかといえば、すでに軍事政権であり、実質的な国家の主権は軍にあるからだ。
そう考えると、なぜ、金一族の世襲というわけのわからない制度が三代も続いているのかの説明もつく。金一族は国家独立の象徴に過ぎないということだ。すると、最も顔はおっさんくさいが聡明さではずば抜けていそうな正男や、軍と友好な関係にあると言われていた正哲でなく、正恩に決まるのも象徴としての意味合いからは納得がいかなくもない(正哲はもともと軍との関係が良いので軍政統一の役としてはバイアスがかかっている)。
などと想像したりするのであった。
Kindleアスキー安売り祭りのときに購入した本などいくつか読了しているので記録。
うーん、説教臭さが鼻についたが、立派な人ではある。
死体をかっちりと調べることで、もし、その死が天意ではなく人意であるならば、死者の尊厳のためにも死をもたらした生者に鉄槌をくだすべしという強い意志と信念があることはわかった。その意気はそれなりに素晴らしい。
のだが、間違いなく、尊厳と権利ということに関しては、尊重すべきは、冤罪被害者>>(越えられない壁)>>被害者の遺族>被害者であり、現行の中世並みと他国から評価されている制度下では、このおっさんの思い込みで冤罪で殺されたり一生を牢獄送りにされた人がいないとも限らないところがイヤな気分となる。最新の科学でございます、遺伝子であります、だから絶対であります、と宇都宮のバスの運転手を人殺し扱いするような事例が現にあるわけだ。
というわけで言っていることは正しい。どんぶり勘定で自然死、病死と判定するのは死者の尊厳を傷つける。それはそうだろう。科学的に正しく死を評価すべき。それも正しい。
遺族が転落死ではないか、なぜならば痣があるというのに対して、それは死斑というものでなぜならば……と説明するところなど、なるほどそういうものなのか、と知らないことを知る喜びもある。自分で自分の首を絞めるというような妙な自殺方法(それで死ねるの?しかもうつぶせって、誰かに首しめられたような死に方。というパターンがそうだと思う)の説明も興味深かった。失火による焼死ではなく、絞殺した後に証拠を隠滅するために燃やしたと、真っ黒黒助になった遺体の内耳に残った痕跡から証明していくものなどなかなかおもしろくなくもない(あまりに事件の内容が下世話かつステレオタイプなので読んでいて不愉快になったので、死体の観察の説明以外は評価できないので、なくもなくもなくもない、程度。逆にあまりの下世話なステレオタイプさに、検察だか警察だかが作ったシナリオに無理矢理無実の人がサインさせられたのではないかという気さえする。その場合は、このおっさんの誤判断ということだ)。
結局のところ、より事例を増やしていくことが重要だろうから、東京都以外にまともな検死のための機構がないというのはあらためていくべきなのだろう(と、この本ではなっているが、現在もそうかはわからない。が面倒くさいから自殺、面倒くさいから病死というのは地方ではありそうに思う。で、面倒なことに殺人ということにされてしまって面倒だから手近にいた気の弱そうなバスの運転手を犯人ということにしてしまえ、というのもいかにも地方らしい)。
それにしても、勤続年数と検死数をくらべると一日平均3~4人の遺体を解剖していることになって、すごい人だなぁとそこは職業人として尊敬に値するのは間違いない。
唐突に祖母が入浴中に亡くなったことを思い出す。留守中に風呂に入っている間にお迎えが来たらしい(正直、実に良い死に方だと思った。苦しんだ様子が全然なかったし)。こういう場合は不自然死となるらしく、叔父が混乱しまくって(風呂に入っているので暖かいから正直生きているのか死んでいるのか良くわからなかったってのがある)救急車を呼んだら、一緒にやってきた(ということは死んでいるかも知れないとは説明したのだろうな)警官がお前が殺したんだろうと言わんばかりに乱暴な口調でぐだぐだ抜かすので抗議したものだ。親を亡くしたばかりの人間なのだから、お悔やみのひとつも言ってから口を開けば良いのに、まったく教養のないやつは困る。で、たぶん、東京都なのだから検死の解剖はしたのだろうなと上述書を読んで(途中でおれは帰ったので最後どうなったか知らないのだ)考える。解剖だ、検死だというと、何か死体をぐちゃぐちゃにされるような印象があるようだが、かえってきれいにしてお返しするくらいだと著者が書いているが、確かにそうだなと、お棺の中の姿を思い出すと納得する。
今日、派遣をクビになった 15人の底辺労働者の実態 今日、ホームレスになった(増田明利)
byflowで見かけて興味を持って買って読んで、妙な読後感。
それは確かに、自業自得でホームレスのような人もいるのだが、むしろそういう人は前向きロケット団みたいな性格でむしろ筆者のほうが一人で心配しているような感じになる。
それに対してやはり自業自得感が無い人のほうが読んでいて陰々滅々としてくる。天道理不尽なりということですなぁ。が、どうにも違和感がある。
前向きロケット団に対する著者の評価(各章1人を取り上げていて、扉に対象の人物の簡単な著者による第一印象が書いてあり、本文は独白調の聞き書きという体裁なのだ)が低いのに内容はやたらと明るく前向きで読んでいて空元気は湧いてくるのに対して、著者の評価がたとえば「一流企業の営業マンで通用する」みたいな無内容でも世間的には高評価っぽいものの場合は内容が悲惨で、圧倒的に後者の収録数が多い(著者のバイアスだと思うのだが、もちろんランダムに抽出したら後者の割合が多いということかも知れない)。
そうか、しょうがないかも知れないが、受ける印象がどうにも愚痴っぽいのだ。
一度ホームレス化すると負のスパイラルに入ってしまうという仕組みはわかるように作られているのだが(職を失う→とりあえずのつなぎの職に入る→つなぎなので職歴としての価値がない→賃金低いので長時間働く必要がある→それ以外のことができない→職歴がないのでろくな仕事がない→とりあえずつなぎの職に入る→抜け出せない+一度住居を追われると頭金(敷金とか礼金)や保証人が手に入らないので家を借りられないのでホームレス)、まあ、こういう事例がたくさんあれば、家族は持たない、家は買わない、車も買わない、いざというときには現金のほうが重要なので保険や投資はしないとか、そりゃそういう風潮になるよなぁとは思う。
が、やはり違和感がすごくある。なんか違う気がするのだった。
さて、SQL Expressでしょぼい(といっても最大10GB)システムを作っているわけだが、困ったことに気づいた。
IIS上のASP.NETからアクセスできない。SqlConnectionに、"Server=127.0.0.1;Initial Catalog=Master;Integrated Security=True"
を設定してもエラーとなる。
最初権限の問題かと思って、試しにAdministratorにインパーソネート(あやしい)してみたが、だめだ。そういう問題ではなく、SQL Expressのログインそのものの問題のようだ(というか、インパーソネートしても権限は乗り移ってもユーザーが変わるわけではないのか、IISがSQL ServerへのWindows認証で与えるものはインパーソネート前のオリジナルに変えているのだろう)。
困った。
1つの解決策は、Instance=Yesにして、App_Dataの下のファイルをデータベースとして与えることだが、それだとバッチ(朝マスターが配信されてくるのでそれをバッチで取り込んで、夜になったらバッチで取り出すみたいな昔ながらのシステムなわけだ)でのハンドルが厄介だ。
で、いろいろ調べたが、どうにもならないので、IISが利用するログインユーザをデータベースに設定した。
次のようになる。
Create login [IIS_APPPOOL\(POOL名)] FROM Windows Create User IISAppPoolUser for LOGIN [IIS_APPPOOL\(POOL名)] Sp_addrolemember ‘db_datareader, 'IISAppPoolUser’
ここでは読み込み専用としたが、もちろん必要に応じて、db_datawriterを設定する。
その後、AppPoolのIdentityをLocalSystemにするというのを見つけた。それでも良いようだ。
Ruby忘年会に行って、すごいものを見せてもらった。
TechCrunch Japan主筆の西村さんのスマホ入力の速さだ。
ちょっと前、西村さんがTechChrunchへ移籍する直前くらいのことだ。西村さんがfacebookに中国やインドを旅行している最中のやたらおもしろい投稿を投げていて、読むのが楽しみだったのだが、そこでスマホだけでの旅行でこれだけ書けるからもうPCはいらないとか書いていて、さすがにそれは無いだろうと思いながら、しかしもし本当にこのクォリティの文章をスマホだけで打ち込んでいるのだとしたら、いったいどういうIMEを使っているのかそれが不思議でならなかった。あるいはすごく時間をかけているとか?
で、今日、その話を聞いたら、本当にスマホだけだよと教えてくれた。入力に使っているのはGoogle日本語入力(フリックで、五段ではない)。iPhoneではなくGalaxy(多分、Galaxy Noteの仲間だと思うが忘れた。5インチより一回り大きい)。重要なのはiOSでなくてAndroidだという点。カーソルで修正ができる(これ、おれも感じている)。
実際に入力するところを見せてくれたが、速い。へたな人のキーボード入力より、むしろよっぽど速いくらいだ。(地下鉄に乗っていると、無茶苦茶高速なガラケーメール入力している女性を見かけることがある。それよりは遅い気もするが、スマホの物理キー無しという点と、日本語のちゃんとした文章の入力だという点を考慮すると、やはり速いと思う)
入力するところを撮影させてくれたが、以下の通り。(撮影されているから遅いと言い訳しているけど、速いよ。後半、変換を左手でやると説明しているあたりから、さらにスピードアップする)
西村さんによれば(もちろん計測したわけではないだろうけど)、PCで2~3万字/日に対して、このデバイス(Galaxy)でも2万字/日はいけるとのこと。重要なのは書くべきことがあるかどうかだというけれど、書くことは入力できる能力に支えられるから、やはりこの入力がすごいのだと思う。
動画を見ると、両手を使う(したがって、通常のスマホより一回り大きいことが重要となるのだと思う)ことがスピードの重要な要素のようだが、それならGoogle入力の五段のほうが得なのではないかと聞いたら、両手で入力しているが、指ごとの役回りを決めているわけではないとのことで、たまに右と左が交差してわけがわからなくなることがあるとか。あと、とにかくカーソルで移動できることの重要さを強調していた。というわけで、文章入力系の人は、iPhoneを捨ててAndroidにしようよ。
他に僕が不思議に思ったのはGoogle日本語入力を利用している点だ。というのは、僕自身は、Google入力は変換精度が低すぎて使い物にならないと思っているからだ(結構、長いこと、おそらく1年半は使っていた)。とにかく出て欲しい変換結果が出て来ないことが多々あり、いらいらすることはなはだしい。というわけで、HTCJ ONEに買い替えたのをきっかけに今はATOKを使っていて、こちらの変換精度にはそれなりに満足している。余談になるけれど、現在最悪の評判の勝手に契約されるauスマートパスだが、ATOKを利用できるから、僕にとってはまったく良いことだった。
ということもあって、Google日本語入力で問題ないか聞いたら、西村さんは変換結果に問題はまったく感じていないそう(むしろ良い結果らしい)なのだとか。想像するに、おそらくWebメディア用文章入力なので、その意味では最適な結果が得られているのだと思う。
いずれにしても、あの速度でスマホに文章を打ち込むのを見られたのは眼福だった。すごかった。
・思い出した。両手入力のきっかけは、韓国(上で書いた中国-インドの前は韓国旅行だった)ではみんなスマホに両手遣いでハングル入力しているのを見て、影響を受けてやってみたとのことだった。ハングルの合理性もあるのだろうが韓国人はすごいな。
追記:arinoさんはもっと速いらしい。が、西村さんのは意味的に推敲同時進行の文章入力なんだよなぁ。
久々のモラージュ菖蒲でゼロ・グラビティ。行きは道がすいていて1時間ちょっとで着いた。でも帰りは首都高に入るところが混みまくっていて2時間以上かかった。
当然のように観るまでは自分のタイムライン上に流れる情報を眺めていたので、邦題についての苦情とかも知っているが、まあ、これはこれでおかしかないなと思った。
最初のところでは、本当に地球が綺麗で(ここが一番の見どころではないかと後々になって思ったりもする。iMAXの美しい映像で視界いっぱいに地球がそこにある、宇宙に行くというのはこういうことなのだな。まさに映画だ)、それから後も、椅子に腰かけていないほとんどの時間はぷかぷか浮いたり回ったりしているのだから、まあいいじゃん。
Defying Gravity (DMD Maxi)(イディナ・メンゼル)
(おれの頭の中ではグラヴィティと聞くと、イディナメンゼルの重力に逆らう歌がすぐに思い浮かぶのだが、この人、次のアルバムはアイ・スタンドでなかなかに意味深だな)
I Stand (Standard Release)(イディナ・メンゼル)
おれは、喪失することによる絶望とそこからの再生の物語に最も感銘を受けることが多い。
だから今に至るもフィールドオブドリームスで、ムーンバット先生が少年時代を取り返して本来自分が最もなりたかったはずの野球選手としてフィールドにいる。しかし主人公の娘が怪我をしたのを見てあわててフィールドから出ようとして、そこで自分が本当にやりたかったはずの野球を再び喪失してしまうことにすごく逡巡する。しかしもうひとつの自分、フィールドに立ち続けなかった自分を選択し、決然とフィールドから踏み出して元のムーンバット先生として娘を診察する、そのシーンを時々思い出しては感動を新たにすることがある。
そういった心の動きをゼログラビティでは、ソユーズ2号の狭い船室に腰かけただけの状態で、泣いたり喚いたりせずに(おれはわかりやすい大仰な役者の演技を観させられるのは大嫌いなのだった)見事に表現していて不覚にもうるうるしてしまうわけだ。
それにしても、ラテン文字、キリル文字、漢字の3つの文化圏だけが宇宙に人間を送り込んでいるのだなぁと、何度目かのパニックシーンの中ではおそらく相当にユーモラスなはず(物語が回収に入っているから燃料切れのような強力なパニックを必要としない、というかこのあたりを踏まえて宇宙ステーション巡りをアメリカ、ロシア、中国の順番にしたのだろう)の神舟のシーンを見ていろいろ考える。主言語で宇宙船の操作盤を作れる国というのは良いものだな。
なんで魚じゃなくて蛙なんだろう(なんとなくわかるけど)。
シネシャンテで久々のジャームッシュ。
観に行って、初めて題がオンリーラヴァーズレフトアライヴだと知った。という状態で観始める。
天空が映り、徐々に回転を始める。EPのドーナッツ盤が映り、ぐるぐる45RPMで回る。古めのロクアンドロールだったかな。ベッドにもたれかかった女性が映りぐるぐる回る。ソファでくつろぐ長髪の男が映りぐるぐる回る。
何が始まるのかさっぱりわからない。
やはり長髪の男が車から降りて、たくさんギターケースを抱えて家の階段を昇る。部屋に入ると、ソファでくつろいでいた男が出迎える。
ケースから1950年代に作られたエレキギターが出てくる。元の男はミュージシャンらしい。ギターを愛でて名前を付ける。イギリスの作曲家。別のギター。エディコクランが演奏しているのを観たことがある。まさか本物か? 言い方を変えてみる。ユーチューブだ。そうだと思った。札束を渡す。固い木でできた銃弾を1発注文する。アートのためだ。木の名前を英語とラテン語で呼ぶ。楽器屋(イアンという名前とわかる)はメモを取る。ラテン語の名前が聞き取れなかったといい、再度名前を言う。書きとる。ドライブ。廃墟となったビルが続く。多分、デトロイトだな(その通りだった)。犬の遠吠え。
女性のほうに移る。どうみてもモロッコ(あとからタンジールだとわかる)の街角に出る。顔を覆う。麻薬の売人が声をかけるが無視してカフェへ入る。奥から男が出てくる。先生のことを頼む。先生が出てくる。本名はクリストファーマーロウだがその名前は使わずにキットと呼ばれる。しかし話の内容からシェイクスピアとわかる。ということは数百年生きている人間の話のようだ。
デトロイトに戻る。男は顔を手術用のマスクで隠し、病院へ入る。ドクターファウストと名札を付けている。ドクターワトソンの部屋へ入る。ワトソンは顕微鏡を覗き込んでいて、ファウストに気付き驚く。ドクターストレンジラヴと呼び間違えて札束と引き換えに血液の入ったチューブを数本渡す。
吸血鬼の話だとわかる。
先生、女、男、それぞれグラスに注いだ血を呑み、くつろぐ。牙が見える。
先生は夢を見る。女の妹のエヴァだ。女はイブ、男はアダムと名前がわかる。
男はゾンビ(どうも普通の人間のことのようだ)にまとわりつかれて困っていると言う。女はiPhoneを使い、男は古いブラウン管テレビを改造したテレビ電話を使う。
女、パリ経由の夜行便でパリ経由でデトロイトへ行く。
再会する。
デトロイトの4000人収容のコンサートホールの廃墟に作られた駐車場。
男が多重録音して作った曲をきく。シューベルトの五重奏曲のアダージョを書いたことがわかる。
ゾンビの悪口。物理学の話をする。停電になる。外へ修理へ出る。壁にたこ足状の配電盤がある。醜いと言う。地面に埋めた空中の電気を受信して直流電流に変換する自作の装置を示し、修理する。テスラを褒め称える。
突然、音楽が鳴る。何事かと戻ると、妹がソファで寝ている。
と言う調子でだらだらだら進む。
すべてのシーンが映画となり、すべてのセリフが何らかの引用のようであり、トリビアのようでもある。ワトソン博士のところに血を買いにいく。今度はドクターカリガリと呼ばれる。
結局、妹はイアンの血を吸うが、転生の儀式を行いそこなったため、イアンは死ぬ。アダム怒ってエヴァを放り出す。いつの時代だと思っているんだ。イブとデトロイトを走る。17世紀のロンドンだったらテームズ河に捨てればペストの死体とまぎれて話が簡単だった。溶かす。
夜のマドリード経由の飛行機でタンジールへ迎う。
マーロウは死にかけている。不純な血を呑んだのだ。フランスの医者を信じるな。死ぬ。
アダムとイブは血液欠乏症で死にかける。顔のしわが増えてくる。二人は通りに出る。イブはアダムの全財産を受け取るとプレゼントを買いに行く。アダムは待つ。音楽が聞こえてくる。レバノン人の歌手が歌う。良い音楽。イブが戻り、不思議なネックのマンドリンを渡す。
いよいよ死が近づく。
若いカップルが愛を囁く。襲う。おしまい。
まるでロングバケーションやストレンジャーザンパラダイスの頃のジャームッシュのようだ。
スタイリッシュでありながらどうみても間抜けたところがある、現実を受け入れる気がさらさらない浮いた人々がだらだらだらだら愚にもつかない会話をし続けながら、ふらふらしている。映画の映画だ。
ジム・ジャームッシュ / アーリー・コレクションDVD-BOX (初回限定生産)(クリス・パーカー)
最高におもしろかった。
なんかうまく動かないのだが、それでもTypesafe Activatorの志の高さはわかる。もしかしたらすごく良いものではなかろうか。
@atsushienoさんの『Xamarinの2年半を振り返る』がおもしろい。
企業が買収されて、一部門がレイオフされて、しょうがないので起業してその部門の製品をブラックボックス開発し直して、でも一部門ではなくなったおかげで良い点もありとか、水滸伝ぽく離合集散したりで読ませる。
Monoプログラミング .NET/C#とMono for AndroidによるAndroidアプリケーション開発(Wallace B. McClure)
最後は、.NETをECMA準拠にしてオープンソースが追随できるようにしておいて、結果的に良かったねというような話になって、何がどう転ぶかわからないなぁという話になったり。
メイドといえば若い女性が記号だと思うのだが、記号を記号として扱うのは難しくなってきているようだ。(いや、メイドではなく掃除しながら本を読んでいる時点で違うもので、なぜそれが人工知能なのだという論点はあるとは思うが、そうは言っても根底では、人工知能=人間に奉仕する機械=メイドのような短絡はあったと勘ぐられてもしょうがないよな)
そういえば、黒人の子供がサンタに扮したら、教師から黒いサンタはいないと拒否されたというアメリカの中学校の話が問題化していた。問題化するということは、サンタは白人の赤い服着た白いひげの爺さんという記号も通用しなくなってきたということかも知れない(じゃあ、白人の子供ならOKかというのはあるけどな)。
というわけで、記号はとても便利ではあるけれど、コンテキストが共有できないことを前提として見直せば、多様な参加があり得る以上、ニュートラルに考えなければならないのかも知れないなぁ。
とか、考えているうちに、ニュートラルな(しかし、ロボットの記号そのものではある)サンタクロースを思い出した(いや、単に風化して虚飾がはがれただけという設定かも知れないけど逆にそれこそが本質で、年月が経つことで記号が記号たるゆえんの部分が風化して意味だけが残った場合、その記号が持つ表象性が失われ=コンテキストの共有が喪失して、単に差別感だけになるということはなくもないかも知れない)。
Present for me 石黒正数短編集 (ヤングキングコミックス)(石黒 正数)
とても良い話なのだった。だいたい、記号の最たるものの文字がない(と思ったが、オチは文字で示されているのを思い出したけど)。
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