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日々の破片

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著作一覧

2014-09-01

_ ふと思い出したサンリオ

たださんの日記を見ているうちに、『サンリオ文庫を買い占めておけば、いまごろ大金持ちですわ(ないない)』というセリフにぶち当たり、思い出したくもない不愉快な言いぐさを思い出した。

ある日のこと、といってももう30年近く前のことだが、神保町をぶらぶらしていて、何気なく古本屋に入って目の玉が飛び出した。

おれが持っているサンリオ文庫のディック短編集4冊組(だと思うんだけど、違うかも)が、8000円だか12000円だかで売っているじゃないか。

待て待て、ここは古本屋で、おれは暗記するほど読んだから(当時。今でも覚えているのはありそうだが、トリガーがないと思いだせない)もう売ってもいいし、仮にこの本屋がマージンを50%取っているとしても5000円くらいになりそうじゃん。よし、売ろう。

ところが、店番のおやじの雰囲気がどうもあまり感じが良くない。悪い予感がしたともいえるが、いきなり家に帰ってサンリオ文庫をがしがし持って来て全部で1000円とか言われる可能性も考慮して(他にもジャリの馬的思考とか、バロウズのノヴァ急行とか、ラーオ博士のサーカスとかいろいろ持ってたが、当時としてもなかなか読めない作品の数々を積極的に翻訳しているのは良いけれどどうも不思議な翻訳が相当あったように思う。ただサキの短編集は創土社のやつよりむしろ良訳だったような記憶がある)、とりあえず聞いてみるかと、「サンリオのディックの~と~と~と(結構たくさん)持ってるけど、いくらくらいで買ってもらえるんですか?」

すると、おやじは一言吐き捨てた。

「文庫は1冊5円(10円だったかも)」(追記:思い出は美化されている可能性があるなぁと思い返す。10冊につき1円とか言われたような気がしてきたぞ)

「ええ?」

あまりの落差に驚いて聞き返すと、死ぬほど面倒くさそうな顔をして、

「文庫は文庫だJK(みたいな言い方)、へんへん」

と、鼻息ふんふんものでさらに吐き捨てられた。

というわけで、二度と来るかと後にしたのだった。

まあ在庫リスクがあるところまでは認めるにしても、その店は割とSFが多めだったから、文庫は文庫だみたいな言い方を思いっきり不愉快にするとは思わなかったので、魂消た。扱うジャンルのファンを大事にしない本屋は見たことがない。で、なぜか店の名前が平井なんとかだったのは記憶してしまった。

それから数年、唐沢兄弟のマンガを読んでいたらSF作家の親類がやっている悪名高きH書店というセリフが出てきて、ああああああ、あれか! とえらく納得して、それからしばらくの間は唐沢兄弟の言い分をわりと信用していた時期もあった。

それからさらに数年して、そのあたりを通ったときに、もしかしてディックが売れ残っているんじゃないかと興味しんしんで見てみたら店ごとなくなっていた。

アジャストメント―ディック短篇傑作選 (ハヤカワ文庫 SF テ 1-20)(フィリップ・K・ディック/大森望/浅倉久志)

(ディックについては以前の翻訳も悪いものではなかったと思うが、今のほうがきっと良い訳なのだろうなぁ)


2014-09-06

_ 執筆に参加したHeroku本が出ます

Dockerが注目されるよりも遥かに前からLXCを利用したPaaSを提供しているHerokuですが、なぜか知っている人は良く知っているのに知らない人はまったく知らない(なのでDockerをHerokuと妙な比較をして持ち上げる記事とかが出てくるんだろうな)という状況に業を煮やした相澤さんが中心となって書き下ろしたHerokuの入門書(プロフェッショナルのための 実践Heroku入門 プラットフォーム・クラウドを活用したアプリケーション開発と運用)がもうすぐ発売になります。

(もっとも達人出版会からはβ版時点から出していました

執筆陣は、もろHerokuの中の人の相澤さんが全体、同じくHerokuの中の人の織田さんがサポート現場の知見をもとに上手に活用する方法、Herokuでアプリケーションを開発/実運用している鳥井さんが実用部分を担当されています(SSLとかPostgreSQLとか外部ストレージとかアドオンとか本番移行あれこれとか)。ただ全員忙しいので、Herokuについての知見は猫程度でも書けそうな部分を少しだけ僕が猫の手として書いています(というかほとんど書いていない)。

プロフェッショナルのための 実践Heroku入門 プラットフォーム・クラウドを活用したアプリケーション開発と運用 (書籍)(相澤歩/arton/鳥井雪/織田敬子)

ふと思い出すと、20世紀には、Webで遊ぼうと思っても静的HTMLをホストする無料サーバー(geoとかtriとか)はあっても動的なWebを使うのはとてもハードル(そこにはお金も含むけどお金を取っても静的なWebだけというのもあったような)が高かった。でも、今はHerokuのようなサービスを利用すると各種プログラミング言語を利用した動的なWebを、試しに無料で公開することすら出来るんだよなぁと時代の変化っぷりに驚いてしまう。


2014-09-07

_ スズメとネズミとホットケーキ

昨日神保町でロシア料理を食い終わって茶を飲んでいると、妻が壁のところに太陽を囲んで小動物が楽しそうにしている絵本が置いてあるのに気付いた。

で、読んだ。なかなか味わいがある。

スズメと子ネズミとホットケーキ ロシアのむかしむかし(イリーナ・カルナウーホヴァ/アナトーリー・ネムチーノフ/斎藤 君子)

まず太陽だと思ったのがホットケーキだというのには驚いた(後になって妻が言うには、ロシアのブリヌイというパンじゃなかろうかということで、おそらくそうなんだろう)。

森の中に小さな家があった。

そこには、畑を追い出されたスズメと、猫から逃げて来たネズミと、フライパンから逃げ出したホットケーキが仲良く暮らしていた。

スズメは朝起きると畑に行って麦粒やら野菜やらを集めて家に持ち帰る。

ネズミはいっしょうけんめい木を齧って薪を作る。

そうやって用意ができたところでホットケーキがシチューを作る。

そして晩御飯だ。

晩御飯になるとお互いに自慢をしながらシチューを食べる。

「それにしてもおいしいよなー」とネズミ。

「そりゃそうだ。おいらのお腹につまったバターたっぷり溶け込んでいるからな! 出来上がりにおいらが鍋の中をひと泳ぎ! これで最高のシチューの出来上がりってわけさ」とホットケーキ。

「おれが集めた材料が良いってことを忘れんなよ」とスズメ。

そうやって仲良く暮らしていた。

ところがある日、スズメがふと考えた。

おれは朝から晩まで材料集めに飛び回っている。ところがネズミは午前中の間に薪を作ると午後はずーっと昼寝だ。ホットケーキにいたってはシチューを作るだけでいつもベタベタしているだけじゃないか。なんてこった。不公平だ。不平等だ。

かくしてその日の晩御飯は職種転換会議になった。

ネズミはホットケーキの代わりにシチューの担当、ホットケーキはスズメの代わりに材料集め、スズメはネズミの代わりに薪割りだ。

さて次の日、ホットケーキが材料を探して森の中をうろうろしていると向うからキツネがやってきた。

やあ、良い匂いがするキミィ、キミ、このへんじゃ見かけない顔だけど食べられるのかなコン?

もちろんさ! おいらのお腹にはバターがたっぷりつまっていて、最高のシチューが作れるんだぜ。おいらほど美味しいものは他にいるもんかい!

誇り高きホットケーキは良い匂いと言われてすっかり嬉しくなって胸を張った。

その瞬間、キツネはいただきます! と飛び上がると張った胸の脇をガブリと噛み千切った。

いたたたたたたたた! ホットケーキは泣きながら家に向かって死ぬよりも速く逃げ出した。

おーい、本当においしいコン! また来てくれコン!

その頃、ネズミはシチューを作る練習をしていた。鍋にお湯を沸かして、となめてみて、全然おいしくないよなぁ…… なんでだろう?

そうだ、ホットケーキは仕上げに飛び込むとか言ってたな。よし飛び込んでみよう。

ジャボーン、あちちちちちち、煮えたぎる熱湯に飛び込んだネズミはあっというまに全部の毛が抜け落ちてしまった。これまた泣きながらソファに倒れ込んでぴくとも動けずしくしく泣くばかり。

一方、スズメは薪の山を前に途方に暮れていた。おれの手では斧は持てないし、そういえばネズミは齧るとか言ってたな。では、ちょっとおれの鋭い嘴で一突きだ。メシリ! 固い薪に思いっきり嘴を突きたてのが運の尽き、スズメの嘴は根本からポッキリ折れてしまった。痛いよ痛いよ、スズメも泣きながら家に飛んで帰る。

かくしてその夜はいつもの楽しい夕餉の代わりに、真っ赤に腫れ上がったネズミと、お腹が大きく欠けてしまったホットケーキと、嘴がぽっきり折れたスズメのすすり泣きだけが家の中からは聞こえてきた。みんなごめんよ、おれがくだらないことを言いだしたばかりに、とスズメは平謝り。まあ、しょうがないってことよ、と他の二人。

次の日からは元の役割に戻して、また三人の楽しい暮らしが始まりました、めでたしめでたし。


2014-09-10

_ メトのイーゴリ公

東劇でメトロポリタンオペラのイーゴリ公

指揮はノセダ。歌手はロシア人で固めている。

プロローグはすごくおもしろい。イーゴリ公は軍団を集めてポロヴィッツ人との戦争へ行こうとしている。それは戦場に身を置くことで自分を確認したいからだ(というような字幕で最初に説明する)。

12世紀の叙事詩だが、演出では20世紀以降の軍隊となっている。

日食が起き、凶兆として人々は進軍を止める。だがイーゴリ公はもっともらしい演説をする。このとき、一人の男が外から入ってきて何かを言おうとするのだが警備兵に押し止められ追い出される。歌がないので良くわからないのだが、1幕で出てくる斥候と同じ人ではないかな? 太陽が再び顔を出し出発する。イーゴリ公と一族を讃える歌が良い。

一幕が開く。真っ赤なケシの花畑だ。映像でイーゴリ公の軍団は壊滅したことが示される。ここは音楽が前半はソロが順番に歌われ(イーゴリ公の息子のウラジミールの歌が印象深い)、後半が合唱付きのバレエとなってバランスは非常に悪いが、夢よりも抜群に美しい。ボロディンの才能はすさまじい。中央アジアの平原からや、キスメット(ストレンジャーインパラダイス)の音楽を始め、良く耳にするボロディンの音楽が流れるのだが、それにきれいなコーラスが入って素晴らしい。すべては夢の中のできごとのようだ(という演出のようでもある)。

二幕。故郷の内政を預けた王妃の弟のガリツキー公とその一味は飲んだくれ、若い女性を館へ誘拐して、乱暴狼藉の限りを尽くす。王妃のところへ女性たちが陳情に来る。そこにガリツキーもあらわれ、民会を開けばおれが新しい公だと罵り帰っていく。ガリツキーの歌手は石橋蓮司に似ていて、悪役やる人は悪役の顔なんだなぁとか感じる(メトではスパラフチーレやフンディングを歌っている)。

ついにポロヴィッツが攻めて来るという情報が来て、王妃のもとに貴族たちが集まる。公、神、祖国への忠誠の歌(内容は好みではないが音楽は素晴らしい)を歌い、王妃が感激し、城(というのは街でもあるわけだが)を守ろうとしていると親衛隊を引き連れたガリツキーが乗り込んできておれが新しい公だと宣言しようとする。そこへ投石機による攻撃が始まる。まるでナブッコのようにいきなりガリツキーを直撃してガリツキーは舞台から退場する。幕。

二幕は緊迫感と、ユーモア(ガリツキーの館の無頼漢の響宴)あり、愛国讃歌ありと、歌が次々とすばらしい。

三幕。街は荒廃していてほぼ廃墟。廃墟の中で雨漏りの水を手に受けながら王妃が歌を歌う。美しい曲。イーゴリ公はウラジミールと汗の娘を置いて逃げ出し廃墟に佇む。街の人はイーゴリ公を発見し、歓喜する。イーゴリ公は、敗北した自分だから語れるのだ、今こそキエフの王のもと、各公は一丸となってポロヴィッツ人を殲滅せよ、と演説する(この歌も見事だ)。しかしイーゴリ公は軍団を全滅させた自責の念から逃れられない。手ずから(棺桶にしか見えないけど)板を片付け始める。人々も瓦礫を片付け始める。

20世紀の人物達として造形したのは廃墟がまさに廃墟(ベイルートでもガザでも1944年の東京でも見られる光景だ)として表現できるからかも知れない。この幕は演出が特に素晴らしい(その代わり物語の進行に邪魔になる有名な曲が使われるシーンを相当切り捨てたらしい)。

・ウィットフォーゲル曰くのアジアだなぁと見ていて(特に2幕の貴族たちの忠誠、3幕の民衆)うんざりする。どうして家父(公国という国の家父)へここまで無批判に忠誠を誓えるのだろうか?(ガリツキーとその親衛隊がよほど人間的だ)。

・ロシア、ロシアと言っても、王様はキエフなんだな(12世紀)。ということは、トルコの連中に北上されてどんどん北へ移動し、ついにどんづまりのモスクワでイワン雷帝が開き直って南進したというのが歴史なのかな。

・項羽ですら、故郷の若者を死に追いやった。どこに父祖に合わせる顔があろうやと烏江で自刎したわけだが、ロシア正教といってもキリスト教だから自殺はできないのだなぁとか苦悩しまくる姿を見て、同じアジアといっても宗教の違いはでかいなとか考える。

と、中央アジアの歴史も興味深いが、なんといってもボロディンの音楽は素晴らしい。(歌手も合唱も舞台も演出も指揮も良いが、素材の良さはまた別だ)

幕の構成がメトと同じだったのでキーロフのやつを購入して聴きまくる。

Borodin: Prince Igor (3 CDs)(St. Petersburg and Galina Gorchakova and Gegam Grigorian and Mikhail Kit and Orchestra of the Kirov Opera, St. Petersburg and Valery Gergiev Chorus of the Kirov Opera)


2014-09-19

_ Ruby-2.2.0-preview1を試してみた

rubyのmakeは、一部、mkmf.rbの実行中にテンポラリファイルの作成が競合して(以前のプロセスが死に切る前に次のプロセスが起動されてい)soが作られなかったことがあったが、それを別とすれば問題なし。usaさんのおかげだなぁ。

でも、拡張ライブラリを作ろうとすると、いろいろ引っかかる。

というよりも、setup.rbがついに引っかかったので修正抜きでは何も作れない。

setup.rbはrbconfigをrequireして::Config::CONFIGを呼びだしているが、rbconfigのクラス名からついに互換名が削除されたので、RbConfig::CONFIGに修正が必要。

lhalibがついに寿命を迎えた。

すでにlhaを僕が使うことはないので修正することなしにおしまいにする。

必要な人はGitHubにあるのでフォークして修正すれば良い。

問題は以下の箇所で(他にもあるかも知れないけど)、引数が文字列かどうかをチェックし、もし文字列だったら、外部由来文字列の処理を扱うべき環境でなければ例外を飛ばすところ。このうち後者は既に意味を失っているがそのまま残していたのだが削除するか代替方法を取るべきだし、前者は書き換えが必要。

  VALUE file;
  proc = Qnil;
  rb_scan_args(argc, argv, "1&", &file, &proc);
  rb_check_safe_str(file);
  rb_secure(4);

具体的にはrb_check_safe_str関数は2.2.0から無くなったのでSafeStringValueに書き換える。

_ vrswin090207がmakeできなくなった。

原因1)NTが未定義となった。とりあえずextconf.rb生成のMakefileのCFLAGSに-DNTを手で追加

原因2)

swin.obj : error LNK2019: 未解決の外部シンボル _rb_thread_blocking_region が関数
 _swin_call_threadblocking で参照されました。
swin.so : fatal error LNK1120: 1 件の未解決の外部参照

まあしょうがないか。いずれもRubyの問題ではないし。


2014-09-20

_ Ruby-2.2.0で良くなった点

異様にテストの結果が見やすくなった。

..........F
===============================================================================
Failure: <false> is not true.
test_kjconv(TestRjb)
test.rb:152:in `test_kjconv'
     149:       euc_kj = "\xb4\xc1\xbb\xfa\xa5\xc6\xa5\xad\xa5\xb9\xa5\xc8".forc
e_encoding Encoding::EUC_JP
     150:       s = @jString.new(euc_kj)
     151:       assert_equal(s.toString().encoding, Encoding::UTF_8)
  => 152:       assert(test.isSameString(s))
     153:       assert(test.isSameString(euc_kj))
     154:       assert_equal(s.toString().encode(Encoding::EUC_JP), euc_kj)
     155:       sjis_kj = "\x8a\xbf\x8e\x9a\x83\x65\x83\x4c\x83\x58\x83\x67".for
ce_encoding Encoding::SHIFT_JIS
===============================================================================
....
Finished in 0.304264 seconds.
 
64 tests, 200 assertions, 1 failures, 0 errors, 0 pendings, 0 omissions, 0 notif
ications
98.4375% passed
 
210.34 tests/s, 657.32 assertions/s

2014-09-22

_ だまし絵Ⅱ

ドゥマゴにタルトタタンを食いに行ったら、品切れと言われた。なら普通の菓子でも食おうかと妻に聞くと、だったらいらんと言う。というわけで、閉館まで1時間あることになったので、そのまま進化するだまし絵展に入った。

プロローグ(マニエリスムの時代の作品群)ではフレーゲルの作品(陰影の極北とでもいうか)がおもしろかったが、ホンダイは近現代の作品だった。

最初にひっくり返ったのは、田中偉一郎という人のストリート・デストロイヤーで、よもやそんな発想で来るとは、というストリートアーティスト魂にこちらの魂が消えるほどの感銘を受ける。

ピストレットのカメラマンは結構おもしろい。

で、安定の高松次郎(最初に竹橋の国立近代美術館で見た時は確か中学の頃だと思うが、すごく感銘を受けたが、今でもやはり素晴らしい)。

ラリーケイガンの蚊Ⅱとトカゲは嫌いではない。が、圧巻はローズィンの木の鏡でこれは本当におもしろかった。

唐突に思い出したがホックニーというのは長いことただのつまらないワタセケイゾウの芸術版くらいに考えていたのだが、大仏の構造力は衝撃的だった。本物の芸術家だったのだなぁ。ばらばらに撮影した写真を組み合わせて全体を構成する、写真という群盲も数が多ければ全体を掴むことができるという感覚による感動や、ばらばらの写真による全体の再構成というと僕にはトーキングヘッズのモアソングスのジャケットアートがすぐに思い浮かぶのだが、それとは異なる観察するという動きを再構成することで生じるいびつさの表現のうまさとか舌を巻きまくる。

More Songs About Buildings & Food(Talking Heads)

(悪くないなぁ)

オップアートは思い返すと本物をそれほど見たことがなかったのかな? とあらためて新鮮さにびっくりするのが、ソトの黒のTでもう不思議でしょうがない。すごく好きだ。

それにくらべるとアガムの一連の作品は普通に普遍的に気持ちが良い。感動があるわけではないが、絵画をわざわざ見るに値する気持ちの良さで、美術館というのは良いものだという感覚を得られた。

オッペンハイムは良い。

で、伊藤高志のSPAICYに出会う。

ちょうど、柱を越えたら、モニターにSPICYというクレジットが映り、なんとラッキーなことに冒頭ではないかとそのまま観始める。

700枚の写真というのと、ビデオ作品ということで、単純に1秒に24枚ということはなく、おそらく3枚程度を利用するとして4分程度の作品だろうと観始めたのだが、実際には10分あったらしい。それにしても、最初はゆったりと断続的に体育館を示し、それがだんだん間隔が短くなり、疾走しながら次々と体育館の中に並べられた体育館の写真の中へ飛び込み、飛び出し、スキップし、回転し、プッシュし、ポップし、赤くフラッシュし、青くフラッシュし(たかどうかは記憶にない)、てんかんの発作が起きるのではないか(今まではたまたま出なかっただけで実際のところは持っている可能性がゼロとは言えないだろう)とか、吸い込まれ押し出され、息もつかせぬ面白さ。最良のゴダールの映画よりも刺激的な10分間を満喫した。本当に、おもしろかった。いや、まったく、この作品を体験できただけで満足だ。

しかし、ニュース映像などでみる海外の美術館(といってもジャカルタやアンゴラといった諸国についてはわからなくて、おもにフランスということになるのだが)では観客が普通に携帯で撮影しまくっているが、なんで日本ではだめなんだ? (海外でも原則はだめということになっているが、原則はあくまでも原則なのでそれは現実とは関係ないという運営なのか、そもそもそういう制約はないのか、あるいは床面積あたりの観客の人数から迷惑度が海外では低いという統計的な結果があるからなのか、非常に謎だ)


2014-09-24

_ 米を喰らう

もしかすると生まれて初めて米って本当においしいんだなという経験をした。

米は奇妙な食い物で、水加減ひとつ、浸水時間ひとつでどえらく味が変わる。ソースやたれをかけずにそのまま食べておいしいから、素材そのものの味で食べることのほうが多いからだとは思う。

そういえば、子供の頃はガスの炊飯器で、おそらくそれによって、世の中がえらく進歩したのだろうと想像する。そのころは思い出すと、手伝いで米を研がされたが、内鍋に米と水を入れて泡だて器でかき混ぜてた。フッソ加工のような技術がまだ家庭レベルに落ちていなかったので、水に手を濡らすよりも泡だて器でかき混ぜるほうが合理的だったのだろう。今はそんなことをすると内釜は剥がれるだろうし、だいたい米粒が割れるとかそういった方向に話がなりそうだ。

その後、電子炊飯ジャーの時代がやってきた。タイマーを使えるおかげで話がより簡単になった。自動的にガスが点火されるというのははずれた場合が危険過ぎるから、ガスでは難しそうだ。

最初に自分で炊飯器を購入したのは、象印のやたらとインテリジェンスがあるやつだが、これが驚くほどおいしくない。

急にべしゃべしゃのご飯になった。しかし何を読んでも機種の評価は高く、使い方を間違えているのかなと説明書を読みながらくそまじめに計量してやってみてもやはりまずい。

どうも、世の中の平均的においしいとされる焚き方は、おれにとっては(というのは親の焚き方ということにもなるのだろうが)水が多過ぎてふにゃふにゃになった米の炊き方らしいと考えざるを得なかった。で水加減を減らして炊くことで折り合いがつく。その後も、この路線(細かい火加減の自動調整とか、内釜を厚くしたとか黒くしたとかそういった工夫をしている炊飯器)はすべて外れだった。

米そのもので味が変わるのは当然で、おれはササニシキという米が好きだったがある頃からまったく見かけなくなった。

で、妻と安いし標準なんだからこれにしてみようかと、ある日、標準米というのを買ってみた。これが驚くほどまずい。炊き方未満の問題として米そのものがまずい米というのがあるのだな、と初めて知った(その後、外食をいろいろするようになると、これはあれだな、とかわかることもあって、そういう意味では勉強になった)

というわけで、美味しくないというのは散々経験したが、はて美味しいという経験はあまり記憶にない。日々食べるものだから、慣らされて普通になってしまうのだろう。

が、この日に食った飯は異様においしくて驚いた。米粒が立っているという形容が意味することが、各粒が分離していることで噛んだ時の複雑さが際立つことなのだなと納得したり、まあいろいろ。分厚そうな土の鍋(釜という形状ではないが、蓋が重そうだ)で炊いているようだ。

そういえば妻が一時、やたらと重たい橙色のほうろうの鍋でガスで炊くことにチャレンジしていたことを思い出した。あれは確かに悪くなかった(水加減のほかに途中の火加減とかいろいろ他にも要因があるのだろう)。

ル・クルーゼ ココット・ロンド 22cm オレンジ 2501-22-09 【日本正規販売品】

が、タイマーの便利さというのは捨てがたいので結局は電子炊飯器に落ち着いている(高機能なインテリジェンスを持っているやつは、結局、そのジャー屋さんや電気屋さんの好みに最適化されていて、それは経験上おれの好みとは全く異なるから、今は異様に単純で、内釜もぺなんぺなんな安物を使っているが、これまた悪くない)。


2014-09-29

_ ジャージーボーイズ

妻と映画。

最初、出てきたあんちゃん(トミー)がいきなりこちらを向いて状況を説明するのでたまげた。

後になって調べたら、元はミュージカルで、登場人物が証言して曲を流すという形式だったらしい。

映画としては、現在の爺さんになった登場人物が証言して(なんかフロアースタンドの近くの肘掛け椅子に腰かけてたりして)、アイリスインして過去に戻すというような方法や、ナレーションを流すだけにとどめたりする方法もとれるだろうけど、クリントイーストウッドは映像の流れを中断せずに、登場人物がこちらを向くことで一瞬だけ時間を変える(しかし映像はその時点が長回しで継続される)という手法をとったようだ。フラッシュバックがまったく無い(長めの回想シーンがトニーのパートの最初にあるくらいじゃないかな)。

ニュージャージーの不良バンドが成功したり失敗したりする話だということしか知らなかったので、音楽の面からもいろいろ楽しめた。

タモリ倶楽部の尻ダンスのOP曲がボーリング場で流れているなぁと思っていると、その作曲者をバンドに入れないか? という話になり、へーあの作曲家なのかと思う。

作曲家がやってくると、最初、バンドの演奏を眺めていてあまり乗り気にはならない。しかしボーカルが歌い出し、サビの部分で独特のファルセットで歌い始めると身を乗り出す。作曲家がピアノで曲を弾き語り始めると、ボーカルがやって来て腕を組んで眺めている。バックコーラスを入れる。ベースがやって来る。そしてギターも加わる。ご機嫌な曲なのでウェイトレスが二人で踊り始める。こういったシーンが実にスムーズに流れる。

レコード会社にデモテープの反応を聞きに行く。廊下に沿って扉がたくさんある(まるでホテルみたいだ)。ドアを開けてはプロデューサにデモについて聞き、追い出されるを繰り返す。黒人バンドだと思っていたら白人が出てくるので追い返されたりとか。細かい説明は映像だけで進めるので実にテンポが良い。

紆余曲折あって、バンド名が決まり、あれ? おれは知っているぞ、と思う間もなく、作曲家がぎりぎりのタイミングでバスを乗り過ごして遅刻して新曲を持ってくる(単なる曲ではなくヒット曲を作曲するといって作曲するシーンがその前にある)。ギターが無視しようとするのを押しとどめてボーカルが読み、感心する。と、シェリーが歌われる。そこでフォーシズンズって聞いたことあると思ったらシェリーのバンドか、とわかった。

最初、いかにもおどおどしていて先輩のギターに動かされているボーカルが(ニュージャージーはマイルドヤンキーの世界なのだ)だんだんと渋みを増してくる。

物語は史実をいろいろうまいこと変えている。

ボーカルの娘がオーバードーズで亡くなったのは1980年のことだそうだが、墓地で凝視しているボーカルを映し、レストランの席に茫然と腰をおろしているシーンに変わると、窓の外に作曲家があらわれる。中に入って来て、新曲を渡す。娘を亡くした男へのプレゼントがそれか? それに対して、曲の途中がうまくないからアドバイスをくれといって去っていく。夜、作曲家が妻とベッドで寝ていると電話がかかる。ボーカルからの電話だ。ブリッジの後が良くない。あと細かい音が多過ぎるので少し削れ。

この流れは美しい。

レコーディングに入ろうとすると、レコード会社の社長が入って来る。ソフト路線でもハードでもなく、ロックでもない。こんな中途半端なものを誰が買うか。売り出すつもりはない。作曲家が交渉してラジオ局がプッシュすれば売り出すという約束を取り付ける。一体どんな曲なんだ? と、ここまでまったく曲が入らない(電話口で歌い出すのかと思ったらそれがなかったので、つまりは、そういう演出なのだ。娘が死んで茫然としている仲間を励ますには仕事を与えるしかなく、それは優れた楽曲でなければならず、そしてまったく新しいものでなければならない。そのくらい作曲家はボーカルのことを大切に思っている)

ショーでボーカルが歌う。この曲は知っている。君の瞳に恋してるじゃないか。

すると、実際には1960年代末の楽曲を1980年に組み込んでストーリーを構成しているということで、このあたりは元のミュージカルの脚本なのだろうが、うまいなぁと(後になって、というのはそもそも君の瞳に恋してるは、ボーイズ・タウン・ギャングと椎名林檎でしか知らないし、元がフォーシズンズのボーカル(フランク・ヴァリ)の歌だとはこのときはじめて知った)舌を巻く。と同時に、タモリ倶楽部のOPでシェリーでしかも君の瞳に恋してるまで作曲したとは、この作曲家(ボブ・ゴーディオ)もすごいやつだなと、なるほど確かにミュージカルの素材になるはずだと納得しまくる。

というわけで、元の楽曲が良く、映画作家は最高、しかも脚本がうまいすごい映画だった。さらに、フランクヴァリを演じているジョン・ロイド・ヤングという男が本物に負けず劣らずな歌声で見事なものだ(バンドマン全員。本物には似ていないが伝記ではなくてミュージカル/映画だからそれで良いのだ)。

で、さらにラグドールもこの連中の曲だと知って驚く。

ケヴィンローランドのカヴァーでしか知らないが、実に良い曲なのだ。これもゴーディオだったのか。

マイ・ビューティー(ケヴィン・ローランド)

(ジャケットは最低だが声と選曲は素晴らしい。ケヴィンローランドが自分のソウルミュージック(ソウルフードの意味のソウル)をカヴァーした作品で、マーマレードのリフレクションオブマイラフとラグドールが白眉、というかどれも良い)

というわけでちゃんと聞いてみようかとアマゾンMP3でフォーシズンズのベストを買ってみたり。

The Very Best Of Frankie Valli & The 4 Seasons (US Release)(フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズ)

・音楽を聞いて涙を流すギャングという構図はどこかで見たなと思ったら、ブルーベルベットだった。ボビービントンも高い声だが、何かの音楽的要素があるのかなぁ。

・レコードのプロモーションがラジオだというのがなるほど感。

・1年に200ステージというのはすごいなぁと思ったが、アメリカは広すぎてツアーだけではレコードのプロモーションにならないのだろうな。

・1990年のシーンのメイクがまるで蝋人形のように白すぎて、過去の遺物化しているという意図があるのだろうか?

・ステージの撮影を最初はフロアから見上げる形だったのが、だんだん俯瞰になっていくのは、客(端的には演奏する場のキャパ)が増えたことを見せるというよりは、やはりバンドの上昇を示しているのだろうか。ゴーディオのピアノを囲むところからカメラとバンドの距離が近づく。

_ 自分の娘はそれはかわいいものだ

フランキーは、家庭生活は失敗したのだが(イタリア人のイメージ通りで、家庭を本来はすごく大事にしたい男だ)、最後に最初の妻との間の末娘だけが残った。

妻と大喧嘩した後、彼女が階段の上で見守っているのに気付き、My Eyes Adored Youを歌って寝かしつける(と思うんだけど違う曲かも)。

しかし、その後、彼女は家出する。ニューヨークから電話をかけてくる。公衆電話。彼女がそちらでの住処から出てきたところをフランキーが捕まえる。情報通の知り合いがいるんだ。ギャングね。二人は店に入る。彼女はタバコを取り出すと、フランキーはそれを没収する。歌手には禁物だ。お前は妻の美貌とおれの声を受け継いでいるんだ。最高の歌手になれる。練習しろ。タバコは吸うな。

彼女とは、その後も連絡を取り合っていることを作曲家に言うシーンとなる。クラブで歌っているんだ。唯一残った家族で、同じ音楽家の仲間であり、自分の子供である。それは幸福そうではあるのだが、そこに電話がかかる。オーバードーズという言葉が向うから聞こえてくる。

そして墓地のシーンとなる。フランキーは何も言わず、涙を流すわけでもなく、ただ立ったまま墓石を凝視する。

ミュージカルでの表現はわからないが、クリントイーストウッドの演出が実にうまい。胸に去来するあれこれが本当にうまく映画になっている。


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