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アッパスキアロスタミの映画を観ていて、人生にはオリーブの林が必要なのだなと感じるところがあった。
それで6年ほど前に樹を置ける場所が確保できたので、オリーブの木を2本買った。2本あれば林には十分だ(字面上は)。
で、運ばれてきたオリーブを見ながら、実はなるか? と聞いたら花屋のおっさんは、え、実を生らすつもりだったんですか? と聞き返してきたので、どうも単に林にしかならないのだなと気落ちした(とはいえ、あまり期待していなかったので、そこまでだ)。どうも実を生らすには種類も変えたほうが良いらしいが、同じ種類だったので、もとから花屋にはそういうつもりはなかったのだろう(し、おれも収穫したいというようなことは何も言わなかったな)。
最初の年にはスズメガのすさまじくでっかな幼虫が出てきてびっくりしたり、テントウムシみたいなオリーブの葉っぱを汚く凸凹にするやつが出てきたりで驚いた。
常緑樹だから葉っぱはつきっぱなしだと思ったら、初夏を過ぎたあたりからばんばん黄色くなって葉が落ちる。全然常緑樹じゃないじゃんとかいろいろ学ぶこともあった。
どんどん成長して2年目には花が咲くようになった。おや、花が咲くってことは実がなるってこともあるのかな? と思っていたら、5月中旬の大風で全部吹き飛ばされてしまった。次の年には5月中旬の大雨で全部流されてしまった。
どうも、東京の気候と買ったオリーブはタイミングが合わないようだなぁと4年目くらいにも全部吹き飛んだ花を見ながら考えたものだ。というか、5月に大風と大雨が来ると意識するようになったのはオリーブのおかげだ。それまでは全然、そんなことは気づかなった。
どこからやってきたのかハサミムシが土の上にいたり、しっかりアリが樹の上をちょろちょろしたり、いないようでも虫が出てくるのもおもしろい。というか、スズメガはそのあと3回ほど来た(来ない年もある)。手榴弾のような糞とか、先っぽが2枚くっついた葉とかで見分けられるようになった。
で、今年だ。
なぜか大風が早めに来て、結構長いこと花が咲いている。時々小さな虫が飛んでいるのも見た。で、大雨がなかなか来ないなぁと思っていたりした。
とはいえやはり自然は毎年同じことをする(東南風が来ると孔明が確信している道理だ)。やはり大雨が来てきれいさっぱり花を流してしまった。
そんなある晴れた日、なんか緑の丸いものがついているのに気付いた。虫の卵か? と思ってみたら、実だった。飛び出した茎の先にぽいっとなっている(6月1日のことだ)。
(こんなふうに生るとは知らなかった)
おや、と思って数えてみると5つあった。もう1本の木にも同じく5つ。
なるほど人生はオリーブの林で、実のなる年もあるということかとなんとなくうれしくなる(食えるとは思えないが、せっかくだから鳥に食われずに熟すところまでいったら塩漬けにしてみようとか考えるが面倒だからやらない可能性のほうが高い)。
しかし1か月たって、それなりに大雨も降れば風も吹くが、一度なった実は飛ばされも流されもせずに成長し続けていておもしろい。
(結構大きくなった。というか1か月たっても熟して色が変わったりはしないのだな)
今日気づくとどこからやってきたのか小さなカマキリがいた。
これも不思議だ。飛んできたのだろうか?
人生には謎がつきものだが、これもオリーブの林と共に生きているからならではというものだ。
新国立劇場で夕鶴。
夕鶴を観るのはこれで2度目だ。最初は10年近く前に虎ノ門のNTTのホールで観たはず。
題材は鶴の恩返しだが内容は全然違う。
鶴の恩返しは妻の秘密を覗き見したいというどちらかというと性的欲望と眼差しの作品だが、夕鶴では覗き見の禁止は単なる契約に過ぎない。契約に過ぎないので主人公の与ひょうが何も理解していないにも関わらずつうは去ってしまう。むしろオッペルと象に近い内容となっているように思う。
村の子供たちが遊んでくれるおばさん(与ひょうの妻のこと)の家に来ると与ひょうが一人で昼寝をしている。妻が織った布がそれなりの価格で売れたので仕事もせずにぷらぷらしているのだ。
与ひょうが子供と遊んでいると、運ずが惣どを連れてやってくる。運ずが町で売った布がとんでもないお宝であり、価値がわかる都人に見せれば10倍以上の価格になると惣どが気づいたからだ。これだから価値がわからない田舎者は困ると惣どは考えている。
運ずの話から、惣どは、与ひょうの妻が鶴人間で、その化生の力でお宝を生み出したということを想定している(夕鶴では人獣交婚はまったくの想定内でそこには何の不思議もない)。山の湖で女性が鶴に化けて水浴びしているのを見た人がいるから、鶴人間がいることはわかっているのだった。
与ひょうは2人に最後に売った布でおしまいだと説明する。織るたびにつうが痩せてしまい、これが最後と引導を渡されたと説明する。確かにこれ以上は無理だろうと言う。
惣どは与ひょうの妻が鶴だと確信する。獣であれば別に死んでも良い。ならば、与ひょうをたきつければもう1枚くらいは手に入るだろうとそろばんを弾く。自分の取り分を5、運ずの取り分を3、与ひょうの取り分を2くらいでも莫大な金額(与ひょうが運ずにぴんはねされた額を手にしただけで村ではぷらぷらできる程度の金額になるわけだから10倍で売ったうちの50%ならなかなかの大金だ)。
そこで二人して与ひょうに都を見物して都で買い物をすることに対する欲望刺激策に出る。
与ひょう、すっかり都に行きたくなる。
かくしてつうにもう1枚織ってくれと頼む。
つうにはまったく理解できない。そもそもきれいな布ができたら二人で眺めて楽しもうと思っていたのに運ずに渡してわけのわからない硬くて丸いものに変えてしまったことがわからない。しかしそれで食べ物などを自由に買えるので不思議なものだなぁとは思っている。助けてくれた与ひょうのやさしさが好きなのだが、なんでお金がからむと優しさがなくなるのかなぁ。なんだかよくわからないが与ひょうが喜ぶのであればしょうがないとあきらめて機織り部屋へ閉じこもる。
惣ど運ずが戻って来て確認のために与ひょうが止めるのを振り払って機織り部屋を覗いてみる。なるほど魂消たが予想通り、鶴が布を織っている。よっしゃ売って売って売りまくるぞと誓いも新たに帰る。
夜中になってもつうが戻ってこないので与ひょうは心配になる。もしかして機織り部屋で倒れているのではなかろうか。惣どや運ずが覗いたため部屋の扉は開いている。覗いてはだめだという約束を最初は守っているが、だんだん不安が大きくなる。
つう、つうと何度も呼びかける。が、返事がない(鶴なので嘴を使って機を織っているからかな)。
ついに心配でたまらず覗いてみる。と、鶴が機を織っている。
なんと、つうが居ないではないか。
つう、つうと呼びながら外へ探しに飛び出す。
1場終わり
惣どと運ずが、雪の中を倒れて埋まっていた与ひょうを助けて家に戻しに来る。与ひょうはつうを探して一晩中雪山を薄着で駆けずりまわって倒れてしまったのだ。
与ひょうの前につうが布を2枚持って出てくる。これでおしまいだ。飛ぶのに最低必要なだけの羽根しか残ってないし、あんたは覗き見したから私は帰る。つう、鶴に戻って飛び去る。
与ひょうは崩れ折れる。
おしまい。
木下順二が何を考えたかはわからない。発表は1949年敗戦3年目、レッドパージもまだなら朝鮮戦争もまだという隙間の時代だ。そこに経済至上主義批判というのはあまりに後付けの見方と考えられる。もっと違うものを書いたと考えるほうが時代的にはありうる。3年前にこてんぱんにされた原因となった帝国主義の膨張を支えたのは与ひょうのような無垢な欲望だという国民的自省が近いのではなかろうか。そう考えると惣どと運ずの二人の音頭取りがなんのお咎めなしで、与ひょう一人が何が何だかわからないうちに一人だけ罪を背負わされる(罰は愛妻の喪失)という妙な構造にも合点がいく。
木下順二は1914年生まれということは物心ついたときの日本というのは日本列島、南樺太、太平洋諸島全部、台湾、沖縄含んだばかでかい国(海ばかりとは言え太平洋ほぼ全域を含むんだから地球の1/7くらい)だったわけだから、飛べるだけの羽根=日本列島4島(1949年ではオキナワはアメリカの占領下)と考えることもできる。とすれば、優しさにほだされて与ひょうの妻になったものの与ひょうの愚かな帝国主義に愛想がつきて4島だけ残して去って行った日本とみることもできる。(で、実際それだけあれば飛べるわけだったのだが)
経済至上主義批判という見方は、1970年ころに夕鶴ブームがあったらしいので、そのころに生まれたものではなかろうか。それなら高度経済成長によって失われるものについて再考しようじゃないかというオルタナティブとして理解できる。
現代の耳で聞くとオペラとしてはあまりうまくない。2場冒頭のドビュッシーで始まりチャイコフスキーを経由するような音楽や、トゥランドット(というよりも1曲しか知らないがザンドナーイ)を思わせる新イタリア学派のような響きと日本風なメロディの妙な作品で、管を多用しているので声がつぶされてしまうところが多い(たとえばザンドナーイだと最大に盛り上がるような箇所では歌を入れないが、夕鶴では歌のクライマックスに一緒に管弦楽も強くなってしまう)。編成が小さいのに新国立劇場のオーケストラピットが相当下のほうに沈められていることからもそれがわかる。歌の抑揚も微妙だ(どうも木下順二が團伊玖磨に一言一句変えるなと注文をつけたらしいから、音楽に言葉を載せるのが無理なところが出てしまったのだろう)。
とはいえ1950年ごろの作曲ということと、木下順二の無理な注文(プッチーニやヴェルディあるいはシュトラウスがどれだけ言葉のマジシャンみたいな台本作家連中に注文をつけて言葉を直させたか知っているわけで、発声の言葉と歌の言葉は違うのだ)を考えれば文句なく名曲だとは思う。
演奏は素晴らしかった。
主に紙数の都合でC#逆引きレシピの本編から落としたレシピをまとめた[Advance]です。
全部で83レシピを収録しています。
本編の20章に対して、こちらは
・開発環境
・値型(構造体含む)
・文字列と正規表現
・配列とコレクション
・クラス
・インターフェイス
・ラムダ式とイベント
・ファイルとディレクトリ
・データベース操作
・ネットワークと通信
・スレッド処理
・デバッグ
・Windows環境
の全13章となっています。
内容は
・重要度が落ちると考えて本編から外したもの(例:多倍長整数 System.Numerics.BigInteger)
・どちらかというとはまり処の解説みたいな本来の意味でのレシピからは微妙にずれるもの(例:コレクション内に格納した構造体の振る舞い=コピーが返されるとか、Debug.WriteLineIfはマクロではないから引数が評価されるぞとか)
・.NET4以降はあまり使わないようなもの(StringBuilderを使ってCSVを作るとか、new Thread()するスレッド処理とか)
・それが必要な人がどれだけいるかわからないようなもの(Exceptionの継承クラスの作り方とか、DebuggerStepThrough属性とか)
・C#6時代だよね?というようなもの(匿名メソッドの書式説明とか)
・間違いなくレシピとしては重要だとは思うけど本編の選択からは外さざるを得なかったもの(画像ファイルのフォーマット変換とか、1024ビット公開鍵だけを与えられた場合にどう暗号化すれば良いかとか、プリンターを使った印刷とか)
・コードが長くなりすぎて本編には合わなくなったもの(文字コードを見てWindows-31JかUTF-8か判定するサンプルプログラムとか)
・レシピというよりも宣告もの(Q:~するにはどうすれば良い? A:できません)
・繰り返しになってしまっているもの(RDB系は基本System.Data.DbCommandにSQLを記述する方法なので……)
・基本/基本+のペアで作ったレシピで紙数から本編には基本のみを入れたもの(メールの添付、Excelブックの保存、ThreadLocal
といったものです。
レシピである以上は、いずれもMSDN(.NET Frameworkのリファレンス)、C#言語仕様、StackOverflowを検索すれば出て来るものですが節を曲げての何をしているかのコード重複コメントによる懇切丁寧なサンプルリスト付きなので、きっと役に立つものもあるでしょう。
オリーブの実がなった年にアッバスキアロスタミの訃報が届いた。
突然Hyper-VのNATが動かなくなってしまって面倒になってRASをアンインストールして、さてどうしようかと仮想アダプタとかを眺める。ケチがついてレジストリかメタデータベースの奥底にゴミが残っているのだろうと、全部まず削除した。当然、Hyper-Vゲストはネットワーク無し状態となる。
ホストOSは、固定IPアドレスが1つふられているだけなので、これをうまく利用する必要があるわけだ(ふられているIPアドレス以外で外に出ようとするとルータ警察に見つかって連行されることになるからNATを使うしかないのだった)。
とりあえず、NAT Hyper-Vで検索しているとWindows10 Hyper-Vというのが目についた。Power Shellのコマンドレットにいろいろ用意してあるようだ。試しにWindows 2012R2のPower Shellで動かしたらパラメータが違って怒られるのもあるが入るのもある。
いろいろ試してこうなった。
; 仮想スィッチを作ってみる。 New-VMSwitch -SwitchName "Hyper-V-Switch" - SwitchType Internal ; 作った仮想スィッチを見てみる。 Get-NetIPAddress -InterfaceAlias "vEthernet (Hyper-V-Switch)" IPAddress : 169.254.141.105 ……… 適当なアドレスが振られた InterfaceIndex : n ………………… 後で使う InterfaceAlias : vEthernet (Hyper-V-Switch) AddressFamily : IPv4 Type : Unicast PrefixLength : 16 …… ; IPアドレスを振りなおした New-NetIPAddress -IPAddress 192.168.0.1 -PrefixLength 24 -InterfaceIndex n IPAddress : 192.168.0.1 InterfaceIndex : n InterfaceAlias : vEthernet (Hyper-V-Switch) AddressFamily : IPv4 Type : Unicast …… ; NATを設定する。Windows 10のWebで見かける例だとInternalIPInterfaceAddressPrefixというパラメータがあるが、2012R2だとExternalIPInterfaceAddressPrefixで逆なのが不思議きわまりない。 New-NetNat -Name Hyper-V-NAT -ExternalIPInterfaceAddressPrefix 外部IPアドレス/32 ; ところがそれだけではだめで外部へ通じているIPアドレスをAddする必要がある(このあと嫌な障害が出るのは上のコマンドレット入力が悪いのかもしれない) Add-NetNatExternalAddress -Natname Hyper-V-NAT -IPAddress 外部IPアドレス
で、無事にHyper-Vのゲストにここで作った内部スィッチを割り当てると外に出られるようになったし、StaticMappingで受けもできるようになった。
こんな楽ちんなものがあったのか。今までRASでさんざんわけのわからないパラメータで苦労したのは何だったのだ?
が、ホストのDNSクエリがすべて失敗する(IPアドレス指定のTCP/IPはすべて成功するので、どうもこのNATは何かがおかしい。ちゃんと動作していたときのRASではホストはホスト、ゲストもホストで動いていたわけだが)。
Message Analyzerで見るとDNSクエリに対してレスポンスは返っているのだが(なんで*Module=DNSでフィルタリングできないんだろう?)、ホストOS上のDNSクライアント(nslookupとか)にはレスポンスが戻っていないようでみんなタイムアウトする。これはやってられないなぁ。
しかしHyper-Vのゲスト群は元気に動く。多数決でホストに犠牲になってもらうことにするのだが、実に釈然としない。
最速配信山崎さんが、原作付きの皆川亮二は最高、これおもしろいから必読みたいに力説するのでつい買って読んだ。
最初に読み始めたのが木曜日の夜中で気づくと金曜の4時くらいになっていて、これはやばいと一端終了して2回に分けて読んだ。
確かにおもしろかった。
主人公はさえない高校生だが、モーターがついたマシンの操縦桿(ハンドル、ジョイスティックいろいろ)を握ると完璧なマンマシンシステムとなり、どんな難事もこなすマルチドライバーという妙な設定だが、性格の変わり方とかいちいちマンガとしてもうまいし、おもしろい(なんか13巻あたりからハンドル持ったときの表情がおっかなくなりすぎるが)。ASEという名前の謎の多国籍企業のアルバイトで北極、中東、アマゾン、世界各国へ行ってはさまざまな種類の乗り物を運転しまくる。
というか、まんま設定がスプリガンじゃねぇか。普段は出席日数が足りずに落第寸前のさえない高校生が、同じ企業に所属する一癖二癖ある超人的な専門家とからみながら、持前の異常能力で文句を垂れながら一生懸命に仕事をして難問を解決していく。
[まとめ買い] スプリガン〔保存版〕(少年サンデーBOOKS)(皆川亮二)
(皆川亮二のマンガはこの2作品しか読んでないから他のもそうかどうかは知らんけど)
鉄道を愛するJRマン稲垣とか、レーサーになりたいが国情からそれが許されずいまはロシアマフィアで働いているロコとか、ASE職員以外の脇を固める連中もいい味出している。特にロコとなぜかコンビを組んでマン島のレースに出る回とか熱いし、稲垣と組む回は(4回くらいある)どれも傑作だ。
乗り物では特にホバークラフトで神田川を井の頭公園のほうへ遡上するのと、龍がつくロボットみたいな建機で遺跡を発掘する回が抜群におもしろかった。
おもしろいのは、ASEのメカニックでしょっちゅうコンビを組む女子高生(途中で卒業してASEの正社員になる)清水初音だけが清水初音だが、それ以外のASEの専門家連中はオウルだの百舌鳥だのハトだのナイチンゲールだのみんな鳥に関する名前がついている(事務方は安田と増尾で鳥ではないけど)。初回はあまり深く考えずに名前をつけて、そのあとから鳥名前にすると決めたのか(とはいえ2作目にはすでにカラスが出てきているし)、それともそのうち苗字は斑鳩に変わるから清水で問題なしという含みなのかわからないけど(女性がたくさん主人公にからむ少年サンデー方式だから本命をわかりやすくする仕組みなのかなぁとか考えたのだった)。初音が鳥に関係ない名前かというと微妙(ウグイスといえなくもない)ではあるけど(しかしそれ以外の連中はそのものずばりの鳥の名前だしな)。
ちょっと余裕ができたのでbash on Windowsを試そうと仮想マシンを用意してみた。
で、ちょこちょこ失敗したり(Windows8.1からWindows10へのアップグレードを試そうとして誤ってEnterprise Editionを入れてしまっていつまでたってもアップグレードのお知らせが来ないとかいろいろ)しながら、やっとbuild 14388になった。
で、さっそくcmd.exeを開いてbashと入力すると、エラーになる。
「サポートされていないコンソール設定です。この機能を使用するには、従来のコンソールを無効にする必要があります。」
はて? なんのことだろう? 従来のコンソールを無効といっても、cmd.exeの何を変えろと? と悩むことしばし。検索してもそれっぽいものも引っかからない。
で、いろいろいじくっているとcmd.exeのプロパティに「従来のコンソールを使う(再起動が必要)」というのが追加されていることに気付いた。しかもデフォルトチェック状態だ。
再起動はいやだなぁと思いながらチェックを外してOKしてexitでcmd.exeを終了してリブートしようとした瞬間、待てよ? もしかして「再起動」というのはcmd.exeの再起動ではなかろうかと考え直した。
で、cmd.exeを実行してbashと入力すると今度は話に聞いていた「これにより WindowsにUbuntuがインストールされます。……続行するには、"y"を入力してください」が表示されて、数分かかる処理に数10分かかっているが一向に終わりそうにないがとりあえず良かった。
The Official Ubuntu Book (English Edition)(Helmke, Matthew)
(しかしオルタナティブWindowsのLinux Desktopの最前線にいたはずがいつの間にか中の人になっている不思議感)
で、bashに入ると勝手にコードページが65001(utf-8)になるのだが文字化けの嵐。
あらかじめcmd.exeでchcp 65001してからbashとすれば……と考えても休みのと同じだった。
ls -l してみてみると、「月」を「諧」と表示しているので、そこにヒントがありそうだ(なお、コピー&ペーストするとちゃんと「月」になる)
(追記)リダイレクトしてWindows側でメモ帳で見るとちゃんとUTF-8で出力しいる。ということはコードページ65001の表示バグということなんじゃないかな。面倒だからexport LANG=Cして英語で動かす。
7/16 追記)考えてみたら、コードが正しいんだからフォントがおかしいわけだ。というわけでコンソールのプロパティを見たらフォントがラスターというのになっていた。MS ゴシックを選択したら無事日本語が表示できるようになった。
今年の4月あたりから購入して5~6年経過したコンピュータやハードディスクが次々と死滅してえらいことだった。
・メインのワークステーション(ディスクは元気)
・子供と妻のMacタイムマシン用のQNAPのディスク(日立)
・メインのLinuxマシンのディスク(日立)
・以前使っていたマシンから抜いてバックアップ用に使っていたディスク(上記のディスクを新しいマシンへ移動したりするのに活躍させていたら途中で死んでしまった。シーゲート)
意外と日立が壊れてWDが元気なのだが、個体差ってやつだろう。
で、ディスクの吸い上げに同じ頃に買ったタイムリーGROOVYとかいうのを最初使っていたのだが遅い。
タイムリー GROOVY HDDをUSB SATA接続2.5/3.5/5.25"ドライブ専用 UD-505SA(-)
USB2が遅いというのはすぐにわかった。特にQNAPのディスクからの吸い上げが(容量がばかでかいからだが)すさまじく遅い(エラーリトライしているってのももちろんある)。この時点ではまだディスクも死にきれていないのでどうにかなっているが、一刻をある意味争っているので、2日かけても終わらない時点でついに切れた。
・ワークステーションの買い替えはUSB3を持っている(マシンの買い替えなので入っているWindows10Proをそのまま利用することにして(ただしEntへアップグレード)、つまり内蔵ディスクはそのまま使うことにして、元のマシンのディスクからDocumentsとAppDataなどをコピーすることにした)。元のマシンのディスクはLinuxマシンに移動することにする。
・Linuxマシンのディスクのサルベージは別のUSB3持ちマシンを使えば良い
・QNAPはeSATAを持っている。
というわけで、eSATAとUSB3を持つ外部インターフェイスを探して、ロジテックのを購入した。
ロジテック HDDケース 3.5インチ USB3.0 SATA接続 冷却ファン付 LHR-EJEU3F(-)
eSATAのは2日かけても全然終わらなかったのが1日で終了。
USB3のはパフォーマンスモニタ見ていると大体130MB/秒を出しているから、これも(USB2とは比較にならないほど)速い。
というわけで、CPUの速度向上はジリ貧でもインターフェイスの速度向上は5年前とは様変わりでなかなか感動した。
#アマゾン評を読むと付属のケーブルがだめっぽいが、手元に届いたパッケージに付属しているケーブルはeSATAもUSB3も問題なく使えていてラッキーだった。
MSDNの8.1のライセンスをフルに使ってテスト用仮想マシン(Windows10)を作りまくっているのだが、次のことをしたいが方法がまったくわからない。
やりたいことは、システム修復ディスク(Windows7バックアップから作れるもの)を作って、それで該当のVMをブートしたいのだ。
(バックアップが欲しいわけではない。バックアップならホスト側で仮想ディスクをバックアップすれば良いからだ)
#システム修復ディスクは、各ハードウェアに依存して作成されると考えているからで、たとえばホストOSで作成したシステム修復ディスクがゲストOSでも共通で利用できるなら、そもそもそれで間に合うことになる。ここは、わからないポイントだ。でも仮にハードウェア依存でなければ、システム修復ディスクに相当するものをインストールメディアにあらかじめ入れておけるわけだから、「システム修復ディスクの作成」というものが不要に思う。
ところが、Hyper-Vの第2世代仮想機械は、物理DVDドライブを利用できない。利用できるのは、ホスト側で割り当てたisoファイルだけだ。
ということは、ゲストOSでシステム修復ディスクを作成するには、DVD-RWに見える、つまり書き込み可能なisoファイルが必要ということになる。
どうやれば作れるのだろう?
writable isoとか、system repair disk hyper-v second gen、how to write iso as dvd-rwとか考え付く検索はしてみたが、ホスト側でブート可能なisoを作る方法か、DVDにisoを焼く方法しか見つからないのだった。
上のとは別に以下のリンクは便利そうだった。
物理ディスクからVHDを作って物理サーバーをHyper-V仮想機械に入れる方法
Disk2vhd(ひさいさんに教えてもらった)
追記:ひさいさんがPhantom Burnerを教えてくださった。isoではなく書き込み可能なDVDドライブをマウントする仮想ドライブらしい。そっちからは考え付かなかったけど、確かに同じ用途に使える!
数年前からFBで羽生さん(はじめよう! 要件定義の著者)が読み聞かせに出かけるみたいなことをちょくちょく書いていて、何をしているんだろう? と思ったら、小学生のための特別授業というのをしているのだった。
その特別授業の「7000℃の少年」について書いた本を頂いたわけで読んだのだった。
どえらくおもしろい。しかも読後に感じるところもある。なかなかの読書体験だった。
まず、授業そのものの見聞録みたいなものがある(全体の1/3)。とにかくこの授業そのものがおもしろいのだが(先生の池田眞徳さんの父親が少年兵だったときに体験した原爆投下直後の遺体処理と救命処理の覚書を池田さん自身が小説化したものを語るという内容だが、語り口と羽生さんによる再現がとにかくうまいのだ)、しかもそこに見聞している羽生さんの視点が入ることで具体的にどのような授業となっているのかが解説されて、それにより周りの反応などがわかり(しかも、それがとても納得感があり)それがまたおもしろい。
(子供の頃に読んだ『はだしのゲン』で被災した人たちがミイラ男みたいに手を前に突き出して歩いているシーンは覚えているのだが、なぜ手を前に突き出しているかの理由は今回初めて知った)
そもそもの最初のプロローグとまえがきで、どうも原爆を題材とした特別授業が行われていて、それがめっぽうおもしろいと評判でリピーター学校があり、さらに小学生の感想文がサイトに掲載されているのだが、それがしかつめらしい高邁な書かされた感想というよりも本気でおもしろがっていることがわかる、一体なんだこれは? 不思議だから見学して調べてやろうというモティベーションが導入で語られる(もちろん、それは読者体験のための著者体験となる)。
原爆体験をメタ化した授業をメタ化したものをうえからメタ化してさらに読者であるおれがメタ化する。つまらないわけがない。メタ竹の子で、どこまでも皮があるからこそ深さがある、それがおもしろいのだ。(追記:ここまで抽象化した分析があることで、単に原爆先生の小学生への特別授業についての本からはみ出して、あるものを他者へどう訴求するかという内容にまで達している。または、羽生さんの分野である要件の分析−定義−設計−実装の適用事例としても読める。したがって読んでいる間中、すさまじく脳みそが刺激されるのだ。おもしろいに決まっている)
次の1/3は、どうしてこの授業がはじまることになったか、なぜこのスタイルとなったのか、そしてなぜこの授業はおもしろいのか?(本書の読者であるこちらというメタな存在に対してだけではなく、授業を聞いている子供にとってという重要な内容である)について、羽生さんと池田さんの対話篇となる。
・さて、原爆先生とはまったく関係ないことだが、子供がまだ子供とすら言えないころ、家にある絵本とか童話とかを読んでやるわけだが、妻がどこからか、読み聞かせるときは声色使ったり泣き真似したりとか余分なことはせずに、たんたんぼうでいくのが良いらしいと、仕入れてきて教えてくれたのだが、案外、池田さんの方法論と通ずるものがないわけでもなさそうだ。日常の延長の中で語られる非日常ということかな。
そして残り1/3、池田さんと羽生さんの広島の旅となり、終わる。
まず、ストレートに広島で何が起きたのかの本である。
次に、広島を体験した親と子の関わりあいの本である。
次に、子供に何かを教えるということはどういうことかという本である(教えることはできないが強い正のきっかけを与えることはできるという結論になるのはある意味当然なので、それをこの場合はどういう手法をとっているかということだ)
次に、子供に話しを聞かせるにはどうすれば良いかの試行錯誤の本でもある。つまり、おもしろさというのは、つまり興味を持ち、先を知りたいと願うようになるということを、どうやって生じさせることができるかという実験の本でもある。
つまり本書自体が、特別授業をメタ化したものとなっている。明確に語られる主義主張はまったくなく、なぜこの授業をすることになったのかの経緯とそのための工夫が語られている。おもしろい。
壊れたメインマシンの代わりにデルのPrecision Tower 3420というのを買った。
で、コンシューマモデル系はともかくデルの中位以上の機種はネジ回し不要で蓋を開けてディスクを換装できるわけで、ちょっといろいろいじり始めた。
ところが、唐突にリセットがかかってリブートを始める。
BIOS設定画面で放置していても5分くらいたつとリセットがかかってリブートしてしまう。
壊れたか? と思っても、元から入っていたディスクに戻してプリインストールのWindows10でブートするとふつうに元気に動く。
怪しいのは、インテルのチップセットドライバーかな? と考える(Windows10によってパッチされるという可能性を考えた)。
でもそれではWindows7モデルはあり得ないのではなかろうか、とか不思議になる。
結局わからないのでサポートを依頼した。
すると、BIOS設定でWatchdog Timerをディスエーブルしろと言われた。
なるほど、ビジネスモデルなのでデフォルトでWatchdog Timerが有効化されていて、Windows10であれば応答するのでCPUは元気に動作を継続し、それ以外の環境では応答がないのでCPU側で勝手にリセットをかけるということか(5分という設定値がどこにあるのかはわからないが、それでほぼ同じ経過時間でリセットがかかることも納得がいく)。
というわけで、BIOS設定でウォッチドッグタイマーを無効化してHDDを換装して他のOSを動かしたりいろいろいじくることができるようになった。
で、元のディスクに戻してWindows10を動かすときは、BIOSで再度有効化。
(なんかアマゾンだと高価だが、おれが買ったのはCore-i5相当のXeon(4コアHT無し)のメモリ16GBのモデルでこれの半値より安かったちょっと上くらいだが考えたらクーポン使ったりしていたのでそれなりの値段だった。i7って高いんだな)
追記:ウォッチドッグタイマーみたいな機能をCPUが持っているのであれば使わなければ損だなと、ちょうど最近Linuxマシンがハングしていることがあるので(何も残さずにハングしていて原因がわからないのだがvboxをちょっと怪しいのではないかと疑っている)、sudo apt-get install watchdog; sudo vi /etc/default/watchdogしてwatchdog_module="iTCO_wdt"を設定してみた。ハングしたら勝手にリブートでもまあ良いのではないかなぁとか。
予告編はスピード感があったし、ゴジラのおっかない雰囲気が出ていてそれなりにおもしろそうだなぁとは思ったが、それだけだったら行かなかったかも知れない。
でも、評判がなかなかよろしいので見に行った(おれは、エヴァの世代にはかすりもしないので(子供がはまると一緒にはまることになったりするので(例:ポケモン)自分が対象世代かどうかはあまり関係ないのだが、とにかくかすりもしなかったので、監督についてもまったくの初見だ)。
すると東宝のオープニングが2重になっていて、昔の東宝が出現して始まった。
まず怒涛のように政府が緊急対策室を設けるまでが描かれる。
すさまじくおもしろい。
ひるがえって考えるに、緊急時の障害対応というのはある意味とてもおもしろい。何が起きているのかを乏しい現場からの情報を元に推測して、予想できる二次障害への対策と発生した場合の対応案を考えながら、大急ぎで修復作業のためのプランを作り、謝り侍のための公開可能なソフィスティケートされた状況報告と事後処理策を理由付けした文章に起こし、真の原因を探りながら迂回策やストレートな修正作業などをスケジューリングして立ち向かう。これは個人の作業ではなく集団の作業だ。
他人事扱いするのであれば血湧き肉踊る瞬間が過ぎていく。
この映画はそれじゃん。
こんなおもしろい災害ものは見たことがない。カメラワークや音楽、役者の動き、あらゆるものがえらく生き生きとして緊急対策のための動きが描かれる。
こういうゴジラが作れるのか。
ある意味、徹底的な上から目線の映画だ。
緊急対策の対象となる生活者が描かれるのはマンションで逃げ遅れる家族と、踏切を横断する老夫婦くらいのものだ。
それ以外はみんな政府の人間とそれに協力する民間人で、ゴジラをどうするか、ゴジラをどうしたかの後に何をなすべきか、巨視的に動きまわる。(別に安全な場所から高みの見物をしているわけではない)
すごく満足した。
#最初の情報では入りが悪いということだったが、今日午前最初の回を渋谷で見たが満席だった。これだけおもしろければさもありなん。
# 特別出演の岡本喜八(これだけ個人と国家の2項対立にこだわった作家はいなく、その意味ではまったくシン・ゴジラの方向性とは異なるのだが、にもかかわらずゴールは同じになっているのがすごいな)には、作家の全方向への目配りと気配りを感じた。
ジェズイットを見習え |
_ jmuk [D-LIVEは良いですけれど、あまりにもスプリガンといっしょな展開なのがどうも……と思ってしまいました。 個人的には..]
_ arton [確かにスプリガンといっしょなんですよね(特に日常シーンがひどい)。それはそれとしてARMSも読んでみようかなぁ。]