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シアターオーブでドリームガールズ。
映画は観たかったが結局見損なったのでDVD買って観た。
モータウンの社長の成り上がり物語にシュープリームスのエピソードを散りばめてミュージカル化したみたいな内容でおもしろかったので、舞台も楽しみだ。
この作品の最も優れた点は、バックコーラスからトリオデビューとなるデビュー曲のドリーミングの「We are your dreamgirls」というサビのメロディーとアレンジで、これが無ければ映画としてまったく説得力が無いとさえ思うのだが、残念なことに舞台だとささっと終わってしまった。
このサビの部分が、オリジナルなのに元ネタのシュープリームスの楽曲にうまく似ていてそこが抜群だ。
で、もちろんシュープリームスは好きで、御多分に漏れずストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ(80年代に核競争をモティーフにしてUSのロックバンドにカバーされてリバイバルヒットしまくって知ったわけだが、それにしてもアトミックカフェの映像をモンタージュしまくったMVのできも良かった)も好きだし、ベイビーラブも好きだ(この曲、サディスティックミカバンドのヘイベイビーの原曲としか思えないんだが実際のところどうなんだろう)。
映画よりもエフィー(一番の歌唱派なんだけどマーケットにいろいろな点から合わずに追い出される)に力点が当てられているようだし、映画だとエディーマーフィーを持ってくることで間違いなく主役のマネージャよりも途中まで売り上げを支える実力派男性歌手(すでに名前を忘れた)のほうにスポットが当たっているように感じた。
舞台はカーティス(車のセールスマンというUS文脈では非常に悪い男)が、芸能界で一儲けしようとアポロ劇場で開かれているオーディションでマネージメントの元ネタとなる歌手を探しに来るところから始まる。
カーティスの考えは、R&Bもソウルも素晴らしいが、黒人マーケットという狭い範囲でしか売れないのがネックだ。そこで白人市場でも売れるようなサウンドと歌手を使えば、とてつもなく儲かるに違いないということだ。
そこにシカゴからドリーメッツというトリオがやって来て、うまいこと丸めこんでマネージャとなる。
カーティスはソウルの女王のようだがわがままでビジネス文脈を読めず、しかも白人受けを絶対しなさそうなリードボーカルのエフィーを下ろして、ベイビーフェイスで声もかわいいディーナ(当然、ダイアナロスがモデルになっている)をリードボーカルにして売り込むことにする。
1幕の最後にエフィーが延々と悲しむ歌を歌うが、歌手のうまさもあって素晴らしい。ただし、このエフィーという人は最初からやたらと文句が多く、自分勝手ないやな奴として書かれているのでまったく同情はできないのだった。
それと同時にベテラン歌手も白人マーケットへの売り込みをえさにしてマネージメントを実質的に乗っ取る。
が、このベテランは、最後の最後で、エボニーとアイボリー(というサタデーナイトライブのネタ)路線から下品で猥雑なソウル回帰して袂を分かつことになるのだが、このあたりおもしろい。
エフィーの弟のCCは子供だけあって柔軟な曲作りができるので、最初はキャデラックの歌を作って売れ始めたところで白人歌手に盗まれる。
当時は盗作とか著作権という概念がないのかな(いや、アレンジが異なるし言葉も変えているからアイディア盗用は盗作ではないとなるのか?)。
いずれにしろ、黒人チャートで目立つとすぐに白人に盗まれるので、ラジオ局のDJたちに対する買収工作などを駆使して先回りしてトップに入るように手を打つ(ということは、さすがにチャート上位にいれば、盗みは盗みと認識されるということなんだろう)。
それと同時にマイアミのホテルに交渉して黒人歌手をディナーショーに登場させることに成功する。ここでもベテランは下品なダンスをして(そいえばプレスリー(カーティスが考えたのは、逆プレスリーなわけだが)がちょっと腰を振ったら大問題になった時代だ)顰蹙を買うのだが、一方、ドリーメッツあらためドリームスは着実に成功する。ディーナはディーバのような扱いを受ける。
大成功したわけだが、ディーナは自分の立ち位置に自覚しはじめる。他のメンバーも同様。CCはあまりにもカーティスが曲を変えすぎるのでついに離反して(エフィーを追い出すときにはカーティスについていた)エフィーと和解し、すごい曲を作る。チャートを上昇しはじめる。カーティスも負けじとドリームスバージョンを売り出し、買収工作をまたもや繰り広げる。
ただ、ここでおそらく重要なのは、エフィーの歌がチャートを昇れるのは、カーティスによって白人市場にブラックミュージックを浸透させたという下地があったからなのは間違いない。ある程度、白人市場におけるブラックミュージックが浸透したので、より本格的なソウルを市場が受容できるようになっていたと考えられる。という意味において、CCもエフィーもカーティスの恩恵をすさまじく受けている。逆に言えば、市場開拓者としてのカーティスの役割はここで終わったわけで、そこまで含めて物語は大団円に向かうことになる。
独立して映画に出たり、アーティストとして振舞いたいディーナに対して、君はおれの夢なんだと切々と口説くカーティス(この曲は良い曲で、つい最初はディーナもほだされてしまうのだが、2回目に歌うとさすがに通用しないという、おもしろい使われ方をする)。
最後、エフィーとディーナは和解する。解散コンサートをアポロシアターで開き、最後に4人目のメンバーがいるんだよとエフィーを招き入れる。1曲歌った後に、一瞬、ドリーミングをトリの曲として歌っておしまい。
おれの音楽指向は白人寄りなわけだから、始まって最初のうちのソウルよりも、ドリームズになってからのメロウでスィート路線の歌のほうが好きだったり、車のセールスマンというのは独立した戦略家だから嫌われるし、逆に市場を変えたときもマーケティング観点を強く持つのかなとかいろいろおもしろかったりするし、ベテラン歌手の歌はあまり好みではなかったりとかいろいろだが、楽しめた。特に天井にカメラを取り付けて踊りの全景を背景のスクリーンに映す試みはなかなか良いと思った。逆にそういうライブ映像をうまく使うことで、テレビ局がいかにディーナを特権的に扱うかを強調するのもうまい。
出だしは好調なのだが、ロドルフォがなんて冷たい手だのあたりからどんどん速度がのろくなって(遅いではなく、のろい)ひでぇ指揮者だなとえらく興覚めした。
2幕も合唱までは良いのだが、ムゼッタのワルツがのろくてのろくてどうにも不快になる。とはいえ、青いドレスの演出は抜群だし、途中でコッリーネとショナールが別のカップルの席に移動して(ロドルフォとミミ、マルチェッロとはちょっと離れて)いるところについにマルチェッロも移動してしまって、その分ミミがマルチェッロのことを好きなのね、みたいな歌が強調されたり、端に移動しただけに思い出は死んではいないぞ! とマルチェッロが仁王立ちになるところも見事なものなのだが、とにかくテンポが悪い。テンポを別にすると、特に2幕の舞台は素晴らしいと思う。軍隊の行進のために、街が紅海のモーゼのように割れて、その尻馬に5人組じゃなくて6人組が逃げて行くとか抜群。そういえばパルピニョールが良く通る声で楽しかった。
最終日のはずだから、いくらぶっつけ本番でやっても全員がちゃんと演奏できるはずのラ・ボエームとは言え、ぶっつけ本番ではないのだから、もう少しどうにかならんものかとか思うというか、こういう指揮なのだろう。
が、3幕になると(先頭はどの幕も良いので、当然、ここのタタッという始まりは抜群)テンポが遅いのが当然なのだからかも知れないが実に良い。そうなると、オーケストラの歌わせ方も実は抜群なのではないかと思い始める。
・多分3幕だと思うが、これまで意識的に耳にしたことがない、木管だと思うが上下する音型が強調されていてこれは良い。
4幕、ロドルフォとマルチェッロの2重唱のところでバイオリンのソロが美しい。トゥランドットにもあるが、プッチーニのソロバイオリンを際立たせるオーケストレーションは実にうまいし、この指揮者は実はただものではない(ただし、テンポ感は1、2幕に関してはまったくおれの好みではない)なと感心する。
ミミが、マルチェッロ、コリーネ、ショナールに挨拶するところの美しさは抜群。思わず涙。歌手のマチャイゼも良いし、東京交響楽団も良いのだ。
コッリーネの松位の外套の歌は良いものだった。
最後、ロドルフォは絶叫しない。これもありだな。
指揮はカリニャーニという名前で、プログラムを見たらナブッコを振った人だった。癖のある曲者なのだな。
何度も見ている演出のはずだが、今回あらためて不思議に思ったのは、左の扉で、3人組が詩人が詩を見つけたらしいのところで、ロドルフォは左の扉から顔を出すわけだから、バルコニーだと思うのだが、そもそもブノワは右側から部下にノックさせて左側から4人組を急襲するってことは、上の階から降りてきたのだろうか? まさか。それにショナールは水を汲みに左の扉から出て行くが、鳥に餌をやるわけでもあるまいし、どういう構造なんだろうか。
これまで観た中で最高のセビリアの理髪師でびっくり。
演出のおもしろさもあるのだが(無駄なことをするその他の登場人物を使いまくることで舞台の同時並行性を生かして退屈をさせないようにする、特に2幕のしつこくてバルトロでなくても怒りたくなるアルマヴィーヴァとバルトロの挨拶の繰り返しの最中(2階の右の部屋)に、ロジーナ(2階の左の部屋)に体操だか演武だかをさせるのがおもしろいし、道を行き来する音楽教師軍団とか、右手前の娼館の使い方とか)、何よりも歌手がすばらしい。
アルマヴィーヴァのルネ・バルベラは容姿は良くわからないが、声は美してしかもとてもコロコロ、ロジーナの脇園も良い声でしかもとてもコロコロ、ドン・バルトロのボルドーニャは(キャラクタ歌手には良くあることとは言え)実にたくさんの日本語をうまく使ってしかもドスが効いた抜群のうまさで、フィガロのセンペイもうまいし、ベルタの加納も(ちょっと指揮と合わなかったように思ったが)ここぞとかっちり。ドンバジリオのスポッティはとてつもないバジリオで説得力抜群。
なんで、こうなった? とびっくりするくらいにすごいセビリアの理髪師だった。こんなにおもしろいセビリアの理髪師が観られるなんて感無量だ。特にアルマヴィーヴァの歌がこんなにおもしろい(1幕の3曲目のアリアだと思うのだが、2回目の繰り返しでとんでもなく装飾しまくって歌って、これまで退屈で気づかなかったのかも知れないが、こんなにおもしろい歌だったのかと大発見とか)とは気づきもしなかった。
本当に良いものを観られたなぁ。
以前は気付いたのか、単に忘れただけかわからないが、結婚してロジーナに渡すつもりだった花束をドンバルトロが怒って放り投げるとベルタがキャッチするというフィガロに続く演出(もっともベルタは捨ててしまうのだが)も悪くない。
お話としては、最後、アルマヴィーヴァが水戸黄門の印籠よろしく身分証明書を取り出すところは、ドンバルトロの腐れっぷりにうんざりしているので溜飲が下がるのだが、反世襲貴族制主義者としては不快になるのでアンビバレンツが楽しめるのも良い。しかも、この後フィガロの結婚になってアルマヴィーヴァの不誠実さは爆発するわけだが(その一方で、フィガロに素直にしたがったり平民のロジーナと平然と結婚したりする平等主義者の側面は、騙された格好であっても初夜権を放棄したりして健在)、一方、有名なオペラにはなっていない不義の子ではロジーナがケルビーノとできてしまうという未来を知っているだけに複雑なハッピーエンドだ。
大江戸Ruby会議に参加するために浅草。
会場の雷5656会館は常盤堂雷おこし本舗という雷おこし屋さんが営業しているだけに、2階のお土産屋さんの一角に調理台などを並べて雷おこしの製造体験ができる。
雷おこしは作ったことがないので興味津々で、katsyoshiさんがやってみるというのであともう一人名前失念失礼した人と3人でやってみた。
最初にDVDを見る。
当主の久米吉さんが自分で説明する。これがめっぽうおもしろい。600年代からの浅草の歴史を交えながら現在の雷門、本当の名前は風神雷神門は実に5代目で、その脇に店を構える常盤堂雷おこし本舗は4代目の門のときの創業と始まる。最後は、おれさまを超える雷おこしを作ってみろ! と挑戦的に終わる。
で、説明員の人が作り方を説明してくれる。
最初、水飴が入った平鍋を卓上クッキングヒーターに置いた状態で始める。
砂糖さじ山盛りと、マーガリンを親指の爪サイズ(増減は適当にやってよし)を水飴に混ぜてから200度に設定する。
沸騰するまでよくかき混ぜる。かき混ぜる間のは約3分、雑談が入る。扱う品が米だけに当主の名前が久米吉なのですねとか言ったら、代々跡取りの名前は当主が決める決まりで、現在専務の跡取りは雷太で、孫が生まれたら雷人になるはずとか教えてくれた。米から雷か。そういえば雷といえば稲妻で、季節的にはまさに稲の妻だから、いずれにしても米関係だった。
次に180度に下げてピーナッツをさじ山盛り一杯半入れてかき混ぜる。水飴が煮詰まって白くなってきたら160度に下げておこしの元(うるち米を小麦で包んで炒ったやつで、ここの製法は秘伝だそうだ。多少強くざくざくかき混ぜても潰れないのが秘伝たる由縁らしい)をだばだば入れて水飴をからめる。水飴の水分が飛んでしゃもじから糸が3~5本引く状態(3本は安全だがすこし香りが弱く、5本はあと少しで焦げ始める絶妙のタイミングに近い、らしい)になったら火を止めて型に押し込める。なかなかうまく流せずにもたもたしていると固まってしまって後工程が進まないので手早くやる必要がある。
結構もったいないので、あとでしゃもじからつまんで食べることにして、型の上から金属製ののしで平に伸ばす。伸びたところで一回り大きな型へ移し替える(上に次の型を被せてひっくり返す)。
次に、マス目上に金属の刃を組んだマスを使って左右にゆさぶりながら切れ目を入れる。90度回してまた切る。
次にパッドというかお盆というかを上にかぶせてひっくり返す。この時点でほぼ冷めているので、手で切れ目にそって適当なサイズにパキパキ折って、金属缶の中のポリエチレン袋に詰めていく(香りが良いのでこの時点でつまみ食いするわけだが、これはおいしいものだ。冷めた雷おこしも数秒電子レンジで温めると水飴が適度に温まってこの風味を味わえるらしいが、時間が長すぎると台無しになるのでお勧めしない、だったかな?)。缶の蓋をしてまわりをテープで止めてできあがり。
お値段2400円で、蓋に雷神の打ち出しがある缶と作った雷おこし、お土産に家庭で作るための原料(水飴、ピーナッツ、秘伝状態の米)がつく。なかなかおもしろい体験だった。
というか、別に自分で作ったからではないだろうが、おいしい(焦がすのが怖かったので少しマーガリンを多目に入れたのが効いているのかな?)。
豊洲でパラサイト。
最初バストショットばかりで暑苦しいが、半地下の息子が面接を受けに行くところで、広々とした世界と背の高さが強調される。テレビドラマのトーキングヘッズではなく、映画の技法としてのバストショットだったのか。
天井の高さ。
孤軍奮闘する若くて単純な奥さん。
青空の下で寝転がって読書。
半地下の住民を象徴するテーブルの下と匍匐前進。そこは時計回り。
驚くほど長く続く下降。坂道、階段、また坂道、行き止まり。
北朝鮮ギャグは最高に可笑しい。相手にされないモールス信号と気付かれるモールス信号。
これでおしまいかと考えている間に次の展開。
おもしろかった。
かって日本では(韓国は知らん)、貧乏人の子供が一所懸命勉強して国立大学に入る。優秀な若者として、金持ちの大して賢くない娘の家庭教師に雇われる。男はかくして金持ちの家を貰い、金持ちは官僚の息子を持つ。もう成金とは言わせない。というようなことを妻と話し合ったり。
ジェズイットを見習え |