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本棚に本を詰め込んでいたらカヴァレリア・ルスティカーナが出てきた。買ったことすら忘れていたし、どうも最初のカヴァレリア・ルスティカーナのみを読んだだけのようだ。
カヴァレリーア・ルスティカーナ―他11篇 (岩波文庫)(G.ヴェルガ)
(カヴァレリーア表記だけどな)
で、なんとなく読み始めて、とてつもなく嫌な気分になる。
江戸時代の東北地方の農民のほうが、19世紀シチリアの農民や羊飼いや炭鉱夫よりも、よっぽどハッピーじゃないかというくらいに、獣(というキーワードが頻出する)にきわめて近い位置で生活する人々がこれでもかこれでもかと不幸になり、病死し、殺され、死ぬ。
表題作のカヴァレリーア・ルスティカーナは望みどおりの生をある程度まで生きる話だから最後に刺し殺されても、まだハッピーだ。
しかし恋人を事故で失い、子供を飢え死にさせざるを得ない農婦を描いたネッダとか、身分違いの幼馴染(主人公は羊飼い、女の子は農園管理人の娘)と結婚するまで、事故で子馬を死なせたために失職したり豚飼いになりそこねたり、結局は羊飼いとしてそこそこ金を稼げるようになった、人間的にえらく好感がもてる羊飼いイェーリが、最後に「失う」ということの意味を理解し、幼馴染の大地主の息子の喉を鋏で掻き切るまでの人生行路とか、あるいは地中の奥深くへ足跡も残さずに消えていく獣のような少年の話とか、どこまでいっても何も救いがない。
おれが特に気に入ったのは、人殺しの醜い泥棒に想像で恋をし、まともな恋人を振り切って山の中で泥棒と一緒に逃げまくり、当然、泥棒は警官に捕まり、もちろん本人も捕まり、泥棒と同じくらいに醜くなり、獄中で子供を生み、家では父母とも死に、故郷の人々からは追い出され、刑務所の近くでぼーっと暮らしながら子供をいじめる近所の子供を罵る人生を生きるマリア(の愛称形の名前、失念)を描いた作品だが、もう、どうにもしようがない話である。
しかも、どの話もどの話もマラリア(訳注によると蚊が媒介するマラリアとは違うらしいので、どうもシリチアの風土病らしい)にすぐかかって両親や子供や本人や友人や恋人が死ぬし、食い物は生の玉ネギを齧れれば良いほどで、たいてい、何も食べるものがなくて死ぬ。恋人がいれば必ず裏切られ、財産があれば必ず失い(小地主ですら、エトナ山が噴火して流れ出す溶岩でブドウ畑や牧場や麦畑を燃やし尽くして没落して死に、小作人頭であれば凶作で請負契約を破棄されて失業して飢え死にする)、でも大地主は、貴族だし、エトナ山に多少農園を食われてもびくともしないだけの土地があるし、常に勝利する(イェーリに首を掻き切られた紳士は別)。階級制って素晴らしい。副王家の一族ですな。
で、訳者が、ヴェルガの本質を骨抜きにする虫歯の元になるメロディーと言わんばかりの非難の矢を向けるマスカーニの素晴らしい音楽を聴いて、心を洗う必要が出てくるのであった。
とりあえず、トークセッションで取り上げられた本の中でogijunお勧めのObjective-Cの本を買った。
とにかく、動的にやろうとがんばりまくる本らしい。
それから、やたらと売れている点に興味を持ったので、パズル本も買ってみた。みたけどおれに解けるのか? という疑問はある。
プログラマのための論理パズル 難題を突破する論理思考トレーニング(Dennis E. Shasha)
そしたらogijunが吐き捨てるように「ようするにみんなグーグルに入りたいんだよ」と言うので、なるほど、そういう文脈で売れているのかも(著者は大学の先生でグーグルに採用される学生を輩出しているそうで、その先生が学生にやらせている問題が元になっているらしい)。
関越に入る前にガソリンを入れようとして、リッター119円の店に入ったら、セルフじゃなくてちょっとびっくり。
安いところで116円(甲州街道のような激戦地)、まあ120円もありだな、というのはセルフの話で、店員が出てくるところはたいがい128円とかだ。
ところが、119円なのに店員が出てきたから、それは驚く。(目白通りは甲州街道より高めだが、119円といえばセルフの店と変わらない)
で、せっかく人間が出てきたので、タイアの空気圧を見てくれと言ったら、一本あたり50円いただくけどよろしいか? と訊かれた。もちろんよろしい、と応えたが、計算すると200円で、結局30リットルほど入れたから、実質1リットルあたりの価格に7円弱上乗せで、有人ガソリンスタンドとしては、それほど高いわけではない、つまり結局安い。
なるほど、細かなサービスを有償化して、ガソリンそのものはセルフ並みの価格で勝負という方法なのか、とそれなりに感心した。
突然思い出したが
「PHP good partsみたいな本が欲しいなぁ」
「あ、それだったらオレにも書けるから」
「ええ?」
「『そんなものは無い。』――ほら書けた。」
「で、でも、PHP good codeなら……」
「あ、それも簡単。『そんなものは無い。』」
実際のところPHPは知らないので、その本が当を得ているかはわからない。
JavaScript: The Good Parts ―「良いパーツ」によるベストプラクティス(Douglas Crockford)
翔泳社の野村さんからEffective C#とMoreを頂いたのだが、年末はばたばただったので読めず、やっとEffective C#のほうに目を通せた。
まあ、Effectiveとアディソンがタイトルに付ければ、出版社としてはブランドを守るためにもきちんとしたものを作るはずなので、読んで損することはあり得ない。で、当然のように、Effective C#も良い本だ。翻訳も良いと思う(のだが、翻訳の良し悪しの受け止め方は、読み手によってどえらく違うので困るものだが)。というか、スコットメイヤーもレビューに参加したと序文に書いてあるし。
constではなくreadonlyを使えとかnewメソッドを避けるとか、言い切り命令型の項で構成しているので、旗色鮮明、わかりやすい。
ただ、キャスト時にはisあるいはas演算子を使え、という項はあまり感心しない。どうもリストを読んでもいんちき比較に見える(おそらく、インターフェイスに対する考え方の違いに原因がありそうだ。また、ジェネリックが利用できるようになった2.0以降であればそもそもキャストが必要なコードは圧倒的に減るからどうでも良いことのような気もしてきた)。
原書はC# 1.0ベースで、2.0の予告編を元に少しジェネリックとかに触れた程度となっていて、それは本書でも変わらない。ただし訳注で変えたほうが良さそうな点は補っているので、困ることはないと思う。たとえば、本文でXMLシリアライザを勧めているところに対して、NFX2.0以降ならSettingBaseを使え、といったことだ。
というわけで、C#のベストプラクティスを手っ取り早く詰め込むには良い本です。
あと、「はじめに」で、リストは意図をコードで示すためのものだからコピペしてもコンパイルは通らないとわざわざ書いてあるのを読むのは初めてな気がした。そこまで書いておく必要があるのかなぁ。
何を今さらDHTMLコントロールを作るためにいろいろ試しているのだが、うまくできてるなぁと思う。
開発環境の問題でIHTMLDocument3が使えないとわかった時はびびったが、そこはスクリプトで補えるしどうにでもなる。
IEはつくづくおもしろい。追記:HRESULT OnError([in]IDispatch*)はIEに食われるらしく、呼び出されない。しょうがないのでOnFailureに名前を変えた。
エラーを通知するためのイベントを実装したいとする。
<object id="axc" classid="..." codebase="/..."></object>
に対して
document.getElementById('axc').onfailure = function(code) { alert(code); };
と呼べるようにするということだ。
IDLには以下のように定義する。
[propput]HRESULT OnFailure([in]IDispatch* pdisp);
コードは以下のようにする。
CComPtr<IDispatch> m_Failure; HRESULT put_OnFailure(IDispatch* pdisp) { if (!pdisp) return E_POINTER; return pdisp->QueryInterface(IID_IDispatch, &m_Failure); }
(COMでは大文字小文字は無視されるので、IDLには慣習に従って大文字開始のキャメルケース、JavaScriptでは小文字で書いている)
イベントは以下のように通知する。
VARIANTARG vec; VariantInit(&vec); vec.vt = VT_I4; vec.intVal = m_errorCode; DISPPARAM disp = { 1, 0, &vec, NULL }; VARIANT vResult; VariantInit(&vResult); try { if (pdisp->Invoke(DISPID_VALUE, IID_NULL, LOCALE_SYSTEM_DEFAULT, DISPATCH_METHOD, &disp, &vResult, NULL, NULL) == S_OK) { ... } } catch (...) { } VariantClear(&vResult);
DISPIDにはDISPID_VALUEを指定する。
中国の歴史は、もしかしたら歴史というものがそういうものかも知れないが、ひたすら同工異曲で、ただ名前が変わるだけという趣がある。
で、この本がそれそのものだ。
西遊記はけっこう面白いので、たぶん、神保町のゾッキ本屋の店頭に四遊記が全巻そろっていたので買って忘れてそれっきりだったのが出てきたので、読んでみるかと読み始めて半分ほど読んだが、もううんざりで、とっておいてもしょうがないので捨ててしまうわけだが、それを記録しておく。
話の筋はそれなりにおもしろそうではある。
すべての世界を通して一番偉い天帝が、ある日、退屈してしまい、西のほうへ遊びに行って、釈迦のところで勉強しようかと言い出す。
いや、それは困ると止める部下たち。
なぜだ? もう3000年も世の中を司ってきたのだから、ちょっとくらい遊学しても悪いこたないだろ、と天帝。
いやいや、上には上があります、と執事の神。わたしなんて、気まぐれで暴虐的で、突然休みたいとか言い出すわがままな天帝の執事を、髪の毛一寸ほどの休みもなく勤めております。それに比べれば、なんと気楽な稼業でございますことか。
そうは言っても、おれは仕事ばっかりで疲れているんだ。勉強して困ることはあるまいと怒る天帝。
いや、釈迦のところで勉強するってことは、7回生まれ変わって善行を積むことです。7回も生まれ変わるなんていう悠長なことを天帝たるもの、すべきではありません。
うーむ、しょうがないのを。
と天帝はあきらめる。そしてしょうがないので下界を覗き見していると、めっぽうきれいな竹林を発見。
あの、きれいな竹林はなんぞや? たれぞ知るものはおらんか?
あれは、七菩薩を宿した竹でございます。
ぼ、菩薩とな。うーむ、欲しい欲しい。
あまりの欲しさについ天帝の魂は3つに分離した。1つは元の天帝として、もう1つは下界で竹林を得るために竹林の持ち主の妻の身体に入り込み、その家の息子として生まれ落ち、最後の1つは天帝の物置の壷の中に予備として大切に保管された。
さて、いきなり子を授かった竹林の持ち主の家では……
と、あれよあれよと話は進む。
と、まとめて書くとそれなりにおもしろそうだが、これがこれっぽっちもおもしろくない。
淡々と歴史を語るがごとく語られているからだ。
で、この息子、長じて没して生まれ変わって長じて没してを延々と繰り返したあげく北守将軍として天界に生まれ、留守の間に地上に散った36神将(と天界では立派な存在だが地上では人を食っては暴れまわる化け物である――が、関羽の青龍刀の変化とか、雷の鞭を振り回す黒虎だとか、お馴染みの連中が出てくる点だけはおもしろい)を片っ端から退治しては部下にしていくのだが、その繰り返したるや12匹くらいを退治したところで、読者たるおれの堪忍袋の緒が切れた。
これが3000年続いたら、それは仏弟子にもなりたくなろうというものだ。
まるでウルトラマンの各話を5ページにまとめた小説を延々と読まされているようなものだ。怪獣出現、カトクタイ出動、井出隊員あやうし、ハヤタ変身、一度は負け戦、出直してスペシウム光線、シュワッチ。の繰り返しである。
というわけで一番おもしろいのは、巻末に出ている本書の広告文で、「読んで待ってる中国の人々」というもの(出版社が旅行代理店もやっているらしく中国ツアーの前に本書を読めと書いてあり、それに対するアオリが囲みで入っている)。
いや、彼らは絶対に読んでいない、とおれは思う。
上野で上野水香とサラファーノフのラ?シルフィード。
このバレエを観るのは2回目なのだが、前回は分からなかったジェームズの難しさと、それをぴょんぴょんこなしていくサラファーノフの軽快さに感嘆する。オーケストラも立派なもので、ちょっと怪しくなったりもしたがこんなものだろう。上野水香はこないだのジゼルに引き続きふわふわしていて、それはやはりうまいのだろうが、なんか別にたくさんのふわふわ系の一人になってしまったのだろうかという感じがする。
つまり、音楽がつまらな過ぎてうんざりだ。
ガスレンジを変えたら、これまでおれが培ってきたガスレンジの常識と違い過ぎる。たぶん、それは良いことなのだろうが、どうにも違和感がある。
早い話、安全側に倒してあるということなのだが、お湯を沸かして沸騰したら止まる、中華なべをコンロから浮かせてかき混ぜていれば止まる、ガンガン強火で煮詰まらせようと(というか、アルコールを飛ばそうとしたりとか)していても勝手に弱火に変わってしまうとか。っていうか、まさにそういうことをしたいがために、IHコンロではなく、ガスコンロを選んだのだ。これではガスにした意味が、炎を眺めて原始の感覚を揺すぶるだけの意味しかないではないか。
もっとも、どえらく便利になっている点もあって、トロ火で5分なんていうのは、タイマーを設定すれば勝手にそうやってくれるから、今まで使っていたキッチンタイマーがほとんど不要になったり。というか、ガスコンロにタイマーがつくとはねぇ。なんでも組み合わせれば良いというわけではないにしても、これは確かに便利だ。
で、いろいろマニュアルを調べて、3つあるコンロのうち最左端のものは、安全装置を外す機能(外せるということが機能なのだよ)があることがわかり、まあ、そういう作業をするときは最左端のコンロを使うことにして落ち着くわけだが、
はたと気づく。
ガスコンロですら、UIのアーキテクチャを持つということだ。ってことは、当然のようにUIアーキテクトが居て、法務部門からのチェック(耐火安全とかなんとか)やら営業からのチェック(機能がなければ競争に勝てず、かといって機能を付ければコストが増す)、マーケティング部門からの注文、デザイン部門との調整とか、実装部門との調整とかに頭を悩ませているのだろう。
セキュリティとユーザビリティのトレードオフなんて、まるでどこかの業界の話のようだ。世界は狭く、そして広い。
東京ガスは、そういえばお料理教室とかもやっているから、そこからエンドユーザのユーザビリティチェックとかもするのかな(調理器具に開発中のやつを混ぜてみたりとか)?
ドアノブで首を吊るというネタを目にすると、二つの文学作品を思い浮かべる。
1つは安部公房の闖入者だ。
平和に平凡に暮らすぼくの家に突然大家族がやってくる。ぼくはすべてを奪われ、最後に唯一居ることを許された屋根裏部屋で首をくくる。天井と床の間が1メートルとないので、膝を屈して。
もう1つはドストエフスキーの悪霊で、全てを統べる能力を持つがゆえに、何事もできず、スタヴローギンは最後に首をくくる。膝を屈しているため、祈っているかのように(アナキンスカイウォーカーのジェダイ第一期の最期にも投影があるように思う)。
自ら死ぬにあたって、わざわざ膝を屈するというのは、何かただ事ならぬ理由があるのだ。
安部公房がとてつもないのは、その理由を天井の物理的高さに矮小化してみせたことだ。故に激しく読者の胸をうつ。
一度目は悲劇でも二度目は喜劇だ。
そのため、身長という物理的特性にネタ化してみせられてもそれを言う口の愚かしさのみが目立つ。
ジャックロジェのアデューフィリピーヌを観にユーロスペース。
ヌーヴェル・ヴァーグ セレクション (パリところどこ/アデュー・フィリピーヌ) [DVD](ジョアンナ・シムカス)
映画評論家の仕事は呪われた作家を探すことなので、30年前にはジャックリヴェットのことを散々呪われた呪われたと呪文を唱えていたし、15年前にはジャン・ユスターシュのことを呪われた呪われたと呪文を唱え、そして今はジャックロジェのことを呪われた呪われたと呪文を唱える。
それにしても、遥か以前に夜想のヌーヴェルヴァーグ特集に船に乗った男女のスチル写真だけで見ることができたアデューフィリピーヌを、ちゃんと映画館で観られるというのは良いことだ。
最初にクレジット。1960年で、それはアルジェリア紛争の6年目のことだということが示される。
いきなりテレビの撮影風景が始まる。マキシムソーリというラッパ吹きのジャズ楽団の録画らしい。ADがカメラマンに頼まれてマイクの替えを取りに行かされる。ADは薄い口ひげを生やした若者(というか、ADなんだからそりゃ若い)、名前はミシェル。収録室の出口で仲間の尻を蹴飛ばして、じゃれあう。こういうどうでも良いシーンが、でも映画だ。
スタジオの入り口で頭の弱そうな女の子が4人、中をのぞいている。いつの時代でもそうだったらしい。で、マイクを取って来た帰り道、相変わらずそこにいる女の子をナンパする。テレビに興味があるのかい? 撮影風景を見る? 誰がでてるの。マキシムだ。マキシムって? ソーリだ。2人が引っかかり、2人は待ち合わせだからと断る。リリアーヌとジュリエットを連れてスタジオに戻る。
で、最初は3人でデート。
次は仲間5人で中古のルノーを買いに行くシーン。進む、戻る、音楽、の繰り返しというかやり直し。途中で髭のアラブ人(デデ)を見つける。彼はアルジェリアから帰って来たところだ。車に乗せて家へ連れて帰る。ほかの連中より余分に金を出したからだ。
家では4人が飯を食っている。たぶん、父、母、義兄、姉だと思う。ミシェルは遅いわね。先に食ってりゃ、匂いを嗅ぎ付けて飛んでくるだろう。で、食べ始める。爆音と共に車が家の前に止まる。ほらいったとおりだ。
テレビ局は将来性がある職場だ。といった会話。そして、デデ、君の車かね? で始まる車を巡る大喧嘩。
リリアーヌとジュリエットの箒(あるいはワックス材)のCM。撮り直しに次ぐ撮り直し。ラッシュ。
(後になって、アデューフィリピーヌのプロデューサがアデューフィリピーヌの試写を観てラッシュだと思ったとか、撮り直しに次ぐ撮り直しでうんざりさせられたとか知り、まあ、いろいろ含みがありそうな)
一方、ミシェルは最初ジュリエットに電話し、出ないので、次にリリアーヌに電話する。リリアーヌの母親とリリアーヌのベッドの上での会話。
最初に映画のポスターが映り、次に電話を取る社長。しかしカメラが引くと実にせせこましいアパルトマンの一室がオフィスだということがわかる。
で、そのCM会社の社長兼プロデューサに持ちかけられて冷蔵庫のCMを作成することになる。北極でも冷蔵庫は必要! (だが、ペンギンが置いてある) 社長は、冷蔵庫会社の社長のネクタイが気になり、撮り直しを何度もさせる。
靴会社の副社長とジュリエット、ミシェルとリリアーヌのダブルデート。副社長はチャチャチャは踊れないが、チャールストンはやたらとうまい。
トイレでジュリエットとリリアーヌの陰謀、席で和やかにしかし沈黙のまま煙草を吸う副社長とミシェル。去る副社長。徴兵を逃れるための算段があったらしいことが仄めかされるが良くわからない。
プロデューサの居留守、逃走。
ミシェルは2ヶ月後に徴兵されることがわかっている。
テレビ局をクビになる。時代劇を撮影中のカメラの前を横切ったからだ。この横切り方が見事だ。当時のテレビの収録は一発勝負だったのかな。おそらくそうだ。ビデオテープはまだ無いし、フィルムを使ったらテレビではない。
ミシェルはコルシカへ行く。おれも乗るぜ、と最初のスタジオのシーンで尻を蹴られた相棒。
かくして、舞台はパリからコルシカへ。
マルセイユからの一群を乗せたバスが到着する。そこにはジュリエットとリリアーヌがいる。
そこで、プロデューサを追っかける冒険が始まる。
石ころだらけの海岸で野宿する。ミシェルはテントに入らず外で寝ている。そこにジュリエットが来る。
朝、泣いているリリアーヌ。
ラジエータが空になって車が止まる。リリアーヌは残る。
突如、船が壊れた陽気なイタリア人登場。スイムスーツをリリアーヌに手伝ってもらって脱ぐ。
4人で出発する。僕は去らないよというような唄を朗々と歌い続けるイタリア人。去っちまえ、と呟くミシェル。
エンジンが止まったようだ、みんな押してくれ。
リリアーヌも大笑いして、3人のペースが戻る。
ジュリエットとミシェルはプロデューサを探しに出る。リリアーヌのところに船で戻ってくるミシェル。
コテージ(キャンプ場?)でのダンスのシーン。延々と。
局留めの手紙を読むと、4日後に召集とある。すぐにコルシカを離れる必要があり、近場の港へ進む。どっちを取るの? 簡単だ。僕を待っていたほうだ。まじめな話なのよ。
船を追っかけてきて手を振る2人。船は遠くから取っているのでミシェルの態度はわからない。おしまい。
どのシーンを取ってもまぎれもなく映画以外のなにものでもない表現。リソースはかすだがリプレゼンテーションは最高。これまで観た中で3番目くらいに好きな映画の登場だ。
二人でミシェルのことを歩きながら話す。音楽がかぶっている。横からずーっと撮る。電話ボックスに入ったところで、環境音。
Ruby-1.8.7-p249ベースのActiveScriptRubyをリリースします。ダウンロード
関係各位に感謝します。
なお、1週間程度をめどにinfoseekの配布サイトへもコピーする予定です。パッケージの不備等ありましたら、教えていただければ幸いです。
去年の末からわりと夜空を眺めることが多い。アラス。オリオン座と大三角(星座じゃないし)しかわからないよ。シリウスは漢字で書けば天狼星、でも三角の一部だったっけ? というか大か小かも曖昧だし。
と、まったくわからなくなっている自分を発見する。
子供が星座早見表を持ってたな、と借りに行くと捨てちゃったみたいとか言うし。
腕時計はデザインで南天を買ったから役立たずだし。
何か買おうかなぁと考え始めたところ、星座を見つけようという本の評価が高いのを知る。
というわけで、これを買おうかなぁと考え中。と迷うほどの値段じゃないなぁ。
住所表記について調べていたのだが、自治体によってえらく情報の出し方が異なることにびっくりした。
具体的には、地番表記から番地・号にる街区方式へ移行した場合の情報の出し方だ。
今のところ、文句なしに素晴らしいのは町田市だ。2005年から公開データは地番と番地・号を併記した地図のPDFと、地番と番地・号の対照表のPDF(テキストベースなのでコピペはできる。リードオンリーのファイルとしては適切な落としどころだと思う)を両方提供している。
例)相原小山土地区画整理事業の換地処分に伴い、小山ヶ丘一〜六丁目を新設しました。
同様なデータを提供している自治体に、茨城の牛久市がある(ひたち野地区(牛久北部地区)地番変更)。
電子データを提供するというのは、こういうことだ。
それに比べると、横浜市(港北区かも)はちょっと情けない。
港北区太尾町の大倉山1〜7丁目化だが、公開しているのは地図だけだ。つまり町田市や牛久市と異なり表の提供がない。
ただし、使っているテクノロジーは徐々に進化しているのはわかる。
平成19年度住居表示実施地区(手書きのような地図のPDF)
平成20年度住居表示実施地区(結構見やすくなった)
平成21年度住居表示実施地区(ベクトルグラフィックっていうのか、どれだけ拡大してもきれいに表示。市民のための電子ファイルも充実。でも、対照表はない)
しかし、それでも横浜市(港北区?)はまだよい。表と異なり再利用は難しいけどそれでも精度が高い電子ファイルを提供しているからだ。
一方、藤沢市はなんだかよくわからない(住居表示実施区域で実施済み地域が閲覧できるのだが平成18年(ということは2006年だと思う。町田市は既にPDFによる情報配布を行っていることになる)に渡内4丁目としたということ以外に何も情報がない)。村岡地区については情報をきちんと出して欲しいところだ。
というわけで、大和市が下鶴間地区の住居表示変更で、どのような情報を公開するか、注目しているのであった(大和市は、「これまでの経緯」のように情報公開に積極的な印象を受けるだけに、時期からも町田や牛久のようにしてくれるのではないかと期待している)。
追記:川崎市も横浜市同様に地図のPDFのみを提供。
>configure --with-winsock2 --enable-tcltk-stubs NMAKE : fatal error U1065: オプション '-' は無効です。 Stop.
--- configure.bat~ Fri Jan 25 10:40:46 2008 +++ configure.bat Sat Jan 30 08:17:54 2010 @@ -8,6 +8,7 @@ echo>> ~tmp~.mak $(conf:\=/): nul echo>> ~tmp~.mak @del ~tmp~.mak echo>> ~tmp~.mak @-$(MAKE) -l$(MAKEFLAGS) -f $(@D)/setup.mak \ +set CONFIGURE_ARGS= :loop if "%1" == "" goto :end if "%1" == "--prefix" goto :prefix @@ -26,7 +27,7 @@ if "%1" == "--extout" goto :extout if "%1" == "-h" goto :help if "%1" == "--help" goto :help - echo>> ~tmp~.mak "%1" \ + set CONFIGURE_ARGS=%1 %CONFIGURE_ARGS% shift goto :loop :srcdir @@ -95,6 +96,7 @@ del ~tmp~.mak goto :exit :end +echo>> ~tmp~.mak "CONFIGURE_ARGS=%CONFIGURE_ARGS%" \ echo>> ~tmp~.mak WIN32DIR=$(@D) nmake -alf ~tmp~.mak :exitで、
--- setup.mak~ Fri Jun 06 21:19:21 2008 +++ setup.mak Sat Jan 30 08:36:12 2010 @@ -24,6 +24,7 @@ CPU = PROCESSOR_LEVEL CC = cl -nologo CPP = $(CC) -EP +CONFIGARG = configure_args all: -prologue- -generic- -epilogue- i386-$(OS): -prologue- -i386- -epilogue- @@ -138,6 +139,7 @@ << -generic-: nul + @echo $(CONFIGARG) = $(CONFIGURE_ARGS)>>$(MAKEFILE) !if defined($(ARCH)) || defined($(CPU)) @type << >>$(MAKEFILE) !if defined($(ARCH))
_ ムムリク [ありがとうございました。無事に動作しています。]
子供がパイレーツオブカリビアンの3作目をビデオで観ているのを横で見ていて、「のように考える」っていうやつに気が引かれた。
パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド(期間限定) [DVD](ジョニー・デップ)
ウィルという若者は、うまく目印を後ろから来る海賊達に示すためにジャックスパロウのように考える。ジャックスパロウは牢獄から脱出するためにウィルのように考える。
町田市ではなく、横浜市のような情報に出会ったら、どうするだろうか。
まず、IBMのように考えてみる。IBMの子会社は11桁住所コードの変換システムを提供している。ということは、彼らはどうにかして情報のデジタル化を行っているに違いない。
横浜市の情報がデジタル化という意味で使えないと考えるのはおれだからだ。もしおれがIBMならば、学生アルバイトを一人雇って1日地図から表へ打ち込ませれば1分に1件は終わらせられるだろうと考えるかも知れない。であれば、1日1万円のアルバイトを3人雇って手分けしてやらせれば3日もあれば十分だろう。3万円×3+求人広告費だ。安いものだ。
なんだ、簡単にデジタル化できるじゃないか。
もし、おれがグーグルならば、赤い数字と黒い数字のペアを赤い枠内から拾いだし、赤丸の中の数字に紐付けていけば良い。
なんだ、簡単にデジタル化できるじゃないか。
問題は、おれはIBMではないということだ。したがって、前者はソリューションにならない。しかし、後者だったらどうだろうか? 必ずしも不可能というわけではない。条件をゆるくできるようにある程度は人間が補助してやればどうにかなりそうだ。そりゃ良い考えだ。
というようなことを考えると、グレッグ・ナイバーグがナイスなアドバイスをくれるだろう。
「よいアイデア」のどこがやっかいかというと、それらが「よい」ところです。「悪い」アイデアなら、出てきたとたんにはねつけることができます。
したがって、君子は火中に栗を拾うことはしないのであった。
ところで、この本がおもしろいのは、クリエイティブ・コモンズ表示3だという点だ。だが、まるまる使うのではなく、警句として引用したりすることが多そうだし、もちろん引用するにはCCである必要はない。
それよりもおもしろいうのは、つまるところ、世の中にはたくさんの人間がいて、それぞれが一家言を持ち、それらは互いに矛盾することもあればそうでないこともあり、役に立つかも知れないが役に立たない(どころか間違った方向へ決断させたりする)かも知れない、ということが再確認できるところかも知れない。
地下鉄のように、接続が断続的にしかできないものに乗っているときにはネットワークデバイスの代わりに読むのには良いかも知れない。とりあえずはおもしろいし。
ジェズイットを見習え |
Before...
_ ksk [すみません、私も詳しいわけではないのです。 allaboutの記事を読んで規制により選択肢が狭まるのはいやだなと思っ..]
_ arton [うーん、http://www.tge.co.jp/product/renge/rosieres_info_09121..]
_ arton [ロディエじゃなくてロジェール。]