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燃える平原がおもしろかったので、フアン・ルルフォのペドロ・パラモも買って1年半放置していたみたいだが読んだ。220ページ程度の薄い本だが3日間くらいかかった。
物語は大地主のペドロ・パラモと3人の息子、神父、雑貨屋、ペドロが愛した女性たち、ペドロの番頭、弁護士などの視点でばらばらに語られ、特に私は~で名乗ってから語り始めるわけではないので言及された人物や事象から、それがいつの誰のエピソードかを想像しながら読み続ける必要があり、しかし人名がドロレス、ドロリータ、ダミアナ、ドニスみたいな馴染みが無くてしかも良く似た音節でたくさん出てくるのでところどころ自分が今どこにいるのか見失ったり、それが誰だったか(突然断片が挿入されるので初出の場合も多い)わからなくなって読み返したりするため時間がかかる。
本で読んで良かった。これKindle(のページめくりや検索速度)だったら読めなかっただろう。
それでも最初は母親が死んだので見たこともない父親のペドロ・パラモから財産か何かをもらおうと旅立つところから始まるので普通に読み始められる。というか、そういう構成だとは知らずに読み始めたので普通に読み始めた。
それが無人の村としか思えないところで出会った老婆と会話しているうちに母親が先日老婆と会話したことになり、老婆そのものが死者なのかな? と考え始めたところで、ペドロ・パラモが子供時代にトイレに籠っている描写にいきなりジャンプ(この子供がペドロ・パラモだと判明するのはすごく後のほうで、それはスサナというペドロが最も愛した女性の名前からなのだが、そんなことはその時点では全くわからないまま、主人公の回想なのか? と誤解したまま読み進めているうちに、この作品は、愛と性と死の三位一体なのだとわかってくる。なので時間はどうでも良いのであった。
そうとわかれば読み方を変えるのだが、そうする必要もなく、無惨極まりないペドロ・パラモの生涯が語られる。視点は多いがほとんど起伏がないのが驚くところだった。おもしろかったが、燃える平原の鋭利さのほうが好みだ。
それにしても暑苦しい地方で汗でぬるぬるしながら、周りの牧場主たちを殺したり罠にはめたりしながら、支配者となった(しかし諸事情から金はほとんどない)ペドロ・パラモが最後、遠くを眺めながら椅子に腰かけている風景が印象に残る。
1950年代に書かれた小説としてはちょっと驚くほど前衛だが、メキシコのわけのわからなさをまた1つ学んだ。作家は本作を最後に筆を絶ったらしい。
不思議なのはメキシコにまつわる作品は、どうしてこうも生者と死者の境界が曖昧なのだろうか。そういう不可思議な感覚はどこから生まれたのだろう。なんとなくだが子供の世界観っぽい。
最初に出会ったのは小学生のころに読んだブラッドベリの死者の日のパイの話で、その時はなんだかよくわからなかったが、その後にブニュエルやエイゼンシュテイン(いずれも外部から来たところが興味深い)の幾つかの作品で妙な感覚を味わって(特にブニュエルの昇天峠は無茶苦茶だ)、どうもそれが一般的な理解だと気づいたのは、先日録画で途中まで観たリメンバーミーだ。死者の日(お盆と同じで死者が生者の世界に戻って来る)に死者の国に迷い込んで死んだ家族と和解する(のかどうか最後を観てないのでわからんけど)話だが、完全に生者と死者が地続きで、なるほどメキシコのイメージはこれなんだなと得心させられた。
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(なぜか録画に失敗していて後半が無いのだがどうなったのだろうか)
7日から緊急事態宣言が発令されて映画を観るのも見納めと、日比谷TOHOでジム・ジャームッシュのデッド・ドント・ダイを観に行く。
頭の中にはThe Dead Don't Dieとしか無かったために、やたらとスクリーンがある日比谷TOHOの2つに分かれたどちらの劇場か迷いに迷う。良くみたらカタカナだった。世のカタカナ力はすごいな。
チケット発券機で席を選ぼうとしたら半分以上埋まっているので驚いて良く見たら、これが噂の市松模様かと納得して、さあ発券となったら、今度は2枚中1枚を発券中と出てびびる。1枚で十分ですよ。窓口で払い戻しとかできるのかな? それにしても押し間違えた覚えはないのだがとか考えていたら2枚目はクレジット領収書だった。わかりにくいな、おい。
暢気なカントリー調の死人は死なないのテーマに乗ってビル・マーレイとアダム・ドライバーの警官がパトカーに乗って登場。山に暮らすボブが鶏を盗んだと通報があったのだ。ボブはトム・ウェイツなのか。年を取り過ぎていて誰だか最後にクレジットを見るまでわからなかった。わけのわからない町外れに潜むボブってツインピークスじゃないよな?
ビル・マーレイと通報した農場主にはわだかまりがあるらしく、ボブが発砲してきたのでアダム・ドライバーが撃ち返そうとするのを止めて警告だけして山を下りる。
パトカーは町を巡回して署へ戻る。モーテル1軒、ガソリンスタンド1軒、鑑別所1所、葬儀屋1軒、カフェレストラン1軒の小さな町だ。夜の8時30分だが外は明るい。ビル・マーレイが今何時だ? と聞く。アダム・ドライバーがスマホを見ると止まっている。充電してきたのにおかしいな? いずれにしてもサマータイムのせいで時間感覚がむちゃくちゃだ。
カフェでは、トランプ主義のモットーを書いた帽子をかぶった農場主が、カウンターで黒人の雑貨屋と並んで食事をとっている。
コーヒーのテイクアウトするかと聞かれて、黒過ぎるからいらんと吐き捨ててから横の黒人に気づいて、いや、濃過ぎるっていう意味だとブツブツ言って去る。
むちゃくちゃ映画でおもしろい。
カフェの女店主は、給仕と葬儀屋の新しい主人について話す。ゼルダという名前で、給仕がわたしゼルダという名前は好きよ。なぜ? フィッツジェラルドの奥さんの名前じゃない。それ誰? 華麗なるギャツビー素敵だった。何それ? ロバートレッドフォード。首をふる(なんかよくわからないがこの後も教養がない人として描写されまくるではなく、教養のない人としての描写の止めがゼルダだったかも)
ガソリンスタンドにはひ弱なメガネ口髭がいる。トラックが止まりRZA降りて来てSF雑誌か何かを置いて帰る。
警察署にはクロエ・セヴェニーが待っている。警察官は3人いるらしい。奥の部屋には不慮の死を遂げた老婆の死体が横たわっている。安いシャルドネを飲んで死んだらしい。
ラジオからは地軸の歪みと、その原因らしき極地開発について、大統領と開発企業が、極地開発の必要性と無害さについて話している。
そして夜になり、2つの死体が墓から出てくる。イギーポップとサラ・ドライバーだ(これもおれには初見ではわからなかった)。死体は、カフェを襲い、女店主と女給を食い殺し、コーヒーと叫びながらコーヒーを次々と飲んではカップを取り落とし(割れる)、最後はジャグを持って立ち去る。
カフェの前に雑貨店主が立っている。ビル・マーレイが店の中に入り、死体を見て憮然として雑貨店主の隣に立つ。雑貨店主が言う。あれは野獣が何頭かで襲ったのか? ビル・マーレイは違うと思うと答える。
赤い妙に小さな二人乗りの車に乗ってアダム・ドライバーがやって来る。
店の中に入り、死体を見て憮然としてビルマーレイの隣に立つ。アダム・ドライバーが言う。あれは野獣が何頭かで襲ったのか? 雑貨店主がおれもそれを言ったと言う。
プリウスに乗ってクロエ・セヴェニーがやって来る。
店の中に入ろうとするがビルマーレイに止められる。しかし入る。死体を見て憮然としてアダム・ドライバーの隣に立つ。クロエ・セヴェニーが言う。あれは野獣が何頭かで襲ったのか?
クロエ・セヴェニーに群衆(2人だか3人だか)の整理を頼んで、ビルマーレイとアダム・ドライバーがパトカーに乗りパトロールに行くのだったかな?
暢気なカントリー調の死体は死なないが流れる。その曲はなんだ? とビルマーレイ、テーマだ、とアダム・ドライバー。(このメタ会話は、最後に墓地へ向かうシーンでも行われるが、蛇足に感じた)
一体何が起きたのだろうかとビル・マーレイ、ゾンビだとアダム・ドライバー。墓地へ行くと死体が出てきた穴にビル・マーレイが落ちる。
鑑別所には少なくとも5人収容されている。うち、少女2人と仲良しで物知りのジェロニモという名前の少年が主な主役として活躍する。この3人は隠れ家に無事たどり着くことができたかどうかは明かされない。
一方、葬儀屋のスコットランド人だか異邦人だか謎の人扱いされているゼルダが白い道場着で、金の仏像の前で日本刀の素振りをしている。
その後、死化粧している最中に動き出した死体の首を刎ねる。彼女はばんばん日本刀で首を刎ねまくる。最後墓場で帰って行く。彼女のシーンはどれも抜群におもしろい。
ゼルダがアダム・ドライバーの車のキーを受け取るときに、キーホルダーがスターウォーズなのに気づく。スターウォーズね。アダム・ドライバーが、ああそうだ、と答える。
パトカーの中でゾンビに囲まれる。クロエ・セヴェニーは祖母に呼ばれてついに外に出てしまい食べられる。
アダム・ドライバーとビルマーレイは、高倉健と若山富三郎か、アーネストボーグナインとウィリアムホールデンのように、ついにパトカーから出て死地へ赴く。
トム・ウェイツがもっともらしい物質主義批判のセリフを棒読みする。
終わって外に出たらゾンビで町はいっぱいだったが、生きて歩いている人間は少なかった。
・アダム・ドライバーは名優だ。
いつ買ったのか忘れたが、1928年(昭和2年)刊で2009年に復刻された岩波文庫の恐ろしき媒を読了。といっても200ページに満たない戯曲。
書いたのはホセ・エチェガライというまったく知らない人だが、あとがきによるとノーベル文学賞(1904年)も取っているらしい。
久々の旧仮名旧字體で最初の数ページは読むのが苦痛だったが(例えばあとがきを読まずに普通に読み始めてしまったので、登場人物のところに記述された場所の馬徳里に最初マレーシアかいやそんなはずはあり得ないから多分マドリードでスペインのようだと思いつくまでで数10秒のラグが生じる)割とすぐに読み方を思い出して普通の速度で読めるようになった。なんでもやっておくものだ。
登場人物はテオドーラという20歳の妻、ドン・フリアンという40歳のその夫、ドン・セペーロというフリアンの弟、ドニヤ・メルセデスというセペーロの妻、ペピートというセペーロ夫妻の子供(20は越えているようだ)、そしてエルネストという24だか26歳だかの青年で、そのほか證人(この時点では意味わからなかったが要は決闘の立会人なので、それを知らずに読み進めたため、突如として血腥くなって驚いた)と下僕が出てくる。1800年代、近代になっている。
最初(プロローグの幕がある)、エルネストの部屋をフリアンが訪れる。エルネストは戯曲を書いているが、うまく書けずに困っている。フリアンはエルネストの父親の資金援助を受けて大成功して富豪となったため、恩義に報いるためならエルネストには何でも提供してやろうと考えている。少なくとも、冒頭を読んで、フリアンってのは実に良い奴だな、と感心する。
エルネストが困っているのは、書きたい題材は噂話のネットワークという世間様なのだが、戯曲という限られた空間、限られた人数による表現で、どうすれば世間様ネットワークを構築すれば良いのか見当がつかないからだ。
ウェルテル的人物なのでエルネストを観客代表とみなして作劇しているのがわかる。
さて物語が幕を開ける。
冒頭で示された人間関係がテオドーラ、フリアン、エルネスト3人の会話で克明に描写される。エルネストはフリアンの好意(部屋と小遣いと資金援助)に心底感謝している。フリアンは自分がエルネストの父親から受けた恩義に報いるためなら全財産をエルネストに与えても良いくらいの勢いである。その妻(20歳の年の差が具体的に示されるのは2幕だが、エルネストのフリアンのことを父親、テオドーラのことを妹として扱う様子から若いことはわかる)は、そういう律儀な夫のことを愛し尊敬している。とても良い関係である。
エルネストはフリアンの好意に甘え続けることに内心忸怩たるものがあるため、独立についてフリアンに話す。フリアンはエルネストを秘書として雇うことを提案する。意見が一致し、フリアンは別口で来ていた秘書の紹介を断るための手紙を書きに場を離れる。
そこセペーロとメルセデス、ペピートが観劇から帰って来る。そして世間ではフリアンたちが話題になっているということをほのめかす。何のことか見当もつかない2人が戸惑っていると、その戸惑いを見て3人は、噂の正しさを確信する。そもそも2人だけでいることがおかしい。
そこにフリアンが戻って来るので、再び世間の噂をほのめかしながら、エルネストを家から追い出すべきだとセペーロはフリアンに進言する。あまりのばかばかしさにエルネストは家から出ることをフリアンに告げる。
2幕、エルネストが独立して住んでいる家をフリアンとセペーロが訪問する。が、エルネストは留守だ。
フリアンは怒っている。噂のせいで、自分が妻とエルネストを見る目は以前のようにはいかなくったのだ、事実自分は40歳で妻は20歳、エルネストは美青年で24歳でお似合いだ。そんなことがないのはわかっているのだが、それでも疑念を持たされてしまったためにもう元には戻れない。お前が悪い、とセペーロに詰める。セペーロは、おれは兄貴と家名のために噂を紹介しただけでそんなことは考えてもいないという。(言葉の端々で、セペーロはエルネストのことを財産を使う寄生虫のように考えていることが明らかになり、当然、テオドーラとの仲も噂通りだと信じていることがわかる。そして家名と財産と同様に兄の名誉も大事に考えていることもわかる)。
そこにペピートが入って来る。エルネストが、噂話を耳にしてその噂を口にした子爵を殴ったために決闘の約束をしたと告げる。
フリアンはそれは自分の役目なのだと宣言してセペーロと共に出て行く。
ペピートが独白する。テオドーラは美しい。したがって噂は正しいに違いない。要は自分がテオドーラに横恋慕しているために、噂話に真実があると確信しているのであった。(エルネストの愛読書の神曲が机の上に置かれているのを眺めながら。場面はパオロとフランチェスカ・ダ・リミッニがランスロとギネヴィアの本を読んでいるところとなっていることで確信するのだが、冒頭からエルネストが仲立ちについて考察するためにそこを開いていることを観客はわかっている)
そこにエルネストが登場。2人で言い合いをしているところに下僕がやって来て、ご婦人が訪問ですと告げる。それじゃおれは行くわとペピートは気を利かせて帰る。
やって来たのはテオドーラで、決闘をやめてくれと懇願する。そうはいかないとエルネストは答える。でも、実際に2人の間の愛情は兄と妹のようなものでまったくの潔白なのに、決闘を受けて立ったら本当になってしまうではないか。名誉を傷つけられたのは夫なのだから戦うのは夫でなければ筋が合わない。でも子爵は強いから死にますよ。夫を侮辱するのですか? と、困った話し合いになったところに下僕がいっぱい人が来たと告げる。そもそも独身男の部屋を既婚のテオドーラが訪問しているのは噂話に尾ひれがつくので厄介だから、寝室に隠れていてくれと寝室に通す。
フィガロの結婚のような人に入れ替わり立ち替わりによるドタバタ劇でおもしろいが、話が深刻なので愉快ではない。
入って来たのは血まみれで瀕死のフリアン、セペーロ、ペピートと證人。(決闘の場所が同じ家ということになっているため、フリアン邸ではなくエルネストの部屋なのは合理的)
3人はフリアンを寝かすために寝室に入れようとする。必死に止めるエルネスト。わけがわからんとペピートとセペーロが扉を開けるとテオドーラが飛び出してくる。やっぱり、そうなんだとペピートとセペーロと瀕死のフリアン。わけがわからなくなってエルネストは飛び出していく。
3幕。フリアンは瀕死の病床でテオドーラとエルネストを呪っている。本気で殺そうとしている。
セペーロとメルセデスとペピートが話しているとエルネストが入って来る。フリアンに釈明したいというのだ。エルネストはいきなり子爵に再決闘を申し込んで見事に仕留めたことを語る。
セペーロはそれを許さない。エルネストは人を一人殺したことで完全に狂犬状態になっているのでセペーロを脅しつける。セペーロが屈服しつつあるところに、テオドーラが入って来ようとする。絶対に合わせないとセペーロとメルセデスが強行に出るのでエルネストは部屋を出て行く。
さあ、本当のところを白状させるて兄貴に謝らせるとセペーロが息巻くと、ここは私にまかせて男は引っ込んでとメルセデスが1人きりでテオドーラを迎える。
ここではメルセデスの真意がわかる。彼女は浮気をしたくてたまらないので、当然機会があるテオドーラがエルネストと浮気していることが前提となるのだ。かくして、あらゆるカマをかけまくる。呆れ果てるテオドーラだが、何を言ってもメルセデスには通用しない。
全員が集まる。フリアンは最後の力を振り絞ってエルネストを殴る。エルネストはあまりのばかばかしさにされるがままとなる。フリアン死ぬ。テオドーラは気を失う。
さらにやいのやいの攻め立てるセペーロ、メルセデス、ペピートに対して、気絶したテオドーラを両腕に抱きかかえたエルネストは、わかったわかった愚かな世間よ。お望みの結末をお前ら犬畜生にくれてやる。これで満足だろう、と2人(テオドーラは気を失ったままだが)で扉を開けて去って行く。
悲劇なのは間違いないし(言葉遣い)、会話は巧妙(とくに1幕の終わりの気分の悪さ(何もやましいことがない3人の間に徐々に疑惑が入り込むところ)や、2幕から3幕にかけて、弟家族の本心が透けだしてくるところ)、場面転換のうまさ、密室劇に近いのに入れ替わりをうまく利用した演出の幅の取り方、文句ない傑作だった。
しかし、あまりにもエルネストを高潔な文学青年として書いているため(というか、そういう観客設定だろうし)意図せぬ喜劇性がそこかしこにあって、おもしろさまでもが抜群になっていた。最後はあまりにもエルネストがかっこよすぎだろうし、一方で、おっさん代表にされてしまったフリアンの最後のみっともなさは酷過ぎる。
おもしろかった!
ザンドナーイのおかげでフランチェスカ・ダ・リミッニの物語を知っていたのでおもしろさ3倍増はしている。
状態変数を利用したプログラムを実装するときに、あまり何も考えずに、Numeric定数を使ってしまって失敗した。
STATE_A = 1 STATE_B = 2 STATE_UNKNOWN = 99 ... case @current_state when STATE_A ...
あとからステートパターンを実装することを考えたら、そこはSymbolを使うべきところだった。
STATE_A = :state_a # 不要だが、ステート一覧を示すための宣言と考える STATE_B = :state_b ... if self.respond_to?(@current_state) @current_state = self.__send__(@current_state) else raise "unknown state #{@current_state}" end ... def state_a if foobar STATE_B else STATE_A end end
追記: よく考えたらstateを算術演算しているわけではないから中身をSymbolにしたら解消した。型指定がなくてよかった。
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