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アスキーというかドワンゴの鈴木さん(いつもありがとうございます)からJavaScript Primer 迷わないための入門書 をもらったので読んだ。最近、JavaScript使いまくりプログラムをいじくっているのでありがたいタイミングだった。
JavaScriptのハードコアな本をちゃんと読むのはオライリーの犀本以来で、その後はおもにMDNとECMAの仕様書で済ませているわけだが、やはり日本語の(信頼がおける)文書は読みやすい(MDNはMSDNほどではないが、やはり微妙なところではEnglishに言語設定しないとわけがわからない)。
本書は基本的には通読すべきで(必ずしも精読は必要ないと思う。どこに何が書いてあるかを漠然と記憶して後から参照できるようにするため)、要は一昔前っぽいガチなプログラミング言語の入門書(言語仕様と10日でわかるチュートリアル系の中間やや左(この場合、左は言語仕様)より)に近い。
おそらくおれの感触では、おれと同様に21世紀初頭にそれなりにJavaScriptを学習してアプリケーション開発しているプログラマーが最新のJavaScriptに知識をブラッシュアップするのにもっとも向いていると思う(ES2015ネイティブな人にとってはどうだかわからん)。すごく良い本だ。
全体は450ページあって、340ページが第1部 基本文法で、このパートはとても良い。第2部がユースケースと銘打って100ページでNode.jsを使ったTODOアプリケーション開発チュートリアル、残りが参考リンク集で簡潔な説明とともに基本的なツール類へのリンクがある。書籍なのでリンクは面倒だが、ある名前のツールがどういう役割でJSコミュニティでの受容状態についてぱっとわかるのがありがたい。
もしかすると執筆にそれなりの時間がかかったのかな? と思わされるのは「はじめに」でES2015(ECMAScript 2015年仕様)に基づいたと記述されているにもかかわらず、第1部第22章の非同期処理のパートではES2017(ECMAScript 2017年仕様)のasync/await構文についての説明がされている点で、確かにasync/await構文を使える限り、生Promise(ES2015)の出番は、Promise.allくらいしか無いので、これまた良い。
全体の3/4が第1部の基本文法ということは、基本文法の解説がちゃんとしているということで(言語仕様ではなく入門書だから)、具体的には用例が掲げられているため、すぐに使えるという点にある。
あと、おそらく筆者グループは実際にアプリケーションを開発しているのだと思うが、知りたいことがちゃんと目次レベルでわかるのも本書の良い点だ。
具体例: 第14章 配列 14.2 オブジェクトが配列かどうかを判定する
↑ 少なくともtypeofとか書いて悲しい思いをした人ならわかるはず。なお、Array.isArray(obj)を利用する。このあたりは、21世紀初頭くらいからJavaScriptを書いている人なら、とてもわかりみあるはず。便利なものが実装されたものだ(IEだと利用できるようになったのは2011年のIE9からなのでむしろ21世紀初頭からJavaScriptを使っていると知らない可能性高いというかおれは知らなかった)。
チュートリアルは実際に手を動かして読んだわけではないが、非同期処理での例外処理の書き方やPromiseを返すように作っておくとあとからAsync関数に書き直しやすいというtipとかユニットテストの書き方とか短いながらも勘所を抑えてある感が強い。
JavaScript Primer 迷わないための入門書 (アスキードワンゴ)(azu)
本書はCC BY-NC 4.0(営利目的以外での共有を許可)でライセンスされていて(サンプルコードはMIT)、https://jsprimer.net/で公開されている。Web版にはチートシートが追加されている。
車のステレオ用のiPodにはほぼ120GBフルフルに音楽が入っていて、何がかかるかわからない。
甲州街道をガソリンを入れるために環7方向へ進んでいると、多分、妻が昔に買ったのをリッピングしたらしきイブ・モンタンが歌うシャルル・トレネの詩人の魂がいきなり流れてきた。
ロントン、ロントン、ロントン、アプレ、クレポエットソンディスパリュ レールシャンソンクールトンコールダンレリュー
(遥か遥か遥か詩人たちが消え去った遥か後になっても、彼らの詩は路地を駆け巡る)
と実に音も言葉も美しい。
なんて美しい詩なんだろうと思わず聞きほれていると、これまた30年以上前に妻から借りて読んだ石井好子の本を思い出した。
(これかなぁ?)
確か、フランスで出会った最低最悪の意地悪なクソ野郎はシャルル・トレネで、どうしてこんな嫌な奴からあんな美しい詩が紡ぎだされるのか不思議でならない、みたいなことが憤懣やるかたない調子で書かれていてやたらと印象に残っている。
そうか、シャルル・トレネって嫌な奴なんだっけなぁと思いだしながらも、それにしても、詩人の魂は美しい。
特に、オニリニョロンルノンドゥロテル(作った詩人の名前は知らねども)の条が圧倒的なのだが、ふと、こういう死生観というか詩人の魂の持ち主意識が対人間だととんでもなく嫌な野郎になるのかなと思った。
しかし、ウヴァガボン(あるいは浮浪者)で終わるところとか、実に温かい眼差しに感じられるのだが、皮肉っぽいと言えなくもないのかなぁ。
とはいえ、自分(たちという同業者意識があるのかどうかは知らんが)が死んで名前が忘れ去られても、詩だけは世界を漂い続け、軽やかな魂、つまりは彼らの歌が、少女、少年、資本家、職人、そして浮浪者を楽しませたり、悲しませたりするという歌は、詩と音楽、つまりはミューズの贈り物を本当に見事に表現していて感動的なのだ。
隣国でありながら、ロシアや中国と違って、ほとんど朝鮮の歴史を知らんことに気付いた数年前にFBで橋本さんからおもしろいと勧められて文庫を購入し、ちまちま読んでいた「朝鮮儒教の二千年」580ページのうち310ページまで読んだ。
とにかく凝縮した歴史書にありがちな、そっくり同じ名前の良く似た考えの持ち主が良く似た事件を引き起こし良く似た結末になるの延々たる繰り返しなのでそろそろ嫌になってきたというか、既に何度か嫌になって数年読まずに発酵させては読み始めとやってきたのだった。
それにつけても儒者にも本家の中国では実学は他に任せて儀礼に専念みたいな漢の叔孫通といった傑物もいるのに、李朝だと実学+儀礼の勳旧派(すごくまとも)と、スコラそのものの士林派(まさにスコラそのもの)に分かれて権力闘争を始めて、仏者が割りを食わされる(秀吉と戦って最も戦功があったのは仏者のようだ)とか、純粋培養のゴミのような連中が湧いて来る不思議は、輸入文化ならではっぽい。というかスコラも輸入した思想に湧き出した蛆虫だった。
中国から思想、政治を輸入した似たような辺境の王国の日本と朝鮮でどうしてここまで異なる歴史を歩むことになったのかはなかなか興味深い。日本だと士林派に近いのは林羅山派なのだろうが、徳川政権は基本的に軍事政権だから政学分離がうまくいったのかも知れないが、そこに至るまで儒教の影響がほとんどないのが不思議ではある(本家の中国ですら、政治に儒教がからむのは北宋まではなかったわけだから、その点でも朝鮮が特異なのかも知れない。人口、国土の狭さ、適度な産業の平坦化によって専ら思想闘争中心となり、そのためには儒教が都合が良いということなのかも知れない)。
というよりも、聖徳太子や蘇我馬子が構想して(おそらくこの時点では和をもって尊しとする持ち回り制度の構想だったと考えられるが)中大兄皇子のクーデタで完成した氏姓制度で天皇自身は姓を授ける立場で自身は姓を持たないという易姓革命封じ込めによる統治と政治の分離体制が、極端な思想対立を防御したのかも知れない(武力対立は山ほどあるけど)。
おもしろいは抜群におもしろいが、歴史書だなぁ。
2017年に復刻されたときに買っておいたヴィルヘルム・テルを読んだ。
やはりシラーは最高だが、まっしぐらな群盗と違って意外と複合的で最晩年(といっても45歳で若死にしているので、最晩年と呼んで良いかは微妙)の作品だけに勝手が異なる点もあった。とにかく登場人物がやたらと多くて、最初、見開き2ページ2段に及ぶ登場人物一覧を眺めてびびったが、要は群集劇(スイスの3つの村からそれぞれ10人集まって集会を開いたり)なので登場人物が多いというだけだった。
というわけで、読んでいてやたらとカムイ伝(第1部)を思わざるを得ない。
表題こそカムイだが、草加竜之進のように最初は長いものに巻かれる国王主義者、しかし恋のために自由に目覚める青年男爵ウルリフィ・フォン・ルーデンツ、竹間沢村の庄屋のように自らは名字帯刀を許されてはいるが村の発展と自治、村人の尊厳のためには生命を賭けることも辞さないシュヴィーツ州の富農ヴェルナーシュタウファッハー、苔丸のように不屈の農民であるウンターヴァルデン州のメルヒタールのアルノルトなどの活躍が目立つ目立つ。
超有名な息子の頭の林檎を射るところなど、読んでびっくり、ルーデンツと悪代官ゲスラー(当然カムイ伝では錦の役回りだし、錦同様に冷酷無残な政策は主君のためと割り切っている)が論争しているうちに、歓声が上がりテルはいつのまにか矢を射たとわかる始末だ。
というか、カムイ伝を書くにあたって白土三平はヴィルヘルム・テルの影響を相当受けているのではなかろうか?
カムイ伝全集 第一部(1) (ビッグコミックススペシャル)(白土三平)
なんといってもかっこよいのは、ヴェルナー・アッティングハウゼン男爵(スイス自治州の殿様相当)で、統一! と叫びながら3州の農民、漁民、牧民たちに看取られながら死んでいくのはかっこよすぎる(最初の時点では3州の人民は貴族の後援は不要だと、男爵を無視している(が、塁が及ぶのを避けさせるための深慮遠謀とも読めなくもない)のだが)。
舞台はスイス、湖では漁童、牧草地で牧童、山で猟童が歌をうたっている。ここの3州は神聖ローマ皇帝から必要とあれば帝国のために武力を提供する代わりに自治を認められている。しかしオーストリー国王(ここは歴史を知っているシラーはわかっているからだろうが書き方が自由過ぎて、スイスの歴史をろくに知らずに読んでいるこちらにはオーストリー国王と神聖ローマ帝国皇帝がいて時々皇帝のことを王と呼んでいるのか(2人いるのか)それとも同じ人物なのかさっぱりわからない。おそらく皇帝はオーストリー国王でもあるのではなかろうか?)は支配権を強めだし送り込んだゲスラーはじめとする代官たちは暴虐と圧制を布いている。
ついに、あまりのひどさに爆発したウンターヴァルデン州の樵民のコンラート・バウムガルテンは代官の部下を斧で叩き斬って逃げてくる。シュヴィーツ州(ゲスラーはシュヴィーツ州とウーリー州の代官なので、管轄違いのウンターヴァルデン州代官からは逃げられるということらしい)へ湖を渡ろうとするが、漁師は時化を理由に断る。しかし追手が迫る。
そこに現れるのは快男児ヴィルヘルム・テルだ。
本職の漁師がびびる荒れ狂う湖に漕ぎ出し無事バウムガルテンを逃がすことに成功する。
シュヴィーツ州では長者のヴェルナー・シュタウファッハーが新築の家をゲスラーが目をつけて嫌がらせをするのに耐えかねている。この男、旅人をもてなし、地域に貢献するので、立派な家が必要なのだが、その立派さがゲスラーには気に食わないのだ。
そこにバウムガルテンの保護を依頼しにテルが来る。
この男ならと、シュタウファッハーが一揆の相談をそれとなく持ち掛ける。
しかしテルは、「強い者はひとりでいる時が一番強いんです。……いよいよ実行ときまって、おれが必要となったら、このテルをよび出してください。のけ者にしてはいけません」と言って去って行く。
とかっこよく去って、しばらくテルは舞台には出てこない。
一揆の腹を括ったシュタウファッハーはウーリー州の顔役、ヴァルター・フュルストを訪ねて行く。ヴァルターはテルの義理の父親でもある。そこに、ウンターヴァルデン州から逃げてきたメルヒタールのアルノルト(というか、最初のバウムガルテンもそうだが、ゲスラーよりもウンターヴァルテン州のほうが質が低いよな)も加わって、3州合同の一揆の相談を深い森の中の広場で真夜中に行うことを決定する。
牧師(神父じゃないのか? と最初思ったが、プロテスタントなんだな)が王党派の立場から発言しながら(本心は全然一揆側なのだが、どうして反王となるのかの言質を会議として取るためで、おお民主主義だとなかなか感動的なシーンで、あとがきでもこのあたりをクライマックスとしているが、確かにその通りだ)全員の意志を確認していく。
「夜中であってもわれわれの権利は輝いています。」
「もうどんな道でもききめがなくなると、最後の手段として剣が与えられているのです。」
「われわれは祖先のように自由でありたい、
奴隷となって生きるよりは、むしろ死を欲する。
われわれは最高の神に信頼しよう、
そして人間の権力などをおそれまい。」
かくしてクリスマスの砦への物資搬入時に攻撃を開始することを決定し散会となる。
結局、クリスマスの反乱は、ルーデンツが恋するベルタ・フォン・ブルネック(スイスの貴族なので反ゲスラー派で、彼女に一喝されてルーデンツは祖国派に鞍替えしている)がゲスラーにとらわれたため、救出の必要から早回しされる一方、林檎の復讐に踏み切ったテルのテロル(誰にも諮らずたった一人でゲスラーを暗殺するのだから、テロルとしか言いようがない)によってゲスラーが暗殺されるのがほぼ同時、しかも時を同じくして全く3州の反乱と無関係に神聖ローマ皇帝の暗殺が起きたため(最終幕での逃亡中の暗殺者とテルの問答は、ただし、相当、気分が悪いものだが、それでもテルは暗殺者に便宜を図る)代官たちの砦や城を破壊し、実力行使で3州の自治はうやむやのうちに認められることになり、ルーデンツの「それでは私もすべての農僕の自由を宣言します」で幕となる。
本屋で買って読み始めたのが14時くらいかな。途中晩飯食ったりしたりして、4時くらいに赤壁の戦い(後述)でさすがに眠くなったところでネコに食事をねだられて動き回ったせいで覚醒して結局5時くらいに読了。おもしろかった。
いよいよ三体艦隊が450年後には地球に到達することがわかり、地球側は450年計画で迎撃のための準備を始める。
Ⅰからの生き残りではヤクザな警官史強と丁儀の2人は活躍するが、ナノテクおじさんは出てこない。史強はムードメーカーだから残すのは順当だ。回想では葉文傑が再登場するがなぜ娘が死んだのか忘れてしまったことに気付きⅠを読み返してみたりもした(それにしても葉の人生はとてつもなく過酷だな)。
Ⅰにそんな設定があったか忘れているが、迎撃作戦は三体人は正直者だという特性を生かして(逆に言うと地球人は嘘つきだ)計画される。4人の選ばれた人間が地球人に対しても真意を隠して迎撃作戦を設計し実行する。
ガンダムのミノフスキー粒子がモビールスーツによる戦闘(肉眼戦)という制約があるように、三体では智子の存在が現在よりちょっと先の時点で物理学の発展は停止しているという制約があるため、いくつかの技術革新を別にすると、戦争は社会科学分野になっていくわけなのだった。うまいな。
物語がうまくできているのはもちろんだが、おそらく中国という作者の立ち位置から次の点のおもしろさは格別だと思った。
4人の人選がなかなかおもしろい。
中国の作品なので特権的な主人公は中国人のへなちょこ学者で、妄想力を駆使して作り上げた理想の美少女を心の中に飼っている変質者(と表現はもちろんしていないが、心の中の理想郷にある一軒家でこいつが帰宅するのを待っている美少女という脳内設定だからなぁ)でもある。それだが迎撃作戦の実行者に選ばれたせいで、国連の全面的なバックアップを受けて該当する実在少女を手に入れる(嘘でもなんでもスローガンを唱えて無理矢理納得させまくるのは、造反有理とかみたいでなんかおもしろい)。当然、それでは物語は進まないので紆余曲折あって順風満帆人生を乾坤一擲の賭けに出ることになるわけだが、えらく凝縮されたクライマックスには舌を巻いた。この少ない量の文章目指して上下2巻が収斂していくとは。
残りの3人は、アメリカ人の軍人上がりの政治家(ラムズフェルトか? 当然、こいつは人物だ)、イギリス人の人工知能学者(学説的にはプリブレムの進化形のような)、チャベスを強力にしてアメリカの侵攻を撃退した英雄大統領で、特に3番目の存在がおもしろい(しかも、相当良い役回りで悲劇の英雄として立派な人物として描かれる)。アメリカと微妙な距離感のついた物語の組み方だ。
同じくロシア人の議長が実に好漢として描かれているのもおもしろい(とは言え、中ロの関係ってそれほど良いものとは考えにくいので、アメリカの扱いとの大国バランスがあるのかも知れない)。
時事的なおもしろさではラムズフェルトが特攻隊を迎撃作戦に使おうと、日本の指宿やウサーマ・ビン・ラーディン(自爆テロの文脈だ)を訪れてがっかりしまくるとか、目の付け所がおもしろい。他作品への言及で、ビンラディンのところでファンデーションが出てきたり、指宿のところで銀河英雄伝説が出てきたりするのだが、銀河英雄伝説って国際的な(ファンデーションと並ぶような)作品なのか、と驚いたというか見直したというか感心した。
物語の大筋を支える細部の語り口もうまくて、NASAの宇宙観察チームの科学者リンギアとそのチームと監視役のフィッツロイ少将の人間関係とかおもしろい。結局その後仲良く歴史に名を残すことになったり。
描かれる世界の男女平等っぷりは、(現実には異なったとはいえ)天の半分は女性が支えているというスローガンがあった国だけに分け隔てなく偉かったり死んだりするのがおもしろい(主人公の妄想少女でさえ生まれるきっかけは恋人の妄想男子だか妄想少年だかにあるけど、それは趣味の話だから平等っぷりとは関係ないだろう)。
特におもしろいのは三国志の扱いで、三体人は人間の嘘つきっぷりを学習するための教材として読んでいるのだが、最後の最後で戦争に応用する(もちろん三体人は嘘をつけないので龐統ー周瑜-黄蓋ラインの連環計を実行するわけにはいかないのだが、それでもなぜか赤壁の戦いになる)ところで、連環計の破壊的な描写っぷりにはびっくりした。というか、作者自身が地球の技術革新によるブレークスルーをどう三体人側から挑戦するか考えてこうしたわけなのだろうけど、これもうまいものだ。
と、これまた抜群におもしろかった。
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