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a = [rand(9) + 1, rand(10), rand(10)] loop do line = gets if line =~ /\A(\d)(\d)(\d)\Z/ b = [$1.to_i, $2.to_i, $3.to_i] eats = 0 bytes = 0 0.upto(2) do |i| if b[i] == a[i] eats += 1 else bytes += 1 if b[i] == a[i - 1] || b[i] == a[(i + 1 > 2) ? 0 : i + 1] end end puts "eats:#{eats}, bytes:#{bytes}" exit if eats == 3 else puts 'enter 3 digits number' end end
以前おもしろそうなので1-ClickでKindleに放り込んだまま放置していた『メイカーズのエコシステム 新しいモノづくりがとまらない。』を読んだ。おれの通勤時間で4日くらい。
2016年4月に出た本だが、本当に今の時間の流れの早さに驚愕するのは、キックスターターの成功例として挙げられているのが、今や身売りした(イクジットとはちょっと言いにくいと思える)Pebbleと、完全失速のGoPro(と思っていたが、ちょっと調べたら2017年第1、第2四半期は好決算で息を吹き返しつつあるっぽい)だったりするのだが、日本は時が止まっているから(と書いて気付くが、主語が大きすぎて、おれさまの時が止まっているだけの可能性が高過ぎた)、全然古びてなく刺激的で、しかも読んでいて妙な高揚感が漲って来る。小学生のころは御多分に漏れず児童会館で銅板をエッチングして(すさまじく奇妙な体験なので忘れがたい)ラジオを作ったり、電子ブロック(ではないほうの白いブロックを嵌め込んでいくほう)でいろいろ鳴らしたりしたのを思い出したが、そっちにはまったく深堀りするほどには興味を持てなかったのだなぁとか、選択しなかった人生について考えてみたりと、個人的体験とからみあうからおもしろいのだろうか。
特に興味深かったのはシンガポールについて書かれた章で、段階的に国民に教育を行き渡らせる長期的な計画実現は抜群におもしろい。尋常小学校から150年かけて大学全入って、本来はとても良いことのはずなのになぁとか、いろいろ考えさせるところがあるのがおもしろさの理由かも知れない。
末尾に山形浩生の荒野から始まる深圳発展史(中抜け)があって、これがまたとってもサイファイ(人工的な都市発展史というのはSFだよな)でおもしろい。
メイカーズのエコシステム 新しいモノづくりがとまらない。 (OnDeck Books(NextPublishing))(高須 正和)
#とってもサイファイってなんだ? you are so sci-fiのおれさま脳内翻訳だとしたら、バグルズだな。
赤坂サカスでビリー・エリオット。千秋楽まであと12日(と書いた紙がぺたぺた貼ってある。ここまで煽るほどの舞台かなぁとか思いながら見たが、なんかわからんでもなかった)。
というわけで、おれにとっては、家で妻とDVDで観たリトルダンサーなわけだが、悪くない。
映画のほうは、なんといっても、JAMの悪意の町に合わせて主人公のビリーエリオット(映画だと12歳より上に見える時が多いが)地団太踏むような荒っぽいダンスで、トイレに籠って閉塞状況をむき出しにする一方で、屋上に登ったり、向こうに海が見える坂をこちらに向かって来たりして、すさまじく印象的で、実はそこしか覚えてない(というと嘘で、ロイヤルバレースクールの面接や、最後の大人になって白鳥の湖を踊るところとかは、それはやはり印象的)。
何しろ、JAMの悪意の町はすごい傑作だ。
2分あるかないかの、インザシティ(ファーストかな?)もすげーかっこいい!と思ったが(というか今でも好きだが)、4枚目だか3枚目だかのサウンドアフェクツをなんかのはずみで買って聴いたら、これが結構落ち着いてアコースティックも取り入れたりしながら、ソングライターとしての才能が爆発したかのような名曲連発で心底たまげた。同じ3人組でもポリスよりも好きだ。おれはモッズじゃないけどな。
(これがうまくまとまっているベスト盤で、今となってはこれ聴いていれば十分)
でも、JAM自身のPVよりもリトルダンサーでの怒り爆発ダンスはもっともっとすごかった。映画作家の才能はすばらしい。
という知識だけでビリーエリオットを観たわけだが、最初はとまどいまくる。
なんで、この小僧はバレエ教室にここまで執着するんだ?
というような疑問は湧いてくるが、でも、歌も踊りもうまいものだ。
・労働歌っぽいのをエルトンジョン(がミュージカル版の音楽担当)が実にうまく作っているが、今の日本の政治風潮の下で労働争議とか理解されるのだろうか? というような疑念も渦を巻き巻き。
が、1幕最後、親父に禁止されたビリーが2階の自分の部屋のベッドを破壊しながら怒りの踊りを始めるところでは目が覚めた(いや、もともと寝ているわけではないが)。いいじゃん。というか、音楽こそ悪意の町ではないが(一瞬トイレに籠って暴れるので、映画のあのシーンに対応するのかと理解した)演出含めて抜群だ。
それにしても、マイケル(衣装倒錯の趣味がある友人だが、映画では大人になるとゲイになっている)が、ビリーを引き留めるのにもちょっと驚く(映画でもそうだったかな?)。
どうも、この友人関係は上村一夫の関東平野と重なってごっちゃになっていて、記憶の中の物語とマッチしなくて驚いたのかも知れない。
母親とのシーンは親の身にはずるい演出。思わず涙が一筋出てくる。
2幕。幻想的な大人になった本物のバレエダンサー(Kバレエの人らしい)とのダンスがずる過ぎて感動的。本物のバレエではあり得ないワイヤーを使った空中浮遊をビリーがするのだが、これが美しい。胸をそらし(背筋力だ)両腕をピンと伸ばし、空を駆ける舞台として、これほど美しいのは他に記憶がない(というか、空中浮遊でこれまで一番印象的だったのは東京リングのジークフリートの小鳥だ)。舞踏とは空を飛ぶことなんだよなぁ(と胸いっぱいだったら、最後のエレクトリシティーという曲の歌詞がまさにそうだった)。この曲は名曲だな。
(このビデオではどうみてもただの子供だが、舞台の上では実に立派で驚く。歌詞がこの時点では「胸でスパークして」がえらく無理があるのが、実際の舞台では「胸ではじけて」だか忘れたが、より日本語として合うのに修正していたり、丁寧に作っているのだなぁと感心した)
で、そのシーンを観た親父がコペ転してビリーを応援しはじめるのだが、金がない。地区の労働委員らしい兄貴はロイヤルという言葉を聞いただけで怒り出す、とか、どういうつながりか覚えていないがスト破りのかっての仲間が数100ポンドをカンパしてくれたりとかしながら、ロンドンで面接を受けて、当然のように失敗が続く。
あ、おれ北京ヴァイオリン 観たな、と思い出した。
が、映画と同じく、面接官たちに、本当に他に何もないくらいに踊ることが好きなんだと言葉で説明することができる(が、ミュージカルだから歌と踊りだ)。
なぜか、北京からビリーが帰った後はコメディ連発となる(ロイヤルに受かったと聞いて、バレエ教室の女子がサインをねだりに集まるところとか、妙に引っ張る婆、父親、兄貴の手紙のシーンとか)。わけわからんが、バランスかな?(炭鉱の閉鎖は決定したし、というか2幕の最初はサッチャーヘイトのコメディで始まるから、なんとなく円環構造なのかも)
で、母親と決別してロンドンへ1人旅立っておしまい(が、マイケルが呼んで戻ってくる)。
・ロストロポーヴィッチの言葉(おれは練習しない。同じ部屋のやつは朝から晩まで練習してたが、まったくものにならなかった。すべては才能だけだ、というようなやつ)はあるものの、肉体を使うものは基本的に訓練と修練だから、好きで朝から晩までそればっかりやるような人間でなければものにはならない、と考えれば、出自がなんだろうが、心底それが好きな人間を入学させるというのは実に理に適っている。と思った。
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