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日々の破片

著作一覧

2021-05-02

_ 三色菫・溺死

神保町をぶらぶらしていたら、店頭に薄い文庫本を20冊くらい並べている店があって、ふと眺めると、シュトルムの三色菫・溺死というのが目についた。

シュトルム=みずうみと文学史上の一言知識はあるが、それ以上ではないので、これだけ薄いのであればすぐ読めそうだし読んでみるかと手に取って、裏表紙をめくれば鉛筆で100円とまっとうな値段が書いてあるので、そのまま買って帰った。で、読んだ。

1980年代の22刷なので、当然のように舊仮名舊漢字は良いとして、選ばれた言葉が美しくてまずそこに驚いた。

で、翻訳者を見ると伊藤武雄とあるが、考えればドイツ文学はそれほどは読んでいないので知らない。知らないので検索すると情報が出ない。やっとウィキペディアに出ているところにたどり着いたら、さらに(ドイツ文学の訳業を持つ伊藤武雄は二人存在する)があっておもしろく思った。

とりあえず冒頭の三色菫を読み始めると、母親を亡くした娘、その父親、父親の再婚相手(登場時点ではまだ再婚していない)の物語が始まる(というと作品としては正しくなく、最初の数ページにわたって、舞台となる家とその複数ある庭、樹木、内装などがことこまかにカメラが入って這い回る。オーソン・ウェルズの作品を思わせる。で、そのような描写がまさに伊藤武雄の面目躍如なのではないか? とにかく永遠のように美しいのだ)。

それにしてもさまざまな植物は登場すれども三色菫は出てこないな、と思いながら最後のページにくると、訳注として継母の縮小形を付けると三色菫となる、とあって、なるほどと思う。さらに、三者三様の細かな心理が描かれている点も三色菫なのかも知れない。

佳品だった。

で、続く溺死を読み始めると、うってかわって読みにくい。

あまりに沈鬱なのだ。

子供の頃に訪れた友人の家(それは教会の牧師館である)、その教会、庭、通学路、そういった描写の中に教会に架けられた陰気な牧師の肖像画と溺死した子供の2つの絵画に惹かれたことが示される。いずれも優れた作品だが、由来がわからない。画にはC.P.A.S.と記されている。A.S.は溺死として、C.P.が謎なのだ、と牧師が教える。それは父親故にでは? いや、そのようなわけはなかろう。と会話する。

成長して町の商家を間借りするために見学に入った部屋で同じ画家の異なる作品を見出す。家主に聞くと遠い先祖の画業だと言われ、その人の画材を見せられる。そこに入っていた2つの手稿を読み始めて、画に記されたC.P.A.S.が解き明かされる。

17世紀、魔女の火炙り、貴族と平民の身分差、先進国としてのネーデルランドの画家たちといった要素を散りばめた物語が画家の筆によって語られる。

もちろん、既に題名からも冒頭の画からも、子供は溺死することは明らかで、そこには何の謎もないわけだが、にもかかわらず、三色菫とは変わって徹底的に画家の一人称で描かれているため、他人が何を考えているのか、本人不在のところでどのような経緯があったのかは最後まで明確とはされない。

代わりに景観の緻密な描写がある(それが三色菫――こちらも祖母の庭と呼ばれる場所については謎めきが多いのだが――の開放的な美しさとは異なり、森の沈鬱を通奏低音として全体を貫いている。時々聞こえる鶯の声が美しい)。

一方で、修道尼院からの手紙を隠し持ったまま酒場を訪れたことによって領主の息子との一触即発の危機からの脱出、森での猛犬との追走劇(あいまに挟まる夜鳴き鶯の声)から危険な樹木を登ってからの朝に至るまでのスリルとサスペンスがもたらす娯楽性がある。硬質な文体を保ったままの息もつかせぬ娯楽性というと、同じ地方出身のドライヤーを思い出さずにはいられない。

一時代を築いた作家の作品だけに確かに読む価値はあったし、デンマーク生まれなのにドイツ文学者というシュトルムの微妙な歴史的かつ地理的な位置づけが反映されているようで興味深くもあり、何よりも伊藤武雄の文章の彫琢に感嘆した。

三色菫・溺死 (岩波文庫)(シュトルム)


2021-05-03

_ 博物誌的マンガ

ダンジョン飯が圧倒的なのは、妹救出であるとか謎の日本人であるとかエルフのダンジョン破壊作戦であるといった人間ドラマではなくダンジョンという場とその場を構成している諸要素のもっともらしい分析にあるのだとしたら(で、そう考えているからこう書いているわけだが)、21世紀になってわれわれは博物誌的マンガという新しいジャンルを手にしたことになる。

ダンジョン飯(九井 諒子)

いろいろ考えてみても、ロン先生の虫眼鏡のような博物誌的マンガではなく本物の博物誌のマンガ化くらいしか思いつかない。

(努力友情根性が大テーマであれば、当然、博物誌的マンガとなるわけもないので集英社系はすっぱり考える必要もない)

とはいえ、たった1作ではそういうジャンルと認識できるわけもない。

次に博物誌的マンガを読んだのは、ダンピアのおいしい冒険でびっくりした。抜群におもしろいではないか。(最初、神保町の本屋の窓にでっかなポスターが貼って合って気になって、結局近所のあおい書店で買った)。

本当に博物誌学的な記録を残した船乗りの記録を元にしたようだが、マンガとして完全に昇華しきっているのだから、これもまた博物誌的マンガといえる。そもそも「僕は知りたい、世界の全てを」という帯の惹起が、支配するためでも、征服するためでもなく、ただただ純粋に知りたいのだという欲望として確かに成立していた。

ダンピアのおいしい冒険 1(トマトスープ)

(早く続きが読みたい)

で、昨日知ったのが、ヘテロゲニア リンギスティコで、ついにここまで来たかというか、3作を数えるに至ったのだから、ここでジャンルとして確立したと言える。

これはおもしろい。腰を痛めて療養生活に入った教授の代わりに魔界へ旅立った院生あたりが、異種とコミュニケーションをとるために、肉体の構造であるとか(たとえば蛇に手が生えた種とは、振動でコミュニケーションをとる)、食生活であるとか、社会構造であるとかを観察して回る(一応、人間ドラマとして人間界と魔界の望ましい共存のための調査であるとか、教授の思想背景を知って行くとか、年老いたケンタウロスが優しいとか、なぜオークの言語学者がいるのかといった物語を駆動する謎やミッションはそれなりに用意してはあるが、明らかに作品の主眼はそこではない)。

ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~(瀬野 反人)

(妙に安いと思ったら、半額セール中だった)

_ 帝国劇場でレミゼラブル

子供が急用で行けなくなったとかでレミゼラブルのチケットをもらったので行ってみた。

映画版をビデオかテレビで観たことはあるし、ミュージカルのCDとかは聴いていたが舞台は初めてだ。

いろいろ発見があった。

・ABCが歌う赤と黒は、共産主義(平等)の赤と絶対自由主義の黒のことだと思っていたから、赤も黒も同盟して第2王制の反動政権を叩き潰そうという革命歌なのだと考えていたら、赤は夜明けで黒は夜、赤は希望で黒は絶望みたいな歌詞(岩谷時子の訳が極端な意訳の可能性もあるが、そもそも仏→英の時点で変わっているだろうし)で驚いた。

・ガブローシュがテナルディエの息子として一切説明されていないので、単なる空から送られてきた天使みたいになっている。(エポニーヌとの対比がおもしろいのに)

・ジャベルの星の歌って、なんとなく最後橋の上で歌うのかと思ったら、途中の橋の上だった。

子供から、照明の使い方がおもしろいと聞かされていたが、確かにスポットライトをやたらとうまく使う(特に、バリケードのシーンだな)が、あまりにも天(要は神)に焦点を合わせ過ぎているような気がしてイデオロギーとしてはそれほど感心はしない。

それでも舞台というのは良いもので、レミゼラブルの構造が実にうまく浮き彫りになっていて感心した。

基本は、ジャンバルジャンとジャベルの対称にある。どちらも出自は最下層に近い(映画だとご丁寧に黒人にしていて、当時のフランスの有名な黒人といえばアレクサンドル・デュマ(混血だが)自身もそうだが、その親父がいろいろ軍隊で功績をあげてもなかなか差別されていてうまくいかないとかある、より強調されているのは牢獄で生まれたことまで説明しきれないからだろう)が、片方は才覚をもって工場経営者(ブルジョア階級だ)にまで上り詰めて(その後もうまく資産運用をしているのは間違いない)、片方は当時フーシェによって創設されたばかりの近代的な国家警察の刑事という最新の職業人(ホワイトカラーに近いが、それでも雇用されて給与を得ているのでプロレタリアート)として職務のために誠心誠意はりきる。

次がマリウスという貴族の子供とテナルディエというルンペンプロレタリアートの代表でこの二人の共通性と対称性が抜群。特に興味深いのはテナルディエで、宿屋の主人のときは町の哲学者を自称し、結婚式の場には男爵として乗り込む。暴動時には火事場泥棒として活躍し、ジャベルともなあなあの関係を持っていたりと、とんでもないエベール親父だが、まあそうだよなぁとユーゴーの社会観察の鋭さに感動する。

そしてエポニーヌとコゼットというのが一見するとマリウスのせいで対称のように見えるが、そうではなく、同じルンペンプロレタリアートの子供のエポニーヌとガブローシュで、ここで、それまでの時代であれば労働力となる男子優先で育てて女の子は捨てるのが通常だったのにもかかわらず、この新しい時代の階級であるルンペンプロレタリアートでは男の子を捨てて女の子を取る、という対称性のせいで、ここでもユーゴーの観察眼の鋭さに舌を巻く。

_ 帝国劇場でレミゼラブル

子供が急用で行けなくなったとかでレミゼラブルのチケットをもらったので行ってみた。

映画版をビデオかテレビで観たことはあるし、ミュージカルのCDとかは聴いていたが舞台は初めてだ。

いろいろ発見があった。

・ABCが歌う赤と黒は、共産主義(平等)の赤と絶対自由主義の黒のことだと思っていたから、赤も黒も同盟して第2王制の反動政権を叩き潰そうという革命歌なのだと考えていたら、赤は夜明けで黒は夜、赤は希望で黒は絶望みたいな歌詞(岩谷時子の訳が極端な意訳の可能性もあるが、そもそも仏→英の時点で変わっているだろうし)で驚いた。

・ガブローシュがテナルディエの息子として一切説明されていないので、単なる空から送られてきた天使みたいになっている。(エポニーヌとの対比がおもしろいのに)

・ジャベルの星の歌って、なんとなく最後橋の上で歌うのかと思ったら、途中の橋の上だった。

子供から、照明の使い方がおもしろいと聞かされていたが、確かにスポットライトをやたらとうまく使う(特に、バリケードのシーンだな)が、あまりにも天(要は神)に焦点を合わせ過ぎているような気がしてイデオロギーとしてはそれほど感心はしない。

それでも舞台というのは良いもので、レミゼラブルの構造が実にうまく浮き彫りになっていて感心した。

基本は、ジャンバルジャンとジャベルの対称にある。どちらも出自は最下層に近い(映画だとご丁寧に黒人にしていて、当時のフランスの有名な黒人といえばアレクサンドル・デュマ(混血だが)自身もそうだが、その親父がいろいろ軍隊で功績をあげてもなかなか差別されていてうまくいかないとかある、より強調されているのは牢獄で生まれたことまで説明しきれないからだろう)が、片方は才覚をもって工場経営者(ブルジョア階級だ)にまで上り詰めて(その後もうまく資産運用をしているのは間違いない)、片方は当時フーシェによって創設されたばかりの近代的な国家警察の刑事という最新の職業人(ホワイトカラーに近いが、それでも雇用されて給与を得ているのでプロレタリアート)として職務のために誠心誠意はりきる。

次がマリウスという貴族の子供とテナルディエというルンペンプロレタリアートの代表でこの二人の共通性と対称性が抜群。特に興味深いのはテナルディエで、宿屋の主人のときは町の哲学者を自称し、結婚式の場には男爵として乗り込む。暴動時には火事場泥棒として活躍し、ジャベルともなあなあの関係を持っていたりと、とんでもないエベール親父だが、まあそうだよなぁとユーゴーの社会観察の鋭さに感動する。

そしてエポニーヌとコゼットというのが一見するとマリウスのせいで対称のように見えるが、そうではなく、同じルンペンプロレタリアートの子供のエポニーヌとガブローシュで、ここで、それまでの時代であれば労働力となる男子優先で育てて女の子は捨てるのが通常だったのにもかかわらず、この新しい時代の階級であるルンペンプロレタリアートでは男の子を捨てて女の子を取る、という対称性のせいで、ここでもユーゴーの観察眼の鋭さに舌を巻く。


2021-05-05

_ デビッド・ボウイ・モノポリー

連休中に家族でボードゲームでもやるかと、デビッド・ボウイ・モノポリーを買った。

普通のモノポリーは学生の頃買って、妻と暮らし始めた頃に友人たちと良くやったものだが、どこに行ったか全然わからん。

とはいえ、ボードウォークストリートに立派なホテルを建設しても誰も泊らずに破産とか、結局オレンジ色のあたりを購入するのがバランスから一番とかは覚えていなくもない。

で、ツィッターで誰かがツィットしていたのでボウイのやつを買ってみることにしたのだった。価格を見たら、直輸入するのと日本のアマゾンで買うので極端な差もないので普通にアマゾンJPから購入した。

で、とにかくボウイだということしかわからんわけだが、蓋を開けて納得しまくる。

駒は、アッシェズトゥアッシェズの三角帽子、アラジンセインの稲妻、ブラックタイ、ブラックスター、クラックドアクターの骸骨、トム少佐のヘルメットで、見ればすぐにわかるところが、おおなるほど、ボウイモノポリーですなぁと感心する。もっとも実際に駒を並べると、骸骨とヘルメットは見分けがつきにくいし、稲妻とブラックスターは区別しにくく、三角帽子は摘まみにくいとかいろいろあって、稲妻、タイ、ヘルメットで落ち着くことになった。まあタイにはDon't Let Me Down & DownがあるからOKとするか。

ボードは、無条件に支払う桝がステージングクルーやセッションミュージシャン(の雇用コスト)などになっているし、4か所がツアーになっていて(本物はなんだったかな?)これも悪くない。

というよりも、ボードはアルバム年代記になっているのだった。

最初の安い2マスが、スペースオディティと世界を売った男のマーキュリー時代、水色のお買い得がハンキードリー、ジギースターダスト、アラジンセイン。監獄を挟んで犬、ヤングアメリカン、ステーショントゥステーションで、ツアーを挟んでロウ、ヒーローズ、ロジャーでベルリン時代というよりもウィズイーノ、パークを超えてスケアリーモンスターズ、レッツダンス、トゥナイトでツアーを挟んでネヴァーレットミーダウン、ブラックタイ、1.アウトサイドの暗黒時代で、濃い緑がアースリング、アワーズ、リアリティの完全復活自由自在時代。で最後の超高級地帯がネクストデイとブラックスター。

暗黒時代の幕を開けるネヴァーレットミーダウンだが、レオスカラックスがタイムウィルクロールを使っていたりするし、おれにはプリンストリビュートみたいで好き(特にShining Starのかけ声やちょっと高めの声を出して歌っているところとか、おれにはプリンスを真似したとしか思えないのだが、これがすごく好きな曲)だったりするから、買えるなら買う。

大好きなピンクフロイド(は大嫌い)のシーエミリープレイが入っているピンナップスや、犬爆弾のヒーザンが抜かれているが、十二分に妥当で、当然だが、誰も泊らなくてもブラックスターを買いたいとか、何は無くてもロジャーは買うとかなぜジギーが目立たない場所なのか?とか楽しい。

全然ボウイのことを知らない子供も、親の蘊蓄を聞かされてうんざりしながらも、なるほどファンアイテムとしては抜群なんだな! とかわかったような口を利くが、実際、うまくできていて感心する。

ボーナスカード(2箇所)は、サウンドとビジョンでそりゃ引かなければならなくなれば、ブルーブルーエレクトリックブルーとか口ずさみたくもなるものだ。で、カードがいちいちヒット曲にかけた指示になっていたり作り込みが素晴らしい。

デビッド・ボウイ・モノポリー(-)

実に良いものだった。


2021-05-18

_ 網内人を読んだ

@ma2がFBでおもしろそうなことを書いていたので買った。しばらく寝かせて10%読んであまりのヘヴィーさに辟易してしばらく寝かせて、その後は一気読み(要は最初の10%はすごく読むのが辛かったのが、女主人公の背景事情の説明が済んで、男主人公が出てきたところからやたらとおもしろくなった、ということなのだった)。

何しろ読んだ本紹介を書いていたのが@ma2だから、なんとなくバイオSFかホラーだと(網という漢字から網膜を連想してしまうからだと思う)思っていたら、スペキュレイティブなSFではあるが、むしろ推理小説だった。

タイトルの網内人って、インターネットの中の人という意味だったのだな。

中共本国から香港に逃げてきた両親を過酷な労働の果てに失い、自分も妹のために一所懸命に働いて今は図書館に勤めている女性が主人公。

で、最初の10%はその過酷な労働/生活/経済環境と、妹の痴漢被害→加害者の甥を名乗る男のSNSへの扇動→大炎上→身バレ(といっても被害者なんだけど)→自殺という実に不愉快極まりない背景が10%なのだった。

かくして姉は復讐の鬼となり、そもそもの原因らしきSNSへの書き込んだ甥を見つけようとする。普通の(とても良い人な)探偵を雇うが、網内の捜査はおれには無理と断られて、かわりにアニエと呼ばれる謎の男を紹介される。

で、当然のように訪問するとアニエというのが実に奇妙な男なのだった。

というか、中年男の一人暮らしとか、えらく乱雑な部屋に住んでいるという徹底的な違いはあるが、絶対これ、ゴルディッシュだろ? とおれの頭の中ではゴルディッシュになっているのだが。

ディーバ <製作30周年記念 HDリマスター・エディション> [DVD](ウィルヘルメニア・フェルナンデス)

飄々としているわりに勿体つけて三顧の礼をさせたりもするのだが、出会ってすぐにヤクザに二人そろって拉致、しかしあっと驚く手品のような手法で、ヤクザを退散させて、読者に対する掴みもばっちり。

インターネットの中の人を調査するとなれば、当然のように、アニエはハッカーなのだった。

ところが、女主人公は頭は悪くないが学も教養もない単なる会社員(司書ではない)で、後のほうで他の登場人物に切れがないもっさりした田舎女みたいに評されたりするくらいだし、そもそもスマホもなければコンピュータも持ったことがない人なので、アニエが何かしようとするたびに質問が入り、それにアニエがいちいち全部、説明をする。そもそもプロバイダーとは、の前にそもそもIPとは、というかIPアドレスとは……で、これがそれほど悪くなくて、冗長さもない。

さらに、話が進むと、強力極まりないドローンやら超単一指向性スピーカーなどあらゆる機材を駆使して、犯人を絞り込んでいく(でも、本書がおもしろいのはこういう細部ではないが、細部そのものもおもしろい)。

比較的最初の頃、腹を減らしたアニエが女主人公にテイクアウトを頼むシーンがある。

大蓉加青扣底湯□上油菜走油という料理なのだが、なぜか作者は(あるいは気を利かせた翻訳者が)それを説明する。大蓉は大盛の意味で、加青は葱ましまし、といった具合だ。要はひねりを利かせた注文らしいが、これにはしびれた。

ハッカーズでグリーンブラット(だと思う)が、中華料理をハックしてとんでもない料理を注文するところを思い出したからだ。作者は、絶対、ハッカーズを読んでこのシーンを書いただろう。掴みは抜群だ。

ハッカーズ(スティーブン・レビー)

で、まあ人情噺があったり、どうでも良い説教があったり、なるほどサンダーバードみたいなところもあるが、おもしろかった。

網内教養小説としては抜群ではなかろうか。

ただ、どう読んでもおかしなところがあって、2部では犯人の兄としている人間が、3部ではどう転んでも別人になっている(体型も中肉中背から、ちびの小太りに変わっている)。

最初、読者に犯人捜しと別件の捜査というか罠の並行ストーリーを読ませて混乱を狙っているのかな? と好意的に解釈してみたが、読み直して(Kindleだとスピードが遅くて地獄の作業だ)みても、途中までは同じ人物として書ききっている。

どうも人情噺とプロットの整合性が取れずに無理矢理別人設定にしたのではないかと疑わざるを得ない。

が、まあそういうこともあるだろうな。

いずれにしてもおもしろかったので他の作品も読んでみるつもり。

網内人 (文春e-book)(陳 浩基)

そういえば気になったのは、女主人公が金策のためにAVに出るか考えているところで、アニエに、ここは東京じゃなくて香港なんだからそんな3枚1000円のパンツを履いた女の出る幕はないと嘲笑されるところがある。香港ではセレビーな職業なのかな? それとも東京は安いのかな。ただ、風物的なところでは韓流や日流を良いもの扱いしていたりするので、東京AVを小馬鹿にしているわけでもなさそうで良くわからん。作者が日本のAVを見たら安いパンツを履いている女性が出て来てそれがやたらと印象的だったのかなぁ。


2021-05-29

_ 新国立劇場のドンカルロ

素晴らしかった。特にロドリーゴの高田智宏。紫苑物語の宗頼(弓名人)で観たことあったのか。とにかく、声、声量、表現、立ち居振る舞いすべてが立派だ。そういえば宗頼が実に堂々たる宗頼だったのと同じことか。

だから3幕が圧倒的で、妻屋の妻はおれを愛していないに始まって、宗教裁判長(前回は妻屋が歌ったと記憶しているが、バスの対決という音楽もおもしろい)が去った後のエリザベート(小林厚子、ジークリンデが素晴らしかったが、これも抜群。4幕最初も良かったが、2幕(4幕版だといまいち切れ目がわからないが、昼の中庭の後半)も良かった)が出て来て、言い争いからのロドリーゴとエボリ(キウリという人でうまいのだが、どうも霞んでしまう)が入って来てのベルディ得意の四重唱(リゴレットでもそうだが、中心となる二人のそれぞれの思惑のずれと回りで全然関係ないことを考えている二人が入る)が実にスリリングでおもしろい。

コロナのせいで海外招聘歌手よりも日本人(とはいえ普段は欧州で仕事をしているようだから、帰国中ということなのだろうけど)主体になっているのが逆に良い結果になっているようにも感じる。

で、ロドリーゴはカルロのもとに忍び込んで、カルロおれのマブダチを歌い始めるわけだが、圧巻だ(1幕の友情行進曲も悪いものではなかったが)。カルロのジパリという人はどうもあまり好きな声ではないし、ロドリーゴに負けてしまっている。でも4幕ではそう悪くもなかった。

あと、びっくりするほど好演なのが中庭の小姓でなんかすごく良かった。

指揮のカリニャーニは蜘蛛のような不思議な人だが、メリハリつけまくりで好きな音楽だった。

(カーテンコールで三浦を前に呼んだりしていたが、ナブッコでひと悶着あって(ようなことを三浦のサイトで読んだ記憶がある)むしろ良い関係になったのかな)


2021-05-30

_ 帝国劇場でレミゼラブル

子供が急用で行けなくなったとかでレミゼラブルのチケットをもらったので行ってみた。貸し切り公演ということで、緊急事態宣言関係なく満席に近い。新国立劇場とは違うな。映画版をビデオかテレビで観たことはあるし、ミュージカルのCDとかは聴いていたが舞台は初めてだ。

いろいろ発見があった。

・ABCが歌う赤と黒は、共産主義(平等)の赤と絶対自由主義の黒のことだと思っていたから、赤も黒も同盟して第2王制の反動政権を叩き潰そうという革命歌なのだと考えていたら、赤は夜明けで黒は夜、赤は希望で黒は絶望みたいな歌詞(岩谷時子の訳が極端な意訳の可能性もあるが、そもそも仏→英の時点で変わっているだろうし)で驚いた。

・ガブローシュがテナルディエの息子として一切説明されていないので、単なる空から送られてきた天使みたいになっている。(エポニーヌとの対比がおもしろいのに)

・ジャベルの星の歌って、なんとなく最後橋の上で歌うのかと思ったら、途中の橋の上だった。

子供から、照明の使い方がおもしろいと聞かされていたが、確かにスポットライトをやたらとうまく使う(特に、バリケードのシーンだな)が、あまりにも天(要は神)に焦点を合わせ過ぎているような気がしてイデオロギーとしてはそれほど感心はしない。

それでも舞台というのは良いもので、レミゼラブルの構造が実にうまく浮き彫りになっていて感心した。

基本は、ジャンバルジャンとジャベルの対称にある。どちらも出自は最下層に近い(映画だとご丁寧に黒人にしていて――当時のフランスの有名な黒人といえばアレクサンドル・デュマ(混血だが)自身もそうだが、その親父がいろいろ軍隊で功績をあげてもなかなか差別されていてうまくいかないとかある――より強調されているのは牢獄で生まれたことまで説明しきれないからだろう――追記: 子供から映画ではなくそれは25周年ミュージカルだと教えられた。ということはミュージカルの舞台も家で観ていたのだった)が、片方は才覚をもって工場経営者(ブルジョア階級だ)にまで上り詰めて(その後もうまく資産運用をしているのは間違いない)、片方は当時フーシェによって創設されたばかりの近代的な国家警察の刑事という最新の職業人(ホワイトカラーに近いが、それでも雇用されて給与を得ているのでプロレタリアート)として職務のために誠心誠意はりきる。星の歌を聴いていて、なるほどミュージカルの作者も、この生まれたての職業に対してジャベルが圧倒的な誇りをもってこの職業はこういうものであるという宣言を歌わせているのだな、と感心した。と同時にそれだけにジャンバルジャン(ブルジョア)に「職務の奴隷め」と吐き捨てられているところのおもしろさも生きている。

次がマリウスという貴族の子供とテナルディエというルンペンプロレタリアートの代表でこの二人の共通性と対称性が抜群。あとマリウスが弁護士になるというのも、1791の時の弁護士という職業人たちの活躍を考えると実におもしろい設定だ。

とはいえ特に興味深いのはテナルディエで、宿屋の主人のときは町の哲学者を自称し、結婚式の場には男爵として乗り込む。暴動時には火事場泥棒として活躍し、ジャベルともなあなあの関係を持っていたりと、とんでもないエベール親父だが、まあそうだよなぁとユーゴーの社会観察の鋭さに感動する。もちろんだからこそ、マルクスはルンペンプロレタリアートを蛇蝎のように排斥することを訴えることになるわけだが、テナルディエの存在こそが社会がどう転ぶかの決め手となるのだった。というわけで、ミュージカル作者もテナルディエを音楽を使って妙に強調しているのがおもしろい。

そしてエポニーヌとコゼットというのが一見するとマリウスのせいで対称のように見えるが、そうではなく、同じルンペンプロレタリアートの子供のエポニーヌとガブローシュで、ここで、それまでの時代であれば労働力となる男子優先で育てて女の子は捨てるのが通常だったのにもかかわらず、この新しい時代の階級であるルンペンプロレタリアートでは男の子を捨てて女の子を取るという対称性のせいで、ここでもユーゴーの観察眼の鋭さに舌を巻く。そしてガブローシュがジャベルと親し気であるにも関わらず人生の命運を決める瞬間に革命側につく(この決断は失敗となるわけだが)のも興味深い。

もしエポニーヌが生きていたら、コレットのシェリーで垣間見られるが、年老いた娼婦はどういう老後を送るのか? の成功側(シェリーに出てくる元娼婦たちは若い頃に稼いだ金を貿易会社や石油会社に投資して、立派なブルジョアジーとして優雅な余生を送っている)になっていた可能性が高い。テナルディエの子育ての選択はおそらく正しい。それにしても工場主となり(おそらくその後は隠し持った資産をうまく運用しているに違いない)ジャンバルジャンもそうだし、新興の職業に忠誠を誓うジャベル(彼がまさにプロレタリアートなのは、自己の信念が揺らいだときに平然と自殺することにある。宗教の尾を引きずる旧社会の住人には不可能な選択だ)も、娘を残して息子を捨てるテナルディエにしても、出自のわからない女性を妻にするマリウスにしても、革命の落とし子たちそれぞれの描き方が本当に見事な作品(小説もそうだが、このミュージカルもそうだ)だ。


2021-05-31

_ スリル・ミーの配信を観た

確か5/29だと思うが、ドンカルロスから帰ってきたら(かどうか怪しいので29日かどうかわからないわけだが)子供がこれから配信があるから一緒にスリルミーを観ようと言い出したので一緒に観た。

ミュージカルとはいえ、あまり歌らしい歌がなく(おれにとって「ミュージカル」という単語から最初に出てくるのはジャックドゥミーだったりスタンリードーネンだったり遡ればレハールだったりするので歌だけではなく踊りも重要なのだ)、何やら男が出て来て告白調で喋り出して他に一人しかメインキャストがいないところでアンクル・トムみたいだなぁと感じて、これは韓国ミュージカルか?(いや、実際にはフランケンシュタインとかも観ているから、グランドミュージカルがあるのはわかっているのだけど)と聞いたら、よくわからないけど、アメリカの実際にあった事件をベースにしているらしいとか言われる。

殺人罪で捕まった男を、模範囚でもあることだし、刑務所の予算の関係で早期リリースプログラムを適用してさっさと社会という黒暗森林へ追い出そうと、再尋問が行われるところから物語の幕があく。

男はかって、友人(こちらが実行犯)と共謀して子供を殺したのだった。

問題は、なぜ殺したのかにある。

要は黒暗森林でふたたび狩人として振舞うような危険な人物なのかどうか、が尋問者にとっての焦点となる。

三体Ⅱ 黒暗森林(上)(劉 慈欣)

男が回想を始める。

友人と男はともに大学院で法律を学んでいて弁護士としての将来が約束された秀才だ。

友人はニーチェの超人思想にかぶれている。そのため、自分が他の何者でもなく世の凡人どもとは一線を画す自分自身であるという確たる証拠を得ようと次々と犯罪に手を染めている。(実は、ここまで見てうんざりしたのは否めない。19世紀の大学生や現代の中学2年生ではあるまいし何をほざいているのやら)

男が友人の部屋で待っていると友人が帰って来る。なんでお前がここにいるの? いや、弟に入れてもらったんだよ。

で、泥棒から火付けにいたって、いよいよ殺人の計画を練り始める。

男は、止めようといろいろ説得する。だが、惚れた弱みがある。

友人は、確実に仕留められて、社会に対してそれほど悪影響がないなどと自分勝手な理屈を振り回して子供をターゲットとする。(お前はサカキバラか(というかあれは高校生だったな)とつっこみを入れたくなるよなぁ。大学院で学んでいる年齢なのだ)。

ただ、なるほど、よくいう「殺す相手は誰でも良かった」が実際には誰でもではなく明白に女性や子供をターゲットにする思考の説明としては納得がいった。そもそも「殺す相手は誰でも良かった」は真実なのだが、言葉が不足している。「殺す相手は誰でも良いが、確実に仕留められる相手でなければならない」なのだな。

そりゃそうか。目的は殺しにあるのだから、それを実現できなければ意味がない。

殺し HDリマスターー版(続・死ぬまでにこれは観ろ!) [DVD](フランチェスコ・ルイウ)

パゾリーニと同じくおれも殺しは好きだが、好きなのはベルトルッチの殺しだ。

無事、殺しは成立する。

が、友人が考えた完全犯罪のシナリオは男のミス(同様なミスをすでに男は前にやっているので、観ているこちらは男の抜け作っぷりに呆れ果てる)によって破壊される。

というか、完全犯罪が成立していないからこそ、男は収監されているのだから当然だ。

かくして物語は、なぜ完全犯罪が成立しなかったのか(直接の原因は男のミスにあるにしても)、そして、なぜ友人は犯罪を重ねることに執着するのか、という深部に入り込む。

なかなかおもしろかった。

(ただ、ミュージカルとしておもしろかったか? と聞かれると首を傾げざるを得ない。その一方で、実に不愉快千万な物語であるから、一方的な独白調の一人芝居とかだったら気分悪くなるだろうから、歌と音楽があるほうが良くもある)

実に奇妙な体験だった。

ミュージカル『スリル・ミー』ライヴ録音盤CD・松下洸平×小西遼生(演劇・ミュージカル)


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