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低温の油で揚げて(煮込んで)脂を抜いたもの。
鴨特有の香りが強調されている。パサパサ身離れは良いが乾いているわけではない。これまで食べたどの食べ方よりも好きかも知れない。クスクスのトマトの酸味も良く合う。
ポルトガルは謎に満ちている。
つい500年ほど前には日本ととても友好的な関係を(国家としてはともかく個人と個人では)持っていたのに、あるときを境に縁を切ったままになってしまっている。最初はこっちが鎖国して、次は向こうが鎖国したからだ。
間にブラジルが入ってそれなりに関係を保ってはいたとはいうものの、知らないうちにグレーシー柔術なんてものができていたりして(これはブラジル)、やっぱり果てしなく遠い国ではある。
そんな国の文学である。機会というのは逃すとそれっきりになってしまうわけだから、後追いで注文した。
以下、違う話。
クロアチアもサッカーやK1くらいでしかお目にかかる機会がない国だ。ユーゴスラビアも第3の道を行く国というくらいでしか知ることはなかったし。
見習い職人フラピッチの旅 (おはなしメリーゴーラウンド)(イワナ ブルリッチ=マジュラニッチ)
子供がなぜか図書館で借りてきて読んでたので、おもしろそうなので読んだ。妙に押し付けがましく説明的な語り口で、しかも教訓的と、嫌いになる要素はたくさんあれど、それでも興味深く読了。わらしべ長者的な因果応報っぷりがテンポ良いことと、描写の色彩が楽しいからかも知れない。それだけでなく、登場人物の類型化が上手だからだろう(純粋な民話ではありえないうまさで、作家というのはそういうものだ)。
Xmingを使っている。すごくいやな問題があって、Xming族のウィンドウ(たとえばktermとか)にフォーカスがあると、マウスポインタが異様に動作が鈍くなるのだ。
今、Virtual PCをインストールしてWindows2003 Serverをインストールしている。こいつもだ。フォーカスがこのウィンドウにあるとマウスポインタが極度に遅くなる。
最初、Xmingの実装が何か腐っているのかと思ったが、MS謹製プロダクトでもそうなるということは、別の問題だ。
というわけで、コントロールパネルからマウスのプロパティを眺めてみた。
「ゲーム中は加速を無効にする」という項目にチェックが入っている。
これか。ゲーム云々ではなくスクリーンをキャプチャする(正確な言い方ではないけど、何が正確な言い方かわからないのでこう書いてみる)API呼び出しを検出した場合の設定の話に違いない。
というわけでチェックを外したら、無事、マウスカーソルがスムーズに動くようになった。
めでたしめでたし。
分析-設計のいろいろをいただいたコメントを元に修正。
抽象/具象という切り口は見当はずれ(少なくてもT字型は実際の帳票/画面を元にしているということなので、まったくの誤認識)のようなので打ち消し線。
TH法がマスターを重視していたのを思い出したので、それを今度は切り口としてみた。
というか、実際にある程度見えているのがTH法とはぶ法だけなのにまとめようとするのが間違いだというのはわかっているわけだが、見取り図をある程度作っておいてから調べて(調べないかも)修正していくという方法論なので、間違っていればツッコんでください。
VirtualPCを使っていたら1つ気づいた。どうにもならんのだけど。(7/8追記:どうにもならんというほどバカな代物を売るはずはありえないな、と考え直してヘルプファイルを読んでたら、ちゃんと設定があった。Virtual PCコンソールの「ファイル」―「オプション」の「パフォーマンス」で大雑把ではあるけれどCPU時間の割り当てを制御できるようになっていた。かつ、効果もあった。)
ホストOSがXPなので当然のように、リソース配分はアプリケーション優先にしているのが多少効いているのだとは思うが、Virtual PCのスクリーンをフォアグラウンドにしていればCPUをフルに利用できる。たとえば、rubyをコンパイルしてたわけだが。しかし、バックグラウンドにまわすと、極度にCPUの使用率が落ちる。フォアグラウンドJOBが何もしなければ、アイドルが高くなるだけで、Virtual PC側が積極的に動く様子もない。単に遅くなるだけだ。
これが効いてくるのがX(ターミナルでも良いとは思う)を組み合わせた場合。
ktermでmakeを走らせる。kterm(ウィンドウはXサーバのものなのでホストOS側ということになる)がフォアグラウンドだとVirtual PCが遠慮して遅い(CPUの使用率をアグレッシブに落とす)。しょうがないので、Virtual PCのコンソールをフォアグラウンドにする。するとCPUをフルに使ってくれる。で、そこでインタラクティブな作業をしていれば、問題ない。
最初逆にしてたので悲惨だった。Virtual PCのコンソールで長くCPUを利用するJOBを投入する。終わるまでXから操作してたのだが全然CPUを使ってくれなくなるので、いつまでたってもJOBが終わらなくなる。
スコット・メイヤーズは彼のキャリアのすべてを、C++で失敗したりしくじったりするためのあらゆる方法を示すことに費やしている。
泣ける。
まあ、それはそれとして、到底型とは言いがたいhinstとかfntとかhbrushとかfとかが(一種のシステムハンガリアンとして)残っていた理由がわかる。
BOOL fSuccess = TrueOrFalse(...); ... fSuccess++; // fはintなのでコンパイルエラーにはならない。しかしfは真偽フラグなのだから++することはありえないコンパイラが検出できることをコードするのはくだらないが、人間にしか検出できないことをコードするのは正しいだろう。
ブーンが取り上げてくれたんでツッコミ入れようかと思ったけど、微妙な点もあるからツッコミじゃなくてトラックバックにする。
ここから
ネタっぽいけど取り上げてくれてありがとうございます。ネタっぽく返すとセカンドライフ用だから、まだ早いんじゃない? ってことになるかも。あるいはデビュー前用だからもう遅いんじゃない? かも。
まじめな話としては、すでに十分にさわってるなら「ライド・オン」のほうが良いし、職場導入を考えているなら「はじめてよう」(まだ未見なので言い切れない)かな? (とは言っても調査時点/導入前の雰囲気掴みには「かんたん」はばっちりだと思う)
ここまで
まだ絵がなくてさびしいかんたん。(後3週間以上あるし)
かんたんRuby on RailsでWebアプリケーション開発(arton)
画期的な青(livedoor'Readerとか青系が今年のはやりかな)のはじめよう。
鏡の世界なのか(Inside and Outsideの意味かも)? のライド・オン。
ライド・オン・Rails Ruby on Railsを徹底攻略(吉田 和弘)
それにしても、カラーが違っておもしろい(出版社間、あるいは著者間で企画の方向について談合したんじゃないかと思えるくらいだが、知ってる限りじゃそれはない/知らないところは知らないし)。
ずーっと昔に入れたままにしてたもんでHikifarmの更新方法がわからなくてやたらと手間取った。というか、Hikiに組み込まれていることに気づかず探し回ったり。
治療法には3種類+1種類ある。
・対症療法
症状の緩和に留まる。が、運が良ければ自然治癒できるかも。虫歯に痛み止めとか。キーワードは即効性
・(なんていうか思い出せない。元を断つやつ)→根治療法
症状の元になる原因を治療する。たとえば虫歯を削って後に詰め物をするとか。削る最中に神経に触れたりするかも知れないので場合によっては別の痛みに襲われたりもするし、詰め物の分だけ金や時間もかかるし、面倒である。キーワードはいろいろ。
・代替療法
元を断つのが難しかったり無理だったりする場合にすがるもの。たとえば虫歯の神様にお祈りするとか。本人は何かしているので次の放置より気分的には救われる。キーワードは救済。
・放置
死ねば治るのと意味は同じなので、我慢しておく。文字通り。キーワードはない。
学習法ってのもこれと同じだな、と思った。もっとも放置で無問題なのもあるし(そういう問題については1が効果/効率的でもある)、代替療法(積読とか)が有効な場合も確かにあるのが2を勧めるにあたっての障害となる。結局、その問題がどういう問題か、に尽きるのだろうか。でも、それには高度な判断が必要だし(にも関わらず直感的に判断できるものが多数存在するのも2を勧めるにあたっての障害となる)、そのためには基礎を身に付けて置く必要もあるはずだ。
別におどろかないけど、自己嫌悪に陥る。あんなんで良いのか? 良くねぇだろう。
子供がおもしろいから読め読めとうるさいので読んだ。おもしろかった。
著者の斉藤洋は、ルドルフの連作の人なのでおもしろいというのは読まなくても想像できるわけだが、佐々木マキの軽い絵柄(しかし、ちゃんと本を読んで書いているのだなというのが良くわかる列車の構造の再現性とか)もあって想像以上に気持ちよかった。
主人公は小学6年で、新宿から中野に塾のテストを受けに行く(ってことは、四谷大塚だな)つもりが、誤って風力鉄道に乗ってしまってあっちの世界を旅することになる。あっちの世界がどういう世界かと言えば、列車が風力で走る(風が吹かなければ止まる)という極端なエコ世界だから、ああ文明批判ですな、と短絡できるかというとそうはいかない。
この話がうまく書けているのは、その世界に紛れ込んだ主人公がどちらかというと優秀な子供だというひねり具合にある。主人公は、最初4年生の時にテストを受けたら5000人中4000番台でびっくりして、そこで奮起していまや常時上位50位に入っていて、今日のテストじゃきっと30位以内に入るはずだという確信を持っている。暇さえあれば算数の問題集を解いている。だからテストを受けたいし、それが無理なら説明授業は出たい。解法があっていることが確認できれば気分が良いからだ。
ところがあっちの世界に入ってしまったので、しょうがないのでその世界につきあうことになる。
そこで、この子供は多様性を学ぶのだ。つまり、自分のやってることやこっち側の仕組みを、あっちに行くことで否定することはしない。しかし、こっち側の見方であっちを否定することもしない。最終的にはこっち側で学んだ知識と知恵を使って困難を乗り切る。で、無事、こっち側に帰ってきて第一希望の中学校に受かる。多分、麻布だろうな。
そのガイド役をするのは、キツネ顔の大人。こっち側に来ては失敗例を学んであっち側に生かす役回りなので、どっちの側のことも理解しているのがうまいところだ。その対称としてキツネそのものの弟を出して、主人公に考える余地を生ませる。算数の問題で答えが7.5人になる。主人公は当然それを受け入れる。キツネ顔は最初不思議がるが、解答を読んで納得してそれを受け入れる。しかしキツネの弟は受け入れない。それで主人公は人間を0.5と数えることの意味について考えざるを得なくなる。ついにキツネの弟は0.5というのは子供のことだと解釈して納得する。主人公はそれはおかしいと考える。最初は数字上の方便として0.5を主人公は受け入れている。その方便を受け入れないキツネは、子供を大人の半分とする方便を受け入れる。その方便を主人公は受け入れがたい。その受け入れがたい気持ちを受け入れる。
処女作のルドルフといっぱいあってなも考えてみれば、いっぱいあってなという多面的な大人と知り合うことで多様な価値観を学ぶ物語だった。ユーモアというのは相対化によって生まれるのだから、この作家が多様性を尊ぶのも当然のことかも知れない。
副詞、名詞+[名詞+]副詞+動詞。という話し方をするらしい。
例)真に、その物語は真に恐ろしいものであった。
余分な語が入るし、強調に強調を重ねるのは良いとしても、本当に強調すべきことが逆に薄れるような気がする。
インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 [ソフトバンク新書](白田 秀彰)
法学ってのがどんなにおもしろい学問か、「白田秀彰 の 「インターネットの法と慣習」」で知った身としては買わなきゃならんだろう。(追記:「はじめよう Ruby on Rails」とペアで購入。しかしこの組み合わせだと24時間で発送のはじめようも遅延するんだろうな。まあ、いいか)
宣伝というよりは、解説だけど、おもしろい。
ちなみに、あの意味不明瞭な説明の問題点は「は」と「が」もそうなんだけど、それの使い方がどこにも出ていない点につきます。というのは嘘だな。確かに、必要最低限にすべて説明していますね。しかもサンプルが出ているからどう使うかはわかる。呼び出しているメソッドのITemplate#InstantiateInについても出ている。でも、その呼び出しによって何ができるかの説明があまりよいとは思えない。(というか、Visual Web Developementを順に読んでいけば良いのかも。MSDNをAPIセントリックに読むとわかりにくいというだけで)
いずれにしても、コントロール全体のコード+解説があるということの重要さを身をもってわかったのも良い経験でした。ありがとうございます。
#内部構造ってのは良い書き方じゃなかったけど、自分でIDispatch#Invoke内でswitch (dispid) とかして処理せずに、TypeLibをIDLから生成して、ITypeInfo::Invokeへ委譲する(その結果、結局自分のメソッドが呼ばれる)のに似てるな、と思ったということですね。テンプレートHTML=TypeLib(from IDL)という感じ。もちろん、テンプレートHTMLの中身は知らないのに対してIDLは自分で記述してるわけだけど。でも、IDispatch#Invokeの実装はITypeInfo::Invokeへの委譲で汎用化できる(=汎用化されたIDispatchの実装にとってはTypeLibの中身がどう定義されているかはブラックボックス)ので、そのレベルではやはり相似形といってもそれほどは外していないと思う。というか、それがフレームワークということだし。
ばかですかと思っていた動作は、こちらの設定がばかでした。Virtual PCコンソールのファイルメニュー―オプションからパフォーマンス設定ができるようになっていたからだ。
それまでは、「ホストオペレーティングシステムの処理を優先する」だったのを「Virtual PCを最速で実行する」に切り替えたら無事、バックグラウンドにいってもちゃかちゃか動くように変わった。
#もっとも、「処理を優先」と言いながら、アイドルばかりが上がるのはどうよ? という点については改善の余地は大有りだとは思う。
るいもさんとの連載が始まりました。困ったコードについて、どうしてそのコードは困るのか、どうすれば困らないコードになるのか、について書いています。
VC++8でコンパイル(は多分関係ないだろう)+リンク(これのどこかだな)したプログラムはKnownDLLに登録されていなくてもSxSがきかないように思うんだが、何を参照すれば良いのか未だにわからない。
話にきくHP-UXよりもさらにはるかに、扱いにくい(自由度が低い)システムになりつつあるなぁ。それはある意味では、間違いなく正しいのだが、フロンティアではなくなったということでもあるように思える。
写真を見ていると幸福になれる。
すげぇな。1970年代からずーっと変なことをし続けているわけだもんな。
1988年には
Who even knew these guys were still together and working? Well, they are, and the recording is superb.とか言われてるし。
手元にある早川SF全集の16巻は、スタージョンとブラウンだ。なぜかスタージョンの代表作(うまくまとまった作品だという印象があるけど忘れた)の『人間以上』ではなく、夢見る宝石が収められている。
出だしがギミックで、「胸のむかつくような行為の現場を発見され」た主人公のホーティが学校と家(養子だからというのもある)を追い出されるところから始まる。家を追い出されるくだりでは、左手の指が3本切断されてしまうというおまけつき。
「嘘をつくな。確かに何かしていたぞ。ひとりごとを言ってた。心がひねくれている何よりの証拠だ。これはなんだ――ああ、お前が一緒に持ってきた赤ん坊のおもちゃだな。お前の唯一の財産というわけだ。お前に似ていやらしいおもちゃだ」
ここまでくそみそに言われて指までもぎ取られたら、それは家を出てくだろう。(育ての親のほうは)出て行ったということよりも、自分がしでかしたひどい仕打ちを告げ口されるのではないかとびくびくする。
そしてサーカスの一員となる。宝石が夢をみると生物が生まれる。……という物語が幕をあける。
一座の美少女との出会い。といっても美「少女」かどうかはすこぶる怪しい。矮人だ。ホーティは彼女の従姉妹という触れ込み(顔がそっくりなのだ)で一緒に矮人ショーに出ることでサーカスに紛れ込むことができる。
そして奇怪な夢そのものの物語が始まる。
つい、夢見る宝石を読み返してしまった。最初に読んだときとはまた異なる印象。
世界に対して肯定的な結末であるが、後味がきわめて良くない。ご都合主義なのは良いとしても、なんでこうなんだ? こうならざるを得ないのか。世間一般と隔絶されたところで殺し合う剣豪たちの物語とか忍者集団の物語とかがあるが、そういうのに似て無くもない。誰も知らないところで繰り広げられる、世界征服者 対 誰も知らない人の、人知れぬ熾烈な戦い。すごく高度な。でも規模が小さすぎるので、良く考えるとせこい。
ビデオドロームだ。
RubyGemsはRakeのinstallができるところまでは確認済み。
Raccは未確認。
Exerbはexamplesが動くとこまで確認。
追記:だめぽ。gem.cmdなどをそのまま使ったためテスト用のパス(c:\home\ruby\bin)が埋められている。他のbin内起動スクリプト同様、batに再構成する予定)
Gemのcmdを削除し、代わりにbatを配置。
Exerbの使い方がわからなくなることがあるので、readme.ja.html以下を含めてスタートメニューから参照可能にした。
JVN#83768862およびJVN#13947696への対応(CVSヘッドの適用)はASR固有の問題がありえるため週明けまでには行う予定です。
というわけで、冥福を祈るためにYouTubeでさいけざんまいと思ったが途中であきてしまって(っていうか、エミリー――いい曲だ――とスケアクロウしかないし。ホームビデオがあってこれがとてもストレンジだったが、っていうかコメントにRIPって書いてく人っているんだな。これは本当にさいけで、まるでベルベットのバナナの裏みたいだLook of the Week)、ストラングラーズを次々と見てたのだが、そこのコメント見て見に行ったのが、これだが、いったい、この人はどういうコンテキストのアーティストなんだ?
新時代のケイトブッシュ?
#オリジナル(家出少女がいっぱしのパンク娘になるまで)のほうが好きだな、音は)。
#で、最後はださいなぁと思いながらキンクスのウォータールーサンセットを見る。せめてフロイドなみのいかれ具合とスマートさがあればなぁ。
追記:トリビュートビデオ出たーSyd Barret Tribute 1946-2006 R.I.P.
思えば昨年5月あたりから開始して、夏に大きく停滞して(編集の方には実に申し訳ないことをしました。心よりお詫びします)、年末に完了。なんか停滞の影響かこのまま覆水盆に返らずとなるのかと思っていたものの、NetBeans5に合わせて3月くらいに手直し依頼があって、その後またどうなったのかなぁ、と思っていたところ、Rails本の校了と同時くらいに最終校正が始まって、あれよあれよというまに、アマゾンです。
Seasar2で学ぶ DIとAOP アスペクト指向によるJava開発(arton)
えーと、題には問題があります。指摘した時点では遅かったらしいのですが。
本来は『DIとAOPによるJava開発』であるべきですが(Java開発って何よ? というのもあるなぁ。Javaを開発するみたいにもとれるし)、多分AOP何それ? というのを恐れて(その懸念はわかるのですが)『アスペクト指向』というカタカナ(ここの読者の大半には以下の理屈はわかんないだろうなぁ、と思うんだけど、同じ「意味がわからない」であっても英字3文字とカタカナだと、カタカナのほうがわかったつもりになれる/わからなくはなさそうだというポジティブな方向に考えがはたらく、つまり敬遠されにくくなるという効用がある)が変なところに入っています。そのため、題名はどう見ても『DI』が埋没して『アスペクト指向によるJava開発』です。本当にありがとうございました。が、もちろん最初に書いたとおり『DIとAOPによるJava開発』です。最初に出てくるDIのほうがむしろ主眼です。
で、Java開発は何よ? ですが、ここでは実装設計が主題です。
内容は一口では説明しにくい本なので、ここで説明します。
全体は大きく2つのパートに分かれています。
最初のパートは、3つに分かれます。
1つ目は、ソフトウェアのライフサイクルの話で、モジュラー化重要ということの説明です。
2つ目は、DIという実装技術の解説です。昨年の内容なので、セッタインジェクション、コンストラクタインジェクション、注釈付きフィールドインジェクション、インターフェイスインジェクションです。意外とインターフェイスインジェクションが好きですねというのは余談です。
3つ目は、アスペクト指向の解説とAOPLではないJavaというOOPLでどうAOPを実現するかの簡単な(バイトコードモディフィケーションまでは入らない)実装技術の解説です。
このパートはどちらかというと、フレームワーク実装者向きかも知れません(追記:誤解を招く表現。その実装がわけのわからないものではなく、安定した技術に基づいたものだということを示すという意味がもちろんあるわけで、自分で作るかどうかに関わりなく、どのような技術に基づいて作られたのかということを知っておくことは重要だと思います。完全なブラックボックスを利用するのと、その実装――たとえばS2――そのものはブラックボックスとして扱うにしても、中でどのようなことが行われているかについて原理を理解しているのではまったく異なります。この観点から、パート1のうち実装技術の説明をしている章を書いています)。
次のパートは、S2コンテナ+S2JSF+S2Daoを利用したWebアプリケーション開発のチュートリアルの形式を取っています。しかし、チュートリアルとは言わずにケーススタディとして扱っています。これは実装中に出した論点について、考え方などについて説明したり考察したりしても結論を出さない(ケースバイケースで結論が変わる)部分が多々あるからです。つまり、設計上の選択がどのような局面で必要となり、それに対してどういう観点を取るとどのような設計が必要となるのか、といった点を解説しています。
#実はごーやについては昨年夏ころまでの情報を元に考えた結果で構成しているため、はぶさんや現在のひがさんの考えている(というかオリジナルの)ごーやとはずいぶん違うような気がします。
取り上げた題材ですが、以前『J2EEプログラミング講座』(これいい本だと思うので、こちらもよろしく)の時には比較的業務プログラムに近い内容のサンプルを使ってみたのとは大きく変えてWikiの実装にしています。
これは、業務プログラミングのイメージに近づけたサンプルを出すことよりも、終わった後にそれなりに使えるプログラムにしたほうが良いかな、という考えからです。そういった現実のプログラムとしての実用性とは別に、構造的な実用性としてWikiは、データベースからデータを引っ張り出した後にいろいろな加工をする(Wiki記法の処理)こと、特にその加工方法について拡張性が必要なことが挙げられます。
というわけで、家では『かんたんRails』、会社では『DIとAOP』(会社でRailsの場合は、ライド・オンやはじめよう、くまくまーの人のもリファレンス性が高いらしい、だろうなぁ。かんたんRailsはパーソナル性を追求してるし)ということでよろしくお願いします。
かんたんRuby on RailsでWebアプリケーション開発(arton)
#私信:レビューしてくださった方へ。こちらから発送しますので見本刷りが出るまで(多分、後2〜3週間)お待ちください。
#実装はまったく参照していませんが、Wiki記法はHikiのWiki記法をそのまま流用させていただいています。スタイルシートもHiki同様tDiaryテーマを流用させていただいています。
15号。
今号の読者プレゼントは、翔泳社から例のあれが提供されています。
かんたんRuby on RailsでWebアプリケーション開発(arton)
(これ)
あと、プレゼント連動企画で著者インタビューが出てます(主客転倒な表現だと思うと大間違いで、単なる時期的な偶然だけど)。
ますます、わからない状態。
今までWindows 2000で試していて、manifestしようがやはりだめだったのだが、ふとXPで試したらすんなり動く。
2000ではNT.DLLのロード直後に読み込まれているように見えるが、そのあたりも変だな。
追記:マニフェストベースバインディングをサポートしてないから当然か。でも、そうだとするとWindows2000ではWinsock2のすり替えはできないということになるような気がするんだが。VC++6で作ってためせば良いのか。
追記:読んでたドキュメントが古い(MSDN内に新旧混交してるというか、英文を読め>おれ)
XPと2003のロードサーチオーダ制御:HKLM\System\CurrentControlSet\Control\Session Manager\SafeDllSearchMode
これと、2000のロードサーチオーダに何か関連があるかな?
なるほど。完全に間違って覚えてました。というか、モスクワ駅前もまた青山なのか。であればむしろ思っているということですね。
#そういえば、何も読んでないとか言いながら超マシン誕生とか読んでるし。
再現するパターンができたのでメモ。
追記:間違い。
既知かどうかは知らない。MSDNを普通に読む限り、この動作はおかしい。
元はRuby on HTAだが、VBScript on WScript.exeでも再現したのでそっちの例。
Set w = CreateObject("WScript.Shell") Set e = w.Exec("cmd.exe /c echo a") r = "" Do While e.StdErr.AtEndOfStream r = r & e.StdErr.Read(1) Loop WScript.echo r rem wscript.exeがループする。
マシン速度などにも依存するかも知れないが、Execで実行したコマンドが標準エラーをさわらなかった場合、WshScriptExec#StdErrは、永遠のAtEndOfStreamプロパティが偽のままになる。だが、呼び出し側はどうやってそれを確認すれば良いのか?(追記:常識的にWshScriptExec#status != 0という判断はできるわけだが、なんかなぁ……)
WShScriptExec#StdErrにオブジェクトはアサインされている。おそらく、Read(1)が長さ0の文字列を返したかどうかで判断することは可能だろう。が、ms-help://MS.VSCC.v80/MS.MSDN.v80/MS.WEBDEV.v10.en/script56/html/wsMthRead.htm には戻り値の長さが0の場合がEOFだとはどこにも書いてない。サンプルは、AtEndOfStreamプロパティ検証ばかりだ。
それにつけても雷がすごかった。
期待してる人。最初のパイプが詰まるのはしょうがないとは思うが。hold one's breathで固唾を呑んで見守るという意味なのか。あきらめな、っていうことなのかな?
桑島さんのCygwinパッチ(long longの手修正を不要にする)と、JDK5.0 javahパッチを取り込みました。
JDK1.4でのビルドについては今後は未サポートとします(環境ないし)。
機能的には0.2.7から変更はありません。
久々になってしまったがCOLDPLAYのX&Yを聞いている。
しかし、ニューオーダーというかピーターサヴィルなジャケットだな。
Square Oneのサビの部分はビー……みたいだ。
What Ifのハスキーなボーカル。
White Shadowsはきれいな曲だな。この曲の良さは驚くべきものがある。14〜6歳だったら卒倒してしまいそうだ(卒倒じゃなくて傾倒か)。
Talkは好きな曲だが、そりゃそうだ。クラフトワークのとても良く知っているメロディーだ。
たるいんだが、Speed of Soundも良い(題だけはBowieみたいだが、こういうたるいのは以前どっかで耳にしたような。Smithとかかな?)
A Messageはどう聞いてもイアン・マカロック(エコー&バニーメン)だし。
Lowは初期のイーノだ(これは名曲だな。それにしても題はもろBowieだ)。
Til Kingdom Come(この題もBowieみたいだ(実際にはトム・バーライン)。曲は全然違うが)。
どれもどっかで聞いたような、どこでも聞くことはないような、オリジナリティにあふれているような、いないような。こいつらいったいなんなんだろう?
Sun が 48台の HDDを搭載可能な Opteron サーバを発表。
なんだか、DGの末期みたいな気もしてくるプロダクトだなぁ(まあサーバーであってディスクアレイではないわけだけど)。
「オブジェクト指向プログラムのためのパターン言語の使用」を読み返している。
漠然と感じていたことをあらためて書き出してみる。
アプリケーションプログラマーとフレームワーク(端的にはRails)の関係について。
以下は、上記文章のもじりである。
もし、元のアレクザンダーの考えが正しく、そしてケントベックとウォードカニンガムが考えたようにアレクザンダーが建築に対して用いた考え方がプログラムに適用可能なような普遍性を持つのであれば、以下の言明は真となるはずだ。
Alexander氏は、家やオフィスというものは、実際にそこにいる人たちの手によって設計され、作られるべきだと提案している。氏がこう結論付けたのは、ある構造(a particular structure)への要求を一番よく知っているのは、彼ら自身だからだ。我々はこれに賛同し、フレームワークにも同じ論旨を展開した。つまり、プログラマーは、自分自身のフレームワークを書くべきなのである。この考えはアホみたいに聞こえるかもしれない。建築とプログラムとの規模や複雑性の違い、設計のプロになるためのトレーニング年数などを考えると、その通りだろう。しかし、Alexander氏が説得力のあるシナリオを提供している。そのシナリオは、「パターン言語」と呼ばれるコンセプトを中心に展開されている。
次にRailsについて考えてみる。Railsは優れたフレームワークとして受け入れられていると考えられる。
上記の2点から、Railsはプログラマーから見たWebアプリケーションフレームワークのパターン言語を設計に適用した結果とみなすことができる。
事実、Railsを利用していて感じることのひとつに、うまくできているな、という思いがある。何かをしたいときに、それがたいていにおいて用意されているか、少なくてもそれをたやすく実現するための仕組みが用意されている。だいたいにおいて。
誰か他のプログラマーにRailsの良い点を説明する必要が生じたと仮定しよう。
一番簡単なのは、実際に使ってもらうことだ。
しかし、別の方法論もあり得るのではないか?
パターン言語とは、設計過程で発生するあらゆる問題に対し、実際に機能するソリューションを提供することで、設計者を導くというものだ。パターン言語は、一連のちょっとした知識がある一定のスタイルで記述、整列されており、設計者がその時点で最も適した質問を尋ねる(または答える)ことができるようになっている。
(良く考え抜かれたFAQとはパターン言語のインスタンスか?)
パターン言語を、これから生まれるものを記述するために利用するのではなく、すでに存在するものを記述するために利用する。そのような利用方法が効果的かどうかを試す。
練習問題:Rubyはプログラマーを幸福にするプログラミング言語と利用者から考えられているようである。もし、そのように感じているのであれば、プログラマーの立場からプログラミング言語Rubyをパターン言語で記述せよ。
まーったく期待せずに見に行ったが普通におもしろかった。
しかし、
・意固地な召使頭のおばさん
・辺境からやってきた孤児の少女
・足が悪い子供
・母親の不在
・子供を愛する親父
・地元の職業少年
・歩けた!
と、共通点が多い秘密の花園の作者はハイジを意識してたんだろうか?
#秘密の花園の親殊な親父の代わりにハイジは祖父に謎の過去があるとか、祖母さんの大らかさとか。
ハイジは金持ちの性格の良さとなんでもありと見なすありようと、年取った職業人の愚かしさの対比が不気味な感じ。それにしても、猫を何匹も屋根裏でこっそり飼うはめに陥ったセバスチャンの人柄の良さが救いではある。
それにつけてもピーターの貧乏っぷりが極端で(いつ餓死してもおかしくはないような描写。いきなり昼飯がほとんど無かったり。っていうかそれまでもそれで生活してたんだろうし)ちょっと恐ろしい。
漢字が無いと、読み方さえわかれば読めるようになるってのは楽そうだな。(ドイツ語も、不規則なのがあまり無さそうだし)
映画の印象は薄い。役者の映画っぽい。
ja.WikipediaでRubyを見るわけですよ、奥さん。するとtDiaryとかにリンクが張ってあるわけですよ。同じようにTypoにリンクがあるわけですよ。
そこで、新聞がやらかした事例が大笑いのなんのって、熊度、ビッグマックとか。ビッグマックでは息がつまるかと思った。
あー、あぶねー。
タイトルがむちゃくちゃかっこいいな。
書評で星2個しかつけていない人がいる。これを読むと逆にtakahashimさんが書いていることがわかるような気がする。が、確定しちゃったから、すぐ来るだろう。読んでから考えればいいや。でも、考えてみる。ここで評者が問題にしているのは、基盤がなんだか良くわからないものだということだ。したがって、方法論が浮いている。そういう方法論というのは逆にあるべき基盤を骨抜きにする可能性がある。また、変化を単なる思い込みから妨げる理由に使われかねない。
逆にそれは、基盤を離れて(というかはなから考えずに)、試行錯誤しながら、少しずつ完成形が見えてくるときに、感じる幸せな感覚を保証しているかのようだ。
海岸で砂の城を作る、レゴを適当に組み立てていくうちに作りたい形がだんだんわかってきて何か楽しいものができる。そういう感覚だ。
オブジェクト指向がわかってきたときに、感じる楽しさがある。ばらばらのクラスをインスタンス化していったりオーバーライドして別のクラスを作ったりしているときに味わうことができる。
ああ、それでだめなものができるときはあるし、だめなものを見させられるときもあるが。
でも、作っている最中に感じるものは、とても大切なものだ。逆にそういう感触抜きに単に物事を複雑にしているだけなら、やめたほうがいい。
(書きかけ。ちょっと時間がきた)
朝、浅草方面の銀座線に乗ると混んでる(というか、混んでない路線はないわけだが)。
で、赤坂見付でどーんと乗ってくる。文字通りどーんと来るので(丸の内線という海賊船が横付けになって一斉に大砲を打ち出すさまを想像されたし)、うかつに背中を入り口に向けていると背骨を折られること請け合いだ。これはひどい。阿鼻叫喚。で、この大砲の弾は話にきくドムドム弾みたいなもので、着弾するとばらばらにばらけるわけだが、その個々の弾をあっけに取られてみていると、これがまた揃いも揃って目つきが悪いのが肩肘張り巡らしてちょっとでも触れようものならグリグリゴリゴリしてくる、全身これ凶器の集団。
それが虎ノ門を過ぎると空席ができるほど空く。
すると、あの全身凶器集団は、やはり官僚と考えるのが素直なんだろう。
競争力のある日本、万歳。
それはともかく、結局、週休二日制は官庁が率先して範を垂れることで民間にも導入されたことをおもんばかれば、彼らがその目に血走らせた競争力を無駄に通勤に浪費せずに、他のことに使えばよいのに実に惜しいと思わざるを得ない。
運輸省は虎ノ門(霞ヶ関)にはないんだろうか? あ、経産省や総務省とかにばらけてるのが悪いのか。運輸通信省(通信運輸省だと日本通運みたいになるので、運通省。お通じが良いというのが彼らに対する賞賛の言葉)に統合すればよいのだ。データも人間も物もすべての位置移動を伴うものは同じように扱うことができるはずじゃないだろうか。
というようなことを、朝、電車に乗ると考える。へたなかんがえやすむににたりがい。
_ sumim [ダムダム弾ですね。ジェットストリームアタックも、ある意味、目標に到達すると、ばらけるわけですが…(^_^;)。]
--with-tcl= で、tclConfig.shが入っているディレクトリを指定すればよい。
mkdir bld cd bld ../configure --with-tcl=/usr/lib/tcl8.4
わけわかんなくなってきた。
sqlite-3.3.6
python-2.4.3
pysqlite-2.3.2
clearsilver-0.10.3
trac-0.9.6 …… ×
->Subversion再訪
->swig-1.3.29
sunversion re-configure
apache落ちた
make swig-py
make install-swig-py
make swig-rb
make install-swig-rb
apache2再設定(仮想サーバ作る)
assert have_pysqlite > 0
#もともと入れていたpython2.2が悪さをしてた。ln -s /usr/local/bin/python2.4 /usr/bin/python で逃げ。apt-get removeしても大丈夫かな?
No module named svn
#ディレクトリの名前違い。DESTDIRもswig_pydirの指定もきかずに、違う場所にインストールされる。面倒になってsymlink
bsvn_swig_py-1.so.0: cannot open shared object file <-今ここ
LD_LIBRARY_PATHが、FastCGIに起動されたやつには効いてないみたいだな、というか元からApache2のほうの設定かも。どうしようかな(面倒になって、/usr/libにsymlinkに該当soのsymlink作っちまおうかとか考えている)
とりあえず、↑で無理矢理動かしてしまった。
新幹線の中で読了。外界と200Km/hの差で進みながら読んだわけだ。
インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 [ソフトバンク新書](白田 秀彰)
1点瑣末なところに引っかかった。P.169の「個人の身分を隠すこと」。身分=裏の世界からの収入を持つことなのかな、とは思うが3段階くらい飛躍してるように思った。政策の真意を隠すことに対応させるためかな。
P.193でいきなり『デジタル音楽の行方』が引き合いに出るところもちょっと唐突な感じ。
で、最初のところだが、読みながらずーと韓非子の文章が頭に浮かんでならなかった。
たとえば
法律を専門にして仕事にしている人たち……過去を学び、未来を見据えて、社会の法則性(law)を探し出し、時代の大きな流れの中で私たちの幸福を増大するような手当てを考えなければならないのだと思っている。(P.30)
という言葉は、
智術の士は、必ず遠見にして明察。明察ならざれば私を燭らす能わず。――孤憤
に正しく(驚くほどそのまま)対応する。
おそらく英米法の専門家だからわざわざ中国の法家の文を読んでるとは思えない。にもかかわらず、ここで書かれている法の成立の過程は紀元前の中国の法家の考えた国家や法のありようとそれほど違わないことに驚く。
法とは何かということが、2200年前の中国であろうが13世紀の英国であろうが、現代の日本であろうが、過去の社会のありようから法則性を探し(遠見)、時代の流れを正しく未来へつなげる(明察)ことだ、というのはそれほど不思議ではない。社会科学的な見方というのはいやでも遠見明察である以外に手法がないからだ。
しかし、なぜ、そのような法が、同じような権力観を持つ英国で現在の目から見て正しく発展し、中国(皇帝はおかしなことをしでかせば、簡単に易姓革命で取って代わられてしまう存在に過ぎない。したがって一時的な権力指標としての価値しかない。これは本書で描かれている英国のありようと近い)や(その影響下の)日本(Y染色体だからちょっと違うのかね? しかし現世権力はそこにはなく、征夷大将軍や摂政関白、内閣にあると考えればやはりその時々の情勢に応じて取って変わられる指標に過ぎない)では儒教のような単なる道徳的な規範に変節してしまったのか、それが不思議でならない。それが地域的な特質ならば、なぜ韓非子のような法家が生まれ秦帝国や漢帝国のような立法国家が成立できたのか、そしてなぜそれがわけがわからない儒教的な国家に変質してしまったのか。(さらには同じような錬金術と、丹術から、かたや自然科学が興隆して、かたやわけのわからない仙人の御伽噺になってしまったのか、というのも)
第2章以降は教養書として普通に読めた。もうちょっと子供が大きくなったら読ませる。そういう本だ。
『JLA 2006年7月セミナー in 仙台』で、Ruby on Railsについて話してきました。
佐藤さんの『ext3 諸元拡大に関する研究開発動向、及び改造方式の検討」の発表(どうカーネルグループに対してアピールして通させたかとか、横からミンミンに実装されてしまったとかいろいろ)がとても興味深かったほか、講師というより受講して面白かったセミナーでした。
どうもありがとうございました。>関係各位
#以前、仙台に行ったときは、仙台駄菓子をおみやげにすんなり買えたのに、今回はどこへ行っても牛舌ばかりでどこにも(仙台駅の話)置いて無くて(結局1軒見つけて買えたけど)ちょっと驚いた。おみやげものにも流行り廃りがあるんですなぁ。あんなもの永遠に変わらない(ものがあるわけありえないのだが)のかと思ってた。
IMEをオンにしたままスペースキー叩くと忠告してくれるところがおもしろい。(と思ったら、スペースキー叩かなくても忠告する。どうやってんだ? と思ったらIMEキーを見てるのか。叩かなくてもイベントが渡るのかな?)
#実はメッセージに違和感を覚えたわけだが、IMEをオンにしてはてぶを開く。オンじゃだめじゃん、と気づいてIMEキーを叩く(トグルなのでオフになる)。しかしIMEキーを叩いたのを検出してメッセージが出る。なんだろう? と感じたということのようだ。
19 Rails Tricks Most Rails Coders Don't Know
後で読む、多分。
Rubyのシンタックスハイライティング(日本語だと何になるんだろう?)ライブラリ。
遥か以前に売ったりしてなくなった音がまた買えるのは嬉しい。
やましたさんのところ経由で高橋悠治の音源がたくさんCDになってるのを知る。
裏目狙いのパーセル。そうそう持ってた持ってた、と思ったが手元には無い。同じ考えから生まれたであろうバッハのフーガの電子技法のほうが好きだったので売却した覚えがある。
シューマン:クライスレリアーナ(紙ジャケット仕様)(高橋悠治)
ベーゼンドルファースタインウェイ(でも写真はヤマハだったりするかも。フレームの重なった部分の接合方法で区別できるはずだが、忘れきった。確か和田則彦がこのジャケットをネタに音と絵の関係について書いていたような気がする。するだけ)の向こうに猿がいると言ったら失礼なのだが、あまりのジャケットのひどさに売ってしまったLPだったがやっぱり買いなおし。シューマンってのも裏目狙いな気がする。
森の情景は難しさのバランスが適度なので(小学生でも弾ける)、一時練習して全部弾けるとこまで持ってった(もう完全に忘れたな)。調性が不安定になったり(予言の鳥)、非常にバランスが良い和音が続き深みがある別離、予言の鳥ほどではないが時折意図的な不協和音が入るためきれいな曲なのか不気味な曲なのか判別しがたい寂しき花々、文字通りの評判の悪い場所(でも森なんだから不気味な場所と訳すんじゃないのかな。でも高橋悠治があえてそう題を付けたということを考えると「評判の悪い」という微妙な言い回しが何かを物語っているんだろう)、楽しい旅籠屋など、クララシューマンが目を離した隙にシューマンのおどろおどろしい妄想が一瞬輝いたかのような小品集。高橋悠治は、僕の想像に過ぎないが、言葉と音の関係を探す途中か、あるいはロマン派の到達点を考える過程でか、シューマンにたどりついて、その時に残した音源だと思う。おそらく、ドイツ音楽史上最初のタイトル最重要な曲集(シューマンの小曲集はすべてタイトル最重要かも知れない。コンポーネントを組み合わせて1つのスイートを構築するというのが一番ぴったり来る。寂しき花々なんて運命以上にモティーフ重要だったりするし)で、本来はさらに個々の曲に詩というかアノテーションが打たれていた(クララが削除した)。アノテーション無しでも実行はできるが、応用がきかなくなる最初の例でもある。
アノテーションはもっとも解釈がしにくい評判の悪い場所にのみ残されている。しかし、今になって譜面を読み返してみると、1848年という作曲年と合わせて、これはドレスデン革命を巡る断章であり一連の歴史的な経緯を描いたものかも知れないな。クララがアノテーションを削除したのは表に出すことが危険な真意を隠して単なる森の情景にするためだったのかも知れない。旅籠屋って池田屋(攻められる前の)みたいな場所だったり。怪気炎をあげている様子が聞こえたり。で、不気味な予言と神の恩寵の啓示があり、狩られて別離(だが根絶やしにされたわけではないので、次の機会にまた集まろう)か。
そのほか、つっかかりまくるガボットが印象的なベートーヴェンとか数枚購入。
['^http://ezsch\.ezweb\.ne\.jp/search/.*?query=([^&]*).*', 'ezweb検索(\1)']をtdiary.confの@referer_tableに追加(ぴったり20日からだから間違いないと思う。.*?が入っているのは"search/?query="となるパターンと"search/ezGoogleMain.php?query="となるパターンの2種類があったので)。
Seasar2で学ぶ DIとAOP アスペクト指向によるJava開発(arton)
(キャッシュ消すまで更新されないんだな、これが)(キャッシュ消して取り直した)
意見が通ったのか最初からそのつもりだったのか、「アスペクト指向による」は副題というか表紙では目立たない。
なんか、これまでの著書のイメージとえらく違う爽やかな感じの表紙だ。
これを機会にチューブとか(しかし思いつくのが古い)聞こうか、というか沖縄の海なのかな?
とりあえず、このあたりでお茶を濁しておいたり。
A LONG VACATION 20th Anniversary Edition(大滝詠一)
くちびる、つんと尖らした、うるわしのカラーガール。
_ なかだ [ruby -ne 'END{p STDIN.lineno}' ruby -ne 'END{p $.}']
こないだクリックしまくった(たかが知れてるが)高橋悠治が届きまくった。
バッハ:クラヴィーア協奏曲集(紙ジャケット仕様)(高橋悠治)
そこでこんな一節に出会い、なんでそんな当然のことを失念していたのかと自問する。
かかれた部分は、家をたてるときの足場のようなもので、しごとがすんだら、もういらない。もちろん「足場」なしに、この点に達することはできないが、一度そこに達したら楽譜に正確にしたがうことは、もうたいせつではない。作曲家の意図もまた足場であり、それもすてることができる。のこるものはことばであらわすことができない。だからやるよりほかはない。
――失敗者としてのバッハ
捨てることを前提としたコード。捨てることが前提なのだから、都度、人がそのコードを紡ぐ必要はない。だから、そういうコードを「足場」と呼ぶ。それは建物がその全体像を外に向かって示すときには、解体されどこかへ消え去っているものなのだ。
このことでおもいだすのは、中国のことわざで、「指が月をさすとき、バカは指をみる」というものだ。
肝に銘じる。
4日(いやもっとか)痛かったのがやっと収まった。
寝られる程度の痛みではあったが、それでもいつでもどこでも何していても痛いというのはなかなか興味深い経験だった。
飯食えば痛い、しゃべれば痛い、息をすれば痛いし、顎を動かすだけでも痛い。
あまりに痛いので、暇なときはフィードバックの訓練をしてみたり。
というのは、痛いのはまさに歯なのだが、歯の上部の痛いなぁと感じているところはすでに自分の歯じゃなくて金属になっている。歯科医によると、神経は歯茎というか顎の歯が埋まっているところの下にあって歯そのものには根元の部分を含めてないということだ。
でも顎が痛いわけじゃない。でもわけじゃないというのは幻想で本当はそこが痛みを感じていて、痛いとリアルに感じている歯は実は痛みを感じない。そのずれを意識的に補正しようというようなことだ。
今朝になったら歯茎が腫れていた。ということは歯に関連した神経が痛がっていたのじゃなくて炎症を起こしたか何かで歯茎の中で下のほうの炎症によって順番に押されてきて最後のどんづまりのところで痛みを感じていたのかも。といっても歯茎が痛いんじゃなくて歯が痛かったわけだからやはり間違いなんだけど。
やっかいなバグみたいだ。根深いところのバグによって引き起こされる障害はバグの箇所から遠く離れた場所や時間的に遥かに後に障害となって発現する。スレッドはたくさん、というか神経そのものがスレッドなのだが、コンポーネント(歯、顎の骨、歯茎、隣の歯とか)もたくさん、通信もある。おもしろかった。
さて、ちょっと一息つけそうな気がするからレシピ本でも読んで勉強し直すか、と思った。持ってないからアマゾンだ。
でふと見るとマーケットプレイスマークが見える。1200円かぁ。実用書だからそれもありだなぁ、と思ってよく見ると桁が違う。12000円だよおっかさん。
品切れなのか、絶版なのか、絶賛第2版作成中なのか、なんだろう。3ならいいんだけど、同じ1.8でレシピが変わるってあるのだろうか、とか。
追記:ツッコミ欄参照(書泉で見た、bk1にある、ソフトバンクにもあるなど報告多数)。アマゾン情報格差を狙った商売のようです。選択肢がある場合――地方の人に書泉は無理だよな。でもbk1やソフトバンクのEコマースサイトはありなわけで――それらを利用しましょう。
さらに追記:というまに、2点在庫ありになった(でも、僕が注文したから1点だけだろうけど)ら、マーケットプレイスのほうもそれに合わせて値段が変わってるよ。デイトレーダーみたいだな。現物を抱えてるだけデイトレーダーよりリスクテイカーかも。おもしろい)
さらに追記:上で書いたこと嘘だった。マーケットプレイスにアマゾンが定価で出品したので、見た目の価格が変わったのだった。ますますもっておもしろい。
追記:(20:45)つい見に行ってみたら残りの1冊も売れてまた12000円になってた。すげぇな。
関数型言語 (これはバズワードではないか ?――等価変換な日々。
それにしてもバズワード(buzzword)ってなんだろうと疑問に思ってあらためて英辞郎を見ると
キャッチフレーズ、スローガン、決まり文句、もったいぶった言葉、専門的流行語、業界用語となっている。業界用語ともったいぶった言葉の間にはそれなりに壁があるような気がするな。モツレクはバズワードか?
しかしそれよりも次の項目のbuzzword bingoがおもしろい。
会議などで行われるビンゴ。通常のビンゴと違い、カードの升目には数字ではなくバズワード(もったいぶった専門語、専門的流行語、人を感心させるためによく使われる文句)が書かれている。会議などで口にされた言葉が手元のカードにあれば消していき、早く1列消すことができた人を勝ちとする。
「会議などで」というのがきいているな。
そうではなく、審判が秘密のカードを持っていて会議中の発言を元に一人で消しこみをしていく。そして最後に消されたバズワードを口にしたものの言質を取るってのもおもしろそうだ(黒ひげ危機一髪)。あーこわいこわい。したがって、その会議ではバズワードは口にできなくなる。会議というよりは、パネルディスカッションとかでやるべきだろう。あるいは、戦略会議でクライアント特権としてカードを握る。消しこみが完了したらコンサルタントフィーは無料とか。
それにしても英辞郎は役に立つ(この例では暇つぶしの役に立った)。
でっかい。
ふと、クリント・ファーストフード(Clint Fastfood)という役者のビデオがないか探してしまったが、そんなものはなかった。
しかしFastfoodや、Eastwoodはいっぱいある。
u r kawaii,
ふむ、コメントではkawaiiという言葉を使っているが……
そういえば、口パクって極めて映画的だな(ダニエルシュミットを思い出した)。
はりつけいちばんのり、ブログのうーえに、あまぞんあさまし、さあはりましょう。らららら、らららら、らららららららー。
というわけで、ヽ( ・∀・)ノくまくまーさんの優しいRailsの育て方。
Ruby on Rails入門優しいRailsの育て方(西 和則)
#こっちもよろしく(絵が出る分、表面積がでかい)。
むとうさんの指摘(かんたんRuby on RailsでWebアプリケーション開発 (2))について。
h の意図は、デフォルトではとにかく h を付ける方向でサンプルを記述するということだったのですが確かにHTML上に書いた文字列と同じ(ただ翻訳によって動的に置き換えられる点が違う)と考えると過剰だったかも知れません(最初はやっぱりそれで良いのだとも思うので断言しない)。
一方、文字列の置き換えは、……完全に調査不足でした(というか最初から調査してないというか……Rubyは本当に痒いところに手が届くなぁ)。うぐ、正誤表に引数指定について入れます。ご教示ありがとうございます。
機会があったら観る。
紀伊国屋の横の、柱が邪魔なところにある変な箱(映画館とは言いたくも無い)で観た女の戦いだが確かに空間の異様さのせいだけじゃないテンションを感じたのは事実。
ドワイヨンと言えば、デプレシャンの二十歳の死になんか似てなくも無い郊外の一軒屋に若者が集まってなにかしている映画を観たような気がするのだが、ごっちゃになっているせいかまったく思い出せないということを思い出した。
個人的には家族生活をまた観たい。あの映画は子供とのつきあいかたのひとつの手本だな(というか、若い女性に対する視線と子供に対する視線の2つにドワイアンはすごくクセがあるように思える。……チェンガイグだかチェンカイコーだかみたいだ。閉じた世界と開いた世界で真逆だが)。
(子供に観せようと思って買ったものの、趣味が悪いなと思い返して、結局そのまま封も切らずに埋もれている作品)
シーモア・パパートの講演まとめ。(こういうのが読めるって本当にありがたい)
今ではなく未来に備えて今できることから始める。
アイディアを技術によって形にし、デバッグする。少しずつ未来へ近付ける。
学ぶということ。
内角と外角の話は特に興味深い。近くにあって現実的なもの(内角)。指と月の諺みたいだ。
こんなのが簡単に書けるメソッドはあるかな?
[1, 2, 3, 4, 5].inject([]) do |a, x} if x % 2 == 0 a << x + 1 end a end
Enumerable#selectとは違って元の要素ではないものを入れる。Enumerable#collectとは違って不要な要素は削除する。
具体的にはこういう処理をしたい。
require 'pathname' def child_dirs(dir) Pathname.new(dir).children.inject([]) do |a, x| if x.directory? && x.basename.to_s[0..0] != '.' a << x.basename.to_s end a end end
これを
def child_dirs(dir) Pathname.new(dir).children.filter do |x| (x.directory? && x.basename.to_s[0..0]) ? x.basename.to_s : nil end end
と書けるのがEnumerable#filter。でも、nilが要素として入れられないってのはまずいか……
module Enumerable def filter(&p) inject([]) do |a, x| n = p.call(x) if n a << n end a end end end
ジェズイットを見習え |
_ ma2 [グレーシー柔術は日本人柔道家が始祖ということですから,あながち無関係でも無いですね。柔「道」になってしまう前の原始武..]
_ arton [逆に言うと、それほど講道館はすごかったということなんでしょうか?]