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日々の破片

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2020-08-05

_ 大井町のイトーヨーカドー

CATSを観に大井町に行って、早く着いたのでイトーヨーカドーの31でアイスクリームを食ったが、それにしても今となっては古臭い味だなぁと思う。

それはそれとして、店の脇に客からの質問とそれに対する店からの回答の掲示板があって、興味深く読んでいて3つを除いて気分が悪くなる。

3つのうち1つは、レジでいちいちヨーカドーアプリはお持ちか? と聞かれるが意味がさっぱりわからない。あればお得なら欲しいがどこに置いてあるのか? という問い合わせで、これはわかる。回答も、スマホをお持ちならサービスカウンターに来てもらえれば入れるよ、とあって、まあそんなものだろう。

1つは、服屋を増やせというぶっきらぼうなやつで、回答も、無理、というあっさりしたもの。

最後の1つは、KFCとリサイクルショップが欲しいというやつで、回答はいろいろ計画があって今の状態なんだけど検討するよというもの。質問に合わせて回答の丁寧さが異なるのがすごくおもしろい。

残りはすべて、店員に対する不平不満で、幾つかはあーそれは本当だったら(そしていかにもありそうだから)不快だよねー、なのだが、残りはすべて難癖のレベルだ。私服がどうしたとか、座っているのがどうしたとか、くそむしレベルの難癖に気分が本気で悪くなる。

子供が、良く引っ越し先を探すときに、~を見れば住みたいかどうかわかるという記事とかあるけど、駅前スーパーのお問い合わせ掲示板も使えそうだねーと言い出して、さらに、苦情しか無いっておかしかないか? 少なくとも幾つか感謝系といつもありがとうございます回答があるはずじゃん。もしそういう投書が無いのなら、文句垂れしか住んでない良い街は楽しい楽しいブータレブーの町だし、もしそういう投書もあるのに掲示していないのならこの店の店長は、読んで不快になるようなものにしか目配りしていない間抜けで、いずれにしてもろくなものではないと高説をたまわりまくる。

結構説得力を感じたので、なるほど、おれは大井町には住まないな、と納得してしまった。

_ CATSを観る(2度目)

前回観たのは9年前(読み返すと民主党政権時代のようだ)の横浜だが、ときどき思い出すことがあるし、というよりもアラジンを観ていてなんかCATSのほうが(何かが圧倒的に違うせいで)おもしろかったのはなぜだろう? と不思議だったので大井町に観に行った。

で、一言で書けば、キャッツはアラジンとは異なり、役者の肉体の美しさが圧倒的だということだった。これはライオンキングにも通じるが、とにかく劇団四季の連中は驚くほど美しい。

ここでの美しさというのは、顔の美醜といったことではない。キャッツとライオンキングでは人間が無理矢理動物の動きを真似る(全然似ていないが、それは問題ではない)ことで生まれる、筋肉や体の動きが、異様に美しく、しかもそれが強調される点にある。あるいは、人間の筋肉の動きと真似られる獣の動きの矛盾が舞台の上で演技として止揚されることによる肉体のダイナミズムと言えばより正確な表現だ。

特にキャッツの場合は、アラジンやライオンキングと違って、物語性に欠けるので、注視点は舞台の上での所作や歌に絞られる。そのため、とりわけ役者の肉体性に注目せざるを得ない。かくして、異様なまでにエロティック(ただしまったくセクシャルではない)なショーを観ることになる。

なんだろう? たとえば天井桟敷の若松武史を最初に舞台で観たときにある種の感動を覚えたのだが、それに近いものがある。

人間は美しい。

一言で言えばそういうことだ。その再発見の感動が本質と思う。

そういえば、本国でも本邦でも興行的に失敗したらしいが映画のキャッツも、おそらく作家は舞台の上での役者の動作の美しさを念頭に置いて作ったのだろうと、風評を聞いて考える。

キャッツ (字幕版)(ジェームズ・コーデン)

それを現代的な撮影技術を駆使して作れば、それはどう転んでもエロティックホラーショー(しかもセクシャルですらない)にしか成りようはないはずだ。

結果として、映画としての文脈からただただ外れたグロテスクな見世物で、劇場で生の肉体の動きを楽しむことに親しんでいなければ、一体なにを観れば良いのか理解しがたい妙なものにしかならないだろう。とすれば、映画観客や映画評論家から良い評価を得ることは不可能なはずだ。しかも、原作のミュージカルに忠実であらんとすれば、物語は存在しないのだから、ひたすら退屈なグロテスクな光景の連続としか読みようが無い。

というわけで、映画を観るのはおれには楽しみなのだが、不幸な作品となったのだろう。

ミュージカルという舞台芸術には間違いなくお約束がある。そもそも舞台作品はだいたいにおいてそうなのだが、文章芸術と異なり、人間は見逃し、聞き逃す。しかし時間は平等に過ぎる。

そのため、複雑な物語を舞台作品に練り込むのは至難だ。

不可能と言って良い。

特に、ミュージカル(源流となったオペラもそうだが)は、歌と音楽にも重要な役割があり、逆に台詞は説明の役回りが押し付けられ、それが多いと歌が減ることになり避けるべきとなる。

前回いつキャッツを観たのか調べるために検索したら、ロックオペラモザールを観たときの記録が出てきたが、レチタティーボ対無限旋律として作品のタイプを分析していておもしろかった。

この分類だとキャッツは無限旋律の極北としているが、むしろ端的に、モダンバレエといったほうが正しい。語られる内容はあまりにもどうでも良く、振り付けのための題材に過ぎないではないか。

だから、いずれにしても通常のミュージカルの物語は極めて単純になる。たとえば、「文化服装学院で青春を謳歌している女の子が、弁護士を目指す中央大学の学生に君は弁護士の妻にはふさわしくないよと振られてしまって、悔しくて中央大学を受験して法科の学生になる。そこで一生懸命に勉強して法学院の冴えない法律おたくの青年と恋に落ち、指導教官のパワハラ(TAに対する)セクハラ(本人に対する)と戦い、辣腕弁護士として独立する(キューティーブロンド、というかこのミュージカル好き)」とか「悪辣な貧困ビジネス経営者による孤児院での虐待に耐えかねて脱走した少女が犬と一緒にルーズベルトに直訴してニューディールを勝ち取る(アニー)」とか「オーディションをして俳優を選ぶ(コーラスライン)」とかのような3段論法のような物語か、またはアラジンやライオンキングのような既に観客が知っている物語を再現する、といったことになる。

Legally Blonde - The Musical Songbook: Vocal Line with Piano Accompaniment (English Edition)(-)

(キューティーブロンドというか金髪法律屋ってオリジナルがミュージカルではなくて、オリジナルが映画なのか? とすると上で少し筋が込み入っているのは、アラジンやライオンキング側の仲間だからなのかも知れない)

ところがキャッツには物語はない。

一応フレームワークとして、ジェリクル(なんだこれ?)の夜にゴミ捨て場に集まった猫たちが大騒ぎしていると、人間がうるせぇーと靴を投げる。がそれはそれとしてネズミやゴキブリを指導するおばさん猫、はぐれ者(というか中二病だろうと子供は言う)ラムタンタガー、コソ泥夫婦猫、列車猫(この歌抜群)、恐怖猫(犬がびびって逃げ出す)、劇場ネコ(大スターと共演したことがあり、当たり役はグロウルタイガーという海賊猫)などの有名猫を順に紹介しながら、ジェリクルキャット(姥捨て山に行く候補者っぽい)が誰に決まるかを待ちわびている。決めるのは長老猫だが、悪い猫マクヴィガーに長老が誘拐されてしまう。はぐれ猫のラムタンタガーが友人の魔術師猫ミストフォリーを連れてくる。ミストフォリーは人体隠しのマジックを行う(うまくいくかわからないので、本人後ろを向いてがくぶるしている)。無事、長老が出現する。そこに爪弾きにされている年おいた娼婦猫が歌を歌う。あまりに見事な歌なのでいつもは近寄ってはなりませんと止められている子猫が飛びついてしまうし、他の猫も皆、賛辞の嵐を送る。かくして娼婦猫が月へ送られることになる。おしまい。

というのはあるのだが、まったく内容がない。元はT.S.エリオットが猫って妙なんですよと、いろんな猫について書いた文章を繋ぎ合わせて曲をつけただけなのだから物語性というのは無いのだ。あるのは、冒頭誕生した子猫がうろうろするとか(何度か娼婦猫になつこうとして、いつも引き留められる)、ラムタンタガーが妙なタイミングで妙な道具を持ち出して怒られるとか、ゴキブリ軍団が掃除をする(魔法にかけられて?)とかのエピソードだ。

ただコアとして唯一強く印象付けられるのは、狆とテリアの東から来た犬と西の犬の縄張り争いと、シャム猫軍団とグロウルタイガー(西洋猫)という、2回、形を変えて語られる東西の縄張り争いで、一体これはなんだろう?

1920年、イギリスを舞台に、薄幸の美少女と中国から仏教伝道のために渡英したが阿片漬けになってしまった中国人青年の恋を描いた「散り行く花」という映画がつくられている(グリフィスなので制作はアメリカではある)。

T.S.エリオットがキャッツの元ネタを上梓したのは1930年代だが、1920年あたりのイギリスの状況というのは、そのての黄禍論後の東洋対西洋な感覚が濃厚にあったのかも知れない。キャッツでのジェリクルナイトはそんな1920年代のロンドンに違いない。

キャッツ (ちくま文庫)(T.S. エリオット)

開演前にゴミ捨て場を見回ると、TBSの天気予報の鳥がたくさんいるので、TBSがスポンサーについているのかなと思うが、だからといって2020年の東京が舞台というわけではないのだ。

という具合に、物語はなく、ひたすら猫に扮した人間が肉体美を強調する不可思議な舞台がキャッツなのだが、やはり好きだな。

劇団四季ミュージカル『キャッツ』メモリアルエディション(通常盤)(劇団四季)


2020-08-06

_ 水煮牛肉

今は無くなってしまったが、蓮根荘という箪笥町の近くの店に家族で行っていろいろ食べてた。

ある日、メニューに水煮牛肉というのがあるのに気づいて、はて牛肉を水煮とは、中華風のしゃぶしゃぶなのだろうかと注文した。

そしたらとてつもなく辛い料理だし、油の液体だし、びっくりした。味は良いからおれは食ったが、子供はこんな辛いの好きではないといってほとんど食べなかったような記憶がある。

さて、いろいろとインフラに東急を使っているせいでFinoという雑誌が毎月送られてくるのだが、富裕層向けなのでほとんど役に立つ情報を見たことがない。以前は、沿線散歩みたいな記事があったので、それでもそれなりにおもしろかったのだが(鎌倉時代の遺跡とか古墳とかが意外な場所にあったりして楽しい)最近はそれすらないのだが、8月号は違った。

唐突に四川料理の作り方の特集が出ていて、これがなかなかおもしろい。もっとも、唐辛子のヨーグルト漬けのようなまったく買う気が起きない調味料を使いまくるので、役に立つ立たないでいけば役には立たない。

しかし、その中に水煮牛肉があって、書いている通りに作るには、なんども中身をパンから出したり入れたり、油まみれのを刻んだりと、とてもではないがやってられないし、そもそも豆板醤も豆鼓も無いしこの料理のために買う気も無いが、換骨奪胎すれば、それなりに作れそうだと踏んだ。

ひとえに一種の勘違いではあるが、以前にS&Bの四川風辣油を買ってしまって、こいつの花椒をうまく使いたいというのもないわけでもない。

S&B 四川風ラー油 31g(-)

で、作り方を読む限り、重要なのは、トマトと香味油(といっても香料を胡麻油で炒めれば良いので生姜と長葱と胡麻油があればOKだ)、水煮するための中華風スープがあれば良いように見える。あとはバリエーションに過ぎない。幸い中華風スープの素というか、粉末調味料があるので、それを使えば中華風スープもできなくはない。

というわけで、やってみた。

まず牛肉の適当なやつを買う。Finoではしゃぶしゃぶ用と書いてあるが、安い肩やらバラやらのスライスのパッケージで十分だろう。北海道の牛のくず肉を100g 290円くらいでY'sマートが200gにパッケージして売っていたのでそれを買った。

野菜はレタスと書いてあったが、面倒なので青梗菜にした(別の日にサンドウィッチ用に買ったロメインレタスがしなびてきたので、それでも作ったが、確かにレタスはありだな)。

まず、牛肉に塩コショウと酒(Finoでは紹興酒となっているが料理用の日本酒で良いだろう)を適当に振って、片栗粉はないのでジャガイモ粉だと思うがを適当に100ccくらいに溶かしたのをかけてしばらく放置(面倒なので買ったパッケージのトレイをそのまま使う)。

次にフライパン(こないだY'sで安売りで買ったメイヤーのやつ)に胡麻油を適当に入れて熱してから、刻んだ生姜と長葱と、鷹の爪を小口切りにしたのがあったのでそいつを入れて、ネギがびたびたになるまで炒める。そこに青梗菜を入れて小さくなるまで炒める。小さくなったところでトマトをぐしゃっと握りつぶして入れる。水気がそれなりに飛んだところで、150cc(なぜかこれだけは計って作ったのは、中華スープの素をうまく溶かさないと味が濃すぎると修正がきかないからだ)の中華スープを加えてひと煮たち。皿に青梗菜とトマトのでかい塊を引き上げてから、牛肉を入れて色が変わるまで煮る。

そこに四川風辣油をがばがばぶち込む(ということができないように、ゴムポンプを押して出す仕組みになっているので10押しくらい入れる)。出来上がり。好みによって酢を入れるのだが、あまり油っぽくないので酢はオプションだな(油っぽいと酢は必須になるけど)。

・香味油を作っている時点で四川風辣油をだばだば入れるのもありというか、次はそうしよう。

全然、水煮牛肉ではないが(油っぽくないし、大して辛くもない)、まあそれなりに美味しいのでOK。


2020-08-22

_ 消えたママ友

@kisが無料分を読んだら続きが読みたくなったので結局買って読んだとかツイートしていたのでおれも興味を惹かれて買って読んだ。

幼稚園の仲良しママ友4人組の1人が急に家出したとかで姑さんが子供を連れてくるようになる。

残った3人のママ友生活が始まるのだが、どうもギクシャクしてくる。子供同士のいさかいも増えてくる。いなくなった彼女は性格が良いので4人組のムードメーカーとして実に重要だったのだ。

子供の何気ない言葉一つでお互いの疑心暗鬼や誤解が生まれ、どんどんお互いの関係が険悪になっていく。

何不自由ない生活をしていたのに、なぜ彼女は消えたのか? そもそも自分の生活は一体なんなのだ? というか家の子供が心配だ。

ある日、遊園地で消えた彼女を見かけるが、連絡も見つけたほうではなく、別のママ友のほうに行く。一体なぜ?

というような、主婦の疑心暗鬼の物語。

最初はあまりの不可思議さにどんどん読み進めていたが、あまりにくだらないことでいちいち悩む(客観的な情報を多数提出されているのでくだらないと感じるのであって、当人的にはまさに恐怖の現象ではある)せせこましさにうんざりして途中で放り投げていたが、なんとなく開いた結果、結局、全部読んでしまった。おもしろいは確かにおもしろいのだ。

オーメンのような将来禍根を残すのが目に見えている恐るべき子供を暗示させたり、実はいかにも主婦雑誌的なわかりやすい悪役設定の予定調和な結論やら(書き方はそれなりにフェアなので鳥瞰すればどっちもどっちというよりも、むしろ主婦側がおかしいのだが)、最後も含めて、含みをいろいろ残して終わらせているのもそう悪くはない。作品としてはうまくまとまっているのではなかろうか。

作者がクレヨンしんちゃんの親父の女性版みたいな名前だし、絵柄は軽いし、掲載誌はひよこクラブだし、と、先日ブレークしたなぜかパチンコ雑誌に連載された赤塚プロ系のほのぼの絵柄なのにパチンコ依存症の深みにはまっていく親父の恐怖マンガ、連ちゃんパパを彷彿させなくもない。

連ちゃんパパ【合冊版】(1) (ヤング宣言)(ありま猛)

それにしてもロジックがない世界は面倒くさいことだな。

消えたママ友 (コミックエッセイ)(野原 広子)


2020-08-26

_ なんか気分悪かった

なんか気分悪い(おそらく自分に対して)ので、文章化しておく。

昼頃UNHCRの2人組が家に来た。多分、本物だろう。

で、こちらは普通に玄関に来たからマスクとかしないで出るわけだが、異様に飛びのいたりしたのでなんか嫌な感じを受ける。でもまあわからんでもなくもない。ローラー作戦展開中なら、どんな家かもわからんから危険があるから、それなりに当然の反応だろう。

で、UNHCRを知っているかとか緒方貞子の写真を見せてこの人を知っているかだのくだらない質問をしまくる。

知っているから知っていると答えるし、おそらくコロナ禍で難民の状況がひどいことになっていることも想像余裕でつくし、おそらくレバノンの例の爆発で難民がどーんと増えたこともわかる。当然、寄付の依頼だろうから単発だったら出してもいいかな(月2万円コースはちょっときついなとかも)考えて、手元の現金について計算したりもするわけだ。

すると、いちいち、良くご存じですねだの、何で知っているのかだの、どのようなお仕事ですかだの、なんのつもりか知らないが、妙な言い方をしてくるので気分が悪くなってくる(実は、その後ろでCircleCIを回していて、shoulda-matcher 4.4.0のバグのせいでいろいろ気になっているのでもある)。そんなもの常識だろうと答えてから、さっさと用件を言えと言おうとしたら間髪を入れずに、2分間話を聞けとか言い出す。

面倒になって、いやだと答えて追い出してしまった。


2020-08-27

_ ネコと人間の出会い

メソポタミアの農夫は収穫した麦を保存する小屋にどこからともなく入り込み、袋に穴をあけて少しずつ麦を減らしていく小さな生き物に手を焼いていた。すばしっこいうえに、やっとの思いで仕留めたと思ってもまたどこからともなくやって来るからだ。

ある雨の日、家の扉をカリカリする不思議な音に気づいた。

何だろうと農夫が扉を開けると、そこには膝と踝の間位の大きさの、耳が尖った妙な生き物がいた。

生き物は農夫を認めると、足元に咥えていた物を置き、トコトコと家の中に入り込み、床の上に置いてある丸い皿の上に座り込んだ。

あっけに取られていた農夫が生き物を追い出そうとするのと、足元に置かれた物があの憎らしい小さな生き物の死骸だと気付くのが、ほぼ同時だった。それで農夫は前者については目をつむることにした。

突然やって来た耳の尖った生き物は時々いなくなると小さな生き物の死骸(たいていの場合半身になっている)を農夫に寄越し、それ以外は大抵いつもの皿の上で丸くなっていた。

(https://twitter.com/arton/status/1229398602327281664?s=20 を採録)


2020-08-29

_ 素晴らしき哉、人生!

元々、子供が貸してくれたミュージカルのCD、The Story of My Lifeが発端で、なぜ古本屋の跡をついだ主役の一方(NYに出て作家となった男と、故郷の古本屋を継いだ男の奇妙な友情と反目の物語で、古本屋が自殺したために作家が弔辞のための回想をするわけだが、蝶々が河と語る歌が美しい)は自殺したのかな? とか話しているうちに、古本屋の母親のお気に入りでありミュージカル自体がオマージュしているところの、フランク・キャプラの元の映画を観ないとわからないのではないかということになり、妻のアマゾンプライムで観たのだった。

The Story of My Life (Original Broadway Cast Recording)(Will Chase & Malcolm Gets)

フランク・キャプラはそれほど興味がなかったので、もしかするとまったく観たことがないかも知れないが、普通にまともな映画作家で、ということはすべてのシーンに意味を持たせるスタイルなのでずっと写されるものを観ている必要がある。

主人公のジョージ(ジェームズ・スチュアート)が自殺を考えているというので、神(ヨセフだったかな?)であるところの星が会話している。ジョージを助けるために、翼を持たない天使、つまりは二級天使(今気づいたが、石森章太郎もこの映画を好きなのだろう。というか、石森章太郎の60年代以前の仕事はハリウッド映画の影響をとてつもなく受けている)のクラレンスが派遣されることになる。このシーンはどうやってもギャグにしかならないのは制作年の1946年であっても疑いないところで、キャプラは星のまたたきと台詞だけで片を付ける。

まず、神はクラレンスにジョージの人生を見せる。その人生を元にどうやってジョージに生きる希望を与えるかが宿題だ。

子供時代に雪山から凍った池への橇遊びをしているところが始まる。弟のハリーをせかすと、弟が良いところを見せようと張り切り過ぎて想定以上に橇が滑って行き、氷のないところに落ちてしまう。ジョージがあわてて助けに行く。ナレーションで、ジョージは重い風邪をひき、結果片耳の聴力を失うことになる。聴力を失わせたことによって、その後、後の奥さんからの告白、徴兵を免れたこと、天使が見せる仮想世界との自覚的な区別が導かれるのがおもしろい。

それから数年後、街角を自動車の後部座席に踏ん反り返った禿頭の男についてのナレーションが入る。金の亡者で町の支配者ポッターだ。この男は重要だぞ。一方、中学生になったジョージは薬屋(ドラッグストアなのでドリンクスタンドがある)でアルバイトをしている(中学生がアルバイトと思ったが、1900年代または1910年代だからそんなものなんだな)。スタンドに女の子が腰かけている。後から、ちょっと派手な女の子がやって来てジョージに注文する。最初の女の子はなかなか注文が決まらない。ジョージの聞こえない耳に対して大好きと囁く。

ジョージはレジの上のメモを見る。お子さんが亡くなったという訃報だ。

薬屋の主人の様子を見に行くと明らかに取り乱しながら薬を包んでいる。瓶にはPOISONと書いてある。薬屋は、包みを届けるように指示する。

毒はおかしいが、主人の気が動転しているのは映像から了解される。当然、ジョージは言い出せない。ふと壁を見ると困ったときはパパに相談! というポスターが目に入る。あわててジョージは店を飛び出し、住宅金融会社に飛び込み、今は重要な会議中だと言って止める社員を振り払い(ここで、社長の息子なんだなとわかる)部屋に入ると、銀行家との融資の相談中で、しかもあまり良い具合に話は進んでいない。貧乏人を相手の貧乏商売に貸す金はないとか無茶苦茶言われているのでジョージはつい怒鳴り返すが、薬の相談はできない。

薬屋に帰ると、なぜ薬を届けない? と苦情の電話を受けた店主が怒っている。殴られる。ジョージは、お子さんを失って混乱されているから言い出せなかったのだが、この薬は間違えのはずだ。確認してください、と言う。薬屋はそれが毒だと認め感謝する。

それから10年、というように説明の重要な部分はすべて映像(二人の女の子とジョージの関係、特にPOISONの箇所(なぜ父親の会社へ行くのかから父親の仕事とポッターとの関係などが芋ずる的に導出される)、子供の訃報などなど)で行われながら、物語は進み、言葉による説明では墓場の跡を安く買って住宅金融社の宅地販売などを行ったことなどが語られる。

ジョージの夢は大学に行って技術を学び全世界をまたにかけて巨大建築(ビルとか橋とか)を作っていくことなのだ。

が、父親が急死する。父親の会社は住宅金融会社で、貧乏人も家を持つべきで、ポッターの貸家にバカ高い家賃を払い続けても家を買うことはできないし、最後は追い出されて野垂れ死にしかできないのだから、低額融資で先に住宅を買うのがあるべきだろうという信念の会社である。安定した生活基盤があっての人生ではないか。そこがポッターの新自由主義的ということはなく、普通の資本家の考えと合わないところなので、お互いに敵視しているのだった。

映像に語らせるところで、特におおと思うのは、明らかに無能な叔父さん(ジョージ20歳くらいのころに、55歳と言っているから、大恐慌時に60代、第二次世界大戦時に70代のはずだが、無能だというのがわかるのは、ジョージの父親が死んだあと、全株主が、古くからの共同経営者の叔父ではなく、ジョージが跡を継ぐのであれば会社の存続を認めると言い出すからだ)が、ジョージの弟の太平洋での活躍(だと思う。すでにドイツは降伏しているはず)が、8000ドル(大恐慌時に取り付け騒ぎをとりあえずごまかすためかつ金に糸目を付けない新婚旅行の費用として2000ドル、その後に、28歳の社長のジョージの月給が45ドル、銀行の頭取相当の地位の年俸に2万ドル、家作(土地も含むと考えるのが自然)に5000ドル、という説明があるので、おおざっぱに現在の日本円の感覚では10000(8000くらいが正確っぽい)倍すれば良いので、8000万円くらい)の入った封筒を銀行の窓口で預けようとしたときに、ポッターが入って来たので、新聞のハリーが勲章を貰った記事を見せて嫌味を言おうと無造作に行き、新聞を折りたたんで手渡す途中から封筒が手から消えて窓口に戻るときは手ぶらになっているシーンでまるでマジックのようにきれいに封筒を消し去っていることだ(もちろん、新聞の中に紛れ込んでいるわけで、あとからポッターはそれを見つけてこっそり持ち帰る(金ではなく、住宅金融会社に不渡りを出させて倒産させることが目的)一連のシーンだ。

結局、これがほぼ止めとなり、ジョージは1億5千万ドルの生命保険(掛け金は500ドルなのでそのままでは担保価値はない)を選ばざるを得ない。

ここに至るまでの何気ない一連の流れで、叔父さんの手元から封筒が無くなるところ、ポッターが新聞を開くと封筒が出てくるところ、の2点のどちらが欠けてもなぜ8000ドルが消えて大騒ぎになるのかはわからない。しかしわからなくても、叔父さんが無能なのはわかっているので、おそらく何か間抜けなことをして8000ドルを失くしたのだなとはわかるようになっている。全体を見なくてもわかるように映画が作られているのがいかにも40年代のテレビ出現前のハリウッド映画で実にうまい。

妻との関係についても、最初のなかなか注文しない(というか、ジョージのことを見ていたいだけなのだ)登場から、弟の高校卒業パーティでの再会(ここで友人とパートナーシップを組んでいたのを奪う恰好になるため、プールへ落とされ(他の連中がプールに気づいているのに、お互いに夢中で気づかない)、派手なほうの女の子(ドラッグストアで後から来るほう)に裸足で歩き回ったり山を巡ったりすることを散々コケにされたあと(こちらの彼女は後に町を出るときに餞別を渡したお礼に頬にキスされてしまい、ついた口紅を拭うところを行員に見られて、それがポッターに伝わって、さらに苦境に陥ることになるなど、運命的に嫌なことを起こすトリガーとなる役回りでおもしろい)、彼女の家には月を捕まえる絵(プールの後での会話から)を一瞥して放り投げたりするが、友人からの電話(一瞬映る友人側で、実はすでに愛人だかがいることが示されるので略奪にはならないことが示される。事実友情は変わらず苦境を知ると2万5千ドルの融資をしてくる)を受けて結局求愛を受け入れたり、取り付け騒ぎのために新婚旅行用に用意した2000ドルが2ドル残して消えた後の、プール後に願をかけた廃屋での新婚生活やら(元が廃屋なのでいちいち階段の擬宝珠が取れるギャグが最後まで入りまくる)、ジョージが存在しない世界では図書館の司書としてえらく地味な独身中年女性となっていたりとか、うまく構成されている。

子供が学校でもらった花を大切に抱えて帰ってきたために風邪をひいたという話から、落ちた花びらを元に戻すふりをしてポケットに隠した花びらが無いことで自分が不在の世界に入ったこと、あることで元の世界に戻ったことから、教師からの電話に対して八つ当たりしてその結果としてバーで殴られて、そこで出た血が消えたり戻ったり、それを警官に指摘されてあらためて元の世界に戻ったと確認するなどのシナリオ上のエピソードの連鎖、と書いたところで、なるほど、この映画のミソは、あらゆるシーンが連鎖されていて、それがThe Story of My Lifeのテーマの蝶々の羽ばたきそのものだなと気づいた。

ジェームズ・スチュアートが絶望しきって家族の前に立つシーン(左側に強い影、右側に髪の乱れ)はとても印象的で、おおハリウッドの名匠と名優っぽいと感じる。

素晴らしき哉、人生!(字幕版)(ジェームズ・スチュワート)

ジョージの妻役のドナ・リードって全然知らないがきれいな女優だなと思ったら、後で調べたら、おれの子供時代の大好きな映画の1つのベニーグッドマン物語の主演だった。サッチモがトランペットを吹きながらやってくるところは、他のところはほとんど覚えていないが、ときどき夢に聖者がやって来る(と思ったら、それはグレンミラー物語のほうだった)。


2020-08-31

_ としまえんの幻のアフリカ

としまえんが本日閉園するらしい。

としまえん(豊島園ではなくなったのか?)には、子供の頃に記憶している限り2回連れて行ってもらった。2回目は間違いなく1969年(後述)なので小学生になったかならなかったかの頃だ。

1回目はとにかくミステリー館が怖かった。あまりに怖くて1度も見ていない。おかげでそれ以外の記憶すらない。

2回目は多少余裕があったのかミステリー館もちゃんと見ていて、道の向こうに幽霊が出て来たりするのは怖いが、他の遊園地のお化け屋敷と違って、人間が触ったりするのではないので、それなりに楽しめた記憶がある。

で問題はアフリカ館だ。1969年に開設されたこのアトラクションが出来立てで、すごく楽しみにしていたのだ。

ジープを模した乗り物に乗って勢いよく出発すると、いきなり岩山に穿たれた洞窟の入り口が開き蛇がものすごい勢いでシューシュー舌を出してこちらを脅す。と思うやいきなりヒューンと豹が頭上を飛び越していく。すげぇおもしろい。

子供心にとてもわくわくどきどきして、最後にエジプト旅行案内になって(多分、スポンサーについてもらった飛行機会社の広告なのだろう)おしまい。

とにかく、頭上を勢いよく飛び越していく豹のかっこ良さはその後も忘れることはなかった。

さて、時は流れ1990年代、豊島園には行ったことがないという奥さんに上記のようなことを話して、20年ぶりに一緒に豊島園を訪れた。

もちろんお目当てはアフリカ館だ。

「とにかく、すごいんだ。いきなり蛇が洞窟の入り口の上から首を出してシューシュー赤い舌をチロチロさせるし、豹がヒューンと頭上を飛び越えるんだよ」

で、ジープに乗るとカタカタ言いながら動きだす。あれ? カタカタだったっけ?

そしてのんびりと洞窟の入り口が開くと、コテコテと妙な機械音を立てながらのんびりといかにも作り物丸出しの蛇が出て来て引っ込む。

「え?」

と思う間もなく、次の入り口で、「いや蛇は実際にはチロチロ舌を動かしていなかったけど、豹はすげぇんだ」と言うのと扉がノタノタと開くのがほぼ同時。

そして、コトコトコトコトと音を立てながら、豹のように見えるはりぼてをくっつけた車が頭上のアーチに敷かれたレールの上をのんびりと横切って行く。

その永遠とも思われるのんびりとした豹をくっつけた車の移動時間をおれは耐え難いほどの苦痛を感じながら眺めるのだった。

「まあ、子供の頃はなんでも大袈裟に見てしまうものだからしょうがないね」と慰められた。

たしかに、三匹の子豚の歌を「ブーフーウー、ッ、三匹の子豚」と思い出しながら歌う速度と、懐かし番組特集で流れる「ぶー、、、フー、、、ウー、、、」と流れる当時の主題歌の速度の差のようなものかも知れない。


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