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ノートパソコンにVirtualPCを入れてWindows 2003 Serverをインストールしていてふと気づいた。このノートパソコンには右altキーが無い。
どうすれば、マウスをホスト環境に持って来られるのだ?
答え:キーボードを探してくる(しかないのか?)。
本当の答え:むかついたのでCTL-ALT-DEL押したら当然のようにGinaの画面に入って、そこを抜けると仮想マシンからマウスカーソルも抜けていた。
アーバンといえば、ドゥルバンセレレガンスドゥロムモデルン(高校に入ってフランス語の教師がスラッと言って見せておれたちを驚かせたのを急に思い出した、っていうか、このCM覚えてるやつってどれくらい生存してるんだろうか)のアーバンなんだが、
がおもしろい。
なぜ面白いかといえば、解釈がいろいろあったりするからだろうし、それに点数が付けられるとこだな。
はてなキーワードと違って、賛成/反対の票数で俺様解釈の度合いが判定できるところが良い点なんだろう。
たとえばnaughty。これ、以前ノーティーガールズが君を待ってるよっていうようなサブジェクトのspam(英語)が来たので「悪戯」っていう意味だけじゃないことは知ってたのだが……って、こういう意味だったのか(わかってなかったのは、spamの誘導先を見てなかったからなわけだが、やっぱり見ておかないと間違えて理解することになるってことだな)。「お仕置きが必要な」と訳せば良いのかな。
(リファラ一覧の字数制限で途中でタイトルが切れているのでそう見える)
そ、そんなぁ、先輩と同じ「MacBook(ThinkpadでもVAIOでもなんでも好きな言葉を入れよう)」にしてくださいよー、というセリフが浮かぶ。
via 鷹の島
から、プレビュー設定のことを読んだけど、今、TinyURL化すると
Or, give your recipients confidence with a preview TinyURL:
として、プレビューを間に挟むURLも生成してくれる。
(素早い対応)
#つまり、どうしても飛び先に行きたくて、かつ不安があれば、http://tinyurl.com/xxxを、http://preview.tinyurl.com/xxxと書き直せば良いということ。
マップまでフラッシュで作ったら印刷できないだろ。頭悪すぎ。
逆にセンスのかけらもゼロ。
テクノロジの裏打ちのないセンスって、ただの***(思いつく限りの悪罵が当てはまる)。
でも、行くけどな。
現実世界のスタージョンの世界の主人公の展覧会なわけだから、行かなきゃならんだろ。
USBメモリーのPico Turbo(直した)だけど、いつの間にかReadyBoostから外れていた。おかしいなぁと差し込み直すと、「さらに高速に実行できるデバイス」扱いされる。
といっても、USB2.0ポートのはずだが(と言うか、以前はReadyBoostしていたはずだが)。と、リアやらフロントやら別の場所に挿しても同じ。さすがデルクォリティと、コンピュータ側を疑ってみたり、そう言えばBIOSの更新があったけど(フロントUSBポートにキーボードをさして何かすると落ちるとか何かUSBがらみのバグ修正らしい)とか、さらにはnForceのドライバアップデートがWindows Updateに乗ってて実行したけど、とかいろいろファクターがあるので、いろいろ復元したり入れてみたり外してみたり。
でも、だめだ。
ふと、初代iPod Shuffleを挿してみると、ReadyBoostするか? と訊いてくる。フロントもリアも。ええー、ってことは、コンピュータ側ではなくて、Pico Turbo側がおれは1.1のポートに挿されたから1.1で動くと自己申告してるってことじゃないか?
というようなことってあるのか? (というわけで、今はPicoはUSBポートから外しているのであった)
#追記:あるらしい、というか今、目にしているのはまさしくその現象だ。orz
Ubuntu 6.06 (dapper) に Sun JDK をインストールする(感謝!)を参考にしてSun JDKをインストールする。
このままだとextconf.rbがjni.hを見付けられないので、
export JAVA_HOME=/usr/lib/jvm/java-6-sun
する(apt-getしたのがsun-java6-jdkパッケージの場合)。この設定は実行時にも必要になるので、.bash_profileにも入れておく。(必要ならenvironment.rbにもENV['JAVA_HOME']=...として入れておく)
で、
sudo gem install rjb
する。LD_LIBRARY_PATHの設定は不要。
kitajさんのところにツッコミを入れたが、我に返るとspamと変わらないかもとか気になったり(したので、書き込み証明)。
かって、こういう言われ方をされた言語ってあっただろうか? (たぶん、ないだろうなと思う)
無理やり言えば、Unixによるダウンサイジングだ(PCじゃない)。
で、結果はどうかと言えば、メインフレームはそこら中にある。残っている。でも、結構なUnixマシンがやはりそこら中にある。しかし、なんといってもPCがやたらとある。
言われ方だけの類推(でも、歴史ってパターンに従うから結構、ツールとしては役に立つのだ)からだと、PC相当のやつが実は潜んでいるのかも。(JavaScriptじゃないかと、ActionScriptを含めて、一瞬思うわけだが、実は類推でいけばこっちはミニコンだろう。AS400とか)
というわけで、マスビジネスなら隠れているやつを探す、おもしろさとビジネスのバランスであればRuby、それでもJavaは安泰、という感じか。
御殿山の脇道入ったところ、住宅街っぽいところに白い建物が建ってる。門のところにPとか書いてなかったら気付かずに通り過ぎるかも。
(車で行ったので、地図が重要だったのだ)
建物そのものもきれいに作られてるから、いい感じだ。まあ、センスの良さはフラッシュが斜めになった時点でわかってはいたけれど。
それにつけても、異様な質感を持つカルヴェリンの戦いには圧倒される。全体に茶色いというか煤けた感じというか、それまで2次元で見てたダーガーの画とはずいぶん印象が異なる。
で、2階に上がり常設展らしき奈良美智の部屋とか、暗い……とか、巻き貝の部屋とか見て(それで階段も巻いてたのかな)、家主の部屋、子供を慈しみ守る動物ブレンギンズ(おれは、このシリーズ、すごく気に入った。妙な温かみがあって、無理矢理これまで見たことがあるもので例えると、タルカスが昇天した後、機械の部分が軟化して地上に落ちてきたという感じかも。protect(だと思った)の日本語訳を「慈しみ守る」にした美術館スタッフの勝利かも知れない。
タルカス(K2HD紙ジャケット仕様)(エマーソン・レイク&パーマー)
それにしても、2次元でこれまで見たヴィヴィアンガールズがどれもこれも妙に虚ろな眼をしてたのが不思議だったのだが、実物を見ると、本当にトレースだからだということが良くわかる。喜一の塗り絵とか中原淳一の挿画みたいなものがあって、それをなぞって作ったからなのか。
暁の聖歌―吉屋信子少女小説選〈1〉 (吉屋信子少女小説選 (1))(吉屋 信子)
(美術史的にはアウトサイダーというよりも、デュシャン、エルンストからウォーホルの間、拾いものからの別の世界の呈示と、商業美術の純粋美術への転化の人、なんじゃなかろうか。元の商業美術がかっちりしているせいもあって、たとえばナイーフな人たちより、遙かに洗練されているように思える)
あとは、とにかくキャンバス(というより単なる厚紙みたいだけど)がでかい。そのでかさに圧倒される(逆に比較して小さいからブレンギンズに親近感を抱けるのかも)わけだが、それでいて細部への妙なこだわり(たとえば雲がまた形を持っていたり)があったり、どういう見られ方を想定したのかさっぱりわからないのがおもしろい(全体を見るには離れなければならず、しかし離れると細部が見えない)。
で、ミュージアムショップで、普通に本屋で買えるけど美術手帖を買った(プログラムも買ったけど)。
しかし、購入しなかったが、一部が展示されていた、日本の写真家の手による部屋の写真集がとてつもなくおもしろかった(さわりの部分が展示されていたが、妙な宇宙が作られるにふさわしい小宇宙)。
この部屋から自ら出て行ったときに死んだと評した大家の言葉が正しそうに感じるのは、この部屋のせいもあるだろう。創作者の部屋というのは、それにしてもおもしろい。
2つの見方。
1. 型ありとしてC#があり、その子分のようなVBには存在意義がないので戻した。
2. 型ありが評判悪すぎるので、以前の評判が良い型なしに戻す。
1. は妥当。2. は興味深い。
というメモを書いたけどなぁ、と思ってグーグルしてみると、プラグインエラーで死んでいる。
引数0なのに1つ与えてるぞエラーだ。
これ、さっき見た。
上でHikiに新しいページを作ろうとした時だ。
1.作ってる人が好きだから好き
2.コミュニティが好きだから好き
3.文法が好きだから好き
4.(Javaより)効率的(だと言われている)から好き
5.ワンライナーが書きやすいから好き
6.スクリプトそのものが書きやすいから好き
7.動的だから好き
8.型がないから好き(これは間違い)
9.インタプリタだから好き(間違いとは言えない)
10.コンパイラが実行プロセスと分離してないから好き(のほうが正確)
11.collectが好き
12.ビッグネーム(SUN|MS|多分IBM)が注目してるから好き
13.お金になる(|なりそうだ)から好き
14.処理系のソースがきれいだから好き
14.5.できたソースがきれいだから好き
15.パッチ(あてる|あてるとこ見る)が好きだから好き
16.名前が好き
17.ブロック(イテレータ)が好き
18.継続がある(上に手続きでがんがん書ける)から好き
19.高橋メソッドが好き(勘違いのような)
20.小泉八雲の思い出が好き(無理やりですな)
21.グリーンスレッドだから好き
22.世界観が好き
23.良くわかんないけど好き
24.RHG(の本そのもの|Rubyのソース|RHG読書会|RHGの著者)が好き
25.書いていてしっくりくるから好き(23の自分の気持ち側に焦点を当てた言い換えかも)
……
問1: 時間軸で配置し直せ
問2: 別の「好き」を3つ追加せよ
問3: あなたが不快感を感じる「好き」を上から列挙せよ
問4: あなたの気持ちに近い「好き」を上から3つ選択せよ
-----
問4は、おれは6、22、24(次点14)ってところかなぁ。(20番台に片寄っているのは、ではおれはどうなんだと自問して付け加えたからなのであった)
追記:rubycoさんの解答から14.5と25を追加。
何かといえばエクスプローラがハングしては緑のプログレスバー付きのダイアログを出して死ぬ。あまりにひどいので(XPに戻すかと思いきや)再インストールしたら、そのエクスプローラのすぐ死ぬ病が治った。ってことは、トータスセブン(綴り忘れたのでカタカナ)に影響されてたのかも。
(すまん)
なんで、いちいちIMEがNatural Inputとかいう名前の使いにくいやつになるんだろう?
・以前はemacs-snapshotでemacs22が取得できたらしいが現在は見つからない
・emacs21。そのままでは日本語のファイルが読めない(優先度が高い言語に文字コードをとられてしまう)。
・.emacsで(set-language-environment 'Japanese)を設定
・忘れずにmule-ucsを入れる
・それだけだと、^X-\n-Fでutf-8-unixしても、^X-^SするとJになってしまう(utf-8に日本語変換できないからのようだ)。
・.emacsで(load "jisx0213.el")を設定して変換できるようにしておく(初期化に時間がかかるが我慢する)
・skkが入ってなかったので、apt-get install skk。それだけだと辞書がなくて漢字変換ができないので、apt-get install skkdic
・unstableを/etc/apt/sources.listに含める
・apt-get -t unstable install sun-java6-jdk
・export JAVA_HOME=/usr/lib/jvm/java-6-sun
万事OKかと思いきや、日本語フォントを見つけられずに□が出てくる。
・kochi(このフォントきれいで好きだ)しか入ってなかったのでsazanamiもインストール(Javaにkochiを使わせる方法はたぶん、/etc/java-6-sun/fontconfig.propertiesを直せばよいと思うけど、とりあえずパス)。
これで万事OK。
sazanamiみたいにキーワードはわかっていてもパッケージ名がわからないパッケージのインストールには、Synpaticパッケージマネージャの検索を使うと楽だった。
あいかわらずのスラドクォリティー満開なのをつい読んでしまったが、この指摘は無視されているが鋭いな。
確かに、和英では「voluntary」になるし、国語辞典の(1)の用例は「〜の奉仕」とか「〜の愛」とかだ。(2)があるのはfreeだってそうだし、それに着目してもいかんだろう。
#日本語を知らないやつらが日本語を語るという構図。
どういうものだか、よくわかってなかったのだが、もしかしてヒヨコの時のすりこみで親だと思って付いていく行動のことを指すのかな? 途中で変えるってことができないのかも。
と、mixiのCのコミュニティを眺めていて思った。
#たぶん、モズのはやにえみたいな、やった先から忘れてく状態を指すことだと思うが、上のようなことを思ったということ。
じじいの繰言のたぐいで、「……ってなんだそれ? それ10年前にやったよ」ってのがあるけど、ついに、おれもそれを感じたぜ。
RubyとJavaScriptとVBというか実装系でruby-mswin32、JScript、VBScriptの相互呼び出しだったら、8年前にASRで既にやっているが何か? ……そうか、C#とPythonが無いか(HaskelScrptのCOM呼び出しがいまいちわからなくて放置したが、あの時、ちゃんとやってたら、「でもHaskelも呼んでるぜ」と言えたのだが)。
#そうか、これは技術的な差異とかが見えてないから言うんじゃなくて、ユースケース抜きじゃ意味無いだろ、というあり様についての苦言(じゃないな。なんだろう? 多分、半分はおもしろそうだけど(おー、やってるやってるという感じ半分、くそーおもしろそうなおもちゃだなぁという感じ半分)、それだけじゃつまらんよ、もっと上(ユースケース)からの別の切り口が欲しいね、という感じみたいだ)なんだろうな。
def initialize button.click do |s, e| output.Text = 'Hello World !' end end妥当な感じ。
clickイベントで実行するコードの登録にクロージャを利用する。(さて、ここで気になるのは、変数のスコープルールなわけだけど、sやeは(ここでは利用してないけど)どうなるのか。と気になったけどここでは外に影響しないから良いのか。
というか、eはEventArgsっぽいけど、sってなんだろう(sourceか)。
requilre 'Sliverlight.Samples.Controls.Version=0.0.0.0'
ネームスペースのサポートに'.'を導入したのか。というか、アセンブリを指定するように拡張している。
というか、rqeuireはロードしたオブジェクト(暗黙のModuleのインスタンスということか、それともネームスペースのエイリアス)を返す拡張をしている。
JS = require '3DText.js'
今は、trueとかfalseが返るわけだし。
というよりも、requireがネイティブな関数になっているらしい。
VB = require 'technorati.vbx'
(VBのスクリプトをロードして、そこに定義された関数をVB.foo()で呼べるようになる)
Rubyはケースセンシティブな言語で、JavaScriptも同じだ。でもVBは異なる。
コード片を見ている限り、たとえば
Document = System.Windows.Browser.HtmlPage.Document
のように(CLRのサブセットなんだから当然だろうけど)、ケースセンシティブなネームスペース付きの名前が使われまくる。
現実問題として、このてのクラス名をすべて覚えることは不可能だ。
したがって、コード補完機能をもつエディターの利用が必須になるんじゃないかな(あまり嬉しいことではない)。
結局は、このプラットフォーム(でいいのかなぁ? Flashはプラットフォームとして利用できるんだから良いのかも)自体にどれだけ魅力があるか、がキモなわけだろう。
ActionScriptを覚える(どってこたないことだが、「業務」となると「では無理です」となるところはありそうだ)必要があるFlashと違って、VBでできるならOK(これはASPが使われた理由)という点だ。
でも、VBでできるよ、じゃ全然おもしろくないので(というか、「業務」でSilverlightをどうしたという話の人はDEVセッションには関係ない)こういうプレゼンになったんだろうな。
#で、rubyが使われるんだろうか? というのは興味深いわけだが。
ダイナミックランゲージの良い点は、という話だと思うんだが、スクリプトをちょっといじってそれが反映するとこデモしてたが、それメモリーいじれば機械語でもできるよね(と、何が良いのかアスペクトを変えるとわからなくなる例)。
というか、Silverlight DLR Console(Safariがホストしてる)が良い感じだ。FireBugが画面を縦分割でやれれば(デュアルモニタの人、多そうだから悪い選択ではないはずだ)、こんな感じかな)
MSプラットフォームかどうかはともかく、勤勉な世界と軽量な世界の2つを共にターゲットにしていると想定してみる(というか、当然、そうだろう)。
軽量な世界についてはまったく問題ない(Freeな世界はまた別として)。ある意味、当然のことばかりで、おお、新しいいかしたおもちゃですな、という感じだ。
もちろん、問題は繊細な世界でSilverlightはどう受け入れられるか、だろう。
たとえば、逆説的にCurlは繊細な世界で生きてる(ようだ)。同じように、繊細な世界に需要があるのはわかっている。
繊細な世界を4象限で考える。
金使える|使えない
技術指向|人力指向
Curlを採用しているところは、金使える(Curl自体に金を使うという意味ではない。クライアントマシン環境構築、開発者の教育、その他、もろもろが必要だ)かつ技術指向(Curlという技術を採用して問題領域を解決しようとしていることで、かつCurlそのものの普及度を考えれば、これが技術指向の解決方法だということは明らか)だ。
Silverlightはどこへ位置するか?
もちろん、金使える(デモで利用しているOS Xはともかくとして、現実問題としてVista以降のOSとそれを動かすPCの全社あるいは関連部門導入が前提となるだろう)は間違いない。かつ人力指向という方向じゃなかろうか。
というのは、金使える+技術指向であれば、すでにFlash、Curl、JWS、.NET SmartClientという有力な選択肢があるからだ。これから、な選択としてはわかるが、今更な気もする(UIの概念をひっくり返すようなすごいものがアーキテクチャになっていればもちろん別)。
ということは、人力指向な場所で、ruby、python、JavaScriptが出てくることは現状では考えにくい。するとVBということになる。VBはケースセンシティブでは無いという長所もある。
この場合、.NET SmartClientとは競合しないと考えられる(上ではああ書いたけど、.NET Fxのインストールは勘弁なXPマシンはターゲットとなり得るわけだし)。
と、2001年には、.NETならC#一押し、であったが、「業務」切り口だと、VB安泰というか、VBの継続、が良い選択ということが現時点での結論。
#レガシーは消えぬ。なんどでもよみがえるさまんさふぉっくす。でもDBからFoxは消えたみたいだけど。
#おれは、↑みたいなのは「地口」と呼ぶわけだが、そういう概念を知らない/そもそも言葉を知らない無知な人には(昨日のスラドの「無償」釣堀を想起しているわけだが)、別のものに見えるんだろうな。でも、江戸時代から東京に住んでいる人間(とその子孫)には、地口は普通の文化なわけだからしょうがない。
ActiveRecordじゃないモデルを作ったが、中で出力用の文字列を定義している。
当然、_('')
で囲むわけだ。
しかし、実行時にエラーになる。_
なんてメソッド知らないよ。
へ、と考えて、そうかそうか、ActiveSupportと違って、Object
に_
をdef
するなんて行儀悪い(とおれは思う)こた、しないんだな。では、と……考えたところで、やり方がわからないことに気づいた(で、GetTextのソースを読んだり試してみたり)。
なのでメモ。
class PlainOldRubyObject include GetText::Rails bindtextdomain 'domain-name' ... def hello _('hello world !') end end
bindtextdomain
メソッドにドメイン名を与えることで、他のGetText化されたオブジェクトと同じmoが利用できる(と思うし、できている)。
bindtextdomain
を呼ぶためには、GetText::Rails
モジュールを組み込んでおく(これで_
メソッドも取り込める)。
#もっと正当な方法があれば、ご教示いただけると嬉しいです。
第 8 回 Rails 勉強会@関西へ参加(足代はいただけるとのことなので、参加というよりは、呼んでいただいたというのが正確)します。
最初のセッションに利用するソースは、rjbdemoにあります(まだ修正入れるかも)。
svn export http://svn.arton.no-ip.info/rjbdemo/trunk
で取り出してください。
あと、環境はセットアップ方法の説明対象ということなので、WindowsやOS Xでも問題ありません。ただし、実際に動かしてみるのであれば、JDK 6とRjbのGem(構築に成功するかどうかではなく、会場がオフラインだそうなので、手元にソースを入れておかないとどうにもならない)をあらかじめ入れておいてください。自分のところで動かさないのであれば無くてもOK。
https:// なページから、http://なページへのリンクを「新しいタブで開く」で呼び出す。
すると、ハングアップする(したように見える)。
何をやっても動かない。というかマウスカーソルが手の形になって反応しなくなる。一体、何が起きたんだーーッァ! とtaskmanagerを起動としようとしたところで、タブが「接続中」になっていることに気づく。しかもオレンジ色で点滅して何やら怒っているかのようだ。「む? ネットワークが腐ったか?」と、タブをクリックすると「セキュリティの警告 セキュリティで保護された……」がそのタブの上に開いている。モーダルダイアログだしな。
でも、モーダルダイアログをタブの裏に隠してたらだめだろ? (XPのみの――つまりWindowsの実装に関する――動作か、それともIE7の動作かはわからんが、これはひどい)
#追記:ひどくないか。裏で開いているのにダイアログが表に出てきたらそれはそれで、どのタブに対する承認か混乱の元になりそう。だからと言って良い動作とも思えないところが悩ましいかな? (先行して読みこむわけにもいかんだろうし)
ラスタマン・ヴァイブレーション+1(ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ)
最初に買ったボブマーレイ(ボブマーリーってなってるけど、おれはマーレイって覚えたからマーレイだ。ギョエテとはおれのことかとみたいだけどまあいいや)がラスタマンバイブレーションだった。
ライブで(というか、左手の神様がアイショットザシェリフをカバーしたのがキャッチアファイアの理由だと覚えてるけど)キャッチアファイアして、出てきた作品で中期の代表作ってことになるとは思うけど、それほど人気があったようにも思えない。
でも、ギャングオブフォー(じゃなさそうだけど)かあのあたりのベルファーストあたりの状況にコミットしてたバンドがジョニーはいいヤツだったをカバーしたりしてるし。
チャーチャーチャーチャララーフンガーフンガーパパパパーチャーララララー(この最後のチャーララララの部分がすげぇ好きだがLilyPondを出さないのは、まだ死後何十年だかたってないからだけど、楽譜はOKなんだっけ?)ってな調子で気持ちよく始まるのに、歌われる唄は、女が座り込んで、叫んでた。息子が撃たれて、そしておっちんじまったんだよ、でもなぁ、ジョニーはいいこだったんだよ。そんな女を慰めるおいらはただの通りすがり。
なんて唄なんだ。いや、多分、このジョニーってのは梅川みたいな鬼畜なんだろうけど、そうは言っても親は親だという唄なんだとは思うんだが(そういや、ピータートッシュが強盗に撃ち殺される、そういう町らしいぜキングストン)、そこをボブマーレイが唄うと、アフリカの街路で、ベルファーストで、独立とか自由とかのために戦った戦士を悼む唄のように聞こえてしまうところが、ソウルレベルなラスタマンたるゆえんではあった。おれはレベル、ソウルレーベルと最初に聞いたときは、ソウル(という音楽ジャンル)のレコードレーベルの親父というような意味だと思い込んだという頃もあったがlabelとrebelじゃまったく異なる。
Rasta Revolution(Bob Marley & The Wailers)
そういや、ポーリッジ(ポリッジ)って言葉というか食い物は、ノーウーマンノークライで知った。市役所(良く考えたらガバメントヤードなんで、市役所ってわけでもなさそうだ)の裏でおれらは火をたいて、ポーリッジを食った。なんで市役所の裏なんだ? とか、都庁が建って新宿西口に青いテントが立ち並んでた頃、きっとこの中の何人かは、ノーウーマンノークライを口ずさんでるんじゃないかとか思って眺める、そんなおいらはただの通りすがり。というわけでパッサバイという言葉もボブマーレイで覚えた。
どうせおまいらはと書き始めてはみたもののおれは舞波じゃないからうまく書けないのでやめとくけど、何書こうとしたか忘れた。
あ、タイトルに書いてあった。
さて、これまでIBMのX31というコンピュータを使ってたのだが、そろそろ手狭になってきたし、Leopardは出ないのでMacBookを買う気にもなれないしで、なんかの気の迷いかも知れないが、デルのXPS M1210というマシンを買ってしまった。
X31に比べるとキーボードは安定感がないけど(悪い点)、CPUは速くメモリーはたくさん積んだ(良い点)。ツルピカ液晶も使ってみるとそう悪くはなく(黒が黒いのは良いかも。L'eclat des joursはきれいに見える)食わず嫌い良くないって言葉を噛み締める。
キーボードとか掌を乗っける場所が銀色なのでPowerBookの悪夢が蘇るが、樹脂なのであんなにバカみたいに熱くなるわけではないので、これもOK(安っぽいけどな)。
そこで、昔読んだ赤い鳥名作選(大正時代あたりの子供向け小説や詩の雑誌の選り抜き版)。今もあるのか?
あったけど死に体だな。
こん中に、殿様の茶碗という実に味わい深い物語が入っている。読んだの小学生の頃だから、誰が書いたか覚えてないし、ディティールに嘘もありそうだが、おおむね、次のような話だ。
殿様は、毎日の食事が嫌でたまらない。もちろん、食い物は贅を尽くし、食器もすべて手抜かりはなく、完全だ。しかし、食後のお茶が熱いのだ。なぜなら、当代の至宝と呼ばれる窯師が粋を凝らして作った一品、持つものに元の土くれの重みをまったく意識させることなく、あくまでも軽やかに口当たりはあって無きがごとき、ほとんど無きが如きまでの薄さは容れた茶の緑が透けて見えるほどで、それがささやかに波打つ様子が遠目にも見える、まさに神の業としか形容しようがない茶碗で出てくるからだ。持っただけで手は真っ赤に腫れ上がり、口につければ唇はあまりの熱さに味わうどころの騒ぎではない。
しかし、殿様は自らの立場をわきまえている。
家来たちが、自らの主君に最もふさわしき茶碗をと考え、そして天下の窯師が幾千もの失敗の後にようやく完成させた天下の至宝を、ゆめおろそかにすることはできない。
かくして、殿様は食後のたびに死ぬより辛い苦痛を味わいながらも、このすばらしき宝物を献上するために費やされた家臣や窯師たちの苦労を讃えるのであった。
さて、ある日のこと、殿様はたまの気晴らしに鷹狩に出かける。
(メタデータ:そうか、目黒のサンマなんだな。きっと作者は目黒のサンマを俺流で書きたかったのに違いない)
そこで、雨に降られ、共の者と老いた百姓夫婦の茅屋に招かれる。
「お殿様のお口にあうようなものは何もありませんが」
と老婆が、いかにも無骨で土から切り出したまま固めたようなゴツゴツした茶碗を持ってくる。
殿様は、その茶碗を持ち、感動する。まったく熱くない。確かに重い。無骨である。城で待つ至宝の茶碗と比べればまさに珠と土塊ほどの差があるであろう。しかし、茶碗は本来、熱い茶を容れて飲むためのものなのだ。
(メタデータ:目黒のサンマとは違うな。大正時代ならではの、機械/技術/合理主義賛歌にしてあるわけか。近代はすばらしい)
殿様は、老夫婦に礼を言い、心の中で不恰好なしかし熱い茶を気持ち良く味わうことができる茶碗を作った名も無き陶工を讃え、帰路に着く。
そして、天下の至宝で痛苦に耐えながら茶をすすりながら、時々思うのであった。あの無様な土塊のような茶碗のことを。
(書いてるうちに、以前もPowerBookがらみでこれ書いたような気がしてきたが、まあいいや。)
で、問題は、コンピュータを入れるバッグが無い。X31用にはX31専用バッグを使ってて、それは良いのだが、M1201には小さ過ぎる(というか、本当にX31専用のバッグなのだ)。
そこで、以前使ってたやつを押入れの奥から取り出す。AARNとかいうメーカーのやつ。調べたら、実践Pythonの中の人が「ビジネスバックパック考」というので全く同じモデルのユーザーだったことを知ったが、そんなに悪くはない。が、大きな問題がある。M1201って少し横幅がでかいのだ(おかげで右側のほうのキーも普通の幅があって、それはそれでOK)。それで、入らないわけではないのだが、ちょっと無理があって、ジッパーを閉めると妙に突っ張って蓋に余分な力が入るみたいだ(それで少し口が開いてサスペンドが解除されててしまったり)。ジャスト12インチノート用なんだな。
そこで、別のが欲しくなる。というか、別のを使わないとへたすると壊れるかも知れない恐怖。
で、いろいろ探したが、どうも気に入らない。X31専用も、AARNのやつも、ちょっとビジネス臭いので、そろそろ別のフレーバをミキシンしたいということだ。こんなのはやだ。
で、検索しまくって、どうやら、おれがイメージしてるバッグはメッセンジャーバッグというジャンルだということがわかった。自転車使うしな。
そして、ついに Manhattan Portage Urban Bags Computer Messenger Bag Mediumというのを見つける。こいつの赤で決まりだ。
が、なんと悲しいことか、Luggage Online does not currently ship orders outside of the U.S. がっかりだよ。
でも、考えてみたら、日本にも輸入されてるかも。そこでさらに調べると、国内代理店が見つかった。
が、なんと悲しいことか、日本じゃ売ってないよ。あるのは迷彩のやつとDJ用のやつばっかりだ。こんなことならプログラマじゃなくてDJになってりゃ良かった。
FAQには
■購入について
Q 01. 日本で売っていない物は海外に注文できますか?
A お客様各自で海外のサイトにて購入して頂くかたちとなりますが、弊社のアフターサービス外商品とさせて頂いております。
ってあるけど、Luggage Online以外のどのサイトで売ってるかどうやって調べりゃいいんだ? (amazon.comにはあったのでポチしようとしたら、amazonの中だけどLuggage Onlineの出店だった)
ほかはどうだ?
無い。
無い。
これだけ、世の中がツーカーになったというのに、しかもその原動力たるコンピュータの入れ物なのに、なんで、たかだか60ドルちょっとのバッグが手に入らないんだ? (っていうか、円レートもむちゃくちゃな気もするけど、それは仕入れリスクがあるからしょうがないのかも)
と、ふと気づくと、Luggage Onlineじゃなくて、Manhattan Portageのサイトを見てないことを思い出した。
……レビューを読むと、MacBookにぴったりだの、MacBook Pro 15"にはちょっと小さいだの、iBook 14"には完全だの、これ買うのはマカーばかりなのか(あとはIBMなのな)? ogijun、こいつの17"用のやつ買わないか? (2つ目以降は送料が安くなる)
堪能した。(以下は、GaucheNightというエンターテインメントにおけるロールに基づいて観客としての立場から書くから、実際のその人とは関係ないことだ。それにリアルタイムにメモを取ったわけではないから、うろ覚えでの再構成)。
黒田さんは実におもしろい。(最初のうちは)ぼそっと否定するわけだが、それが実にいい味出してる。たとえば、Schemeに対する5つの誤解に対して、「どこが誤解なんだ?」
山下さんがこれまた実にいい。なんていうか、主義に殉ずるって感じ(っていうか、そうじゃん)なんだがこれっぽっちも悲壮感がないところがおもしろい。最初からいきなり飛ばしてたけど、ちょっと失念。マクロの95%は不要。関数呼び出しのコストなんて考えない。
まつもとさんは、マクロは良くない。なぜならば、言語のセマンティクスを破壊する(おれの言語を変えるな)。黒田さんから、そりゃアローガンスと突っ込みが入るが、まあ、それがこの場で唯一の言語開発者なんだから、そういうもんだろうということで収まる。
で、黒田さんは(Common Lisp原理主義者ではなく)仕様原理主義者の立場から、Schemeを批判する。たとえば、コンパイルが無い。そこで、河合さんから、それは言語仕様にコンパイルが無いという意味か? と疑問が入る。それは、当然、その通り。だとすると、Common Lisp以外の言語は全部、だめということになるんじゃないか? もちろん、その通り。
つまり、仕様が完全であれば、処理系がどうなろうとどうでも良い。したがって、ソースコードの価値を最も高く保つことができるのは、ただ、Common Lispだけ。処理系独自の拡張は悪。
そこらあたりから、なぜShcemeがだめかという話になり、たとえばドットリストはエラーだという話になる。エラーにならないけど……、いやそれは実装がそうなっているというだけで、仕様上は未定義だ。なるほど、という感じ。
さらに、Common Lispの言語仕様の順番の話とか(まず構文、次にリーダ、それによって内部にオブジェクトが展開されるので、そのオブジェクトについて定めるという順序になっているという話とか(これかな? 目次を見ると確かに、syntax, evaluationと来てから、typesとかに入っていくけど。Common Lisp Hyper Spec……いや、そうじゃなくてChapter2が字句、リーダ、語句の順となっている点か)、これはなんか目から鱗な話だった)
で、やましたさんが、関数の引数の拡張の話をしておしまい(ここはHaskelでどういう意味を持つのかわからなかったので、理解できなかった)。
追記:完全なコンパイラの話があった。Haskelのコンパイラかな? IPアドレスの比較がBignumになるけど、それをアプリケーション的に最適化するためにアセンブリ出力するマクロを作る話を黒田さんがしたのをやましたさんが受けてだったような(追記:間違い。スターリン(なんて意味深な名前なんだ)というSchemeの処理系)。あるいはHaskelをS式で組んだ実装の話。でもREPLが無い。コンパイラだから。(脈絡がないから、記憶がごっちゃになってるようだ)
public class FizzBuzz { public static void Main() { for (int i = 1; i <= 100; i++) { System.Text.StringBuilder sb = new System.Text.StringBuilder(); if (i % 3 == 0) { sb.Append("Fizz"); } if (i % 5 == 0) { sb.Append("Buzz"); } System.Console.WriteLine((sb.Length == 0) ? (object)i : sb); } } }5分くらいかかった。
ドコモ2.0の広告は見てないので、もしかしたらなんか違う展開になってるかも知れないけど、こないだ耳にしたちょっといい話。
無線電話としてケータイは出発したよ。これで、電話は重力から解放されたということだ。
そして、i-modeだ。1対1の音声のやりとりから、仮想空間での多対多のコミュニケーションに進んだということだ。
そして、ついにおサイフの中身をケータイに移動させるとこまで来た。リアルワールドへの回帰。ネットワークショッピング? いや、自分の足で地面の上を歩いてお店に行っておサイフケータイで買い物をしてくれ。
例によって、アフィリエイトで誰かが買ったCDに興味が湧く。
ラトルはわりと好きな指揮者で、バルトークは良く聴く。
バルトーク:2台のためのピアノ、パーカッションとオーケストラのための協奏曲(カティア&ラベック(マリエル))
軽快感があって、かつ透明、頭が良い(クレバーのほう)印象を受ける指揮者だ。もうちょっと俗にするとアンドレプレヴィンになって、同じような傾向の録音をするわけだが、そういうのってレコード会社の意向なんだろうか。
で、ホルストの惑星というのは、結局のところ、クラシック音楽の伝統とは無縁な(とはいえパーセル、ヘンデル、客人のハイドンと、本当の意味でのクラシックの頃には中心地と言えなくもない)イギリスというヨーロッパの辺境のおかげで、ウィーンの3人組のような自浄作業に取り組むわけでもなくコルンゴルトのように芸術的な亡命をする必要もなく、同じ辺境でもバルトークとかスクリアビンとかプロコフィエフのように何かと格闘するわけでもなく、のんびりとヒバリの声を聴きながら口当たりが良い曲を作りまくれた連中(ヴォーンウイリアムスとかエルガーとか)の一人という感じで大して好きでもないのだが(歴史的にも芸術的にも好きでもないのだが、音楽としてはヴォーンウイリアムスもエルガーもホルストもむしろ好きなところが困るのだが)、たまに聴きたくなることもなくもない。
で、それよりも、ターネイジ(知らんなぁ。だから逆に聴いてみたいわけだが)のセレスに興味を惹かれる。
セレスか。
それよりも、オシリスに向かってとは、なんじゃいと思ったらペガサスの恒星の惑星なのか。
星と音楽ってのは、組み合わせとして興味深い。その場合は星辰と綴るのはギリシャ的なのかも。
日本で一番好きな作曲家。
UPSって早いのな。というわけで、もうマンハッタン ポーテージのバッグが届いたのだが、about usページを見ると、パチモノとしてマンハッタン パッセージとキャンプ ニューヨークという会社が晒されている。
で、マンハッタンパッセージって、そういえばどんなバッグを買おうか調べてるとき見かけたなぁと思って、見直してみたら、確かに同じ名前の会社だ。ロゴは変えたみたいだが、名前は同じ。どうもいろいろなところで書かれたものを見ていくと、確かにパチモノ出身みたいだが、継続は力なりで、かつきちんと仕事をしていたおかげで、今ではそれなりに立派な仕事をする会社として扱われているようだ(単価はむしろ上の商品が多いように見える)。(う、AARNってこの会社の製品なのか)
ファイブフォックス(シズ)みたいだな(偶然かも知れないけど、おれにはギャルソンのパチモノに見えたのだった)。
バンドでもあるなぁ。コピーバンドとか言われていたのが、いつの間にか、第一人者みたくなるとか(でも思いつかないから、間違いかも。でも、元々ストーンズはビートルズのレコード会社製のパチモノだったんじゃなかったっけ)。
Appleのまねとか言われても2億コピー出荷とかっていうのもあるな。
2番手にはいくつか戦略がある。
多分、一番まずいのは、パチモノではなくて、ニセモノをやることだろう。ニセモノはどれだけ継続しようが、良い仕事をやろうが、自分のブランドを確立できない。
パチモノは、マーケットシェアをうまく奪って、その金をうまく回せば、自立するチャンスがありそうだ。というか、そういった実例を見ているわけだ。ずるいと言えばずるいのは、スタートダッシュのためのエネルギーを他人のフンドシを利用している点かな。でも、本当に他人のふんどしを借りるのは悪いことなんだろうか? ここで奪われたふんどしの分って、ホンモノから見れば本来は自分のきんたまを隠すために利用できるように感じるんだろうけど、実際には、ホンモノのきんたまには興味がないシラミが湧くだけのような(変な言い回しをしたので、わけがわからなくなってしまったが、CDの売り上げが共有で減るとか、ブックオフのせいで新刊の売り上げが落ちるとか問題と同じだろう。実際には関係ないんじゃないかもってやつ。でもパチモンが怖いのは共有やブックオフと違って、継続することで、ホンモノになってしまう可能性があることだ。ホンモノになってしまったら、それは同じドメインでのライバルだということだ。ふんどし担ぎじゃないから、そこまで育ってしまったらもう遅いとか)。
ホンモノとは別のところで勝負をかけるというのは、真のチャレンジに違いない。オリジナリティと、最初のローンチのために、その将来性に対する理解者を必要とするように思う。
gotoで指定するのは、言語仕様に組み込まれているわけだが(BASIC)、COBOLとかFORTRANの場合って、カードをソートするための単なるコメント扱いなんじゃなかったっけ? (と、うろ覚え)
はあるものの、シャイニングで検索しても
シャイニング・ティアーズ ブランネージュ (1/7スケールPVC塗装済み完成品)(-)
こんなんばっかっり引っかかるが、今じゃだれもキューブリックとか見ないんだろうか?
と思ったら、シャイニングじゃなくてキューブリックのリンクで飛ぶとちゃんと見つかるなぁ。よくわからない検索結果だけど。
シャイニング 特別版 コンチネンタル・バージョン [DVD](ジャック・ニコルソン)
そんなキューブリックの作品で一番好きなのは、競馬場に集まりに集まった現金を盗み出そうとする、女1人に一癖も二癖もある野郎集団(ルパン三世集団みたいな感じ)を描いた現金(ゲンナマと読む)に体を張れだ。次元役(ちょっと違う)の巨漢が警備兵三人くらいにタックルされたのを振り回して投げ飛ばすところとか、印象的なシーンが多い(同じコーナーのシーンの使いまわしとかも)。
現金に体を張れ [MGMライオン・キャンペーン] [DVD](スターリング・ヘイドン)
で、そんなキューブリックの綴りはStanley Kubricで、僕はリアルタイムじゃないので知らないが、現金に体を張れの公開当時は、「スタンリーカブリック」と紹介されてたらしい。
かように、「u」は「ア」とカタカナ化される。cupはカップ、dupはダップ(デュップって言ってるけど)、muffはマフ、puffyはパフィーだ。
したがって、cuzicはカジクだと思うと、さにあらず、入口にキュージックって書いてあった(でたらめだけど)。
で、ホテルに入るや、いきなりApollo−Rubyインターフェイスの実装を始めるライアンさんとか、Arrayに!メソッドを追加し始める氏久さんとか、何やっているかよくわからないハリーポッターさんとかcuzicさんとか見て、ううすげぇとか思いながらも半分寝てしまった(さすがに、何も手を動かさないではいられない雰囲気だったので、たぶん(ではあるけれど明らかに)実装継承の関係で発生するらしい、定数の二重定義に関するwarningの発生を抑制する修正をRjbに入れて、Rubyforgeのsvnにコミットしたりはしたけど、生き残りがどっちかまではチェックしてなかったり。さて、1. Javaの仕様上、必然的に定数の2重定義が起きえる状況は何か? 2. その状況を想定した場合、継承先、継承元で異なる値を取るとわかっていても、Rjbが適当に先勝ちで定義しても実質的な問題が発生しない(とおれが判断した)理由、3. とはいえやはり正しく判定したほうが良い可能性、4. そのための方法について解答せよ、一応、全部考えた上で、とりあえず2までの修正としたのであった)。
というわけで、おもしろかったです。みなさんありがとうございました。
オフラインでも有意になるように手を加えて、Rails 勉強会@関西 第8回の参考資料を更新しました。で、PPT2007はそうそう読めんだろうというのは、ターゲットにLinuxも入れている以上その通りなんで、PDF変換しようとして、はたと困った。
これまで、PPTからPDFに変換するのにはOffice:macを使ってプリンタにPDFを選んでいたのだが、Office:macはPPT2007をサポートしていない(もしかしたらadd-onがあるかも知れないけど)。
それで、PPT2007のSave Asを眺めていたら、その他のフォーマットというのがあって、Microsoftの"PDFまたはXPSとして発行"というのが目に入った。そう言えば、デフォルトでPDF変換を入れようとしたけどいろいろ考えてアドオンにしたとかいうニュースを見た覚えがある。こういうふうに実装されたのか。(次期OfficeはPDF出力をサポートが、マイクロソフト、「Office」「Vista」で仕様変更--アドビからの提訴を警戒)
で、genuine認証コントロールを入れて正規品の認証受けてダウンロードページに飛ばされて、そこからダウンロードして、無事PDF出力できた。
いや、そうは言ってもオープンクローズドプリンシプルというものが……
真(チェンジ!!)ゲッターロボ 世界最後の日 リマスターBOX [DVD](関智一)
見てみたい。
まさにその通り! と思ってた頃もあるけど、最近はそうでもない(やるときはやる)ので、なぜか考えた。
たとえば、こういうのがそう。
const int WIDTH = 80; const int HEIGHT = 24; // しかし、こういう例が出てくるところがおっさんだよな unsigned char* screen = new unsigned char[WIDTH * HEIGHT];こんなの、3行も使わなくても
const int SCREEN_CHARS = 80 * 24; unsigned char* screen = new unsigned char[SCREEN_CHARS];と書けば良いじゃんじゃなくて、1行で
unsigned char* screen = new unsigned char[1920]; // 1箇所しか出現しないリテラルは定義不要という考えの人
と書くほうが簡潔じゃん。とは、考えなく、おれが最初の書き方をするのは、まさにそういうことなんだろうと思う。
にも関わらず、そうでもないのは、おそらく、for文のふつうの書き方では、<=(以下)ではなく、<(未満)を使うからだろう。
for (int i = 0; i < 100; i++)と
for (int i = 1; i <= 100; i++)
だと、仮に日本語で「1から100まで」と書いてあっても、手は自然に上の書き方をしているからだ。で、「1から100までプリント」だと
for (int i = 0; i < 100; i++) { System.out.println(i + 1); }だったり(プリントする時に1を加えているのがバカみたい。だって100回も無用な加算をしてるわけだから)。とはいえ、ケースバイケースなんだが、それでもforは0開始、未満で継続という書き方がしっくり来るのであった(こないだ、違う書き方したら気持ち悪かったし)。
別に結論はない。
(ちょっと思い出したが)eqlフラグが立ち損ねることがごくごくごくごく稀に(じゃなきゃ使えない)発生するコンピュータを使ってたから安全のためにeqlフラグを見ないという習慣があるだけかも。
赤ちゃんポストに男児=3〜4歳、運用開始当日−保護責任者遺棄で捜査
かって、マオの指揮の元、「百家斉放・百家争鳴」政策が打ち出された。今でいう集団知によって、中国を良くしよう、広く意見を募り、論を起こし、かっての稷下のように新しい時代を共に考えようというスローガンだ。
で、何が起きたか。
学生、知識人、果ては農民までが、大字報を壁に張り、社会改革について、政策について、将来の国家の姿について大いに語った。
で、何が起きたか。
右派分子を打倒せよ! と、マオの指導のもと、反右派闘争が始まった。百家斉放・百家争鳴を馬鹿正直に信じた多くの人たちが弾圧された。
赤ちゃんポストっていう名前の掲示板に大字報を張ったら、案の定ということだね。
これが、モラルがないということだ。その国で税金を納める人間をだまし討ちにする行政ってのは、「北洋軍閥より悪い」。
マオは批判が張られるとは考えてもいなかったのだろう。同じくポストに赤ちゃんが置かれるとは考えていなかったのだろう。だったらそれは、自分の愚かさと傲慢さを恥ずべきであり、より良い社会を作るために自ら革めるべき事実として受け入れるべきなのだ。ところが、実際には正反対のことが起きる。愉快ですか?
#でも、3歳が赤ちゃんかというとちょっとそれはポストなだけに定型外という気はするけど。
大日本印刷は五反田の外れ、目黒川沿いにある。
凸版印刷は音羽の外れ、神田川沿いにある。
紙は重いからだろう。
なぜ、道路で自動車という発想になったのだろうか?
慣らして舗装するのと、穴掘って水を流すんじゃ、前者のほうがコストが低いからかな。水は低きに流れる。
当然のようにUMLはびしばし使いまくりなんだが、なぜかJudeでシーケンス図ばっかりだ。順序重要なのがプロトコル。
さて、それはそれとして、コンピュータの絵とか、ルータの絵とか切り貼り(Visio2007で。なんか、2002かな? のばかみたいな保存時の遅さとかなくて気分良く動くんだけどなぜなだろう。もともとネットワーク図は軽かったんだろうか)していて、うんざりしてきた。っていうのは、ハードウェア(物理的ノード)はどうでも良くて(おれにとって。でもそれが必要な人もいるので書いてるわけだが)、むしろその中で動くコンポーネントについて示したいからだ。
で、そう言えば、そういう図を見たなぁ(というか書いたなぁ)、と思い出してファウラーのUML本を取り出すと、ノードの中にコンポーネントを入れた物理図書いてるので、またそれをまねしてみたり(このタイプの絵をここ3年くらい書いてなかったということだ)。
で、ネットワーク図を書いてる続きで、Visioで書こうとしたら、そういうノードの中にコンポーネントを入れた絵はどうもうまく書けない。コンポーネントがノードの中に沈んでしまって動かないからだ。というか、コンポーネントそのものがネストとかうまくしないし、よくわからない。よくわからなければ、調べるよりも、やっぱりJudeだな、とJudeに戻して続きを書いたり(でもJudeはJudeでバージョンがちょっと古いからかも知れないけど、インターフェイスとコンポーネントの結合がいまいちうまく書けないのだが、それは別の話)。
で、そんなことしながら、ついついUML本を読み返してやっぱりファウラーはおもしろいなぁ、とあらためて思う。でも、気づくとちょっと古い(第2版)。
で、第3版を買いなおしてみた。
で、まあ、家に帰って読み返して(でも第3版ははじめてだから「返して」はいないのだが、まあいいや)いるのだが、やっぱりこの本は良い本だ。
たとえば、(といきなり読み返しているのが、そればっかり書いているシーケンス図の第3章なわけだが)、シーケンス図の書き方を簡単に説明して、次に読み方を説明する。リターンは後続の呼び出しに利用されるオブジェクトが返ってきたときだけ書くと読みやすいと、オレ流の説明(いやならまねしなくて良いよ)。で、なぜ、シーケンス図が重要なのか、と話は続く。さっき使った図(Orderという抽象的なオブジェクトというかプロセスがすべてを取り仕切る。しかし、シーケンスについては往復がはっきりしているから例として良い)とは別の実装をみてみよう。と、こんだ、呼ばれたオブジェクトが別のオブジェクトを呼び、引数として与えた自分をコールバックする。で、説明。こんな複雑になってくると、まさにシーケンス図を使うとはっきり関連がわかって良いね。と続ける。
ここで、読者はPofEAAを思い出す。
エンタープライズ アプリケーションアーキテクチャパターン (Object Oriented SELECTION)(マーチン・ファウラー)
えーと、最初のシーケンス図はトランザクションスクリプトパターンのインスタンスで、2番目のはドメインモデルパターンのインスタンスですな。
で、ファウラーはそれをここでは、中央制御と分散制御と呼ぶ。そりゃその通りだ。で、分散制御のほうがおれは好き。おれだけじゃなくてOO野郎はみんな好き。だって、データとメソッドが組み合わさってるんだから、呼び出しがネットワーク状になるのは当然ですな(これは、まったくそのとおりで、一部の値オブジェクトを除けば、そもそも論としてゲッタ/セッタが出てくることそのものがおかしな設計なわけだ。だから、フィールドがプライベートかパブリックかなんてどうでもよいし、むき出しだろうがゲッタがあろうが、これも関係ない。だって、外部のオブジェクトがフィールドをさわることそのものがほとんど無い=あるときは例外なんだから、例外的な処理ならなんでもありだ)。
と、UMLの書き方読み方のはずが、いつのまにか設計の話になっている。
で、それだけならばまだ良いが、この本は、パターンカタログになっている点が良い。
各図は各図を書くべきときところ理由があり、それは逆に言えば、あるときところ理由から記述パターンが決まる。
したがって、パターンカタログとして記述できる。で、それの実践となっている(意識してると思うが、そういうことは別に直接は書いていない)。
本当に見事な本だなぁ、とつくづく感心し、そしてなんか力づけられたような気分になり、おれはおれの仕事に戻るのであった。
_ 通りすがります [東京の京の字の口の中に点が打ってあった時代、東京は水の都で血管の様に水路があったと聞きました。それが伝染病防止のため..]
なんか、いつの間にか晴れてるぞ。
がーん、昨日Visioじゃコンポーネントがどうのとか書いてたが、コンポーネントのアイコンはなくなってたのか。それでVisioでは単なる小さなマークとしてしか使えないのか。
その結果、配置図(なんか、昨日は物理図とか書いてるが)が様変わりしてる。しかもたった2ページになって、ファウラー流のオレ図じゃなくなってる。
が、書かれた図を見るとまあ納得が行くので、次からはUML2の書き方をしよう。というか、artifact(生成物という訳語がついていてそれは正しいと思うが、もう少しデリバラブル(delivarable)というような意味合いが強いように感じる言葉)という単語はこの文脈で出てくるのか、と腑に落ちたり。
というわけで、いつまでも古い本を読んでないで、ちゃんとバージョンアップしたほうが良いようだ。(特にツールがそれにあわせて動作を変えてしまうという点において)
これでも食らえ。
return false if comment.body =~ /^([A-Za-z:\/!?.,]|\s|\d)+?$/
(追記:冗長だった。)
(さらに追記:/\A[A-Za-z:\/!?.,\d\s]+?\Z/じゃなきゃだめだった。)
((さらにさらに追記:\Aと\Zで囲ってるんだから+?じゃなくて+だけでOKだなぁ))
Officeのライセンス認証が接続エラーで失敗するする常にする。
だがオンラインでFirefoxは元気に動いている。
MSのサービスが落ちてるんだろうと思ったが2日たっても変わらない。
気を取り直して別のことしてて、たまたまIEを起動したら、なぜか(理由はわかるが)オフラインモードになってる。で、モードを変えた。
ふと思い付いて認証したらこんだ無事できた。
下手したら一生気付かなかっただろうな。
しかも標準添付ライブラリ紹介がタイムリー?なことに、正規表現についてだったり。
以前ユーザーの言語と言語のユーザーという関係(というか、その言語で主導権を持つユーザーが誰か)に着目してLispとCOBOLについて書いたことがあるけど、巻頭言を読んで、Rubyが前者から後者へと向かい始めたのかなぁ、とかちょっと考えてもみるわけだが、今のところどう標準化されようが、ふつうのプログラマのためのLispが、ふつうのプログラマのためのCommon Lispに変わるだけなんだろうな、と感じる。いや、Javaは本当はそのセンを狙ったはずなのに、ほぼ完全に後者になってしまったじゃん、というのもあるわけだが、逆に言えばJavaがすでにある以上(そして、それとの比較が常に今後なされるであろうことから)、同じ道はたどらず、むしろLispっぽい道かなぁとか(30年後に、黒田さんのCommon Rubyバージョンが大いに語っているというような図をイメージしてるわけだ)。
#IBMが表舞台に出て来ていないからそう感じるわけで、あれが出てくるとまた別の道をたどりそうだね。
2種類あるじゃん。
1. 他の人と話す
2. 独り言
で、1は2つに分かれる。
1-1. 困った。ヘルプ!
1-2. うー煮詰まったので気分転換におしゃべり(あるいは純おしゃべり)
2は独り言は独り言でそれ以上には分けられないとは思うが、無理栗すれば
2-1. 思いついたんでちょっと走り書き
2-2. むかついたんでちょっとこぼす(ロバの耳の穴効果)
2-3. 大きな声の独り言(反応があればラッキー):「困った」から、「見つけたけど本当か複数の目が欲しい」まで、いろいろ
(まだ思いつくけど、ここまで)
で、ircとかLingrとかって明らかに1用だと思うわけだ。人と居ついた場所によっては2チャンネルもそうかな?
で、日記系はわりと2. かも(特に公開性が薄いmixi日記に顕著かも)
でもハイブリッド性があるほうが好まれるので、日記にはツッコミができるやつが好まれるとか。
で、Twitterとかって実にそのあたりの微妙なセンを突いているような気がした、と。
なぜWikiじゃないのか? ってのも論点になるんだけど、更新がページ単位ってのが↓なんじゃないかなぁ。
(2-3っぽく書いてみた。でもすぐ長くなるから日記くらいがちょうどいい塩梅)
で、もちろん10年以上前にだってBBSがあったけど、プロトコルの自由度とか世界への開放度から、本当に、インターネットが開放されたのって、でっかいよなぁ、ということ。
で、その恩恵は、特に独立系エンジニア(社内の1人部門とかも含めて)に大きいんじゃないかってこと。
逆に回りが充実してると別に回線を越えてく必要は薄いのかな? とか。
Rubyist Magazine 出張版 正しいRubyコードの書き方講座―RubyistのRubyistによる、Rubyistとそうでない人のための(青木 峰郎)
インデントの本質とは、ブロックの開始箇所にある。
にもかかわらず、他のコラムでendの位置(終了箇所)にのみ言及が集中しているのはワナではないかという話題。
_ ただただし [いやいや、ブロックの始まりは「ぶら下がって」いるように見えるので、インデントサイズに関わらず視覚的に安定なのです。と..]
チャート(chart)とダイアグラム(diagram)って異なる概念なのか、それとも単なる同義異語なのか、どっちだろう。
チャートのほうが「表(table)」のイメージがあるんだけど、でもフローチャートみたいに「図(graph)」なチャートもある。
DLRのスペックが欲しければアルファバージョンだけど、IronPython 2.0 Alphaを見よ、とえのさんに教わったので、とりあえずダウンロードした。
なるほど、ドキュメントzipの中がDLRのchmだった(でもchmだけでは意味が通らないので、ソースも参照しないとならないわけだが)。
#以前、ごく初期にJRubyのソース見た時も思ったし、今も見て思ったのだが、細粒度クラスを作りやすいのって本当に良いのかどうか疑問だ。COM程度の粗いインターフェイスのほうが読むのも(たぶん実装するのも)楽なんじゃなかろうか? (その時点で作っている場合は別だろうけど。テストの粒度とか意識すると理解できなくもないか)
Kawabataさんによるワークショップ。
とりあえず覚えてる点をメモ。
少しムヅカしいかも知れませんが
今年ムヅかしかったら
来年読んで下さい
(コミュニティとしての共同炊事場――ちょっとコルホーズとか人民公社を想像してしまった)
(いくつかのパターンランゲージ)
公共の広場としての高台から川へ放射状に下りる道。
歩くことが楽しい道。
家の前の広場(庭を囲うのではなく、庭を開放する)。
(その一方で、商店の間のしもた屋の非効率性の指摘。損して得取れ。10%を犠牲にしても区画整理による土地価値の向上)
1920年代(関東大震災)、1940年代(東京大空襲)、1960年代(東京オリンピック)。20年おきにチャンスは来る。
100年後の交通や建築を見据えて計画する。1920年代のモータリゼーション。1945年の日照権。
(瓦礫による河川埋め立て。人口流入による爆発。GHQによる農地解放政策――都市住民より農民優遇(戦後政治の基調路線?))
家に帰ったら、10%の供出がどうのという声がテレビから聞こえる。見たら家人が後藤新平についての番組を見てた。(1980年代(バブル崩壊)、2000年代(?))
(小形さんと知り合う)
CとかRubyの引数って、全部まとめて1つのタプルだと思ってるから()があろうがなかろうがどうでも良い (nobsun)
(確か、メソッド呼び出しの引数がメソッド呼び出しの場合、()の省略を許さないようにするっていう変更予定についての話か、さもなきゃ最後の引数がハッシュの場合の{}の省略を許さなくなったらどうよ、とかいうような話題の時に出た言葉だったように記憶してる)
(追記:向井さんの解説を参照)
タプルってなんだ?
タプルスペースのタプルか(トートロジーのような理解の仕方)。
逆に言うと、Haskelの引数は全部まとめられなくて、1つ1つが独立しているということだな。っていうのは、いつ評価するかは処理系任せというか、いつ評価するかは必要になったときだからで、CとかRubyの場合は呼び出し時点では評価が済んでいる=呼ばれた時点では値が決定しているという意味か?(追記:どちらにしても値は決定している)
#教訓:聞いたときわかったつもりでも、実はわかっていないことは多いので、そのときに(聞ける場なら)聞いておくのが吉。
民兵は自衛組織で、軍隊は侵略組織じゃないかな?
なぜ、他国の脅威を声高に唱える人たちは、民兵制について言及しないのかなぁ。あのアメリカが問題がどれだけあろうと武装の自由を守るのは民兵という概念があるからだそうだ。
徴兵して武器の使い方を教育して、自衛のための武器をがんがん売りつけて、市民に武装させておく。好き勝手な教育もできれば、自由市場に新たなパイも作れて大儲けも間違いなし。どうして、こんなおいしい方法を言い出さないのかな?
うん、民兵はいざとなったら武力革命機械になる可能性があるね。でも軍隊は(クーデターってのはあるけど、やり損ねもあったけど)基本的には国家機関だから民に銃を向けても国家には向けないという安心感があるのかも。
#明治政府は民兵によって国家軍を倒してできた組織と言えなくもない。その記憶が源流にあるのかも。
#1970年代あたりに日共が自衛隊の代替として唱えてたのは、そういえば民兵制だったな、とか思いだした。
#武装した隣人を信用できるか? という問題。地域コミュニティの確立が都市計画に入っていたことと併せて考えることもできる。もっとも、大震災のときに、地域コミュニティが大活躍して1000〜人という単位の血祭りを行ったという事実もあるわけでまったく信用できないわけだが、軍事力には保有コストがかかるので、それをどう見積もるか次第のようにも思える。
疑惑のマッカーサー道路がどこだか、わかったようでいまいちわからない。(そこだけ低層になっている(長持ちする建築が認められない)ところなので、たぶんこのあたりだとは思うのだが)。
「君、都市計画を作ってくれ」
「戦時中ですよ?」
「負けたよ」
一晩眠れなかったが、次の日(8月11日)には、さっそく資料を集めて計画を練り始める。
(うろ覚えだが、この切り替えの早さはすごく好きだ。これだけでも見習う価値がある)
子供がコッペリアを見たいというので(おれも好きだし)、HMVに行っていろいろ見たが、どうもピンと来ない。で、子供がこれが良いというので、熊川哲也って名前は知ってても見たことないし、妙に高価なのでちょっとためらったが、結局、買った見た、驚嘆した。
とにかく、動きが大きい演出で、楽しい楽しい。
祈りが、一瞬ためてピンと伸びきる不思議な動きなんだが、それが美しいし(本来、退屈するところなんだが――ドンキホーテのキューピッドとかもそうだけど、この終盤の20分前くらいにあるソロはあまり好きじゃないのは、もともとバレエがそれほどには好きじゃないからだが――まったく退屈を感じさせない動き)、全体としてとにかく跳ぶ、伸びる(としか表現できないのだが)、びっくりした(特にバレエについては、なんだかんだいっても日本は本家じゃないからねぇ、みたいな偏見を持ってたわけだなぁ。認識が一変した)。
とりあえずJim Hunguninのblogを読む。2日目の途中で時間切れだが。
えーと、話はActiveSupportをCLRでやらかすところまで読んだ。LINQのために拡張メソッドが実装されてて良かったね、というところまでう。
で、なぜIronRubyかというと、DLRが動的なOOPの複数の異なるタイプを扱えるかどうかを検証する必要があるからだ、ということがなんとなくわかる。
Pythonは多重継承を持つ。JavaScriptはプロトタイプだ。Rubyはミキシン。これらの異なるモデルをDLR上で構築することで、DLRのAPIを確かなものとするのが狙いなんだろう。
それによって、IDynamicObjectのデフォルト実装は後回しという話の意味が通じる。
#ミドルウェアというかフレームワークの種は尽きない。
を、航海日誌経由で読む。
なんかつながりが良くわからないところがあったり(アンマネージドの話からいきなり動的言語に飛ぶのだが、生なポインタについての話がなぜ突然メソッドディスパッチにつながるんだか。もしかすると、アンマネージドポインタの意味をメソッドディスパッチの高速化のために直接ジャンプ先を捕まえることと考えたのかな)、知らないことを大いに断言するといった趣のあるところが、不思議な記事。どこからが編集でどこまでが実際の話なんだろうか。
いずれにしても、DLRという名前がカスだということは良くわかる。そりゃ、CLRがあってDLRがあれば、並立する存在に見える。で、見事にそういった誤解のもとで喋っている。でも、実態はせいぜいDLT.NETというところだ。ASP.NETとかADO.NETとかと同じサブシステムで、Dynamic Language Toolkit程度の意味。ASP.NETとかADO.NETと用語を合わせるのならASF.NET(Active Scripting Foundation)とかだな(いずれにしてもDLRという名前はリリース時には変わるだろう)。
それに、Excelが出てくるところがわけがわからない。もしかするとSunではCOMを使いまくっていて、.NETアプリケーションはすべてInteropしまくりなのを作りまくっていたりするんだろうか。
「バークレー校のヒッピー上がりのおじさん集団です」というのはおもしろかった。
#Eclipseについての言及もマーケティングレベルの話としてはともかく実質としては変だ。実際にはNetBeansはどうでも良くて、SWTに対してSwingの高速化というのが重要だったように思う。と、読んで行くと、自分のジャンルのこと以外にはたいして興味を持ってないから知らないけど、聞かれたから答えてみました、という程度の内容かなぁ。
Vistaに入れたVirtual PC 2007でも、XPSP2に入れたVirutal PC 2007でも、むやみやたらとリピートされる。
「デスクトップ」−「設定」−「キーボード」(Debian etchのデフォルトのメニュー)でリピートレイトだのディレイだの変えてみるわけだが、そうは言ってもReturnキー10回押しみたいな現象が出る。
リピートを無効にすれば良いのだが、さすがにユーザビリティが悪すぎる。
というわけで、困っていたのだが、たぶん、これで解決したみたいなのでメモ。
Repeating keys under Fedora and Red Hat Enterprise Linux。
Virtual PC野郎(guy)による解説。PITを使え! それなんて落とし穴?
システム時刻は、非常に速い 仮想 サーバー 2005 R2 にホストされた Linux ベースのバーチャル マシンで実行されます。(あまりにひどい機械翻訳なので読まなかったのだが、後になってよく見ると、menu.lstやlilo.confの設定まで書いてある親切っぷり)
で、/boot/grub/menu.lstのkernel行にclock=pitを追加して取りあえず現時点では妙なリピートは起きていない。
もしかして、Thunderbirdから送ってる(つもり)のメールは全部、どっかへ消えてたりして?
keisukenさんの関数プログラミングを実際に動かしてみる。
というよりも、$がメソッド名に使えるというのを知らなかったり。
import java.util.*; public class Func { interface Fn<T> { T $(T arg); } static <T> List<T> map(List<T> list, Fn<T> fn) { for(int i = 0; i < list.size(); i++) { list.set(i, fn.$(list.get(i))); } return list; } static <T> List<T> list(T... values) { List<T> list = new ArrayList<T>(values.length); for(T value : values) { list.add(value); } return list; } public static void main(String[] args) { for(Integer n : map(list(1, 2, 3), new Fn() { public Integer $(Integer n) {return n * n;}})) { System.out.println(n); } } }
でコンパイルと実行。
C:\DOCUME~1\arton\MYDOCU~1\test>javac Func.java C:\DOCUME~1\arton\MYDOCU~1\test>java Func 1 4 9
Javaはおもしろい。
追記:
破壊したら関数と名乗るべきではない(ということだと思うし、直観的にもそう思う)。ので修正。
static <T> List<T> map(List<T> list, Fn<T> fn) { ArrayList<T> nl = new ArrayList<T>(list); for(int i = 0; i < list.size(); i++) { nl.set(i, fn.$(list.get(i))); } return nl; }
(それにしてもHTMLと相性が悪いプログラミング言語だな)
アカウントの設定で@の右辺を書き間違えて存在しないドメインにしてた。
その状態でMLに投げたところ、(多分)該当する投稿者が登録されていないのでエラーになって捨てられて、その結果、こちらに届かないのでなんかおかしいと気づいたのであった。
ところが、問題は、送り主のドメインチェックするようなSMTPサーバー(か、spamフィルター)を導入しているところだ。deliveryエラーを返さなければ当然返ってこないし、返すつもりでもそもそも間違っているから返ってくるはずがない。
結果的に、こちらは送ったつもり、相手は送られて来ない、となる。こりゃ怖い。
教訓:メイラーの設定は間違えないように気をつける(当たり前だけど)
ノーマンメイラー
子供が本棚のA-A'を眺めてるから、貸してやろうかと言ったら無言でどっかへ行ってしまった。
しばらくして
を持ってきて貸してくれた。まあ、なんか良くわからんけど(もう通り過ぎたという意味かも)、せっかくだから読み返して、あれ、これこんなにいい加減な話だったっけ? とか思いながらも結構、楽しんだ。最後がかわいらしい。
ケーキケーキとか、そういや、かわいい話(なんて表現すんのが適切なのか良くわからん。微笑ましいってのとはまたちょっと違う)も得意な人なんだっけなぁ、とか思ったり。その意味じゃバランスが取れてるかも知れないが、おれには物足りないかな。
おれは、こっちのほうが好きだ(と思うが最後に読んでから10年以上もたってるわけだから実際のところはわからない)。
子供がジャルモ遺跡を知ってるかと言い出す。初耳だ。
それで、昔、JALって会社があったが大赤字出して破たんして羽田あたりの大きな整備工場の跡が近所の子供たちにジャルモ遺跡と呼ばれてるというようなことを言ったら、そんなことはないと断言される。
しょうがないから検索してみたら、イラクに実在する遺跡なのか。
どうやら、おれの時代にはチグリスユーフラテスとかいう呼び名ですぐさま通り過ぎたあたりをやってるらしい(っていうか4大文明とか言わないらしいし)。というか、今はそういうことも習うのか。おもしろそうだなぁとかいろいろ。
Timekeeping in VMware VIrtual Machines
NyaRuRuさんに教わったVMwareのタイマー関係のホワイトペーパ。
パテントのこととかも出ているので、VirtualPCと違って……かな、とかいろいろ想像もするが、それ以上に、PCが内蔵する無数のタイマーデバイスの数に圧倒される。もしかしたら後で書く。
イテキがIME2007に登録されてない。苦労して(イが問題)やっと夷荻と入力して、ついでにMSに登録情報を送ったが、アマゾン検索しても出てこない。ところがグーグルさがせばちゃんと出てくる。タッチの差で絶版かとも思ったが、おれが間違ってるに違いないと、グーグル検索した結果から見つけた作家の名前でアマゾンを検索したらちゃんと出てきた。
夷狄かよ。
こっちも単語登録してMSに送信。夷荻は削除。しかし、誤入力した登録情報ってちゃんと捨ててくれるんだろうな(削除情報がMSに送られている様子は無い)? ちなみに、大辞林(最後の最後になってから引いているのは重いからだ)では夷狄というか、言われてみればエビスエビスなんだからジュウのテキが夷狄のテキに決まっていた(字形で判断するのは自分で自分をだましてしまうので良くないね)。
という不条理に満ち、次の瞬間には何が起きるかわからない、実存性の作家がアフリカの南の果てに生き残ったかのようなクッツェーの作品をゴールデンウィークに読んで、そのままにしてたから、一応、感想文を書いておく。
ノーベル賞のうち、特に文学賞って、言葉の越えられない壁があるので、読みそこなうことは多い(シンガーとか手元に確保してあっても読んでない作家の作品もあるし)。でも、仮にもノーベル賞なわけだから、やはり読んではおきたい(これはでも、受賞作じゃないけどな)。という程度の気持ちで手に取ったが、ひさびさに読みとおすのが苦痛な文学に当たってしまった(とは言え、読了はしたもんだが)。
時は17世紀、場所はアフリカの南、と考えたほうがすっきりするのだが、なぜかアマゾン書評ではローマ帝国の話になっているが、なぜだろうか? ティベリウス帝の話とかは出てこないと記憶してるが、いずれにしても、寓話は寓話、時も場所も関係ないといえば関係ない。
国家の意思と異なる意思を持つ個人に対して権力が理不尽な改心を迫るという意味では、1984の仲間であるし、
1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)(ジョージ・オーウェル)
自分の場所ではない場所で、自分のありようを否定されて異なる生物に変形させられていく物語という意味ではポールボウルズの仲間とも言える。
異国における人間精神の孤独であれば
B000JAXVN4
単なるヒヒオヤジの下劣なセンチメンタルなルサンチマンを虜囚となった夷狄の女性にぶつける話と読めば(前半部だけだけどな)、
わが悲しき娼婦たちの思い出 (Obra de Garc〓a M〓rquez (2004))(ガブリエル・ガルシア=マルケス)
(読んでないが、h.yamagataの書評を読むとそういう感じだ)
みたいでもある。
でも、結局、何も変わらないという意味では、
相変わらず辺境に暮らしているのです。
物語られる物語は、どうとでも色づけ可能な物語らしい物語だ。
帝国の辺境で文官として長いこと駐在している執政官が主人公だ。よく太った老人である。家柄は良いため、無能でも官職を持て、生来の孤立癖とその出自と職能に対する微妙な後ろめたさから自らをこの地への流刑囚のような立場とみなすことで心の平穏を得ている。
HELLSING 6 (ヤングキングコミックス)(平野 耕太)
ある意味、ペンウッド卿ですな。
そんな辺境の地に軍隊が到着する。サングラスをかけたゾル大佐という特務が率いる部隊だ。
仮面ライダー特別版 ショッカーVol.1 (Official File Magazine)(東映)
サングラスではなく眼帯だったような気がするが、もちろん、怒ると狼に変身し、人を食い殺す(デスハンターのKのほうがふさわしいのだが、読んでいる間、ずっと岡田真澄がゾル大佐役をやっていたのでしょうがない。名前も同じだし)。
夷狄が帝国をおびやかしているので、掃討しに来たのだ。しかし、そんな兆候はどこにもない。だが、首都ではその話で混乱中だ。すべての帝国民が夷狄に対して恐怖でおびえているのだ。
そして軍隊は出動し、そして軍隊がすべからくそうであるように、無辜の地元の漁師たちを夷狄と勘違いして虐殺し、大量に捕虜にして、監禁し、拷問し、殺しまくる。
漁師たちは次々と拷問に耐えかねて白状しまくる。シナリオ通りの決定的な証拠をつかんだゾル大佐はシナリオ通りに国境を越えて大軍を率いて出兵する。戦争のための戦争だ。
残された主人公は、拷問のために不具となった夷狄の少女を自らの家に招く。
という波乱万丈でもまだ全体の1/4に満たない。文体は晦渋、語り手の主役は立場通りに実情を知り夷狄が敵ではなく辺境の平和を守るにはむしろ帝国の側が変わるべきを知っていると同時にゾル大佐(が手にする権力と暴力装置と、暴力に対する無感覚さ)が恐ろしく、しかしゾル大佐が出自的な理由から自分を恐れると同時に敵視していることがわかるために微妙な拮抗関係を形成するだけのしたたかさは持ち、それでいて怠惰で安逸な辺境の文官生活に浸りきっているために首都情勢に疎く、しかもそれを自覚しているため政治的にどのように振舞うべきかについての迷いがあり、……(あと1011パラメータくらいがこのインスタンスには与えられている)と複雑な行動規範に従って行動し、自らの首を締めて行く。
そして、夷狄の少女を解放するための5人だけでの砂漠の行軍、理不尽な夷狄の長老、離反する兵士の精神、そして帰還後、ついに政治的な死地に追い詰められ、地位をはく奪され、人格(ついでに人権も)を剥ぎ取られる。その間に挟まる幾つもの冒険、脱走し、町の構造を知りぬいている男が知恵を駆使して逃げ隠れしまくるところは、まるでジャッキーが体術を駆使して部屋の中で相手に見つからないように逃げまくるシーンのように見事なカメラワーク。
プロジェクトA デジタル・リマスター版 [DVD](ジャッキー・チェン)
でも、物語はまだまだ全然、終わらない。
なんかNHKでやってた番組見てたらすごかった。
溶かすというか腐食させるという行為から産まれる作品ってのは想像力をえらく刺激するのだな。
当然のように最終的な仕上がりを意識しながら創るにも関わらず、実際にどうできるかはやってみなければわからない、って点では磁器なんかにも似てるから芸術というより工芸のほうなのかも知れないが、というか、どう違うんだ? 産まれるものがオーナメントか実用品かという違いなのかな、その不安定さが植物的な感じと通じるのかも。つまり、静止した生き物みたいな感じ。
でも、これだけの作家でも40年たてばそれほど知られてない存在になってしまうということ(知らぬはおればかりなりって可能性もあるが)は、いかに生き延びることが重要かってことなのかも知れない、けど、生き延びて同級生として作品と人を語る立場になるってのもそんなにいは嬉しい役回りでもなさそうだし、とか。
ふと思ったのだが、もし、まだHotjavaを保存している人がいたら、今のマシンで動かしたらどうだろうか? ばかっぱやで超快適とか。
と思ったけど、HTML4.xじゃないし、cssをサポートしてないし、Javascriptもきっと動かないし、使い物にならないか……
はえー(しかしバンドルされてるJREをつい使ったら、文字コードが……だった)
しかも、1.6でexe化させたら、スペイン語(だと思う)を吐いて死ぬもんでアンインストールもできなくなる。なんだか、とってもホットくん。
1940年代半ばに、20年後にはかくあるべし、かくあるべく計画され、承認され、そして回り始めたのだが、さてその結果はどうなったか? を50年後の今、もう一度見返して、いろいろ考えてみようという貴重な資料。
萩原さんの考え。
カント語が出てこないので対応が取りにくいが、悟性でどうにかなる領域(属人的領域)を脱すると、理性から求めなければならなくなり(綜合的判断をくださなければならなくなり)、結果的にそれはアプリオリな純粋直観であるから、定義から矛盾律とは異なる原理が必要となる、ということを書いているのかなぁ、と思う。(と書いてしまうとそれが矛盾律に従っていることに気づき、ちょっと愕然とするのであるが、この文章自体は単に萩原さんが書いたものを紹介しようと試みているのだから定義から分析的判断であり、したがって矛盾律に従うのは当然のことであった)
ちなみに、現在は先験的主要問題を読みつつある状態。
#こういうのって、待ち行列の理論を知らなくてもキューを使おうと考えてかつ実装できてしかも適当な数の窓口相当のものを設定してそれなりにシステムが回るってのと同じようなことで、知らなくても適用している/可能かも知れないが、しかし、誰かが考えておかなければならないことなんだろう、と考えているので(というか、それが人間の文明ってもんだ)、ようするに哲学ってのは重要だなぁとあらためて思うってこと。
とりあえず、これだけは書いとかないと。
以前、Cについて話してた時、それまでアセンブリ(たって、PDPのアセンブリなわけだし、知らんけど)でUNIXを書いてたリッチーが面倒になったので(その時、トンプソンは面倒になってなかった)制御構造を持って、かつ、間接参照を簡単に記述できるプログラミング言語としてCを開発したっていうようなことを言ったら、「それまでアセンブリで書いてた」の部分に疑念を表明されてびっくりしたことがあったけど、今の感覚ってそんなものなのかな?
それはafter RISCだからそうなのか、それとも最初からアセンブリで書くって行為がたとえば、今となっては京都まで53次を歩いて行くというくらい常識外れなことに感じるっていう認識なのか、どっちなんだろう。
もともとはかっこわるいのに、見方を変えたら(10年寝かせたら)かっこ良くなることがあるって、まるでモードみたいでかっこいい(リフレクションとAOPみたいなもんか)。
その頃、MSではインテリセンスを導入した。
VBAでは、サポートがめんどうなキーワード引数ってのがあって、
c = app.foo(bar = 1, baz = "gogo")
みたいに書けるのだが、それよりも、よっぽど、
app.foo(
と書いた瞬間に、
「int bar : なんちゃらの数値」
というようなガイドが出て来て、おおそうか、と1を入れるってほうが書くときは便利だ。
というわけでヴィジュアル系プログラマは、プログラムは読まない(読めない、かも)。
#実際は、書いた後でも、fooにマウスを持っていけば
「int Application.foo(int bar, string baz); barとbazを合成した値を返します」とか瞬時に表示されるので、読むのもVSさえあれば楽勝。のはず。少なくてもドキュメントしてあれば。
ジェズイットを見習え |
Before...
_ arton [ありがとうございます。2007でも同じ設定ができます。 その設定をする前に、インストールを始めてしまってあせったって..]
_ 通リスガリ [>マップまでフラッシュで作ったら印刷できないだろ。 右上のPRINT OUTをクリックすると印刷できます。]
_ arton [おお、どうもありがとうございます。 (しばらく実際に操作する) でも、これプリントプレビューできないですね(減点90..]