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新国立劇場で愛の妙薬。
シラグーザは、一昨年あたりにチェネレントラで見て、動きのおもしろさと声の良さ(というか、おれの好み)から一発でファンになった。
当然、出てきてなんか村人にちょっかいを出しながら、彼女はいつ見てもかわいいなぁを歌い出すとそれだけでうれしくなる。
さらにトリスタンとイゾルデをアッディーナが読むところでは村人の輪の中に入っておしりで押しながらどんどん中央へ移動するところとか、動きが見ていて楽しい。
人知れぬ涙 アントニーノ・シラグーザ オペラ・アリア集(ジョアキーノ・ロッシーニ)
(人知れぬ涙は得意なのだろうけど、しんどいらしい)
ドゥルカマーラの人(ジローラミ)が低音部とは思えないほど良く通る歌いっぷりでこれも良かった。
キャベルはきれいな声なのだが中音が弱いのが原因だと思うけど、他の人の歌が混ざると途端に聞き取りにくくなる(と、子供が指摘して、確かにそうだなぁと思った)。
指揮のサレムクールは見た目は立派だが、バレンボイムの秘蔵っ子とか書いてあるのを読んでなるほどなぁと納得した(好みではない)。
ところでトリスタンとイゾルデは、ヴァグナーの楽劇を持ち出さなくとも、普通に悲劇で(tristeな主人公の名前から明白だ)、アッディーナが笑い出したり、惚れ薬を飲ませてめでたしのような艶笑談ではないはずだ。
すると、村の中で唯一の識字能力を持つアッディーナが(自分に惚れていることが明らかな)ネモリーノをからかうために村人を巻き添えにして自分ででたらめな話を読んでいるふりをして、語っている可能性が高い(ネモリーノはアッディーナから取り上げた本を逆さにして読んだりするくらいに字は読めない(ことを強調するために名前すら書けないことも志願書にサインできないことで示される))。
とすれば、アッディーナは本来悲劇的な状況がふとした戯れで喜劇となることをあらかじめわかっていたということになる(そういう状況を想定できるわけだ)。
かくして、どうでも良い実にくだらない話ではあるけれど、この話は劇中に挿入された物語によって逆に悲劇的な喜劇として描かれる。
というわけで、力いっぱいの喜びの歌の人知れぬ涙が、短調の物悲しい調べで歌われることになる。
見事な仕組みだ。
何気なくつけたNHK-Gで、これは誰の書でしょう? とか問いかけがあって何か書付が示された。江戸時代の人の何かかなぁとか思って眺めていたら、西(最初は東っぽい)東(ただし生まれた時は西)晋の王義之(350年ころに活躍した人)で、名前に見覚えがあってもさっぱりわからないのでついそのまま見てしまった。(追記:木村さんの東西の順序のご指摘により修正。当時の人(王羲之はローティーンのはず)にとっては皇帝が変わっても同じ司馬氏なので、単に戦火を避けるための遷都くらいの意識だったのかなぁ)
なぜそれを江戸時代かと思ったかと言えば、ひらがなが見えたからだが、それが草書だったのだった(さらにその後に、「ふ」にしか見えない「不」が出てきたりして、なるほど確かに日本の文字は中国の影響下にすべてあるのだなぁと得心した)。
番組そのものは、上野でやっている王義之展の宣伝が主なのだが、いろいろおもしろかった。
・4世紀初めに紙が十分に普及したので、メディア革命が起きた。
・それまでの文字は石に刻むことを前提としている。
・紙に筆で書くことが主流になったために字体が変わる。王羲之がそこでスタンダードとなった。紙に筆で書くための文字(行書と草書)という革命だ。
・唐の時代には散逸が始まったので、太宗が保存をさせた。保存というのは、ここでは模写である。
・そのために模写のための技術が生まれたが、技術そのものは名前と、薄い紙に窓明かりを透かして蝋がどうした、の3語程度のみにが残っているだけで、どういうものだったかはわからない。
・何しろ模写のはずなのに、さらっと書いたような筆の流れが作られている。(番組の中では若い研究者が独自に墨の濃さを変えて何度も細かい線を入れることで復元に挑戦してみる)
・現在わかっている限りでは、王羲之の真書というのは存在しない。(しかし、それはまったく関係ない。なぜならば、太宗が技術者に作らせた模写がいくつか残っているからだ。これは素晴らしい。文字が美術ではなく技術であり、書かれたものではなく、書き方の技術と内容が評価の対象だというのは理に適っている。つまりトレースが正しく行われているとみなせられれば、それはオリジナルと同等の価値を持つということだ。無くなるよりも残るほうが良いということであり、コモンズな感覚だ)
・「一」の書き方が、最初の止めがなく、右肩上がりに書かれている。
・筆を手にして「一」を書くということは、手首または肘を中心にした回転となるので右肩上がりになるのが当然で、文字を契約のための象徴としていた時代に水平線として書かれていた(刻まれていた)字というものを、人間へ取り返すことだった(というようなことを京都精華大学の先生が言っていて、こじつけだなぁとは思うが、その一方で、ルネサンス(人間復興)というのは確かにそういうことだし、それが技術革新(ここでは紙の普及)を契機とした文化的な革命(紙に筆で書くための文字の発明)だというのは納得がいく)。
鑑賞対象としての愛でる書にはそれほど興味はひかれないが、文化に変革をもたらした人の話は好きなので、この本あたりを読んでみようかなと思った。
京都精華大学の先生の王羲之についての話の中でもうひとつ興味深かったのが、書の内容に触れたところだ。書への思い入れを抜いて技術論にすると以下となる。
・紙が普及し
・行書や草書といった筆と紙を使って書くのに適した(負担がかからない)記述法により
・手紙というものが身近なものとなる。(軍事や政治のための連絡用ではなく、個人から個人への信愛の情による通信に変わる)
・王羲之の手紙には、友人の奥さんが病気になったことを心配する手紙や、故郷の先祖の墓が匈奴によって荒らされたことを憤る手紙や、家庭菜園の報告の手紙などがあり、それらにはそれらにあった書法が取られている。文字の間隔や一気呵成に感嘆詞を綴るなど。
もちろん、この話から想起するのは、10キーとたかだか10桁×10行程度のサイズに素早く入力される携帯メールの文章や構成文字(というか記号というか)なのだが、スマフォ旋風によってあっという間にこの文化は消え去ってしまって、おそらく(書籍として残された携帯文学以外は)残らないだろうなぁという感慨だったりする。
AKBとか本当にどうでも良いのだが、売ってるやつが賢い(小賢しいとは思わない)ので、いろいろ感心することがある。
ファッションはある程度の周期で意匠を変えて繰り返すことで生産性を上げる(ゼロベースで何かを創り出すのは大変なのでそこをスキップする)わけだが、おなじようなことを考えているのだろう。
というのは、子供の頃見た少女マンガで、男にも売れるやつってのには必ずモティーフがあって、なんかそれをなぞってるなぁと思ったからだ。
で、少女漫画で男にも売れたやつってのは、基本的に2つの特徴があって、1つはスポーツ(下部には根性と友情がある)がモティーフ、2つめはテレビとタイアップ(男はあまり少女漫画雑誌は買わないが、テレビでやっていておもしろそうなら見る)だ。
さらにそこには共通するサブストーリーとして恋愛がある(こちらがメインとなると60~70年代には受けず、それは80~90年代の翔んだどうしたに始まる新しい時代のモティーフとなる)。それは、中学生や高校生の女の子が主人公だが、必ず恋をして(そりゃ年齢的にそうだろう)、しかしそれはコーチによって固く禁じられていて、そこで歯を食いしばってあきらめてスポーツに邁進するというストーリーだ。
つまり、アタックNO1とエースを狙えとサインはV(これは実写だったな)とかだ。
そういうのを小学生の頃に読むと、1980~90年代には、最低の物語だったなぁと感じるようになり、0~10年代には、そろそろこのパターンを復活させると儲かるかも、と考えるのではないかと考える。(で、さらに同じメディアではなくよりうまくメディア化するとAKBになるのだなぁと賢さに舌を巻くことになる)
(これは、恋愛対象がコーチなので、その分すごくメタになってしまった、そのためか作者は宗教に行ってしまったのかも知れない)
TV放映40周年記念 アタックNO.1 Blu-ray Special BOX I(小鳩くるみ)
(こっちがスタンダードなパターンでまさに金字塔)
センターは鮎川こずえだけど、回りを固める早川さんだのなんだのバレー部や同級生が絶対的に必要な集団ストーリーになってるのも重要なのだなぁとか。
段組みがおかしいのでアマゾンへサポート依頼を出した件だが、今日(日曜だな)メールが来て、時間はかかるし更新情報も出さないけど修正を依頼する。というわけで時間がかかってしかも更新情報が出ないとは何事ぞという反応もあり得るとは思うから返金してもいいよ、とのことだった。
微妙かつ良く読むと一方的な気もするが、返金OKなのだから良いのか。とは言え500年も前の作品にあせってもしょうがないので、気長に待つことにして返金不要と返した。
で、一足先にKindle化した(が、結局、拙速だったということだな)研究社版がぐだぐだな間に角川がばしばし追いついてきた。
しかも、研究社には無いリチャード三世もある(リチャード三世はイギリス王様シリーズの中で一番マクベス的におもしろいおっさんが主役なので好きなのだった)。
これ、金子 國義のイラストも入っているのなら相当に興味がある。
とは言え、翻訳者を知らないしな。
とは言え、同じく知らないで買った大場も良かったわけで、河合も良いかも知れない。
というわけで、リチャード三世を買った。
(という具合に、白水社がのろのろしているうちに、小田島訳がおれの印象から消えていくことになる)
#Kindleってすさまじくやばい。書籍は置き場所や目の前の現金というラッチがはたらくので買い過ぎることはないが、1クリックで電子的に目に見えず(実物を目にするところを想像せずに)購入できるというのは、あらゆる意味で心理的障壁による購買行動抑制を突破してしまう。
というわけで、当分、買わないようにしよう。
子供は低い声に弱い。
子供が子供だった頃、ディズニーランドのエレクトリックパレードのジェファーやよくわからないが火山のお化けみたいなやつを異様にこわがって、あまりに怖がるので声色作って「ジェファー」とかやってみて、ヴィジュアルではなく低い声を怖がるということを学習した。
そんなことはすっかり忘れていた昨年の大晦日に蕎麦屋を探して深川のあたりをうろついていたら、閻魔堂という奇妙な建物を見つけた。
その時はスルーしたのだが、やはり気になる。
それで先日、行ってみたら奇妙なお堂を脇に置いた寺だった。なぜかお堂の入り口に子供がいて、なぜ中に入らないのだろうと不思議に思いながら入ってみる。すると、でっかなガラスケースの中にでっかな閻魔大王の張りぼてが鎮座している。それだけだ。
つまらねぇものこしらえたもんだなぁと帰ろうとしたが、ふと閻魔大王の前にコイン投入口が幾つも用意されているのに気づいた。それには聴きたいことは何でしょう? とか書いてある。はてこれは地獄の沙汰も金次第の含意だろうかと、何気無く100円いれたらさあ大変。
ドンドロ音と共にありがたい説教が低い声色で流れ出した。まあ、あたりさわりもそつもない説教なのだが、閻魔大王が喋り出すや、入り口のところに控えていた子供が半べそになって遠くへ逃げ出した。何が半べそになるほど怖いんだ? と不思議に思った瞬間に、子供が低い声色を怖がったことを思い出したのだった。
どうやら恐怖を味わうために、誰かがお金を入れるのを入り口のところで張っていたようだ。そういうおっちょこちょいは好きだ。
上で焔魔堂のことをつまらんもの扱いしているし、事実つまらない(=とるに足らない)ものだが、好き嫌いとなると話は別で、このてのキッチュは大好きた。というのも、門前の怖がり小僧に好感を持った理由の一つだろう。
日本のアマゾンのトップページ見て、あれ? と思った。
で、海外アマゾンのトップページ見て、やはりにやにや感とそこはかとない淋しさとか感じた。
まずイギリス。
Kindle: The Perfect Gift
バレンタインの贈り物に最適だよ! (2行目のバレンタインの部分は引用からは省略。以降同じく1行目のみ引用。
スペイン。
Kindle: elregalo perfecto
バンレンタインの贈り物に最適だよ!
カナダ。
Now available on Amazon.ca
カナダでも発売だ!
(もっとも、でっかくバレンタインデーのギフトにぴったり(ideasの訳は違うかも)とか書いてあるけど)っていうか、カナダではこれまで売ってなかったのか?
ブラジル。
Compre eBooks na Loja Kindle
Kindlenで電子書籍を揃えよう(嘘かも)
この国は本の画で、ハードウェアの画はなし。という強烈なコンテンツマター。
イタリア
Kindle: il regalo perfetto
EUは同じコンセプトなのかなぁとイヤになって来た。
ドイツ
Kindle Das perfekte Geschenk
フランス
Kindle: le cadeau ideal
理想の贈り物、それはKindle。
もしかしたらperfect(pefekte, perfetto, perfecto)は理想の意味を含むのかなぁ? でも、perfectionって言葉はあるから、フランスだけはちょっと思索的かも。
と、ここまで見ると、EUではバレンタインギフトというのがとても重要だということと、ブラジルではハードではなくソフト(書籍)が売りだということがおもしろい。また、EUはコンセプトは同じだが、フランスだけ言葉が微妙に違う(まさか、他の国はperfectに理想が含意されているってこたないだろうから、どちらかというとフランス語のidealには理想的=完璧という含意があるから、形容詞の適用に関する語感の差かもしれない)。(追記:かずひこさんのツッコミがおもしろい!フランス人いいなぁ)
中国。
Kindle無し。
本国アメリカ。
A big deal for a larger screen
でっかな画面は良いことだ!
バレンタインはやらないのかな?(いや、チョコで一本化されているんだろう(追記:これは僕が無知でした。shiroさんのツッコミ参照))
そして日本。
iPad miniよりも32%高解像度のHDスクリーン
出ました、スペック!
ここだけ取り上げると、アメリカ人は数値データで具体的に示すが日本人は感覚的な言い方で云々みたいな物言いは、まったくの言いがかりか、少なくとも狭い範囲だけの観察結果だな。
ここまでをまとめると、
・EUではバレンタインギフトはチョコとは限らない。
・EUではバレンタインギフトが大きな商機。
・EUでは画面がでかいとか関係ない。
・ブラジルはコンテンツ最重要。ハードウェアどうでも良い(既に完全に普及したという可能性はある?)
・アメリカはiPad miniを意識して画面のでかさ(ただしHDによる論理的なでかさ)を強調しているが、しかし直接名指しはしない(日本と違ってアメリカは比較広告がどうたらというのも、まったくの言いがかりかまたは狭い範囲だけの観察結果のようだ、少なくともここに例外がある。か、またはiPad miniは眼中になく、iPhoneをターゲットにしているのかも。ならばlargeはHDによる仮想的な広さではなく、物理的な広さで正しいことになる。さらに考えてみると、Kindleオリジナルの買い替え需要を喚起しているだけかも知れないなぁ。アメリカは難しい(追記:世界で最初にタブレットが普及した国だという点を考慮する必要がありますね。jmukさんのツッコミ参照))
・中国は別枠。
とりあえず、EUに真似てバレンタインデーという商機をお菓子屋とコンビニから奪取することを目指すといいだろうな。マガジンハウスとタイアップしてEUではバレンタインデーは大人なギフトとか。
と書いてからリロードしたら、日本が
Kindle ドラマ化作品もベストセラーも
に変化した。ブラジルっぽい。(が、ここでドラマ化作品とテレビ視聴者前提の広告文となるところが興味深い)
他の国も変わるかなと何度かリロードしたが変わらなかった。でもたまたま10回くらいでは変わらないだけで、上で書いたのは大嘘の可能性もなくはない。(日本は数回リロードすると変わる。もしかすると、クッキーによって反応を変えている可能性もなくはないけど、.frと.comは比較的良く利用しているからちょっと考えにくいところではある。
B00962OKJU
(Kinlde Fire HDは、「この商品はECSを通してアクセスすることはできません」というエラーになるのでHDじゃないほうをリンクしてみる)
世界で最も売れている7インチタブレット(そりゃ先行したからだと思うけど)の後継機種(というのが後ろにつくんだけど、日本のアマゾンが利用している広告代理店は何かおかしい気がする)kindle fire HD。
MSDNのWindows 8 Input: Ink sample in C#/Xamlを眺めているのだが、とても不思議だ。
Windows.Storage.Pickers.FileSavePicker save = new Windows.Storage.Pickers.FileSavePicker(); save.SuggestedStartLocation = Windows.Storage.Pickers.PickerLocationId.Desktop; save.DefaultFileExtension = ".png"; save.FileTypeChoices.Add("PNG", new string[] { ".png" }); StorageFile filesave = await save.PickSaveFileAsync(); using (IOutputStream ab = await filesave.OpenAsync(FileAccessMode.ReadWrite)) { if (ab != null) await m_InkManager.SaveAsync(ab); }
これでpngファイルが書けるらしいのだが、なぜだ?
InkManagerはIOutputStreamのインスタンスabを受け取っているだけだが、出力の主体はInkManagerだ。だが、IOutputStreamにはメタデータ(出力タイプなど)を公開しているわけではない。
可能性の1つはInkManagerは常にPNGを出力するというものだ。
試しに以下に変えてみる。
save.DefaultFileExtension = ".jpg"; save.FileTypeChoices.Add("JPG", new string[] { ".jpg" });
うーん、JPGで書かれた……待てよ。と、ここでおれがPNGで書かれた、JPGで書かれたと書いているのはExplorerのファイルタイプ表示からだ。もしかして、これって単に拡張子データベースから値を引っ張っているだけかも。
というわけで、出力されたpngとjpgをダンプしてみる。
47 49 46 38 39 61 BB 03 18 02 F7……
おい、GIF89aじゃないか。何がPNGだよ。
なぜか2/9にも新国立劇場で愛の妙薬。
マチネだとバックステージツアーが抽選であるので申し込むのだが、今回は当たった。前回は影の無い女の時なので2年半ぶりだ。
大体20~30人くらいの募集に対して200~300人くらいが応募するので倍率は10倍、これまで10回強は応募しているので、まさに確率通りだ。
途中、舞台監督から説明があるのだが、ツアーに参加した4歳くらいの子供が妙にまとわりつくので不思議に思っていたのだが(普通なら親が止めるだろう)、ツアーコンダクターの営業マンが、「みなさん、変だと思っていると思いますが、実は監督のお子さんなんですよ」「まさか当選するとは思いませんでした」と言い訳。なるほど、爺さんに連れられて来ているので、爺さんは孫に甘く、親父は説明に一生懸命(子供相手せず)なので、子供としてはなぜ父親が相手にしてくれないのか不思議になって存在をアピールということなのか、とえらく納得した(まとわりつくしちょっかいは出すが、騒ぐわけではない(=躾はされている)ので不思議だったわけだ)。
ほーと感心したのは、紗幕と裏の斜光幕がまったく音をたてずに上がることで、なるほど歌劇場の道具は静かに動かなければならないのだなと気づく。
最後にドゥルカマーラの飛行機が空を飛んでいき縄梯子を降ろす(ヘリコプターじゃないんだから無理な話だが、ヘリコプターではさすがに合わないからしょうがないのだろう。でも気球という手もあるように思うけど、それだとあまりにozになってしまうか)演出なのだが、その空を飛ぶ飛行機は、大道具係が本物の模型を買ってきてきちんと組み立てて塗装を道具のほうに合わせたと説明があって、いろいろ想像してみるとおもしろい。
翔泳社さんと作業していたC#の入門書が本日発売されます(実際のところは良くわからないけど2/13という日付になっている)。
表紙や本文の脇にどことなく面影が私な人形(似ていなくもないが積極的には似せてはいない)が登場しているのが目印です。
10日でおぼえるC#入門教室 (10日でおぼえるシリーズ)(arton)
入門書ですが、考えた末いろいろ枠組みや重視する項目を変えてみました。
・考えたこと
今は2010年代だ。つまり、ほんの少しの文法知識があれば、Googleで検索してコードを探してコピペすればプログラムを作れる時代だ(入門書とは別にレシピ集みたいなものも買うこともできるし、探すこともできる)。
.NET Frameworkの規模は体系的に習得するのは無理だろう(必要になったらつまみ食い方式しかないだろう)。
いずれにしてもVisual Studioを前提にインテリセンスと即時名前解決が解決することをくどくど説明するのは意味ないだろう。
C#はマルチパラダイム言語だ。
それはそれとして写経って結構重要だ(もちろん人によるが、結果的に反復練習をしていることになるから、身につくという意味では効果的だ)。
C#はマルチパラダイム言語だから、手続き的にも関数的にも(ここではステートメント重視か式重視かという程度の意味)記述できる。
それはそれとしてオブジェクト指向プログラミング言語ではある。
というようなことから、比重は実装設計に寄せるのが良いだろう(というのは、これこそ反復練習で身に付くものだし、レシピ集やWebページつまみ食いではそうそう理解できるものではない)。
Twitter140字時代にくだくだ説明を書くよりも実例を見せるほうが良いのではなかろうか、というよりも間違いなくそうだ(なぜならばコードの読み方が身につけば、最初に戻ってコピペ自在だからだ)。
→ソースコード重視。
以下、目次の大項目と内容。各日は平均4章から構成。ほとんどの日は、起承転結にしている(導入-発展-設計見直し-まとめ)。
短いオリエンテーションを経て、
1日目:開発環境の準備と操作ガイド
Visual Studio Expressについて、操作方法を最初に説明
2日目:対話型プログラムでC#の基本をマスターしよう
オブジェクトの使い方(VB6的な自分でオブジェクトを作るのではなく、提供されているオブジェクトを使うこと。演算子、例外、必須ステートメント)
3日目:電卓プログラムでオブジェクト指向とラムダ式をマスターしよう
ポリモーフィズム。式に慣れる。
4日目:情報収集プログラムでデータの取得と分類をマスターしよう
コレクション(集合操作)、値オブジェクト(データとしてのクラス定義)
5日目:テキストエディターでファイルの読み書きをマスターしよう
入出力(文字コードについても説明)
6日目:射的ゲームでオブジェクトの継承をマスターしよう
3日目のポリモーフィズム(制御構造の代わりにオブジェクトを利用して説明)とは異なり、獣-犬タイプのクラス継承の説明。
7日目:サウンドプレイヤーでデータの利用と同期を学ぼう
バイナリデータ処理+ポリモーフィズム。非同期実行についての基本。
8日目:ソースコード閲覧プログラムで制御構造を学ぼう
手続き型プログラミング経由でポリモーフィズム。
9日目:リモコンプログラムで単体テストを利用した本格的プログラミングを学ぼう
TDD! (本当は最初にやるべきとは考えたが、どうやっても、この段階まで来ないとテストを記述するのは無理という結論となったので9日目) キューを利用したスレッドの同期。
10日目:パラパラマンガでWindowsストアアプリのプログラミングを学ぼう
この日は別口で、Windowsストアアプリについてさわりの紹介(Visual Studioが結構バギーなので欄外ノートにいろいろ注意が書いてあったりします)。
プラットフォームとしては10日目以外はWindowsフォームとしました。何で今更という気がしないわけではなかったけれど、WPFプログラミングとなるとC#以外(つまりXAML)の比重が大きくなり過ぎて書籍の内容が別物になってしまうので、シンプルにWindowsフォームです。
なお、練習問題はダウンロードで提供しています。ここも考えた末、Visual Studioの単体テストプロジェクトを組み合わせて、解答を打ち込んでテストやデバッグできるようにしました。Visual Studioの単体テストプロジェクトテンプレートと支援は結構うまくできていると思います。
お子様、奥様、ご両親へのお土産に書店で見かけたらぜひどうぞ!
謝辞:本書のどこにも書いてありませんが、文字コードの部分について、なるせさんにご協力いただきました。感謝しています(うな丼で感謝を示すこと>おれ)。
ここまで読んだ人へ:まだ見本というか著者分があまっているので、先着数名様へ献本します。興味がある方はTwitter(@arton)またはfacebookのほうへDMください。
XcodeでObjective-Cのコードを書いていて、どうにもかなわないのが、ブレークポイントがずれることだ。
ソースの左枠外をクリックしてブレークポイントを設定するのだが、そこでは止まらない。
あるいは、ブレークしたところからステップ実行させると、ループではない行でループする、あるいはすでに初期化した変数が変数ウィンドウで未初期化となっている。
つまり、ソースコードレベルの行がずれているのだ。
以下を試した。
長い行が折り返して1行(改行コードが1つ)なのに見た目上は複数行になっているパターン。積極的に改行コードを入れた(もしかして、今書いていて気付いたが、逆にこれが原因か?)。
行を占有しているコメントを消してみる。
#definがちょっと怪しい(が、#define MAX_BUFF_SIZEみたいなのってconst intで宣言できないから、というのは配列の宣言時の[]に記述するのはリテラルの必要があるから)けど、消せない。
すごく不便なのだが、みんなは問題なし?
iOSでアプリケーション書いていて、popoverというダイアログビヘイビアの概念にぶつかって困惑した。
サンプルをふつうに見る限り、終わらせるというアクションがないからだ。
・ここまで、WindowsやXのGUIが念頭にあるので、何かポップアップされたら、OKとかキャンセルをユーザーが明示してクローズするのが当たり前と考えている。
で、しばらく眺めているうちに、一見モーダルな振りをしているが実際はモードレスで、したがってアプリケーションモデルとしては、ユーザー応答が返るわけではなく投げっ放しにすれば良く、ユーザーモデルとしては、やりたくなければ興味外とばかりに枠外をタッチすれば消えてなくなるので、なるほどそういうものかと理解した。
が、最初に見せると大抵の人は、どうやって終わらせるんだ? と戸惑うから、10代くらい(タッチパッドデバイスが最初のマシン)のユーザー以外には困惑のタネのような気もする(なので、明示的なdismissボタンをつけて、しかしselfはdismissできないのでdelegateを作って呼び出したViewControllerのメソッドを呼び出し、そこからdismissさせるとかやっている間にうんざりしてくるのは別の話。しかも途中からスケッチブックとかセグウェイでどうにでも実現できるように変わったからだと思うけど、普通にViewControllerで実装できるので、リファレンスのUIPopoverController Class Referenceが全然役に立たなくなっていて、セグウェイをselfを迂回させて呼び出すとかにたどりつくまでえらく回り道したりした)。
さて、そうやってpopoverというビヘイビアを理解したところで、Windows Storeアプリケーションを眺めると、ここにはよく似たビヘイビアのUI部品としてFlyoutというものが用意されていることに気づく。
ユーザはいつでもそれの外側をタップすればクローズできるとか書いてあるからiOSのpopover相当なのは間違いなしだ(が、ユースケースはより限定的になっている)。
が、このFlyoutがさっぱり見つからない。定義はあれどもモノがない(JavaScript用のやつはWinJSに入っている)。
で、いろいろ探した結果、Windows Store ForumでMSFTの人が、プラットフォームに入っているほうがいいけど、リリースビルドに間に合わなかったんだよ。に始まり、hidden panel使えだのなんだの実にややこしい話になっていて、たぶん、iOSのpopoverについて(MSプロパーなデベロッパーではなく、外部のJSデベロッパーから問い合わせがあって、WinJSへ組み込んだりしたのをデザインガイドを書く人が文書化して、C#(WinRT)側の連中が突然入り込んできた要素にとまどっているうちにリリース期日になってしまったというような、様子を想像したりして苦労を偲ぶのだった。
Building Windows Store Apps: Develop and Design(Sugrue, James)
Flyoutは出ているだろうか?
(なお、C# Flyoutサンプルが提供されるようになっている。)
新しいやつが発表されたからだろうけど、25%というか定価の3/4まで低下している。
APPLE MacBook Pro 13.3/2.5GHz Core i5/4GB/500GB/8xSuperDrive DL MD101J/A(-)
手持ちの2008年(あ、5年たってる)のMBP 17"で驚くのは、MBA11"の一番安いモデルよりもiOSシミュレータが遥かに遅い(間違いなくCore2Duoの仮想化がオフにされているからだと思うが、オンにする方法もわからなければ、オンにした場合の悪影響もわからない)ことで、使い物にならないレベルだ。
考えてみれば、MBPはほとんど家用で外部モニタに繋いで蓋閉めて使っているのだから、Ratinaモデルの必要は全然ないんだよな。
メモリ4GBは話にならないけど、8GBにするのは1万円もかからないんだから、不良在庫化している今のうちに買っちまおうかどうしようか、迷っている。
ロックオペラ・モーツァルト(原題っぽく書くとロペラロックモザール)を観にシアターオーブ。
初めての劇場だが、3階造りで各階は急勾配、したがって3階どん詰まりの席だが見易さは抜群だった。高さはもしかすると新国立劇場の4階くらいに相当するかも知れない。というわけで、本当のオペラにも合いそうな感じがする。席は最初、前とやたらと詰まっている感じがしたが座面に奥行があるせいか、観劇中は問題なく、なんかいろいろうまく作ってあって、実に良い感じだ(東急グループとしては、オーキッドや複数の映画館などで経験を積みまくっているだけに手慣れたものかも知れない)。
ものは、以前、かずひこさんのフランス土産でCDを貰って、えらく気に入って結局DVDまで買ってしまっただけに(これが機縁でamazon.frからは結構いろいろ購入することになった)、良く知っている内容だが、日本版を製作するにあたっていろいろ工夫がしてあって感心した。
Mozart L'opera Rock L'integrale(Mozart L'Opera Rock L'Integrale)
その一方で、ある種のミュージカル特有の薄っぺらさがあって、あー、たださんが以前レミゼラブルの映画評で書いていたことはこれのことかと思い当った。
ミュージカルの歴史はオペラにさかのぼれるし、直接の源流はオペラでも2種類あると僕は考える。
1つはハリウッドミュージカルで、これはイタリアオペラに源流を見る。
具体的には、劇の構成がレチタティーボ(語り。台詞とレチタティーボは異なるが、ここでは同一視する)とアリア(歌)で構成される。
良くお笑いのネタになるのが、これだ。普通の映画のように淡々と会話(まあ、粋な会話だったりはするわけだが)が進み、突如音楽が流れるとすくっと立ち上がり歌い出し踊り出す。
これこそミュージカル! というやつで大好きだ。スタンリードーネンやヴィンセントミネリが代表となる。
が、これは60年代にすたれた。
すたれた理由は誰でもわかるが、テレビによって映像表現が一般化することで、コンテキストが読めない人が大量に視聴者となり、そうなるとミュージカル(およびその源流のオペラ)の構成はばかげた茶番以外の何ものにも見えないからだ。
ザッツ・エンタテインメント [DVD](フレッド・アステア)
(これこそミュージカルの代表作からダンスと歌だけ抜き出すと誰でも楽しめる映画になるのだが、それぞれの作品そのものを映画館で観ると退屈で寝る人続出するだろうと思う。がパリのアメリカ人とか好きだなぁ)
僕の妻は、シェルブールの雨傘を知らずに観に行ったら、突然歌い出すので思わず笑い出しただか腰が抜けただかと言っていたが、まあ、そうだろうなぁと思う。
というように、60年代にすたれたにも関わらず、世界中で(インドを除く)ただ一人、ジャックドゥミーだけはこのタイプのミュージカルを撮り続けた。素晴らしい作家だが、たった一人でしかも寡作でしかもヌーベルバーグの文脈(妙な映画を撮る連中というレッテルである)があるせいで、誰からも愛された(もちろん僕も愛している)のは良いことだった。これらの前提のどれか1つでも欠けたらジャックドゥミーはジャックドゥミーの映画を撮ることはできなかっただろう。
ロシュフォールの恋人たち デジタルリマスター版(2枚組) [DVD](カトリーヌ・ドヌーヴ)
(おれにとっての生涯のベスト中のベストの映画だ。ただしときどき一人で生きる(カネフスキー)や僕の小さな恋人(ユスターシュ)にぶれることがあるが、それでもやはりどれか一本と言ったらロシュフォールの恋人だな)
ただし、60年代にすたれたとは言え、こちらのミュージカルには圧倒的に強力な説得力がある。つまり、普通の会話(劇)によって物語を固く構築できることだ。逆にそれが歌や踊りとの極端な落差になるために、コンテキストを読めないと失笑ものになるということだ。
それに対して、ヴァグナー風(楽劇風、つまり無限旋律により、アリアとレチタティーボの区別を廃したもの)が70年代以降にやってきた。
誰が嚆矢かは知らないが、オペラのとってつけた感をヴァグナーが嫌って楽劇を創始したように、歌と劇の落差を埋めるために劇の進行は場面転換に任せてほぼ全編を歌と踊りにしたものだ。
一番極端な例はロイドウェーバーのCATSだと考える。
これは元がTSエリオットの詩集だから、台詞がなくてもまったく問題なく、歌の詩と情景によって舞台芸術として完結できる。
ロイドウェーバーの作品はそれ以外でも(映画にもなった)オペラ座の怪人やジーザスクライストスーパースターでも、劇はほとんどなく、ほぼ全編が歌と踊りで、創作能力に圧倒されるが、それだけではなく構成のうまさに舌を巻く。
というのは、これらはすべて物語のコンテキストが広く共有されているからだ。つまり、物語を進行させるための劇(レチタティーボ)が不要であり、そのために、感情描写に過ぎない歌詞を歌わせて、それをつなげていくだけで作品が構成できる。
ヴァグナーが神話を素材にしたのと機を1つにすると考えられる。
(エビータはどうなのかな? 観ていないからわからない)
あるいはコーラスラインを考えてみる。これも劇の進行はレチタティーボではなく歌と踊りによって進められる。オーディション風景なのだから説明は不要なのだ(そういう物語を不在化可能な設定を用意したところが作者の勝利だ)。
特にこのタイプの作品で好きなのはレントだ。説明らしい説明はほとんど語られず、ほとんど歌(しかも物語の説明ではなく、その時点での感情描写)によってきちんと1年間の人生模様を描く。イタリアオペラの伝統を継ぎながらヴァグナー以降の舞台芸術をきちんと完成させたプッチーニのラボエームの20世紀版焼き直しというだけではなく、ミュージカルとしても巧みに構成されているからだ。
(後者のタイプは舞台と映画をほぼ同じように構成できるというのも特徴となる。また、前者以上に楽曲を作る必要があるため、作者の作曲能力が非常に重要となる。おそらくバーンスタインのウェストサイドストーリー1本の中にトゥナイトのような曲を10曲入れることは無理だったように思える。したがって前者の古きミュージカルの掉尾を飾っているのだ(が、変則だと思うし、それほど好きでもない)。プッチーニやロイドウェーバーのようにメロディーがだばだば流れ出すタイプの作曲が必要な所以だ。
さて、では、物語のコンテキストを知らない人が前者のミュージカルと後者のミュージカルを観たらどうなるだろうか?
前者のミュージカルは何だこれは! とびっくりするかも知れないし、笑い出すかも知れないが、しかし物語は楽しめるはずだ。乗れるかどうかはわからないが置いてきぼりになることはない。
しかし、後者のミュージカルはさっぱりなんだかわからない(物語という集中させるための縦糸がその人にとっては存在しないわけなので)から、退屈することになる。あるいはそこでまじめに観れば語られる内容の無内容さに辟易することになる(なぜなら語られないからだ)。
で、モーツァルトだ。
これは完全に後者のタイプで、プログラムを読んで知ったが原作者たちは、それまでにも太陽王だのをヒットさせたらしい。タイトルを眺める限り、フランスでは物語のコンテキストが共有できているはずのものだ。
(レミゼラブルも元はフランスのミュージカルだし、当然、ジャックドゥミーではない(書いていて思い出したが、それでもドゥミーの最後の作品はオルフェ(という神話に基づく物語)だった。しかもこれはミュージカルではない。なんという奇妙な作家だったことか)のだから、時期的にも方法論は後者となるだろうし、少なくともミュージカルに足を運ぶ人間ならある程度物語は知っている前提が成立すると思うが、日本にはそういう作品ってないなぁと気付く。昭和30年代までなら次郎物語とかしろばんばあたりがそういう作品だったのじゃないかと思うけど、それを除くと杜子春とか蜘蛛の糸とか、短編になりそうだ。坊ちゃんですら怪しいなぁ)
(ある時期の日本人がコンテキストを共有できていたはずの作品だけど、おれですら外れているから(海外作品ばかり読んでたからだ)、今やほとんどの人は知らないのではなかろうか。でもこれがおそらくスタンダードのはずだ)というか、Kindle版なんだから読んでみようかな。
と、いつの間にか日本でミュージカルを成立させるのは実に困難だろうということ(前者は失笑もの、後者は共有されるコンテキストが無い)について書いているが、それでもミュージカルは魅力があるので、共有されるコンテキスト(つまり前者に時計の針を戻すことはできないので、どうやっても後者のミュージカルしか成立しないので共有可能な物語を探すことになり、愛と誠だの銀河英雄伝だのが出てくることになる。またはピータパンとかになってしまう。三島ですら作者の名前ではなく作品の物語として読んだ人がどれだけいてしかもその人がミュージカルを観るかを考えると全然だめだろう)を探して苦労しているのがわかっておもしろい。
というわけでモーツァルトだが、ミロスフォアマンの映画の封切り直後ならともかく、全然観に来ている人に物語が共有できているわけがない。ぱっと観た感じ、満席の観客の70%が10代から20代前半の女性、10%くらいおっさんやカップルの連れの男性、20%が中年以降の女性という感じの客層だ。(この満席っぷりにはちょっと驚いた。カーテンコールで、昨日はシアターオーブの観客動員記録を塗り替えたとか言っていたが、良く入ったものだ)
そこで、原作には無い、各場景の間にサリエリの亡霊を呼び出して、モーツァルトがその情景で何をしているのかを説明させるという大技を繰り出す演出となったのだろう。これがあるせいで実に明確になった反面、各場毎に人が変わって歌を歌う単なる演芸会みたいな雰囲気にもなってしまって、それが実に薄っぺらい感じになってしまったのだった。難しいもんだなぁ。(もっとも、原作のほうのDVDを観ても、後者のタイプのミュージカルの宿命なのだが、その場その場の感情描写しかないから、深みのある人間洞察などあるはずがない。きれいな曲を良い役者(歌手)がくそまじめに歌うことで観客の心を揺り動かすことしかできないから、思考のレベルでは常に浅はかな印象を受けるのはどうにもしょうがない)
・歌手の声ではお姉さんの人が気に入った。コンスタンツェの人と合わせてLes solos sous les drapsにはしびれた。
・親父(高橋ジョージ)は役得。というだけでなく、J'accuse mon pereは迫力満点でうまかった。いい歌手だなぁ。
・コンスタンツェの歌手は無茶な変拍子のSi je defailleをちょっと破綻している感じもあったがなんかまじめに歌っていてすごいなぁと思った。
・疲れたのかも知れないけど、サリエリの人(中川晃教)は今一つ冴えない感じだった。(ライブ感を出そうとして時々失敗しているのかなという気もした)
・モザール役の人(山本耕史)はいいなぁ。tatoue moiもPlace je Passeも実に良い曲だし、リズミカルに動いて歌ってうまいものだ。(声質がミケランジェロルコントに似ているのは歌のせいなのか、そういう歌わせ方なのか、そういう人を選んだのかわからないけど不思議だ)
・ローゼンベルクはパパパのところで鶏歩きをしなくて残念だ。
・ダポンテが原作よりも良い男だし、原作だと単にぷいっとローゼンベルクたちのところから立ち去るのに、きちんとモーツァルトを弁護したりして重要度を上げていておやっと思った。
・ジェレマイヤーの存在感の無さはなんなのか。
・カーテンコールで漫談するのはそういうお約束なんだろうか? おもしろかったが(出てきても何もできないし、拍手されていると帰れないから帰れというのは至言だ)なんか新鮮だ
-というか、子供の頃はいざ知らず、劇団四季は別として、小劇場以外の日本のミュージカルを観るのはこれが初めてだったが、良いものだな。
線路には立ち入らないように。
Javaにはunsignedがないから右シフトが2種類ある。って、なんか考え過ぎて失敗してると思う。しかも左シフトは1種類しかない(不要だから)。なんて不恰好な不整合。おまけにbyteがsignedというユースケースを無視した整合性だけはあるという。
しかも、ほとんどのJavaプログラマーはそれを知らない。なぜなら彼らには必要ないから。
コーディングの掟(最強作法) 現場でよく見る不可解なJavaコードを一掃せよ! (開発の現場セレクション)(arton)
なんとツボを抉るような本なんだろう。
(読んでないから実際の内容はわからないけど、タイトルに込められたメッセージは実にみごと)
メンテナブルJavaScript ―読みやすく保守しやすいJavaScriptコードのための作法(Nicholas C. Zakas)
facebook眺めていたら、iOSの日本語情報はPDFでまとまっていることを書いている人がいて、見てみたら確かに壮観だった。
日付を見ると2013/1/28とかあるので、それなりにメンテされているっぽい。
MBPを買い替えた。
TimeCapsuleから以前の内容を移入した。
そうしたら、ATOK(2011 for Mac)がいきなりぱっぱらぱーになってしまった。
「しゅっぱんしゃ」で変換すると「出帆者」になる。? と思って、変換押すと、候補が「出帆者、しゅっぱんしゃ、シュッパンシャ」……。嘘だろ?
で、「しゅっぱん」で変換すると「出帆、出版」で、出版が無いわけでは無い。
そのほか筆舌に尽くしがたい謎挙動がたくさん。
おかしいなぁと言語設定を見直そうとすると、ライセンスが見つからないからインストールし直せ(記憶曖昧)とか出て来た。
うう、Just MyShopのダウンロード販売で購入したから、インストールし直せない(dmgは消してしまった)……
と思ってやれやれ買い直しか、でも発狂したATOKでもことえりよりは遥かにまともだから我慢するか、とかうんざりしながら、一応、過去のメールを漁ると「ダウンロードはこちらから!」にクェリストリングとしてレシート番号が付いたURIが出ている。
揮発性のURIっぽいよなぁと思いながらアクセスすると、Just MyShopへのログインを求められて、ログインすると、ダウンロードページへリダイレクトされた。で、まったく問題なくダウンロードできて再インストール(Mountain Lionって、既定でダウンロードしたdmgはマウントさせてくれないので、ここも引っかかった。Ctrl-クリックでマウント拒否を解除できることを調べる必要があった)できた。
◎ダウンロードの期限
販売終了から3年以上経過した製品は、ダウンロードができなくなります。
あらかじめご了承ください。
なるほど購入時点からの期限ではなく、製品寿命による期限なのか。
良かった。
2.0.0のリリース直前に1.9.3のアップデートリリースが出ました。
JSONやREXMLなどの修正が含まれています。
うささんや、コミッタ、関係者各位に感謝します。
そのうささんの誕生日を祝う会(を含むRubyの20歳の誕生パーティ(という擬人化した言い方をしていたと思った))が品川で行われているのをうらやましげに眺めていたら、角谷さんから大丈夫だよと言われたので途中から参加した。
・ゴズリングがWeb言語だとdisってたけどどう思う? という問いかけに、
・興味がない人はWeb言語だっていうわけで、そういう人の言はどうでも良い
というような問答があって、そこだけゴズリング(RMSによると臆病でふざけたやつらしい)というGNU Emacsに対してあまりよからぬことをした個人名が出てくるところに何か質問者の意図があるのかな? という疑問と、そんな個人名は完全にスルーしている回答者のやり取りがおもしろかった。
そういえば、LL(の後ろが何かは忘れたけどfutureかな)で、10年後のRubyというような質問にはどう答えていたっけな? と思い出しても忘れてしまっていることに気付き、過去ってのはまさしく去って過ぎてしまうものだなぁと時の流れの無常を感じる今日この頃。
久々にCygwin版Rubyを配布されていたありまさんに会ったり、いろいろおもしろかった。角谷さん、goしてくれてありがとうございました。
(予約してなかったのはともかくなぜ突然入れるか疑問とかずるいとか思う人がいると角谷さんに悪いので断っておくと、一応コミッタなので無料枠は持っていたのです)
やってくれているんだ。じゃあいいや。なはずもなく、かといってWindows8にmsysとか入れるのもいやなので探してみたら、pgregory / libffi-msvcというのが見つかった。
とりあえず、作ってみたらどうもおかしい。fiddle.soの作成に失敗し、その理由が__imp__fftype...が見つからないというのだ。はて、インポートライブラリではなく、スタティックライブラリを作るようになっているはずだが。
手作りffi.hがバグっている(あるいはDLLを作る予定)のだ。テストプログラムにまで余分なdefineを入れているから気付いてないのだな。
(後で、PRしておく予定)
で、とりあえずできたので良しとする。
>nmake test-all TESTS="fiddle" ... Finished tests in 0.324041s, 302.4309 tests/s, 678.9264 assertions/s. 98 tests, 220 assertions, 0 failures, 0 errors, 2 skips ruby -v: ruby 2.0.0p0 (2013-02-24) [i386-mswin32_100]
Ruby20周年のRuby 2.0.0がリリースされました! ありがとうございます。
さっそくWindowsで試せるようにMSWin32版のMSIパッケージを作成しました。
なお、ヘルプは1.9.3のもので、RDocは含めていません。あらかじめご了承ください。
本屋に寄ったら最新刊があったので買って読んだ。
正直もういいやと思ってたのだが、悪くない。
岡本以蔵抜きになってから続いていた迷走状態を抜け出してようやく物語を取り戻せたようだ。
相変わらずグダグダしているが、以前の時々混ざる軽妙さ(ちょっとオフビート)な台詞回しがほぼ復活(誰がどうネームを作っていたのかこうなるとさっぱりわからない)して、現代の素直な良い子による地獄巡りの旅物語になって来た。
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_ arton [shiroさん、なんと、バレンタインのチョコは違うんですか。漠然とクリスマス(確かメイシーズのはず)と同じでアメリカ..]