著作一覧 |
amazonプラグインや、他にもRuby2.7.0対応とかいろいろあるので重い腰を上げてtDiaryを更新。以前は5.0.3のまま止めていたから4年以上ぶりとなる。
というわけでいくつか引っかかったのでメモ。
・いきなり死ぬ
いきなり死んでぴくりとも表示されない上に出てくるエラーがBundler::Settingsが見つからないというエラーが、まさにmodule Budler\nclass Settingsのところで出るのでわけわからん。
良く見たらmisc/lib/READMEにruby 1.8と1.9の互換用とか書いているので面倒なのでmiscごと移動したら動くようになったのは良いがpluginがゼロ状態となる。lib/tdiary/pluginを見ているのだとばかり思っていたら違うので(というか良くパッチ当てていたんだから知っているはずだが完全に忘れていた)miscを戻してmisc/libを削除することで対応。
・amazon pluginが動かない
良く読まずにv4のアクセスキーとシークレットを設定して動かないので不思議に思ったが、更新してみたら403が出てきたので、良くamazonの説明読んだらv4用は従来のを使え、v5用には新規に取得しろと書いてあるので新規に取得してtdiary.confに設定して無事完了。
tdiaryのサイトには@optionsに記述することになっているが、tdiaryの設置ページで作るtdiary.confでは@options2になっているのでどうすれば良いのか不思議になる。@optionsは安全性のために元ディレクトリのtdiary.confに隠して置いて、@options2を日記ディレクトリのtdiary.confから読み込んだ後に@optionsへ移すのかな(とかへたな休みの考えるよりそれほど大した処理ではないし場所もわかっているんだから読めば良いのだが)。
・書き込んだら死ぬ
5.1.1 で makerss.rbのバグ?におれも引っかかった。
public_html/tdiaryをtdiary-v...へのシンボリックリンクにしてapache側の設定を変えないようにしているからだな。とおりすがりの指摘に合わせてCGI.escapeをURI.encodeに戻して対応。
というか、そろそろDockerを使うようにするのが正しいのかな。
tdtdsやhsbtが未だにメンテしてくれているのにはまったく感謝しかないね。
付箋紙を貼ったところを中心に(読まなければなんだかわからないメモも含まれる)
P.76「5.5 必要な情報を掘り下げる」ここで本書を通じて一番のキーワードである「ASR(アーキテクチャ上の重要な要求: Architecturally Significatn Requirement)」について掘り下げかたの説明がある。
なにしろアーキテクチャデザインの本なので、当然のようにアーキテクチャ上の重要な要求を最重視するのは当然だ。
とにかく本書を通じてASRという言葉が飛び交うのだが、頭語としては別の意味がおれには馴染み深いのですぐ本書の定義を忘れてしまうので、このページに付箋紙を付けて良かった。
P.106~P.107 すごくわかりにくい。
抽象的かつ複雑かつ広範囲にわたる概念(SOA)を2ページで説明するためにNetflixのスマートエンドポイントとパイプアプローチを具体例としているのは良いのだが、図7.4がNetflix固有で確かにP.106には「ある視点から見たとても単純化したサービス指向システムの例」としているのだが、表7-4を読み終わった後にはそれを忘れて「はてレーティングとは? Eurekaとは?」となって混乱した。
P.109 表7-5 いきなり「C&C構造」というのが出てくるが、P.9の「コンポーネント&コネクタ」のこと。時々あまり馴染みがない用語が飛び交う。
P.113 7.9コンピタンスセンター(なのだが略語はCoCとなる)パターンはすごくおもしろい。
P.117 7.12 新しいパターンを発見する。
2つ書いてある。問題重視アプローチと解決策中心アプローチ。おれは圧倒的に問題重視アプローチをとることが多いが、複数の問題に対して一般的な解決策を探すか、複数の同じような解決策から共通の問題を求めるかで、演繹と帰納に相当するのではなかろうか。
実際には、3回実装して共通点からライブラリなりミニフレームワークなりにすることが多いので、(設計段階では)問題重視アプローチをとっているのに、実装時には解決策中心アプローチをしているようだ。
P.155 「タンジブル?」という付箋紙がはってある。
有形資産をカタカナでタンジブルと書く(辞書にも出ている)のだが、おれには意識した人生初出語だった。
どうも使われ方、ニュアンスからは、「見える化」と同義のようだ。
P.156「信頼の薄い仲間」というのがおもしろい。
箱と線は、アーキテクトに最も使用されている道具だが、最も信頼が薄いと書いてあっておもしろがっている。
P.165 最初に凡例を書くのは良いアイディアだ。(10.2.1 凡例を使う。ただ凡例を含めるだけではダメ)
ユースケースのアクター探し、伝統的OODのオブジェクト探しとして図には凡例がある。
P.166 表記法はなんでも良い。UMLが共通といっても知らない人のほうが多いのだ。だから、とにかく読み手を考えて凡例を書け、と強調していて、なるほど感。
P.177 アーキテクチャデシジョンレコードという言葉が唐突に飛び出す。はて? と思って索引を見ても出ていない。索引ではADRとなっている。
(時々、このようなぶれがある。ところどころでは「頭語(説明)」と親切表記になっていて、ところどころではいきなり「頭語」おしまい、となっているのだが、筆者が頭語好き過ぎで混乱しているように感じる。いかにもアーキテクトっぽいが、だめだろうなぁ。凡例重要でしょうに。
P.180「11.2.4 時間を無駄にするのを避ける」
良いアーキテクチャ記述(おそらくすべてのプレゼンテーションに関わる)に対する4つの特徴。
・聴衆
・マルチビュー
・責務
・根拠
これらが揃っていないとお互いに時間を無駄にする。
P.188 メモ:「選ばなかった理由←知識が求められるのでは?」
選ばない理由は山ほどあるので、それを明示しろとあるし、それは多分正しいと思うのだが、それが山のようになることと、選ばなかった捨てる判断のための説明をするのはあり得ない(相手に知識がない場合)というおれの感想。
P.192 「タンジブル?」また引っかかっている。
P.195 「ルーブリック?」綴りが無いので調べるのに死んだ。rubric。タンジブルと違ってカタカナ日本語にもなっていない。本文に書いてあるとおりに「観点と尺度からなる表」ととらえれば良いのだが、訳語は「朱書き、注釈、指示、説明書」らしい。P.196のルーブリック例を見るとなんのことかわかるが、独自用語っぽい。
P.207 色がついた。実は本書はカラー本だった。
P.214 「13.1 アーキテクチャ思考を促進する」に対して付箋「良い!」
なのだが、P.215には「悪くない⇒悪くない」と付箋があって、今見ると意味がわからん。良いことが書いてあるのは事実だ。
P.219「設計権限を委譲する」 権限移譲のためのレベルが7段階(指示から委譲まで)書いてあっておもしろい。良いコードのようでもある。tell don't askだ。
アスキーの鈴木さんからもらったのでXinuオペレーティングシステムデザイン改訂2版を読んだ。
読み始めると、どのページを読んでもおもしろい。OSが実行する個々の制御の必要性、デザイン上の戦略、実装の仕組みを丁寧に記述しているのでつまらないわけがない。厚さ(600ページある)とか気にしないのであれば手元に置いておきたい本の1つだ。
Xinuは、MinixやLinux(当時。今はUnix=Linuxみたいな感じであるな)などと同様な小さなUnixクローン(そもそもUnixが小さなMultixクローンなのがおもしろい。どんどん小さくなるのか? ――そうではないけど)で、学習用でもあるけど実用的な組み込み用OSでもあった。90年代の前半あたりに当時の勤め先の先輩がノンプリエンティティブマルチプロセス制御(OS側が実行中プロセスを停止して別のプロセスに切り替える制御方式。現在はほぼすべてがこれだが90年代はそうとも言えないのは16ビットWindowsがプリエンティティブマルチプロセス制御だったからだ)の適当なOSが必要でXinuを採用していたのを思い出す。
そういう実用的でソースコードが実在する手頃なOSの解説本としては現存する中でもっともよいものと思う。
筆者はこれまた1990年代にTCP/IPというかLAN以降に通信プログラムを書いた人なら間違いなく読んでいるダグラス・カマー(コマー)なので、この人を信頼せずに誰を信頼するというレベルで問題ない。訳も僕には良いものに感じる。
ただし、あまりに21世紀スタンダードに慣れていると以下にはとまどう。
・スレッドが無い
Xinuのプロセスは軽量プロセスという実質スレッド相当の実装になっている
(現在の普通に接するOSのプロセスを本書では重量プロセスと呼ぶ)
・しかしセマフォなどのメモリロックのための機構がある
プロセスが実質スレッドなので、スタック以外はメモリが共有されている
・要はみんなリングゼロで動く(僕が誤読していなければ)
逆にその分、えらく解説がシンプルになっているとも言えるので(しかしノンプリエンティティブマルチプロセス制御のためのプロセス切り替えなどの機構は持っていてその実装についての解説があるので知識的には十分に満たされる)悪いことではないと思う。
一方、以下はとても良い点だと思う。
・あらかじめIPスタックが組まれているので説明が多い
ブートのためのDHCPのクライアントコードが掲載されていたりとか。
・ついでにリモートディスクのような対ネットワークのデバイスドライバの説明もある
あと、本書のコードは当然のようにCで記述されている。C90にintのビット幅を示すマクロ定義を組み合わせたコードに見える。
楽園の泉以降ほぼ記録していないので備忘を兼ねて。というか、記録した記憶がないXと云う患者は記録していたのか。
・アレクサンドル・デュマ『千霊一霊物語』
本屋で見かけて読んだことないので手に取って帯の「大デュマ、凄惨な殺人現場に立ち会う!」というわけのわからなさに興味を惹かれて買って読んだ。
友人に招かれて退屈して街をぶらぶらしていると通りの向こうから血まみれの男がおれは女房を殺した! と喚きながら近寄って来る。市長さんや警察の人たちと共に名の知られた作家として殺人現場の証人として立ち合うところから物語が始まる。男が言うには殺した女房がお前が殺したんだと罵るから怖くなって自首したという。いや、殺した女房の生首が罵るなんてあり得ないだろう。――そうでもないのです、と市長が話し始める。この男すごく理知的で革命前には博物館の館長を務めていた学者でもある。
かくして、市長の家に当代きっての理性的な人間たちが集まって、自分の経験と仮定から、生首が罵ることがあるかどうかを検討する会が開かれる。驚くべきことに、徹底的にシニカルな医者以外は全員、あり得るというのだ。
最初に市長がシャルロット・コルデーがギロチンにかけられたとき、死刑執行人(サンソンではない)が桶に入れた首に平手打ちをするのを目撃した話をする。死者に対する冒涜行為は許されず、執行人は監獄に送られる。市長(当時は違う)は牢を訪れ行為の真意を問う。そりゃ、おれはマラーの支持者だからだ。民衆の刑罰とは別におれ自身の刑罰をあたえたというわけだ。しかし相手は死者ではないか? あんたギロチンの籠を見たことないな? 3~5分は呻いたり歯ぎしりしたりしてるんだぜ。
その後も順繰りに各自が見た聞いた死者が死んでいなかった話を繰り広げる。千夜一夜物語と異なり一夜の6人の物語だが、いずれもエキセントリックでありエキゾチックであり、なるほど大デュマは文豪だ、語り口が抜群だと感心した。
千霊一霊物語 (光文社古典新訳文庫)(Dumas,Alexandre)
ギロチンで首を切られても数分生きているということはあり得ると思う。しゃべるのは声帯の仕組みから難しそうだが。
なぜなら、腰から真っ二つにする腰斬は、切断後(当然、死ぬしかない)30分は自分の下半身を見ながら苦しみ続けると記録されているからだ。かつ、それが事実だからこそ、王殺しの最高の刑罰として清代まで続いたと考えられる。首だけの場合、心臓は首には無いから数分の間というのは理に適っている。運よくショックで死ななければ、酸素が送られずに死ぬ前は意識があってもまったくおかしくない。
こういった議論の果てに、最も人道的な死刑と考えられていたギロチンが廃止されたのだな。
・苦海浄土 わが水俣病
高校生のころ読んだような覚えがあるのだが自信がなくなってKindle版を買って半分読んだ。
間違いなく読んでないと気づいたのは、最初のうちは好意的だった政治家やチッソが、陳情の日にハレの舞台におそらく浮かれた漁民たちが暴徒と化したので態度を硬化させたというところまで読んだときだった(特にチッソの社員は、その日を境になんらかの加害者意識(を持つくらいに水俣病そのものはともかく、海や川を汚しているのは疑いのない事実だからだが)から、完全な被害者意識に転換してしまう)。そういう点においては複合汚染(政治的、文化的な要素による)だったのだ。かくして御用学者まで総動員して被害はなかったことにする方向へ物事が進んでいく。
それにしても実害はでかいだけでなく、その後少なくとも半世紀以上の禍根(自民党政府、企業に対する根深い不信感)を残すことになったのは痛恨事だ。
中国の川がなんかとんでもない色に光っているフェイクの可能性もある写真が数年前に出回ってなんかディスられていたが、日本橋川の泥濘を押し上げてメタンがぼこぼこ湧き出しているのを目にしたり、水俣病やイタイイタイ病でどれだけ垂れ流しをしていたか知っているだけに、いつか通った道だから汚染防止の協力とかする方向に進まんものかなと思った。
・方形の円
水は方円の器に従うという言葉を包丁無宿で覚えたのもあって、なんかKindle版を買って読んだ。
まったく料理とは関係なく、架空の36都市について記述した本。ジャンルとしてはSFと純文学の間、36篇の中にはエッセイ風あり、歴史記述風あり、ホラーあり、なんでもありで興趣に富みまくる。
ルーマニア(ということはチャウシェスク政権だ)の作家によるポスト全体主義への抵抗文学と取れないこともない。
とにかく異様なまでにクールで、物語なのだが数式的な感覚がありおもしろい。おもしろいな。
特に、ホラー以外のなにものでもない「サフ・ハラフ 貨幣石市」「アルカヌム 秘儀市」、謎かけがアラビアンナイトのような「モエビア、禁断の都」、奇妙な美しさがある「ノクタピオラ 夜遊市」、寓話風の「シヌルビア 憂愁市」、設定だけのSF「モートピア モーター市」あたりはは読み物としておもしろいのだが、むしろ何も感情なし(観察のみ)の「ホモジェニア 等質市」のような作品が間に挟まるのがとても心地よい。
おもしろかった!
方形の円 (偽説・都市生成論) (海外文学セレクション)(ギョルゲ・ササルマン)
・Honey Rose
同僚にお勧めのマンガを聞いて教えてもらった。
すごい。
こんな才能の持ち主がいたとは!
舞台は英国、多分19世紀末。孤児の絵に書いたように不幸な少女が実は金持ちの医師にして貴族、ロウランド伯爵の何人目かの愛人との子供として館へ招かれる。
そこには10人近い異母兄弟が待っていた。気のいいやつ、薄気味悪い奴、あからさまな差別主義者、学者、伊達男など盛りだくさんだ。
しかも死んだ伯爵の姉、伯爵の亡妻、侍女たち、いずれも何やら一癖も二癖もありそうな連中がわさわさ出るわ出るわ、古城を舞台におそるべき人間ドラマが始まる。
信じられないほど、各人物それぞれがいきいきと自分の人生を生きているし、3コマくらいで過去10年くらいのありようが描写されるし、圧倒的だ。
物語も起伏があって、いまきた3行にすると単なる人情物語っぽいのだが、ホラーからコメディまであらゆる物語要素が詰め込まれていて、しかも説明に過不足なし。くどすぎず説明不足からの混乱もない。
なんで、こんなすごい才能がいるのにおれは知らなかったのだろう? 信じられない。
さらに、この作品を書くにあたってとんでもない量の設定が作家の頭の中にはできていて、現在は発表誌が廃刊されるたびに流浪しながらこの作品の時点になるまでを延々とマンガ化している最中(Under The Rose)で、子供に貸したら一晩で全部読んでしまったくらいの凝集力というか読者引力があって(それはHoney Roseでわかっている)おっかないので、おれはまだ封印してある。読むのが楽しみ。
マンガはほかにもたくさん読んでいるが、とにかくHoney Roseが圧倒的だった。
・エトルリヤの壺
メリメってヴィーナスに押しつぶされるすけべな作品以外読んだことないな(カルメンは知っているけどメリメの作品では読んでない)と気づいて岩波が復刊させたので買った読んだ(これは2020年になってから)。
冒頭のマテオ・ファルコネがまずすごかった。
場所はコルシカ島。任侠の世界だ。土地の顔役牧場主のマテオ・ファルコーネが主人公だ。
妻が娘を生むたびに殴りつけていた男に待望の男児が生まれる。いろいろあり、マテオは仁義を通すというえらく短い緊迫感しかない作品だが、あまりに短く峻烈なので感心した。完璧に勘違い以外のなにものでもない感動というかマテオの生き方に感銘すら思わず受けてしまう(が、それはあり得ない)。
堅塁抜くは、普仏戦争の前線に送り込まれた若い中尉が激戦地を生き延びる話。
とんでもない描写力で、キューブリックの突撃みたいだ(物語はまったく異なるが、戦場での行動という点で)。
すぐれた奴隷狩人のタマンゴはフランス人船長(最初にこの男が奴隷貿易に携わるまでの半生を描写しまくるので主人公かと思ってしまった)の罠にはまり、奴隷として奴隷船に繋がれてしまう。
しかし反乱に成功、船をわがものとする。
が、エベール派的、ポルポト派的な仲間しかいないため、あれよあれよという間にまともな人間として描かれている通訳含め、全文明人が皆殺しになってしまう。
かくして、操舵のすべを持たない奴隷船は延々とあてでのない航海を続けるのであった。
すげぇ作品だ。
エトルリヤの壺は、ウェルテル的主人公の恋の顛末を描く。だが、ロマン派的ではなく心理小説として進むのだが、これはなんだろう? いずれにしても伯爵夫人がおどろくほど魅力的な女性として書かれている。
ジェズイットを見習え |