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ペストの発見者のイェルサンの生涯をランボーやセリーヌなどとからませて書いたおもしろい伝記というので買って読んだ。奇書だった。
そもそものイェルサンというのがむちゃくちゃな人で、最初医者を志して勉強し、パリ市立病院で助手として働いているときに、狂犬病で死んだ人の保菌状況をパスツール研究所のルーに示したところ、顕微鏡操作の技術的手腕を認められてパスツール研究所に雇われる。
そこでジフテリア、結核菌などを発見するが、少年の頃からの夢、冒険のために研究所から飛び出る。とはいえ、これだけの研究者を手放したくないパスツール研究所とフランス政府のはからいで船医としてアジア客便に乗ることになる。が、さらにベトナム(当時なので仏領インドシナ)とフィリピンの往復便の船医となり、インドシナの寄港地から当時未開の東南アジアのジャングルを探検しまくる(地図も作る)。
と、以前読んだ、世界の測量のガウス(電信のために晩年は野山を駆け回るが、基本、帷幄の中で論理を巡らす)とフンボルト(南米を探検しまくる)の二人を一人で演じるような怪人っぷりを発揮する。
世界の測量 ガウスとフンボルトの物語(ダニエル・ケールマン)
同じ頃、アラブで怪我を負ったために敗血症で死ぬランボーがいるが、インドシナの山奥で山賊の大将の槍を胸に受けたイェルサンは、感染症を知っているため、自分で消毒し自分で治療して一命を取り留める。
一方、その頃香港でペストが猖獗を極めている。
パスツール研究所から、ペストの研究をしてフランスの国威を示せとイェルサンに指令がくだる。
しかし、香港は英国領で、英国は独逸と仲が良い(?? と最初は思ったものの、第一次世界大戦前は、対ナポレオンという点で一致していた英独の仲は悪くなかったのだろう。それで、明治政府は陸軍はドイツ、海軍はイギリスと、(その後の歴史からは考えにくい)提携先を選べたのだな、とこれ読んで初めて得心した)ため、コッホの研究所に支援を依頼し、コッホは香港に近い愛弟子北里柴三郎集団に依頼していた。
かくして、香港の伝染病研究所のイギリス人の所長はイェルサンをはなから相手にしない。
しかし、同じカソリック教国のイタリア人の神父が尽力して、とりあえずイェルサンに居場所と死体を提供する。
北里柴三郎集団は、血液に着目してペスト菌を探す。
一方、イェルサンはリンパ節に着目してペスト菌を探す。そして見つける。培養にも成功。それをパスツール研究所へ論文として送る(といっても船便)一方で、仁義上イギリス人の研究所長にも示す。
イギリス人は血管ではなくリンパ節で探すように日本人の北里集団にこっそり教える。
しかし、北里集団が利用可能なまともな研究室とまともな培養施設が裏目に出る。ペスト菌は摂氏24度が最も活発化し、体温に近いほど死滅が早い。したがって、異なる菌(肺炎球菌)をペスト菌と同定する過ちを犯す。一方、イェルサンはまともな設備をあてがわれなかったため、通常の室温、つまり24度で培養させていたため、正しくペスト菌を培養できた。
その後も北里はイェルサンの成果を横取りしようとたくらむが、まともな環境がすべて裏目に出て失敗する。
としているうちに、パスツール研究所から論文が出て、勝負がつく。
・著者はフェアに、リンパ節と血管のどちらに着目するかは、単なる勘であり、北里が負けてイェルサンが勝ったのは、運の問題だとしている。が、その後の経緯からは、相当、北里の政治力は薄汚く見える。
そこで思い起こすのは、近年の野口英世に対する風当たりで、黄熱病の原因を見つけきれなかったのは運が悪かっただけだろうし、研究中に感染して死ぬのも運が悪かっただけなのに(イェルサンのパスツール研究所の同僚たちも次々と死んでいく。ペストを培養中のシャーレが実験動物が暴れたために引っくり返って感染したなんていう悲劇まである)、なにか無能もののように言われているのを目にすることが多い。かわいそうな野口英世。
ここでイェルサンはペスト菌の媒介としてネズミに目をつけるが、根本原因がノミであることを見つけるのはパスツール研究所のシモンとなる(シモンは感染したネズミと感染していないネズミを離れたカゴに入れておき、媒介者を探す方法でノミを特定する)。
その後、イェルサンはインドに派遣されるがここでも政治問題が勃発する。ここではイェルサンは強気に出まくり(香港ではほぼ一人で研究せざるを得なかったのだが、ここでは何人も利用する必要があったようだ)全員に嫌われてほぼ追い出されてしまう。本人的にはむしろ探検の続きができるのでOKだったようだが、パスツール研究所はその後多少苦労する。
30歳過ぎて探検にあきたイェルサンは今度は、東南アジアに向いた植生に興味を持つ。その一方で自動車にも興味を持ち、インドシナで最初の自動車をフランスから取り寄せて運転を始める。
すぐに、タイヤの重要性に気づき(その前にミシュランの自転車でもタイヤの重要性には気づいている)これからはゴムだ、と判断しゴムの栽培に取り掛かり(植生研究で論文を何本も書くが、研究だけではなく実際にゴム畑も作る)大金持ちになる(ゴム農園は、パスツール研究所の他のメンバー2人との共同経営なので、彼らも当然のように大金持ちになる)。
次に、コカの栽培に取り組み、砂糖を混ぜるととてもおいしく癖になる、黒い液体(コーラ・カネル)を発明するが、パスツール研究所の友人たちの評価を得られなかったので特許も取らずに捨ててしまう。
結局、キナノキに目をつけて、ストリキニーネをがんがん製造することでさらに莫大な富を得る。
最後、1940年代、ヴィシー政権がまだ制空権を握っている間に飛行機でパリからインドシナに脱出し、彼の地で死ぬ。
と波乱万丈な生涯なのだが、小説としてはそれほどおもしろくなく、特に前半は読みすすめるのが苦痛だ。
まず、この人の記録は、研究ノートとおそらくまったく変わらない書き方の手紙から得ているのだろうが、要は研究ノートなので、感情の起伏がまったく見られないのだと想像できる。
したがって、他人の書いたものを利用しないと感情がわからない。
のだが、他人とあまり積極的に関わらないので使える資料に乏しい(本人自身による膨大な記録はあるのだが)。
そこで、伝記作家としては、同時代のできごとを組み合わせて一生懸命おもしろさを持続させようとするのだが、山田風太郎の伝奇小説と違って、伝記小説なのででたらめは書けないというか書かないようにしているのだろうから、まったく盛り上がらないことはなはだしい。
唯一公的に悪役を演じたのが明らかなのが香港の北里柴三郎軍団だけだが、しょぼい。
そこで(翻訳者が極端に走ったのではなければ)文章で抑揚をつけようと工夫した結果だと思うが、翻訳はやたらと体現止めを多用した一種の美文調で書かれている。ところが、これが、まったく内容と釣り合わないので読みにくさを倍増させてしまっている。
さらには、ほとんどの登場人物が母子家庭だという点に着目する(惜しい。日本側が北里ではなく野口だったらそれも利用できたのに)。そりゃ普仏戦争なまなましく感染症の撲滅がこれから(やっと細菌を見つけたというか、イェルサンがパスツール団に加わった時点では、自然生成説のほうがまだ主流派)の時代だ。ちなみにイェルサンは細菌学の先駆者の不幸なハンガリー人についての論文も書いている。
そこで父なし子連盟だの父なし子同盟とかの語が頻発するのだが、それが筋道の進行を妨げることおびただしい。出てくる人間ほぼ全員が父なし子なので、どうでも良くなってくるからだ(という状況を細菌学によって相当解消したのだからパスツール団は偉大なのだろうが、それにしてもしつこすぎる)。
著者にとっては難しい賭だったのだろうとは同情する。
さらには当時の風景を現在の状態との比較のためだと思うが、著者自身を作中に出してくるのだが、これがまったく蛇足(書いている情報はおもしろい)と化している。
というわけで、圧倒的な情報量で広がりはとんでもなくおもしろいのだが、小説としてはとても読みにくい奇妙な作品となっている。
とはいえおもしろかった。でも、セリーヌやランボーやブレーズ・サンドラール、あるいはベルダンの戦いやヴィシー政権の状態などを知らないとさっぱりわからなかったりするかも。(おれは、アフリカ探検団のあたりはリヴィングストン以外はほとんど知らないので、固有名詞の羅列から何も得られなかった。というか、固有名詞の羅列で感情を動かす手法って、まだ存在したのだな。さよなら僕の友達とか、日本ではなんとなくクリスタルとか)。あとユダヤ人問題について、ドイツ留学時代のユダヤ人の友人とからめて書いているが、何しろドレフュス事件よりも前の時代なのだった。
結局ほとんどの時間をイェルサンはインドシナのナトランというほとんど自分で切り開いたような地で、ベトナム人の助手とたまにやってくる奇特なヨーロッパ人だけの植物とワクチンと家畜などなどの研究所で好き勝手をやっていたという印象だけが残る。
ところでコレラは書名にはあるが、どこに出てきたのだろうか?
革命のふたつの夜 (角川文庫 緑 305-7)(筒井 康隆)
(ペストとコレラの2題話といえば中学の頃読んだ筒井康隆のコレラは忘れがたい)
松濤美術館で真珠展。5月30日から7月26日までの予定が、延期されて今やっているので見てきた。
想像を遥かに超えるおもしろさだった。
とにかく知らないことが山ほどあった。
たとえば鳩は聖霊のモチーフ。
モーニングジュエリーは喪の期間に付ける。朝かと思ったら呻くだった。
というわけで、モーニングジュエリーと書いてあるので、朝(夜会用の夜会服があるのだから)にもそういうものがあると思って見ると、柳と墓標の上に鳩がいる。柳? 墓標と考えてしまうわけだが、モーニングはmorningではなくmourningで喪に服している間の宝飾品と初めて知った。というかモーニングジュエリーという言葉自体が初耳だった。鳩は聖霊(父と子とに続く三位一体の聖霊)なのだった。
子供がmorningとmourningは同じ発音なので、なんかのビデオで母親が悲しんでいると、子供がやってきて、ママ何しているの? と尋ねるやつがあると言い出す。母親がやっとのことでmourningと言うと、子供は(挨拶されたと思って)無邪気にgood morning!と返す、とかを見たと教えてくれる。
英語でも全然意味が異なる同音異義語があるのだなぁ。
エナメルはガラス吹き付けなので遥か昔から存在する(20世紀石油化学だと思ってた。ということはサンドリヨンのガラスの靴ってエナメルのことかな)。
エリザベス一世の肖像画の宝石を真似て19世紀の宝飾屋が作ったレプリカ(真珠が随分と小さいが、そもそもの画のものが大き過ぎるのだろう)はおもしろい。
大村藩では阿古屋貝の貝柱は藩主の特権食材。真珠が入っていたらお食い(忘れた)として珍重する(おれの推測では、最初はガリッとして料理人を手討ちしていたのを意味をもたせてやめさせたのではないか)
という事例はあるが、文献上、真珠を宝飾品として言及したものは見つからないそうだ。
ハーフパールは加工技術によって可能となり、それまでは貝殻に生成されたものだった(呼称は忘れた)。逆にミキモトは最初養殖に失敗したが貝殻にハーフができた(そしてそれで十分に商売になった)ので邁進策を取った。
イタリア19世紀に古代の意匠を復活させて大儲け。ガリバルディの統一と関連しそう。
17世紀まではフランスが本場だったが産業革命でイギリスに金持ちが増えて18世紀以降はイギリス一強(19世紀にイタリアが勃興するまでは、イタリア人名のイギリスブランドもある)。
ティアラの革ケースがかっこいい。
シードパールの19世紀ものが、遠目には象牙みたいで美しかった。
真珠は有機物なので古代のはあまり残っていないがメソポタミア文明時点から珍重されていた(淡水真珠が見つかっている)。
などなど盛り沢山で圧倒された。
追記: ミキモトの作品で「後に矢車となる」というものがあったのだが、そのおそらく完成形らしき矢車が置いてなくてがっかりした。どんなものなんだろう?
ユーロスペースでヴィタリア。特に連休最後の日程度のつもりで選んだのだが、火曜日だということで1200円ですごくラッキーである。
で、18:30くらいに着いたら、パンタの歌声がする。1階の喫茶店のBGM? それにしてはなぜパンタ? と不思議に思うのだが、どうもおれが知っている万物流転(だと思う)とは違う。
日清パワーステーションでのライブ風というか、妙にアコースティック感がある。
それにしても良い声だし、ずらずらと言葉が流れて行く詩がとても良い(マーラーズパーティで特に顕著だが、パンタの延々と言葉が言葉を生み出して流れていく詩作スタイルはいつも好きだ)。
で、一体どこから流れてくるのかな? と店を(全面ガラスなので店内が見えるのだ)覗いたら、パンタが歌っていて仰天した。白髪バンダナ(かな)が真ん中に座ってギター(だと思ったらベースだったらしい)を弾きながら歌っている。
爺になったな! でもすごく良い。
爺になっても歌っているというと、おれの記憶の中ではLive! オデッセイの最終話が最初に出てくる。
マネージャー(ドラマーでもある)が回想する。オデッセイの音楽指向がどんどん過激化してヒットは過去のものになり、バンドは解散する。それでもオデッセイはギター一本持ってツアーをしていて、ド田舎のライブハウスで歌っている。
Live!オデッセイ(DX版) 2 (アクションコミックス)(狩撫 麻礼)
それにしてもこんなに良いのに客が誰もいないのはなぜだ? と店内を見ながら不思議になりきょろきょろすると、入り口に20:00からPANTA&NANBAとか書いたポスターが貼ってある。まだ20:00どころではないから、リハーサルやっているのか、と思った。なんとラッキーなことだろう。
そういわれてみれば、おっさんが何人か映画館のほうに行かずに入り口付近に突っ立っているが、入場待ちなのか。
でも時間だ。で、映画館へ進む。
で、映画が始まる。
暗い道を黒人の集団が歩いている。両脇を抱えられた男。道に置かれる。
スラムの歪んだスティールドアを音をたてながら開ける。
正方形に近いビスタサイズ(ビスタサイズって何だろう? 横広のもあるけど、印象的なのは泥棒貴族の上下移動だったり、大体において正方形に近い)の周辺は真っ黒で真ん中に異様に彩度を上げた(というよりも照明によって、原色が浮かび上がるように撮影しているのだろう)画が浮かび上がる。
信じられない映像の連続で困惑する。
どう見ても最悪な不潔な薄暗いじめじめした臭気漂うスラムのごちゃごちゃした路地であったり部屋であったりするはずが、異様にスタイリッシュで美しい。おしゃれですらある。勘違いして住みに行く人が出て来てもおかしくない。
各シーンは数分以上あるのではないか。とにかく構図、色彩配置、すべてが完璧なのでただただ観ているしかない。常にざわざわ人の話し声やテレビの音声(だと思う)が聞こえる。スラムの密集度だ。
ここまで構図と色彩が完璧な映画は他にはゴダールのパッションしか知らないし、ゴダールでもパッションだけが突出しているのだから、唯一無二ではないか。
パッション デジタルニューマスター版 [DVD](イザベル・ユペール)
どうも最初の両脇を抱えられていた男は死んだようだ。すべてを墓に持って行ったという会話がなされる。金はないのだろう。
それにしても、全然、どういう話かわからん(事前の情報はペドロコスタという6文字以外は持たずに観に行った)。
突如轟音が響く。この後何度か突如音響が変わると、それが時間であったり場所であったりの大きな転換を示すことになることに気付くが、この時点ではまだわからん。
暗い画面の中に金属の大きなものがわかり、飛行機に向けてタラップを移動するところとわかる。
飛行機のドアが開き、大柄な女性が立ちはだかる。裸足で、汗か雨か水が脚をつたう。
ヴィタリナだ。
タイトルが流れる。
空港作業員の集団(としか思えぬ服装と装備)が下から見上げる。
ヴィタリナが降り立つ。
ヴィタリナか? 間に合わなかった。葬儀は終わった。家は借家で何もない。帰ったほうが良い。
30年、リスボン行きのチケットを待っていた(一体何歳だ? と思うが12歳で結婚して42歳という感じかなぁ)。
あれ? お迎えの人たちだったのか。
ヴィタリナは亡き夫が住んでいた家に入る。
扉の上の鴨井の部分に頭をぶつける。小さい家なのだろう。
机の上に2枚の写真の前に2本の蝋燭、真ん中に磔刑像。
白いターバンを巻く。
次に映るときは、この白が実に美しい。
黒いターバンを巻く。
物語は夫の死の謎を探るミステリー風味を帯びてくる。
最初に出てきた男が入って来て、病死だと告げる。うめき声が聞こえる。入ると部屋中すごい嘔吐だ。おれが体を拭いてやった。
失業中の男とその妻(ほとんど食べずに具合が悪そうだ)に食事を振舞う。故郷の料理だな、おふくろの料理を思い出す。失業中なので駅で寝ている。
神父がいる。ヴィタリナが入ると、ミサは上げない。祈りもない。帰れ。
どこまで本当かわからないが、故郷に神父がいたころの話になる。交通事故で何十人ものはらわたが飛び散っているところで皆は祈って欲しいのにお前はそれをしなかった。
このあたりから故郷の家(牝牛を2頭(時間はおいて)潰して得た金で資材を買い、レンガ職人の夫がレンガを焼き、2人で建てた大通に面した10部屋ある家で、畑も当然ある)と、リスボンのスラムが交錯し、複数の事実とされるものが混合されてくる。
告解する。
夫はあるとき何も言わずにポルトガルへ出稼ぎに行く。当時ヴィタリナは妊娠していた。
その後夫はフランスへ渡ったり好き勝手に振舞う。
そして死んだ。
別のヴィタリナと同棲していてその女が金を持ち逃げしたという話をヴィタリナは神父にする。鞄から写真が出てきたと言う。
神父は1週間前に挙げた結婚式の話をする。
ヴィタリナは家の壁にぶら下げられた鞄を順番に調べて行く。自分が送った手紙が無いと怒り出すが、最後に出てきた手紙を熟読しているが何が書いてある誰からの手紙かは明かされない。
失業中の男は職を得たらしく大きな手押し車いっぱいの荷物を運んでいる。
妻は3日前に死んだ。
夫は金を貯めこんでいて、それを知った隣人に殺されて金は奪われたのかな? と思わせなくもない。
常にテレビや会話や雑音がする。
スラムの中で神経が参って行くのだ。
突然、画面に光があたり、墓場になる。墓番号1988が夫を埋めた場所らしい。神父が極端に手を振るわせて聖書を取り落とす。アル中だということをこれでもかと強調しまくる。このあたりは、墓番号が無造作に並んでいて墓碑のある墓がない。ペドロ・コスタの処女作の血が1989年だから1988には何か大きな意味があるのかな。(最初、死者の生年かと思ったが、それにしては没年がないので墓所番号だろう)
立派な墓標がある場所へ移動。完全なまでな光の下になる。
少し色あせた映像で家を作る二人が映る。屋根の上に女、屋根材を肩に乗せて男が屋根へ上る。男がキスをしようとすると、女が何やってんのよとばかりに追い払う。微笑ましい。
おしまい。
とにかく色彩、構図、音響が完璧で一部の隙もない。2時間越えの映画とは思わなかった。
神父はコロッサルユース以降の常連のヴェントーラ。絵になる役者だが、なにものなんだろう?
四谷の丸正に行ったら100gあたり128円という切りが良い数字で南部鶏の心臓を大体200g単位でパックしてあるのを売っていた。
子供が食べたいというので、適当にフライパンで塩振って乾煎りすれば良いだろうと買って帰って、一応調理法を調べるかとぐぐると、2つに切って残った血を洗えとか上についている脂肪を落とせとかある。
血のほうはもっともだと思ったので、脂肪は面倒だからそのままでどんどこ2つに切って行くと、なるほど、大体は血抜きできているが心房の位置関係か塊になった血が残っているのがある。
とすると一見無いように見えても奥の方に固まっている可能性はある。
しょうがないので、全部2つに切って、流水で親指の爪を入れてこそぎ落としていく。面倒だな。でも確かにこれだけ塊が入っているとそのまま食べたら不味そうではある。
で、終わったあと濯いだ元のトレイに入れて塩振って、フライパンに火をかけた。
トレイにたまった水を流して、えいやとフライパンに入れたら(メイヤーのやつなので油は引かなかった)思ったよりも水が残っていて、乾煎りではなく煮ている状態になって不安になる。
鶏である以上は火を完全に通さないと怖い。
しかし火を通し過ぎると水が抜けきって(収縮するから)固くなる。それもいやだ。
とか考えながら3分くらい菜箸でかき混ぜながら炒めるというか煮てから蓋して、タイマー3分に設定した。
そしたら2分過ぎたあたりからパチパチ言い出した。
水が抜けて、溶けた脂肪で揚げ物状態に変わったのだった。
なら固くなる心配はほぼ無い。
で蓋を外して油の中を転がしながら残り1分、中まで火が通ったのを確認して、さらに塩を少し振っておしまい。
1つ1つ半分に切って血を洗うのがくそめんどうだが、それを除けば、とても良いものだった。脂肪はほぼ揚げ油と化していたので、取る必要はなかったし、かえって一部とはいえ表面がカリッで中が心臓のふしゃふしゃ状態でえらく美味かった。
アスキーの鈴木さんからもらって金曜日に着いたので3日かけて読了。
おもしろかった!
雰囲気としては、Clean Architectureの末尾の蛇足の発展型っぽく、筆者のロバート・マーティン(ボブおじさん)が、これまでのソフトウェア開発者、アジャイル組織者(2001年のアジャイル宣言オフ会はロバートマーティンがアリスター・コーバーン(Crystalの人)と一緒に集めたメンバーで宣言された)などなどの経験と知識から、アジャイルとは? について放言する、に近い。
要はかっちりとした本を読むというよりは、ロバート・マーティン講演会でおじさんの思い出話や知見や考えを聞いている感じだ。がちがちの技術書ではないだけに、アジャイルっぽい(最近耳にしなくなった言葉だが)生き生きとした読書体験を得られた。
つまり、本書を読むということは、ロバート・マーティン講演会を楽しむという体験だ。
そのため、(読者によるだろうが)、はて、おれはこのような場合はどうしていたかな? とか、そこはディスアグリーとか、こちらの思考を実に広げてくれる。おもしろいなぁ。
本文は7章と結論からなる。
各章は、以下だ。
第一章 アジャイル入門。アジャイル宣言前夜(もっと長いけど)からアジャイル宣言までの思い出話から、そもそもアジャイルとは何かについて、本質を語る。
本質は意外と単純なことだ。動かないソフトウェアは製品ではない。ソフトウェア開発者の仕事は発注者が求めるソフトウェア(最初の文から動くこと)を提供することにある。そのためにはどうしたら良いか? だ。ここで重要なのは、いかにソフトウェア開発者がビジネスに寄り添うか、にあると読んだ。ビジネス価値を提供できるか? と言っても良い。
そのために、確実にソフトウェアを動かすための方法を分解して求めていく。
ビジネスには期限がある。ただしく見積もるためには、ただしい判断材料が必要で、判断材料の粒度を揃える必要がある。実際に開発して必要となった時間を調べ、そこから全体を見積もっていく。机上の戯言ではない着実な方法はどのようなものか? (計画ゲーム)
正しく動くソフトウェアは正しさを検証可能な単位で行う必要があり、これも粒度の問題となる。(小さなリリース)
ではリリースのためには何が必要か? もちろん動くソフトウェアだ。動くとは? (受け入れテスト)
で、誰が作る/製品に責任を持つのか? (チーム全体)
と詰めていく。
それがアジャイルである。
2章はアジャイルにする理由。きわめて簡単だ。ソフトウェアをリリースするため、だ。で、一体それはどういうことだ? ということを行動指針(開発者の権利章典)として示す。とはいえ、お前ら開発者はビジネスのことはわからんだろうから、マネージャがどういう思考方法をして、どういう期待をしているかを知ることで、どうしなければならないかの秘伝を教えるという章。
3章はビジネスプラクティス。計画ゲームってわけがわからないのはおじさんにはわかっている。その説明。開発者とビジネスを一体化するためにはどう振る舞えば良いかについて。
4章はチームプラクティス。きわめてわかりにくいメタファーについての説明から始まる。絶対、日本語で「例え話」としたほうが良いカタカナ用語だ。
で、結論は、まじめに仕事してまじめに休んでちゃんと食って寝ろ。
5章はテクニカルプラクティス。TDD、リファクタリング。テストなくしてデリバーなし。ペアプロもするでよ。
6章はアジャイルになる。ここはボブおじさんの独演会。
大規模アジャイル? ばかじゃないの? 人類8000年の歴史は大規模で何をするかとっくにわかってるじゃん。ピラミッド作ったのは人類、第2次世界大戦みたいなビッグプロジェクトを成功させたのはおれたち(ボブおじさんが主語)アメリカ人、どやどや。そういうビッグプロジェクトをこなせるおれたちが大規模ソフトウェアプロジェクトで失敗するってどういうことでしょう? 答えは簡単、それは無理ということなのだ。(でっかな羽を両腕に括り付けて羽ばたいて崖から落ちて死屍累々のあとに、ライト兄弟がプロペラをつけた乗り物で空を飛ぶことに成功することを、おれは思い出した)
だから、小規模に分割する。各プロジェクトは5人くらい。ほらできた。
コーチ? ばか? そんなもの不要に決まってるじゃん、とか散々放言してちょっと考えたのか、別の人のコーチングについての別視点の論考を入れたりしている(この論考の結語をロバート・マーティンが書いているのだが、額面通りに読んで良いのかどうかわからん)。
7章 クラフトマンシップ。ボブおじさんが最近提唱しているらしき仕事への取り組みフレームワーク(雑なまとめだが、そういうものと取れる)を別の人が書いている。まあ、大規模についての、そんなの無理に決まってるじゃんから導かれるソフトウェア開発の姿を人類史に探せば、ドイツマイスター(徒弟制度)や、日本の大工や料理人(目で盗み腕で覚える)とかに近いものになるのはわかる。ただし、そのあたりの連中と違ってコンピュータが使えるのがこちらの強みなので、別の姿も浮かび上がってくるとも言える。
で最終章にあたる「結論」おしまい。
途中、80:20の法則が出てくるが、アジャイルも同じだ。各大きなプラクティスの下の個々のプラクティスの20%を実行するだけで80%の効果は得られるだろう。おれが考えるには、柔軟に運用できる計画ゲーム、TDD+リファクタリング(ただし、おれはスタートダッシュというアプローチが実は良いのではないかと考えている。スタートダッシュでは一切何も考えないでコースだけを突っ走る。当然ペアも無し、テストコードも無し)、継続的デリバリ(ビルド時に常にテストスイーツを実行しソフトウェア全体が壊れないように管理する)、テストスイーツ(自動化)、デプロイツール(おれの場合だと板前)、SCMシステム(というか現時点ではGit一択だろうし、CircleCIとの統合などを含めればGithubと言い切っても良いのではないか)が最重要と思う。
というわけで読みながら自分の来し方を再点検したのは大きなポイントだった。
いずれにしても、読み物として抜群におもしろい。特に、アジャイル原理主義というかアジャイルドグマを持ってしまった人にお勧めしたい。重要なのは基本であって、教義ではない(原理というのは基本ではなく、誰かが作った教義だよ)。
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