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XPS M1210が壊れた。どうもグラフィックまわり。最近はこいつにモニターつないでなんでもやってたから被害甚大。
HDDは元気そうだがSATA2.5用のコネクターがないので……を買うのがベストかなぁ。
つまり選択肢は、修理に出す(2年越えたので保証切れ)、新しく買う、ディスク用にコネクター買う、のいずれか。
価格と速度は3、なんとなく1もありかな、2は微妙(Windowsマシンは手元に置きたい)。
しかも、XPSライフが続きそうなので、先日発注したSSDが今日にも届くというタイミングの悪さ。どうしよう?
どうしようもないし、早くサルベージしたかったので、会社の帰りにビックに行ってケーブル買った。
で、店頭で見ると、2.5 HDDの外付け化ケースだと800円くらいからあるのだが、もともと非常用だし、すると3.5インチにも使えたほうが良いから、なんとなく裸族にも惹かれるものはあったが(これは両方使えるが、ちと高い)、ケーブルを買った。
センチュリー 裸族のお立ち台eSATAプラス CROSEU2(-)
(なんとなく惹かれるものがある裸族だが、値段は4000円台となる)
タイムリー GROOVY HDDをUSB SATA接続2.5/3.5/5.25"ドライブ専用 UD-505SA(-)
ビックの店頭だと1900円弱だから、アマゾンで買うとずいぶん割高であるな。しかし、★付けた人は、接続がゆるかったのか、よほどの不良ロットを掴まされたんじゃなかろうか。文句なく使えて、それなりに満足している(ACコードに中間スイッチが付いているのは便利だが、もう少しコードが長いほうがいいなぁ。というのも、机と床の間にAC-DCコンバータがちょうど来るので不安定だ)。
それにしても、M1210の障害っぷりを考えるに、NVidiaの不良っぽい気がしてならない。そういえば、MacBook ProもNVidia不良でジーニアスのお世話になったし。
DELLのサポートページをみると、M1310以降は保証延長で修理しているようだが、M1210は引っかかっていない。しかし、NVidiaのアダプタだしなぁ。つまるところ、有償修理するくらいなら、捨てるか、というわけで廃棄手続きを取る。でも、そうするとネットブックではない、まともな持ち運び可能なWindowsノートブックがなくなってしまうので(AirはOSX専用だし、MacBook Pro 17"は持ち運べない)、ちょっと困る。困るので、ビックでついでにいろいろ眺めたが、NECの13"が、四角くて良い感じだが、いささか高価(おれの頭の中で相場感は10万円なのだ)なので、見送り。
日本電気 PC-LN500TG6P PC-LN500TG6P(-)
(これ、いいなぁ。)
なんかの理由でカタカナで表記する必要があったらしくてそういう書き方が奥付とかされることがあるけど、もともとは、あきお・Rが付く部署名・たじま でARTというJOB投入用のIDがあって、それにonをあとから付けたわけで、小文字なのはUnix流儀というかワークステーション流儀(JOBがメインフレーム文化圏なので、ハイブリッドという自分にしかわからない意味づけもある)、artの3文字ってrmsとかesrみたいで(かたやログイン用、かたやJOB用という違いはあるが3文字だし)しかも技術とか技芸(art of fuguesですな、想定しているのは)といった意味があるとか、早い話が、小文字だろうが頭語なんだから、PILはピルじゃなくてピーアイエルかそれがいやならちゃんとパブリックイメージリミテッドと読みやがれモーローンヌッ「ジョンライドン(談)」、みたいな感じで、ヘヴンセヴンティーン。
時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1)(アントニイ・バージェス)
ちぇ、調べなおしたら17じゃなくて18だった。がっかりだ。
ソルトレイクのお土産を同僚にもらった。疲れたら舐めれば良いらしい(だんだん角がとれてきそうだから、知に働いたら舐めれば良いのだろう)。
守護結晶玉と読むのかな。
というかソルトレイクって本当に塩の湖だったのか。
子供に水たまりなら、選択肢(横を歩け)1つ与えるほうが良いかも知れないが、かならずしも、肯定的な唯一の方法を示すのが良いとは思えない。
もし、水たまりに入るな、というのが指示であれば、飛び越える、違う道を行く、船を造る、抱っこしてくれとねだる、選択肢はいっぱいある。後は想像力と実装力のバランスの問題だ。
でも、Aしろ、というのが指示であれば、Aするか(正解)、Aしないか(不正解)になってしまう。(あえてやろう、Bである、ということを選択するのが難しくなるので、それをやって、しかも成功するとプロジェクトXとなる)
評価者にとっても被評価者にとっても、後者のほうが楽だが、それが良いことかは別問題だ。
ケースバイケースなのかも知れないが、おれは、「水たまりの向こうへ行きなさい。ただし、水たまりの中に入ると失格です」のほうがいいなぁと思った。ゴールとルールが示されるという方法だ。
「Web日本語文化圏、私なりの考察」を読んで、ちょっと考えた。
以前、twitterの良さは140文字という短さにあるのだと考えて、今でもそれは変わっていないのだが、さて、問題がある。
140文字という字数制限があれば、当然、ちゃかちゃか打ってはサブミットという動きになる。
おれの予想だが、1400文字制限のサブミットに対して140文字制限のサブミットは、1:20から1:30くらいに膨れ上がるんじゃないか。1400文字のBlogは3日に一回という人も、twitterなら3日に20から30をポストするんじゃないかということだ。
もし、その予想が正しければ、twitterの負荷は、ミニブログとか言ってはいるものの、ネットワーク上のトラフィックはもちろん、IOに関する転送量も、並みのBlogシステムより大きいものとなる。もちろん、人数が同じだとしてだ。
だから、くじらが浮いたり、アイスクリーム坊やが出てきたりするのも当然だろう、と、つまりシステムの低レベルな制約と考える。
しかし、と、上記の文章の、「ちゃんと必要以上に、余計な情報が、余計なところまで見えないように、いろいろうまく調整、実験して、いい雰囲気をつくりだそうと努力しているのを感じる。」の部分を読んで、もしかして、140文字という短さと表裏一体かも、という考えが生じた。
すぐに飽和する状態だと、あっというまに結晶化するわけだが、そのような状態というのは、可能性として議論白熱など、とにかく言葉のキャッチボールがえらく行われている状態となった、という可能性もある。普段より負荷が上がるというのは、何か、それなりの原因はあるものだ。
そのとき、システムが頑張ってさばくのではなく(その結果が結晶世界の到来となる可能性があるわけだから)、数10分とか、なごみ系の絵を出して落ちてしまったらどうだろうか。強制クールダウンの時間だ。twitterの頑張らなさは、もしかして狙ってやってんじゃないか、ということ。
と、まあ、そういうこともあるかなぁとか。
さて、2個で十分なのか、2個が限界なのか。
プログラマーのジレンマを読んでいて、初めて聞く言い回しに出会う。
ソフトウェアの世界では、ほぼどのような選択をするにせよ、三通りの選択肢の間で苦しい折り合いをつけることになる。楽観論者はそれを「品質のトライアングル」と呼ぶ。悲観論者はそれを「不可能のトライアングル」と呼ぶ。いずれにせよ、ふつうは悪い意味で使う言葉だ。
(中略)
シェーファーは椅子の背によりかかり、ふくよかな腹をさすって言った。「昔からこう言うんだ。早く作るか、安く作るか、うまく作るか。どれか二つだけ選ぶことができる、と」
プログラマーのジレンマ 夢と現実の狭間(スコット・ローゼンバーグ)
おお、思い当たる節がある。日本人は、主語−述語−目的語の3つから、述語と目的語の2つを選択した。賢い言語だ。
ではなく、CAP定理だ。
佐藤先生の2009年5月24日の日記に次の一節がある。
二つ目の誤解はCAP定理は定理という名前がついていますが、別に定理などと大それたものではないということ。CAP定理はあくまでも経験則であって、絶対に3つが同時に成立しないといっているわけではない。
経験則として3つの選択肢を示して、うちたかだか2つが成立するというのは、単に説得のパターンなのかなぁとか。
(他の例を考えようとかしたがやめて読書に戻る)
というわけで、
ブレードランナー ファイナル・カット (2枚組) [Blu-ray](ハリソン・フォード)
あえて言おう、ふたつで十分ですよ、と。
プログラマーのジレンマについて、gotokenさんがtwitterで一般的な用語の説明が本文に入っているので読みにくいから註へまわして欲しいなぁと書いていたり、takahashimさんがはてなで動きがもっさりしているとか書いていて、ちょっとおもしろい。
ってのは、おれはこれはいい塩梅に感じるからだ。
人によって読み方も目的も違うからあくまでもおれの場合についてだが、この手の本を読むのは、過去の興味深い(興味深くなければ読めないよな)事象についての事実や憶測をその時代のコンテキストを示したうえでその土俵内で書いてあることに対して、現時点で読んでいるおれが持つ現在のコンテキストと場合によっては経験したかあるいは想像できる範囲でのコンテキストを比較しながら、そこに語られている内容から普遍性を抽出してそれが現在とどのように関わるかを考察したり、あるいは特殊性を抽出してそのような特殊な状況が発生し得る条件やそれが起きた場合のプラス面マイナス面それぞれの影響とそれが現在あるいは近い未来とどのように関係するかあるいはしないか、計画を作る時のファクタとすべきか無視してもよいか、あるいは招くべきであればそれが必要となる条件といったもの、あるいは避けるべきであればそれを回避するための条件といったもの、こういったすべてを考えることである。したがって、常にコンテキストの異同について情報が多ければ多いほど良い(取捨選択はできても、無いものを想像で補完するのは容易ではない)。
したがって、おれにとってのこのての本の読書とは、きちんと整備されたヨーロッパスタイルの庭園を回遊することではまったくない。その曲がり角にいきなり姿をあらわす奇岩に驚嘆したり、突如池に影を投げる松の枝振りを賛嘆したり、不連続な敷石の上の苔に足を滑らせて体が傾いた瞬間に枝の隙間から投げかかる陽光に目を射られてそこに広がる緑の奥深さに心を震わせる、そういったものである。
つまり、おれにとっては、まさに、この本こそ良き書き方がなされているということだ。
_ はら [くー、座布団100枚!]
突然、子供が首の無い騎士とか言い出したので、今から10年ってこたないな、7〜8年くらい前に作ったおはなしを思い出した。良くそんなものを覚えていたなぁ。
森の奥に7つの塔を持つ古城が隠されている。そこに入ったもので戻って来なかったものの消息は誰にもわからない。
その7つの塔にはそれぞれ主が棲んでいる。
1つ目の塔には首のない騎士。
2つ目の塔には牙のある狼。
3つ目の塔には泣き叫ぶ赤ん坊。
4つ目の塔には爪が長いお婆さん。
5つ目の塔には痰を吐くお爺さん。
6つ目の塔には血に飢えた蚊。
そして7つ目の塔にはまっ黒黒助という名前の月の輪熊。
さあ、どの塔が怖い?
首の無い騎士を当然のように選ぶので、その騎士は首がない、つまりハンプティダンプティのようなおっさんだ、と教える。
じゃあ、牙のある狼。
でも、満腹してるんだぜ。
そっか。っていうか狼だから牙はあるのか。じゃあ、泣き叫ぶ……赤ん坊って普通?
そう普通。お前のもっと小さい頃みたいなのが棲んでいるんだ。
うーん、じゃあ爪の長いお婆さん。
だらしないんだろうなぁ。まあ怖いけど、普通に走ればついてこれないから。
次のはやだなぁ。
やだね。少なくとも、その塔には足を踏み入れたかないな。しかも、ときどき、そのへんを歩いていて、カーとか鳴くんだぜ。
血に飢えた蚊は?
1匹しかいないし、どこにいるかわからないからなぁ。
最後のは?
サーカスから逃げてきた(だから名前がついている)から、クッキーをやると喜んで火の輪をくぐってくれるんだ。
なんで、そんな話をしたんだろうか? 全然、思い出せないや。
同僚が貸してくれたので読んだ。
宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった(愛蔵版)(佐藤 勝彦)
えらくおもしろくて、頭がチリチリしてきそうなところがたくさんある。何もないところに粒子が出てきてぶつかって、あっというまに膨れ上がってしかもそれがさらにトンネルを通ってぼこぼこそこら中に生まれていく、というのを想像する楽しさというのは他のジャンルではなかなか味わえない。
ただ、自負があるのだろうからしょうがないとは思うが、読んでいると、「〜という説があり、それを〜して、つまりわたしが半年早く発表したインフレ宇宙が〜で、つまりインフレ宇宙−これはわたしの説ですが−が証明されたと〜、でも実証できないという意味で社会科学扱いされる不憫なインフレ宇宙ですが、とにかくみなさん、わたしはすごいこと考えたんだよ」みたいな箇所が出てきまくってちょっと鼻白む。聞き書きした人の著者(語った人)へのサービスかもしれないけど。
それにしても不思議だなぁ。
require 'stringio' a = [1, 2, 3] a << a p a b = [a] a << b p a b << a p b x = "" s = StringIO.new(x) Marshal.dump(a, s) s.close p x s = StringIO.new(x) na = Marshal.load(s) p na実行してみる。
C:?home?tmp>ruby ar.rb [1, 2, 3, [...]] [1, 2, 3, [...], [[...]] [[1, 2, 3, [...], [...]], [1, 2, 3, [...], [...]]] "?x04?b[?ni?x06i?ai?b@?x00[?a@?x00@?x00" [1, 2, 3, [...], [[...], [...]]]
友達から借りたとか言って、何やら聴いているのは良いが、おれにも聴けとかいうから、まあ聴いてみた。
Elysion~楽園幻想物語組曲~(Sound Horizon)
それなりに厚みがあってアレンジもまじめにやっている楽団なんだかバンドなんだか良くわからない連中の、オペラっていうよりは連作歌曲って感じの物語音楽というか、昔のプログレっぽいコンセプトアルバムってことになるのかなぁ。
まあ、こういうのがそれなりにはやっているのか、おもしれぇなぁ、という感じ(別に好みじゃないので、それっきりではあるわけだが)。
さて、いよいよ佳境に突入した。
プログラマーのジレンマ 夢と現実の狭間(スコット・ローゼンバーグ)
まあ、眼光紙背に徹す読み方をすれば、パールにバールを打ちおろそうが、Javaスクリプトがトプリクスだろうが、内容にはまったく関係ないわけで、字面を追ってもしょうがあるまい。
つまり、CMMとアジャイルの対比のくだりにさしかかった。
久々に今日は昼間もコードを打ちまくっていたのだが、以前から薄々気づいていたことが確かな感触としてわかったように思う。
まず、前提として箸棒は棚上げしておかないとややこしい。
人の10倍の生産性うんぬんというのは、その個人の中で成熟度のレベルが極めて高いということだ。したがって、その成熟した方法論を外した方法論を押しつけると、生産性は下がる。
それだけのことだ。
したがって、CMMという考え方そのものは正しい。成熟したチームあるいは個人であっても、それは正確に反復可能であり、かつ新しいことの受け入れもできる。その成熟した方法にしたがっている限りは。
問題は、モデルのテンプレートにある。
それは可視性の問題だ。
誰にとっての可視性か、という問題というのがより正確だ。
そこにどうにも越えられない溝があるようだ。
言葉の重みというものがここにある。
具体的には、次の2つの言葉を比較してみる。
・われわれはすべて組織のために働いている。
・組織には計画が必要である。
・一人でもやっていけるというのでないかぎり、スケジュールにしたがって仕事をする必要がある。
・自分で自分のスケジュールを作成しなければ、誰かほかの人間が作成する。
・そうなれば、その人間に管理されることになる。
それに対して
・プロセスやツールより、個人個人とその関係を重視する。
・包括的なドキュメンテーションより、機能するソフトウェアを重視する。
・契約交渉より、顧客との協力を重視する。
・計画に従うことより、変化に対応することを重視する。
ほぼ同じことを言っている。どちらも、チームで働くということはお互いに協調しなければならないということで、その協調を作るのは個人の責任であり、その個人の動きはその個人にしかわからない、ということだ。
だが、表現がまったく違う。
同じことをするために、2種類の表現があり、それだけならばまだ良いが、なぜか正反対の方向に成果物が向かってしまう、というのが、おれには興味深い。
誰がどう読み、誰がその結果を知るのか、という外部要因によって決まるのだろう。
わけわかめというのを読んで、それだけが理由かなぁと考える。
複数の電子マネーを持たない人というのはいるから、そちらにも手を伸ばしたいと判断するにいたったのは、nanacoの導入効果があったからだと考えられる。具体的には単位時間あたりの客さばき率。どうしても1円単位の端数が出るコンビニだから、釣り銭をいじらなくて済めばそれだけ客をさばくことが可能になりそうだ。当然、レジを打ち始めてからレシート渡すまでの時間の統計くらい取っているだろう。
もし、導入効果があったのならば、なぜnanacoをさらに強力に推し進めないのか? これは、ポイントによる利益圧迫がそれなりに目に見え始めたからだと想像する。1/100以下(99円のハイチューを買ってもポイントは付かないわけだし)とは言え、もともとどれだけ粗利を確保できているのか。
ただし、プロモーションしたい商品に+10ポイント(これ、多分、メーカーが負担してるんじゃないか、と思える)みたいなものにはそれなりの効果はあるはずだから、撤退するのかどうかはわからないな。
新国立劇場でロッシーニのチェネレントラ。
実に楽しく、なるほどロッシーニが大成功を収めてさっさと引退できたというのもわかる。というか、ドイツとイタリア、30年の時間差というもので(贅沢な暮しがたたったというのはあるにしろ)モーツァルトの貧乏生活との落差に感慨がわく。というくらいに、モーツァルトみたいだというか、モーツァルトのオペラがイタリア音楽に影響されていたか、というか。とにかく弦の早いパッサージュや、チャーラチャンタッタみたいな終止形とか。ただ序曲とか楽器が目立つところでは木管がもごもごもっさりするような気がして、管ってのは確かにそういうものだが、ちょっと気になった。
王子役のアントニーノ・シラグーザが大好きなタイプの声で、こいつが歌って演技しているだけで楽しい。
物語は、ペローのものとはまったく異なる。ガラスの靴が腕輪に変わるといたささいな問題ではない。継母ではなく継父、かつその継父が落ちぶれ男爵で後妻(すでに死亡。チェンレントラの実母)の遺産を使いこんでいて、しかも権力への妄執につかまれている滑稽な人物とされている点が物語に軽妙さを与えて見事な喜劇になっている。
しかも、ツェネレントラが実に厭味で、姉二人が明るく楽しい男たらしの歌を歌っていると、陰鬱な声で「王様が選ぶのは誠実な娘」とか歌って邪魔をしたりする、そういえばディズニーのシンデレラも「シンデレラ、掃除しなさい」「はいはい、いやーんなっちゃう」のような反抗的な態度だったが、もしかすると粛々と言うことをきくシンデレラというのは日本的な幻想なのかな(日本の民話だと細部が描かれないからそんな感じだ)。
日本語に劇をアレンジしている個所がいくつかあって、オペラブッファというのはこういうものなのかな、というなんか納得感もあった。
で、とにかくテノールが2幕の途中でいよいよツェネレントラを探すために仮面を脱ぎ棄て(仮面はつけていないけど、召使いのダンディーニの科白を引用)て高らかに歌うところ(あぁ,誓ってまたみつけよう)が、やー、これは感激だった。オペラってのはこうで、なくては、という楽しさ。
みんな、そう感じたのだろう、すさまじい拍手で、アンコールまでしてくれて、へーと驚いた(というか、いきなり歌の途中から始まるので、何か切れ目ではないところに拍手が入ったのかと最初、とまどった。何しろ、初めて聴く曲だったし)。こういうことやられるとドラマツルギーぶち壊しとヴァグナーがぶっきれて無限旋律を導入したのも理解できるが、それにしても、えらく楽しい。こういうオペラも実にいいものだ。
というわけで、初めてフルで聴くロッシーニを満喫しまくった。
人知れぬ涙 アントニーノ・シラグーザ オペラ・アリア集(ジョアキーノ・ロッシーニ)
こんなCDを出しているようだ。『あぁ,誓ってまたみつけよう』も入っているし買おうかな。
東京バレエ団のジゼルを観に五反田。昨年に引き続き上野水香のジゼル。
前回は、1幕の狂乱っぷりに恐れおののいたわけだが(実に新鮮、斬新で、ジゼルがこんなにおもしろいとは夢にも思わなかった)、今回はそれほどでもなかったような。その代わりに2幕目が、こんだ、えらく良かった。そんなことはないと思うが、力を抜き切ってたらーんと宙に浮かされるパドドゥ(で良いのか、相変わらずバレエ用語は良くわからないけど、2人で踊ればなんでもパドドゥなのかな)。
最後、フォーゲルがばたっと倒れて終わるのだが、そうだったけ? ちょっと衝撃的だった。
ヒラリオンの人(楳図かずおみたいな髪型)もいいな。
『企業戦略としてのデザイン』には、21世紀になってからデザイン=企業そのものという考えにシフトした企業の例としてデルと三星が出てくる。
どちらも、アップルの成功に自分たちの活路を見出した例としてだ。
企業戦略としてのデザイン アップルはいかにして顧客の心をつかんだか(Robert Brunner)
デルは、最初は自社開発の高速なグラフィックチップを載せた高級マシンだったのだが、いつの間にかBTOに特徴があるクイックレスポンス企業みたいなものに変わって大成功し、そして21世紀になって失速した。
アップルはそれに対して21世紀まで死にかけながらも死なずに生きていて、そしてそれなりに成功している。
着目すべき点として、死ななかったということがある。勝手に延命処置をしまくってくれる奇特なボランティア医師団が形成されていたからだ。こういう人たちをいかに生み出すかは、『企業戦略としてのデザイン』の中でデザインの重要性とともに語られている。
さて、先日、DELL XPS M1210という12"のノートパソコンが死に、それは今をさること3年前の2006年5月に発売されたモデルだ。
で、今手元にXPS 13があり、それは2009年3月に発売されたモデルだ。
もし、デルがアップルを戦略的に真似をしようとしているのであれば、この3年間に生じたデザインの変化がみられるはずだ。
M1210のニュースリリースの報道の一例(デル、高性能モバイルノート「XPS M1210」発売)に対して、同じサイトのX 13の報道を見ると(デル、マルチメディア機能充実の個人向けフラッグシップノートPC2機種)と、微妙に表現が異なる。どちらも、その時点ではそれなりの能力を持つNVIDIAのグラフィックチップと、Core2を載せているノートだが、片や「高性能」という実質的な言葉が使われ、片や「フラグシップ」という無意味なしかし何かのインパクトがある言葉が使われている。
外見は、まったく異なる。M1210はプラスティックに銀色の塗装をしましたという以外に表現できない内側と、汚れが目立たないマットな(手にも馴染む)蓋、通風のためのスロットと、モジュールのでこぼこに合わせて区画化され、FCCのシールなどがきちんと収まるように枠が用意された底。非常に機能的で、モジュールの交換がしやすいのは素晴らしい。
一方のXPS 13はアクリル塗装だと思うが黒く光沢がある内側にMacBookみたいなとしか表現できないペッタンコのキートップ(でも打ちやすいのもMacBookと同じ)、しかも意味があるとは思えないが暗くなるとボーっと光る(MacBook Proと同じ)、通電中は青く光るACコネクタ(充電状況に応じて緑−橙と変わるわけではない)、持つのにしっくりくる革と指紋が付き放題のつるつるの黒いやはりアクリル塗装らしき蓋、グリルのような筋が入っているものの、一枚の板になった底(ネジを10個所くらい回さないとHDDの換装もできない)。
温風吹き出し口が左にある(Thinkpad X31もそうだったからインテルの推奨フォームではないかと思う)M1210に対して、LCDの付け根に吹き出し口があるXPS 13(こんなところまでMacに似せなくてもと思うのだが、確かにLCDの付け根にあると横のデザインが自由になるのかも。
DVDユニットは、トレイが飛び出すM1210に対してフロントローディングのXPS 13.
XPS 13のデザインは上記のように、M1210と比較するとMacBook Pro(あるいはAir)のデザインを構成する細部(特に底とキーボード、温風吹き出し口)はそのままに外観をデル向けにアレンジしたものになっている。たとえばLCDの付け根のいかにも銀色に塗装したプラスティックのアーム(ただ、塗装方法はM1210よりもナチュラルな印象は受ける)から、本体の両脇を回る銀色と黒の組み合わせというのは、デルのロゴの色の組み合わせなので、一見するとまったくアップルを意識しているようには見えない。
で、まあ、キーボードはM1210よりも打ちやすい感じがしてそこは良いのだが、おれが最もまねして欲しいところは真似してないのな。つまり、Air以降のでっかなタッチパッド。あれに慣れると普通サイズは使いにくい。
B002CJZETY
それにしてもdell dockはルック&フィール訴訟を招きそうなおまけだな。
いつものuconvやVRSwinのほかに次のプログラムを同梱しています。
・rake-0.8.7
・rubygems-1.3.2
・algebra-0.72
・StarRuby-0.3.3
−StarRuby、DXRuby、ASRについては、デモプログラムを見られるように、スタートメニューにsamplesフォルダを作ったので、試しにみてください。
なお、DXRubyでエラー(d3dx9_3?.dllが見つからない)になる場合は、DirectX エンド ユーザー ランタイム Web インストーラからDirectXのランタイムをインストールしてください。
あと、今回のものについては、週末にinfoseekのミラーサイトにコピーします。何やら1.8.7-p160以降遅い問題があるようで、yuuyaさんのところでも再現しているようですが、こっち(Vista64のWow64)では再現してないのでいかんともしがたいですね。
#追記:と思ったらp-174が出てしまったので、infoseekへはそっちを作り次第送ることにします。
いつものuconvやVRSwinのほかに次のプログラムを同梱しています。
・rake-0.8.7
・rubygems-1.3.2
−StarRuby、DXRuby、ASRについては、デモプログラムを見られるように、スタートメニューにsamplesフォルダを作ったので、試しにみてください。
なお、DXRubyでエラー(d3dx9_3?.dllが見つからない)になる場合は、DirectX エンド ユーザー ランタイム Web インストーラからDirectXのランタイムをインストールしてください。
あと、今回のものについては、週末にダウンロード用サイト(infoseek)にコピーします。何やら1.8.7-p160以降遅い問題があるようで、yuyaさんのところでも再現しているようですが、こっち(Vista64のWow64)では再現してないのでいかんともしがたいですね。
#なんという省力化。
なんか手首が痛い。元々は一月ほど前、荷物運んだりいろいろしていたころからだから、どこかにぶつけたか、ひねったか、筋肉痛か、そのあたりだろうと放っておいた。
が、なんかなかなか痛みが取れず、ついに昨日は、ちょっとした加減で激痛という状態になった。
こりゃ妙だといろいろさわっていたら、コブみたいなぐりぐりが骨の上あたりにある。いったいなんだろう? これが圧迫して痛いのかなぁとか考えてみたりしても始まらないので、とりあえずなにが起きているのか知ることにする。
というわけで、医者へ行こうと調べると、すでにこれまで通ったことがある2軒ほどは廃業したのは知っていたが、その後にもまったくできていなく、早い話が近所にはどこにも整形外科がない。カイロ屋さんはあるが、それは別の話になってしまう。
場所柄、じじばばが多いから、整形外科の需要は高そうな気がするのだが、ないものはないのでしょうがないから、別のところへ足を延ばすことにした。
で、ガングリオンとか言われて、確かにグリグリなガン(腫瘍は別に癌じゃないからでたらめではある)なオンだなぁと、名前のおもしろさにちょっとなごむ。
Rubyにはリストがありません。だから自分で作らなければなりません。
class List def initialize(x, lis) @car = x @next = lis end attr_accessor :car def cdr @next end end
ここでリストの長さを求める処理を追加したいとします。
コーディング・スタイルは典型的な「自転車置き場の議論」なのでそれほど気にする必要はないと思いますが、良く見られる例では、
def size_of(lis) if lis.nil? 0 else 1 + size_of(lis.cdr) end end
のようにListの長さを求める処理を書いているのですが、実際には
def size_of(lis) if lis.nil? 0 else 1 + size_of(lis.cdr) end; end
のようにendは最後にまとめて書くことが多いです。Rubyistのコードブロックの認識は、実はPythonistaに近いんじゃないかなと思っています。
しかし、もっと良いRubyistのコードは、
class List def size_of() if self.nil? 0 else 1 + cdr.size_of end; end; end
のように、オープンクラスを利用して、インスタンスメソッドに書きなおすことです。Rubyistのメソッドの認識は、実はPythonistaに近いんじゃないかなと思っています。
ただ、この場合の問題は、このメソッドが正しく終了判断できないことです。
『Scheme初心者へのアドバイスを書いてみる』にインスパイアされて何か書いてみたくなったのだが、あまりにくだらなくなってしまったので、バグを入れることにしてみた。
class NilClass def size_of 0 end; end
システム(この場合はNilClass)を変えるのではなく自分を変えるという方法もある。
class List def size_of() if cdr.nil? 1 else 1 + cdr.size_of end; end; end
なんか、社会と個人の関係のようでおもしろいが、必要に応じて変えられるほうが直感的には良いシステムだ。
先日、ASRへ入れてみようかとMSWin32で作ろうとしたけど、あまりにたくさん依存しているライブラリがあるのであきらめた。
が、こないだRubyforgeを見たら、MSWin32版のgemが用意されていることに気づいた。
というわけで、ASRの管理者用コンソールを起動して、gem install nokogiriして、インストールしてみた。
たとえばあるページ内のアンカータグのhref属性を抜き出すにはこんな感じで使う。
begin require 'nokogiri' rescue LoadError require 'rubygems' # 最初からこっちを書いても良いけど require 'nokogiri' end require 'open-uri' doc = Nokogiri::HTML(open('http://foo.bar/baz')) doc.search('a').each do |link| puts link['href'] end
えらく簡単だ。
突然、パンタを聴きたくなり、というか、それはiPodが結果的にオリオンを選んで来て、もちろんそれは良い曲でとか、そういったことだ。iPodはおもしろい。
というか、これなんだ? なぜドタバタになるんだろうか。
パンタといえば詩はこれが好きだなぁ。
なんか志村けんみたいな気もするが。
ふたつのスピカ 15 (MFコミックス フラッパーシリーズ)(柳沼 行)
府中野くんのエピソードはいったいなんだったんだ?
という点はあるけど。
子供と話していて、一瞬主人公の名前がアスミかアズミかわからなくなったら、生きてる親父がトゥモローで、死んだ母親が今日なんだから、生きてる娘は明日に決まってるじゃんとか言われる。そうだったのか。
3人でふつうの高校生っぽいことしようとか言って、カラオケに行こうとして、しかしそりゃ無理だと結論するところが、おかしくもあり、かなしくもあり。
ティプトリー月間も終わりで、一気に5冊買ったうち、輝くもの天より堕ち以外はすべて読んだ。
いろいろ思うところがあるが、さすがに60年代末期からの人だけに、いろいろな時代精神の発現があり、それにより既視感というよりも既読感に悩まされる。
たとえば、たったひとつの冴えたやりかたの2つめ、グッドナイトスイーツハーツを読み、それからしばらくたって、故郷から10000年光年のマザーインザスカイウィズダイアモンズ――突然思い出したが、KNIGHT OF THE DIAMONDをDIAMONDSと打ったか、あるいは定冠詞を抜いたか(それは、日本語版の箱が日本の慣習で冠詞か複数形のsを抜いていたからだが)、最後の最後で吹っ飛ばされた悪夢――を読み、まるで双子の兄弟のような、多分映画化すればジャックブラックなんだろうけど、おれとしてはニール?ヤングを推薦したいところだ、が、トチローだのハーロックだのにだぶって見えるとか。どうも、おれはこのあたりの作品が一番好きなようだ。特にダイモンズはものすごく好きなように思える。が、歩いて帰って来るやつのすさまじさは別格だと感じるし、実際問題としてビームのやつは読んでいて困ってしまうところがある。
あるいは、その生涯はまったく異なるにも関わらず、ここぞというビッグなイベントゆえに、どうにも矢川澄子がだぶってくるとか。
故郷から10000光年 (ハヤカワ文庫SF)(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)
可能性としては、一番最後に読んだので一番リズムに乗るぜ(鬼太郎)だっただけかも知れないが、これが一番しっくりきた。
というか、おれは、スラプスティックコメディが好きで、それはばかみたいに読みまくった筒井康隆によって知った言葉で、それがちょうど70年代の前半の頃で、というのとも関係するかも知れない。だからセールスマンのやつとかわれらなりのやつとかは、楽しい。しかし、ハドソン毛布のやつはコメディとは読めないな。
あるいは、ホーマー(ホセ?ファーマー)をちょうど読んでいたころ、それも70年代の話になるのだが、SFというジャンル小説には鬼門があって、それはつまりセックスで、それにホーマーは挑んだというようなことだ。だが、それはその時点での20年前の情報の紹介だったのだな、と気づく。どうでも良いが、妙にオールディースの緑の小人がとび跳ねる題名忘れた、と書いたら思い出したが地球の長い午後だが、に出てくるサンドウィッチねえちゃんという言葉が妙に印象的で忘れようとしても思い出せない。
つくづくわかったのは、おれは70年代のおれを80年代に殺したんだな。今、70年代前半の作品を読むことでいろいろ思い出したが、これらの作品に通底する時代精神にあまりにバランスを欠いた状態で浸かりこんでいたので、完全に嫌になったらしい。というように、人は中二病の自分を秒速で葬り去るということだろう。というわけで、なかなかに不快でもあり、しかしそういった感覚がおもしろくもあり、非常に微妙なバランスの上で楽しめた。
結局買ったシラグーザの誓ってまた見つけようを気持ちよく聴いていたら、子供に何を聴いているのか訊かれたので、チェネレントラがどうしたとか答える。
人知れぬ涙 アントニーノ・シラグーザ オペラ・アリア集(ジョアキーノ・ロッシーニ)
これは楽しい。おれの大好きなジャンニスキッキのフィレンツェ良いとこ一度はおいでよ音頭とか、マントヴァ公爵のみんながおいらを愛しているだの。しかし、ベリーニとドニゼッティはあまり好みではなかった。フロトーはみっけもの。
すると、CDケースを見ながらチェネントラか? と訊く。
いや、チェネレントラと答えると、でもチェネントラって書いてあるよとか言われて、はて、確かに。こんなとこに誤植もないだろうし、と調べると両方あることがわかった。
ロッシーニ:歌劇《シンデレラ》 [DVD](バルトリ/カンパネッラ)
チェネントラの例
ロッシーニ:歌劇「チェネレントラ」(カサロヴァ(ヴェッセリーナ))
チェネレントラの例
綴りはCenerentolaだから素直に読めばチェネレントラだけど、はて。
で、そこはインターネットだ。で、調べる。
チェネレントラ (FORVOという、このサービスはいいね。でも地図を見るとサルディーニャ訛りかも。ロッシーニがいたフィレンツェではチェネントラと発音するかも知れないわけだな)
チェネレントラ (このサイトはピンポイントでいいなぁ。もっともアリゾナ訛りの可能性はある)
コンピュータの特徴とは、ストアされたプログラムを実行することで、あらかじめ決めた手続きを高速かつ正確に再現することにある。
第二次世界大戦において、復号暗号の解読と弾道計算の2つの計算がコンピュータ開発のモティベーションとなった。
民生分野へ適用するとき、それは事務計算に対して行われた。
それまで事務計算は人間によって行われた。例外的な処理については現場の判断という柔軟な運用が可能であった。
しかしそれはコンピュータにはできないことである。
最初の価値の逆転が行われる。事務計算には例外的な処理は存在しないという前提を置くことで、この問題に対応した。
それによって、いわゆる大規模開発が許容されることとなった。開発されたシステムは中期以上にわたり変更されることはない。変更されずに使われることが前提に置かれたために、開発期間と開発要員という2つのコストを回収可能であるとされた。
これに伴い、仕様は精緻化され、すべての例外はあらかじめ規定された。
問題点があるとすれば、最初の前提、すなわち排除された柔軟な運用にある。
もし、コンピュータにおいて、柔軟な運用というものがあり得るとすれば、それはプログラマによるハックである。本来の事務計算において運用変更に対する主体性と責任を持つ人間が、問題発生時点で対応したのと同等なことをコンピュータに求めるのであれば、そのようになる。
このような方法は、事務計算分野においては行われなかった。しかし同様な運用は研究分野においては行われている。したがって、必ずしもあり得ないことではない。
SOAPとRESTを対比すると、SOAPの仕様の精緻化が、事務計算分野に対するのと同様の考えに基づいていることが理解できる。特にEncoding仕様の確立以降である。
新国立劇場にローラン・プティ版コッペリアを観に行った。
タマラ・ロホはどうやらFA制になったらしく、最近やたらと見かける。なんというか顔の写真を見るとあまり関心を持てないのだが、そうは言ってもこないだはテレビでマノンレスコーを観たし、その前にもオーロラ姫を観たしな。で、今日はスワニルダなんだが、15くらいのさかりのついた小娘の役を、びっくりするほどチャーミングに踊っていてえらく感心した。すごくかわいい。踊りというのはおもしろいもんだなぁ。
ローランプティのコッペリアはNHKのテレビで最初に観たバレエで、そのとき、なんてバレエってのはおもしろいんだろうと思ったのだが、それっきりになってしまったのは、音を聴くだけではえらくつまらないからだ。
でも、コッペリアはおもしろいということは頭の中に残っていた。
が、バーミンガムのやつを観ていて3幕で死にそうになった。えらくつまらない。こんなにつまらないバレエだったっけ? と疑問に思ったわけだが(もちろん、1幕と2幕はおもしろいのだが)、新国立劇場のパンフレットを読んで、ローランプティ版はローランプティ版だということを知り、ということは、おれの原点はローランプティ版なんじゃないかとわかり、そして観に行くことにしたのだった。
で、理解した。
ローランプティはあのつまらない3幕を完全に捨てている。とはいっても時の踊りを捨てることはできないので、2幕にエピローグを付けて、そこで結婚の踊りとして時の踊りを入れているのだった。これは良い改変。
とにかく、ロホがかわいかったということと、コッペリウスの早変わり、人形ダンス(多分、プティ本人のほうが身長があるからだと思うが、人形をうまく浮かせていたように思うが、もちろん確かな記憶ではないので、こんなもんだったのかも)、最後のぐるぐる回り、いずれも良かった。
どうでも良いがフランツがラテン系の人のせいで、元々の話が不良少女軍団の親分のスワニルダと、不良少年のボスのフランツの恋物語のせいもあって、今にもクールとか踊りだしそうな気がしたが雑念だな。
補償トランザクションの実装はそれなりに難しいわけだが、システム更新番号(あるいはそれに準ずる機能)を利用するのはどうだろうか?
並行処理が行われている時、システム更新番号はすごい勢いで変化していく。たとえば、あるトランザクションの開始時に1000だとして、終了時に1001ということはない。というのは、別のトランザクションが処理している可能性があるからだ。
しかし、そのトランザクションが更新したロウに限定すれば以前の状態を取り出せるはずだ。
実際には、トランザクションの開始時点で取得したとしても、他のトランザクションの更新待ちになる可能性があるわけだから、Oracleに限定すれば、あるロウについて必ず悲観ロックを実行し、それからシステム更新番号を取り出し、そして更新したらどうだろうか。
もし複数のロウを更新するのであれば、最初にすべての対象となるテーブルのロウに対して悲観ロックを実行する。そしてシステム更新番号を取り出し、次にすべてのロウを更新する。
トランザクションの開始時にDAOにロウデータをフィルした状態で用意すればそれなりの単純さで実現できる。
トランザクションのIDとそうやって取得したシステム更新番号をペアで持つ。
と、考えたが、そのトランザクションの処理後に更新されたらだめだ。やはり差分で補償するしか無いのかなぁ。
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