著作一覧 |
技評の細谷さんからいただいた(ありがとうございます)羽生さんの『はじめよう! 要件定義』を読んだ。
これは良い。広い範囲でお勧めする。
何が良いかと言うと3点はある。
1) ほぼ誰でもわかる(読める)実用的な本だ。
世の中には2種類の実用的な本がある。1つはアカデミック寄りな本で、もう1つは実社会向きの本だ。たとえば「関数型プログラミング-数学から実学へ」とあれば前者で、「明日から仕事に使えるちょろいぜHaskel!」なら後者だ。で、Excelの使い方やメールの書き方や歩き方については普通後者しかなく(前者があってもろくなものではなさそうな気がする)、関数型プログラミングやビジネスモデリングなら前者しかない(後者があったとしても役に立たなさそうだ)。
でも、本当は逆で、どうでも良いことこそきちんと理屈立てて容易に使いたいし、理屈立ったものは安全なのではしょりにはしょった学習方法で誰でも使えるようにするべきだ。
この本は、要件定義という実社会の要請があることに対して後者に近いかたちで書かれている(かわいいイラストが効果的だ)。なんというか、15000円の書籍を読み120万円のトレーニングを受けて客先に出ていくような内容を、はじめよう! というノリの2000円を切った(税込だと知らない)本で必要十分以上に学べる。
学べることは「なんのために」の理解と、「何をするべきか」の知識と、「どうやるか、どの順番か」の段取りの組み方だ。深入りしそうになると、参考書を読めで終わるが、それで良いと思う。
2) 練られている
とにかく読んでいて、手順と各手順で何をやるか、その目的は何か、何が出力されるかに強い説得力がある。
良いことが書いてあっても「この通りにできるなら話が早いけど……」、みたいな本もいろいろあるが、1)からこの本は理解が容易なので、できないほうがむしろおかしいと思う。
一番良いのは、受注側は最低でもこの本の内容を叩き込んでから、要件定義に入る前に発注者側に対してこの本を教科書にした3日から長くても1週間くらいの事前レクチャーを行ってから作業を始めることだろう(プロジェクト参加者全員による読書会みたいな形式が良さそうな予感)。
とくに読んでいて、ああーなるほど! と感服したのは、最後の要件定義後のラップアップフェーズの章で、過去のあるプロジェクトを思い出して反省した。
3) 短い
1)とも関るが、たかだか180ページ弱、イラスト多数、字は大き目、往復1.5時間くらいの電車の中で3日かからずに読み終わった。でも内容が薄いわけではない。端的な説明で、要件定義という作業全体の進行方法が練られているから、これで十分なのだろう(もっと食わせろと感じるところはあるが、足りない!と感じるところはほとんど無いし、そう感じるのは完璧主義の罠にハマっているだけかもしれない)。
読み始めて、面倒くさくなって途中で読むのをやめるというのを最悪とするならば、この短さは、最善のための重要なファクターとなっている。
----------------------------
読んでいて、うむ! と思った点:
データベースをプロセスに挟むことで、中抜きが実現できて、それが効率化だという指摘(P.85)
導出ルールを明示すること(P.116)。いや、まったくその通り。これは忘れてあとで痛い目に合うので、強調してあるのは実に良い。
統一は後回し。フレームワークの第一歩は3つの事例というのがあるけど(この本関係ない)、3つは作ってから共通化/統一については考えろというのは、本当に正しい。絶対に予見はできないし、すべきではない(強度が脆弱なものが共通基盤となると、間違いなく砂上に楼閣を作ることになる)。本当にその通り(P.120)。
ないがあるの検証(P.150)。正しい。本当に正しい。困っちゃうくらいに正しくて、困ることがしばしばある。
ロールごとにワークセット(本書の用語だけど、メインフレームでのジョブに近いかな)を別にするほうが、ワークセット内でロールによって分岐するより良い(P.156)。なんか正しいように感じる。これと上の3つ作ってから共通化というのは同じ問題を扱っているようだ。
要件定義の成果発表用想定問答集(P.162)。うむ、素晴らしい。
----------------------------
とはいえ、さすがに短すぎたり端折り過ぎたり、なんじゃこりゃ?という点もあった。
P.55 サンプルをいくつか作ったので眺めろと書いてあるが2つしかない。もう少し欲しい。
P.61 この時点でセキュリティ計画を入れておかないとまずい(が、そういうレベルのシステムが想定されているのではないかも知れない)。
P.114 シノニムとホモニムの図解が逆のような。
・他の本を読めというのは、薄さのためには良いことだし、具体的な書名を出さないのもそれはそれで良いと思うのだが、ERD入門だけは具体的な書名が出てくるところが(羽生さんが自信をもって進められる「他の本」だということはあるかも知れないけど)ちょっと我田引水だなと感じた。
---------------------------
きちんと分析手法を学んだ人であっても、普通の顧客に理解できるようにするという点で、そうでなければ確実に、この本は参考になると僕は思う。お勧めです。
今日は中央環状線の全線開通日だが、3/1に山手トンネルウォークに参加した。
あいにくの雨だったが、考えてみればトンネルの中を歩く分にはどうでも良いのだった。
五反田駅から大崎郵便局のほうへ行くのだが、とりあえず清正公から続く道を進んで目黒川を越えたあたりに看板を持った人がいて右へ曲がる。
海喜館を間近で見て、なるほど今となっては趣があるわいと妻と話しながら天現寺から伸びている道に突き当たると、また看板を持った人がいて山手通りのほうへ進むと、道路の中央から入れるように囲いができていた。で、トンネルめがけて進む。
こないだ仕入れた知識から、真ん中の車線で左側から入ったのだから、これは右側車線の下だろうと考えるまでもなく、だらだらと右へ曲がっていてなるほど、上下で逆向きなのだなぁと実感する。
入口からさらに進むと(あ、ETC用の発信器、受信機を眺めるのを忘れていた)、ライトニングしてあったり、いろいろ歩く人向けにギミックを仕掛けてあって楽しい。
が、しばらくして、これは道路の人たちのショー(学園祭とか、見本市とかと同じく、その業界の人が外部の人たちに自分の成果を見せるショー)なのだなぁと気付いた。
そこいらじゅうにいろいろなものと、説明員がいて見どころを説明してくれている。
8kmを掘り進む前の新品のブレードと掘り進んだ後のブレードの差とか、なるほど感がある。
で、そのブレードがついているモグラドリルの模型があって思わず写真を撮ってみたりした。
モグラドリルといえば、サンダーバード2号から出てくるお得意のマシンだったり海底軍艦だったりドリル状の円錐を横にしたものを想像するのだが、実物は円筒を横にした形で先端に回転するブレードをたくさんつけたもので、そうなのかとちょっとだけ不思議に思ったりした。
内部では掘った土をベルトコンベヤーで後ろに運んで吹き飛ばすとかいろいろ図解があってこれも楽しい。特に右側を掘ったら池尻大橋のところですとんと落として一回転させて左側を掘って帰るUターン方法の図解がなるほど感満載でおもしろかった。
あとジオラマはすさまじい人気で並ぶの面倒なので遠目に眺めたが、ジオラマ最高だな。
ふと脇を見るとロボット君みたいな顔のパネルが取り付けられていて、これは何だろう? と首をひねる。
緊急放送のスピーカーではないし、なんかのビーコンを出しているにしても金属パネルでちょっと違いそうだし。
ビーコンといえば、2点の音波の反射から渋滞状況を測定するデバイスの説明員がカチカチ音を聴かせてくれた。カチカチ音とは意外だった。もっと耳に聞こえないような音だと思っていたのだった。というか、道路はETCやNシステム含めてとっくの昔にデバイスエブリホエアのビッグデータの塊だったな。
消火栓のポンプを持たせてくれるところの解説の人に、さっきのロボット顔があったので聞いたら、熱火炎感知器だと教えてくれた。
写真を撮らなかったが折り返し地点の先は放水実験を見せてくれるようになっていたのだが、時間の折り合いが悪くて見ることはできなかった。しかし、遠くまで暗い(人も車もいないので電気をあまりつけていないのだ)トンネルが濡れている様子は、吉見の百穴の地下壕のようだったり、鍾乳洞でここから先は行けません状態となっている地底湖のようだったり、妙な趣がある。車で通過してもわからん感覚だな。
復路は右車線つまり山手通りの左車線の下を通るようになっている。
こちらは開通式で走る予定の車とか、ハトバスとか、白バイとかの広報場になっていて子供たちが大興奮。
道路公団の黄色いオートバーイは子供限定でまたがらせてくれるようになっていた。
ところが、次の警察コーナーではおっさんたちを白バイにまたがらせていて、道路公団と警察の性格の違いに興味をひかれた。
最後のところで、山手通りの合流方式で地上に戻るか、それとも非常階段で地上へ戻るかの選択制になっていたので、行きと違う方法にしようと妻と非常階段へ向かう。
数を忘れたのだが、200段とかのレベルではなかったような。これはとんでもないものを選んだと思いながら登ってみると、単純な折り返し階段というわけではなく、途中で長い横穴(ではなく通路)を通ったり、それなりに変化に富んでいてこれもおもしろかった。トンネル火災で避難とかにでもならない限り、永遠に通る機会はないのでこれも悪くない。
で、昇りきると、いきなり山手通りの中央分離帯に飛び出して、びっくりした。こんな仕組みだったのか(地下鉄の入り口みたいに屋根がついた階段というわけではなく、突然穴があるのに近い。当然普段は蓋がしてあるのだろう)。
3/7は、神奈川県民ホールで、錦織オペラで後宮からの逃走。
神奈川県民ホールって、イメージでは森の中の瀟洒な洋館風のホールをイメージしていたのだが、あまりにも想像と違ってがっかりした。
だいたい、場所がわからないのでホームページを調べたら、NHKホールを真似して作ったとか堂々と書いていて、なんでそんなところでオペラをやるんだ? と思う。子供もこれはひどいとか言って、結局、神奈川県民の紅白歌合戦に特化したのではないかと結論した。NHKホールは、とにかく収容人数が3500人とばかでかいので呼び屋がペイしやすいくて大物に使われるが、2階と3階が洞窟になっていて、PCの中音域しか出ないスピーカーをさらにくぐもらせたようなろくでもない音しか出ない最悪のホールなので、なぜ真似するのかさっぱりわからない(東京文化会館1階の奥も同じようなものだが)。ただし、3F正面の最奥は逆に良く音が通ってむしろ悪くなかったりする。
どちらにしても、神奈川の県民性が良く表れているわい(2流の東京という印象)と、出かけることにした。
ところが、東横線にたどり着けない。気付くとヒカリエに向かっている。おかしい。→の通りに進んだはずなのに。で、初めて、渋谷ダンジョンにはまったことを知る。工事していることと、長年の銀座線を降りて左へ行けば東横線ホームという根深い認知(とっくに副都心線になっていることが欠落する)が原因だ。そこで副都心線だと判明すれば後は問題なくオームの中をくぐってモスクワの地下鉄みたいに広大な地下空間へ入って落ち着く。
で、往復して、神奈川県民ホールは、へたすれば上野や初台よりも、おれにはアクセスしやすいことがわかって相当驚いた。
NHKホールの真似は、あまりにも規模が小さいワールドスクウェアクラスのホールなので、あまり問題なかった。
それにしても、いきなり台詞が日本語なのには閉口した。正確ではない。レシタティーボではなく台詞なのだから日本語なのは問題ない。なんというか、オーペラふう(ふうは一息に発声)のぉセーリフまーわしがきも(「わ」から「も」までが一息)ちーわーるいのだ(るからだまで一息)。なんで、普通の抑揚でセリフを通せないのかな?
ところが、子供に言わせると、劇団四季とか観るので演劇の抑揚には慣れているから平気だという。
演劇はこんな抑揚では話さないだろ? と不思議に思ったが、そうか、紅テントとかに親しんでいたから、比較的に普通の抑揚がおれには当然でも一般論としてはちーがうのかぁ(うからかまで一息)。
そういえば、日本語ロックといえば、my guitarをおーりぇのギツァーみたいな抑揚で発音するのが普通なのにブルーハーツは普通におれのギターと歌うなぁとか、そもそも後宮からの逃走ってのはデビュー当時の頭脳警察みたいな、本国の言葉を海外の音楽の節回しに乗せた超実験作なんだよなぁとか、ということは、ブルーハーツってのは、ウェーバーみたいなものかなぁとか、いろいろ考えて楽しむ。
ペドリロ役の高柳圭という人が、日本人テノール風(なんか鼻にかかる)妙な歌い方からフリーで、とても良いということで子供と意見が一致する。それとは別にどうも、こういう顔でこういう演技のこういう役回りを最近見たなぁとか思っていろいろ考えたらメトのメリーウィドウのニェーグシュ役の人だなと思い当る。
休憩時間にプログラムを買ったら、表紙の画にどうも見覚えがある。天野喜孝だ。しかし、物語をまったく知らずに適当に書いたように見える。登場人物の中で最も賢明で冷静で健康的なカリフが、まるでジェファーのような書かれ方だ。顔色が土気色で頬がこけているからかな? 物語とはまるで逆にコンスタンツェをカリフが誘拐しているかのようだ。
最後、カリフの大演説が長い長い。こんなに長かったかなぁと思いながら聴いていて、そうか、どこかで憎悪を寛容に変える必要があるとイスラム教国の人間がキリスト教国の人間に説教を垂れるというのは、まさに今日的な問題で、おそらくそれを意識して後宮からの逃走を上演することにしたのだな、と思い当る(深読みなだけかも知れないが)。
それにしても、その後、新教対カトリックの大バトルを海上で繰り広げることになるのに、スペイン人貴族の息子の婚約者の船にイギリス人の家来が乗ってイスラム教国の太守(先日、十字軍(だと思っていたが、どうもレコンキスタのことだろうな)に恋人だか妻だかを含む領民を大虐殺されて、財産を大量に略奪された)のところにいるという話をウィーン皇帝の依頼によってオーストリア人の作曲家がドイツ語でしかし主人公たちの名前はどうみてもイタリア人名でトルコ風音楽を取り入れて書くという多国籍っぷりがおもしろい。
後宮からは誘拐されたのであるはおもしろかった。確かに、正当な対価を払って所有したと考えている人のところから奪取するんだから、誘拐が正しいな。
長歌行というマンガを単行本で買い続けているのだが、4巻が出たところで一度更新が止まった。
長歌行は、唐の初代皇帝の長子、李建成の娘の長歌を主人公としたなかなか雄大な物語だ。
舞台も長安から辺境まで自在に駆け回る。、玄武門の変(次男の李世民が長子の李建成を暗殺して皇位に昇ったクーデター)の時に長安を脱出して、持ち前の才気と政治力(とは言え小娘っぽい失敗も多い)で仲間を増やして政権奪回を目指すのだが、歴史的な事実は李世民は貞観の治をもたらした名君なので、どうあがいても目の前には暗雲しか立ち込めていないのだが、さてどうなることやら。
実際のところ、4巻は妙につまらなくなっていたので、自然消滅なのかなぁと考えていたのだった。
そして存在すらも忘れていた頃になって、5巻と6巻が立て続けに出てきて、つまらなくなってたしなぁと思いながらも惰性で買って読んだらまた滅法おもしろい。
はて。
どうも、気付くと、突厥の王子(だが、いろいろややこしい事情があって、命が結構危なかったりする)の阿史那隼とその部下の穆金が出てくるかどうかで、ずいぶん、面白さが違うようだ。そういえば4巻は諸事情あって、長歌は阿史那隼と別れて長安近郊に単独で戻る展開だった。
で、この穆金という腹心が、キツネ目なのだった。で、腕も立つし弁も立つし、ユーモアがあって身が軽い。阿史那隼があまりに固いので、この腹心がいないと話が暗くなり過ぎるので、ちょうど良い塩梅なのだった。
はて、この構図どこかで見たぞ? と気になっていたのだが思い出した。
ベルセルクだ。セルピコがキツネ目なのでそう感じたらしい。
(他には思いつかないのだが(心当たりは幾つかあるのだが確認する気はなかったり)、どうもナンバー2はキツネ目が良いのではないかと考えたのだった。
3/14は新国立劇場でマノン・レスコー。
やたらとFBで広告していたり、前々回くらいからホワイエでチケットを売っていたり(普通はしない)していたので、よほど客入りが悪いのだろうと思ったら、これらの施策がきいたのか、ほぼほぼ満員だった。
考えてみると、マノン・レスコーは原作を読んだことはないので、おれが知っているマノン・レスコーはマスネーのマノンなのだった。
すると当然、プッチーニのマノン・レスコーは知っているマスネーのマノンと比較してみることになり、プッチーニがどういうふうに有名かつ名作な先人の作とは切り口を変えているかに着目した見方となる。
1幕は同じように馬車の駅だ。だが、どちらかというとマノン一行側から描いているマスネーと異なり、デグリュー側からの描き方だ。1幕でしか出て来ない、学友がデグリューの一目惚れを応援するために、マノンの兄貴やジェロントを出し抜く。
演出はシンプルな舞台に18世紀初頭っぽいコスプレ。
1幕の演出で妙に目についたのは、兄貴が学生たちのカード賭博に仲間入りするところで、「おいおいそれはジャックだ」と当てて見せて、それに対して「まぐれあたり」「なんだあのでしゃばり」とか言う声に対して、カードをヨーヨーのようにシャッフルしてみせる(妙な小道具を作ったものだ)。すると学生たちが「見てみろ、やつはプロだ」「やつは本物だ」と言い出す。なんだこの演出は? と思っていたのだが、そこもマスネーのマノンとの差なのだった。
マスネーのマノンでは兄貴はとても影が薄い。それに対してプッチーニでは兄貴はむしろ一番出ずっぱりで、マスネーではデグリューの大勝負が3幕の見せ場になっているのに、プッチーニでは2幕で兄貴がマノンに、「やつは心を入れ替えて稼いでいるのだ。おれの仕込みだ、間違いなし。そうさ賭場はおれらの金庫さ」とか言わせて済ませている。そこで1幕のカードのシャーカシャーカが生きてくるのだろう。
が、1幕を観ているとあまり感心しない。
プッチーニのメロディー作りは既に素晴らしいのだが、歌がオーケストラに完全に殺されているからだ。弦と木管が鳴り響いているところに歌が入って消されてしまう。
なんだ、あのすばらしい作曲家も、まだまだこのころはこんなものなのか。
マスネーでは2幕が一番の見せ場(でもないかな)で、デグリューとマノンの貧乏だけど幸福な生活(なんとなく、神田川っぽい)が描かれて、そこに小さなテーブルが入る。
ところが、こちらはいきなり天蓋付きベッドの豪華な部屋でマノンがとてつもなく化粧している。
すでに貧乏生活から脱出してジェロントの庇護下にいるのだ。そこに兄貴がやってくる。
突如、マノンがあの人と暮らしていたときは良かったわみたいな歌を歌い出す。なんと素晴らしい曲、さすがプッチーニと思っているとあっという間に終わってしまってえらくもったいない感じがする。ここでマノンを演じているヴァッシレヴァが素晴らしく美しい声の持ち主と知った。
その後も、だらだらと退屈な生活が進んで一体どうなることやらと思う間もなく、兄貴に呼ばれてデグリューがやって来るわ、そこへジェロントがやって来るわ、さっさと逃げようという兄貴とデグリューに対して、宝石を持ち出そうとマノンがだらだらするわで、憲兵にマノンは連行されてしまう。途中でデグリューとマノンの二重唱がメロディーは名曲のように感じるのだが、やはりいまいちオーケストラが強すぎていまひとつだ。特に歌手がフォルテで歌うときに金管入りで弦が一緒にフォルテで演じるのはばかじゃないのか?(ふと思ったが、天幕の向うに反響版を置けばもっと声が通るはずだからシンプル過ぎる舞台にも原因があるかも知れない)
3幕はルアーブルで、マスネーの終幕にあたる。比較的長い間奏曲があって、後半の楽想はスターウォーズのパーンパンパパパパーンパンみたいなのだが、それはともかく実にきれいな曲で、もしかしてマスカーニのカバレリアルスチカーナ(1890年に対してマノンレスコーは1893年)の成功を見てきれいな間奏曲は受けると考えたのかなとか、思った。
それにしても、兄貴もデグリューも良いが、マノンの歌手が素晴らしい。
しかし、それにしてもイタリアのオペラでフランスを舞台にしたらパリをパリとして異国情緒たっぷりに作ってしかるべきなのに、単なる室内劇にしてしまうとは、何考えてんだ? と感じたが、多分、誰もが感じたし、作曲家も感じたのだろうか、次の作品ではトーマスマンが絶賛するほどパリを描くことになるのだったな。
そして4幕はマスネーには存在しないアメリカの荒野をさまようシーンとなり、ここに至ってはじめてオーケストラと歌の釣合が取れてくる。指揮者でもオーケストラでも歌手でもなく、作曲家のオーケストレショーンがまともになったのだ。弦の合奏だけにしたりして、歌が歌として聴こえるようになる。
感動的な音楽の中でマノンは死ぬ。と思うと歌い出す。ついに死ぬ。と思うと歌い出す。そして息を引き取る。と思うと歌い出す。いい加減にうんざりしてくるとようやく死ぬ。と思うと歌い出す。
まるで、ベートーヴェンのハ短調交響曲のようだ。クナッパーツブッシュが指揮していたら、半分で終わるだろう。
プッチーニもあまりにマノンに長生きさせ過ぎてこりたのか、この後の作品では、ミミは他の連中がしゃべっている間に黙って死ぬし、トスカはいきなり塀から飛び降りるし、蝶々夫人は死ぬと宣言してきっちり死ぬし、西部の娘では縛り首にならずに生き延びて死なないですませるし、修道女アンジェリカは時空連続で天国に行くし、ジャンニスキッキでは幕が開いたときには死んでいる。
というわけで、歌手はいずれも良かったし(ポルタは道化師のときよりも、今回のデグリューのほうが似合っているように思うし、兄貴のイェニスは好きな声だし、とにかくヴァッシレヴァが素晴らしい)、オーケストレーションには納得がいかないが曲は美しいし、良い舞台だった。
そろそろ薬の残りが少なくなったので、かかりつけの医者へ行って処方箋をきってもらおうと、出かけた。
が、開院時間になっても鍵が閉まっている。おかしい。
でしばらくしたら、内側でがさがさ音がしているのが聴こえたから、ははぁ寝坊したなと思いながら、もう一度自動ドアの押手を押した。
しばらくしたら、下着のようなTシャツを着た医者が出て来た。
なんか妙な出で立ちだなと思っていたら、「頼むから休みの日くらい休ませてくれよ」と言い出した。
はて面妖な。
「今日は第2土曜日(が休院なのだ)ではないですよね?」
「きみぃ、今日は国民の祝日だよ!」
衝撃の事実。だが確かにその通りだ。
「なるほど。ごめんなさい」
「しょうがねぇなぁ」
で、結局、問診して処方箋をきってもらったのだが、矛先が振替休日に向かう(おれが、土曜日と祝日が重なったら金曜日に振り替えりゃ、忘れなくても済むんだけどな、とか言ったからだ)。
「そもそも、あれは愚劣きわまりない。」
「そんなこたないでしょ」
(はて、このおっさんは別に右翼保守主義者というわけではないから、大日本の国民の祝日をないがしろにする愚策であるとか言い出すとは思えないからだ)
「まあ、医者に限っての話だけどな。あれのおかげで若い医者は月曜日のバイトが年間10%もできなくなるんだよ。結構な痛手なんだ。金ないからな」
「はあ、そうですか」
「というわけで、処方箋を渡すが、今日は薬局も当然休みだから、4日以内、つまり月曜に行くことになるけどな、ははははは」
そんなこたないだろうと薬局に行ったら、確かに休みだった。
子供がもう一度マノン・レスコーを観るから新国立劇場に送れというので、車に乗って初台へ向かう。妻も一緒だ。
車内で子供と間奏曲の最後の動機が、2幕の最後の二重唱の最後のあたりでも出てくると話す(カーステレオからマノン・レスコーが流れていたからだ。この前車に乗ったのが、新国立劇場からの帰りで、実に良い曲だったからあらためて聴いてみようとセットしたのが、そのままになっていたのだ)。
プッチーニ 歌劇《マノン・レスコー》ミラノ・スカラ座 1998年 [DVD](ムーティ(リッカルド))
(ホセ・クーラが素晴らしい。もちろんムーティも悪くない。しかし聴けば聴くほどグレギーナの声質はマリアカラスみたいだ(が、カラスではない))
で、スターウォーズと連呼していたら、子供がふと思い出したと言い出した。
「パーンパー・パパパパーンパー・パパパパンのあと、デンドンデンドンデンドンとか間違って教えられたけど、どうしてそうなった?」
「?」
どうも、小さかったころに、妻がそう教えたらしい。
「どう聴いてもデンドンデンドンデンドンとか無いし。低音がきいた打楽器っぽいけど、どうして?」
「だって、デンドンデンドンデンドンってなるじゃない」と妻が言う。が、それはおかしい。多数決は正しい。
それから数時間して、いきなり理解した。
「お前(と、妻におれが言う)、宇宙つながりで、スターウォーズと2001年宇宙への旅をごっちゃにしたんじゃないか?」
「ほえ?」
「リヒァルトシュトラウスのツァラトゥストラかく語りきじゃん。デンドンデンドンデンドンって」
「ほえ?」
「チャーンチャーチャーン、チャチャー、デンドンデンドンデンドン」
「む、そうかも」
「いや、間違いなくそうだよ。っていうか他にデンドンデンドンデンドンなんて重低音が鳴り響く、お前さんも知っている、映画の音楽なんかないよ」
と、謎が解けた(実際のところはわからないが)。
R.シュトラウス:管弦楽曲集(9枚組)(Richard Strauss:Orchestral Works)(R.シュトラウス)
(おれはケンペが好きだ)
MacBook pro用に使っているLogicoolのマウスのチャタリングが耐え難いレベルになってきたのと同時にアマゾンのLogicoolショップのポイントキャンペーンが目に入ったので、買うことにした。
今まで使っていたM505が小型だけど適度に重くて持ちやすかったので似たようなサイズのM185というやつにした。
ロジクール ワイヤレスマウス 無線 マウスM185RD 小型 電池寿命最大12ケ月 M185 レッド 国内正規品 3年間無償保証(-)
が、軽い。悪くはないが軽い。それになんか持ち心地も良くない。
LOGICOOL ワイヤレスレーザーマウス Unifying対応レシーバー採用 M505 レッド M505RD(-)
M505とサイズは似ているが電池が1本しか入っていないからだ。脇にラバーが貼られていないのも減点ポイントだ。でも安いからしょうがないか。それにiTunesとSafari用だからいいかな。それにしても、チャタリングがひどくなったから捨てることにしたとはいえ、M505は持ち心地も良かったし、実に良いマウスだった。
で、それと同時に、コンピュータ用のマウスも買ったのだった。今使っているM560が今一つだからだ。
Logicool ロジクール ワイヤレスマウス M560 ブラック(-)
M560は、購入時に入手可能だったある程度握れるサイズのマウスでグリップ感も良かったとは言え、やはり軽い(単三電池1個)のがどうにも気に食わなかったのだった。
Logicool ロジクール ワイヤレスマラソンマウス M705t(-)
M705は電池も2本入るみたいだし、Logicoolっぽい左右非対称のデザインなのも気に入った。
で、チャタリングがひどくてすぐさま交換したM185と違って、こちらは電池がなくなってから交換しようと(M560はチャタリングが出ているわけではないので、予備としてしまっておくつもりで)そのままにしていたのが運の尽きだった。
翌日になってみると、向井さんがエルゴノミックマウスについて書いていて、ついそれを読んでしまった。
しかも『緩募:エルゴノミックマウスのおすすめ』を『エルゴノミックマウスをおすすめ』と読み間違えて、ほうそんなに良いものなら試してみようとEvoluentを買ってしまった。
Evoluent バーティカルマウス4 右利き用 VM4R(-)
届いてから、あれ尻尾が生えているとか、尻尾が生えているから電池が不要で……ということは無茶苦茶軽いとか、いろいろ失敗気分になったが、手を置いてみれば見事にはまるし、使ってみるとボタンの押しやすさが圧倒的で、特にホイールの使いやすさは最高ではないか。軽すぎるのは、確かに軽すぎるのだが、形状のせいかすぐに慣れてしまった。
これは確かに良いものだ。
というわけで、せっかく購入したM705は当分の間、出番なしになってしまった(尻尾付きマウスは大切に保存しておいてもケーブルが硬化して使いにくくなるものだが、ワイヤレスだからまあ大丈夫だろう)。
ARTSが作った電子レシートの標準がいまいちなので、修正案を作ろうと検討していたら、店に関するエンティティに名前がないことにおれも気付いた、みんな気付いた。店に関するエンティティは、識別子(まあ必要だ)、電話番号、住所なのだ。企業名はもちろんあるが。でも名前がない(追記:あくまでも電子レシート標準の定義の話で、店名という概念が無いわけではないです)。
識別子があるから名前はいらないんじゃないか? と考えたが、いや待て、これはレシートでコンシューマリーダブルな必要があるじゃん。
たとえば手元にガトーフェスタ・ハラダのレシートがある。
最初にビットマップでロゴが打たれている。パティスリークリエーション ガトーフェスタ ハラダ。
次に店の名前と電話番号がある。シャトー・デュ・ボヌール 0274-xxx。幸運のお城が店の名前だ。識別子は印刷されていない。
で、次に群馬県高崎市新町とか住所がある。
で、ご来店がどうしたとかの宣伝文、そして日付、時刻、明細とくる。
なんかアマゾンの価格は高いな。
ガトーフェスタハラダ グーテ・デ・ロワ ホワイトチョコレート 簡易大袋 W5 10枚入(-)
幸運のお城に行けば製造工程や機械が見学できて楽しいから、直接買うほうが良いな。
というのはどうでも良くて、店の名前が出ている。
ファミリーマートのレシートを見ると、先頭がFamilyMartというロゴだ。次に北青山三丁目店と印字されている。店がついているのだから、これは店名だ。
で、東京都港区どうしたと住所と電話が来る。
つまり、少なくともレシートのエンティティには店名が必要なのだ。
が、なんでARTSのスキーマには店名が定義されていないんだ? と全員、首をひねる。
そういうときのGoogle画像検索だ。
receipt templateで検索すると出てくる。うむ、店の名前は無いぞ。まあ個人商店は企業/ブランド名(上の例だとFamiliy Martとか、ガトーフェスタ・ハラダとか)が店名と等しいかも知れないから、店をたくさん持っているやつで調べなければ、と、ウォルマートを調べてみる。
……店識別子らしきものが出ているし、マネージャ(売り場主任か、店長かは知らん)の名前もある、住所、電話も当然ある。しかし店名がない(ウォルマートのレシート)。
いや、それはウォルマートはどの店でもウォルマートだからではないか?
では、ターゲットはどうだ? バーンズアンドノーブルならどうだ? と検索すると(それにしても、誰かしらレシートの写真をアップしているやつがいるのは実にありがたい)、……店の名前は無い。
もっと、高級なやつならどうだ? デパートとか。
では、ノードストロームだ。
高級なだけに簡単にはレシートの画像も見つからないが、結局順に見ていくと10何番目あたりにレシートの画像が出て来た。(最初に出てきたのは、固有情報を墨塗りした写真で、客の意識も相当高級っぽい)
でも店名は無い。
ノードストロームのロゴと、出店しているモール名(住所のうちだ)、住所、電話番号だけ。どう見ても店の名前は無い(ペンタゴンシティファッションセンターのノードストロームのレシート)。
なるほど、確かにARTS-NRFの電子レシートのスキーマに店名が未定義なのもむべなるかな。
多分、と誰かが言う。モール名があるし、いらないんだよ。
たとえば、新宿ルミネにノードストロームが入っているとするじゃん。このレシートなら、先頭がノードストロームというロゴ。次に新宿ルミネ、そして住所と電話。必要十分な情報じゃん。
とはいえ、日本だと、先頭がロゴは良いとして、次に新宿ルミネ店か新宿南口店と店名が来て、そして住所。住所の最後が新宿ルミネx階とかが来る。そうか、モール名とかビル名が最初に来るアメリカだと、新宿ルミネ店、新宿ルミネ ……と並ぶことになってくどいから店名省略なのかもとか、いくら考えてもなぜ連中は店名を使わないのかわからない。
もしかして、そういう概念がないんじゃないか? たとえば、会社で会議するときもすべて識別子で、フェニックスの018055の売り上げ目標は……とか。いや、データモデルそのものには名前がエンティティとして定義してあるからそれはあり得ないだろうとか、意外なところに日本との違いが見つかっておもしろい。
というわけで、ARTSに修正を依頼することになるのだが、なぜ日本はそんなことを言い出すんだ? なんでレシートに店の名前が必要なんだ? おかしいんじゃないか? そんなのスタンダードではありませぬとかの問答となるのが目に見えているのであった。
で、なぜ日本では店名をレシートに印字しているんだろう? 店に来ているやつは、北青山三丁目店に来ているのではなく、ファミリーマートに来ているという意識しかないはずじゃん。(でもシャトー・デュ・ボヌールはシャトー・デュ・ボヌールと意識しているかも、というのが高級店なら……という論議につながるわけだが、アメリカ人には通じないようだ)
というわけで、おもしろかった。
追記)
帝国兵氏から、COSTCOのレシートには店名があることを教えて頂きました。
@arton @takekazuomi あとこれ。COSTCOは店名と店番両方が入ってますね pic.twitter.com/LhzOjMljLv
— 帝国兵 (@superriver) March 25, 2015
(この例だと、カークランド店 008(多分、店番号=店の固有識別子)という意味のはず)
メトライブビューイングの2本立て。
イオランタはすっかり貫禄がついたネトレプコでチャイコフスキーでそれほど期待していなかったのだが、えらく良かった。
特に第五交響曲最終楽章みたいなメロディの二重唱はあまりの素晴らしさに心が揺さぶられまくる。
ベチャワが光ある世界の美しさを歌うと、ネトレプコが光のない世界の美しさを歌う。なんてコレクトなんだ、19世紀なのに。その詩の正しい美しさを歌うネトレプコがまさに天使で歌っている間は恰幅のよさもなにも目に入らずただただ音楽がある。つくづくすごい歌手だなぁ。
最後ルネ王が1人闇の中に取り残される。
青髭公の城は聞き慣れたブーレーズの演奏と異なりやたらと豪快。ゲルギエフ。演出はいささかこりすぎで、幕間にイオランタの後日談を意図したと演出家が語っていたが嘘だな。メトの予算でプロダクションを作りたかっただけだろう。もちろんオペラ史上最大の傑作なだけに悪くなかった。
青髭公の城の7つの扉は青髭公の精神を示す。最初の5つについては、青髭公はあまり抵抗せずにユディットに鍵を与える。6番目を見た後のユディットの態度に対して7番目は自ら開く。キーは6番目の白い水を湛えた湖の部屋にある。拷問部屋、武器庫は青髭公の怒、宝物庫と花園は喜、領土は楽で、これらはいずれも他者の血の上に築かれたものだ。しかし6番目の湖は哀で、ここが青髭公の絶望的な孤独を象徴する。その部屋だけ血が流れていないのは、そこには青髭公の存在しかないからだ。
しかしユディットにはそれがわからない。彼女は浅はかな誤読をして7番目の開放をねだる。彼女は城に光を入れるのだと最初に宣言している。青髭公は孤独を分かち合えるのではないかと期待していたのだ。だがそれは裏切られる。
青髭公は4度目の絶望の果てにユディットを7番目の部屋に封印する。この部屋は失われた信頼であり、後悔であり、愛の残骸なのだ。
ベーラ・バラージュの台本は明解そのものだ。
メトの演出は青髭公の絶望ではなく何やら謎めいた恐怖感に基づいた物語を語っていてそれほど感心しなかった。ただし、前口上(やたらと紳士淑女の皆様方が出てくる)付きの完全版だったのはこれまで耳にしたことがなかっただけに良かった。
バルトーク:歌劇《青ひげ公の城》 [DVD](ショルティ(サー・ゲオルグ))
(演出はあまり感心しなかったので口直しに買い置いておいたレーザーディスクを開封して観たらなかなか良かった)
電車の中で読む果てなき野望だが2週間近くかかった。Kindleだから気付かなかったが紙だと500ページを越えている大冊だったのか。
実におもしろかった。
ジェフ・ベゾス 果てなき野望-アマゾンを創った無敵の奇才経営者(ブラッド・ストーン)
ベゾスってなんなのか知らなかったが、金融工学系の証券会社の技術者上がりだったのか(子供の頃は英才教育プログラムを受けて、幼児の頃はここでも出てくるモンテソーリだ)。
要約すればこうなる。流通業で成功するには、どれだけ薄利にできるかだ。どこよりも安く仕入れ、どこよりも安く物流を維持し、どこよりも安く配送する。人件費も施設費も安く上げる。そうすればどこよりも安く売れる。しかも薄利であれば薄利であるほど、賢い人たちはこの業界へは参入しない。敵はバカだけだ(もちろんウォルマートやCOSTCOはバカではない)。安く売れば消費者は喜ぶ。結局顧客満足を向上させることは安く売ることで安く売ることは敵を減らすことだ。単純なことだ。
そのためには、どのように仕入れ体制を作り、物流を構築するか。配送料を無コストにするというのは不可能なことだ。しかし、他のコストが浮いた分で補えば、消費者へは配送料を無料にすることもできる。
人材についても同じようにやる。誰が最も効率的な物流網を構築できる? ウォルマートの物流のディレクターだ。ではヘッドハントだ。誰が最大効率の仕入れができる? ウォルマートの仕入れディレクターだ。ではヘッドハントだ。誰が玩具の仕入れセンスが鋭い? トイザらスの仕入れディレクターだ。ではヘッドハントだ。
流通業で重要なのは、顧客が買いたい商品を買いたい金額より低い価格で売る(かつ利益を得る)ことだ。
売れる商品はどうやって調べることができるか? マーケットプレイスだ。
マーケットプレイスに必要なものは? プラットフォームと集客能力があるページだ。アマゾンで最も集客能力があるのは、アマゾン評が載ったアマゾンの製品ページだ。ではマーケットプレイスの商品もそこに並べよう(当然、社内でブーイングが出る)。問題ない。売れる商品なら、出品者の価格の謎を調べ、それより安く売れば良い。
低価格商品はどうやれば調べられるか? 安売りで有名な店舗のHTMLのスクレイピングだ。
というような、AするためにはB、BするためにはC、CするためにはDの連鎖がぽんぽん凄い勢いで出てきて進軍していく。ドットコムバブル崩壊だの、すさまじいブラック企業(エアコン代をけちって救急車で運ばれる作業員が続出したためついに州当局から警告されたりというような作業環境もブラックなら、社員同士の競争させかたが下品で、ベゾスの態度もよろしくなく(途中で変わろうとするエピソードが興味深い)、給料が異様に低い、繁忙期には幹部も倉庫で出荷作業を徹夜でさせられる(ある時期までは))っぷりに従業員がどんどんやめていったりだの、リーマンショックだの次々と問題が巻き起こるが、自転車操業で乗り切りながら邁進していく(赤字を垂れ流しているのに、破綻しないのは、売り上げが巨額で資金繰りが間に合っているからだろう)。
あまりに長いので途中、ベゾスの家族関係(結構奇妙な職業歴の実の父親と、なかなか数奇な人生をたどっている育ての父親、超ヤンママだった(でも教養に乏しいわけではなさそうな)母親)がえんえんと入ったりするが、課題とその解決の繰り返しでそれがなかなかおもしろい。
というか、超薄利なので賢い人たち(グーグルとかアップルとかマイクロソフトとか)は参入しないだろうなんていう発想があるとは(後付けなんじゃないか?)想像もできなかった。恐ろしいやつだなぁ。しかも、どれだけ安く売ってもそれより安いことがあるウォルマートやCOTSCOがあり、どれだけ叩き潰しても路面店に一定以上の需要がある限り、独占禁止法でやられる心配もないわけだからうまく作ってあるように思える。
ザッポスと読んだ先から名前忘れた赤ちゃん用品の通販会社(すごく感じが良くて、読者としては判官贔屓することになる)に赤字攻撃をかけて(肉を自分で切りまくって相手の骨を断つというか)手を挙げたところを買収するところとか、多分野で商売しないとアマゾンに食われるということが良くわかっておっかない(単分野だがアマゾンのほうが先を進んでいる場合は、敵つまりバーンズアンドノーブルは単に踏みつぶす対象だというだけだが、自社よりも仕入れ能力があり、商品を目利きでき、顧客を売り上げ10億ドル単位で握った単分野の企業は、赤字攻撃で降参させて(しょせん価格の安勝高敗な世界)異様に低価格で買収する。低価格で買収というところがすごく、正義の第三者視点の読者としては気分が悪い)。
では、どうやればアマゾンを倒せるのだろう? アマゾンよりも薄利で多分野多売をするか(相当難しいはず)、単分野ならばアマゾンの低価格を無視するほどにロイヤリティが異様に高い顧客を掴むか(それがiTSかなとふと思ったが、アマゾンは本気で戦ってはいないはずというか、アップルはiTSだけで商売しているわけではないから違うか)、いろいろ思考実験をしてみる。
その他のなかなか興味深いエピソード。最初は人間の編集者と執筆者が商品を紹介していた。−アルゴリズムでお勧めするほうが低コスト高リターンとなったので人間は解雇。ーアルゴリズムが不適切なお勧めをするようになったので人間を再導入。人間とプログラム(を作るプログラマー)の社内抗争がしょっちゅう勃発している。
特に、コストを削減するために2004年頃からどんどんプログラムで解決していくところが、(もちろん技術書ではないので、具体的なことは何も書いていないけど)、おれには実に刺激的だった。
課題解決が多岐にわたっているだけにこのタイプの本としてはウォズやグーグルの本よりおもしろかった(ジョブズの本はma2のマンガしか読んでないので知らない)。
B00LUGULIO
(これはこれでおもしろい)
ジェズイットを見習え |
Before...
_ arton [いえいえ、良い本を頂けてうれしいです。まさに一気読みです。それにしても、ERD入門が売れてないって、いくらRDBが流..]
_ arton [msさん、良い本ですよ! フレームワークの3つの事例は http://www.dsc.ufcg.edu.br/~ja..]
_ ms [artonさん。買いました、読みました、良い本でした! 3つの事例は、この記事が元ネタなのですね。と著者をみてRa..]