著作一覧 |
・'High Performance Rails' - Issei Naruta
link_to 'foo', url
とlink_to 'foo', :controller => 'bar', :action => 'baz'
どちらが高速か?
なんとなく、宛先をきちんと指定しているのだから後者だろうなと思うと、10倍以上後者のほうが遅い。
・Keynote 'Concurrency in Ruby: In search of inspiration' - José Valim
キャッシュをHashに入れて、マルチスレッドで共用しているとする。困る。コンカレント耐性があるHashはどうあるべきか?
goのアクターモデルは良い。
・ 'Ruby on Windows -- the past, the present, and the future' - Usaku NAKAMURA
WindowsはUnixじゃねぇよ。MRI死守。後もう1つあったけど忘れた。追記:Windows特化機能には走らない(MRIのwin32.cに特殊な関数を入れたりはしないという意味)。
(LTでankiというツールの紹介があった。本を読む。95%は忘れる。それでいけば2/3は覚えているよ!)
・'How NougakuDo connect Windows Azure and Rails Application' - Daisuke Inoue
コンテナにサーバを詰め込んだ単位で設置する。
Q(AKR):壊れた場合はどうするんだ?
A:放置。まとめて交換する。
AKR注)Googleはラック毎交換するとかだったけど、MSはどうなんだろうな? と思って訊いた。
多分、コンテナ毎交換なんだろうなと想像する。
原始(PCになってからの話だ)、故障はマザーボード上のソケットの単位で交換していた(メモリとかCPUとか)。20年前はマザーボードを単位に交換していた。そしてラック単位の交換となり、コンテナ単位の交換となった。次は、家屋単位の交換となるだろう。
・ 'CRuby Committers Who's Who in 2013' - Tomoyuki,Chikanaga
ガチャピン先生は、Rubyを直さずにLinuxを直す。
・ジュンク堂
昨日長田さんに頼んで2冊持ってきてもらったおれのC#の本が1冊売れたそうだ。良かった! (あと、Haskell入門も売れたらしい。しかし、RealWorld HaskellとGaucheは手には取られるけど……とのことで残念だ)
JavaのHashtableは使い物にならず、HashMapと自力同期で処理するのがパターンだ。
というのは、リアルワールドではnullチェックが必須だからだ。
// ダメ(メソッド忘れたので正しいかどうかはわからない) Hashtable hash = new Hashtable(); ... if (!hash.hasElement(key)) { // 多分同期メソッド hash.append(key, value); // 同期メソッド }
// 正しい Hashtable hash = new HashTable(); ... lock (hash) { if (!hash.hasElement(key)) { // 既に同期済みなのでオーバーヘッド hash.append(key, value); }
// 望ましい HashMap hash = new HashMap(); ... lock (hash) { if (!hash.hasElement(key)) { hash.append(key, value); }
Hashtableは意味なかった。
同じことで、仮にRubyのHashMapが同期メソッドを用意してもいまいちな予感がする。
だったら、モンキーパッチライブラリでいいじゃん。
# sync_hash.rb require 'sync' class Hash include Sync_m def initialize() super end alias []= _[]= def []=(x, y) synchronize { _[]=(x, y) } end def []+=(x, y) # というのも定義できるようにする必要はあるなぁ。 synchronize { a = [](x); []=(x, a + y) } end def []||=(x, y) # というのも定義できるようにする必要はあるなぁ。 ... end
で、require 'sync_hash'
久野先生の本とかぶるのかな?
JoseのGoのアクターモデル呼び出しのやつを見ていて、ふと気付いたが、C#のasyncメソッドって正しく利用されるのだろうか?
とにかくインスタンス変数が好きで好きでたまらない人がいて、それはOOPのカプセルの考え方からは正しいのだが、privateがどうしたとかアクセサメソッドがどうしたとか、本質的なところから離れたところに拘泥して、結局、君たちグローバル変数が好きなんだね、という残念な利用法をそれなりに見ることがあるからだ。
async void Job() { var list = new List<Task<string>>(); for (var i = 0; i < 10; i++) { list.Add(Task.Factory.StartNew<string>(() => { ...... return result; } )); } var results = await Task<string[]>.WhenAll<string>(list.ToArray()); // resultsを使う }
だが、こんなことになるような予感が。
private ListResults { get; set; } // privateだし、プロパティ(アクセサメソッド)だよ! ... async void Job() { var list = new List<Task<string>>(); for (var i = 0; i < 10; i++) // こんな書き方せずに、配列に並べることになるし、ラムダ式ではなくデリゲートになるだろう(それは行数によっては正しいけど、配列に並べるのはどうだろうね? { list.Add(Task.Factory.StartNew(() => { ...... Results.Add(result); } )); } await Task.WhenAll(list.ToArray()); // 難解な<>が無くて可読性がすごく高い!(でも上の例は明示してるけど、いらなかったような) メソッドの行数も少ない! // Resultsを使う }
Kindleストアで早川SFがポイント還元半額セールみたいなのをやっているとma2さんがfbに投げていたので、お勧めを幾つか聞いて買った。
B00AT6ST12
量子怪盗 新★ハヤカワ・SF・シリーズ(ハンヌ・ライアニエミ)
良くわからないが、最後の量子怪盗は、ポイントが付かないのだな。
dbmにはたくさん種類があり、ヘッダとライブラリ(外部のsoの場合もあればlibc組み込みの場合もある)が当然分かれているので、すべてをうまくやろうとすると大変。
#ifdefによる切り替え先マクロ名にタイポがあり、常に無効となっていたため、たまたまうまくいっていた時期がある。
ヘッダとライブラリの分離はよろしくない。(が、一致させればすべて解決するというわけではないのは、Javaが証明している)
結局、20年間以上の結論は、MS方式(サイドバイサイド)なんじゃないかなぁとおれは思う。libcにはメモリアロケーションとIOプリミティブ(open, read, writeなどだけ)だけが入る。→なんかマイクロカーネルをプロセスモデルに敷衍したみたいな感じだが、きっとそうなんじゃないか。TBクラスのハードディスクがあり、メモリーは普通のパソコンで8GBあるわけだし(=なので1つのプロセスが複数の異なるライブラリをロードしてもびくともしないだろう)。
先日昼飯食った後、古本屋へ行ってうろうろしてたら、岩波のフーシェがあったので買った。読んだ。読み終わった。
ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)(シュテファン・ツワイク)
フーシェは、元々商人の息子で、しかし賢いので教会に入り、教師をやる(どうも革命前のフランスでは教会が学校の役回りもしていたらしい)。
が、革命の時代がやってくる。
フーシェは、ロベスピエールなどとともにナントの革命グループに入る。ロベスピエールの妹と婚約したり破棄したり(あるいはされたり、経緯はわかっていないらしい)し、裕福な商人の跡取り娘(しかし不細工)と結婚する。
よほど歴史の本にしつこく書かれているのか、ツヴァイクは妻が出てくるたびに「不器量な妻」「不細工な妻」「醜い妻」としつこく強調する。強調する理由のひとつに、(そういう価値観があることは当然わかる)それだけ不細工にもかかわらず、フーシェはこの奥さんに対しては最後まで非常に愛情を注いで、良き家庭人だったらしいからだ。もっともフーシェもブ男、醜いとか散々の書かれようである。
さて、フーシェは、常にたった1つの党、派閥、グループに属する。徹底的な嗅覚と才覚と立ち回りにより。それは、「多数党」だ。
というわけで、最初はジロンド党に入り、そこでロベスピエールと決別するのだが、ルイ14世への投票時にはジャコバンに入っている。そして、リヨンで大虐殺を指導する。激烈な共産主義者である。
が、やり過ぎた。おまけに(常に多数党という点では首尾一貫しているが)政治的にはまったく主張もなにもない。かくしてロベスピエールとの戦いが始まる。
フーシェは多数派工作を行い、ジャコバンの党首に選ばれる。
ロベスピエール激怒。本気で殺しにかかる。
フーシェ謝りながら、多数派工作を行い、テルミドールの反動をうまくまとめてロベスピエールを返り討ちにする。
が、あまりの無節操っぷりとリヨン指導がたたり、追放される。以後、バラスの庇護を受けながら、屋根裏でのどん底生活が始まる(豚飼いに落ちぶれていたらしい)。醜い妻と醜い子供、しかも子供はどんどん死ぬ。しかし愛情を注ぐ。(テルミドール直前にも、愛児(これも醜いらしい)が病気で死ぬという打撃を受けている)
バラスの天下がやって来る。警視総監となり、巧妙なスパイ組織を開発する。
そしてブリュメール18日にはナポレオンと会談をする。フーシェはナポレオンのまぎれもない天才にひれ伏す。一方ナポレオンはフーシェの遠見明察に感心する。バラスを追放し、二人三脚が始まる。この時期の王党派テロリストの摘発は実にかっこいい。
その後、ナポレオン追放時にはタレーランと組む。ナポレオンが戻って来た時にはナポレオンと組む。
しかしその間にナポレオン後について策謀を開始し、3人組体制を経て、ルイ18世に政治を売り渡す。(その直前に醜い妻を病気で失う)
しかし、マリーアントワネットの娘(超過激王党派)の徹底的な嫌がらせによって、公職追放、国家追放となり、オーストリア帝国での亡命生活を送る。(財産は没収されていないのだけが救い)最晩年にはイタリアのオーストリー占領地で少しはまともな暮らしを送る。ナポレオンの不出来な兄弟などかっての政敵、今は同じく追放された身分の人たちと昔話をしながら死ぬ。
曹操が袁紹の手紙を燃やしたがごとく、秘密警察時代に手に入れた多数の文書も消してしまった。
という一生だが、抜群におもしろい。
おもしろい理由は簡単で、フーシェがまさに現代人として描かれているからだ。理想も信念もなく、(ツヴァイクはルイ18世に政権を売り渡した点を非難するが、その一方で、諸外国との関係改善にはやむを得ないとも書く。結局、タレーランに死刑にすべき反王党派の名簿作りを強制された時点で、職を辞せば良かったのに、そうしなかったのが命取りだとしている)、金と名誉と権力はあっても、それを楽しく使うこともなく(おそらく)、ひたすら情報を蓄積、分析することに熱中し、特にこれといった感情もなく、ただひたすらに生き延びて情報を握ることに集中する姿が最高にかっこいいのだった。
ここまで無目的な人生というのはすごいことだ。理想の官僚の姿と言える。
(リヨンでは大虐殺を指導したが、それ以降は極力死刑を回避するために、先回りして脅して手を引かせるというテクニックを多用している。そのあたりのロベスピエールと対照的な非潔癖症あるいは人情味(というとなんかすごくこの人物にはあてはまらない感じだが、殺さないで済ませるということはそういうことだろうし、家族愛に満ちているという人柄もからむのかも。商人的な道徳心の持ち主と考えれば良いのかも知れないが、結局、理想「あるべき、でなければならない」があって政治をしているのではなく、おもしろいから政治をしている――というよりも、秘密を(自分に対して)明らかにしたいだけで、秘密を暴いて人々の関連性を明確化することが楽しいのだと想像してみる。つまりフーシェとは、フーシェをハブにして秘密警察と密告組織によってネットワークが張り巡らされた脳みそSNSなのだ――という余裕の結果だと考えられる)も評価ポイント)
新国立劇場でコジファントゥッテ。アルフォンゾのキャピング場はこれで2回目だ(なんか3回目と勘違いしてた)。
前回、つまり初回は3.11の直後で、演出家などが日本に来なかった(が、エレールはちゃんと来て、ますます好きになったが、最近はどんな仕事をしているんだろう)のを思い出した。が、それはそれとして、2回目見ても、これはやはり良い演出だ。今日、気付いたのは、木をナイフで削るのは、アルフォンゾ登場シーンだけではなく、グリエルモがフェルナンドを待っているシーンでも行っていた。いや、そうなればプログラムに軽く書いてある象徴的意味はますますもって明らかだ。
歌手はいずれも良い感じで、見た目は屋台のホットドッグ屋から財をなしたようなアルフォンゾが、前回の演出とはえらく雰囲気が異なるのだが、悪くなく、フィオルディリージのミア・パーションは、なるほどこれは人気上昇中なのも当然、ドラベッラのジェニファー・ホロウェイは妙なホワイトノイズが入る声なのだが、なんかおれは好きな声だ。デスピーナの天羽は雰囲気含めてとてもよく(初回の髪形爆発のデスピーナよりも明らかに好きだ)、ただし曲はそれほど好きではない(というか、モーツァルトはそれほどおもしろいと思わないのだからどうしようもない)。
ところが、イブアダム(蝶々夫人の指揮がとてもよかったので名前を憶えているのだが、こんなに四角い太っちょだったけなぁと、随分、記憶と異なる。指揮っぷり通りに颯爽としたナイスガイだと思ってた。見た目は服のせいもあるが、ミニパッパーノと言う感じだ)の指揮が実に良い。序曲の木管がぽぽぽぽぽぽぽぽ、ぽぽぽぽぽぽぽぽ、入るところの抜群のユーモアといい、それがぱーらぱらぱらぱんぱんぱんぱんで収まるところの歯切れよさといい、実に楽しく、あれ、こんなにおもしろい曲だったっけ、と驚いた。
すぎむしさんがtwitterで教えてくれて、おもしろそうだから購入した本をだいたい読んだが、感心しない。
音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか (ブルーバックス)(小方 厚)
知ってることしか書いてないから、おーなるほど、という喜びを得られないのはともかくとして、どうも、この人は楽器を操作したことがないのではないだろうか。そのために、ぶれのおもしろさや、共鳴の楽しさみたいなことが、きれいさっぱり抜け落ちていて、はて、一体、何を書いているのだろう? と不思議になる。そこにこそ、まさにおもしろさがあるのだが。しかも、書いている内容に比べて量が多すぎる。普通の本なら10ページくらいの内容だと思う。
特に前書きに、類書が無いというようなえらく肩肘張った自負が書いてあって期待を高めてくれたのに、どうして、ここまで当たり前の前提知識みたいなことを延々と書いて得意げなんだろう? 不思議だ。
せめて神秘和音の比率(これが良くわからないので知りたかったのだが、そういうことは書いてない。増4度-減4度-4度-増4度、それに続けて4度の3和音、つまりド-ファシャープ-シフラット-ミ-ラ-レとなるのだが、以前、何かでこの音程をどうスクリアビンが導いたかの説明を読んで、まったく理解できなかった(うえに、何の本か忘れてしまってもう読めない)ので、何か説明があるのかと期待していたのだった)の理由づけでも書いてあれば良かったのだが。
そういう知らないことがわかるかなと思って、見事に期待を裏切られたことに、なぜ4度については増/減を使うのかも不思議なのだが、これもただ増4度とか書いているだけで、理由はわからなかった。
書いていないことをあげつらうのはばかげているとは重々承知だが、それにしても、ここまで前書きの大言壮語の割に、書いていないことが多すぎる本は、これまでお目にかかったことはない。音程がどうしたとかいうのであれば、なぜ秦律(呂氏がまとめたので秦律と呼ぶというようなのを読んだ覚えがあるのだが、この語は秦の法律のことみたいだ。なんだっけなぁ?)についての見解が含まれないのだろうか? (これもさっぱりわからないので、知りたく思っていたのだった)
増4度といえば、リストで、このへんてこな音程は実におもしろい。
リスト:ダンテを読んで - ソナタ風幻想曲、他 (Liszt / Lise De La Salle) [日本語解説書付](リーズ・ドゥ・ラ・サール)
(このCDおもしろそうだ)
感想としては、この著者はオープンソース的な考え方(自分が使うものを自分で変えることができるとか、世界を自分で定義し直すとか)が出来ない人だということをえらく感じた。
ピアノが家にあれば、蓋をあけてハープのようにかき鳴らしてみたり、あるいは調律師が、キュッと一締めしてポンと打鍵すると、ごく微妙に共鳴が変わっていったりするのに、目を丸くしたり、たかだかハノンを弾いていても、ある2つのキーの組み合わせに限ってどこかでピンピン妙な音がして、ピアノの上にたまたま置かれているキーホルダーをどかすとその音が消えてなくなったり、ピアノの回りには謎と驚異にあふれていると思うのだ(というか、おれはそうだった)。それが、この本を読むと、ピアノでドを打鍵するとドが出るという、それは電子ピアノだろ? とツッコミたくなるようなことを平然と書いている。
そうではない。ピアノは弦楽器だ。
ホンキートンキーなおもしろさを、そのまま使うことで新たな可能性を見つけた西部のピアノ弾きや、ものを挟んで、思わぬ音程を得ることで明確に枠組みを変えて見せたジョンケージが、まるで存在しないかのようだ。
fbでかずひこさんが、子供が機嫌が悪いときに「かずひこ君、きらい」と言うと書いていて、ほほえましく思いながら、いろいろ思い出す。
以前、shiroさんの日記で、子供が怒ると捨て身の攻撃で「てんぐしゃーん」と言うとあって、これもえらくおもしろかった。
自分の子供はどうだったろうか? と考えると、最初に思い出すのは「かーくん、あっち行く」だ。
2歳になるかならないかくらいではなかったか。3歳にはなっていないと思うのだが、なぜか、おれに怒られたりすると「かーくん、あっち行く」と言う。
まあ、あっち行けという命令形を知るはずもないから、あっち行くは良いとして、前半の「かーくん」というのがさっぱりわからない。
で、妻といろいろ考えていたら、ふと、「かーしゃん」と妻を呼ぶことに気付く。というか、妻が自分のことをおかーさんと自称しているから、それをかーしゃんと呼ぶのはおかしくはない。が、おれはかーくんなんてカッパかカラスみたいな自称をしたこたない。
が、公園の友達かテレビか何かわからないが、女性には「さん」、男性には「くん」を付けるものだという考えが生じて、おれを「かーさん」の男性版と認識して「かーくん」と呼ぶのではないか? と仮説を立てた。いや、そこまで考えているはずないだろう、とも思うのだが、それにしてはどこから「かーくん」というのが湧いて来たのか不思議な話だった。
decrypt時にfinalで、この例外が出たら、ivやkeyの設定前にencryptまたはdecryptを呼んでいるかを確認する。
呼び出し順に依存関係がある。
るりまには手順が明記されている。
歴史の本を眺めていると、おおざっぱには似たような時期に、しかしお互いにどう考えても疎でありながら、似たような不可解な行動を取る人を見つけて、不思議に思う。
そこに何か共通点があれば、不可解な行動を取った理由がわかるかも、とあれこれ想像してみても、しかし、やはり不可解な行動であった。
ハンニバル・バルカ。紀元前216年にカンネの戦いでローマ軍に壊滅的打撃を与えた。このままローマへ進軍すれば、ローマ帝国ではなくカルタゴが歴史を作ったかも知れない。が、留まる。
楽毅。紀元前284年に済西の戦いで済に壊滅的打撃を与えた。(ja.Wikipediaの記述は僕が以前読んだ楽毅が止めをささずに単に時間を潰しているように見えた、という歴史があったようには読めない)しかし完全に滅ぼさず留まる。
カンネの戦いをja.wikipediaで読むと、第一次北伐での魏延の長安進軍案を退けた諸葛孔明を思わせないでもない。
攻め取っても行政機構を完全に構築し政治を掌握できなければ結局は無駄になるという考え方は、諸葛孔明の侵略についての政治方針だった(南攻時に直接支配とせずに、孟獲を王として留めた)ので、これは理解できることではある。(さかのぼれば、その考え方は近攻遠交という范雎の軍略にあり、それによって秦が帝国を築いたことを考えればもっともなことであった)
ちょっと用があって、河口湖のほうへ行く。
すると、かちかち山ロープウェイという、以前、子供の頃に来た時はなかったものがあって、妙だから乗ってみた。
入口の階段には、子供だましの絵がついた平仮名の看板が何枚もかけてあって、かちかち山の物語になっている。絵と同じく内容も子供だましだろうと思って読んでいると、シルエットでたぬきがばあさんを叩き殺している絵が出てきて、おや? と読むと、本格的なかちかち山になっていた。ばばじる食わなければじいさんじゃないので、その本格っぷりには感心した。(曽野綾子ではないので、最後に余分な一枚がついていたりはしないけど)
で、その他の看板とか読み、どうやら太宰治が『お伽草子』を書くにあたって、この山をかちかち山のモデルにしたというような実に胡散臭い理由(船津の裏山が舞台らしいと太宰治自身が書いているから確かに言及されているのは事実だけど何を根拠に太宰治はそう書いたのだろうか?)から、本来は嘯山という名前だがかちかち山と呼ぶことにしたとか嘯いていてさすが嘯山と、さらに感心した。
で、だらだらと帰りはロープウェイに乗らずに山道を歩いて湖畔へ戻ったのだが、途中、開けた場所に、石碑が立っていて、太宰治の『惚れたが悪いか』が彫ってある。
それですっかり興ざめしてしまった。
太宰治の言葉を掲げるのであれば、ここはやはり、「遊びに來ましたよ。うふふ。」でなければかちかち山としては筋が通らない。せっかく、太宰治の苦言を取り入れてばばじるに言及しているのだから(と思う。そうでなければ、あの絵柄で本格的なかちかち山を書いている理由がつかない)もう一歩というところだ。
それにしても、知らないうちに、富士山周辺はすっかり国際的な観光地域になっていて、どこへ行っても知らない言葉で話す人々がいて、それはそれで感心した。
その後、西湖のほうへ足を延ばしてこうもり穴(以前来た時は入れないように封印されていたと思うのだが、途中まで入れるように整備されていて、入口でヘルメットを貸してくれた。何度か頭をぶつけたので、これは良いサービスだ)や、氷穴とかに潜って、それなりに楽しめた。
(こうもり穴の脇に展示場があって、生息しているコウモリの情報などがパネル展示してあるのは良いが、それ以上にバットマン(それもコメディタッチのテレビ時代のやつ)のポスターが多くて、なんだかよくわからないことになっていて、不思議な感じだった)
とは言え、そこにいたアベックの女のほう(20代前半くらいかな)がパネルを眺めて、男に「ねえ、コウモリって哺乳類なんだって。知ってた?」「まじかー」みたいな会話をしているのを耳にして、パネル展示ってしておくものなんだな、とつくづくと思った。あと、現在600羽以上を観測したとか書いてあって(以前はもっとたくさんいたのだが、絶滅寸前まで進んだらしい)、暗闇でコウモリを600以上カウントしたのか、と管理している人の苦労に感心したりしてみた。
須走というところの道の駅に寄ると、トウモロコシを売っていて、生でも食えると書いてある。
そういえば、三島の呑み屋で、トウモロコシの刺身を食ったなぁとか思い出し、買ってみた。すると、店のおっさんが、生で食うなら今日のうちだよ、とか教えてくれた。
で、帰って生で食ってみると、汁気がフレッシュで甘味があるし、これはおいしい。
食べきれなかった分は茹でたが、それはそれでおいしそうなので、ちょっと食った。すると、多少の粘り気が出て、それはそれで良いものだが、なるほど、生で食うのと加熱したのでは味わいが相当違うものだな、とわかった。
それにしても、以前はとうもろこしを生で食べるとは考えもしなかったが、生食できるような品種ができたのかなぁとか不思議がっていると、妻が、単に採れたてだからじゃないか? と言う。生協の野菜宅配でもその日のうちなら生食OKとあったりするよ。
トラックによる物流革命より前は、魚は基本的に干物だったのと同じことで、トウモロコシも(日持ちがするということもあって)加熱前提で流通させていたのを、変えてみたのかな? であれば、生で食べるほうが余分な手間をかけずにすんで簡単だから、最初からそれ前提で流通させれば良いのになと思った(が、それはおれが焼トウモロコシより茹トウモロコシが好きなことの延長上の発想をしているからだろう。焼トウモロコシの香ばしさを最上とすれば、生で食べることにメリットは無いことになる)。
読了。
素晴らしくおもしろかった。というか、現代に至っても、こんなにSFなSFがあり得るのか、と読みながら讃嘆しまくる。
まずSFっぽいカタカナが頻出するが、ほとんど説明がない。そのため、記述された説明(イマーという言葉が頻出し、主人公はイマーに耐えられる能力を持つのだが、恒常宇宙論とは多分まったく関係なく、ワープ中に通過している空間だか時間だかのことだ)や、似た言葉(オートムという動くものが出てくるのだが、アンドロイドではないがあたかも人間のように自立して動くロボットの意味だ)から、それが何か類推し読むことになるのだが、その読者の読む行為が物語のキーとなることだった。
SFっぽいSFでカタカナがたくさん出てきて、奇妙な宇宙人との対話(ファーストコンタクトではなく、新たな次元への出会いの深化に関するという意味でセカンドコンタクトと呼んでも良いかも知れない)の話だが、Sは社会科学のほうのSだった。
舞台はイマーでとりあえず到達可能な最果ての星の人類かも知れない主人公が属する生き物の都市で、その星には元から住む宇宙人がいる。口が2つあるので言葉が同時に2つ発せられる。人類っぽい連中は、最初巧妙な翻訳マシンで彼らに語り掛けるがまったく通じない。実はこの連中の言葉は思考と発音が一致していなければならないからだ。マシンは思考がないのでどれだけ正しく発音しても意味が通じない。
という点を前提として、その星の奇妙な政治状況や社会体制が物語られ、宗主星からの介入とそれに由来する崩壊などなどが起きる。それらをうまく結び合わせて巧妙に変化を物語って、大長編らしい(Kindleで読んだので実際の量に対する実感がまったくない)が飽きさせることなく、最後へ向けて読むことになった。
時間軸はA→B→Cと3つの地点に設定され、最初はAとBから中心へ向かい交互に進むが、ある時点から、BからCへ向けて直線状に進む。妙な構成だが、最初のAとBから中心へ向かうところを、そう構成することで、背景を読者へ納得させたかったのかも知れない。そのくらい、念入りに物語を仕込む必要がある程度に、世界の前提が凝っている。
翻訳のせいか、そういう書き方なのか良くわからないが、比較的最初のほうで奇妙な書き方をしていて引っかかる。
結婚もすごく得意だったとは言えないが、ほかの多くの人びとよりはましだった。……くりかえすが、わたしは結婚が苦手なわけではない。
得意? 苦手? セックスの言い換えとして結婚という語を使っているのか? が、しばらくすると普通にセックスという言葉が出てくるのでそうではなく、それが結婚だということがわかり、では、その結婚というのはいったいなんなのか? と疑問に思う。すると夫が出てきて(主人公にして一人称の語り手は女性だ)、このふたりはいろいろ試すがどうもセックスはできていないらしいことがわかる。はて、どちらも人間型の生物のようだがどういう意味なのだろう? と不思議になり、さらに愛人が出てきたりして、しかし、この作家はガチバルビと異なり、セクシャルな描写はほとんどしないので、さっぱりわからない(ほのめかしにより、なんとなくわからなくもなくもない)。そこで気付くと、この作品において、語られることは、主人公が見聞きした範囲で、かつ、主人公が語っても良いと決めたことに限定されていることがわかる。このため、さらにいくつもの語られないことが(主に私生活に関して)出現し、それはあえて伏せた伏線のようでもあり、単なる陰影のようであり、実際、まったくなんの意味も物語上は持たないもののようであり、実に奇妙な雰囲気を作っている。
語られないことであっても、実際にそこで何かが行われて、何かしらの事実がある。というのも、物語のキーとなることだった。
と、細部まで巧妙なのだか、意図せずに巧妙な細部が作られたのか、読者が解釈する余地を十分に取って、まさに想像力による驚異が味わえる作品だった。
おもしろかった。
子供にかちかち山の太宰治の碑のところで、「遊びに来ましたよ、うふふふ」がいかに名セリフであるかについて講釈たれてたら、そういう決まり文句といえば、「たま虫ですよ」ですよ、と言い出した。
なんだそれ?
すると、学生輪切りの共通の話題というものを教えてくれた。
受験のために、センター試験の昨年度のはやる。そして本年度のもやる。そのため、ある1つの年齢の全国のセンター試験を受けた人間には、それが共通の話題となる。
たとえば、2012年度では、
・数ⅠAの陰鬱
・おっさん声の4つの仮装
・たま虫ですよ
が、トピックだと言い出した(ちょっと忘れたが、もっとキャッチーな言い方だったような)。
いいから、たま虫ですよってなんだ?
まあ、待て、話には順番がある。
通常、数ⅠAは楽勝なのだが、昨年度は何やら様子が異なり、終わった後、誰もがしんとして声も立てなかった。(そのかわり数ⅡBが異様に簡単だった)
次に英語のヒアリングだ。どういうハロウィンの仮装をしたかを聞き取るのだが、格好の幼稚さに対して声がおっさん(中年男性)というあり得なさ。
で、たま虫ですよ、なのだが、あるところに男がいて、この男、ここぞという時に、必ずたま虫を見る。そのため、たま虫の存在に、何か運命的なものを感じている。さて、恋人との別れのときだった。彼女が男の服に虫がついているのを見つけ払いのけた。が、それは、たま虫だった。な、何をするんだ、と、男は仰天して悲痛に絶叫する。「たま虫ですよ」
という話を聞かせてくれた。それは……たま虫ですよ。
ちなみに2013年度はスピンスピンだそうだ。
で作者の名前が思い出せないなぁとか言っていたが、そのあと、太宰治→富嶽八景→天下茶屋→井伏鱒二とつながっていくのであった。
最近、今頃になってCAPIと格闘している。
で、世の中、SHA-*`や対称鍵を使った暗号化/復号の用例は山ほどあるのに、RSAの例が少ない。多分、RSAを使うようなのはインフラに組み込まれていて、アプリケーションが自分で利用しないからだろうなぁとか想像してみたりする。
ところが、RSAを使うときに出てくる関数がやたらと使い出がある。
CryptStringToBinaryとCryptBinaryToStringだ。
この2つの関数は純粋にCAPIの中でヘルパという位置づけなのか、CryptAcquireContextを事前に呼び出してハンドルを用意したりせずにすぐに使える。
何に使えるかといえば、Base64、ニブル形式文字列(バイト列"\0\13AB"を"00134142"で表現するなどのように4ビット単位に0-FでASCII化したもの)などの文字列-バイト列の相互変換だ。
もちろんRSAの鍵に使うのが元々用意した理由だと思うので、当然のようにPEMをそのまま与えることができる。しかも、CRYPT_STRING_ANYというフラグを与えれば、PEM、プレーンなBase64、バイナリのどれでも勝手にバイト列化するなど、変換指定のフラグもやたらと用意されている(なんでorしたり+したりせずに、山ほど定数を定義しているのかは謎だが、おそらくIntelliSenceで選択しやすさだろう)。
が、CEのCAPIには含まれていなかった。残念。
ハヤカワKindleポイント還元セールで購入した機龍警察を読了。
読んでいる間は先が楽しみで、おもしろかったが、その一方で非常に複雑な嫌な気持ちにもなる。
まず、テンポ良く、次々に事件が起き、単なる日常風景の描写でも退屈させない工夫はあるし、小説としては文句なくおもしろかったのは事実だ。
でも、これって全然SFでもなんでもないよ。
どちらかというと、警察組織の中で孤立した部署の中でさらに個人的な心の闇によって孤立した人々が黙々と仕事をするという、なんというか、ビジネス小説みたいなものだ。しかも、孤立しているのに、すぐに使命感を高く掲げるので、読んでいて嘘くさくてたまらない(いや、もしかすると、この部分がSFなのかも知れない)。
そのため、時々、体言止めを多用した妙に感傷的な記述方法が続くところがあって、そういうところは非常に鼻白む。
いや、確かに性格分けもうまくいっている。
機龍という早い話がモビールスーツの搭乗者は、軽口をぽんぽん叩く傭兵のとっぽい日本人と、過去にモスクワ市警で何かいやなことがあったらしき金髪碧眼の非常にまじめで義理堅いロシア人、IRAの未来組織の抜け忍みたいな死にたがり(自分が死にたいくらいなので他人の死についても平気)の女テロリスト(この女が出てくると、すぐにバッハのG線上のアリアがどうしたみたいなBGMが流れて、これもちょっと気恥ずかしい)、それと謎に満ちた高級官僚の組織者、優秀な警察官僚、メガネっ子の女科学者(モビールスーツの責任者)、まあうまくできている。
いや、もうここまで書いただけで、軽口をぽんぽん叩くとっぽい中国人と、くそまじめなレーサーの死にぞこない(TV版009の島村ジョーみたいだ)の日本人、情け容赦ないパレスチナ人の女テロリストと、謎の高級官僚っぽい組織者の顔が浮かんで、これってデスハンターじゃんという気分になってくる。
で、デスハンターは宇宙人からの侵略から地球を防衛するというようなお題目はあるが、実際には単に自分が生き延びるために戦う物語(+ディックのような実存的問題)なので、余計な能書きが付かない分、実に気分が良いのだが、こちらは同じようなシチューエーションでも市民を守る我々警察はぁーみたいなお題目が常に出てくるので、どうにもノリが悪い。
とは言え、中学生の頃に読んだら、確実にはまって続編も買って読むだろうなぁ。
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アマゾン評を眺めると、おもしろかったが……みたいなのが多いから、多分、同じように何か欠落しているものを感じるのだろう。(で、その欠落を警察という組織のお話で埋めようとしているのかも知れない)
まあ、暇つぶしの娯楽作品としては良い出来だと思った。
で、続きを読むかどうかは迷うところだ。
デスハンターは比較的薄いハヤカワJAだったけど、なんか2分冊に増えているから、むしろこっちを読み直してみようかな(多分、がっかりしそうな予感がある)。
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FBではma2さんから三冊目(まだ読んでいないけど)を読むために読んでるんだと言われるし、ぽっぺんさんからも2巻から大化けとツッコまれるし、おもしろかったのは事実なので、続きも買ってしまった。
で、ふと調べると、元々ぽっぺんさんの書評(1冊目と2冊目)を読んでおもしろそうだと思っていたことを思い出したのだった。
機龍警察 自爆条項 (ハヤカワ・ミステリワールド)(月村 了衛)
(Kindle化リクエストを受け付けているがなんのことはなく、文庫版のほうでKindle化されているのだが、どうもアマゾンはこういうツメが甘い)
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面倒なんで、一気に3巻(これもKindle版)も買ってしまった。
(ここには『紙の本の長さ: 167 ページ』と書いてあるので、ずいぶん薄い本だなと思ったが、実際の紙の本を見ると『単行本: 416ページ』と書いてあって、むちゃくちゃだ)
あー、こんなことなら、ポイント還元セール中にまとめて購入しておくんだった。
それにしても、物理的な場所を取らないというのは相当に書籍購入の心理的障壁が低くなってよくないな。
21日に残り2巻分買って、結局、4日で全部読んでしまった。
それは息もつかせぬ面白さだ。
が、2巻目(自爆条項)を読んでも、なんか違和感(というよりも不快感)はそれほど変わらない。というか、G線上のアリアがどうしたに加えて、下手な線路の詩(この詩が大してうまくないことは物語の中で逆に意図を持つことになって、そういうところの小賢しいとさえ言える物語作りの巧みさはそれは見事なものだけど)と、どうでもよいエッセイが追加されてよりパワーアップだった。しかも、体言止めの感傷的な段落がばんばん挟まる(意図的に感傷的な印象を生むために奇妙な体言止めの連続をあえて繰り出してくるわけで、この作家が技巧的にもうまいのはわかるが、辟易する)。大体、そこでG線上のアリアに無理がある。そこはやはり、主よ人の望みの喜びをだろ(羊はやすらかに草をはみだとさすがにあざとすぎるけど、)。
どうしてかなぁと考えて、わかった。
出てくる人物に誰一人として共感できないからだ。
技巧に走り過ぎている例:夏川コンビは、他の警官から疎外されているが、実にまじめに仕事をしているので、共感しやすいのだが、モビールスーツ乗務員に対して偏見があり、しかもそれが相似の負の構造(警察組織の閉鎖性)だと自覚している。負の構造だと気付いているなら、偏見を捨てろよ。
メガネっ子の科学者:雇われテロリストを見かけるたびにいちいち拒否反応を示すが、少なくとも自分に関するテロの実行犯ではないことを知っている。同一組織に関連している人間ということだけでいちいち拒否反応を示すというのは、南京で爺さんを殺したのと同じ日本人だというだけで、未だに何かあれば日本車のディーラーや大使館を襲撃したりするバカと変わらない。バカは嫌いだ。
組織者の元外交官:人格をあえてなくして描写しているから、共感もへったくれもない。
取り巻く優秀な官僚たち:単なる組織をきちんと回すための機械として描いているから共感もへったくれもない。
現場の人たち:それぞれ味もあれば人間味もあるのだが、しょせんモブで何かあればすぐ死んでしまうから共感もへったくれもない(1巻の突撃班長が良い例)
傭兵:実に感じが良いやつなのだが、過去の心情を描いていた1巻から、主役がテロリストへシフトしたため、単に作戦会議の最中に、議題と進行方向について、読者のための解説をする機能的な存在と堕しているため、共感もへったくれもない。
テロリスト:さすがに感傷的過ぎて共感もへったくれもない。
テロリストのえらい人:途中まで良い線いくのだが、作者がこの男にマイナスの側面をすべて投入する必要があったために、途中から単なる卑劣漢として描かれていて、共感もへったくれもない。
ロシア人:いいやつっぽいけど真面目すぎてうっとうしい。
謎の中国人:こいつか! と思わせるのだが、いかんせん出番が少ない。
というぐあいなので、個性的な(しかし十分に予想の範囲内でステロタイプな--エンターテインメントなのだから悪いことではない)登場人物、次から次へと発生する事件と、謎、そう来るかと感嘆せざるを得ない展開、小説のおもしろさは満点なのだが、すべてが一歩離れたところで進行するため、読書への没入感はあるのだが、没我感が全然ない。そこが現代的な良さのような、空疎さのような。しかし、抜群におもしろいのだよ。
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というわけで、今一つ、ぴんと来ないまま3巻目へ突入。
で、やっと溜飲が下がった。もしかしたら、評価のハードルがここまで来て大いに下がっただけかも知れないけれど。
これまでずっとうっとおしい役柄に過ぎなかったロシア人が主役となった途端に、過去-現在の流れが見事にはまった。テロリストのG線上のアリアと同工異曲の7つの習慣がうんざりするほど体言止めで繰り返されるのだが、趣向が凝らされているし、感傷よりは実行結果なので取ってつけた感があまりなく、スムーズに物語の流れにマッチする。しかも、物語にちゃんと光があって影がある。
7つの習慣 最優先事項―「人生の選択」と時間の原則(コヴィー,スティーブン・R.)
主役のロシア人には、どうしてここまでひどい目に遭わなければならんのかという同情さえ感じる始末なので、主役としてそれなりの共感もあり、読書の没我感も味わえる。
物語の展開はさらに巧妙、しかも大好きな謎の中国人が、まさにキターというタイミングでここぞとばかりに大活躍し、しかも不意にいなくなる。(そのかわり、ますます傭兵が解説者の役回りに徹し始めるのだがそれはそれで味付けの変化の役割もあって悪くない)
というわけで、3巻の出来のよさは抜群だ。でも、それって1巻と2巻があってのことだな。
というわけで、抜群におもしろい(退屈せずに時間をすり減らせるという意味)小説としてお勧めできるのだが、それには1巻から通して読んだ方が良いとは思う。しかし、文句なしなのは3巻だ。
が、途中の巻から読んでもわかるように、最初にモビールスーツを装着するときには、必ず同じような書き方で「説明しよう……」が入るのだが、さすがに3巻ではそこは読み飛ばしてしまった。
Ruby-2.0.0-p247がリリースされました。どうもありがとうございます。
例によってMSIパッケージを作成したので先行公開します(パッケージングミスがあるかも知れません)。
md5:a1ed37410cc938de9f333fc88104c0f6
17,301,504 bytes
md5:3e5ed6d68aeed6a3d0e20eb2ffe86628
17,036,288 bytes
なお、-64パッケージの以前のリリースでは、インストールディレクトリとしてprogram files直下に仮につけたベンダ名(It's Freetime Software)ディレクトリを挟んでいましたが、このパッケージからはベンダ名を削除して、直接ruby-2.0.0へ配置します。
詰将棋に貧乏図式というのがある。貧乏人は金も銀もないということから、付けられた図式で、基本的に敵玉と歩とと金で構成するものらしい。
(検索して見つけたPDFで、リンク元にどうタイトルが付けられているかはわからなかった。おそらくファイル名からは正式名称の『と歩図式』としているのではないかと思う)
このPDFの先頭には1959年に北原義治という人の鶏と題した71手詰めが掲載されている。と金と歩のみで構成されていることがわかる。
この図式にさらに以下の制約を勝手に課して挑戦した人間がいた。
・盤面に18枚すべての歩を攻撃側の持ち駒として並べる
・攻撃側の手駒は「なし」とする
最初の条件は、二歩があるので、すぐに最低9枚はと金でなければならないこととなり、であれば、すべて「と」にしたほうが見栄えが良いということとなった(らしい)。
したがって、盤面には18枚のと金と敵玉の19枚で構成し、攻撃側の持ち駒はなしとする、というのがルールとなった。
このルールで上記のPDFを眺めると、1981年の藤本和(25手詰め)、1982年、1984年の平野牧人(47手詰め、43手詰め、45手詰め、33手詰め)、1987年のたからさが(51手詰め)、1976年の田島暁雄(45手詰め、1980年に再録されたものも掲載されている)、1981年の柳原祐司(47手詰め)、1996年の駒場和男(57手詰め)が、該当することがわかる。
このPDFに収録されているのがすべてではないとしても、少なくとも近代将棋と詰パラといった雑誌に収録されたものとしては、と金18枚すべて自駒で持ち駒なく他には敵玉のみという制約付き貧乏図式は、1976年の田島が先鞭をつけたらしく思われる。
金が無いから詰将棋でも作るか。金がないから貧乏図式だ。どうせやるなら、歩をすべて使ってそれ以外なしにしよう。二歩があるから半分歩で半分と金か。だったら全部「と」の字のほうが興趣がある。対局ではあり得ない譜面だから、これこそ詰将棋じゃないか。
最初は無理だろうと並べて考えていたら、ふと出来た。
先日、父親と会ったのだが、特に話すこともないので、そういえばおれが子供の頃に詰将棋を作っていたよね、というような話の流れとなった。
人の名前をペンネームにするから、エゴサーチすると引っかかるんだというようなことを言ったら、ちょっと驚いているようだった。そこで検索して塚田賞を受賞した正解者なしの69手の引用などを見せたら、未だに自分の作品を楽しんでくれる人が存在するということに嬉しそうにしていたが、そのうち、そういえば貧乏なのを作ったことがあると言い出した。
北原さんにそういう作品があった。詰将棋を作るような貧乏人にはぴったりだ。どうせ作るなら、歩だけで構成してやろう。ただし、解く詰将棋としてはおもしろくはないものだ。指せる手が限定されているから、正解まで基本的に一本道となる。だから手数を伸ばさないとあまりおもしろくならない。というわけで作っている間はおもしろかったが、詰将棋としてはあまり大したものではない。
検索してみて、最初にリンクしたPDFを見つけたのだった。
という話を聞きながら、どうもおれの父親が見ている風景は、おれよりも、Quineの人やGolfの人のほうに近いのかなとか考えた。
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_ jmuk [java.util.concurrent.ConcurrentHashMapでputIfAbsent(key, va..]
_ iwadon [二日目にC#本を買った者ですw 買った時おねーさんが「やったー!」と喜んでました。C#初心者なのでこの本で勉強したい..]
_ arton [jmukさん、それは正しいツッコミですね。僕はconcurrentをろくに触ってないので、全く思いが及んでないです。..]