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サーフェスRTを買おうと思ったら、どこにも青いタッチカバーが付いている出品物がない。パネルとカバーで別々に買おうかと思ったが、そもそもカバーが売ってない(ヤマダ電機のサイトにはあったけど、ヤマダはうどんでお腹いっぱい)。
それで黒いのはいやだが、無い袖は振れないのであきらめて、黒いカバーのやつにした。
(マイクロソフトの直販で買えばよいのか……しくったかもというか、広告ビデオのピンクのカバーがいいのに売ってないのはなぜ?)
ついに、3巻も読み終わった。もったいないな(と読後というか読んでいる最中も感じるくらいに、読むのが楽しかった)。
ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士(上・下合本版) (ハヤカワ・ミステリ文庫)(スティーグ・ラーソン)
本国ではやたらと売れたらしいけどそりゃそうだろうと納得するのは、適度なサスペンス、謎解き、それっぽいガジェット(時代が時代だから最後はPalmだったりSONY Ericsonだったりするし、2巻ではPowerBook 17"だったが、もし今書いていたらiPhone5になってただろう)、それっぽいマネーロンダリング、それっぽいハッカー集団(まるでウナギイヌのようにどこにでもにょろにょろ侵入するが、それなりにトロイの木馬を埋め込んだりしていったり、HDDの吸い上げにそれなりの時間がかかったりするのでそれなりにはリアリティがある)、わかりやすい主人公の思考法、やたらとセックスそれもいろいろな種類、ばしばし暴力とそれもいろいろな種類、差し迫るいろいろな種類の危機と調子良く進むそれへの回避と、エンターテインメント性はたくさんあり、しかも多様性を守る側の視線というような非難を浴びることがない倫理性を大上段に振りかぶっているので、けなすことも難しいだろう。
というわけで、いよいよスェーデンの公安警察内秘密フラク(悪徳精神病医含む)と、社会派ジャーナリストと敏腕弁護士と近代装備で固めた警備会社とハッカー集団と憲法順守側の警官集団と倫理感ある医者と憲法尊重主義者の公安集団の戦いが始まり(うむ、味方側のほうが圧倒的に層が厚いのだから、これで勧善懲悪な結末にならなければ嘘過ぎる)、秘密がぼろぼろ暴かれて最後には逆転裁判でけりがつき、しかも最後にはターミネーター1のようなおまけまでつく。
というわけで、個人の意思を尊重する=多様性を守る(というのは、反人種主義であったり反移民排斥であったり何よりも反ジェンダーということだけど)ということを、悪党は頭が悪く政治信条が単細胞で精神を病んでいて反社会的な思想で凝り固まった唾棄すべき集団というステロタイプなところ(したがって結局ぼろぼろボロを出してほぼ自滅となる)が、なんだかなぁとは思うが、エンターテインメントなんだからそんなもんだろう。読んでいる間の面白さは素晴らしい。
相当違う気がしないでもないが、主人公の反社会的傾向はヤングウルフガイ(相当孤独)で、全体の基調はアダルトウルフガイ(結構愉快な仲間たちがついている)みたいだなと感じて、つまりはある種の黄金パターンなんだろう。ということは、むしろ、これが大ベストセラーとなるスェーデンという国の読書傾向が奇妙なのかも知れない(なお、ヨーロッパなので登場人物のほとんどがタバコをそこら中で吸いまくっていてなかなかに新鮮だった)。
iPadは気に入っているけど、それだけ使って他のを知らないというのも意味がないので、サーフェスRTを買ってみた。で、届いた。
ずしりと重いのでこりゃだめかなぁと思ったが、実際に持ち比べてみるとiPad ratina 4genとそれほど変わらなくて意外な感じ。
で、使ってみると普通のWindows8とそれほど変わらないけど、デスクトップに入ると何もすることがなくて(左下右クリックでコントロールパネルが出るが、チャームの設定でできることと特に変わらない)、結局スタートから起動できる世界で閉じこもることになる。
タッチカバーからのキー入力はそれほど悪くないが、それ以上に意外だったのは、iPadより遥かにソフトウェアキーボードが使いやすいことで、その理由の大半はIMEが普通のIMEだからみたいだ(レスポンスも悪くないが、iPad 4genのレスポンスも悪くないので、それだけが原因ではない)。
不満点:カレンダーにGoogleカレンダーを利用できない(チャームの設定でアカウント追加を選択するとGoogleは出てくるのだがログインできない。調べたら、今後 Google カレンダーをカレンダー アプリと同期することはできなくなりますということでこれは痛い。
問題外:ストアの検索が問題外。検索で「Dropbox」と入力したら、そんなアプリは無いと言われて落ち込んだが、実はDropboxというアプリケーションはちゃんとその名前で登録されていて、もちろん利用できる(と、オライリーのPDFが取り込める)。あとストアを操作していると、やたらとネットワークが切断されているという謎メッセージが出る。ある意味、一番重要な機能なはずだが(マネタイズ面で)、なんだこれ?
良い点:PDFが読みやすいとか、IEが速いとかいろいろある。キーボードの打ちやすさも大きい。iPad32GB 50800円と比較すると、サーフェスRT(32GB ただしユーザーが使用可能なのは16GBくらい キーボードの付いたカバーが付属して58000円)のほうがユーザビリティは(IMEとIEによって)上、でもフォントはアップルのほうがきれい、RT版のOfficeはまだ使ってないからわからないという感じ。
妙な点:縦に使うことを考えてないんじゃないかなぁと思わずにはいられない縦の長さ。
大場訳Kindle版の体裁が直ったので、ロミオとジュリエットを読んだ。
他の作品(リチャード三世とかヘンリー四世)と違って、あまりにも有名だし恋愛がテーマで政治も陰謀もなしということで、わざわざ原典を読む気にもなれず読まずに来たが、大場訳が結構気に入ったので初ロミオなのだった。
で、読んだらびっくりした。
シェイクスピアの劇は大衆演劇だから、何かと言えば、立ったの入れるのという会話が兵卒だの門番だのによって行われるのだが、ロミオとジュリエットに関しては、最初から最後まで主人公も脇役も誰彼かまわず、さかりのついた猫状態で、セックスの話をしまくりまくる。
あなたたちは獣ですか?
ロミオとジュリエット 研究社シェイクスピア・コレクション(ウィリアム・シェイクスピア)
ジュリエットの母親は、ジュリエット(もうすぐ14歳)の年齢のときにはジュリエットを産んだといっているから、13の時に子供を産んで今、27歳。ということは、父母の世代が20代後半で子供たち(ロミオやジュリエット)は中学生だから、まさにヤンママ、ヤンパパ(最近は町の親分に言われてヤンチャは控えめ)第二世代の血で血を洗うヤンチャ祭りの様相を呈しているヴェローナの街を舞台に、セックスと喧嘩で頭がいっぱいの子供たち(ジュリエットとかマーキューシオとかロミオとかティボルドとか)が斬りあったり愛し合ったりの物語だったのだった。
それにしても言葉のダンス三昧で、まったくシェークスピアも大場も冴えまくっていて実におもしろかった。
確かに傑作だわ(で、言葉と実年齢を別にすれば、ご存じの大悲劇なのでそれもまた良し)
パブリックイメージリミテッドのギグ見にSHIBUYA-XA(追記:と思ってたらAXだった)とかいう箱(本当に外から見ると箱なのだ)。
PILはなんと20年ぶりで、最後に観たのは多分渋谷公会堂かNHKホールで、リチャード三世みたいなせむし男の雰囲気で客席を指さしながら歌ってた(たしか、この時点でバックはリップリグパニックの連中になっていたと思う)。
で、どうもドラマーがブルースとか呼ばれていたから、あの頃のPILがそのまま年食ったみたいだ。ジョン・ライドンもすっかり小太りのいいおっさんというか爺さんになっていて、リチャード三世(ローレンスオリビエの若いころ)からローマ教皇(なぜか演じるのはデニスホッパー)に様変わりしてた。せむしじゃなくて、むしろ胸張って手を挙げる。
いきなり、ドンドコドンドコで4方を閉ざされた壁で始まる。ワールドツアーみたいだから、行く先々でアーラーに祈りを捧げさせてるのかなぁ。なかなか奇妙な光景だ。
音が抜群に良い。SHIBUYA-XAというのはただの箱じゃなさそうだ。久々に体の中を振動が素通りしていくのを感じて、おお、確かに人間は水の詰まった袋だなぁとびんびん感じておもしろい。実におもしろい。こればっかりは家では体験できない。というか、「リチウムベースのバッテリーを適切にメンテナンスするには、バッテリー内の電子を時々動かすことが重要です」とアップルのiPadのページに書いてあるが、人体も時々ベースとドラムの波にさらして電子を時々動かすほうが良いかも知れない(わけわからん)。
音がすごいが、ジョンライドンがまったく負けない声を出すのでえらくおもしろい。本当にすごいおっさんだ。
で、アルバトロス。というか、メタルボックスはキースレヴィンやジャーウーブルならではの音かと思っていたが、そんなことはなく再現できるのだな。両手を水平に広げてアホウドリなんだろうか?
we don't run awayとか、you don't runnawayとか。かな? 以前は歌わせようとしても英語がわからなくて黙っている不気味な光景が見られたが、20年たってそのあたりは相当変わっているかと思ったが、そうでもないかも知れない(と思っていたが、第2部のライズでは会場は普通にthe anger is an energyとか歌っていたからそうでもないようだ)。
順番はちょっとあやふやになってしまったが、メモリーズ、デスディスコとメタルボックスから。9からがっかりとウォーリア。がっかりでは、friends forと歌わせる。というか、聴けばどの曲もわかるので、おれは最近まったく聴いてなかったが、ジョンライドン好きなんだなぁとびっくりする。後、フラワーズオブロマンス。
フラワーズオブロマンスでは、ベースがウッドベースのネックの部分だけにしたような奇妙なベースを使って猛烈な音を出す。ギター(まるっこい不思議なやつ)は弓を使って冒頭のキューンキューン音を出す。とにかく、音響が実に良い。大音量なのだが破綻がなく、うるさくなく(大きな音とうるさい音は異なるのだ)、実に良い感じだ。
こいつはラブソングじゃないは、ブラスが入ったバージョンしか聴いたことなかったので(と書いてからそんなことないなぁと東京ライブを聴き直してみたら、声が若々しくてそれはそれで驚いた。同じ声なのに全然違うもんだな)、最初何が始まったのかわからなかった(というか、the order of deathかも)。ここもオーディエンスに歌わせるが、普通にこいつはラブソングじゃないと歌っているから、やはり時の流れで日本人の英語力の向上は明らかだ。
途中、タバコだか酒だかが吸いたいだか呑みたいだか(この部分は聞き取れなかった)が、禁止でクソッタレな会場だなとかMCが入る。
最後はパブリックイメージで、突然、会場前方に人々が飛びしてきてそこだけ踊りまくって返って行く。そういう風習なのか? で、グッドバイ。
第2部は、ライズ。あとは忘れた。酒瓶もってきて口に含んでは霧を吹いて(飲んじゃだめらしい)会場を湧かせる。最後のほうでは舞台のやたら前の方までやってきて、客席と舞台がやたら近いんだなとちょっと驚いた。で、本当に演奏が終わったら呑んでた。
This Is Pil : CD+DVD Deluxe Edition (NTSC Region All)(Public Image Limited)
(新作を出したの知らなかった)
SHIBUYA-XAという会場含めて良いエンターテインメントだった。
ヨナスカウフマンというテノール歌手がいて、最初に知ったのはカルメンのドンホセ役だった。
カルメンが観たくなったので適当にDVD探していたら指揮がパッパーノだったので歌手は知らないなぁと思いながら買ったのだった。
ビゼー:歌劇《カルメン》 [DVD](カウフマン(ヨナス))
観たら、実にイケメンテノールで、なんかオペラ歌手やらせておくのはもったいないなぁとか子供と言いながら観ていた。で、カルメンなので最後の幕では故郷からぼろぼろになって闘牛場の外でカルメンを襲うのだが、イケメンっぷりはそのままに衣装が異様なまでにボロボロの演出で妙に印象が残った。
で、しばらくしてテレビでチューリッヒかどこかの音楽祭のトスカを観てたら、カバラドッシがやたらとイケメンで、子供とこのイケメン、どこかで観たことあるなぁとか話していて、ドンホセのイケメンテノールだと気付いた。
で、カバラドッシなので、当然のように王党派の秘密警察に捕まり拷問を受けてボロボロになってトスカと対面する。で、子供とまたボロボロになってるよ、と話し合う。
プッチーニ:歌劇《トスカ》 [DVD](カウフマン(ヨナス))
で、今日、メトロポリタン歌劇場のライブビューイングでパルシファルを観に行った。パルシファルをカウフマンが歌うのだった。
パルシファルはCDでは聞いていたが、ちゃんと舞台を観たこと無く、シナリオもちゃんと読んだことなかったので、どういう筋が知らなかった。でも、ワーグナーだからボロボロということはなかろうと高を括っていたのだった。
1幕はルネパーペが見事に騎士の大先輩を歌いまくっていて、このバス歌手の演奏が聴ける同時代に生きていてラッキーとつくづく感じる。メトの来日で、ドンカルロのフィリポ二世を歌うのを観てからのファンである(パーペがオレステを歌っているのでエレクトーラを買ったりしている)。
で、カウフマンがただの阿呆として出てきて追放される。もちろんボロボロではない。
第2幕、魔術師の館でクンドリに誘惑されることで知性に目覚めて、魔術師を真光の業で退治してロンギヌスの槍を奪還する。
カウフマンってイケメンだが声が汚いので好きではなかったのだが(特にフォークトのローエングリンを観てしまっただけに、こういう汚い声のワグナーテノールはあえて聴く気にはなれない)、この役について言えば、演技がうまいこともあって、良いものだなぁと感心しながら観る。当然、血まみれにはなるが(舞台が血の池だからだが)、ボロボロではない。というか、ぷよぷよした裸にはなるけど。
で、第三幕。王様が聖杯を出さないもので世界は荒廃している。と、向うからロンギヌスの穂先が見えて……あ、ボロボロになっている。
意気揚々と帰って来るのかと思ったら、呪いのせいで道がわからなくなり、しかも槍を清らかな状態で保全するために戦いで利用できないので武器という武器で攻撃されてきたため、ボロボロになって聖杯の地へたどりつくという設定だったのだった。
というわけで、映像で観るカウフマンは、これまですべて最後にボロボロになっていたのであった。
全然予備知識ないままに、レオスカラックスの新作と聞いてユーロスペース。
陸上の記録映画みたいなのが流れている。映画館。ドニラバンの変装っぽい男がベッドで起きる。うるさい。壁。中指が鍵になっていて無理やりこじあける。秘密の抜け穴のようなところを通って映画館の誰もいない2階席。タイトルの映画館につながる。
朝、家を出て家族と会話したりしながら、リムジンに乗る。アポイントメントが数件入っていることを知らされる。この職業をしていると銃が必要。後ろをつける黒い車。
老婆になって文句を垂れながら歩く。後ろの車から降りた男たちがついてくる。
リムジンに戻り、黒いぴったりした服になる。3D用のモーションキャプチャのためのスタジオらしい。激しい運動。棒術。鎌の二刀流。ロードランナーで自動小銃。転がる。女性とのからみ。2頭の龍となる。
リムジンに戻り、次のアポイントメント表を見てmerdeと呟く。
最近森へ行ったか? というような会話。食事。次ので時間を取り戻す。
片目の瞳孔を失い妙に曲がった顎鬚を持つ緑の服の男になってマンホールの蓋を降りていく。大量の難民とすれ違う(ピエールみたい)。墓場のマンホールから地上へ。すべての墓石にWebサイトへの誘導が書いてある。伊福部昭。ヴォーグみたいな名前の雑誌の写真撮影。美女をさらい、地下へ(オペラ座の怪人か? 後になって友人から、メルドという怪人が登場する日本映画を撮ったことを教えられる)。
間奏曲(ここだったかな?)バンドネオン。続々とバンドネオンが増え、ギターが入り、演奏が続く。見事なミュージカルスタイル。
パリへ入る。突然車を止めさせる。麻袋のマスク。走る。カフェ。銀行家を射殺する。ガードがたくさん出てきて股間を狙え。射殺される。運転手が手違いだと言いながら引き取る。
プロデューサ。この仕事をどう思うか?カメラが無い。
テオをナイフで殺す。ガレージの奥の店。アレックスと(はじめて)呼ばれる。テオの首を切り裂く。服を脱がせ、ネックレスをつけ、鏡を見ながら顔に傷をつける。テオの右手がナイフを取り、首を切る。二つの同じ姿の死体。
子供を迎えに行く父親となり車を運転する。外に出ると音楽が聞こえる。マンションを下から眺めていくと、最上階の窓が開けられていて、そこで騒いでいるのがわかる。サプライズパーティの会場らしい。娘が乗り込む。友人は先に母親と帰った。3人と踊った。そうやって父親から離れていくのか。父親に娘の友人から電話。一緒に帰るところだ。洗面所にいた。わたしは醜い。もうすぐきれいになる(というか、十分にかわいい役者にやらせている)。お母さんを見ろ。私はお父さんに似ている。嘘は良くない。罰は自分の人生を歩むこと。
老富豪らしい。ホテル。姪。姪の遺産を奪ったらしい。許しと死。姪、眠る。起き出して帰る。姪を起こすと、私も次のアポイントメントがあるという。
リムジン同士の衝突。向うの車の女性。次はスチュワーデス。その髪は? 老け役用だ。廃墟となった百貨店。床にマネキン。階段を上る。20年前ここへ君のブラジャーを買いに来た。ホテルにする。20年の時を取り返しましょう。手をつなぐ。突如英語の歌。ミュージカルの撮影方法。時はわれわれには優しくない。スチュワーデスに着替える。ヘンリーを呼ぶ。階段でヘンリーとすれ違う。外に出ると舗道にヘンリーとスチュワーデスの死体。嫌な気分となりリムジンに乗る。
タバコや酒も良いけれど食事を取れ。
普通のドニラバンになって家へ入る。チンパンジーの奥さん。娘もチンパンジー。3人で2階の窓から外を眺める。マックスでもモナムールでもなさそうだが。
ホリモーターの意味がわかる。リムジンがたくさん。森ってハリウッドの意味だったのかな。リムジンが会話する。
えらくおもしろい。映画だった。何かのパロディのようであり、わかったようでも単に思い付きのシードとしているだけかも知れず、奥行きは深く技術は高い。ドニラバンを最後に観たのはポンヌフだから20年という時間はそんなものだ。百貨店の名前はaineで終わったような。malaineみたいな。
今日聞いた話。
それは1980年代後半、日本がバブルで湧いていたころのことだ。ちょっとしたことで小金を稼いだにわか金持ちたちは、今と違ってお金の使い道は限られていたこともあって、みんなポルシェに群がった。
そして、家から300m離れたコンビニにポルシェに乗って買い物に行ったり(今ではまったく面影はない単なる弁当屋になってしまったが、1980年代当時、コンビニは日本に紹介されたばかりだったので、とてもステータスが高かった。何しろ同じヤマザキパンが、山崎パンのお店で買うよりも3割くらい高くても誰も気にしないどころかむしろよっぽど売れて、町のパン屋さんがシャッター化するのに役立ったくらいだ)、イタリアンレストランへ行ってパスタという食べ物を食いに行くのがはやった。どのくらいはやったかと言うと、六本木のイタリアントマトという店では、店の前から外苑東通りに沿って、市ヶ谷の防衛庁の前までポルシェの行列ができたくらいだ。
そんなポルシェ持ちの中にも、志が高い連中がいた。彼らは栄光のポルシェを街乗りに使うことを潔しとせず、集団で首都高に乗り込むと決まって3周した後に、東名に入り、そのまま名古屋まで走ってモーニングを食って帰って来ることを日常とした。
往復にして4時間。新幹線ひかり号が東京-名古屋1時間45分なので、それよりもはるかに速い(首都高周回とモーニングを食べる時間があるからだ)。JRはのぞみ号にのぞみをかけることになる。
そんな彼らを前にして常に悔しい思いをしている集団があった。
静岡県警高速パトロール隊だ。
御殿場から一群のポルシェが制限速度の倍以上の速度で静岡県に突入し、そのまま豊川から愛知へ消えていく。
来た! と静岡県警が誇るスカイラインGT-Rが発進した瞬間に、彼らは影も形も見えなくなる。
では、巡回だ。と、後ろからやって来たと思う間もなく消えていく。
どれだけがんばっても、子供と国際陸上出場選手くらいの差がある。
口惜しいのう、口惜しいのう、と毎日泣いているところに、日産のパトカー部隊が定期メンテナンスにやって来た。
君らの車は、子供のおもちゃだよ……とすっかり屈辱に打ちひしがれたハイウェイメンが呟く。
その目に浮かぶ涙を見て、日産のパトカー部隊は奮い立った。
ポルシェ何するものぞ! スカイラインGT-Rは世界一速いのだ!
かくして、連日連夜、スカイラインGT-Rに対して数々のチューンが試され、湯水のように日産の技術が、技術者が、歴史が、根性が、資材が、苦悩が注ぎ込まれ、そしてついに対ポルシェ軍団の必殺魔改造スカイラインGT-Rが完成した。(元々スカイラインGT-Rはマージンを取って300馬力だったのを運輸省の行政指導で280馬力に抑えられていた。しかも技術者たちの行政指導で馬力を制限されてしまったことに対する反骨心もあり、911ターボの330馬力に対抗可能なポテンシャルはあったのだ)
そして運命の日。
いつものように御殿場方面からポルシェ軍団がやって来た。パトカー出口に黒白に塗られたスカイラインGT-Rが待機しているのを気にもとめずにそのまま200km/hオーバーで通過する。
それを余裕で眺めるハイウェイメン。
ふっと口元に笑みを浮かべるとおもむろに、エンジンをかけ、パトカー出口から発進する。
みるみるうちに加速すると、右手の富士山があっという間に後ろへ流れ去る。富士川サービスエリアの手前で軍団の姿をとらえるとさらに加速し、走行車線側からいきなり軍団を追い抜き先頭を捕まえる。
日産魂の勝利の瞬間だった。
しかし、国家の威信と技術者の意地の代償はあまりにも大きかった。回収の見込みがどこにもない投資は企業の死を意味する。
日産V-upの挑戦 カルロス・ゴーンが生んだ課題解決プログラム(日産自動車㈱V-up推進・改善支援チーム)
急降下する業績を前に日産は仏ルノー傘下に入ることになった。吹きすさぶリストラの嵐。ただし、フランス人のドイツ人嫌いのおかげで、パトカー部隊のメンバーがリストラ対象となることはなかった。また、静岡県警が日産以外からパトカーを調達することもなかった。
MRuby::CrossBuild.new('nostdio') do |conf| toolchain :vs2012 # 元とするtoolchainを指定する。 conf.cc.flags << %w(/DDISABLE_STDIO) # CFLAGの変更 # 同じように必要に応じてconfをいじくる conf.build_mrbtest_lib_only #このあたりはマネした conf.bins = %w() # コマンドはすべてstudioを使うので除外 conf.gem 'examples/mrbgems/c_and_ruby_extension_example' # ここもマネ end
mruby.cは、pコマンドを実装するかどうかをENABLE_STDIO(DISABLE_STDIOによって定義される)で切り替えているが、意味あるのかなぁ(mrb_load_file_cxtというENABLE_STDIO時のみ作られる関数を呼んでいる)。意図がわからない(mrubyは標準入出力を利用するがlibmrubyでは利用しないというのはありだと思うのだ)。
新国立劇場で、オール日本人キャストによる魔笛。
指揮はドイツ人だと思うが、きびきびした良い演奏(常にテンポが速いわけではなく、夜の女王の登場シーンでは多少落としていた)。
演出が美しい。上下に自在な舞台をうまく生かして場面変換を実にスムーズに行う。下を修業の場、上を神殿とか。
夜の女王の侍女たちは青い宇宙人っぽい衣裳。女王の登場シーンは宙に浮かぶ(ちょっとグルベローバがハイティンクやサバリッシュとやった演出を思わせる)。三人の童子(全員女性。良かった)は、銀色のゴンドラ。パパゲーノの首つりの木の中からパパゲーナ(というよりも、首つりの演出がちょっと驚いた)。観客席から1を数えたところで返事があって、ちょっと戸惑う(3を数えたところで逆にパパゲーノが挑発していたが今度は声なし)。パパパの2重唱は感動的。
ザラストロが特筆もので、今まで観た中で、一番おもしろかった。説得力の問題かなぁ。ザラストロに説得力があると、話のでたらめさが相当抑えられてなんとなく筋が通っているように感じられる。ただ、根本的なところで、奴隷制度を良しとしていることにザラストロ教団の闇が透けて見える。
パパゲーノの振り付けの一部にキーリンサイドの2幕で酔っぱらって歌うところでの妙なポーズの影響を感じる。
翻訳は定訳を使う。黒い鳥がいるのだから黒い人がいても良い。上品な人は後から来る。絵姿を見て愛したのならなぜここにいないの? 彼は王子だ、その前に人間だ。
先日、妻がテレビを観てたのを、横から観たらやたらとおもしろそうなので一緒に観てしまった。速水御舟「名樹散椿」
番組では金地の謎(金箔にしては異様に暗い色調だそうだが、そのての知識はないので面白かった)にフォーカスしていたが、おれは妙な立体感がとても気になった。というのは、日本画というのはのっぺりした表現を基調とした芸術だという印象があったからだ。だが、椿の花が浮かび上がり、右側の幹はごつごつ畝っている。
というわけで、土曜に山種美術館へ行った。
東から(最近開通した)乃木坂へ抜ける道沿いにあるとは知らなかったが、チケット式路上駐車ができるので楽勝だ。
で、特設展を見ると、自分でも意外なことに実におもしろい。いつの間にか枯淡の境地へ立ち枯れたか、と自問自答してみるまでもなく、近代の日本画はイメージの日本画とは異なるのだなぁとか思って作者を見ると狩野派の画家で、全然近代じゃないじゃん(近世だ)とか、いかに自分が日本画を知らないかを知らされる。
そういえば、狩野の画が花見(しているのは玄宗と楊貴妃)なのだが、染井吉野は江戸時代末期にお江戸で改良されてできたということは、当然、この画の桜は本当の桜ではないはずだと思うがやはり淡い色の桜なので良くわからない(狩野常信という江戸初期の人と後で知るけど、いずれにしても染井吉野じゃないね)。
で、なぜ面白いのかと観ていくうちに、構図勝負ということがまずわかってくる。でっかな枠組みの中にどう配置するかがまず重要なようだ。それが単なる様式美に堕すかどうかは、筆致や色遣いで決まるようだが(したがって細部を眺めるとそれはそれで実に楽しい)、印象的な作品はとにかく構図が抜群に良い。
で、百段階段で見覚えがある名前の荒木十畝の大作を観たりしながら、突然、ゴッホとゴーギャンの真似してヒマワリ描いたら、どうにも止めようがない個性からとんでもなく変なものが生まれて来たという風情の作品が出てきて驚く。こりゃすげぇと作者を見ると梅原龍三郎で、なるほど毀誉褒貶がある作家だが、確かにただものじゃないのは間違いないなぁと感服する。
と、桔梗の画なのだが色が黒い小品があって、これまた思わぬ眼福感を得る。誰かと思うと、それが御舟だった。確かにこれまた只者ではないのだなぁ。
常設展のほうへ行き、それが目当ての名樹散椿。ところが、実物を観るとそれほどおもしろく観えない。はて、といろいろな見方をしてみると、どうやら屏風の折り曲げによって平面としての画が持つ立体感が損なわれているようだとわかる。わかるが、屏風画なのだから、これが本来の見え方なのか、と相当がっかりするのだが、それでもよくよく観てみれば、幹のうねりの存在感たるや見事なものだし、浮き出る椿の美しさ(が、桔梗のほうが衝撃的なのは、微妙な良し悪しの区別ができるほど日本画を見慣れていないからだなぁということを理解する)。
帰りに美術館の隣の八百屋で筍の先っぽを買って帰り、店の主に言われたままに皮ごと洗って半分に切り、電子レンジで2分加熱して、真ん中に切れ目を入れて剥がしながら醤油で食う。なかなかの春の日であった。
いつもの新宿ピカデリーに行き損ねたので、夜にやってる東劇でメトライブビューイングのフランチェスカダリミニ。
神曲にあるというのはなんとなく知っているような気がするが、オペラの存在を知ったのは、ライブビューイングの予告編を観たときだ。当然、作者のザンドナーイ(マスカーニの弟子だそうだ)もこれが初耳。
初耳だろうがなんだろうが、予告編で音が鳴った瞬間に、おお、これは最良のベリズモとわかったので万難を排しても行く価値ありと考えたのだった。
ベリズモは、ようするに、その当時の流行りものなので、今となってはその枠組みを凌駕した大作家(つまりはプッチーニただ一人)か、記念碑的な作品(道化師とカバレリアルスティカーナ)、原作と合わせることで枠組みを越えた価値を持った作品(アンドレアシェニエただ一本)しか残っていない。というわけで、何かのはずみで聴けるとあれば、それは千載一遇の機会なので聴かざるを得ない。
で、まあ、文句なく最良のベリズモなのだが、そこからはみだしてはいないので、そりゃ消え去ってもしょうがない。
これは、あたるだろう。というわけで、間違いなくベリズモの傑作なのだが、こんなものが時代を越えて生き残れるわけがない。
音楽は美しいが、まったく印象に残らない。平易に過ぎるのだ。とは言え、3幕の二重唱とか素晴らしいんだがなぁ。でもまったく印象に残らない。
内容がくだらなすぎるのだ。たとえば、同じようにくだらないオペラのアンドレアシェニエが生き残れている理由の1つに、シェニエの第一幕のアリアは、詩が素晴らしい。
それに、歌が平易過ぎるということは、歌手が演奏会形式でアリアを取り出して歌うにはインパクトが無さすぎるのだ。私は神の僕ですのチレーアや、故郷を遠く離れてのカタラーニが生き残っているのは、これらの曲が真に崇高だということではなく、歌として歌手を引き付けるものがあるからだ。
ところが、ザンドーニには、オペラとして全体を観れば素晴らしく美しいのだが、これというものが無い。
だが、くだらなかろうが、歴史に埋もれるのが当然だろうが、素晴らしいオペラだった。こうでなくっちゃな。
幕間で、パオロを歌ったジョルダーニという男がうんちくを披露しまくって実に楽しかった。ザンドナーイはダンテだけでなく(多分想像するに、ジャンニスキッキと同じく3行くらいの要約で業火に苦しむ理由が語られているだけなんだろうか?)、ボカッチョも参考にした(じゃないなぁ。むしろ、画家の名前みたかったが、同名の戯曲家がいるのだろうとか思いながら聞いたはず)、うむ、忘れた。
『フランチェスカ・ダ・リミニ』全曲 レヴァイン&メトロポリタン歌劇場、スコット、ドミンゴ(Renata Scotto) (ヴェストブルックが10億回繰り返して観たとかインタビューで答えていたのはドミンゴ&スコットなのでこれだろう)世が乱れているのは、諸国を治める諸侯の意思決定に一貫したビジョンがないからであるな、と気づいた。
頼朝や尊氏の幕府の間違いは、地場の実力者かどうかだけを判断基準にフランチャイズしたことだ。そのためすぐにフランチャイジー同士で食い合いを始める。それでは戦乱が収まるわけがない。
そうではなく、最高経営者とビジョンを共有できるものにテリトリーを与えれば良いのではないか(歴史的制約から中央集権には考えが至っていない封建魂が残念なところ)?
というわけで、北陸店の店長には柴田、関東店の店長には滝川と、本部から店長を送り込むようにした(中央集権であれば、本社社員のままで良いのだが、封建制度なので、この時点で離職、独立させることになる)。
しかしこれは変だなとさすがに気付く。元々社員なのだし、経営破綻を考慮する必要はない(テリトリー内の独占)のだから、独立起業させる意味がない。
そこで、フランチャイズではなく、直営店とすることにした。つまり、中央集権に目覚めた。
とはいえ、歴史的感覚に鈍感なオウナー指向が強い部下だと抵抗あるかもなぁとも思う。一国一城の主という世迷い言大好き人間達だ。
そこで、1番教養がある光秀をフランチャイジーから本社へ呼び戻し、直営店の経営を任せることにした。あれは経営がわかってる。
なぜだ〜、なぜ俺の店を取り上げるのだ〜、と叫ぶ光秀。実は歴史感覚は鈍かった。かくなる上は株主総会で社長に退陣を迫ろうぞと本能寺へ向かうのであった。
というのが司馬史観。
妻が図書館で借りてきておもしろかったらしくおれにも貸してくれたので読んだ。
確かにおもしろくて、一気に読んだ。
設計したエンジンを搭載したロケットの打ち上げに失敗したせいで干された研究者が、町工場を経営している親父が倒れたのをきっかけに研究所を退所して経営を引き継いで7年。
大口得意先に取引を打ち切られたところに、特許侵害の訴状が届く。と読み始めると、あっという間に危機的状況に陥ってしまう。
それが伏線となって、町工場のいい加減な特許の書き方の見直しをすることになり(というあたりで、経済小説ということがわかる)取得したばかりのバルブの特許に付随情報を付け加える。
まさにその時、ロケットエンジンを開発した大企業が、その特許に抵触していることに気付く(最初に出願した時点ではまったく問題なかったのだが、付加された条件に引っかかった)。かくして、その特許を買うか、ライセンスを受けるかという話となり、あまり登場しない第二の主役が登場する。
中小企業の経営もの(人情話と特許紛争、家族運営、企業買収、大学の人脈を使ったあれこれとか、いろいろな要素が盛りだくさん)としては、実にうまい作品で読後感も悪くない。もっとも、こういう作品を読むと中小企業って面倒だなぁという印象を受けてしまうのだった。
珍しく(もないかも知れないが珍しく感じた)銀行から出向してきている経理マンが実に良いやつで、あまりこういう方向に話は進まないけど、そのくらい貸し渋りとかで苦しんで、こういう小説で溜飲を下げる人がいるのかなぁとか不思議に感じたとか、大企業の嫌がらせで苦しんでいてこういう小説で溜飲を下げる人がいるのかなぁとか(といっても大企業は大企業として普通に書いているので、人数多ければ良いやつもいるし、性格は悪くても評価するときは客観性重視とか、上のほうの地位に昇った人間は是是非非の鋭い感覚と素早い損得勘定ができるしと、当然なことを当然に描いていて単なる子供用の勧善懲悪観には堕していないけど、それがこのジャンルの作品では当然なのだろう)、ここ数十年読んでいないジャンルだけに興味深かった。
で、奥付みると週刊ポストに連載していたとか書いてあって、はて、どういう読者層なのだろう? と不思議になる。
いずれにしろ、普通に良くできた小説でおもしろかった。
Herokuの本を読んでいて、2章の途中でおもしろい記述に出会った(出会ったところでいろいろ考えたので突然書き始めたので、本文でどう展開されるのかはわからない)。
Professional Heroku Programming (English Edition)(Kemp, Chris)
(図を除けばKindle Paperwhiteで普通に読める(辞書ひけるのは便利だね)ので、Kindle版がお勧めなのかなぁ。前に戻って読み返すのは遅くて死ねるけど)
そこでは、スチュアートブランド(ホールアースカタログの人)のHow Buildings Learnという本からアーキテクトのフランクダフィという人が導いたコンセプトが紹介されている。
How Buildings Learn: What Happens After They're Built (English Edition)(Brand, Stewart)
レイヤリングをペース(持続時間/成長速度)ベースで考えるというものだ。
家そのものは30年というタームで変える。それより早く変えることはすでに何か問題だ。一方、部屋の中の壁紙は5年くらいたったら変えたくはないかな。では机の上のランプは?
同じことをソフトウェアポートフォリオに当てはめたらどうだろうか?
レイヤリングといえば、MVVCとか、MVCとかがすぐに頭に浮かぶ。
MVCのVは比較的早いサイクルで変えても良い。Mの中には変わってほしくないマスター系と変わる必要がそれなりにあるフロー系がある。Cは基本、変わることを想定すべきではない。
ということは、ペースベースと責務ベースのレイヤリングは重なるところ(コントローラ)もあるが、直交している箇所(ビューとモデルの一部)もある。
開発-テスト-配備サイクルを考えた場合、ペースベースのレイヤリングは良い分離方法と考えられる。
(と、メモ)
年 | 4/1の最高気温 | 4/21の最高気温 |
---|---|---|
1961 | 19.4 | 24.1 |
1971 | 16.4 | 23.3 |
1975 | 14.9 | 16 |
1981 | 8.2 | 19.3 |
1991 | 8.5 | 20.4 |
2001 | 13 | 14.8 |
2008 | 17 | 20.5 |
2009 | 12.5 | 20.2 |
2010 | 20.7 | 25.5 |
2011 | 15.7 | 16.2 |
2012 | 14.7 | 14.6 |
2013 | 15.2 | 11.5(2/20) |
今年の21日は出ていなかったので20日分だが、異様に寒いで当たりのようだ。でも、去年も寒かった。で、来年が9度だったらグラフがきれいに書けるわけだがそうはいかないだろうなぁ。というか2010年は暖か過ぎ。
facebookで郡司さんに教えてもらったが1975年の4月も寒かったらしい。上の表だといまいちわからないけど、22~24日が11度台(今年と同じ)となっている。
goo天気から抜粋5月くらいにWebメディアにWindows Store Appの実装方法の1つについて記事を書く予定ですが、その予告編ということで。
Visual Studio 2012には、ARM用のVC++クロスコンパイラが付属しているので、それを利用するとARMデバイス(SurfaceRT以外にあるのかどうか知らないけど)用のネイティブコードのプログラムを生成できます。
でも、Jail Breakしたデバイスでなければそのままでは動かせません。
ではARM用にクロスコンパイルしたプログラムをどう利用するかというと、Windows Store Appには、そうやって作成したネイティブコードのバイナリを利用するための方法が用意されているので、それを使います。ちなみに、上記の予定記事ではそれについて書くわけです。
もちろん、Windows Store Appで利用するためにはいろいろ制約があります。たとえば、IOはだめですし、MBC関係も使えません。
というわけで、一般的な用途は、ネイティブコードでガリガリに最適化しまくったコードをライブラリにパッケージして使うことが想定されているっぽいです。あと、一部のWindows API用とか。しかし、それほどおもしろくはないですね。。
ところが、目の前に、IOを持たず、MBC関係の(MS固有だし)CRTを利用しないコードベースで、しかもWindowsRTの機能と被らないものがありました。
つまり、mrubyです。
というわけで、mrubyをWindows Store Appに組み込むと幸せになれそうな気がします。
そのためには、mrubyのIO抜きライブラリをx86とARM用に作る必要があります。
ARMとX86(STDIO抜き)のクロスコンパイル設定を組み込んだbuild_config.rb
で、リモートデバッガを使ってSurface RTへ送り込んで動作することは確認できました。というわけで、別に僕の記事を読まなくても組み込み方法がわかる人で試したい人は、mrubyを使ってみましょう。
C++からmrubyのライブラリを呼ぶのは、evalとかdefine_*とかについては問題ない。
しかし、独自のirbもどき(というか、parserを使うもの)を作ろうとすると、死ぬ。
というのは、mruby/compile.hの中の構造体には、mrb_boolを使っているものがあるからだ。
それの何が問題か?
mrb_boolは、mrbconf.hで以下のように定義されている。
# ifdef __cplusplus typedef bool mrb_bool; # else typedef unsigned int mrb_bool; # endif
これがまずいC++処理系がある。
というのは、C++のsizeof(bool)は未定義なのだ。(記憶違いとか、情報が古い可能性があるので、修正歓迎)
もし、Cでライブラリを生成すると、構造体には4バイトのフィールドが確保される。しかし、C++のプログラムがヘッダのみを参照すると、たまたまその処理系のsizeof(bool)が4でなければ、以降がずれる。
で、VC++ではsizeof(bool) == 1なのでずれたのだった。というか、見つけるまでえらく時間を潰した。
CとC++で共有したいヘッダでは、boolは使わないか古臭い方法だが#define BOOL unsigned int
したほうが良いかもね(だが、別解もある。C++でライブラリを作れば良いのだ)。
MSVCRTのGetModuleFileNameやLoadLibraryを呼び出すコードがリンクされるため、一時はどうなるかと思ったが、ローカルでのテストは通過したので、Windowsストアへ提出してみた。
まだ審査があるみたいなので、どうなるかはちょっとわからないけど。 なお、(WinMIrbという名前にした)に関しては、ほとんどmirbなので無料で公開します。
最終的にx86のNOSTUDIO版(というか、Windows Store App用)のビルド記述は以下となりました。
ちょっとトライ&エラーしているうちに間違えてたので、書き直した
MRuby::CrossBuild.new('nostdio') do |conf| toolchain :vs2012 conf.cc.flags = %w(/c /nologo /W3 /MD /Zi /Od /DHAVE_STRING_H /DNO_GETTIMEOFDAY /D_CRT_SECURE_NO_WARNINGS /DDISABLE_STDIO /TP /ZW:nostdlib /DNDEBUG) conf.build_mrbtest_lib_only conf.bins = %w() conf.gem 'examples/mrbgems/c_and_ruby_extension_example' conf.archiver do |archiver| archiver.archive_options << ' /LTCG' end end
ミソは、/ZW:nostdlibと、lib用の/LTCG。あと、/TPでC++としてコンパイルしている。なお、デバッグ版ライブラリ(/MDd)はIOを含むので当然だめ。
/TPはやめても問題なさそう。0428#c02参照。あと、使う方もDISABLE_STDIOが必要ってのは忘れがち、というか忘れてそこでもはまった。
以下、何が必要か、何がまずいか。
/RTC1 ― これがまずい。cl /?では、高速チェックの有効という書き方しかしていないし、/RTC (ランタイム エラー チェック)を読んでも良くわからないのだが、/RTC1によってランタイムのWindows Store App非互換なコードの組み込みが指定されるようだ(推測)。
libの/LTCGによって非互換コードの組み込みが阻止されるのかと考えたのだが、それは間違いだった。これは不要。
で、/RTC1を外すと、それだけで良さそうで、/ZW (ライブラリには:nostdlibを付けたほうが良いと思われる)の要不要は不明(付けなくとも動くが、おそらく付けたほうが矛盾したコードに対する指摘が入ると思う)。
/DNDEBUGは不要。ただし、_DEBUGを外すことになるのでマーカとして入れたほうが良いかも知れない。
で、以下となった。
MRuby::CrossBuild.new('nostdio') do |conf| toolchain :vs2012 conf.cc.flags = %w(/c /nologo /W3 /Zi /Od /DHAVE_STRING_H /DNO_GETTIMEOFDAY /D_CRT_SECURE_NO_WARNINGS /DDISABLE_STDIO /TP /MD /ZW:nostdlib /DNDEBUG) conf.build_mrbtest_lib_only conf.bins = %w() conf.gem 'examples/mrbgems/c_and_ruby_extension_example' end
技術評論社さんからコーディングを支える技術を頂いて読んでいるのだが(この本は多様性許容を支える技術という思考フレームワークのチュートリアルであり、そのものがインスタンスだという素晴らしい本だ。思考フレームワークは強い武器となるので比較的隠蔽されていることが多いのだが、本書では惜しむことなく使い方が示されている)、ふと気づいた。
コーディングを支える技術 ~成り立ちから学ぶプログラミング作法 (WEB+DB PRESS plus)(西尾 泰和)
続く
脚注に、結構な頻度で、URIが出てくる。
字が細かいから読むのもかったるいが、それ以上に打ち込むのは面倒くさい。タイポもする。
今や、たいていの人(特にURIが多数出てくるような本の読者)はスマートフォンか携帯でQRコードを読み取ることができると想定できる。
つまり、URIについては、できればページの脇にでもQRコードを並記してくれるとありがたい。
印刷した紙だということから、誤り訂正レベルはLで十分と仮定すると、ほとんどのURIは、25セル×25セルのバージョン2で収まる(いや、フルURIは文字として印字し、QRコードは機械読み取り対象なのでbit.lyでも利用することにすれば、バージョン1(21セル×21セル)で十分だ)。
というわけで、URIが多く含まれる本を作るときは、QRコードで機械可読化な仕組みを導入して頂けると実にありがたいなぁと思います。
ジェズイットを見習え |
_ ms [SHIBUYA-AXですよ。 確かアックスと発音するはずです。]
_ arton [おお、そうなんですか。XAだと思い込んでまし た。]