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以前早稲田通りを都心方向へずっと進んで突き当りを江戸川橋方向ではなく神楽坂方向へ曲がったときに、アラビアンサンドウィッチという見慣れぬ食べ物を売っている店を見つけた。
で、昨日は夕飯Xという特別な日だったのでアラビアンサンドウィッチの店に行こうということになった。
ところが神楽坂あるあるで早稲田通りを右折できない。しょうがないので左折して正門通りに入ってからUターンして再度早稲田通りの成れの果てに逆方向に入って左折で神楽坂の成れの果てに入った。曲がってわりとすぐのところに20分300円のコインパーキングがあったのでそこに停めて、飯田橋方向へ歩き出したのだった。
なんと、歩いてみると神楽坂のおもしろさは坂そのものの外堀通り近くの観光地よりも何層倍も上のほう(神楽坂駅周辺というか)がおもしろい。
昭和中期ごろのコテージ風の家屋が残っていたり、商家の看板は英語ではなくフランス語だったり、おしゃれだったりジョナサンだったり狭い範囲に百花繚乱だ。
着いたのは1830頃だったがやたらと色んな人たちが駅へ向かって歩いている。いったいこのあたりにこんなに勤め人がいるものなのか? と言ったら、妻はこのあたりは編プロ多いからじゃん? と答えて、なるほどわからなくもない(が、後になってそんな時間に帰宅する編集者はいないからやっぱ違うと思うとか言い出していた)。
左手にやたらとおしゃれな本屋喫茶店があって、その一角に夜のパン屋があって賑わっている。あ、これビッグイシューに出てたやつだと妻が言う。
なんか色んなパン屋の売れ残り詰め合わせ(だいたい3個くらい)の福袋(価格は別に下げてはいないのは、そういう趣旨だからだが)みたいな売り方をしていておもしろい。おもしろいので一袋買う。
で、実はアラビアンサンドウィッチとは逆方向に歩いてきたのだと、坂道が本格的に始まるところで気づいてUターンして戻る。
それまでは通りの左側を来たので今度も左側を選択。
すると戻る途中で、フランス料理の前菜レストランというわけのわからないものと、その1階のパン屋に惹かれる。で、駐車場を越えて(最初から逆方向に向かっていたわけだ)アラビアンサンドウィッチにたどりつくと臨時休業中で3/3から営業と張り紙があってがっかりはせずに、前菜レストランのパン屋へUターンする。というか今回はUターンが多いな。
サバのサンドウィッチやブリオッシュ生地のテリヤキチキンバーガーとかいろいろ買って帰った。おいしかった。駐車場代は40分の600円で、2人で地下鉄で来るより安かった。
妻が録画している刑事コロンボを昼飯食べながら見ている。
コロンボというのは冤罪発生装置というか、直観でこいつが犯人だと決め込んだら物証がないまま心理的に容疑者を追い詰めて自白させるというのがパターンなので、たまたま本当に犯人だった場合をドラマ化して、1本のドラマの裏で100人の気の弱い人(宇都宮のバスの運転手さんとか)が冤罪で有罪になっているのだろうなぁと容易に推測できる不愉快極まりない作品群なのだが、現実ではなくドラマなのでまあ許容範囲として見ているのだった。まあ、犯人として捕まる人間は社会的に明白にコロンボよりも上層で暮らしている人間なので当時の視聴者の鬱憤晴らし的なところもあってうけまくったのだろう。
で、先日の録画分を見ていたら、シンクタンクでロボット(これがロビー型でC字の手でキーボードをカチャカチャ叩く)の研究をしている天才少年(映画が好き)のスティーブン・スペルバーグというのが出てきて、どう考えてもスティーブン・スピルバーグのもじりだから、おそらく撮影当時にSF好きな天才映画青年として棋界では有名だったのだろうとか妻と話し合ったりした。
でも後で調べたらスピルバーグは当時学生(ファンジンかと思ってたわけだから学生だろうと踏んでいた)とかではなく既にコロンボを1編撮っていた(エラリークインではないが推理作家コンビの片方が片方を殺す)のだった。さすがに内輪受けも過ぎるな。
学問研究の成果を素人に読めるかたちで発表するという新書かくあるべしの見本みたいな本だった。
なるほど、「ふつう」を知らなければ記録に値する歴史をそもそも理解できるわけもない。
とういか、2000年前の竹簡だの木簡だの(に加えて出土品)から当時の日常生活が浮かび上がってくるというのは、中国うらやましい。文書を保存する国はいいなぁ(日本も江戸時代あたりになると畳奉行の日記とか出てくるし、万葉集も庶民らしき歌が収録されているからそのあたりまではどうにか遡れるわけだが、もちろん神武天皇のDNAとかはわかるわけもなく)
遅ればせながらジョーカーを観た。
模した犯罪が行われるくらいだから、時代空間の中で知識として共有しておきたいなぁという要求からだった。
どうでもよいが、アマゾンの惹句中の「売れないコメディアンのアーサー・フレックが暴漢に遭遇したのは、ゴッサムシティの街を道化姿でさまよっていたときだった。」って間違いだな(まず、売れないコメディアンではなく、コメディアン志望でとりあえず小さな店でスタンダップコメディをやらせてもらっているだけだし、暴漢に遭遇したのはとは?(バイト中にチンピラにからまれた、または地下鉄で酔っ払いにからまれた、のどちらかをさしているのだとは思うが)
で、現実と妄想をごたまぜにする手法なので何が起きたことで何が起きていないことなのかは曖昧にしているわけだが、とはいえ写真(の裏書き)はリアルなわけだからおそらくこいつはバットマンの異母兄弟だろうし、バットマンの親父を殺すのは別の謎の賛美者(パトカーを襲った一連の流れで、この間はジョーカーは意識が無い)だろうとか、いろいろ。
悪くはなかった。
ある意味、こういう作品は、どれが事実でどれが妄想なのかで分岐させていくことで解釈が様々になるわけで、その分岐点の作り方がうまいと思った。その点ではエクソシスト3に近いものを感じた。ブラッティ的(トゥインクルトゥインクルキラーカーンもそうだが、ある時点での暴力の爆発が暴力衝動による妄想の産物なのか実際の暴力なのか)で、そういう観点ではタクシードライバーとの類似は感じられなかった(ストーリーは別)。あれは妄想は妄想、行動は行動のドキュメンタリーとして描いている。
たとえば、最後に白い壁の中で制服を着たカウンセラーと面談するシーンがある。同じシーンは、前半で市の福祉事業(途中で渋谷区ふれあい植物センターのように無残に閉鎖される)のカウンセリングを受けているあたりで挿入される。1つの判断としては、時系列で、一時収容されていた刑務所または精神病院→市の契約カウンセラーの面談室→再収用された刑務所または精神病院という流れがある。その一方で、すべてが最初に収容されている刑務所または精神病院の中でのジョーカーの妄想とみなすこともできる。
妻と見ていたわけだが、ウェインという名前にまったく反応しないので、ちょっと驚いた(バットマンは見ているので知っているのかと思った)。すると途中で会いに行く異母弟またはアカの他人の子供(これも分岐だ)が誰か知らずに見ていたのか。ある意味これも分岐点(無関係なウェインかどうか)でもあるな。
妻によると、キング・オブ・コメディ(おれは未見 )を相当意識しているのではないか? とのことだった。
ウルフウォーカーですっかり気に入ったトム・ムーア(ソングオブザシーも良かった)のブレンダンとケルズの秘密(この邦題は意味がわからない)がアマゾンプライムの無料になっていたので観た。
バイキング(サクソンだろうからそのうちイングランド人となる)の侵略時代、町を守ることで頭が一杯の修道院長とケルトの装飾師(非文字文化なのか書物は装飾的な絵によって表現されるので著作家ということになる)に憧れる甥、仲間の装飾師、森を守る白い狼(おそらく4代先はウルフウォーカーに出演するのだろう)のお話。
甥っ子は院長よりも島の修道院から避難してきた(というよりもバイキングに皆殺しにされて火をつけられたので帰りようはない)装飾師から未来への書の共同執筆を頼まれる。大喜びで引き受けるのだが、そのためには緑のインクを作るために森に木の実を取りに行く必要がある。しかし院長はバイキングの襲撃を恐れるあまり甥っ子に修道院(となっているが町の城壁だな。パシフィックリムを想起した)外へ行くことを禁じている。甥っ子はそうはいっても抜け出して森へ行くと狼の群れに囲まれてしまう。そこを不思議な女の子に助けられて無事木の実を取ってくる。さらには、細部の描画用の虫眼鏡(となる魔物の眼球)のために、森の深部へ怪物を退治に行くことになる。当然、院長との軋轢があり修道院の地下牢へ閉じ込められてしまうのだが、そこを女の子や他の装飾師の助けがあって抜け出し、無事魔物を退治して眼球を得る。
しかし院長の予測通りバイキングは襲撃する。しかもせっかく作った城壁がなんの役にも立たない。というか城壁は立派なのだが、門が単純で院長(城壁設計者でもあり、その設計に全力を傾けすぎて装飾師ではなくなってしまった)の能力には疑問符がつく。
襲撃中に島から来た装飾師と甥っ子は森へ逃げ出しそのまま放浪生活となり、一方修道院では襲撃から逃れた人たちの新しい暮らしが始まる(いや、放浪生活に入る必要なかっただろう? とか思わなくもないが、放浪はすべきなのだろう)。
そして甥っ子は放浪の末、無事未来のための本を作り上げて帰還する。
白い狼が途中で完全退場(最後に顔見世はする)するのにはちょっと驚いた。物語的に狼の仲間になるのかと思ってしまって観ていたからだ。おそらくウルフウォーカーからの類推だろうが、逆にトムムーアとしては白い狼の仲間にするほうが良かったか? とウルフウォーカーに繋げたのかもしれない。
とりあえず、超音波診断によれば尿管の結石は流れ出たらしくしばらくは大丈夫らしい。
9月末に妻がどうも調子が悪そうだと言い出して病院へ行った。血液検査の結果、腎臓が異常でいつ死んでもおかしくないと診断される。
妻が別の病院にも行くと言い出して行った先では(妻によればレントゲン検査でよくわからず)超音波検査があって、尿管に結石がつまっていて尿管から腎臓が炎症を起こしていると診断された。結石は腎臓の中に4mm(これはどうにもならないが出ることもないので放置)、尿管に0.5mmの2つで、尿管側が尿を詰まらせ(尿管も腫れて)結果腎臓にも波及(腎盂炎)しているとのこと。
で、しばらく(水分補給目的の)点滴をしたりして石は残ったまま(腎臓を出たすぐの場所)だったが小康状態となったので10月下旬くらいに一度終了。1月下旬の予後検査でも小康状態(石は尿管に残ったまま)。
しかし2月に入って再度調子が悪そうになったので行くと、尿管の石は変わらずだが、炎症が発生している。
1週間程度の静脈点滴による水分補給で流す案と、家庭で皮下点滴による水分補給で流す案の2種を提案され、前者の集中処置のほうが良いだろうと選択。
が、1週間後もそれほど進展なし。
で、長い皮下点滴生活に移行。(炎症を抑える投薬あり)
3月頭に石の移動があったものの(膀胱と腎臓の中間あたり)そこで引っ掛かって状態はあまり進展しない。そのまま皮下点滴作戦を継続。
このとき、10月時点で買わされた(なんか押し売りされたみたいな言葉だが、希望して買ったわけではなく、治療のために必要なので買ってください→了解の流れなので使役形になるのはしょうがない)シリンジ用の針(点滴袋に差し込んで、その次に羽根つき針のチューブに差し込む)より妙に長くて太いのに変わったため、最初数回、羽根つき針のチューブを破ったりして大変だった。で、元の短いのに戻してもらったら(多分10月時点の針とは太さが違うのではないか?)点滴袋から吸い込むのは大変だし、チューブとの間をぎちぎちにねじ込まないと隙間ができて点滴液が漏れたりしてもっと大変で、再度長いのに戻してもらったりした。
2週間前の超音波検査で石はほぼ膀胱の近くまで流れてきているがラストワンマイルは屈曲しているので、尿管を広げられるようにとステロイド剤の投薬も始まる。これがおそろしく苦いらしく、黒はあのてこのてで吐き出すために頑張るのだが、そこは頑張るポイントではない。むしろ口の中にうまく隠している間にますます苦味が出るはずで目を丸くして口を閉じていたりして絵的にはかわいいが、困ったものだった。
で、先週末の超音波検査で石がなくなっている(膀胱から先にもないので、無事膀胱→尿道→排泄となったらしい)。
血液検査の結果も相当良くなってきて、様子見の皮下点滴も今日と明日で終了予定。
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アニコムは10年弱前の前職時代に営業さんとiPadのシステムを売り込みに行ったことがあるのだが(成約ならず)、まさかその時は世話になりまくることになるとは思いもよらなかったが、ほぼ20回/年の通院保険を使い切るくらいにお世話になった。おれの人生でこれまでで一番保険が役に立った事例となった(自動車保険も1回役だったなそういえば)。
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