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遅ればせながらジョーカーを観た。
模した犯罪が行われるくらいだから、時代空間の中で知識として共有しておきたいなぁという要求からだった。
どうでもよいが、アマゾンの惹句中の「売れないコメディアンのアーサー・フレックが暴漢に遭遇したのは、ゴッサムシティの街を道化姿でさまよっていたときだった。」って間違いだな(まず、売れないコメディアンではなく、コメディアン志望でとりあえず小さな店でスタンダップコメディをやらせてもらっているだけだし、暴漢に遭遇したのはとは?(バイト中にチンピラにからまれた、または地下鉄で酔っ払いにからまれた、のどちらかをさしているのだとは思うが)
で、現実と妄想をごたまぜにする手法なので何が起きたことで何が起きていないことなのかは曖昧にしているわけだが、とはいえ写真(の裏書き)はリアルなわけだからおそらくこいつはバットマンの異母兄弟だろうし、バットマンの親父を殺すのは別の謎の賛美者(パトカーを襲った一連の流れで、この間はジョーカーは意識が無い)だろうとか、いろいろ。
悪くはなかった。
ある意味、こういう作品は、どれが事実でどれが妄想なのかで分岐させていくことで解釈が様々になるわけで、その分岐点の作り方がうまいと思った。その点ではエクソシスト3に近いものを感じた。ブラッティ的(トゥインクルトゥインクルキラーカーンもそうだが、ある時点での暴力の爆発が暴力衝動による妄想の産物なのか実際の暴力なのか)で、そういう観点ではタクシードライバーとの類似は感じられなかった(ストーリーは別)。あれは妄想は妄想、行動は行動のドキュメンタリーとして描いている。
たとえば、最後に白い壁の中で制服を着たカウンセラーと面談するシーンがある。同じシーンは、前半で市の福祉事業(途中で渋谷区ふれあい植物センターのように無残に閉鎖される)のカウンセリングを受けているあたりで挿入される。1つの判断としては、時系列で、一時収容されていた刑務所または精神病院→市の契約カウンセラーの面談室→再収用された刑務所または精神病院という流れがある。その一方で、すべてが最初に収容されている刑務所または精神病院の中でのジョーカーの妄想とみなすこともできる。
妻と見ていたわけだが、ウェインという名前にまったく反応しないので、ちょっと驚いた(バットマンは見ているので知っているのかと思った)。すると途中で会いに行く異母弟またはアカの他人の子供(これも分岐だ)が誰か知らずに見ていたのか。ある意味これも分岐点(無関係なウェインかどうか)でもあるな。
妻によると、キング・オブ・コメディ(おれは未見 )を相当意識しているのではないか? とのことだった。
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