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ユーロスペースで、独裁者たちのとき。
太陽や牡牛座でソクロフの語り口のうまさは知っているので実に楽しみに観に行った。
天国の門らしき前で(最初は待合室かも)、スターリン、ヒットラー、チャーチル、ムッソーリーニが門の内側に入れてもらうのを待ちながら、お互いに会話したり複数写して兄弟として自分と語り合う。
最初の待合室の寝台にはキリストが寝ている。話の中で毛沢東が出てくる。
というわけで興味津々に観ている。
構図は抜群、最初にCGとかDeep Fakeとかは使ってないよと出しているので、後から役者を使って撮った映像とドキュメンタリー映像を重ねたり繋ぎ合わせたりして作っているのだろう。
ボカノウスキーの天使の記憶が甦る。イーノの木曜日の午後とか、あの頃はこういったぼやーっとした―ヴァーグという言葉を思い出すがヌーベルバーグのバーグではなく英語のヴェイグのほうだ―映像作品が流行ったな。
というわけで楽しく20分くらい観ていたが、特にヒットラーに顕著だが引用らしいのだがさっぱり元のコンテキストが見えない台詞が増えてきて、しかし映像は単調で、うんざりしてきた。
どれだけ構図が美しく、表現が特異でも、20分は長過ぎる。美術館で1つの彫刻を細部まで観て堪能しまくるには十分な時間だ。コンテキスト(物語という仕組みでも良い)があれば、それによって時間を消費できるが、それは見えない。
しかしそれが90分近く、つまりまだ1時間もあるのだ。
チャーチルがなぜか天国の門をくぐる。ペテロはどこだ? 薄汚い男がそうなのかな。
というわけでつまらなかった。
予告編でフドイナザー回顧展(というか死んでいたのか)のほうが1億倍観たいぞ(というか、最後の作品は観ていなかった。ルナパパがいまいちだったからだ)
続猿の惑星のつるっぱげの人類が立てこもる地下都市のような、見たことないけどバイロイトのオーケストラピットのような、半地下で繰り広げられる異界からの救世主による人類の救済の物語。
設定は似ているが、新国立劇場の演出の最後が絶望で終わるのに対して、弟がそれなりの年齢に達していることもあり、それほど絶望感はなく、むしろ邪魔な異星人に恩を売られまくるよりはさっさと退場してくれたほうがありがたい感(ただし当然エルザは違う)があって、爽やかな終結と言えなくはない。
イタリアオペラを得意とするローエングリンというのは、以前プラシドドミンゴのがいまいちだなぁと思ったが、ベチャワでもなんか違う感がある。というよりも、フォークトを知ってしまうと、ローエングリンのCVは常にフォークトになってしまっているからかも知れない。
どうあっても名前を覚えられないヤニック・ネゼ=セガンのくにゃくにゃした指揮は抜群だった。3幕の序曲が実に楽しみで、しかもとても良かった。
2幕は通常退屈しまくるのだが、ヤニック・ネゼ=セガンの指揮っぷりもあって楽しめた。
あまりに良かったので2回目。千秋楽なのが残念だ。
トロシャンやフロンターリも素晴らしいが、やはり指揮(とオーケストラ)が抜群に良い。アディーオのいきなりな速度。
開幕前にフルートが嵐のあたりの練習をやたらとしているなぁと思ったが(確かに、あの場で外すと困ったことになるが)、その場になるとおそろしい緊迫感がある。
しかし、なぜフルートなんだろう? 小鳥が夜中に鳴くわけはなく、風の吹き始めのピューピューを出したかったのか。むしろ悪魔が来りて笛を吹くかも知れない。
金田一耕助ファイル4 悪魔が来りて笛を吹く (角川文庫)(横溝 正史)
リゴレットとジルダの二重唱でトランペットソロが入る(特に最後の部分が印象的)ことに今回初めて気づいた(聴いてはいたが意識に昇るという意味で)。指揮者の音色処理の絶妙さだ。
同じ意味でコントラバスのピッチカートも目立って、リゴレットは良く知っている曲だと考えていただけに新鮮極まりない。
と、その3つの楽器がやたらと気になったが、カーテンコールで指揮者(ベニーニ)がわざわざ、フルート、コントラバス、トランペットを順に称えたので、なるほど指揮者の意図通りに演奏してみせたのか、と感じ入った。(指揮者がオーケストラ全体でなく、個々のソロパートを称えるのを見るのは初めてだと思う)。
TARを観に豊洲。ビッグイシューのこの時点の最新号がケイトブランシェットインタビュー(ビッグイシューのインタビューは問答形式ではなくインタビュー内容を記事にまとめたものだ)で、おそらくビッグイシューの現在の経営だと映画会社タイアップのインタビュー(その前もスピルバーグだったりする)が大きな収益源なのだろうなぁとか思いながら読んだ。
で、印象的だったのがTARについて話す部分で、若い頃ベニスに死すを観て実に気持ち悪い老人だなと感じたのが、マーラー5番(TARの中で録音するためにリハーサルをしまくる)つながりで見直したらむしろ老人の諦念や孤独が浮き彫りになっていて深く感じ入ったという内容を語っていたところだ。
これを読んだ時点で想起したのは、薔薇の騎士でオクタヴィアンの立場と元帥夫人の立場のどちらで観るか(前者であれば真実の恋愛に目覚める物語であるし、後者であれば自身の成熟を自覚して新しい人生の始まりを宣言する物語である)だった。
が、TARもそういう複数の視点を持つ物語が語られるのだろうと思っていたら、まさにその通りだった。
表面的に立ち現れるのは、絶大な権力を誇るターのアカハラ、パワハラの不愉快さとそれに対する被害者側の逆襲によるターの転落の物語だ。
が、内実は芸術に全振りした人間の不屈の物語である。
そして映画の構造は後者を際立たせている。
最初ほぼいきなりクレジットが始まる。学生時代にフィールドワークに訪れた原住民の音楽をターが歌う間の数分間ずっとクレジットが流れる。作家側にこの音楽(つまりはターの原点だ)をじっくり聴かせる意図があるのは明白であり、かつ若いターをあえて映像として作るつもりは一切ないことを示す。あくまでも映像は現在進行形のものに限定するという意思を見せている。
ただ、あまりにもクレジットが長いというのと、日本ではアルファベットにアレルギーがある人が多い道理で、さっそくスマホを取り出す人間が出現して眩しかった。
SNSにターを映してまた偉そうな説教を言いやがっているのような陰口が交わされる。
ターは公開インタビューかレクチャーに出ている。
うまい構造で、インタビュアー(か司会)がターを紹介するのが自然な流れとなっていて、彼女が学生時代に(場所忘れた)フィールドワークで民族音楽の研究をしていたこと、その後指揮者としてアメリカの地方都市を皮切りに5大交響楽団の常任となり、ついにベルリンフィルの首席指揮者となったことが示される(ちなみに、ベルリンの首席指揮者がどれだけの栄光かは、マゼールやチェリビダッケのように当然自分がその座に着けると思ったのに外れた場合の人生の狂いっぷりから明らかだ)。現在マーラーの交響曲全集を作成中で最後の収録となる5番の作成中であることが示される。
また、女性の楽人を育てるためのプロジェクトの面倒を見ている(自身も出資している)ことも語られる。
指揮者としてはレナードバーンスタインの薫陶を受けたことが示される。バーンスタインはニューヨークフィルで全集(ただし大地の歌はイスラエルフィルで、ロンドンからはウィーンフィルで出している)を作ったのちに、コンセルトヘボウでも作っている(が、こちらにも大地の歌は含まれない。ただし10が収録されている)。DGが映画に協力しているがクーベリックが出てこない(言及すらされない)のは、まあ本筋から離れすぎるからだろう。
が、映画の中でバーンスタインのマーラーとしてピックアップされるのはベルリンを振った第9で、その気持ちはよくわかる(単にジャケ写が良いから選んだという可能性もある。で気づいたがDGだからじゃん。まあそんなものだ)。
インタビューでバーンスタインがケネディの追悼コンサートでアダージェットを12分かけて演奏したことをターは批判する(手元のコンセルトヘボウ版でも11分を超える)。自分は7分にする。僕の大好きなワルターがウィーンを振ったアダージェットが7分59秒だから、それよりも少し速いのかも知れない。であればとても良い指揮者だ。(リハーサル風景で変ハ短調の冒頭部をやるが弱音器付きトランペットだと思っていたが壁の後ろで演奏するからのシンバル一閃のトゥッティは素晴らしい)
彼女はイスラエルフィルでは実に不愉快な思いをしたことを軽口として喋る。
非ユダヤ人、非ドイツ人、女性、アカデミックは民族音楽と3拍子揃っているだけにえらく苦労したことが偲ばれる。
ジュリアード音楽院でのレクチャー。一瞬八村義夫かな? と思わせる室内楽曲を学生が振っている。
ターがなぜその曲を選んだか質問する。得意満面に自国の作曲家で女性だからだと語る学生。
いや、指揮している以上、普通その楽曲について音楽を語るだろう。と観ていたら、案の定ターにくそみそに言われる。当然だ。
で、バッハをやれ(とはいえロ短調ミサだからばかには振れないので良いアドバイスっぽい)と言うと、自分はゲイだから子供を20人も産ませたドイツ人の男の曲など振れるかと口答えする。
当時の医療事情を少しでも知っていたら20人のうち無事成人したのは10人だということや、アンナ・マグダレーナと実に仲睦まじかったか(最初の死別した奥さんについては知らんが、あの有名な音楽帖のメヌエットを楽しそうに二人で交互に弾いたりする姿は目に浮かぶ)などは音楽院の学生なら当然知っていると思うのだが、この男はそういう知識すらなくどうも表面的な「意識高い」で口先だけの薄っぺらさが透けて見えて、観ていて不快になってくる。こいつの頭の中では17世紀ドイツでもピルがあるとか信じているんじゃないか? ただ、極端に貧乏ゆすりをするのは緊張していることを示しているのだろう。
が、ターはバッハの音楽に向き合えとわざわざハ長調の前奏曲を弾いて見せる。途中グールドの真似をするのが姿勢といい、ノンレガート奏法といい笑わせてくれる。
で、相当重要な質問をする。シュバイツァーのバッハについてだ。もちろんかっての名解釈者であり名演奏家(として知られている)であり僻地医療の大先駆者であると同時に、白人至上主義で現地人に対する文化的抑圧者でもある。当然、この学生の思想から行けば大糾弾するだろう。
が、この学生はそれすら知らない。ただ、ひたすら自分はゲイだからバッハは振らないと主張する。
結局この学生は音楽についても語れず、自身の政治信条についてもろくに語ることもできない。ついに、ターも切れて他の学生に対して本質的な質問をする。この学生が自分が振った曲について考えていることは何か?
当然の結果となる。
結局、ターは学生の極度の緊張(おそらく単に意地を張っているだけで、意地を張り通すことに全振り)に気付かず、一方学生はターが意を尽くして音楽とは何かを説明しているのに何も教わる気持ちが無いまま終わる。
(というようにターの真摯な芸術への向き合いに対して、常にターの周囲の相手はターの権威/権力だけを見ているという二つの視点のずれっぷりが映画で語られる。そのずれっぷりとターの孤独さがサスペンスを生む。もっともターも自分で転んだケガを男に襲われたことにするといった話を盛る悪癖があるようだが、世界を解釈して示すのが指揮者なのだから、そう解釈したのだろう。ただ、ターの周囲にただ一人ターをリディアという個人として見ている人間がいてその関係性だけが救いなのに、それすら断たれることになる(まったく獅子身中の虫ほど怖いものはない)。それにしてもケイトブランシェットの爬虫類の眼はこの役にぴったりだ)
おそらくあえてジャクリーヌ・デュ・プレとバレンボイムの関係について触れないまま(というかデュプレとバレンボイムのエルガーのチェロ協奏曲って実在するCDなのか?)に、エルガーのチェロ協奏曲を使う。
最後、ター自身も周囲も同じ視点で音楽に向き合う場を得てハッピーエンドとなる。
(台詞が実にうまい。おそらく最初の学生なら見向きもしないような曲だろうが、ターは大阪にいる作曲者と連絡を取って解釈の一助にしようとする)
恐るべき作品だった。
冒頭の公開インタビュー後にユダヤ人のエピゴーネンの指揮者との会話で東急文化村に言及があるが、そんなにメジャー(そこで演奏することが名誉)なホールなのかなぁ。協賛に東急電鉄は入ってなかったからそうなんだろうけど(発音がエキゾチックだからとか?)。
5番って葬送行進曲から始まるし、大いなる歓びへの賛歌から悲劇的への単なる橋渡しの曲だと考えていたので、アルマとの幸福の絶頂期の喜びに満ちた曲と言われるととても不思議だったので、あらためて聴いてみたら、これはこれで苦悩から歓喜へタイプなのかも知れない。5楽章は小鳥の歌で始まるし、確かに幸福感に満ちている。葬送行進曲が冒頭なのは過去の自分との決別か。
有楽町でポーランドの作家イエジー・スコリモフスキのEOを観る。なんか久しぶりの東宝東和の映画だ。EOはロバの名前。
ロバが出るからバルタザールどこへ行くみたいな映画かと思ったら、ロバの放浪記という意味ではその通りだったが、違うといえば全然違う。
ロバの目はでかくてうるうるしているから、このタイプの映画には相性が良い。
1.サーカスで最後に立ち上がる役回り、動物虐待反対運動、サーカスは破産してEOは売られる
2.荷馬車ひきの役回りとなる。一緒に飼われている馬に憧れて動き出していろいろ破壊してしまう。
3.次の買い手の子供牧場でそれなりに馴染む。そこにサーカスの相棒の女性が訪問してきてやっぱり彼女が好きとばかりに脱走して後を追う(朝のシーンのフォーカスを手前から後ろに切り替えるところはおもしろい)。この後、邂逅するのかと一瞬思わせるが、女性は一緒に来た恋人と一緒に未練を断ち切って去ってしまうのでそれはないなとわかる。
4.相棒捜索の旅路は続く。夜の森の中がおっかない(狼の死骸)
5.町のショーウインドーを見ているところで消防に捕獲される
6.消防が車を止めてサッカーの試合を見ているところに別の観客が来て綱を外される
7.地元チームがペナルティキックの危機というときに鳴き声をたてたのでボールが外れて(因果関係は不明)地元チームは勝利する
8.祝賀パーティ会場から抜け出て外に出ていると、相手チームが金属バットを持って殴り込みに来る。大惨事。ポーランドのサッカーファンもおっかないなぁ。でもEOは逃げていて良かったと思わせておいて、結局EOも見つかって半殺しにされる。
9.ロボットの爬行シーン
10.なんか野生動物がたくさんいるところで獣医が治療してくれる。売ろうぜというやつがいるがいるが、獣医はおれは医者だ、治療が仕事だ、何言ってんだ? というような会話がある。
11.歩けるようになったので早速仕事をしろと荷車をつけられる。が、動かないので御者がのぞきこんだところを蹴り殺す
12.サラミにするために市場送りとなる。
13.ドライブインで運転手が食事をとるための休憩。EOは外に繋がれる。運転手は移民の女性をナンパ。露骨な誘い掛けを言って去られてしまい、これだからおれはだめなんだよなぁと述懐。そこに謎の男が来て首を掻き切ってしまう。
14.たまたま車が故障した男がドライブインまで延々と歩いてやって来る。繋がれているEOを見つけて、解放して一緒に(ヒッチハイクか?)トラックで家に帰る。玄関から延々と道がある大邸宅。
15.男はイザベルユペールの義理の息子と判明。父親(ユペールの夫)の遺産についての言い争いとかしている間にEOは脱走
16.牛やら山羊やらと一緒になって歩いている。どうも屠殺場への長い道らしい。
17.この映画では動物を傷つけていないし、動物と自然の保護がテーマです(おそらく嫌味)とクレジットが入る。
EOの視界は赤黒と設定しているようだ。どこで挿入されたか忘れたが鳥の死骸のシーンは狼の死骸と並んで印象的だ。どうも死骸はキーとされているように見える(実際、死はテーマの1つだろう)。
おもしろかった。これは映画だった。
これは抜群。あまりに良かったので、帰りにボックスオフィスで千秋楽のチケットも買ってしまった。
まず、指揮のベニーニのテンポ感が抜群でなんかベルディを聴いているぞ感が楽しい。歌手が相当カデンツァを入れているが(あまりにうまく合っているので指揮者側の要請なのかな?)、それも合わせて気持ちが良いリゴレットだ。金管も(なんか一か所??となったところがあったが)とても良い。とにかく聴いていて気持ちが良いのだった。
サージという人のコスプレ+抽象舞台装置による演出も良い。廷臣(佞臣)たちの動きが良い(とはいえ、ネズミの扮装する演出も好きだが)。
リゴレットのフロンターリは急な代役をものともしない貫禄で良いし、ジルダのトロシャンはとにかく声量があるのは良いことだのような抜群なジルダ。というか、中音域が実に豊かで聴いていて気持ちが良い。マントヴァ公のリヴァスはちょっと英雄的でぶっきらぼうな歌だが悪くはない。というか、妻屋のスパラフチーレも実に良いし、歌手も抜群。
それだけに復讐してやると字幕だけがさびしく流れるモンテローネがちょっと残念。
子供がおもしろいから観ろというので、歌舞伎町のIMAXシアターでワイルドスピード/ファイアーブーストを観る。
中性子爆弾(とセリフで言っていた)がゴロンゴロンとローマの市内を転がりまくるのが売りの一つなのだろう。確かにおもしろい。が、中性子爆弾と言ってみたかったのか? という爆発の仕方(とんでもない爆風が巻き起こって車がばんばか将棋倒しになっていく。おもしろい、が人間は一緒になってひっくり返るだけ)で、まあ娯楽作品ですなぁ感が漂う。
が、それはともかく、バイクのチェイスで障害物をジャックナイフからくるっと回転させてまたぐところとか気分良い。
退屈は一切しなかった。が、このタイプの映画を観ていて常につきまとう空疎感だけはどうにもならない。
リーゼ・ダーヴィドセンが元帥夫人というので観に行った。
指揮はシモーネ・ヤングで、いつもながらの颯爽とした良い指揮。女性大活躍の歌劇だけに指揮もあえてシモーネ・ヤングをぶつけてきたのかも知れない。
リーゼ・ダヴィドセンは、バイロイトのターンホイザーが良かったので興味津々だったのだが、元帥夫人の背の高さにいささか驚いた。ターンホイザーでは気づかなかったが、メトがあえてそういう配役にしたのかも知れないが、オクタヴィアンのサマンサハンキードリー(とても良いオクタヴィアン)やオックスのグロイスベック(あまり下品ではないこれはこれでありの男爵)より遥かに背が高い。
かくして、最後に宿屋に登場するときは、黒い服と合わせて聳え立つ孤高の雄峰のようで威厳があるどころの騒ぎではない。
幕間インタビューで元帥夫人への挑戦は疑問視されたというようなことを言っていたが、顔が童顔、背の高さは驚き、声は澄んでいるので、エルザには文句なしでも、確かに元帥夫人に合うかどうかは微妙な線だったのかも知れない。
が、顔の童顔っぷりと周囲を威圧する体格のアンバランスが、現在の目では全然老婆ではないのに物語上は既に枯れ切っているべき扱いの年齢という、ある意味の時代的制約がもたらす女性の人生に対するアンバランスも示しているようで悪くはない。
ただ、メトの薔薇の騎士の演劇面(というよりも舞台設定)の特に3幕はあまり好みではない。時代設定を第一次世界大戦直前におくのは、新国立劇場の演出もそうだが、説得力があるので良いのだが。
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