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日々の破片

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2023-05-13

_ TAR

TARを観に豊洲。ビッグイシューのこの時点の最新号がケイトブランシェットインタビュー(ビッグイシューのインタビューは問答形式ではなくインタビュー内容を記事にまとめたものだ)で、おそらくビッグイシューの現在の経営だと映画会社タイアップのインタビュー(その前もスピルバーグだったりする)が大きな収益源なのだろうなぁとか思いながら読んだ。

で、印象的だったのがTARについて話す部分で、若い頃ベニスに死すを観て実に気持ち悪い老人だなと感じたのが、マーラー5番(TARの中で録音するためにリハーサルをしまくる)つながりで見直したらむしろ老人の諦念や孤独が浮き彫りになっていて深く感じ入ったという内容を語っていたところだ。

これを読んだ時点で想起したのは、薔薇の騎士でオクタヴィアンの立場と元帥夫人の立場のどちらで観るか(前者であれば真実の恋愛に目覚める物語であるし、後者であれば自身の成熟を自覚して新しい人生の始まりを宣言する物語である)だった。

が、TARもそういう複数の視点を持つ物語が語られるのだろうと思っていたら、まさにその通りだった。

表面的に立ち現れるのは、絶大な権力を誇るターのアカハラ、パワハラの不愉快さとそれに対する被害者側の逆襲によるターの転落の物語だ。

が、内実は芸術に全振りした人間の不屈の物語である。

そして映画の構造は後者を際立たせている。

最初ほぼいきなりクレジットが始まる。学生時代にフィールドワークに訪れた原住民の音楽をターが歌う間の数分間ずっとクレジットが流れる。作家側にこの音楽(つまりはターの原点だ)をじっくり聴かせる意図があるのは明白であり、かつ若いターをあえて映像として作るつもりは一切ないことを示す。あくまでも映像は現在進行形のものに限定するという意思を見せている。

ただ、あまりにもクレジットが長いというのと、日本ではアルファベットにアレルギーがある人が多い道理で、さっそくスマホを取り出す人間が出現して眩しかった。

SNSにターを映してまた偉そうな説教を言いやがっているのような陰口が交わされる。

ターは公開インタビューかレクチャーに出ている。

うまい構造で、インタビュアー(か司会)がターを紹介するのが自然な流れとなっていて、彼女が学生時代に(場所忘れた)フィールドワークで民族音楽の研究をしていたこと、その後指揮者としてアメリカの地方都市を皮切りに5大交響楽団の常任となり、ついにベルリンフィルの首席指揮者となったことが示される(ちなみに、ベルリンの首席指揮者がどれだけの栄光かは、マゼールやチェリビダッケのように当然自分がその座に着けると思ったのに外れた場合の人生の狂いっぷりから明らかだ)。現在マーラーの交響曲全集を作成中で最後の収録となる5番の作成中であることが示される。

また、女性の楽人を育てるためのプロジェクトの面倒を見ている(自身も出資している)ことも語られる。

指揮者としてはレナードバーンスタインの薫陶を受けたことが示される。バーンスタインはニューヨークフィルで全集(ただし大地の歌はイスラエルフィルで、ロンドンからはウィーンフィルで出している)を作ったのちに、コンセルトヘボウでも作っている(が、こちらにも大地の歌は含まれない。ただし10が収録されている)。DGが映画に協力しているがクーベリックが出てこない(言及すらされない)のは、まあ本筋から離れすぎるからだろう。

が、映画の中でバーンスタインのマーラーとしてピックアップされるのはベルリンを振った第9で、その気持ちはよくわかる(単にジャケ写が良いから選んだという可能性もある。で気づいたがDGだからじゃん。まあそんなものだ)。

インタビューでバーンスタインがケネディの追悼コンサートでアダージェットを12分かけて演奏したことをターは批判する(手元のコンセルトヘボウ版でも11分を超える)。自分は7分にする。僕の大好きなワルターがウィーンを振ったアダージェットが7分59秒だから、それよりも少し速いのかも知れない。であればとても良い指揮者だ。(リハーサル風景で変ハ短調の冒頭部をやるが弱音器付きトランペットだと思っていたが壁の後ろで演奏するからのシンバル一閃のトゥッティは素晴らしい)

マーラー : 交響曲 第9番 & アダージェット (Mahler : Symphony No.9 & Adagietto / Bruno Walter | Vienna Philharmonic) [CD] [日本語帯・解説付](ブルーノ・ワルター)

彼女はイスラエルフィルでは実に不愉快な思いをしたことを軽口として喋る。

非ユダヤ人、非ドイツ人、女性、アカデミックは民族音楽と3拍子揃っているだけにえらく苦労したことが偲ばれる。

ジュリアード音楽院でのレクチャー。一瞬八村義夫かな? と思わせる室内楽曲を学生が振っている。

ターがなぜその曲を選んだか質問する。得意満面に自国の作曲家で女性だからだと語る学生。

いや、指揮している以上、普通その楽曲について音楽を語るだろう。と観ていたら、案の定ターにくそみそに言われる。当然だ。

で、バッハをやれ(とはいえロ短調ミサだからばかには振れないので良いアドバイスっぽい)と言うと、自分はゲイだから子供を20人も産ませたドイツ人の男の曲など振れるかと口答えする。

当時の医療事情を少しでも知っていたら20人のうち無事成人したのは10人だということや、アンナ・マグダレーナと実に仲睦まじかったか(最初の死別した奥さんについては知らんが、あの有名な音楽帖のメヌエットを楽しそうに二人で交互に弾いたりする姿は目に浮かぶ)などは音楽院の学生なら当然知っていると思うのだが、この男はそういう知識すらなくどうも表面的な「意識高い」で口先だけの薄っぺらさが透けて見えて、観ていて不快になってくる。こいつの頭の中では17世紀ドイツでもピルがあるとか信じているんじゃないか? ただ、極端に貧乏ゆすりをするのは緊張していることを示しているのだろう。

が、ターはバッハの音楽に向き合えとわざわざハ長調の前奏曲を弾いて見せる。途中グールドの真似をするのが姿勢といい、ノンレガート奏法といい笑わせてくれる。

で、相当重要な質問をする。シュバイツァーのバッハについてだ。もちろんかっての名解釈者であり名演奏家(として知られている)であり僻地医療の大先駆者であると同時に、白人至上主義で現地人に対する文化的抑圧者でもある。当然、この学生の思想から行けば大糾弾するだろう。

が、この学生はそれすら知らない。ただ、ひたすら自分はゲイだからバッハは振らないと主張する。

結局この学生は音楽についても語れず、自身の政治信条についてもろくに語ることもできない。ついに、ターも切れて他の学生に対して本質的な質問をする。この学生が自分が振った曲について考えていることは何か?

当然の結果となる。

結局、ターは学生の極度の緊張(おそらく単に意地を張っているだけで、意地を張り通すことに全振り)に気付かず、一方学生はターが意を尽くして音楽とは何かを説明しているのに何も教わる気持ちが無いまま終わる。

(というようにターの真摯な芸術への向き合いに対して、常にターの周囲の相手はターの権威/権力だけを見ているという二つの視点のずれっぷりが映画で語られる。そのずれっぷりとターの孤独さがサスペンスを生む。もっともターも自分で転んだケガを男に襲われたことにするといった話を盛る悪癖があるようだが、世界を解釈して示すのが指揮者なのだから、そう解釈したのだろう。ただ、ターの周囲にただ一人ターをリディアという個人として見ている人間がいてその関係性だけが救いなのに、それすら断たれることになる(まったく獅子身中の虫ほど怖いものはない)。それにしてもケイトブランシェットの爬虫類の眼はこの役にぴったりだ)

おそらくあえてジャクリーヌ・デュ・プレとバレンボイムの関係について触れないまま(というかデュプレとバレンボイムのエルガーのチェロ協奏曲って実在するCDなのか?)に、エルガーのチェロ協奏曲を使う。

最後、ター自身も周囲も同じ視点で音楽に向き合う場を得てハッピーエンドとなる。

(台詞が実にうまい。おそらく最初の学生なら見向きもしないような曲だろうが、ターは大阪にいる作曲者と連絡を取って解釈の一助にしようとする)

恐るべき作品だった。

冒頭の公開インタビュー後にユダヤ人のエピゴーネンの指揮者との会話で東急文化村に言及があるが、そんなにメジャー(そこで演奏することが名誉)なホールなのかなぁ。協賛に東急電鉄は入ってなかったからそうなんだろうけど(発音がエキゾチックだからとか?)。

5番って葬送行進曲から始まるし、大いなる歓びへの賛歌から悲劇的への単なる橋渡しの曲だと考えていたので、アルマとの幸福の絶頂期の喜びに満ちた曲と言われるととても不思議だったので、あらためて聴いてみたら、これはこれで苦悩から歓喜へタイプなのかも知れない。5楽章は小鳥の歌で始まるし、確かに幸福感に満ちている。葬送行進曲が冒頭なのは過去の自分との決別か。


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