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RHGは、実装を読む本だったわけだが、仕様書を読む本というのはどうだろうか?
仕様自体があまりに長かったり複雑だったりすると躓いたり途中で嫌になりそうだから(まあ、そういうのはあるなぁ)、たとえばECMAScriptとか、いや温故知新でNewtonScriptとかでも良いかも。
で、仕様書の読み下し+実装という感じ。実装言語はやっぱりCかな? C++でも良いかも。でも実装はどちらかというとおまけで、仕様の読み方とリファレンス実装として既存の実装での動作の確認とか。
#別に言語じゃなくても、RFC2616とか、RFC821(古いな。多分これだけじゃだめなんじゃないか?)RFC2821とかでも良さそうだ。
追記:高橋さんが教えてくれた
RFCの読み方―インターネット技術の公式仕様書(聖, 瓜生)
って、実装の仕方はついてなさそうだけど、結果的にBNFの読み方を知ることもできそうだし(それに、SMTPよりPOP3のほうが良さそうだ)、興味深い。あとは原文を読むのかどうかだけど、RFCだから原文だろうし。
もう2月になっている。
Apple iPod shuffle 1GB オレンジ MA953J/A(-)
買うぞ。と思ったのはいいんだけど、オレンジって夕刊フジのキャッチだったよなぁ。それを思い出してちょっとひいてしまった。
じゃあ、今の時点で一番売れてない、ピンクかなぁ。
Apple iPod shuffle 1GB ピンク MA947J/A(-)
#追記:結局オレンジ買っちまった。それにしても人気あるな。
多分、校長ってのは長とはついても単なる雇われ社長みたいなもんだから、当然、資本を握ってるとこの一番偉い人、が、そうしたいんじゃない。校長は、単に高い勤務評価を得たいだけだろう。まあ、その偉い人を選んだばかものがおれとその隣人たちだということになるわけだが(そんなものに貴重な票を投げるはずはないが、多数決には従うってのをやる限り、結局は、おれも選んだことになる)。
あれは、しょっちゅう、そのてのことを言ってるし、そのての処分もやってるから、昔の浄水所の上のほうから電波が飛んできてるんだろう。
カタから入る、入れるという考え方がある。
でも、人の考えは水と同じで方円の器に従う。
だから、しょせん、単に形だけに過ぎない。口先だけ、のゆえんだ。
したがって、実質が伴うこと、たとえば納税とか、は逃れようと考えるんだろう。つまり、そんな実が伴わない形だけのものなど捨ててしまえ、とおれは考える。カタチあるものはすべて壊れ、イノチあるものはすべて死ぬ。そんな備前徳利にお辞儀をするのは、ばかだ。
と、書いたところで、突然、思い出した。カントは何も、時計親父ということだけ知ってたわけじゃない。我が内なる道徳律という美しい考えは知っていた(今この瞬間まで忘れてたけど)。481
#そうだ。英語の授業を小学校でやるとかどうとかという議論の時に、そんなものより、まず国語って意見があったな。英語はともかく、白くて赤いものや、最初は勇ましいのになぜか厳かに変わってしまうようなくだらないものより、まず国語をちゃんと学ばせろ、とおれは思う。
壊れちゃったものはしょうがないので買うことは決定。
必要なのは自動両面だということと、なんとなくHPのプリンタ嗜好ってことかな。
で、yamazさんが相談に乗ってくれて
BROTHER A4レーザープリンタ HL-5270DN(-)
を推薦してくれた。ブラザーは気になってたし、価格も許容範囲なんでこれにほとんど決めかけてたんだが、レーザーって電力消費が半端じゃなくて断念(ピークで約1KW、そうじゃなくても600Wって、電子レンジ並なんで、家だとブレーカーが落ちる可能性がある。まさかプリントする前にエアコンを切るなんて運用はしたくはないし)
で、結局、
HP Photosmart C6175 All-in-One(-)
と、
B000CQ3LNU
これの一騎討ちになった。どっちも自動両面に対応してる。
で、Faxもフォト印刷もスキャナもいらない(コピーはあれば使う)ので、機能的には後者、デザインは前者と。思ったら、後者は無線が無いことがわかったので、やめて、前者を購入。
しかし、こんな出費をすることになるなら、iPod Shuffleは買わなきゃ良かったと後悔先に立たず。
追記:お急ぎ便だけあってもう届いたのは良いが、複合機って背が高いのな。今まで入れてた場所に入らなくて困ってたり。厄介だな(無線だから場所さえ作ればどこでも良いのか――電源さえ取れれば……)
大失敗!―成功企業が陥った戦略ミステイクの教訓(ジャック トラウト)
まだアマゾンを貼り付けてなかった頃ちょろっと触れたトラウトの大失敗という興味深い本がある。
たかだか4年前に読んだのに、すでに他のとごっちゃになってるかも知れないけど、営々と築き上げたブランドがイメージの転化に失敗して一瞬にして崩れ落ちる恐怖のケーススタディだ。でも、成功するところは成功する。
時代とともに、求められる製品が大きく変化することがある。その変化への対応を、1. 変化する、2. しがみつく と分けた場合に、変化するのは実に難しいということ、ではどう変化させればうまく行くのかといったことを変化に失敗した企業と成功した企業それぞれについて扱った本である(と記憶している)。
追記:なんか、下の本を想起しているらしい(どっちも手元にないので確認できない)ような気がしてきた。市況変化に対する対応に失敗するという例は下のようだ(あるいは過剰適応してしまうとか)。ブラザーの場合、ジャノメの売り上げと比較して過剰適応で本業を捨てたとは言えないので、すごくスマートに対応した例ということに見える)
大企業の絶滅―経営責任者(エグゼクティブ)たちの敗北の歴史(ロバート ソーベル)
ブラザーといえば、僕の世代にはおそらく、蛇の目(ジャノメ)、リッカーやシンガーと並んでミシンの会社だ。それにしても、ミシン=マシンだったんだよなぁ、と。一般家庭に入り込んだ、最初の普通の人が目にすることがあるメカってことだな。でも、中国からばかばかしく安く縫製製品を買える今、家庭からこのマシンは放逐されつつあるようだ(家にあるのはジャノメで重宝してるんだけど、壊れないから企業的には辛い商品かも。消耗品の糸や針なんて価格が知れているから、プリンタ屋さんみたいなおいしい商売にはならなそうだ)。おれ、小学校の頃、家庭科でミシンの利用方法を学んだし、実際、踏めるけど今もミシンの技術習得はさせてるんだろうか?
リッカーは死んだ。もっともミシンメーカーとしてのブランドは強いので、復活している。
ブラザーは変化した。(ミシンの売り上げ500億に対してプリンタが3000億近い)
蛇の目(家のはそうだ)は、売り上げ500億企業(ブラザーのミシンの売り上げとほぼ等しい点に注目)。
シンガーはどうにか生きている。ちょっと企業規模が上の2つとは異なるけど。
ブラザーの歴史を見ると、多角経営について早い時期から実行していたことがわかる。ミシンというより、編み機のテクノロジーが要点なのかな?
HP買うのもうやめようかなというくらいに不快になる。というかもう2度と買わない。これまで5台は買ったはずだが、これでおしまいだ。夏の前には東京電力との契約を変える。それで2度とHPを見る必要はなくなる(今動いているやつは使うけどな。次の話だ)。
サポートページで毎ページアンケートに答えるかという馬鹿なメッセージが出てくる。1度ならバカとは言わないよ。常に出てくるからだ。いや、それだけだったらバカとは言わないよ。あまりに頻繁に毎ページ出てくるから、ついにぶち切れて「OK」と入れて送ったのに、まだ出てくるからだ。それも毎ページ。
しかも、1日たっているのに(昨日、プリンタが壊れたと判断するまでずっとサポートページを見ていたからだ)、結局、アンケートそのものは送って来ない。送って来たら、アンケートが不快(だって、今まさにトラブルが発生しているからサポートページを参照しまくっているのに、毎ページ、アンケートに答えろって聞いてくるんだぜ。神経逆なでしまくりこぞう)と書こうと待ち構えているんだが。
で、今日は今日とて、Vistaで両面モジュールが無いもの扱いされる(XPからはちゃんと使えている)のでサポートページをみると、やはり毎ページ聞いてくる。
MSは最初に聞いてきて(しかもページ内部を覆うようなHPスタイルじゃなくて、本物のページから離れたところに出てくる)、しかも1回消せば2度とは出てこない。しかも、出てくるのは時々だ。
この2社以外でこんなものを出してくるのは幸いにして見ない。
理由は大体わかる。HPはアメリカの企業だから、サポートパーソンの数値的評価のためだろう。アンケートによって顧客満足度を測り、それを査定に利用する。
お客を利用するなよ、くそきぎょう。
とりあえずは、60A契約する。次壊れたらブラザー買う。決めた。
もう1個あった。Vistaについてはこのページを見ろと書いた紙が入っていた。OK。ここまでは無問題だ。
で、そのページをみると英語ページだ。ばかですか? 紙には日本語が書いてある。日本人の顧客を想定しているのではないですか? で、異なる国を選べばリダイレクトはするとはいうものの、もちろんその選択も英語だ。
コンシューマ用のプリンタだろ? おれは、他人には勧めないね、こういうくさった仕様をやるような企業の製品は。
でも、まだそこまでは良いとしよう。良くはないけど。
実はそのページはデッドエンドで、しかも有用な情報がない。マイクソフトとHPは仲良しだから、ちゃんと対応すると書いてあるだけだ。
本当のサポート情報は、ホームから製品情報に飛ぶと、はじめて出てくる。そこからドライバーが入手できる(が、両面モジュールの動作が不都合なんだが、というかサポートの問い合わせフォームも無い、あるいは普通に見ていても見つからない、しかもページを表示するたびに、大きなアンケートするかの気分はグレーきわまりないでっかな矩形がページを覆い隠す)。
わざわざ紙を入れて、日本語で、英語ページに誘導し、しかもそこはデッドエンドになって、ありがたいMSとHPの仲の良さのお説教だ。うんざりだ。
追記:キャプチャとるために見ていたら、やっとEメールサポートのページが見つかったので自動両面印刷モジュールについての質問を投げることができた。
あと、書き忘れていたが「この情報はお役にたちましたか?」という馬鹿なフロートしてどこまでも追っかけてくるアンケートが目障りだ(ただし、こいつは端っこに出ているので目障りなだけで、ページを読む邪魔はしない)。
2つのCOMコンポーネント間でC++のオブジェクトを交換する場合について、裏庭に追加。
実コードを使ってないので、APIやマクロにバグがあるかも知れない。
要点は、IDLに必要に応じてstub/proxyを生成させること。
これにより、string属性が付いた引数のchar*や、char**が指す先はマーシャルされ呼び出し元プロセス/スレッドで処理できる。メモリー確保が必要な場合は、CoTaskMemAlloc族を利用する。
もしプロセス内かつ同一アパートメントであれば、stub/proxyは不要だが、そうでなければ、マーシャルするコードはmidlが生成したproxyから別途コンパイルする必要がある。また、同一アパートメントであってもマルチスレッドの場合、複数のスレッドからアクセスされるのであれば排他制御は必須となる。
あとは、RefCountの処理で、delete thisという自殺コードが必要(delete前に自動変数にRefCountを保存するのが重要。そうでないと、return時に開放済みメモリを参照して死ぬ可能性がある)。
アフィリエイト経由で、見知らぬCDを買った人がいるので、どんなCDか見た。
えー、子供じゃん、と思ったら12歳とか書いてある。12歳か。
12歳というと、どうしてもこれを思い出す。
高橋悠治ソングブック「ぼくは12歳」(紙ジャケット仕様)(高橋悠治)
ソングブックのアマゾン評は低い。中山千夏の歌が一本調子だと批判している。でも、考えてみればよい。夭逝ではなく、自殺だ。ドラマティコに歌うのか、残された大人が? あえて、無表情に無感情に、残された言葉をていねいに拾って声にする以外にどのような表現があるというのだろう? だから、僕はこのソングブックは嫌いだ。でも声に出す必要があるのであれば、このソングブックは圧倒的に正しい。星は5つ。
ボクはうちゅうじんだ、また地球の底を、というような詩と歌は、なんとなく覚えている。僕は、12歳を越えていたが、なんとなくその気持ちには共感するものがあった。おそらく、このソングブックを作った人たちにも、通底するものがあるのだろう。
なんとなく違和感を覚えるということだ。どうして、みんなはああなのかな? みたいなやつ。
otsune風に中二病とかいうやつかも。でも14歳で罹患すれば死にはなかなかないたらない。でも、12歳にはちょっと早い。
が残されているわけだ。
今頃になって、開始。ってのは、子供に受験が終わったらやってもいいよ、合格したらおれも買って付き合ってやるよ、とした約束を守ることになったからだ。(子供用のはクリスマスに買ってやったが、おれのは今日、買ってきた)。昨晩から始めた子供はいつのまにか釣竿持って魚を売って暮らしているが(これ、もしかしてそのうち農耕に進歩するのか?)、おれは今日からだ。
最初の登録するところで、「役場ってよめる?」とか聞いてから漢字表記か平仮名表記か決めさせるとか、なかなかうまい配慮かもなぁ、とか思いながら始める。ルールとかネットワークコミュニケーションの基礎とかみたいなことを最初にアルバイトさせながら教えるのか、とか、子供でも遊べるようにこういったタイプのゲーム(なのか?)を作るってのは難しそうだな、とかいろいろ感心する。が、あまりおれにはおもしろくない。まだ始めたばかりだから、だろうとは思うが。
それよりも、妙に評判が良いのでこっちのほうが興味がある。
しかし、八潮のジャスコでも品切れだったので、本当に売れてるんだろう。というか、アマゾンには一応、1〜2週間で出荷と書いてある(どうも、この場合は信用できなそうにも思うけど)ので、時期的にちょうど良いはず、そうでなきゃいかんだろうなので、つい注文してしまった。
月日は百代の過客にしてという言葉が浮かんでは消え浮かんでは消え……
というか、まさかたださんと同じ色になるとは思わなかった。
オレンジ色の光に包まれて生れ落ちて50年(さばはよんでいる)、おれとオレンジは頭韻で結ばれた仲なのだ。そんじょそこらの仲ではない。
それにしても、妙に大仰なケースに入っていてひいた。以前の紙のやつのほうが好きだな。
というか、もともとなんでオレンジかと言うと、「不人気のオレンジ系統」という言葉に惹かれたからだ。しかし、そうは言ってもスラドクォリティ、蓋を開ければ大人気だったのであった。ピンクにしときゃ良かった。
バインドとバインディング?
原文を参照:Data Binding Expression Syntax
日本語の「データバインディング式」に相当する英文が見つからない。
日本語のほうを見ていると、どうも、DataBinderクラスのEvalメソッドに与える式をデータバインド式、DataBindingクラスのExpressionに相当するものをデータバインディング式と言っているような感じがするが、どっちもデータバインディング式ではないかとか。
で、どちらも<%#でマークアップする(というと嘘で、プロパティエディターがコントロールのプロパティに設定する時点で、DataBindingクラスのインスタンス化するので、それ以外の要素は含めることはできない)のだが、日本語のデータバインディング式のほうはデータバインディングWebサーバーコントロールがアイテムを列挙する時にEvalメソッドやBindメソッドを記述するほうに限定している……のかな?
使えといわれれば使えるが、ではそれを定義(説明)しろと言われると、とたんに困ってしまう。IDEを使えば知らないうちに使ってしまうが、意識的に使おうとすると壁にぶつかる(COMみたいだね)。といういつものなんか調べれば調べるほどわけがわからなくなるテクノロジー、不統一などこかで聞いたような聞かないようなバータリーな用語(訳語)。
マイクロソフト健在なり! ということですね。
つか、助けて(と誰となく)。
おれの名前は2種類ある(artonではなく、漢字で書く名前に2種類ある)。そのうち、本物ではないほうを利用して父親が詰め将棋を発表していたのは知っている。
こないだ、必要があって、エゴサーチをしたら、そっちが引っかかるのでちょっと驚いた。
STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2007年 03月号 [雑誌](加藤陽乏)
すげえすげえよ、このインタビュー特集。
おれの興味の範囲だけでも大島渚、テリーライリー(嫌いだけどな)、岡本太郎、ケネスアンガー、唐十郎、若松孝二、水木しげるとか、両手じゃ足りない、50人か。
30年の歴史ってのはこういうことだな。というわけで当然、購入。
土曜日にメールサポートの依頼をしたところ、詳細を教えろというメールが来た。日曜日のことだ。
すげー仕事が早いじゃんと感心した。ここまでは大いに結構。
しかし後が悪い。
おまえのところ(プロバイダのSMTPサーバ)は、mail-abuse.comのブラックリストに乗ってるから送ってやんないよー、と450をプロバイダのSMTPサーバーに返してくれてた。
考えてみればすぐわかるが、正当なサポート依頼の番号が入ったsubjectであるとか、サポートチームがあて先に指定したメールアドレスからのメールだ、というようなことは、SMTPサーバーがブラックリストに乗っているかどうかなんていう、くだらないことより最優先してしかるべきことだ。サポートだろ?
ようは、HPは、みそもくそもいっしょに、なにも頭を使わずに、とにかくブラックリストの情報でお客のメールを捨てるわけだ。すばらしい。
かりにもコンピュータを売ってなんぼ、システム作ってなんぼの商売をしている企業が、その程度の、穴をあける(メールを通す)仕組みも作れないということか。おそまつさま。
で、その情報は、450を単にSMTPサーバーへ返すだけだ。って、なんで450(temporary unavailabel)なんだ? 当然、SMTPサーバーはリトライするから送信エラーが確定するまで日数はかかるだろ。550(ommand rejected for policy reasons)を返すのが筋じゃないか。と思って良くデーモン君のメールを見たらDATAに対して450を返してるな……RCPTに対しては250を返したんだろうか? わけわからん。
しかも、SMTPサーバーへエラーを返したって、当然、客の手元に来るのはデーモン君のメールだけだ。
これって、日本語で書いた紙で、英語しか書いていないページへ誘導するのと同じ発想だよね。ぜんぜん、顧客=人間のことを考えていない。
#しかし48時間以上たっているが、相変わらずアンケートメールも送って来ないな。もっともアンケートに答えてもブラックリストで450にされるだろうから、来てもしょうがないけどな。
結局、こったことしすぎてるのが悪いんじゃないかと思う。Vistaで両面印字できないことだが。
っていうのは、Ubuntuからは実に素直に印字できてるからだ。
特に、LANを直接サポートしてるのは大きいように思う。というか、いつの間にLinuxからの印刷がこんなに楽になったんだろうか、とか。
なんか、HPのプロトコルは特別扱いされてたので、IPアドレスを入れてやるだけで利用できるようになってた。ポート9100は規定値。プリンタ側で変えた覚えがないのでそのまま利用したらそのまま使えた。
ドライバーも最初から用意されてた。
もちろん、両面印刷の設定もある。
少なくてもVistaよりは遥かに楽に使えるようになった。
#使わないのでスキャナやFaxも設定が楽かはわからないけど。
でもないが、
これはさすがに、悲憤慷慨がうっとおしい。それだけ使命感があるのかも知れないけど、単に溜まった鬱屈を迸らせているだけにも感じる。
ようするに、めぐまれてないと言いたいのだな。予算は少なく、しかも相手はすぐ腐るナマモノだ、と。なんとなく、実験家というか、臨床家が、理論家にコバカにされるようなアカデミズムの中にいるのかな、とか本の内容とは関係ないところの腐臭を感じさせるようなところが多い。実に多い。そのため、科学する心の大切さを説いても、なんとなく逆にバイアスがかかってしまうよ。
でも、待て、めぐまれてると思うぞ。ルーズベルトが撃ち殺しまくったスミソニアン博物館の収納庫を眺めまくり、カントの時代からの啓蒙君主に保護されて将来のためにきちんと集められたウィーンの博物館でコウモリを調べまくり、ちゃんと歴史の中で生命がどう変わってきたかを時空を超えて考察し、しかも見てくれではなく遺伝子のレベルで近似性を判断できる。
それにしても啓蒙の時代がこんなところにも出てくるとは、思わなかった。
うっとおしくはあるが、博物館の意義、意味というものを初めて言葉で納得させてもくれる。今は未知だが、将来の既知の種を撒くということなのだな。理性を使う準備のために悟性を育むってことか。
ちょっといろいろな意味で面白かったのが、西表島山猫についてのところ。日本独自の特別な山猫だと思ってたが、どうもマレー山猫に非常に近い(遺伝子のレベルでは。外見は似ても似つかない)。つまるところは、地続きだった大陸側からのこのこやってきて、(当時)陸の果ての西表島あたりに取り残されたってこと。
これって、地形的には尖閣諸島のあたりって大陸と地続きで、列島とは地理的に別の区切りだったってことだよね、とか。いや、日本のものになってるほうがたぶん魚が食えて良いのだけど。(ガスとか、燃焼が必要なエネルギーについては、また別の角度からも考えられるわけだし)
たまには博物館に行って、訪問者数をカウントアップしたりすることに貢献するとしよう。
という具合に、せっかくのおもしろい題材、こちらにとって未知の知見(良質な知見は見識を広げてくれるし、それは他の分野を見る場合に新たな角度を付ける役に立つ。見る角度が増えるというのは、洞窟の中の蝋燭の数を増やすことに通じる。つまり、影=イドラが減る。それは何者にも増して重要なことだ)の塊のような良書なのだが、筆者が論文ではなく一般のための新書という形式を勘違いしたか、あるいは編集者が筆者が書きやすいようにそうリードしたのかわからないが、あるいは専門的な話ばかり続くと読者が退屈するから筆者に感情移入しやすいように心情吐露をとろしまくれとサジェスチョンしたとかなのかも、とにかく自分の研究の恵まれなさに対する悲憤慷慨ががんがん出てくるのがうっとおしい。
というわけで、以前読んだ目玉カカシのような楽しさには欠けるのだが(あの本の著者もちょっと外れている地点にいるのだから同じような悲憤慷慨でがいがいできそうだけど、そういう点がほとんど見られない。もしかして、生きてるものと死んだものという分野の違いもちょっとは影響してるのかな、とも思ったり)、十分におもしろかった(かなぁ?)。
フォードのやつは、レーザーディスクで持ってるので何度も見たものだが。ジェームズキャグニーは最高の俳優だからえらく面白いわけだが。しかももちろんフォードはフォードだ。
栄光何するものぞ [DVD] FRT-040(ロバート・ワグナー)
えー、500円なのか! 見てないやつは是非買え、すぐ見ろ。と言った舌のネも乾かぬうちに↓
でもなぁ。違うんだよな。
近代フィルムセンターで見たウォルシュの栄光(こんなにミスリードなタイトルは無いね、それにしても。What Price Gloryなんだから、栄光何するものぞのほうが正しいし、直訳して栄光の価格でもいいじゃん。単に栄光で、戦争映画っていったら、突撃みたいなのを想像すると思うな)なんだよな、おれの見たい栄光は。
ノッポのヴィクターマクラグレンとチビのロウ(……いやロイベと読んでやっても良いけど)(追記:逆かな? フォード版だとフラッグがキャグニーだ。なんとなく背が高いのがフラッグのような記憶があるんだが)が肩組んで港を歩いている。で、殴りあうんだっけな? 女をめぐって。で、ストーンと埠頭のてっぺんから海へ落ちるシーン。あの、ロングでふざけあう野郎ども(殴りあうでもいいんだけど)、のロングってのは本当におもしろい。どれだけ血まみれの死闘でも、それをロングで撮るだけで愉快な光景になるってのは、ファスビンダーの悪い神々だったかな、でもすごく印象的だったわけだが、それが急転直下の縦移動でボチャーン。これだよ。これがコメディだよなぁ。とあまりの可笑しさに、笑い死ぬんじゃないかと、おれはあのとき、近代フィルムセンターの腐った椅子(思い出したけど、竹橋の地下でやってた時代のことだ。椅子のネジが取れてたり座面が傾いていたりひでえ環境だった)に苦しみながらもとても幸福だったわけだ。
あるいは、サイドカー付きのバイクのよたれっぷりとか。ウォルシュってすごくいい加減なんだが、つまりはいい塩梅なんだな。でもフォードはちょっと固い。だからどうしたって戦争の悲惨な側面とかラストにかけてるんじゃないかとか。
それは、第2次世界大戦を間に挟んでしまったから、というのも原因かも知れないけど。
でも、おれはウォルシュの栄光をもう一度見たいのだった。男の友情ってのは本来的にはああいうおばかな描き方のほうがしっくりくるしな。
歴史を知らなければ、権利とか義務とか自由とかって言葉は、無いのと同じですな。もちろん、原始の人は歴史もないから、そんな言葉もないわけで。
なんで、2/11なのか?
Wiki(大わら)を見ると、旧暦の元日だったのか? (明治2年1月1日になってる)
大日本帝国憲法公布ってことは、11/3と対になってるのかも。
なんていうか、旧暦元旦の日とかにすれば良いだけのような気がするな。っていうか、1/1(しかも太陰暦)に最初の天皇(太陽の御子であって、月じゃないよな)が即位したというくだらない話がついてまわったのが悲劇だと。
悲劇といえば、最初は悲劇、2度目は喜劇というけど、ボナパルティズムか、でも、世界大戦ということについては、最初はきっかけと言い、その後の進展といい、むしろ喜劇的な気がするが、2度目のはどう転んでも悲劇としか言いようがない(この国が勝った、負けたってのはまったく抜きにして)。
ログインに失敗する。
でも、アフィリエイトログインと、アソシエイトセンターの右側にログインウィンドウが出ている場合に限るけどそこからのログインには成功する。
なんか腐ってる? それともおれのパスワードに入っている記号が何か悪さを引き起こしているのか、どっちだろうか? (後者だと思って、アソシエイトセンターの右側からログインしてパスワードの変更をやろうとすると、パスワード違いで変更できない罠まである)
それとも、修理中というだけなのかな? (結構、困る。でもリコは買えたのだが、ログインできるときもあるのかな?)
すべてはオーライ、ヘイベイベイ、すべてはオーライ、ヘイベイベイ
って、もしかして、ジャーラスタファーライの日本語化なのかな? (ライが同じというだけなんだが、なんかそんな気がする冬の夜)
ラフトレードから出てたロバートワイアットのひとでの歌が聞きたいのだが、なんて歌だっけ?
sea songみたいだ。(これ、いい歌だな)
なんか、突然、高校のころ、後輩が嬉しそうに「こないだ英語がわかる彼女から"You're a seasonal beast like the starfish that drift in with the tide"の意味を教えられまして……」とか言ってたのを思い出したのだった。でも、やっぱりおれは、それは誤訳だと思う。でも、やはりエロティックな歌のような気はするというか、こういう詩を表現する良い言葉が日本にはあったはずだ……そうだ、「難解」だ。なんて難解な詩なのだろうか。
というか、こんなひげ親父がこういう声でこういう歌を歌うのか。かくありたいね。っていうか無理だな。
ヒズ・グレイテスト・ミッシーズ ~ロバート・ワイアット30年の軌跡(ロバート・ワイアット)
これかな。
#追記:繰り返し聞いたが、だめだ、嫌いだ。こういう声でこういうピアノのフレーズが入るのは、おれの好みの正反対だ。それにしても正反対がすごく多いのはどうしたものか。なんでも反対社会党みたい。
#追記:くそ。しかし10回目くらいだが、最初の5秒くらいは素晴らし過ぎて涙ものだ。一聴するとネスカフェのコマーシャルソングみたいで今にもバートバカラックとかなんかあのあたりのへなちょこな音っぽいのだが、微妙な歪みっぷりが美しすぎる。すばらしい。が、やっぱり嫌いだ。通して聴くのは辛い(だから、30年近く封印されていたわけだな、聴いた記憶とかを)。
#才能というのは、こういうのをさすんだろう。嫌い以外の何者でもなく、むしろ不愉快な音楽にも関わらず、とんでもなく美しい。ちょっとした振動の差なんだろうが、それを生成できるってのが、才能というものなんだろうな。"I can't understand the different you in the morning When it's time to play"の部分だ。
iTunesには本物は無い。
美しいが、ちょっとべたつく。
悪かないが、なんだかなぁ。スクリッティポリッティがカバーしたらおもしろそうだな、とか思った。っていうかラフトレード仲間だから影響下にあったのかも(と、ティアーズフォーフィアーズはどうでも良かったり)
どういう人たちなんだ? もしかしたら、一番良いかも。
アレンジはいかしてる。何者なんだろう。ちょっと注目。
(追記:結局、気になってiTunesでアルバム購入)
(追記:失敗した。えらくつまらん。BGMだ……ま、いいのか)
割りといいかも(ファントムオブザパラダイスのスワン風に、little pretty butという感じだ)
というか、良くカバーされてるな。
sea songにbaby sperm whaleというフレーズが出てくるが、イーノのhere cum the warm jetといい、本当にイギリスのアーティストはお下劣ですな、とか思いながらふと気になって英辞郎をひいたら、マッコウクジラのことなのか。
ってことはもしかして、抹香臭いという言葉は、坊さんの説教じみた、つまりは、辛気臭い(陰鬱な)(ご高説っぽい)(うんざりするような)というような意味だと思っていたけど、もしかしてマッコウ臭いってことなのかな? sperm oil=マッコウクジラの油、で何しろ英米人は油をとるために鯨を絶滅寸前まで追いやった張本人なんだから、その匂いは良く知ってるはずだ、ということは匂いが近いんだろうか? ってことは抹香臭いの真意は、全然坊さんは坊さんでも、簪買うような坊さんのほうなのかなぁ、とか?
ログインが相変わらずうまくできたりできなかったりするので、いろいろいじっているうちにマイサイトとかいうページに入った。過去の傾向分析からこれ買え攻撃をかける仕組みらしい。
で、多分、恐怖の兜からの反応らしいが、
ベータ2のバラッド (未来の文学)(サミュエル・R. ディレイニー)
を買え買え言ってくる。(とわかったのは実際にページに飛んでからで、最初はさっぱりわからないベータ2)
で、なんじゃいと思って見に行ったら読者レビューで罵倒しまくり(表題作を)。ひでぇ書きようだが、罵倒芸の粋の域まで達してるなと思ってレビュアー名を見たらなんとなく納得した。
まあ、ゼラズニとかディラニとか、ニで終わる名前の人間のSFはだめだというニの法則があるだに。もっとも映画では天下のロッセリーニが君臨してるので、その法則はきかないが、イタリア人には不利な法則ではある。
ダンセイニはまあ、いいか。(もしかして創土社って無くなったのかな? 追記:以前も同じことを気にしている。1年前じゃん)
あと、ニで終わるっていうと、誰がいるかな?(思いつきで書いたので例証するためにサンプルを探す泥縄式)、唐沢兄とか、山根赤鬼とか。
def foo(dir) Dir.open(dir).each do |x| next if x == '..' || x == '.' fx = File.expand_path(x) if File.directory?(fx) Dir.chdir(fx) do foo(fx) end else # いろいろ end end end
追記:と書いてから気づいたが、↑みたいな処理ってそこら中で必要なんだから、実は、Dir.each_branches do |x|みたいなメソッドが既にあるような気がしてきた。でもレシピブックが見当たらない。
Rubyレシピブック 第2版 268の技(青木 峰郎)というか、リファレンスを見たらDir.foreach(path) {|file| ...}
ってのがすぐに見つかった。なんと無駄な苦労(でもないけど)をしたことだろうか。と一瞬思ったけど、良くみたら違うのか。foreach_dirじゃないもんな。
世の中には、失礼な人のほうが付き合いやすいと感じる人と、失礼じゃない人のほうが付き合いやすいと感じる人がいる、という命題を立ててみる。
でも、後者って別に、礼儀正しい人のほうが付き合いやすいと感じるとは等しくはない。
尊大な人と卑下する人は、どちらも付き合いにくい。
トワイライトゾーンだよおっかさん。
ちゃらららちゃらららー。
初めて食えたよ、じゃじゃめんが。
びっくりしたのは、いきなりいい男が出てきたからだ。
(色がゲ○みたいなんだけど、そういう発想はしてはいけない。とろろだってああいう色だし。でも色味はちょっといやだった。でも味はとてもうまかった。麺がいいね)
それにしてもイーハトーブは不思議な地だな。なんでこういう食文化が生まれたんだろう?
また行ってみたいというか、行くだろう。
そうだ僕は人だった。良かったな。
Music for Parties(The Silicon Teens)
へー、シリコンティーンズが買えるのか。買わないけど(嫌いじゃないが金出して聴く音じゃない。自分でやる音だ。なんていうか、スクリプトみたいなもので、これ、自分でやらなきゃだめだろう)。
まだ、売ってるってことに驚きだけど。
で、これを買った人が買ったというのに、ビルネルソンが出てるのにはもっと驚いた、というかなんか面白い。だって、水と油というか、シリコンとメタル、ゴム人形とロボットくらい違うからだ。
ヤングモダーンズも、アートエンパイアインダストリも、一時的にはテーマソングになるようなすごい曲だけど、今聴くと、あれ、あのころはこれがモダーンだったんだな? とずいぶん遠くまで来た感に逆に打たれる過去の傑作で、今となっては回顧的な意味しかないとも言えるが。
でもドントタッチミー、アイムエレクトリックがどのくらい衝撃的に電気ショックだったかというのは、チャボが俺は電気とカバーしているくらいのすごさだ。古井戸でフォークだった人間が俺は電気なわけだから。
(このカバーが唯一僕が聞ける仲井戸麗一の曲で、これ以外はブルースが嫌いなのでいつも飛ばしてしまう。それにしても、俺は電気のかっこよさは今聴いても圧倒的でビルネルソンよりよっぽど電気だ)
追記:.NETは関係ないよ。32ビット整数と64ビット整数を持つ処理系の 話だ。手元でcscがすぐ動く環境でたまたま書いてたからC#で書いてるだけ。でもまあ、おもしろいので『整数型に対する Compare の実装』も参照すると良いかも。(さらに追記:ああ、意図がわかったかも。正しい実装(HardCmp)については自分で実装しなくても良いってことか。まあ、それは実装の比較ということでというか.NETの実装を使ってはあまり意味がない、と多分NyaRuRuさんはわかってるので別の話を展開して、というのが流れか)
どうやれば比較しないで済むか試したが僕にはえらく難しかった。
とりあえず、こんなものしかできなかった(最初、比較関数の中でプリントまでしてたのでえらく簡単だったがintを戻すように変えた瞬間から困ったことになったのであった)。
public class Cmp { static void ShowResult(string p, int result) { System.Console.WriteLine("{0} {1}", p, (result == 0) ? "0" : (result < 0) ? "-" : "+"); } static int FastCmp(int x, int y) { return x - y; } static int HardCmp(int x, int y) { return (x == y) ? 0 : (x > y) ? 1 : -1; } static int Bogus(int x, int y) { long l = (long)x - (long)y; return (int)(l >> 1 | l & 0x7fffffff); } delegate int comp(int x, int y); public static void Main() { comp[] fns = { FastCmp, HardCmp, Bogus }; int[][] checks = { new int[]{ 5, 4, }, new int[]{ 4, 4, }, new int[]{ 4, 5, }, new int[]{ -4, -5, }, new int[]{ -4, -4, }, new int[]{ -5, -4, }, new int[]{ 1, -1, }, new int[]{ -1, -1, }, new int[]{ -1, 1, }, new int[]{ int.MinValue, int.MaxValue, }, new int[]{ int.MaxValue, -1 }, new int[]{ 0, int.MinValue }, }; foreach (int[] check in checks) { System.Console.WriteLine("--- cmp({0}, {1}) ---", check[0], check[1]); foreach (comp c in fns) { ShowResult(c.Method.Name, c(check[0], check[1])); } } } }最後が本当に
l >> 32 & 0x80000000
でよいのか自信がない。l >> 32 & 0x80000001
としなければならないことにはならないとは思うんだけど。
元は比較関数、の反応、むむ。(RSSリーダの巡回順にこの順で出てきておもしろかったわけだが。というか、intは30ビットで収まるあたり、longは60ビットで収まるあたりで大体使うもんじゃないか? と思ったけど汎用ライブラリではそうもいかないわけですな)
追記:上で33ビット目が立つかとか書いてるが、立たないはずなので、するとMSBを持ってくる必要がなくなってさらに小さくなった。
それにしてもwhere句の指定方法ってK&Rみたいだな。
誠に申し訳ございませんがご注文いただいた以下の商品がまだ確保 できておりません。 細野晴臣 (アーティスト) "ハリーホソノ クラウン イヤーズ オブ 1975-1976 (DVD付) [Box set] [Live]" [CD] 商品の発送が4~6週間ほど遅れます。そんなぁ。 ハリー細野 クラウン・イヤーズ1974-1977(細野晴臣)
このメソッドは、QuickSort アルゴリズムを使用します。この実装では不安定な並べ替えを実行します。つまり、2 つの要素が等しかった場合、これらの順序は保持されない可能性があります。一方、安定した並べ替えでは、等しい要素の順序が保持されます。 ――Array.Sort メソッドなんて書いてあるなぁ。 Javaの場合、Comparator<? super T>は同様に3値(というか、正、0、負)を返すだけに、
This sort is guaranteed to be stable: equal elements will not be reordered as a result of the sort. ――Arrays.sortとなっているけど。これは.NETのドキュメントがおかしいのではなかろうか。とまで思ったけど、QuickSortを使うと書ききっているので、単にJavaのComparatorに合わせただけなのかも(Javaはマージソートを使うとなっている)。
軽口であって、別に含みはないのだが、MoleskinさんのIDを最初に見たとき、モールスキンではなく、モレスキンと読んでしまったのだが、うむ、漏れている。何がかっていうと、パーマリンクがだ。
ついに、一澤帆布の争いが賠償提訴にまでなったわけで、ここのところGoogleの上位にいるMoleskinさんのはてな日記経由でここへの訪問が結構ある。しかし、リンクがパーマリンクではなくここの日記のトップURLになってるので、全然、内容的にマッチしない。
実体は「老舗って面倒だなぁ」(勝手に改題)。
こりゃいいや。
そっか、スペシャルズのトロンボーン吹きのおっさんだったのか。
今はラマンバを聴いてるところ。
次のアフリカの出だしの、ッパッパーパラヒャラヒャッラッパーみたいなのが微妙に揃わないところが、実にいいなぁ。おれ、こういうの好き。
以前も書いたけど、やっぱ、これに関してはVistaはすばらしい。
今、ワレイカから来た男を聴いてるんだが、割と古いアイランドの原盤なんで音が小さい。昔はみんな小さかったんだ。それを難聴ヘビまあいいけど。
で、しょうがないからそれなりにヴォリュームレベル(なぜか、ヴォリューム、でもレベルは日本語になりきってるからレベル)をあげてるわけだが、すると、ファイルを消そうとしたり、クラッシュしたり、ダイアログポップアップ中の元ウィンドウを触ったりすると、雷のような轟音が鳴り響く。でも、WaveとMasterの2つでしか調節できないし、調節するとリコの音が遠くから来た音になってしまう。
でも、Vistaはアプリケーションごとにレベルを割り当てられるわけだ。だから全体は小さめ、でもiTunes(はこの場合無いけど)は大きめ、とかできる。ではなぜ、そんな気に入ってるVistaで聴かないのかと言えば、そりゃ実験用でいつ潰すかわからんので、iTunesの資産を持ってく気にはまったくならないからなのであった。というか、エクスプローラが、とか、いろいろ。っていうか、iTunesそのものがまだだめなんじゃなかったっけな。問題はiTunes Storeだけなのかな? ディスクとして利用しない設定でも問題があるのか。
ユーリアリガットミーナウ、これはいろいろカバーされてんな。おれはシーナアンドロケッツで聴いたのが最初のような記憶がある。それにしても、このリコ版のは快調だ。
おれは、これはオリジナルのデイブブルーベックのほうが好きだ。テンポがのろ過ぎるっていうか、この変則5拍子の曲をスカでやるってのは……おもしろいけど。
っていうかブルーロンドアラタークを再発してくれ。
すごく脳髄を刺激するコンピレーションアルバム。聴きたいな。
なんていかした曲なんだと思ったら、題名がNo Politicianだ。このNoはどこにかかるんだろう? There are 'no' なのか、I'm a 'no' なのか。後者ならnonか。
スカウォーズ、このハモハモハモハモなエコーっていうか、これダブじゃん。こりゃ、すげぇ。(しかし、ダブっぽいスカなリズムが鳴ってると、どうしても頭の中で、ジョーストラマーが「ポリースーアンドーチーイーブーズ、ハイエイエイエイ」と歌いだんすんだよな)
_ arton [ツッコミテスト(TB spam消すのにrootでごちゃごちゃやったのでownerが変わってた)]
サンポウといえば、三宝がすぐに浮かぶのだが、算法騎士団の名前を目にして、そういえば算法ってのもあるなぁ、と思ったのがつい一週間ほど前のこと。
で、昨日RSSリーダを眺めてたらどこか忘れてしまったけど誰かが、
という本の書評を書いていて、へーと思ったまま、今日、本屋へ行ったら平積みされてたんでつい買って帰って今読み終わって、子供へあげた(やったーまんじゃないから、上げるのだ、おれは)。
なるほどなーと思ったのは、1970年代に刊行されてから1980年代まで刷数を重ねたもののそこで打ち止まったという時代感だ。まだ経済成長が続いていた、むしろより高度化しつつある頃に生まれて読まれ続けて、80年代の半ばで消えるって、まさに算法少女の名前に似つかわしい。それが、2006年に復刊する(でも児童書の出版元からではなく、ちくま学芸文庫だ)というのも。(おれのベースは80年代カルチャーだから、その空白が実に興味深い)
想像するに、ゆとり教育の本来の意図ってのは、丸暗記とか受験テクニック(でも、おれ、これは意味あるように思う)とかだけの勉強だけで済ませるんじゃなくて、教養のための時間を取るとか、それこそ算法少女みたいな本を読んで(和算なんて関孝和の名前を覚えて終わりなわけだろ、普通には)過ぎし方を通して本来の学のありようの1つでもじっくり考えてみようや、みたいなことをするためにゆとりを設けようってことだったはずなんだが、それが時期的にバブルが重なったもんで、何も考えなくても誰かが考えてくれるという啓蒙の反対の状態、つまるところゆとりによって本来生まれるはずだった状態を単に消費に当てるだけっていう正反対の方向に世の中が進んじゃったってところに問題があったってことなんじゃないかと思う。であれば、今はむしろバブルが弾けて、その余波の混沌も収まってきた以上、ゆとりというものが本来意図した状態が実現できる可能性が生まれたんじゃないかと思うんだけど、どうして長期的にものを考えられないのか理解しがたい駆け引きの結果、暗黒の黒を強める方向に進めようとしているように見えるんだけど、まあ、おれの知ったことではないわけだけど。
内容的には、ここでは仇役の関派だけど、時々読んでいる
不思議な数πの伝記(Alfred S. Posamentier)
にも出てくるわけで、そのあたりが興味深かったり、万葉集に九九による当て字(十六と書いて「しし」と読ませるとか)が出てくるとか知らないこともいろいろあったり、でも別に算法そのものの本ではなくそれなりにドラマがある小説であった。というか、算法少女という題名がいかしているが、それが200年前の実在する本の名前だというのがしびれる。というか、この本を読むと、いやー学問って本当にいいもんですなぁと感じるんだが、そこが一番のポイントだろう。
で、算法とは別に、もう一点興味を惹いたのが、この本も復刊ドットコムの対象になってたんだな、ということ。
おれも、復刊ドットコムにはピカピカのぎろちょんで世話になって、無事に入手できたわけで、それなりのポジションを築いているのだな、ということ。
ピカピカのぎろちょん (fukkan.com)(佐野 美津男)
(これは算法少女とはまた別の意味で歴史感覚が刺激される小説である)
で、最初に戻って、算法騎士団の名前を目にした場で、「bit別冊 Common Lisp オブジェクトシステム -- CLOSとその周辺 」の復刊ドットコムでの投票がもう一息という話が出てたのも思い出した。というわけで、なんか最近、Lisp関係の話題も多いわけだし、(個人的にはPCLでの実現技術の章がおもしろい)いろいろ読める本なので、ちょっと復刊リクエストにご協力お願いします(でも、リクエストしたら買えよ、というのもあるので、興味が無いのにリクエストすると後続のリクエストの信頼性に問題が出たりもするだろうから、無理にとは言わない。おれは読みたければ手元のやつを読むだけだし)。
MacIvoryかっこいい。
追記:もうちょっと『bit別冊 Common Lisp オブジェクトシステム -- CLOSとその周辺』について触れると、この本の価値というのは、オブジェクト指向プログラミング言語のシステムについて、記述された本だという点にある。OOのうち、現在普通に入手できる本のほとんどは、(1)OOAの本か、(2)OODの本か、(3)OOPを利用してプログラムを書くための本か、に分類できると思う。メイヤーの有名な本もストラプラスプラスのC++本も(違うのもあるけど思索的だな。それが良いわけだけど)、OODに力が入っているので(2)になる。でも、このbit別冊はどれでもない。「システム」という言葉がさすのは、OOPによって作られたシステム(たとえば会計処理Webアプリケーション)のことではなく、OOPを実現するシステム、システム開発視点から見た場合にはメタシステムの側のことだ。
まえがきを引用すると
本書は、CLOS(Common Lisp Object System)と呼ばれる Common Lisp のオブジェクト指向機能に関するものである。その概要と仕様について著している。また、他のオブジェクト指向機能との位置を知ることは重要と思われるので、共通例題を幾つかの言語で記述することも試みている。
とあるように、ある言語にオブジェクト指向「機能」を実現するという観点からの本だ。(RHGと目線は似ている)
つまり、インサイド オブな本だし、フロム インサイドな本だ。利用するための本ではなく、実現するための本。1990年代以降、技術がコモディティ化して誰もがOOPを使うようになったために、逆に(それってインフラ)消えた側の本だ。
なんだっけ?(人違いなような)
おれ、腐ったパッチ作ったくらいしか記憶にないよ(プロトタイプを付けるって発想がなくて力任せに呼び方変えてくやつ)。
それはそれとして、退出前に元に戻したほうが良いように思います。
_invalid_parameter_handler old = _set_invalid_parameter_handler(invalid_parameter); ... _set_invalid_parameter_handler(old); }
MSDNのサンプルだとせっかくoldHandlerに代入しているのに元に戻すコードが抜けてるなぁ
ふむ、ずいぶん低い志なことだ。
あの書き方は、こういうことと同じことだ。
できの悪い薬は他の人々の健康のために意図的に作られた。良い薬は自分の健康のために作られたものだった。
あるいはこう言うことも可能だろう。できの悪い算法は解法を商人や農民のために教えられた。良い算法は算法家の秘伝のために伝えられた。
low=public、high=privateという見方は古くからある。孔子あたりが法の公開に反対したエピソードそっくりだ。ウィザードがよきに計らうから、おまえらは考えるな、ということだ。くだらない考え方だ。
その他のは、その考えそのものは首肯できるかも。もっとも、愛してはいないけど、割と気に入ってはいるが、そのあたりはあばたもえくぼということもあるだろうな。
#っていうか、書き方が賢く(スマートでは)ない。言い方を変えれば読める。意図はおそらくこういうことだろう。
社会通念では、みんなが手にするものは安全性を考慮しすぎる。なぜなら、みんなというものを信用してないからだ。だから、池の周りには柵をつける。おぼれて死ぬ子もいるし、それに苦情を言ってくる人間もいるからだ。リミッタがない車を与えれば時速300Kmで市街地を走って人々を殺すだろう。そんなあてにならない連中だからリミッタをつけておこう。ピストルを与えれば隣人を殺すに違いないから所持を禁止しとこう。むき出しにしてるとすぐ立てるからしまわなければ捕まえよう。同じ車両に入れておけばすぐ触るから別の車両に分けておこう。でも、その、手にする人を信用しないって態度で作られた道具ですごいことをするって無理だよね? 無制限のパワーがなければできないことがあるし、そもそもなんでわざわざ制限されたものを使わせられなきゃならないんだ? だから、そういった道具って、使う人を信用しないで作られた道具っていうのは、もともとすごいことができるようには作られてないってことだ。
そんなお仕着せの道具なんてごめんこうむる。自由な道具が必要なんだ。
_ ムムリク [算法少女は面白そうだなと思ってました。購入予定にいれておこう。]
いただきました。
まるごとJavaScript & Ajax ! Vol.1(天野 仁史)
個人的な実用性に関しては、prototype.jsが日本語でまとまっているところあたりかな(天野さんの記事)。
あといろいろ読んでいて、結局のところ、Rubyの場合だとメソッド引数を囲む()が不要だというのがRailsの肝だったという意味で、JavaScriptの一番の肝というのは、オブジェクトリテラルの書式ということなのかな、とか思った。
この日付は本当のことなのだろうか。
私は告発する!
世界名作映画全集118 ゾラの生涯 [DVD](ポール・ムニ)
功なり名を遂げた人間が、危険覚悟で社会に対して異議を投げかける。それを支援するマスメディアもある。
というような歴史があって、サルトルのアンガージュマンとかに繋がるのかな、とか。
歴史は知っていたが、本文はこれまで読んだことなかった(ちょっと機会があって調べたらさすがインターネット時代で、上のページを見つけたわけだが)が、すさまじくかっこいい(拾い読みだけどな)。
#ゾラと言えば「ご婦人方の幸福」を50年代か40年代に映画化されたのを観てえらくおもしろかった記憶があるが、どの作家が作ったんだっけな? (カイエットみたいな名前だと思うが調べても出てこない)
おもしろそうだなと手に取って気づいたらほとんど読み終わっていたので買わなかった。そういうこともある。
カラヤンについては、とにかく柴田南雄がベートーヴェン全集を評して言った「氷上を戦車が猛スピードで滑っていく」に尽きると思う。うわーすげーすげーと思ってそれで終わり。後にはきれいさっぱり何もない。キャタピラの跡さえ残らぬ完璧さ。くだらねぇ。
特にこれはすごかったな(9番かも知れないけど30年近く前のことなんでどっちでも良い)。あーすげー美しいなぁーと思って、それまでだ。
ブルックナー:交響曲第7番(カラヤン(ヘルベルト・フォン))
(とISBNを写してみたものの自信はないな。多分、白鳥の歌を自分自身であるいはDGMのプロデューサーが意識して、白い羽のジャケットだったが、画像がないのでわからん)
ごたぶんにもれずシューリヒトでばかり聴いていたから特にあーあーと思いまくったのかも。
で、一方のチェリビダッケだが、相変わらずこれしか聴いてない(今日も車に乗ってて聴いてた)が、やはりとんでもない奴だ。
チャイコフスキー : 交響曲第6番ロ短調「悲愴」(ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団)
緊張感がまともじゃない。だいたい極度に遅いテンポを取るとだめな音楽は退屈してくるものだが、あまりに緊張感があるのでえらく疲れる。一触即発の剣法家の試合みたいなものだ。動きがないようで実はすごくある。
で、フルトベングラー、チェリビダッケ、カラヤンと3人並べてあーだこーだ書いてある本なので、それなりにおもしろい本なんだが、性格といい、団員への受け入れられ方、その後の成り行き、政策方針といい、どうしても、レーニン、トロツキー、スターリンのことを書いているとしか読めないおもしろさ。まったくの相似形だ(初代と三代目が。2代目は運命だけが似ている)。
ワーグナー:ニーベルングの指環 全曲(ヴァルナイ(アストリッド))
会社でオペラ好きな元上司(トーキョーリングの券くれた人)と久しぶりに会ったら、カイルベルトの録音が発見されたと騒いでたので早速購入。
録音した技術者たちはこの後にデッカへ行ったっとか、なんとステレオ録音とか聞かされる。それってショルティの予行演習? と聞いたら、聞くだけ野暮だったようだった。おれは、レコーディングスタジオじゃ、ショルティが優れた作家なのは間違いないとは思うのでそのへんは意見は異なるだろうが、音楽家としてどっちがすきかと聞かれれば、それは確かにカイルベルトを取るだろう(それこそブルックナーの9番をどこかの田舎オーケストラを指揮した廉価盤を持ってたことがあったが、カラヤンとは対極な良い演奏だったな、とか思い出した)。
あと、思い出した。ホッターホッター、ホッターがウォータンなのだ。
「カイルベルトのバイロイトの録音が見つかったよ! それもステレオだ。世界最初のステレオはこれでショルティじゃなくなったな、ははは。ホッターだよ、ホッター!」というような会話の始まりだったな、と思い出した。
(ニルソンは出てないのか? と聞いたら、この時はニルソンじゃないけど良かったよ、と言ってたからきっと良いのだろう。しかし、アマゾンの詳細ページがもののみごとに役立たずだ。CDのトラック名を拾って並べてるがばかじゃなかろうか? それよりも配役を書いたほうがよっぽど意味があるだろうに。「ホイホー!ホイホー!」とそこら中に書いてなんの意味があるんだ? おお、ちゃんとハーゲンの歌が入っているんだな、なんて思わねぇよ。だって入ってるに決まってんだから。それより誰がハーゲンなんんだ? 「グラーネよ、わが馬よ、わが挨拶を受けて下さい」も間抜けだ。馬に「受けてください」はないだろう。「グラーネ! わが馬! わが挨拶を受けよ!」だろ。「男ではない」って(これはワグナーの落ち度ということになってはいるが、曲目としてわざわざあげつらわなくても良いのに)
#アマゾン君、ニーベグングの指輪ってニーベルングの指輪のことだろうね? パロディ作品とかだったら怒るよ。
家に帰ったらでっかいアマゾンのニヤリさん箱があって何かと思ったら、昨日クリックしたカイルベルトのリングだった。
じゃない寺山修司のJavaからRubyを聞きに海のほうへ行った。
途中、長い長いトンネルを抜けたのだが、これの天井が低いのなんのってつい、うつむいてみたり、首を右に曲げてみたりしながらおっかなびっくり歩く。
でも、向こうから来る人はみな、背筋を伸ばしてスタスタ歩いてくる。
で、意を決して威風堂々と歩けば歩ける。指を頭に当ててみると天井まで数cmは余裕があることがわかる。でも、そのうちだんだん足取りがしょぼくれてきてうつむいてみたり、首を左へ曲げてみたり。でも、また向こうからスタスタ胸はって歩いてくる人を見る。そこで意を決して……と同じようなことを延々と繰り返しながらやっと外に出た。
潮の匂いがかすかにした。
制約があると、たとえば天井が低いとか、仮にそれが自分の身の丈に合っているとしても、やはり窮屈だ。本来の能力=歩く速度を保つことすらおぼつかない。
でも、毎日、それを繰り返していれば(通勤コースとかで)、それに慣れてしまいスタスタ快適に歩けるかも知れない。学習ということだ。
青天井の下を歩けば、そんな心配は無用だし、学習コストはゼロだ。
やはり自由はすばらしい。
角谷さんの伝説のライブ(再演)を堪能しに永和システムマネジメントを訪問。どうもありがとうございました。
いやぁ、これはデブサミのセッションとしては異質だっただろうなぁと想像できる。キーノートプレゼンのミソは黒地に部分着色した文字かな、と思ったのも含めて。
プログラミングはおもしろいわけだが、そのおもしろさのうちの相当の部分は書いたコードの美しさによって決まるような気がする。(だからカッコの美学という主張はわかるし、実際のところカラム7の美学もわかるし、逆にインデントを美学ではなく必要に変えてしまうセンスは嫌いなのだがもっとも食わず嫌いの可能性もあるだろうけど)
きれいというのはいろいろ主観に依存すると思う。
最初、こういうのがきれいだと思った。
int axe = 3 ; int exe = 4 ; int longname = 8 ; long lonlon = 1L;が、へたなプログラムほどこういう書き方をしているのを目にして、次の書き方へ移行した。
int axe = 3; int exe = 4; int longnmae = 8; long lonlon = 1L;最初の書き方って、カラム7の美学の文化圏だ。後者の書き方へ移ったときに、おれは多分、自由を少しばかり手に入れたのだと思う。
と思う。
#まとまらない。
と書いた先からそうではない考えもありうるとは思ったが。
百ヶ国語をぺらぺらしゃべれるものの、どの国の言葉をとってもレトリックのひとつも使えなかったり言葉遊びもできないのと、1つの国の言葉の奥義を極めあらゆる表現を自在にできるもののそれ以外の国の言葉は使えない、の違いは良し悪しではなく選択の問題だ。
以下の言明がある。
命題1:Rubyはオープンクラスなので良い(選択多)。Javaはクローズドクラスなのであまり良くない(選択少)。
命題2:RubyはRailsを選べば良いので良い(選択少)。Javaはどれを選べば良いかでまず立ち止まる必要があるのであまり良くない(選択多)。
というのは矛盾しているかどうか。
レイヤーが違うんだから、これらは独立している。したがって矛盾してない、という答えがある。でも、それで終わってはつまらない。
Railsはフレームワークだし、フレームワークは型にはめる仕組みだ。にも関わらず、実際には型にはめられて気持ちいいという感覚はあまり受けない気がする。むしろ、それをベースに好き勝手ができるという感覚のほうが強いんじゃないだろうか。もちろん、そうは言っても枠があって、そこにアイディアを流し込めば楽だ、というフレームワークの基本はきちんと押さえてある。ただ、その枠の組み換えの自由度が高い。そこで、プラグインを作ったりすることになるのだろう。ただし、ある一定の嗜好に対する影響は受ける(規約がもたらすリズムとでも言おうか)。その嗜好に自分の嗜好が合えば実に心地よいということだ。
一方、枠が固く組み合わされているものは、選択後の自由度は少ない。そこで選択だけはできるようになっているとも言える。だから、乱立するんじゃないか?
それに対して、RailsはRailsに収斂する。
ロジックはないけど、あるべきOSSの姿って、これかも。
何でも付け加えることができるゆるさ。周辺があいまいで境界があるんだかないんだかわからなければ、外部から結合されてくるので、だんだん成長する。周辺がかっちりしていてエッジが立っていると、似たようでちょっと違うものが外部に生まれる。
(今、LinuxとBSDという対比を想像した? だったら、これも良し悪しではなく、戦略の問題だ)
土台を提供する方法と、ネタを提供する方法。
さらに、そこにその人が持つ粒度感みたいなものがあるだろう。
Linuxを見て、よっしおれもカーネル作ろう、と考える人もいれば、おおこれは良いからこの上に乗るものを作ろう、と考える人。
Lispを見て、よっしおれも処理系を作ろうと考える人、言語を作ろうと考える人、ライブラリを作ろうと考える人、アプリケーションを作ろうと考える人。
Railsを見て、よっしおれもフレームワークを作ろうと考える人、アプリケーションを作ろうと考える人、プラグインを作ろうと考える人、おれさまActiveSupportを作ろうと考える人もいるかも。
おそらく、効率という点では、オルターネイティブを作ろうと考えさせるのはあまり良いものではない(とは言ってもいずれにしても作る人はいる。器の大きさなのかも。あるいは単に狭量なだけかも。両方かも)。そうではなく、その土台に何かを加えてより豊かなものにしようと考える人を生み出す余地が大きいものが良いのだろう。
#周辺プロジェクトが多いOSSは良いOSSだ、の原理。それに対して、代替OSSが多いOSSには、やはり何か欠点があるのかも知れない。
とりあえず読んでおくのがやはり吉。(萩原さんのは何書いてんだかさっぱりわからないこともあるし、的外れに見えることもあるけど、たいてい数年後には納得することが多い)
着実には進んでるんだけど、どうしてこんなにたくさんいろんなものが詰め込まれてるんだろうか?
で、こういう状態の時、いつも思い出すマンガの一コマが、釘師さぶやんにある。
B00007C7Z9
ゴト師(仕事師のことだろうけど、イカサマでホールから巻き上げる人たち)の集団に狙われたさぶやんの勤めるホール。
夜、帰り支度をするさぶやんの耳に届く、弟分のやすきち(名前は今作った。覚えてないよ)の悲鳴。あわてて声がする部屋のドアを開ける。「ああ!」驚愕のさぶやんの顔のアップ。待て次号。
で、次号になる。何が起きてるんだろうかと子供のころのおれはどきどきしながらさぶやんのページを開く。
すると、床に座り込んで涙目のやすきち。なんじゃそりゃ。
「どうした、やす」と命にもなんにも別状ないんでほっとしながら訊くさぶやん。
「どうしたもこうしたも、全然、磨きおわんないんですよ」
夜、パチンコ玉を洗浄機で磨くわけだが(よくわからないけど、商店街の宝クジのガラガラポンをドラム缶よりでかくしたようなマシンの中に玉を入れてぐるぐる回す)、よくみると部屋中が玉で埋まりまくっている。
「玉が増えた!?」驚愕のさぶやんの顔のアップ。待て次号。
で、次号になる。何が起きてるんだろうかと子供のころのおれはどきどきしながらさぶやんのページを開く。
「それはやな」と解説する師匠の花の銀三(今作った名前。着流しのおっさん)。「ゴト師が持ち込んだ玉や。良く見ぃな。DAIICHIの綴りが間違えておるで。DAICHIになっちょる」
「ほんとだ。これも、これも、これも……」と玉を拾い上げては確認するさぶやん。
……子供心に、玉の値段のほうが交換レートより高いんじゃないか? と思ったのは秘密だ(重いほうが価値があると思ったんだろうな)。というか、子供用マンガなので換金するところは出て来ないので、ほとんど取り込みサギみたいなもんで、缶詰とかを貰って行くんじゃなかったかな?
で、その後、対策としてDを赤くてでかい文字にして、持ち込んだ玉を交換所に出すとすぐばれるようにするんだが、なんでそんなことは覚えてるんだろう? (というか、Dを赤くするのは今思い出したわけだが)
正しい。
お前はSaaSはやってないのか? と訊かれてほげほげ状態になる。なんのことだ。
で、なんのことでしょうと聞き返すとSoftware as a Serviceとさらっと言われてもわけわからん。いつのまにか特定領域の言葉は聞き流す習慣がついていたらしい。
で、ちょこちょこ調べてみてだんだん感触がわかってきたが(感覚語だから、わかるのは感触だな)、今やってることと概念的にはかぶってるらしきことがわかってきた。もっともin-house SaaSとでも呼ぶべきものなわけだが。
高価なインフラをみんなで利用しようとすれば、こればっかりは中央集権システムにせざるを得ない。なにしろインフラが高価だから集中が必要になる。問題は、そのインフラをどうみんなで利用するかということだ。そのあたりでなんかかぶってないわけでもなさそうではあり、むしろあり方の考え方のちょっとしたヒントにはなった。
誰が書いたかわからないけど2段落目は僕の考えと一致している。つまり、そのフレームワークなり環境なりの作法に従えということ。
だから、MFCを使う場合、僕はCFooというクラス名を付ける。でも、.NET FrameworkではFooにする。この場合インターフェイスはIFooだ。しぬほど嫌いだが、MFCやATLならメンバ変数はm_プレフィクスを付ける。.NET Frameworkの場合は付けない。プロパティは大文字で始めるし、明示的なセッタゲッタは作らない(GetFooメソッドが作られることはありうるけど)。
当然、ATLでCOMクラスを作る場合、IFooに対応する抽象クラスはIFooImplで決まりだ(CFooの場合ももちろんある)。(ATLでは具象クラスは実行時まで作られないので、「抽象クラス」で正しいのであった)
BGMとして(集中せずに)聴いているのだが、すごくいいや、これ。
ワーグナー:ニーベルングの指環 全曲(ヴァルナイ(アストリッド))
(もちろんBGMモードなのでまじめにとっかえひっかえせずに、ただ神々のたそがれだけを聴いてるわけだが)
ジークフリートをヴィントガッセンがやってるんだが、この人の若々しく張りのある声(でも、結構憂いもある)はすごく良い。あと、アルベリヒがナイトリンガー(ショルティのでおなじみだ)、グンターのウーデ(まったく知らないけど良い感じ)とか。あとこれも初めてだがブリュンヒルデのヴァルナイはうまい。大した人だ。意志力のある歌唱という感じで、これが感じられないとブリュンヒルデにはならない。ハーゲンのグラインドルも程よく陰鬱で好きだ。結局、文句がないということだ。
テンポは割りと早めでさくさくと進んでいく。50年代風新古典主義(おれ、これアメリカ――CBS――がヨーロッパに影響したのだと思う。これがベームみたいになるとさすがに固すぎていまいちつまらないと思ったりするのだが、カイルベルトは気楽そうにやっていて好きだ)な感じだ。それでいて弦にはいい艶がある、落ち着いた感じでこれも好きだな。
#どうにもニーベグングが許しがたいのでアマゾンに通報しようとしたが、またパスワードが通らなくなっているので保留。しかし厄介なことだ。
#ライン下りのちょっと前、ジークフリートとブリュンヒルデが、英雄の出発に感きわまっちゃうとこの高揚感とか、すばらしい。というか、ライン下り(実はこの曲はそれほど好きではない)がテンポの快調さもあって、すばらしく良く聴こえる。ディナミークが自在。英雄のモティーフが実に足取り軽い。それにしてもギビッヒのモティーフが出てくるところの暗鬱な感じ(あれ、ハーゲンのモティーフかな? グンターのモティーフは間抜けだが英雄というか、英雄だが間抜け感が程よい演奏だけど、ギビッヒのモティーフはグンターに近かったような記憶があるな)も素敵だ。
#特典のブックレットに、このすげぇ録音が埋められた経緯が書いてある。絶対にEMIは許せないな、という気にさせてくれる(ここにもカラヤンがからんでくるわけだが)。もっともカーショーが完璧を目指してライブ固有の瑕疵を嫌ったという側面もありそうだから、多少の割引は必要そうだが。多分、この録音が日の目を見てたら、ベームの神話が多少は割り引かれたかも知れない。さすがにあれは固過ぎだろう。
#追記:特典のブックレットじゃなくて箱に入った普通のほうだった。それにしても50年前、プロデューサーとしてデビューしたばかりでこんな大物の録音という大役を見事に乗り切ったのに、闇に封じられてしまったわけだからいろいろ思うこともあるだろうが、淡々と献辞を書いているピーターじいさんはすごいな。しかもチームのメンバのことまで書いてるし。
上のEMIとデッカのごたごたにからんで、こういうことがある。60年前の教訓だ。
つまり、EMIが契約でがちがちに縛って、デッカがこの録音をレコード化できないようになった。それどころか、バイロイトのライブのレコード化も地獄のような契約を結ばなければできなくしたわけだ。
その結果、何が起きたか?
バイロイトの初日はラジオで流れる。そこでいち早くエアチェックしてレコードのプレスマシンを持っている海賊版屋が大もうけをした。もちろん、EMIには1文も入らない。
かように、著作権管理というのは難しい。
夕鶴なのだが、どうにも不思議なお話である。
鶴女房は非常に閉塞的な人でなにも発展性がないというか、羽をむしればはいそれまでよなんだから、そりゃそうかも知れないけど。与ひょうのほうは素直な良い奴で、実はそれは一貫しているような気がするが、金を手に入れたものでちょっと地から足が浮いたのかな? 鳥は鳥だ、という話のようだった。
そうだ。その通りだ。(追記:それこそ、今おれに不足しているものだ。フーフーフー、おれには敵が必要だ)
っていうか、それは安易な政治の原則ですらある。(追記:なんでこんな簡単なことを忘れてたんだ)
自分たちの外部に仮想敵を作るというのは危険(敵の想定を間違えている場合)もあるが、とてもやりやすい。安上がりな昂揚薬だ。(追記:この薬が今のおれには一番の処方箋に間違いない)
と、そこまでは良かったが、つらつら考えるに、現状分析をすると、敵は己の内にあり、状態なのであった。(追記:うがうぐ)
これがうまいのなんのって。
先日、会社の後ろのほうのおっさんがおやつ食ってる(おっさんおやつってどうもブームのような気がするが、きっとJTの取り分がコンビニのお菓子にまわってるんじゃないかと思う)のを見て、つまませてもらったんだが、すげぇうまい。でも、どこにも売ってない。ピーナッツとポン菓子をベタベタの砂糖でくっつけて乾燥させたようなお菓子。どう考えてもすさまじいカロリーなんだろうけど、もうれつにうまい。
で、別の日にどこで買ったか訊いたら(もらったその場では普通にコンビニに売ってるのだと思って訊かなかった)、マルエツだとか言う。と言われてもなぁ。
で、今日、世田谷のほうに用があって行った後、手近にあったオオゼキへ入ったら夢にまで見た、ピーナッツとポン菓子を砂糖で固めたお菓子が売ってるじゃん。茶ピーって名前だ。ピーはピーナッツのピーだろうけど、茶ってのはなんだろう? まあいいや。で、しこたま買い占めてきて食いまくっているわけだが、どう考えても明日には体重が10Kは増えてそうで恐ろしい。
ディレクティブ、関数、キーワード、モジュール、オブジェクト、演算子、プロパティというように章立てされていて、クラスが出てこない(クラスはステートメントと、制約用のキーワードに出てくる)。これがC#だとキーワード(ステートメントなどはここに含まれる)、演算子、ディレクティブですっきり。クラスについては.NET Frameworkのクラスライブラリを参照すれば良いからだ。
でも、それってVisual Basicの場合でも同じだよね? じゃ、なんで関数とかオブジェクトとかプロパティとかモジュールとかがあるんだろうか。オブジェクトは言語仕様で決められた組み込みオブジェクトだからわかる。モジュールってなんだろう? (Moduleなわけだけど) モジュールは関数の集合のように一見、思える。しかし、ErrObjectというインスタンスデペンドなモジュールもある(が、インスタンスはErrオブジェクトだ)。で、それとは別にErrObjectクラスが.NET Frameworkのリファレンスにはある。
このへんのいい加減さが、実は割と好きだったりもするのだが、猛烈に複雑な言語になっているようにも思える。というか、今や言語仕様がちゃんとある(Wordで300ページ超)。
いろいろ話が飛び交ってますな。
Microsoft ponders Ruby language
ただ読んでみると、Expressionの拡張言語にRubyを使うということに"very interested"というのは、微妙な表現だし、全体としては観測気球的な記事っぽい。
それにしても、Ruby in Sttel Developer(Visutal Studio 2005 $199だけで定価は$249 と読むのか?)を出荷した会社は何を考えているのだろうか? (30日trialを誰か試してみないかな? おれはやらないけど。)
XPの更新をしたらジュニュインなプログラムが導入され、ごほうびにIE7とLZHフォルダをくれると言い出した。LZHフォルダってたぶん、ZIPフォルダみたいにExplorerがとてつもなく遅く処理するようになる特典だと思うから無視だが、IE7はそろそろ入れてやっても良いかなとダウンロードしてインストールして再起動。しかし、なぜに今頃ジュニュインなプログラムなんだ?
でふと気づいたが(Vistaでは気づかなかった)、これはOfficeのリボンと違って明らかに誰にとっても使いにくくなってるだろ。
おれは爺さんだからいろんなサイトで文字をばかでかくしなければ読めない。ところがデフォルトではメニューバーが無くなってるから、文字をでかくできない。(追記:で、Vistaでは気づかなかったということは、メイリオは読みやすいってことだな、つまり。なんかぱっとしない小汚いフォントだなと思ってたが、見直した)
おれはいろんなサイトを見に行くから良くエンコーディングが間違えられる。ところがデフォルトではメニューバーが無くなってるから、エンコーディングを変えられない。
この2つって、誰にとっても必要なんじゃないか? 特に前者。
だったら、右のほうにしょぼくれたアイコンがあるけど、ここに文字をでかくすると小さくするのアイコンを配置すべきだろう。Officeのリボンってそういう発想で、慣れれば設計思想ともども悪くないと思えるようになったものだ。でも、IE7では単なる改悪じゃん。ツールにも出てないし。
というわけで今となっては最低の見てくれでデフォルトで隠すのも無理はないメニューバーを表示することになった。
(でいじくってたら右クリックで「コマンドバーのカスタマイズ」が出てきて、まったく上で書いた通りの文字の大きさ変更アイコンとエンコーディングの変更アイコンが用意されてた。RSSフィードアイコンなんかよりも、よっぽど、おれのようなコンピュータリテラシーがない人間には必要だ。なぜ、こっちをデフォルトで出しておかないんだろう。どうして、いつだって、この会社のやることは間抜けなんだろうか。不思議だ。
#設定できると前提できるコンシューマ用のオプショナルな設定はデフォルトで隠しておいてもまったく問題ない。なぜなら設定できるからだ。仮にできなくてもオプションだ。しかし、設定できるかどうかわからないコンシューマにとって必須な設定はデフォルトで出しておくべきだ。設定できないのに必須なんだから、それは使うな、あっちへ行け、この能無しと叫んでるようなものだ。それはコンシューマ向き商品ではあってはならんだろう。そういうことだ。
#さらに追記:ぐわーん。マイクロソフトの中の人は、爺さんのことをちゃんと考えているのであった。なんか右下に虫眼鏡があるなと思ったら、こいつを使って自由に拡大(縮小も)できるのな。というか、そういうときこそ、イルカを出して「字を大きくしたいのですか? だったら右下の虫眼鏡をクリックしてください」とやるべきシーンだろう(とやっぱり文句はつきないのであった)。
#と、ヌカ喜びをしたものの、字だけじゃなくて全部拡大されるけど、それは違うんだよな。字だけなんだ、でかくしたいのは。
はまりました、約2時間。
以下のように書いてた。
new Ajax.Request( '/foo/bar.baz', { onSuccess: function(req, json) { ... }, onException: function(req, e) { ... } });
IE6でもFirefoxでも別段、何も問題ない。でもIE7ではまったくの空振り。サーバーで張ってると、送信されて来ない(正確には、HttpHandlerのところまで来ない−ASP.NETの話なので、その下のレイヤーまでは来ているかも知れないけど)。
最初に疑ったのはセキュリティ設定。確かにイントラゾーンではいろいろデフォルトでは禁止されているから、これは必要ではあった。でもだめだ。
で、prototpye.jsの中も追っかけたり(Visual Web Developerなので、IE上のスクリプトもソースレベルでデバッグできるのだ)したけどわからん。ちゃんとXHRは作られていてsendも呼んでいる。でもサーバーには来ない。
で、ふとデバッガで追い直しているうちにPOSTを設定していることに気づいた。コードを見ての通り、POSTすべきbodyは無いのだからここはGETですな。
new Ajax.Request( '/foo/bar.baz', { method: 'get', // ← 追加 ...
無事、送信できるようになった。
上でちょろっと書いたけど、こんなことができるとは思わなかった。
ブレークポイントをVWD上で設定しておく。で、デバッグ開始(開始してから設定しても良いけど)(ソースは、prototype.js)
で、そこまで実行するとブレークする(黄色が現在のPC)。
この状態でイミディエイトウィンドウを操作できる。
変数を参照したり、設定したり、いろいろ。これって、VWDからIEのJScriptのIActiveScriptDebugをプロセス間通信で掴んで処理してるんだろうけどうまくできてるな。
#なんか10年前くらいには普通にやってたような気がしてきたけど、何しろこの5年くらいこういうのやってなかったから、えらく感心したのであった。
ジェズイットを見習え |
Before...
_ takahashim [つ http://www.amazon.co.jp/dp/4883993418/]
_ arton [へー、こういうのもあるんですね。技術文書英語の解説(イディオムとか)とかも入ってるなら、買おうかな。]
_ mumurik [お、こんな本があるんですか>RFCの読み方 社内の勉強会ではよく仕様書読みをやってましたが、なかなか良い題材でした。..]