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どうも面倒くさそうに思うのは、いろいろ書いてあるけどgettextそのものが必要なんじゃないかな、とかそのあたり。MSWin32は外部のライブラリを用意するのが面倒だ。
でも、実際にやってみたら拍子抜けするほどあっさりできた(追記:つまりGNU gettextそのもののインストールは不要ということ。gemでgettextをinstallする以外にインストールする必要があるものはなかった)。すばらしい。
でも、「Ruby on RailsでRuby-GetText-Packageを使う」のページなんだけど、ちょっと引っかかった箇所がある。
Wikiなんだけど、なんとなくむとぽんさんのところは書いて良いのかどうか、そもそも外部の人間が編集できるのか、わからない(わかりにくい、が正確かな?)。それに、参照情報なだけに、もし間違ったことを書いてしまうとすごくまずい。
というわけで、ここに書いておくのだが。環境はOne-Click InstallerによるMswin32 1.8.4(ASRしか使わないわけではない)。iconvは同梱されているバージョン。
1. makepoタスクのglobの引数。
GetText.update_pofiles("blog", Dir.glob("{lib,bin}/**/*.{rb,rhtml}"), "blog 1.0.0")
となっているけど
GetText.update_pofiles("blog", Dir.glob("{app,vendor}/**/*.{rb,rhtml}"), "blog 1.0.0")
が正しいと思う(Railsのバージョンに依存しているのかも)。
マイグレーションに文字列を使っている場合は、さらに、{app,vendor}の部分を{app,vendor,db}にする必要があると思う。Rakeのスクリプトにも使っていれば、{rb,rhtml}の部分を{rb,rhtml,rake}にする必要もある。なんか、全部、当たり前のことのように今は思うが、最初は書いてある通りにやったから引っかかったのであった。
2.これは常識なのかも知れない(僕がちゃんと読んだのはRailsのページだけだし)けど、poファイルはUTF-8で書く必要がある。なんとなくネイティブな文字コードで良いのかと思ってWindows-31Jで書いたら何も起きなくて(makemoもエラーとかにはならなかったし)ちょっと困惑した(というか、トライエラーしたのだが、第2候補くらいに試したのですぐ解決した)。あと、メモ帳のBOM付きUTF-8でもちゃんと処理してくれたので、これは良いと思った。
以上。
追記:2点目について。「Ruby-GetText-Package開発手順」の「ローカライズする」の箇所にContent-Typeに指定した文字コードを使えと明記してあった。ドキュメントは全部読めということで。
2006 年 6 月 10 日 (土)、11 日 (日) の二日間です。
task :updatepo do GetText.update_pofiles("blog", Dir.glob("{lib,bin}/**/*.{rb,rhtml}"), "blog 1.0.0") endこの場合、ゼロから作り直すんだと開き直って
task :updatepo do if RUBY_PLATFORM =~ /mswin32/ begin File.delete('po/blog.pot') rescue end end GetText.update_pofiles("blog", Dir.glob("{lib,bin}/**/*.{rb,rhtml}"), "blog 1.0.0") endとしたほうが幸せだと思う。多分。
追記:それほど幸せじゃないか。Gtk+ Windowsを入れたほうがむしろ良い。むとうさんのツッコミも参照
テーブル上には出てこないフィールドはどうすればいいんだろう?
たとえば、テーブル上は1つのカラムになるけど、フォームでの入力は都合上、3個に分かれているとか。
たとえば、テーブル上では社員コードという名前のカラムだけど、フォーム上は、採用年度、採用地域コード、連番 というような3つのテキストボックスに入力させて、モデル内でコード化するというような例がある。
class Item < ActiveRecord::Base validates_numericality_of :hireyear, :allow_nil => false FIELD_HIRE_DATE = N_('Item|Hireyear') def hireyear @hire_year end def hireyear(y) @hire_year = y end ... end(追記:_からN_に修正)
まるでS2Daoの定数アノテーションだ。
でも、もっとうまい方法はないかなぁ(parser/activerecord.rbで=メソッドを見つけたらフィールドと見なすというのをちょっと考えたけど副作用が大きすぎるようにも思うし)。
結局、ruby-listでのむとうさんのお勧めのGlade/Gtk+ for Windowsを入れた。最初、どれか良くわからなくてgtk+-win32-runtime入れたら、さすがにruntime、入ってなかった。で、gtk+-win32-devel入れたら、こっちでOK。ヘッダやライブラリも入ってコンパイルもできるようになったから、ASRにも入れてみようかな?
というのは、前置きで(というか、自分のためのリンク集なのだが)、本題は、CP932で(Windows-31Jはiconv-1.9.1が認識しなかった)ja/foo.po を作っておいたのだが、更新後は、utf-8になってしまってた。potのcontent-typeしか見ないのかな? でも、それは無茶だと思う。jaはCP932、cnはbig5とかって、分かれることがあるはずだから(どうせクライアントへのアウトプットはUTF-8になるのだから、poもUTF-8で作ったほうが良いというのはわかるけど)、potじゃなくて、個々のpo毎に元の文字コードでマージしてくれるべきじゃないかな(ただし、中身が壊れるわけではない。正しくutf-8で出力はされているし、content-typeもutf-8に変わっている)。
ピンクフロイド……(ちょっとイヤ)
心象をそのまま映像に載せる手法。
作家本人自身が映画の中に現れる。逮捕されて退場。
モロが台本を持っているということでフィクションだと強調しているのかな。あるいは、赤いシナリオ通りだとか。
バーダーマインホフ、赤い旅団、PFLP、あたりは有名だが、フランスやアメリカにはそのての組織は無かったのかな? IRAはずいぶん違う毛色に見える。それを言ったらPFLPもか。日本だと、あのてはおそらく狼とかなんだろうけど方向性がずいぶん違う。要人テロに対してハイジャックや無差別爆弾みたいな普通の人の集団に対するテロ。日本のほうが警護が固いからとか武器の入手性とかの技術的な問題なのかな。それとも責任を個人に付ける考え方と、みんなの責任とする考え方の差なのかも。
実にかっちりとした硬い演出。硬い演出+心象の映像化(しかしぼやかせたりもやをかけたりせずに、現実と同じ硬さを保たせる)。
間の取り方がうまい。最初からうまい。今もうまい。
だから、会話がいつみても驚くほどおもしろい。
出だしのほうで疲れて眠ってしまったがローの映像が見えてあまりの異様さに目が覚めた。
最後の本当の息子のように感じさせる演出。
カーステからはエチオピア音楽。なんか演歌調。相変わらず変なところで変な違和感を持ち込む演出。
ストラヴィンスキーのプルチネッラは、ペルゴレージの曲と思われていたものを利用してストラヴィンスキーが古典的な振る舞いを身につけるべき再構成した作品だ。
以前、タッシのきれいな演奏(組曲版)を持っていたが当然のように逸失、今は手元にホグウッドが振った全曲版がある(が、アマゾンには無いようだ。というか、プルチネラ、プルチネルラ、プルチネッラそれぞれで異なる演奏が小出しで出てくるのはどうにかならんもんか。原題——でも英語を取るかフランス語を取るかとか、それはそれで問題山積みか——を持ってそれを共通で見るとか。っていうかオーパス番号使えばいいんじゃないか? でも手元のCDには表記されてないな。ストラヴィンスキーって管理されてないのか?)。
で、この曲はとても楽しいのだが、はっきりいってまじめに構成を聴くような曲じゃない(少なくても僕にとっては)。ディベルティメントなんかと同じく、ただただ流しておくだけ。ミュザックだ。
で、出だしがダンバートンオークス協奏曲という別の曲だというのは知っていた。というか、プルチネッラと言えば、チャーチャチャーチャチャチャッチャー、ターラカターラリラリラーという冒頭の楽しい主題で、それが始まれば、ああ、ペルゴレージ、ああ、プルチネッラと思ってた。
ずーっと思ってた。
ところが、つい暇を感じたので、しげしげとCDを眺めると、ガローの2つのヴァイオリンとコンティヌオのためのトリオソナタ第1番というのが見えた。コンティヌオなんて言わずにツウソウ低音と書きゃ良いのにと思ったが変換されないんじゃ、カタカナなのもやむをえまい。
なんじゃこりゃ? なんでこんな聞いたこともないものが入ってるんだ? というか全然、入ってることにすら気づかずに聞き流していたわけだが、と思ってライナーを読むと、これまでペルゴレージだと思ってたら実は間違いで、いろんな人の作品がなんでもかんでもペルゴレージの作品として伝わってたということらしい(もちろん、ストラヴィンスキーはそんなことは知らない)。それが最近の研究で明らかになったので、原曲の1つのガローの曲を参考に収録したとのこと。ホグウッドらしいな。
で、なんてこった、あの出だしの、これぞプルチネッラ、これぞペルゴレージと僕がこれっぽちも疑ってなかった、あのメロディーが、ガローのトリオソナタだったのだ。しかも解説によると、全然ペルゴレージっぽくなくて、もっと後世のギャランスな感じの曲だとか。でも、同じなんだが。
教訓を得られるだろうか? ストラヴィンスキーがリスペクトしまくったのはガローじゃない。ペルゴレージだ。ガローなんてのは歴史に呑まれた消えた音楽家に過ぎない。でも、そのリスペクトのおかげで、ガローという名前はよみがえり、そのトリオソナタはプルチネッラとともに不朽となった(と今気づいたおれが言う)。
良い作品は作家の名前と独立して動き出す(その過程でより有名な作家のものと誤って伝わることもある)。
過去の作品をリスペクトして自分の作品に取り入れるという手法がある。その手法により、過去の作家に陽が当たる。
研究者は研究する。陽が当たれば研究も深くなる。
そして最後に忘却の彼方から忘れられた真の作家が見出される。
実におもしろい。
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネルラ」「ラグタイム」「狐」「八重奏曲」(サロネン(エサ=ペッカ))
これ、良さそうだな。
でも、おれは今はアゴンが聞きたい。ピタゴラスィッチなバレエだと思ったけど、どんなんだったかな? 確か新古典+12音音楽で作られた曲のように覚えてるけど。
お、なつかしい響。
というのはさておき、
純粋に「食費が浮くから」という理由で子供を襲って食っていたのである。
——CANNIBALISMからヨアヒム・クロル
そりゃ、確かに食費は浮くだろうし、抵抗力も弱いだろうから狩は楽だろう。これをもうちょっとだけソフィスティケートさせると詐欺師になるわけだし(「だまされるほうが悪い」ってやつだよ)、あまり関わりたくない人達だなぁ。では、金持ちは金を持ってるから税金をたくさん取れば良いというのは? でも、能力がなくて働きが悪いんだから低賃金に甘んじろというのは? 簡単な線引きだが、その線が高いのか低いのか、ずーっとトライ&エラーしながら歴史は続く。
via wHite_caKe
なんか後で書いたら読もうと思ってたら(全体の話。これはもしかしたらその時書いてたのかも)、いつのまにか書かれてコメントが盛り上がってる。
で、内容はどうでもいいんだけど(確かにsecureのとこは……)、画面がびっくりするほど美しいのも本当だけど(こればっかりは使わなきゃわからん)、そこからWindowsに切り替えるとびっくりするほど空々しくなるのもそうなんだが、コメント欄がおもしろい。
僕が持ってるイメージでは、うざい=マカーなのだが、ここを見ると、どう見てもドザーがうざいというかばかですか? なのでちょっと補正が入った。ようするに、信者=うざいということで。というか、Windowsに信者がいるというのが信じがたいが。あれは単なるビジネスツールなんじゃないか? (テクニカルにおもしろい点はたくさんあるが、それと愛着できるようなものとは別の次元だと思う)。そうではなく、ひよこが刷り込まれちゃうようなもので、あの良くできたビジネスツールに愛着してしまうんだろうか? でもogijunはWindowsをけなしてはいないから、そういうのとも違いそうだ。(追記:当然の帰結として、とにかく参加することに意義があるということなんだろう、と想像しているわけである)
#でも、ATOK入れたら、Wordは時々クラッシュするし、Carbon Emacsは時々ハングするしで、Windowsのほうが快適な開発環境になってしまったのは秘密だ。
なんかオーソドックスで古臭いロックだなぁ。というのが第一印象。
#でも、これって完全に相対的なもんだろうな。おれがピストルズやクラッシュを聴いてるとき、ビートルズを聴いてた連中やピンクフロイドを聴いてた連中は、なんか古臭いロックだなぁ、とか思ってたんだろうな。
まあ、そんな嫌いじゃないかも。
しかし、なんというか、体に染み込んでるのだろうが、X5を聴いた瞬間からそわそわしたよ。
contains elements ofという言い方は好きだな。
パリ・シャトレ座 ヤナーチェク:歌劇《利口な女狐の物語》全曲 [DVD](ジェニス(エヴァ))
マッケラスがパリを振った利口な女狐の物語。演出はニコラス・ハイトナー(このへんは知らないのだが)。1995年に収録か、そういう時代ということは意識してみる。
うひょー、こういうのとは思わなかった。というか、人間が肉体を使って蚊とかを表現している女狐を見るのは考えて見たら初めての経験なのだ。
宇宙人みたいなカエルだ。
乏しい知識と印象からは(初めての経験なので、過去の事例と突き合わせてどのような見方をすべきか考えてしまうのだな、どうやら)、なんだかリンゼイケンプを見てるような気分になってくる。出てくる獣たちがみんな、ドリフの雷様みたいな髪型をしてたり。真夏の夜の夢ですか? (森番の)
音楽はくっきり。すごく新鮮に聞こえる。
森番の股くぐりで女狐が逃げる。
これまでちっとも面白くなかった森の中で先生と神父が出てくるところがこれほど面白いとは思わなかった。固有名詞の連呼って。
赤いでっかなベッド。子供が(途中で釣られて見に来た)でも僕に囁いた。でも柵だよね。確かに宮の部分は柵だが、まさか、そういう意識つもりはないだろうとは思う……いや、ベッドが柵、ううそこまで象徴させるかなぁ。
で、気取りに気取った男狐が出てきて独立を話すとこまでで、ちょっと中断。DVDはリジュームが利くのでいいね。
身のこなし
ちからごぶ
教訓的な歌。すばらしい
たこぼう
歌は最高。ビジュアルは最低
Geno(最高だな)
やっぱ、リアルタイムものじゃデキシーズが一番好きだ。
賢い人は馬鹿であるという証明
真情あふるる軽薄さ
天国で一番の歌(あったーさいこー)
これが1番ってことは、ここは天国だってことだ。それにつけてもつくづくいかれぽんちの兄弟だな(特に兄貴)と見せる必要があるのはなぜだろう
唯一好きなピンクフロイド。おさいけ
たった2分。早回しじゃなくてリアルタイム。このかっこよさ。でも音が小さいよ
今見るとあまり好きではない
これがアベルガンスへのオマージュだなんて誰が知ろうか? (むちゃくちゃ好きだな。っていうかシザーハンズのメイクってこれのマネだろ?)
歌は最高。ルックスは許しがたい
ほんっと、じじいになったもんだ。さあ、窓から捨てちまえ。
でもこれは許す ……レトロなブギー……(泣)
ちなみに、出てくる人達の中でもみあげがない人達(Mとかデキシーズとかヌーマンとかロバートスミスとか。イアンカーティスですらほとんど無い)は本物の80年代の人(ただしロボットは人間ではないので別)。80年代というのは世界中でもみあげを耳たぶの上の付け根より上方向で切り揃えた時代だったのである(そこから頬方向に下げて持ってくるのはあり)。
というか、キンクスにしろピンクフロイドにしろスパークスの弟にしろ、なんであいつら耳を隠してんだ?(スパークスの兄貴も長いな。耳たぶの付け根が出てない)
それだけに、in between daysは衝撃的な映像だったわけである。(でも実は上のほうを長くしておろしてるだけでやはりもみ上げはなさそうにみえる)
エコー&バニーメンあたりから影響を受けたっぽいギターにアニメ声ボーカルというなぞグループ。しかしビジュアルが伴うとずいぶんイメージが違ってちょっとびっくりというか不気味。欠伸法被のほうがバンドの音とのミスマッチがおもしろい。
音が小さい
しかし、しげしげと見入ってしまったが、この服はいったいなんだ?
これも音が小さい
# Firefoxだと結構な頻度でoctetストリームと認識してgzip(だと思うが)を復元できずに終わる。IEだと今のところそんな現象は起きない。
chacun fait fait fait, ce qui lui plait plait plait
おお、これをまた見ることができるとは。ちなみに、このサイトのトップページのタイトル。
ぐわぁぁぁぁぁ、いいところで切れちゃうじゃないくわぁあああ。でかるこまに。
きりがない。
結論は、クラフトワークは圧倒的にまともじゃない、ということだ。
っていうか、全然、違うだろ。
それにくらべりゃ、他のは全部、想定内。
#っていうか、40近いあるいは40超えたおっさんが4人で雁首揃えて演出とか振りとか自分たちで決めて、手を振って廊下をくそまじめに行進してあれを撮影しているという事実を考えると……。というか、なぜあいつらはもみ上げを落とすなどということを考え付いたんだ? キノプラウダを見たってあんなのは出てこない。ミスタースポックがヒントなのかなとも思うけどそれにしても、あそこまでは膨らませられないんじゃないか? というか、それをやってしまうってことが。
まさにリスペクトに値する。contains elements of
def hello(t) if t == 'am' msg = 'good morning' elsif t == 'pm' msg = 'good afternoon' end puts msg end hello('AM')
なんとなくmsgの代入が行われないからNameErrorになるのかと思ってたらnilが入ってるなぁ。
追記:KKさんのツッコミでリファレンスに書いてあることを知る(一応、読んだはずでも覚えてないことはいっぱいいっぱい)。エラーにならないって意味じゃ人にやさしい、初期化漏れに気づきにくいって(ちょっとon error resume next風味にプログラムが書ける)意味じゃ人に厳しい。どっちが好み? おれにはちょっとわからない。どっちでもいいや。
見に行った。ホラーとサンダーバードと、いろいろ。そう言えば目が光ったな、とか思い出したけど顧客の目じゃなかったような。
最初は非常に醜いというかどうしてこういう人形になるんだ? と不可解なウサギたちが、見ているうちに可愛く見えてくるという不思議。大量に出てくるからってのはありそうだな。大群衆シーンが撮れる監督は本物だから本物なんだろう。
DREAM PRICE 1000 平山三紀 真夏の出来事(平山三紀)
ところで、一作目からずーっと使われてる、チャーチャカチャーチャカチャチャーっていう主題歌で転調後に突然リズムがチャッカチャカチャッチャチャッカチャーって変わるところが、どうにも、平山三紀の真夏の出来事に聴こえてしょうがない。ちょうど、かなーしーい、できごーとーが、おこらなーいーよーにー、いのーりーにー(忘れた。追記:続きはSaitoさんが引き取ってくれた)からその後に続く部分。つまり、非常に琴線に響く音楽。というわけで、いやおうなく傑作たるが義務付けられてるわけだから、当然、長編になっていてもおもしろい。
わかんねぇだろうなぁ。
あれ、おれが知ってるのは、ソニーバージョンなのか、コロムビアバージョンなのかどっちだ?
#サディスティックミカバンドより(つまり比較するほどとっても評価しているのだ。僕は君じゃない)、平山三紀+筒美京平のほうがはるかに洗練されていておしゃれだと、思う。1970年代の日本のポップミュージックの金字塔であるな。
(アマゾンの評を読んでいるうちに、ついコロムビアのやつを購入してしまったが、考えてみりゃ、歌謡曲を金出して買うのはこのくらいのものだ)
#実際にはリアルタイムには聞いてなくて、米米クラブによる再評価で知ったわけだが、ぶったまげて耳にこびりついているのだ。
Mac OS XにWindows Vistaのカーネルが載る?
どう見てもネタだとは思うが、もし本当にそうなるなら歓迎できる。
だいたい、今やカーネルに求められるものは準ハードウェアに近いのではないか。
ユーザーランドや、あるいはVMあたりで勝負すりゃいいわけで。
ハード屋さんも作らなきゃならないカーネルモードドライバの数を減らせる。それとも今はほとんどミニポートドライバで済むんだっけな? というか、このあたりのことはほぼ完全に忘れてしまっている。
あとは、どこまでカーネルモードに組み込むか。だろうな。
というか、PPCに次のOS X、その次のOS Xまでサポートしなけりゃならないことを考えたら、PPC HALを持っていたNTカーネルに移行するというのは効率的なも知れないな、とか。
#底から池が凍る想像。
牛車の読み。
ずーっと、「ぎゅっしゃ」だと思ってた。耳学問だね。
もちろん、変換できない。
やっぱIMEですなぁ、と「ぎゅうしゃ」 と入れた。でも変換できない。
まあ、死語ですなぁ、と「うしくるま」と入れて変換したが、なんとなく胸騒ぎ。
国語辞典をひいたら、「ぎっしゃ」だった。IMEも「ぎっしゃ」で変換してくれる。
うーむ。
_ mumurik [お気になさらず>申し訳ない DataBindとの関連まで説明するとITemplateが単なる一機能じゃなくてASP..]
ブラウザーからはアクセスできるのに、svn co http://... とやると301になる。
ドキュメントルートがSVNPathかSVNParetnpathに一致している。ドキュメントルートを動かせ。
なるほど。というわけで、faviconだけ置いた空のディレクトリをSVNPathの直下に作ってそこをドキュメントルートにした。解決。
どういう風の吹き回しなのか、スラドがモラリスト化している。
不思議だ。
1. コモンセンスに目覚めた
2.客層が変わった
3.客が変わらない(ので大人になった。ちょっと気味悪いな)
4. 時代が変わった(それだけPHSの狂信者が減ったというか)
5. まだ1ページ目しか読んでいないからで、これから本来の風が吹きすさぶ
6.最初にいきなりおばかな女の例が提示されたもので、同類と見られたくない心理が論調に抑制をかけた
2点。
1: MSVCRT(VS.NET 2002までだと思う)とMSVCRT70(VS.NET 2003以降)の分離は手痛い。(こないだRjbがらみで問い合わせが来たし)
2: distroって言うのかぁ、という驚き。和製英語だと思ってた。
さて
平山三紀が届いたので、早速iTunesに取り込みながら聴く。
……まったく似てない。
変だなぁ、ともう一度聴く。
……やっぱり似てない。でもやっぱり似てる。
むしろ、あっさのっ、とか、なのかな?
いや、違う。むしろ、全然似てないというのが正しい。
でも、変だな。やっぱり同じに聞こえるんだが。
間奏の一部や歌の部分でリズムをホーン(トランペットかな?)の1つの音で刻んでいる個所があるのだが、そのリズムかな?
それにしても、違うな。
#でも、やっぱり似てるんだよなぁ。アレンジ(音の重ね方)かな? というか、シュープリームスの何かを介して似てると思うのかな?
よこはま、よこはま、すてきなおとこが、いっぱいいるわ。びゅーてぃふるなおはなしね。
というわけで、どう見てもビューティフルなお話です。礼はいりません。
気に入っていただけたようで嬉しいのは僕はデキシーズミッドナイトランナーズが好きだからだ。ファン心理ですね。
DMRと書くこともあるので、最初Run DMCが出てきたとき、今度はラップかいと思ったというのはさすがに嘘だが、このグループやたらとジーノのPVとかみると人数が多いけど、実質はケビンローランドというボーカルのプロジェクトだったらしい(最初からそのつもりかどうかはわからないけど)。アルバムごとにスタイルは変わるし、レコード会社は変わるし、突然やめちゃうし、落ち着きがないのは声の通りだ。
Searching for the Young Soul Rebels (Rpkg)(Dexys Midnight Runners)
最初の若き魂の反逆児を探しては、ブラスを多用した妙なビッグバンド。いいなぁ。でも声が合わなくてそれも良いのだが。
アルバムの出だしはラジオをチューンするところから始まる。ディープパープルが流れるので次のチャンネル、ピストルズが流れるので次のチャンネルと変えていき、最後に突然、Burn down them(とかなんとか)わめきながら演奏が始まるという演出。うまいのかへたなのかさっぱりわからないがとにかくやたらと説得力があるのですさまじく好きな作品。おれが音楽とは何かを教えてやるから聞きやがれみたいな。でもそれがこれっぽちも嫌味がない。本当に好きでやってるって感じがするのだ。
次の女の泪はわざものだ(みたいな題。きっと中川五郎の趣味で付いた日本題だと思う)では、とつぜん3人組になってバンダナを首に巻き付けてオーバーオールを来てフィドルを弾きながら踊り狂うというわけのわからなさ(でも、カモンアイリーンは大ヒットしたから、DMRと言えば、このあたりが有名かも)。原題もtoo-ray-eyeってきっとトゥートゥーラリラリみたいなオノマトペなんだろうな。必ずしも嫌いじゃないが、ちょっとうますぎるかな? 人数を絞ったせいだろうけど。
3作目のDon't Stand Me Downは、まったくぱっとしなかったけど、僕は最高に好きだ。特に3部構成約13分の大作、This is What She's Like(マーラーズパーティーとか、プラハからの伝言とかみたいな感じで、なんだか延々と続く)だな。フィドルは残ってるし、ライアーイララララライライアーイみたいなのは(スキャットなのかな? なんて呼ぶんだろう?)ここでもそこらじゅうに出て来る。ピアノが大きいかな? リズムセクションは充実しているので、アレンジは最初のに近いかも知れない。
多分、これがFastCGIじゃなければそれなりにエラーがログに書かれてはまらなかったんじゃないかと思う。
Windowsでプロジェクト作った。おれ、気づかなかったけど、Railsってpublic/dispatch.fcgiとかのシーバン行を自分を起動したRubyのパスを埋め込むわけだね。
で、#!c:\progra~1\ruby-1.8\bin\ruby とかが入ってたわけですな。
それに気づかずに(というか、疑問に思うべきだったと後だしでは思う)、zipして、Linuxボックスに送り込んで、httpd.confいじくってとやって、動かす。
いや、なんか変だとは思ったんだ。
で、おお忘れてましたな、と chmod +x public/dispatch.fcgi とかやる。
でapache restart。でも、変だ。
error.logには、ヘッダの長さが変だよとかのメッセージ出まくり。
これは見たことある。そうだ、パイプの位置が存在しないディレクトリだった時出たやつだ。……(確認)……、ていうか、ちゃんと作られてますが。
ps -efだ。fcgi-pmはあるけど、実行プロセスそのものが無いようだが。
おおそうか、/usr/local/binが、Apacheの実行環境のPATHに入ってないのか……入ってるけどなぁ。書き方が悪いのかな? うむ、/usr/binのほうが前だから古いrubyが動いているのかも。では、PATHの並びを変えてapacheのリスタート……やっぱり動かん。
というわけで、最終的にシーバン行にたどりつくまではすごく時間を浪費したのであった。
Capistranoとか使うとちゃんとこのへんの始末もつけてくれるのかなぁ(ドキュメントが多すぎて読む気になかなかなれない)。
プロクシがメソッド名でフィルタリングしてる予感。ぞわぞわ……
私も含め、かつてのsmalltalkerたちは、現在の主流よりも生産性の高いプラットフォームを以前から知っているのである。 ——Rubyの評価
生産性の高低に加えて価格の高低(JBuilder Enterpriseとか買えなかったな、そういえば)までの4象限だけでも不足してるみたいだし。
一番重要なのは、使う側から言えば合う合わない、気に食う食わないだけど、それも意思決定の場ではそれほど重要ではないようだし。
利用できるできないは、最もクリティカルで、多分AS400で開発するとなったら、どんなに生産性が高かろうが、価格が安かろうが、VS.NETやSmalltalk(もしかしたら移植されてたりするかも知れないから嘘かも:追記:やっぱり嘘でした)が使われることはないだろうけど。ではなぜ、その利用できないシステムを選ぶ選ばないがあるのか、とか。
とすると最重要なのは、実際にはH/W+OSということでFA?
いや、壁ですな、と風は言う。そこで壁に会いに行くと壁は答える。いや、鼠ですな。
で、ぐるっとまわって、気に食う食わないが一番重要。
以前からなんとなく思ってたんだけど、SmalltalkとBSDって、
・それが本物だということは誰でも知っている
・格別に利用のための敷居が高いわけじゃない(山ほど括弧がでてくるとか、数学の素養が絶対的に求められるとか)
・でもなぜかメインストリームにならない
・しかも使っているのはコアな人(!= きもい信者)
というような共通点があるような。
最初と2番目の理由がありながら、なぜ3番目になるのかな? それはきっと4番目が大きそうだ。使っているのがきもい信者なら、きっとその裏には普通の信者とかもいっぱいいるから裾野が広そうだ。でも、使っているのがコアな人たちなので、the rest of us は遠巻きにそれを眺めているだけとか。
信者ってはっきりいってばかだから、声がでかい。だから彼らがお経を唱えているだけで、やっぱり周囲に対する洗脳効果があるんだろう。でも、コアな人達は、スマートだからそういうことはしない。なんでみんな、こんないいものを使わないんだろう? と首をかしげながら自分のすべきことをしてる、そんな感じだろうか。
それにしても不思議だよね(と言いながら、やっぱりBSDを使わないオレがいる。OS Xは使ってるけど)
誰かフォローしてあげようなんて人いません?
とのことなので、戦える人は行って来ていただけないでしょうか? (自分は銃後の守りで手一杯なのでお願いモード)
もしRailsに組み込まれれば、エラーメッセージとか最初から_()されてpoとかmoとか付いてくるるわけで、それはとてもハッピーなことです。
#ふと思ったが、ライセンスがRuby'sじゃなくてGPLだと思い込まれてるとか無いかな?
has_manyと、Pagenationは相性が悪い。collectionが:limit、:offsetパラメータを取れれば良いのだな、と思った。
それにしても、パーシャルは、所詮テキスト(ITemplateが脳裏をかすめた)とは言えうまく考えられている。:localsの存在が大きい。
最初に入手できたのは、神保町にある中古レコード屋だった。
当時、高橋悠治は水牛楽団とコロムビアのPCM録音シリーズ、そして全音のPR誌のエッセイでしか活動していなかったと思う。
1975年の録音だから、冨田勲とキースエマーソン、ちょっと格落ちしてリックウェイクマンあたりだけが使いこなしていた時代だと思う。まあ、主観だけど。カルロス・ウェンディというような名前のソニーからバッハのシリーズを出していた人もいたけど、面白いと思わなかった。
高橋悠治は、どちらかというと後者のような方法論でやっている。ただ、フーガの技法だから、声部と音色をある程度固定し、ただし場はずらしたり(曲によるけど)しながら、かっちり弾いているから、声部を追うには都合に良い。なんだかよくわからない、水のピチョン君音が多いのがおもしろい。適当に混ぜて気に入った音を選んで組み合わせていったのかな、と思う。
LPは多分、売り飛ばしてしまったはずで手元にないが、1991年にCD化された時に買いなおしたCDは手元にある。
高橋悠治が(例の)詩のような特徴のある書き方で、読み手によって好き勝手に解釈可能な解説を書いている。
音楽はだれのものでもない。音符をたどることでも、
作曲家の意図にしたがうことでもなく、
なにかを発見することだ。
そして
あらゆる演奏は編曲だが、抽象構造に色をつけるということではない。元のものは存在しない。
バッハが自分で演奏したものは、彼のやり方にすぎない。
フーガの技法はバッハの最期の作品だと云われている。途中まで書いたところで止まっているのだ。息子のエマヌエルが、楽譜の最後にメモを書く。
このフーガをつくりながら、B-A-C-Hの姓が対位主題にとり入れられるところで作曲者は死んだ
このCDは、まさにここで終わり、楽譜に忠実にメモを読み上げて終わる。どこかCDの解説ではないところで、当時のコロムビアに在籍していたドイツ人の重役に頼んだというようなことを読んだ覚えがある。まさか、自分の読み上げが何10年も生きるとは思わなかっただろう。ビーアーシーハーと読み上げるので、Hをハーと読むのだなと知ったものだ。
昨日、Pagenatorとhas_manyは相性が悪いとか書いていたけど何か勘違いをしてたようだ。
別にhas_manyは関係ないんだけどな。
最初の引数のを見てhas_manyの最初の引数とごっちゃにしたのかな? モデルとコントローラで違うからまったく関係ない(は見方の問題で、どちらも単数形にしてからクラス名化するわけだから同じ意味の引数だけど、インスタンスは異なる)のだが。
むりぽ。せめて懇親会には行きたい(というか、話が逆なような気がするな。セッションには参加して、懇親会は行かないというほうが理屈のうえでは正しいような)。というか、懇親会のほうが予約がシビアっぽいからやっぱりそっちには行く、が正解か。
と、困り果てる。
AJAXを利用してXMLではなくHTML片を読み込み組み込むページがある。
<%= link_to_remote ... :update => 'foo' ... %> <div id='foo'></div>上からこんなのが降ってくる。
<input type='button' id='bar' value='push me!' onclick='bar();'> <script type='text/javascript'> function bar() { ...すごく長い ...たくさんの行 } </script>>
でも、これは思ったように動作しない。bar()の呼び出しが「オブジェクトでサポートされていないプロパティまたはメソッドです」になるからだ。windowオブジェクトに追加されてるとは思うのだが、なるものはしょうがない。
だらだらonclickのところに書けばよいのだが、何しろ長いのなんのって、ちゃんとインデントとか付けて改行しまくって書きたいよ。
こういうテがないわけではない(Rails使っているのでRubyで書ける範囲は楽だな)。
<%= button_to_function _('push me !'), escape_javascript(<<END ....たくさんたくさん ....もっとたくさん END )%>
試してないから嘘かも知れないけど。
でも、この場合、ボタンはもっといっぱいあって、共通の関数になる部分も山ほどある。でも地のHTMLにincludeできないのはその時にならないとどういうスクリプトになるかわからないからだ(ということにしておく)。
で、苦し紛れに次のようにしたんだけど、もっと良い方法があるだろうと思う。気づいてないだけか、絶対的にこのあたりの知識が不足してるか、どっちか。多分、後者だろうと思ってるからだが。
<input type='button' id='bar-button' value='push me!' onclick='$("bar-button").bar();'> <script type='text/javascript'> $("bar-button").bar = function() { ...すごく長い ...たくさんの行 } </script>>
教えてやってもいいよという方、おいででしたらお願いします。
インクレディブルマシーンなプレゼンというのを考えてみる。
次々とソフトウェアが起動しては担当分を処理してく感じ。
ただ、これはナップスター的に中央集権スクリプトがいればそんなに難しくはなさそうだけど、ピアツーピアでやるとなると参照の問題とかあるし、難しいな。同期呼び出しにすると最初のやつまでスタックされるからメモリーがいくらあっても足りないし(と実装は常に意識する)。
タマは受けてによって見た目は変わる。でも、データそのものは変わらない。
いや、ピタゴラ装置みたく、データは流さないという手もあるかも。
流れるのは、なんだろう? 流れそのものがデータであるということかな。
茶色のジャンパーに黒ズボン、ズボンに両手を突つ込んで、一かどの不良になつた積りで、戎橋(えびすばし)の上まで来ると、アオキから尾行して来たテンプラらしい大学生の男が、おい、坊つちやん、一寸来てくれと、法善寺の境内へ連れ込んで、俺の見てゐる前で制服制帽を脱いだり、あんまり洒落(しやれ)た真似をするなと、十円とられて、鮮かなヒンブルであつた。
どんなヒンブルなんだろうか?
また、知らぬ間に蒲団の綿が何か固いものに変つてゐた。
おもしろおかしい
だから、こんな莫迦げた妄想(まうさう)を起す奴を相手に興奮してはつまらぬと、煙草を吸ひかけたが、手がふるへた。
それはそうだ。しかし、なぜ手がふるえる? それは女の顔をマッチの炎でしみじみと見直すためだ。
すつかり自信を無くしてしまつたらしい修一の容子(ようす)を見て、楢雄は将棋を挑んだが、やはり修一には勝てなかつた。
おい、なぜそこで挑む。
何といふ水臭いやり方かと寿枝は泣けもせず、こんな風にされる自分は一体これまでどんな落度があつたのかと、振りかへつてみたが、べつに見当らなかつた。
べつに見当たらなかったのですね。
院長は金の取れる注射一点張りで、楢雄にもそれを命じ、注射だけで病気が癒(なほ)ると考へてゐるらしいのには驚いたが、しかしそんな嫌悪はすぐわが身に戻つて来て、えらさうな批判をする前にまづ研究だと、夜の勤務で昼の時間が暇なのを幸ひ、毎日高医の細菌学研究室へ通つた。
っていうか、医者になってるし、考え方はまともだし。給料も兄貴より良いし、運気が回ってきたかと思えば試験管洗いだし。
修一はあつと声をのんで、暫らく楢雄の顔を見つめてゐたが、やがてこの男にはもう何を言つても無駄だと諦めながら、さア来いと駒を並べはじめた。
え?
ナラオ最高でございました。
こないだ買ってすぐに1/4くらい読んだあとは、晩飯食べながらちょびちょび読み進めてる。
今は、開発中のイーグルがジャンプ命令からの復帰後インストラクションキャッシュを見ないでフラッシュされたゴミを見るバグのところを読んでいるのだが、大した著者と翻訳者だ。このバグの追跡について数ページを使って説明しているわけ(それはこの本がビジネス書であり、読者はジャンプ命令もイ復帰もインストラクションキャッシュも、キャッシュフラッシュもなんにも知らないことを前提としているからだが)だが、破綻がない。
それにしても、読めば読むほど、出てくるひとりひとりが、オレでありキミである、という感じで面白い。ジョイとかベクトルシャイムとかの神格化されたエンジニアじゃなくて、ようするにサラリーマンたちなわけだが(それでもNxGenを立ち上げた人とかも出てくるわけだけど)、著者は不思議でならないようだ。なんでこいつらはこんなに一生懸命に働くのか? と。でも、大した話ではなく、この著者自身がどうしてそこまで調べるのかというほどエクリプスの実装詳細を聞いて、それをビジネス書に翻訳してるわけだ。で、著者はピュリッツァー賞を受賞。
確かにこの本は名著だと思う。これを浪花節にすればプロジェクトXということなんだろうが。
32ビット時代がやってくる。ライバルであり明らかに敵のDECはいち早く投入した。初代Eclipseは品質問題があって非常にまずい。何がなんでも32ビット次世代機を開発しなければならない。
そこでまったく新しいアーキテクチャの開発チームができる。しかし、産業誘致政策にのって、とんでもない田舎の工場へ転勤しなければならない。そいつはいやなこったと残った技術者たち。古いマシンのお守りしか仕事がない。でも待て、どうせ32ビット機を作るなら、こっちで作っても良いじゃないか。でも、そのプロジェクトは没になる。そこで、16ビットEclipseの完全互換モードを持った32ビット機の開発案を出す。そこに技術者社長の洞察とか、エンジニアからプロジェクトマネージャへの転進を決意した主役とか、ガミくってひがんでいる技術者とか、わさわさ出てくる。主力開発者は全員、田舎工場へ行ってしまった。残されたメンバーだけでは明らかに「頭数」が足りない(足りないものは足りないのだから、別におかしいとおれは思わんな、この表現)。しかし、投入できる資金は田舎工場が優先的に持っていく。そこで、安く雇える新卒を徹底的に面接してこれはという連中でチームを作る。これはと思った人材には面接ではつれない態度で接して最後に、「これは秘密なのだが、新しいマシンを作るから、とびきり優秀な人材しか雇うつもりはないんだ」と言う。それを聞いてしょげた感じになればしめたものだ。そして数日後に採用でございます、とやってモチベーションを高めるとか、なるほどそれがマネージメントでしたな、とか。
なんか、VS.NET 2005のMSDNを検索したらscriptletって完全に死語化されてるなぁ、と感慨も深くKazzzさんが調べてるCmdLetを読む。
おもしろいな。
そこでRubyletというのをちょっと考えて見る。ああ、でもbinディレクトリに*.rbを入れておけばそれは既にRubyletではないですか。
いや、それは違う。#!/usr/local/bin/ruby で始まるファイルの中でrequireと書けば、それはそのとおりだが、#!/bin/bash ではじめた場合には、そういう具合にはいかない。
それはbashとか発想するのが間違いなので、rshじゃ制限がかかっちゃうからirbshとなるのか。
とぐだぐだ考えて見たり。
アクセスログを調べると、commitする場合のOPTIONS×2は残ってるけど次のMKACTIVITYが来ていない。そういえば、svnがMKACTIVITYに200が来たとかわけのわからないメッセージを出してたが透過プロクシが何かを考えて折り返したってことだろう。
ということは、コミットはできないということですか、そうですか。
(確かに安全と言えば安全な選択ではあるか。でも厄介ですな)
何気に上げたら上がらなくなってすごくあせった。grubさまさまである。
うーん、なぜ桑島さんは僕がこれを好きだと思ったんだろう?
ストレンジだからかな? iTMSにあったのでいくつか聴いてみたが、それほど好みじゃなかった、残念ながら。ふよふよしたケーナ? か何か笛の音が印象的ではある。
(ところがどっこい、iTMSで聴ける分は所詮イントロ、そのあとドッカーンと来るのかも知れないけど。ファーズのインディアとかそんな感じ)
でも、P.M. Dawnは割と好き。というかプリンスみたいだな、とか思ったり(Downtown VenusとかMy Own Personal Gravityとか)。ところが、取っ替えひっかえ聴くと、実にバラエティーに富んだ音作り。こりゃいいや。っていうか、Silenceってなんじゃい?
これも何かの縁というわけで、The Ways of the WindとReality Used to Be a Friend of Mineを購入。
もともとはi-nodeのchanged timeみたいなものを同じANSIの関数でcreation timeに割り当ててしまうところが、MSがMSと言われるところなんだろうな(ではどうしろと、というのはあるわけだろうが)。
検索したらAIXのが引っかかったが確かに、
st_ctime Time when the file status was last changed.となってるな。でも、modifedとchangedの差ってなんなんだ?
chownやlnはctimeには反映するけどmtimeには反映しないということか。
Java(C#、VB.NETなど強型付けコンパイル言語)のクラスライブラリデザイン。
利用者に期待しない。
・例外を正しく処理することを期待しない
・呼び出しシーケンスを守ることを期待しない
・パラメータの妥当性を期待しない
・エラー発生時に意味あるレポートを期待しない
・ドキュメントを最後まで(制約とか、条件とかまで)読むことを期待しない
・同期することを期待しない
・直観に期待しない
・効率を意識することを期待しない
利用者に期待する。
・サンプルプログラムをコピー&ペーストして元にすることを期待する→呼び出しテンプレートを与えれば同じようにプログラムすることを期待する
他にどんな期待する/しないがあるかな。
追記:
最近のオープンソース系のクラスラィブラリィは、利用者に期待すること(協力してもらうこと)を多くすることで、シンプルに、学習時間が少なくとも使えるようにするって傾向がある。
なるほど、確かに。ポジティブな関係が築けると効率も気分も良いということかな。
回答者がなんか変なのだが、それはまあ、良しとして、質問者の
「だって私の髪は長いもの」(意味不明なことで有名)にひっかっかった。
意味不明のジョークとはなんだ?
で、そのジョーク自身とオチの解説を見つけた。ジョークそのものとオチの説明(コメントの#2)。
意味不明じゃないじゃん(まったくわからなかったけど。単なるダジャレが奇妙な味の恐怖譚になってるような)。
追記:しかしこれを見よ。日本人以外にこれを語るものは誰一人としていないように見えるのはなぜだろうか?
_ よしき [気のせいかもしれませんが、ほとんど単文なのに(というか少女の会話体なのにだろうか?)、"Because I have..]
c:\test>ruby -e 'p [1,8,2] == [1,8,2]' true c:\test>ruby -e 'p [1,8,2] == [1,8,3]' false
Javaとかだと
public class Comp { public static void main(String[] args) { int[] a = new int[] { 1, 3, 8, }; int[] b = new int[] { 1, 3, 8, }; System.out.println(a == b); System.out.println(a.equals(b)); System.out.println(java.util.Arrays.equals(a, b)); } }
==が偽なのは当然としても、Object#equalsも偽なので、配列を直接比較するという習慣があまりないので、そういう発想ができない。
歯医者に行くので、また行けない。今日のも行きたかったなぁ、鳥の本を持って。
B000B9RVUC
でっかなHDDを乗せればWindowsノートパソコンとしても使えるということなのか。と、アマゾンの評を見て思う。
でも、10.5まで待つ(と決めるとせいせい)。
(やっぱりツルピカは抵抗あった)
図説 駅の歴史―東京のターミナル (ふくろうの本)(交通博物館)
——高岡さんの読書記録から。
正直なところ、それほど鉄道に興味があるわけじゃないのだが、それでも3月には万世橋駅の遺構を見物に行ったりもした。
もともと廃墟みたいなものや、奇妙な建築というのは好き(子供の頃、最初に遭遇した奇妙な建築というのは小学校の友人の寿司屋さんで、改築と増築を繰り返したせいだと思うが、忍者の抜け道みたいなのがそこら中にあって実におもしろかったっていうのと、吉見の百穴の1階の秘密基地とか、岩窟ホテルとかそのあたりかな。でも考えてみると、前者は「いかに」がポイントなんだけど、後者の2つは「なぜ」がポイントだな、と今振り返ると思う。で、こちらは「なぜ」のほうだ)だけど、そういうのとはまた異なる目線での見方ってのを知ったから、確認したくなったというのもあるかな。
それにしても鉄道というのは興味深いな、と以前にはまったレイルロードタイクーンとかも思い出す。確かに、産業構造の変化や、他の鉄道との関係に伴い中心となる駅が変わるんだ、あれは。
ほとんど偶然だけど信濃町に何回か散歩に行って見かけた風景とかも重なり合うのかも知れない。
なんと、シリーズ化されて3まで出てるのか。
(持ってるのはAmiga版だからなぁ)
老後の楽しみに買っておこうかな(で、ゴミ化したVHDだのレーザーだのAmiga用ゲームだのが死屍累々なのでたぶん、今いらないものは買ってはいけないと学んだのであった)。
追記:でも、本がある! (そうか、アルザス地方の話があったが、言語を殺すというのは本当に恐ろしいことだ)
地球の果てまで筒井筒(追記:そういう意味だったのかぁ)。
とりあえず、かって知ったるロックカスバとやたら短いのと落っこち芸術を見た。と書いてる先から次々と見ていくというか聞いていくというか。Abdelkaderはすごく好きなタイプの曲だ。わくわくしてくる展開。交互に追っかけてく歌というのが好きなようだ(となぜオペラがすきなのかちょっとわかった)。
フィンランド+フランス+UKってのはどうだろう? コントラクトキラーを雇ったよ。在りし日のジョーストラマーとジャンピエールレオーだ。
なぜか、ロンドンの水道局でつまらない仕事をしながら毎日を送っているジャンピエールレオー(トリュフォーを失ってからろくな仕事がないらしい)だがある日リストラされてしまう。やけになってついコントラクトキラーを雇ってしまう。しかし、恋をする。だから契約を破棄したくなる。でも、それはできない。
フィンランドと言えばレニングラードカウボーイズ(このビデオ初めて見たけどいいなぁ。しかし12人しか見てないのか。勿体無い)。サビが泣ける。というかなぜかサボテン。交通事故で死んだ犬をよみがえらせるために、ガソリンスタンドで決死のライブを敢行するカウボーイズ。
赤軍合唱団のやつのほうが妙だけど。
もう駅の歴史が届いた。
図説 駅の歴史―東京のターミナル (ふくろうの本)(交通博物館)
さっそく、いくつか確認。こないだ丸の内に行ったとき見かけた銅像の主の井上勝(馨のパチモンみたいな名前だ)。しかし、聞多ら4名と脱藩って兄弟でもなんでもないのかな? なるほど、東京駅の前に立っているのもわかる。というか国禁を犯してまで留学して鉱山と鉄道技術を学ぶというのは、遠見明察な男だな。
内田百閒の名前が出ているので眺めると有名なエピソードという初めて聞いた話が出ていてなんとも奇妙だ。不思議な人であるな。
意外に飯田町駅とその写真群に心を惹かれる。見慣れたしかし時間が異なるためにまったく異なる風景というのは奇妙なものだ。静かな新宿西口の夜とか。共犯幻想とかちょっと思い出したり。
それと同時に届いた高橋悠治の現在(2004年)を聴く。
生まれて初めて買うエイベックスになるのか。
相変わらず憎まれ口のような言葉と自省の言葉が入り混じった奇妙な解説。
世界は いまだにこの普遍主義の押しつけからの出口を見つけられないでいる
……
現在では毎年のように この曲の新しい演奏のCDが消費される
……
その競争に加わってどうするのだ
でも指は正直。楽譜の縦の線を軽く越えて、以前の録音の時もそうだったタンラタンラランのリズム(もっと揺れているが)。
この人ほど、楽器の技術者、職人という印象を受ける人もあまりいない(今やルックスまで職人の親父風であるな。しかしペーズリのシャツではある)。機械で代替可能な技術ではない技術。
しかし、結局のところ、一回限りの録音を何度も聞かせるための方法論という、「北アメリカ」生まれのやり方の枠内とは言えなくもないかな、とも思う。
16変奏曲の途中で急に静まり返らせるところがすげえきれいだ(と今、感じた)。
追記:録音のせいもありそうな気がするが、これはすばらしい。これまでのベスト達(最初と最期のグールド、タンラタンラランの高橋悠治、軽くて軽いピーターサーキン、おれが脳内で補完/補正したおれ自身の演奏)のどれよりも良い。反響のせいかな? 全部の音がきちんと聞き取れていながら全部が合わさった響きが聞こえる。
駅の歴史を読んでいて、なんとも言えずにいやな気分に襲われた。死ぬほどでもないし捨ててしまうわけでもなく、素敵な音楽をちょっと聴いてれば直る程度の絶望感だ。
同じ交通でありながら、鉄道は歴史を残し、人を残し、写真を残し、人々にさまざま感慨を残す。
わが国のネットワークにそういうものがあるのだろうか?
IIJが始めました。JUNETが始まりです。(と書いてからインターネットに捕らわれるのは間違いと気づく)、当時Nifty、PC-VAN、日経Mixというものがありました。NTTデータによるCAFISというサービスがありました。HDLCを利用した……X.25を用いた……、専用線とは……、全銀手順、ISDN、56.6k、通信プロトコル事典(というような題。朝日新聞社)、名士録? 村井純とかitojunとか。タイタン、千里眼とか(と、またインターネットに戻ったり)。草の根BBSとか。
片方には、鋼鉄のレールと駅舎があるのに対して、こちらにはプロトコルと物理層がある(だけ)。井上勝みたいな人はもちろんいるわけで、遠見さをもって技術を導入する。
でも、それが歴史として愛されたり感慨を呼んだりするということがあるのだろうか? 100年後に。失われた万世橋駅に思いをはせるように、K56Flexモデムのことが語られたりすることがあるのだろうか? ねぇよ。って言うか知らないだろ(忘れてただろ)。で、最後のアナログ回線の撤去が行われて……となっても、誰も何も感じもしないだろう。ラスト1マイルという言葉とか、駅前を覆い尽くす恐怖の赤い軍団とか。
というような感情から、出てくるのかね? 例の虚業どうしたみたいな言質って。と突然、言葉と思考が地滑りしてるってことは、もうどうでもよくなったということのようだ。さて社会復帰。
文化村に見に行った。黄金がいっぱーい。
実際には、入ってすぐのヘラを見て感心した。ああいうものをそこら中に並べてたのかと思うと、実に余裕たっぷりな人たちであるなぁと。女主人から奴隷へと銘打った黄金の腕輪とか。少なくてもアメリカの奴隷と同列に数えるわけにはいかない(というか、邸宅を構えている人もいたりするわけで、奴隷と翻訳するのが間違いではないかとも思う。市民権を持たない人程度の意味なんじゃないかと。というか、その中でさらに幅が広い階層があるということなんだろうけど)
というか、火山に埋もれて、銀貨とかはぐしゃぐしゃになるのに、黄金は黄金なのか。とあらためて黄金の意義というものを思い知らされた。
#ポンペイというのを長いことボンペイ(ボンベイか?)とごっちゃにしていて、古代ローマ人はインドも支配化においていたのか、と思っていたのは半分、事実。
とりあえず、午前をはみ出したが、1つの山を越えた。
しかし、なんか山がたくさんたくさん。
それにしても、やっぱりプログラムを作るのがおもしろいし、そいつを正しく思ったとおりに動くようにするのがおもしろいということを再確認。
おもしろいじゃん、いい仕事を選んだもんだな、まったく。
ラスベガスでスロットにはまった人を見たわけだが、はるか以前のこと。
どうしてこのタイプの人がはまるのか、と最初不思議だったが、見てて、ああそうか、これはデバッグをしてるんだな。揃わない目を揃えるデバッグなんだ、ただデバイスがコインなもんでトライ&エラーのためにはそいつを穴に入れなきゃならない、そういうわけですね、と納得したのを思い出した。ちなみにバグは取れなかったようだが。
残さず食べるのもデバッグ、舌に合わない食い物をなぜ食う人がいるのかと分析しながら食ってみるのもデバッグ。
オープンソースってさ、使う人間がショッカーだろうが死ね死ね団だろうが(古いですな)構わないんだから(これは間違いなく構わない。北朝鮮の原爆研究所で使われても構わない。それがオープンソース)、作る人間が同じく天狗党だろうがゾンブロゾーナゾーだろうが(もっと古いですな)やっぱり構わないんじゃないか。と書くと、おれがナゾーの一味と思ってるって意味に曲解されるかな? そうは思ってないわけだが。少なくてもワードパーフェクトの開発者たちについて以前Amiga World(だと思った。Amazingのほうかも)で書かれてた言い方(ユタ州の連中は仕事が熱心だ。サポートも熱心だ。確かにちょっと他の会社とは毛色は違うが良いソフトだ)は知っている。だからそんなもんだろうとは思う。それ以上の興味はソースや実際の動作と違って、全然無い。日記は日記で分散するのはかったるそうだし、そんなことを要求する必要もないと思う。というか、なんでそんなことが気になるのかそれがとても不思議だ。やはり霊的なものに惹かれるとかあるのかなぁ? (いや、ruby-lang.orgのトップページにいきなり、「あなたは聖書に……」みたく書いてあったらいやかなとは思うが、でもやっぱり関係ないしな。っていうか、「靖国に参拝しよう」のほうがよっぽど政治的な意図があけすけでイヤな気分になりそうだ、っていうような気分の話なんだろうか。気分のことはどうでもいい)
だから、そこはどうでも良い。
と書いた瞬間に、Windows2000のIEとWindows XPのIEの差かな、と思いついたので明日もう一度Windows2000側でチェックの予定(追記:チェックした。IEはUTF-8で送ってる)。
現象:UTF-8で書いた(漢字を含む)metaタグも何もないHTMLを、Windows2000のIE(バージョン不明)に送る。このとき、content-typeはtext/htmlでcharset指定なし。IEは、記述したとおりに表示する(UTF-8と理解しているように見える)。
IEからINPUT(type=text)へ漢字を入れて送る。
すると、formデータはシフトJIS(といっても当然CP932のはず)で出て行く。
サーバーはそれをUTF-8と解釈する。ドカン。
仮説:IEは、formデータを送信元のcontent-typeに従う。無設定ならANSIで送る。日本語だとCP932。
検証:で、試してみた(XP IE6SP2)が、そんなことは起きないなぁ(ちゃんとUTF-8で送っている)。
追記:IEは正しい。サーバーのアプリケーションがどこかで妙なことをしているらしい(8ビットずつをANSIとしてさらにUTF-8にしているとかかな?)。手のうちようがないのでメール発信。
AJAXのXMLHttpRequestみたいな例外はあるけど、相手にされていないものにはたいてい理由があって、そんなものをほじくり出してもやっぱり役には立たない。
でも、その役立たずな理由を考えるということには意味が無いわけではないだろうということで、ひさびさにいじろうとしたけど、それにしても、MSDNの記述はことごとく間違っていてそのとおりに書くと動かないは、全然サイトは更新されていないは(「わ」かな?)、MSのこのテクノロジーにかけるやる気のなさには驚くばかり。
たとえば、MSDNに出ているHTMLの書き方の例。
<OBJECT classid="clsid: D45FD31B-5C6E-11D1-9EC1-00C04FD7081F" CODEBASE = "#VERSION=2,0,0,0" id=Agent > </OBJECT>
これ、動くわけないけど、ついコピペしてずーっと悩んでいた。というかnullにならずになぞのオブジェクトを返してくるDocument#getElementByIdもちょっと勘弁してほしいが(プレースホルダーオブジェクトとかなのかな?)。
っていうか、リンク切れもあるし。
語彙が乏しい人は(乏しくなくても良いかも知れない。しかし、乏しいだけに言葉に対する耐性が無いという可能性もある)、ある言葉のコンテキスト(ニュアンスって書けよ>オレ)がわからない。なぜなら、その言葉を知らないから(普段、接していないから)、辞書上の額面どおりの意味にしか取れないからだ。(でも、辞書をひく人はましなわけで、ニュアンス面での齟齬はあっても、話は通じる、はず。辞書もひかなければ、単に罵られたというように勘ぐる可能性が高いかも知れない)
自分が普段接してない言葉であっても、それを日常的に使う人間には正しくニュアンスがわかる。逆にいえば、語彙が乏しそうだな、と思ったら、使う言葉は1000語くらいにおさえてやったほうが良いかも。
たとえば、粗忽といえば粗忽の宿とか粗忽の主とか、用例的には軽いのりの意味しかないわけで、「おいおい(しっかりしてくれよ とまでは付かない)」といった程度のニュアンスしかないわけだ。でも、まあ、使う側がどういうニュアンスをこめているかはわからないのもまた文章。その意味じゃ相対化されてはいるわけだが。
ってわけで、「言葉尻をとらえる」のはバカ、という言葉が今ほど意味を持つ時代もあるまい。みんなが顔も合わせずに書いた文字でやり取りしてるわけだからねー。
mumrik2さんの「Open-Closed Principle」を読んでいて幾つか。
どうも幾つもの論点が入り混じっているように思える。それは当たり前で世の中は単純じゃないから原理だけじゃうまくいかない。でも、それにしても基本となる考え方はあるわけで、それは押さえてから口を利いたほうが良いだろうと原理を求める。と脱線してるけど、そういうとこが同じようにあるように思う。
1.変更のための継承(元のコードが残る)
2.コピペで済む場所はどうでも良い場所だから別にいいじゃん
3.再利用できなくなったオブジェクトを継承を使って残すのって変だ(1.と同じか)
4.コード抽出のメリットは? 別オブジェクトでいいじゃん
5.でもテンプレートメソッドパターンは便利だよね、実際。
6.重要な2割をガチでやれば残りはどうでもいいよね。
7.重要な2割を最初から見抜くのは難しい。しかも本質なんだからコピペのはずない。つまり継承できるようなものではない。ライブラリのほうがいいじゃん。
ってことなのかな? 6と7の当たりが行ったり来たりするのでわかりにくいのかな。
っていうか、ネタで言ってるんじゃなければ、デザインパターン読め、というのが答えのように思うのだが。
(原書のほうを載せてるのは、そのほうが読みやすいだろうと思うからで、僕は日本語のやつを読んだけど)
メイヤーは先駆者だけど、それだけに宇宙飛行士的なところがあるように見える。わかりやすい例だと多重継承に対する自信とか。Eiffelはもしかしたらすばらしいのかも知れないけど、少なくても今はメジャーではないし、それには理由があるはずだ。もし処理系の実装が難しいというのが理由なら、そんな難しい処理系を使って安全なのか(メイヤーの会社では何かあったらすぐ直せるから安全だろうけど)とか(でも、この言い方はFUDだな)。もし使いこなすのが難しいのなら、それはだめだろ。ただ、有名な契約の考え方とか、例外についてとか、たくさんたくさん定義した。それらが価値があるのも間違いないところ。でも、それが現実に大して受け入れられていないEiffelだとしたら、別の落としどころがあるはずだ。
今のところ、20%の見極めが難しいに反対する人はどこにもいないはずだ。
難しいからそこは決定したらいじりたくないし、いじるならその20%だけを安全に挿げ替え(すげかえってこう書くのか)たい。
4人組のデザインパターンは、実装継承の代わりに(これはうそだな。テンプレートメソッドパターンのような使いどころも出ているから)なる、再利用しやすいオブジェクト設計のパターン集だ。
これがその(少なくても現時点での)落としどころということになっていると思う。実装継承は最低限にして、インターフェイス継承を多くする。実装そのものの再利用ではなく、設計を再利用するための仕組みで、実装物は交換することを主に考える。JavaもC#もこれだ。
ってことでいいのかな? アイフルー。
なんとなくイルカと遊びたくなったと仮定する。
なら遊べばよい。
#!/usr/local/bin/ruby -Ks require 'win32ole' KYLE = "C:\\Program Files\\Microsoft Office\\OFFICE11\\DOLPHIN.ACS" agent = WIN32OLE.new("Agent.Control") agent.connected = true r = agent.Characters.load("dol", KYLE) while r.status != 0 && r.status != 1 puts 'loading...' end dol = agent.Characters.Character("dol") dol.Activate(2); dol.show(); [ [300, 300, 1000, "think", "ここはどこ?", "IDLE(1)",], [50, 50, 2000, "think", "魚はいないかな?", "GESTURELEFT",], [500, 50, 2000, "think", "魚はいないかな?", "GESTUREDOWN"], [500, 500, 2000, "think", "魚はいないかな?", "GESTUREUP"], [400, 50, 2000, "think", "魚はいないかな?", "GESTURERIGHT"], [50, 100, 2000, "speak", "腹減ったー", "ALERT" ], [200, 200, 1000, "speak", "腹減ったー", "ALERT" ], [300, 300, 1000, "speak", "腹減ったー", "ALERT" ], [500, 500, 1000, "speak", "腹減ったー", "ALERT" ], ].each do |a| dol.moveTo a[0], a[1], a[2] dol.send a[3], a[4] dol.play a[5] end dol.moveTo(500, 30, 3000); (1..9).each do |i| dol.think("魚くれないかな?"); dol.play("IDLE(#{i})"); end dol.speak("もうこねーよ、ぷんぷん"); dol.play("IDLE(7)") dol.hide(); gets
Office2000以上なら動くはず。DOLPHIN.ACSは実際のパスを指定する
補足:Office2000だとATLのバグに会うかも。その場合は、"Agent.Control"の箇所を"Agent.Control.2"に変えてみる
追記:Office2003以降デフォルトでインストールされなくなったもんで、DOLPHIN.ACSが入ってない環境が多いみたい。Wordとか開いてHelpメニューの「Officeアシスタントを表示する」をクリックするとインストーラが走るのでそこからカイル君を選んでやってください。あとbowezさんによると冴子先生でも動くそうです(playメソッドの引数に与えるジェスチャ名がそれ以外のエージェントでは違う名前なんだと思う)。
さらに追記:るびこさん効果はすごい。でも、問題は、上のコードがいまいちなこと。[[],[]].each のブロック変数には内側の配列を展開して与えることができるので、それを使ったほうが良い。ので、上のコードは今更なので直さないけど、下記の書き方を参照してください。このほうが(内側の要素を展開したほうが)良いですよね?
].each do |x, y, speed, action, msg, gesture| dol.moveTo x, y, speed dol.send action, msg dol.play gesture end
っていうか、最初JScriptで書いてた名残がたくさんあってちょっと();
ここ2年間、QLって言葉を目立つところで見るような気がする。
っていい言い方だな(いが4個続く)と思った。
確かにそうですね。(でも、これって難しい問題で、後から来る人が何かを始める前に次々とふりかさなった原典を読み続けていくとしたら、何かを生み出す前にくたばってしまうのではないかと、あと数10年くらいたつと。するともしかすると騙されても構わないじゃんと開き直って手を動かすほうが実際には良いかも知れないかも知れないとも思う。マラソンは全裸で走るのがギリシャの原典だと言ってもそれは騙されたかどうかにこだわらずにパンツを履いて走った方が良いわけで。しかしろくでもない例えだな。読まないってのもありだな、と思ったということ)ここはどうでもいいことなんだけど。
そうか、GoFの次の原則(プリンシパル)を探求してるのか。(知らないはずは無いと思ったのでネタだと思ったわけだけど。いざとなればそれをサポートした言語を作ってみることもできわけだから強いな)
あまりのスキーマのでかさにびっくりして聴かなかったことにしていたS2S*(エスツーエスアスタ)だけど、今日、河村さんにこれだけ知ってればどうにかなる要素と属性を教えてもらったので暇をみてやってみることにした。(っていうか、既に手をつけてる人がいたりして)
#む、CodeZineのネタになるかな?
OS XでEasyPackageで取ってきたreadlineと/usr/libのreadlineがある日を境に(環境変数とか変えた覚えがないのだが)競合して(makeでは/usr/local/libを見て、実行時には/usr/libを見る)非常に困る。困ってもしょうがないので、/usr/libを使う方向でいろいろ。
いつ何を変えたんだろうか?
元々末広町から行くことがほとんどだったってのも理由のような気もするけど、やっぱりここ1年以上足を向けたことはなかった(と思ったけど1月末頃にThinkpadの拡張バッテリーを買いに行ったのを思い出した)けど、なんか全然変わっていてびっくりした。
ぷらっとほーむがあんな家賃が高そうなビルに入っているのも驚いたけど、もしかしたら地権者なのかもと思ったり。どうでもいいことだが。
それにしてもessaさんは、ページに載せてる似顔絵に似ていた。
はじめてのにきってはじめてのうぃきみたいな名前だな。どっちも「っ」を入れてもおげ。
副詞の誤応と名づけている言い回しが全然あるのだが、ふと、福祉の誤用と福祉の御用というのもあるな、と気づく。
待ってちょーよ。
というくらいにC++(っていうかMFCだな)のプログラミングを忘れていて呆然とする。
最初
CString s = new CString("fumofumo"); AfxMessageBox(LPCTSTR(s));
コンパイルエラーを食らう。さすがにすぐわかる。で、
CString* p = new CString("fumofumo"); AfxMessageBox(LPCTSTR(p));
すごく悩む。
すごく悩んだ末に気づく。
CString* p = new CString("fumofumo"); AfxMessageBox(LPCTSTR(*p));
すごくイヤな予感がする。全体を見る。
void foo(LPCSTR pstr) { CString* p = new CString(pstr); AfxMessageBox(LPCTSTR(*p)); }
このイヤな予感はなんだろう、と考える。はっと気づく。
void foo(LPCSTR pstr) { CString* p = new CString(pstr); AfxMessageBox(LPCTSTR(*p)); delete p; }
なんか不快感がする。
すごく不快である。しばらくして気づく。
void foo(LPCSTR pstr) { CString s = CString(pstr); AfxMessageBox(LPCTSTR(s)); }
やっと思い出した。やっぱり、C++は合理的だ。Javaより好きみたいだ。
などと考えていたのだが、これを書いているうちにああっと気づく。
void foo(LPCSTR pstr) { CString s(pstr); AfxMessageBox(LPCTSTR(s)); }
わー、全然覚えていないよー、と悲しくなった。
reader眺めてたら最速の人の古いエントリーが上がってきた。なんでだ?
で、それはどうでも良くて、あらためて読むと非常に説得力があるんだが(たださんとたださん以外の人がRubyのペアプロができるくらい。と思ったが同盟ができるくらいに団員がいるんだったけなぁ)、その説得力が既に最速の人が最速の人たるゆえんだと気付いてその構造の類似になんとなく楽しくなる。と同時に羨ましくもなる。
そう言われてみれば、そういう発想は時々するんだが、受け入れられたためしがない。当たり前か、と思うのは、誰がそのコストを負担するのか、と問われればその時点で面倒になるからだ。しかし、なぜ、無い袖は振れないという言い方をしないのかね? まあ、人によるけど。こっちも、なぜ「おめえだよ」と言わないのかね? まあ紳士だからな。
今ならたかだか20万円もあれば、そこそこまともなマシンを1Gバイト程度つけて手に入れられるじゃんと思っても、×1000すりゃ、確かに2億。配布コスト、旧マシンからの入れ替えコスト(作業3時間として×1000すると3000時間のロスというわけだったり)、バンドルOfficeが2003になるとデフォルトでイルカがいなかったり。っていうか、SP2で悲鳴を上げる人多数と見た。特にメール周り。うんざりだな。
とか、いろいろ。それにつけても人生は美しい。
_ ただただし [いや、他の団員はtDiaryのソースをいじるためにイヤイヤ加入してるだけです!(笑)]
Revision 8.0 - May 16, 2006この日付はマジなのかな?
突然、エディター上で「ろ」のキーが入力できなくなった。当然、アンダースコアが入らなくなるので使い物にならない。
いったいなんだ?
再起動したら復帰。スマートインデントの動きもおかしいし、どうも、C++エディターのデバッグをまともにしていないんではないか疑惑。
追記:今度はメモ帳からのペーストができない。一体、この腐った環境はなんなんだ? 再起動すればまた動くのかな、うんざりだ。
改悪としか思えませんな。
Emacsバインドはあるけれど、^Hにバックスペースを割り当てる方法が今にいたるも不明(追記:yanagiさん経由で「編集.1語削除」がBackspaceと判明して解決)(さらに追記:っていうか軽くスルーしてたが、考えてみれば、そもそも沖ソフトウェアに感謝。しかし、良く見つけたなぁ。^x-2をサポートしてるなんて、これを読まなければ気づかなかったよ)。「編集:1文字左を選択」を割り当てて^h^wというバカ運用してみたり。というか、あの狭いダイアログから機能を選ぶのは不可能ではないか? (検索ワードは1個しか認められないらしく「編集 削除」とやっても「編集」しかきかない)
そのほか、なんかたくさん。
というか、デフォルトが何とは書かないけど4の4とEclipseになっていたり。
こんな使いにくいIDEを使うのはEclipse以来だ(その前にはSun Java Workshopとかあったけど(Studio Creatorではない)。名前違うかも。Forteとかもひどかったが、あれは遅さがひどいということでちょっと違う。Creatorのβはそれはすさまじかったな、そう言えば)。
5月も末だし、開発ツールベンダーのMSは死んだことにしておこう、そうしよう。
っていうか、にわかには信じ難い。本気でこんなに使いにくいものを出したのかな(いや、C#は使いやすかったように思うが、今はとにかくC++)。
kmt-tさんの入力できない話とその結論のC:\Documents and Settings\ユーザ名\Application Data\Microsoft\VisualStudio\8.0を削除で解決とかも覚えておく。
TableAdaptorから異界が侵入してくる。Kazzzさんの意見には賛成で、それがアドバンテージになったりもするのだが、でもやはりおかしいなぁ、とリンク3段とびで最後まで読む。どこかで見たようなことがまだ行われているのか、とか。
でも、そういうおっちょこちょいぶりがMSのMSらしさ、MSの源泉、MSの原動力、これぞMS、万歳MSという気もなんとなくして、エンチャープリャイズ向けのお行儀が良いMSよりも少し好きだったりとか、他人事だからどうとでも言えるが、VS2005またペーストができなくなってるぞ、と。
disposable loveで始まる曲が今でも耳に残っているんだけど、どの曲だ? (多分、使いすてハートの英語版だろう)
RVAをVAに変換するアルゴリズムは非公開ということでFAなのか?
ImageRvaToVaを使う以外の方法は、リバースエンジニアリング(それは禁じ手)しかないということなんだろうか。
と疑問に思って一回休み。
#それにつけても、ヘルプは使いにくいし(AND検索とかどうやってやるんだろう? ヘルプにないんだが)、クリップボードリング(これもヘルプにない)というOfficeなみに使いにくいクリップボードになっているし(もっとも、10個目だかでダイアログが出てきて強制停止させられないだけましかも)、やはりペーストができたりできなかったりで使い物にならないし(Win32APIの長い長い名前群は山ほどメモ帳を開いておいてそこから貼り付けるというのがスタイルなのだ)、インテリセンスがさくさく動くのだけは相変わらずでこれだけは良いのだが、スマートインデントが利かないのは許容しがたい(中括弧だけはインデントされるが、その後の改行で先頭カラムへ行ってしまい、そこではタブ入力ができず、何か文字を入れると初めてタブ入力でインデントされる)。
そう言えば英語版は2回目のVS2005がMSDNで来たが、やはりバギーということなんだろうか、というかバギーだが。日本語版も早くリビジョンアップされないかな。
追記:
RVAからVAへの変換方法があった。すげーぞJK at cornell.edu。
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_ むとう [ドキュメントは、私の方で直しておきます。 それから、GNU GetTextですが、rake updatepoを使う..]
_ arton [どうもありがとうございます。よろしくお願いいたします。 updatepoは、最初いちいちpoを消して試していたのでm..]