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今日くらい日記をつけないことにしよう。
空白が可視化されないエディターの設定にしておけば、気にならないんじゃないかな。
気にするから気にするために気にしやすい環境を気にしながら気にしてるということか。面倒だな。
2つの態度か。汚いものから目をそむけるというのもあり、きれいにするというのもあり。違うな。3つ目だ。きれいにさせようということか。と、石原の選挙カーがうるさい春の午後。
追記:最後のは季語というか、本当に、今通りかかったのでうるせぇなぁ、と記録しただけで、上のやつとは関係ないトピック。
半年位前に買って、しかもその時に読んでしまってそのまま忘れていたのだが、sheepmanさんの日記を読んでて出てきた清水という名前にひっかかって(まったく関係ないようだ)確認したりして思い出してしまった。
作家は、初代のキューティーハニー(8時台に子供向けアニメをやるっていうので、話題になった、今は昔の物語。8:00がデビルマンで、8:30がキューティーハニーだったような記憶がある)とかでアニメ描いてた、虫プロ独立派の人なんだが、おれは劇画アリスに首が飛び血が飛び空も飛ぶような、強烈な忍者漫画を描いてたころに出会った。で、その作家の自伝的な作品ってんで、興味を惹かれて買ってしまったわけだが、おもしろかった(画はまあ、好みとはちょっと言えないけど)。
新宿という独特な場所をホームポジションにして、アニメとマンガの2足のわらじ(初代キューティーハニーの時代だから、まだオタクというような言葉はなく、でもそういう概念は徐々に形成されつつあるころという感じかな)でどんどん奇妙なところへ入り込んでいく愛と冒険の物語。
遠いところにいるのだが、近しい隣人でもありそうな、まあ、世の中は広くて狭く、人生は長くて短いと。
XML(xsd)のまま、インテリセンスがきくという仕様はどうにかならんものだろうか?
App_Codeの下には、DataSet.xsdがある。
そこにテーブルを落としてごちゃごちゃやる。すると、スキーマが定義される。
で、そこでコードを見るとやるとスキーマが見えるだけ。
でも、Webフォームのコードを編集してれば、それがクラスとしてインスタンス化もできればインテリセンスにも出てくる。
うまくできてはいるとは思うが(ただ、属性とスキーマが合ってなくてむやみに警告が出るのはちょっと勘弁してほしい)、そこで、ネームスペースがDataSetTableAdapters(というかxsdのファイル名+TableAdapters)というのがなかなかわからずMSDN引っくり返してだめで、結局、インテリセンスのやたら多い候補を順に見ていくはめになったり(ローカル変数まで出すのはやり過ぎじゃなかろうか? 長い変数名をつける悪い習慣を助長するだけのような)。いくつかは、DataSetクラスの内部クラスだったり。
とか文句をたれながらものは出来つつあるんだが、なんかRailsみたいな楽しい感じっていうかドライブ感みたいなものは感じないなぁ。
forkすると環境変数が引き継げるからとかか?(追記:何を考えたんだろう? execleとか使えば良いだけだから関係なさ過ぎ)
execに失敗したときの後始末のつけやすさとか。逆か。成功したときに終了を監視できるからかも。
はてなおやさんのネットワークプログラミングのやつ(サーバー作るのに使える技術の)は、良いセッションだったなぁと、今頃になって思った。
メタマジック・ゲーム―科学と芸術のジグソーパズル(ダグラス・R. ホフスタッター)
自己書き換えとか楽しそうな話題の果てに、民主主義に基づくルールを変えるゲームのPerl版のところで惜しくも時間切れ。どんなゲームか興味を惹かれる。
etoさんに訊いたらホフスタッターのメタマジックゲームに出てる(Perl版じゃなくてオリジナルが)と教えてくれたので、注文した。
というか、あの後、どう展開するのか知りたいLTだった。
実に美しい題名の書物なんだけど、原書はアマゾンでは見つからないや。
でも、翻訳はあるね。
UNIXカーネルの魔法―System Vリリース4のアーキテクチャ(グッドハート,バーニー)
(追加:なんで、「魔法の花園」にしないんだ?)
古くさくなってるかも知れないけど、でもおもしろい。
というか、sodaさんのツッコミにもあるけれど、forkとexecの2つのシステムコールで実装するというのは、他の方法は考えられないくらい当たり前のように思える(ような説明がされている。このころはネイティブスレッドというのは無いわけだから−−でも、getcontextとsetcontextをユーザーレベルのスレッド実装をできるように提供している−−forkはどっちにしても必要ですね)。
というか、一発で実行したいなら高水準ライブラリのsystemを使えば良いだけでは?
なんで、おれがSYSV好きなのか思い出した。マジックガーデンに打ち震えたからだなぁ(というだけではないけど。手にしたのは1994年のことみたいだし)。
序文の引用
UNIX is magical since, like a garden, it keeps growing and sprouting new hybrids each spring as if nothing but nature itself can destroy it.
つまり、萌え(sprouting)ですね。
引用されている個所について言えば、次のパターンが気になる。
「XXXXXXXです。つまりXXXXXXXXXXXXXXXXです。これはパターンでしょう。」
他山の石だ。(同一語尾を続けるのは良くない。したがって、パターンとしては正しいと思える。しかし、確かに引用個所は変だ。「でしょう」の文がその前の文に比べてあっさりし過ぎてるからかも。)
そうか、消えたと思ったら麻薬中毒になってたのか。
でも、生きてて良かったね。というわけで、とりあえず買っておく(中古だが)。
というか、ジーノのPVが収録されているとなると、これも買おうかなぁ(と迷うわけだが、何しろ、持ってるんだよなぁ)。というわけで、こっちはとりあえず買わない。
はるがきて、めがさめて、
カーネル、ぼんやり かんがえた
動いているのは ユーザープロセスだが
ええと ぼくは だれだっけ だれだっけ
はるがきて、めがさめて、
カーネル、ぼんやり かわにきた
スワップから よみだした いいコード みて
そうだ ぼくは カーネルだった
よかったな
全然、魔法の花園じゃない(春だけだ)
sodaさんいわくの、「80年代にUNIXをかじった人間はみんな読んでたんじゃないか」な本を貼っておこう。
(僕はUnixは90年代――80386時代――からなので、このへんの歴史はほとんど知らないのだ)
まず、ロックカインドの翻訳
UNIXシステムコール・プログラミング (アスキー・海外ブックス)(マーク ロックカインド)
sodaさんによると「著者のつけてる注がめっぽう面白い」とのこと。うーおもしろそうだ。
原書はこっち(全然タイトルが違う)。
Advanced UNIX Programming (Addison-Wesley Professional Computing Series)(Rochkind, Marc J.)
それから『UNIXプログラミング環境』はこれ。
UNIXプログラミング環境 (海外ブックス)(Brian W.Kernighan)
カーニハン+石田晴久だからプログラミング言語Cのトリオ-1なのか。
このあたりの本は中古は中古の値段なので、お買い得のようだ。
原書は
The UNIX Programming Environment (Prentice-Hall Software Series)(KERNIGHAN & PIKE)
金崎さんの本というのは無いようだ。
(追記:sodaさんが教えてくださったので、一応、貼っておきますが、さすがに古いとのこと。ちなみにSUSっていうのは、Sungle UNIX Specification――統一UNIX仕様と訳せば良いのかな?――とか思って調べたらWikipediaにまとまってた)
UNIXプログラミング実践編―シェル・C言語・開発ツールを使いこなす (FINE SOFTシリーズ)(金崎 克己)
UNIX原典は
UNIX原典―AT&Tベル研のUNIX開発者自身によるUNIX公式解説書(AT&Tベル研究所)
ですね(カスタマーレビュー読むとこれもおもしろそうだ)。
アスキーのこの分野への貢献が大きいとつくづく思ったな。(あと共立ってことになるだろう)
#原典時代のも良いけど、せっかく高速道路が引かれているんだから、そっちを読むというのも良いでしょうね。
たとえば、Rochkindについて言及されている西田さんの本とか。
itmediaのモバイルビジネスのとこで、おサイフケータイについての記事を読みまくる。
で、なんか、下剋上というか離合集散、連衡合従の下剋上というか。
たとえばQUICPayって規格化は早くて、読んでると中心のプレイヤーはJCBとイオンクレジットに見える。ファイナンスとリテイラなので組み合わせ的にはいいね。
でも、肝心のイオンがQUICPayに対応したというような記述とかどこにもない。iDとSuicaには早くに対応したのに。でこんだ、WAONか。
確かに、QUICPayって全然見ない。ロイヤルホストと八重洲ブックセンターくらい。いっぽう、iDはそこらじゅうで見かける(コンビニに入っていると見かける率は高くなるわけだし)。
でも、おれのはauで、DoCoMo主導のiDが載るのか微妙だ。
で、常にちらつくのがトヨタの影で、QUICPayはいつのまにかイオンが消えてJCBとトヨタに見えるわけで。トヨタは何がしたいんだろう? (中京ではQUICPayがはやってるんだろうか?)
(今リンクはるのでURL調べてたらこのあたりに記事があった)
#全体的な流れから、CRMとどう結び付けるかがキモらしい。で、これでいくとQUICPayはイマイチ(最初のJCBとイオンクレジットの戦略ミス)、DoCoMoが圧倒的(トルカっていう仕組み。マクドナルドに食い込んだのはすごいんじゃないかな)、インフラ構築が早かったampm(Edy)あたり。
ここ数年、zdnetがitmediaになってからほとんど読んでいなかったのだが、やたらと記事が充実していておもしろかった(というか「誠」というメディアということなのかも)。
#リモートロックとFeliCaロック、USIM認証とかいくつもの鍵がある分だけ、単なるサイフやカードよりおサイフケータイは有用なメディアだとおれは思う。というか、単なるカードは、(カード電卓ってあったね)LCDとなんらかの入力機構が付かない限り、だめなんじゃないかとも思う(電卓と違って入力は誤押し対策が必要だろうし、電磁誘導だけでバッテリーがもつのかとかいろいろ悩みどころはありそうだ。電卓と言えば太陽電池ってのもあるな)。
Rubyist Magazine 出張版 正しいRubyコードの書き方講座―RubyistのRubyistによる、Rubyistとそうでない人のための(青木 峰郎)
買った読んだ(全部じゃないけど)。
るびまの人気連載のまとめ+拡張版。
あおきさんの愛すべき過剰さが爆発している傑作。
関さんのスタイルは割と好き(完全に好きなんてあるはずないじゃん。おれにはおれのスタイルがあるわけだ。スタイルは視力(絶対、これは影響する)、経験、それまで読んで傾倒したコード、タイプ速度(これも影響しないはずがない)、キーボードの打ちやすさ(これも当然、影響する)、利用するエディタ――特に最初に利用しまくったエディタ(おれは、MicroEMACSとBrief)、それまで読んだ詩や散文の好み――北園克衛の詩が好きな人と、五言絶句が杜甫でも李白でも良いけど、が好きな人、高橋新吉が好きな人で、それぞれスペースの埋め方、インデントの付け方、ブロックの配置の好みが異なるってことが無いはずが無い。おれは萩原恭次郎だな――、フォント(当然だ。lと1とiと|の区別が付きにくいフォントを使えば、普通は|i|とか|l|とかを書くことはないだろうが、区別が付きやすければ使うかも知れない)、気分、BGM(ポルカを聴きながら書いたコードのほうが、ピストルズを聴きながら書いたコードより優雅になるのは当然であるが、その代わりにキレを失う)、喜怒哀楽に影響されるわけだから、それらが一致しない限り、完全に好きなんていう持ってけ泥棒状態になるはずがない)だな、と思った。
(これ欲しいな――追記:買ってしまったというかポイントを交換してしまったというか)
記号説/う・む〜高橋悠治による北園克衛と足立智美による新國誠一(高橋悠治)
(これも欲しいが、とりあえずメモ)
H = "h\ el\ l\ o \ \ wo\ r\ l\ d" alias y puts def c y H end c(どこに\を打つかに心血を注ぐ)
def helLooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo puts 'hello world' end helLooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo(奇を衒っているようでいて実は素朴)
helloと彼は言い、そして続けた。wor ルド(実行できない)
メタマジック・ゲーム―科学と芸術のジグソーパズル(ダグラス・R. ホフスタッター)
とりあえずノミックの章(序文とかは当然として)だけ読んだ。
まず、まくらになるのは次のような考察。
日本では、いかに選挙期間中に、拡声器を利用して連呼しまくるかで、選挙の結果が決まる。
この国の現状の選挙システムでは、 「選挙区あたりの連呼回数」が一番多かった候補者が当選することになっているので、彼らが自分が得意とするルールを変えることはない。
ということだ。
しかし、世の中にははずみというものがある。
かくして、次の選挙の争点が、まさにこの問題に対するものとなる。
当然、各党のマニフェストには「連呼の禁止と厳罰化」が織り込まれる。
で、選挙が始まるというすんぽうである。
当然、最初の定義に従って、各党の連呼者は連呼を連呼する。しまくる、しまくる、しまくる。何しろしまくらない限り当選はおぼつかないからだ。
で、これを(追記:いきなり本論をすっとばして書いてるので、まくらの部分をさしてるみたいに読めておもしろい)どうやって実装するんだ? と不思議になり(まったくイメージ湧かないのは、おれが、論理ベースのプログラミングというものがまったくわかってないからかも、と思って)Perlnomicのページを見ると、CGIベースと書いてある。ということは、基本は人間系でシステムが補助するタイプのゲーム(人狼とか)なのかな。それなら、わからなくもない。元々、コンピュータエイデッド(というCAの部分って日本語の一般訳ってなんだろうか? 時々、CA* という言葉を使いたくなるのだが)なデザインについては言及されている(おれは、wemaベースでちょっと考えた)。
本家ではEメールベースでゲームが進行しているらしい。2001年から。息の長いゲームである(現在もアクティブなのかは不明だけど)。
追記:otsuneさんが教えてくれたURLspidernomic。
もりあがってまいりましたぁ! というところで突然いさぎよく終わるプレゼンをプランツメソッドと呼びます。
さらに追記:コードを変えていくのだから、これは(とまで書いて別のことを考え付いたので中断)
織田作之助のやつに、てんぷら学生という言葉が出てくる。
こういうのこそ、美しい日本語博物館で厳重に保存しといて欲しい。
同じ意味でもなんちゃって学生(本来の用法だとなんちゃって女子高生なんだろうけど)とはしゃれかたが違うというか、ちゃんとあるところが良い。
でも、Cの*がJavaではなくなっているように、間接参照って、本当はとても簡単で単純なものなのに、なぜか難しいことにしたい勢力がいるらしいから、消えて行くさだめなのかもの。
でも、実際のところ、間接的な言及に正対する概念を示す言葉の「直截」を正しく読める人間なら、間接的な言及は普通に読めるはずなんだがな。
というか、sodaさんが既にポイントしてくださったEarly Unix history and evolution(PDF)に出ているように思うように思うような(ちょっと、僕にはこの英文は厳しい。なんでだろう?)。
厳しいので拾い読み。誤訳の指摘、歓迎です。
By `process control,' I mean the mechanisms by which processes are created and used; today the system calls fork, exec, wait, and exit implement these mechanisms. Unlike the file system, which existed in nearly its present form from the earliest days, the process control scheme underwent considerable mutation after PDP-7 Unix was already in use.
プロセスコントロールという言葉は、プロセスを生成して呼び出すメカニズムを意味する。今日のシステムコールつまり、fork、exec、wait、exitはこのメカニズムの実装である。ファイルシステムと異なり、初期のUnix実装のころからこのようなプロセス制御の仕組みは存在していた。これはPDP-7 Unixで既に利用されていたプロセス制御スキーマを変形させたものである。
(今日の、fork-exec-wait-exitのプロトコル説明は省略)
Processes (independently executing entities) existed very early in PDP-7 Unix. There were in fact precisely two of them, one for each of the two terminals attached to the machine. There was no fork, wait, or exec. There was an exit, but its meaning was rather different, as will be seen. The main loop of the shell went as follows.
プロセス(独立した実行単位)はPDP-7 Unixの初期から存在する。これらは実際には、正確に2つのプロセスしか存在しない。1つのマシンに接続した2つのターミナルということである。forkは無かった。wait、execもだ。exitがあるだけだ。しかし、その意味は、これから説明するように多少異なる。シェルのメインループは以下のようになる。
1)
The shell closed all its open files, then opened the terminal special file for standard input and output (file descriptors 0 and 1).
シェルはすべてのオープンしたファイルをクローズして、次にターミナルのスペシャルファイル(標準入力と標準出力――FDは0と1)を開く
2)
It read a command line from the terminal.
シェルはターミナルからコマンドラインを読み取る
3)
It linked to the file specifying the command, opened the file, and removed the link. Then it copied a small bootstrap program to the top of memory and jumped to it; this bootstrap program read in the file over the shell code, then jumped to the first location of the command (in effect an exec).
コマンドで指定されたファイルをリンクし、オープンし、次にリンクを削除する。そして小さなブートストラッププログラムをメモリーの先頭にコピーして次にそこへ制御を移す。このブートストラッププログラムはシェルプログラムを上書きするかたちでコマンドファイルを読み込み、次にコマンドの先頭に制御を移す(つまりexecである)
4)
The command did its work, then terminated by calling exit. The exit call caused the system to read in a fresh copy of the shell over the terminated command, then to jump to its start (and thus in effect to go to step 1).
コマンドは自分の仕事を実行する。次に、exitを呼び出し終結する。exitコールはシステムにシェルの新しいコピーを終結したプログラムを上書きする形で読み込むことを要求する。そしてその先頭に制御を移す(そしてステップ1へ戻る)
面倒なので、ここまで。
ここからわかることは、Unixがまだfork/exec/wait/exitを持たないうちから、標準入出力の用意(パイプがあろうがなかろうが、ターミナルに対して必要)、プログラム自身への次に実行するプログラムの上書き、といった操作を行っているということだ。
で、sodaさんが特定している個所が来る。
Process control in its modern form was designed and implemented within a couple of days. It is astonishing how easily it fitted into the existing system; at the same time it is easy to see how some of the slightly unusual features of the design are present precisely because they represented small, ……(引用するより、リンク先を参照するほうが早いと思うので、ここまで。この節が結論となっています)
最近のFeliCaは東芝とかも作っているようだが、それ以前の例のタイマーが組み込まれたやつは大変だろうなぁ。
オフェンス側がアサートを書き、デフェンス側がコードを書く。デフェンスが3回実行しても赤ならオフェンスの勝ち。デフェンス側には明確な勝利はなく、オフェンスが飽きるまでゲームは続く。
自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝(デンディ,レスリー)
1995円の本が、3800円だの驚きの9800円だのこんな独裁者に卑しめられるのは悲しい状態だったのが、定価販売となっている。
スケアリー・モンスターズ(紙ジャケット仕様)(デヴィッド・ボウイ)
(合わせて買いたい)
#さらに読み進んでいて、ジャンとジョン(ジャック)のホールデン親子の死闘(炭鉱で30年間働いて――炭鉱夫じゃないのだが、問題は現場だけでわかるわけである――一酸化炭素の毒性を調べる)、ドイツ軍の毒ガスを吸って調べる(おかげで酸素マスクの新しい使い方がわかる)にしびれまくる。
戦争が終わるとジャックはオックスフォードに戻り、生理学を教えることになった。じつは大学では生理学などいっさい勉強していない。ただ、自分をモルモットにしてきた経験から、肺のことならよく知っている。
ジャックは伝説の忍者(子供ころから少量ずつ毒を食っているため、大人になったときには致死量の毒を食っても平気だっていうやつ)のようでもある。少しずつ毒だと考えられるものを吸っては異常が出るところまでもっていって、何が起きているかを調べる。
というか、この2人の貢献は大きいなぁ(が、この本を読んで初めて知ったのであった)。
というか、無闇に子供に伝記として与えられるわけじゃないわけで(子供が真似したら危険極まりない。キュリー夫人なら子供は試したくてもラジウムは手に入らないわけだし)そのへんもあって誰もが知っている偉人というわけじゃないのだろう。
3月の頭に申し込んだ(TOP)おかげかどうかはわからんけど、無事にオートチャージ式PASMOを使ってるんだが、疑問点があって、裏に記名欄があるけど、表はまったくのノーマル仕様(無記名PASMOってやつ)なんだよね。これ、落としたらとても困る気がするんだが、そういうもの(印刷されてりゃ抑止力があったり届出効果があるのかと訊かれると返答できないけど)なのか?
Q: What is the future of REST?
If you’re Sun, if you’re Microsoft, if you’re IBM, you can just throw a bunch of engineers in a room and make it all work. Sun is committed to making their stuff interop with WCF with Project Tango. But if you’re Matz, or DHH, or Larry Wall, you’re screwed, because you don’t have time to build out this stack and then make it interoperate.
Matzすげぇ(というのは、このセッションではあまり重要な部分ではないようにも思うが、ようするに、MSのある種の人々が何を気にしているかということでもある)
via Microsoftを潰すことで頭がいっぱいな一部の人々と同じくらい、彼らは生産的です。
追記:しかし、上のはひどい言い草だ。XSDが誰のものか、というよりも端的にハロウィン的な脱共有そのものだと言ってるわけだから。(その一方でRESTをしっかり意識しているわけでもある)
別の追記:プレイヤーはSun、IBM、MSだと言っているわけで(しかも直観的には正しい)、ここにはHP、Unisys、Oracle、BEAは出て来ない。
永遠に動き続けるJavaScriptを作りたいわけだが、とりあえず100世代で死ぬように作ってある(forはまだっぽいというのはなんとなくわかったような)。(追記×3のタイミングでの追記:100世代ではなくボタンクリックでトグルに現在は変えている)
で、これは途中でインタラクションを受け取れるように
function shownext() { if (--willStop < 0) { clearInterval(timerId); return; } ... } function showLife() { willStop = 100; timerId = setInterval(shownext, 100); }というように、setIntervalを利用して隙間を空けている。
で、本当はsetIntervalじゃないのを使いたいのだが、わからなくてへこむ。というところまで。
追記:Firefoxじゃ動かない。やっかいだなぁ
追記の追記:セルの更新にinnerTextではなくinnerHTMLを使うように書き換えて修正(したけど、上の追記がそのままでした)
追記の追記の追記:セルの設定を可能にしたり、ボタンをストップアンドゴーにしてしまったり、ついつい現実逃避。というか、Firefoxはevent.srcElementを使えるようにして欲しいぞ。
Vistaが速い。VistaはAm64 3800で、XPはP4版Xeon 2.8だからCPUの差なのだろうけど、Firefox、IE7とも顕著にVistaマシンのほうが高速に動作する。他のアプリケーションではここまで体感速度は変わらない(どころかもっさりしてるやつもある)のでちょっと不思議(JavaScriptのコードが速度に顕著な影響を与えているということか)。
うーむ、createメソッドを呼ぶまでは合ってたが、sleepを呼ばなかったのが敗因だったのか……な?(良くわかってない)
追記:わかった。createを呼ぶことでThreadの何かができるので、それをstartとかexecとかで呼ぶと思ったらそれが無いのでストールしたのだった(答えはcraeteした時点で実行が開始される)。
というわけで、向井さんに先を越されたけれど(The Programming Language Ruby の間違いだとよそのサイトで見て気づくとか)、牧さんが未踏で開発されている(のとイコールかどうかは実は知らないけど)Concurrent.Threadがすごくおもしろい。
詳細は、向井さんが書かれているので、そちらを参照。追記:酒井さんのところも(参照CPS変換)。
ようは、自分でsetIntervalを叩いたり、そのために関数を分割したりしなくても、勝手にタイムシェアリングされる(時分割されるという意味で使ってるけど合ってるよね?)ようになり、かつ、いわゆるグリーンスレッドなので、スレッド間の通信に利用している変数(life.htmlの例だとwillStop)の読み書きを同期する必要はないということから(と思う。スレッド切り替えの最小単位がJavaScriptの1つの式のはずだから、というよりもメモリバリアを一切意識しなくて良いというほうが大きいかな)、JavaScriptでのメインループ処理とか、XHRを使った連続した先読みとかを手軽に実装できるようになる、というライブラリです。
上でちょろっと書いたけどforはまだサポートしていないようでした。とか、まだ開発中なわけだけど、良い感じだと思います。
#どのくらいおもしろいと感じたか、ぴぴっときたかと言うと、なぜか突然JavaScriptでLifeを実装するくらいだということですね(目で見えてコードが単純だということで、デモに向いているな、と思ったと)。
もうちょっとPowerBookを使っとけということだと考えておこう。
出てます。
特集のほうが最近、品質管理についてちょっと考えてみる必要があったので概観を知るのに役に立ったというのは置いておいても、連載のほうは、久々にるいもさんと僕とで再現リストを使ったコードの書き方指南とか提案とか考察とか知見の披露とか、そういったやつを例外をネタにやっています。自分で書いておいて言うのもなんだけど、おもしろい。10行程度のコードにだって思想があるんだよなぁ。
(見本誌は先週には受け取っていたんだけど、ちょっとばたばたしていたのでやっと読めた)
なぜか空目をしたが、なかなかに含蓄がある言葉であるなと孤悦に入る。
なんとなく読み返していたら、以前読み飛ばしたか何気なく忘れていた個所に目が止まった。
中国では印鑑があった。だから活版の発明は自然なことであろう。でも、出版にうまく結び付けられなかったのは、文字がモノではなかったからではなかろうか?
それに対して、ヨーロッパでは文字はローマからの仮モノ、最初から単なるモノに過ぎない。したがって、活版印刷は出版に繋げられた。
ああ、なるほど、そういう仮説は立てられそうだと、ワープロ出初めの頃の我が国のことを省みる。
魂がこもらないワープロで打たれた原稿/論文/作文/履歴書なんちゃらかんちゃら。
筆を使って、一筆入魂の心をこめて書かれた文章に、モノがモノに打ち出した文章は、及ばず、心を打たず、渡された相手を見下す行為である、と。
そこら中に神が宿り、魂がこもり、心がある。
くだらない世界ですな。
まさに仏作って魂入れずの美しい国だ。
そうではなく、文章そのものに、言葉そのものに、価値が意味が知恵があるのだ。
でも、と希望はある。
江戸時代に木版でいろいろ刷りまくったのも他ならぬこの国の人だ。枕絵を刷り、小噺を刷り、瓦版を刷り、果ては算法少女まで刷った。
それは、モノをモノとして活かす術をきちんと知っている人がいたという証拠でもある。かすれた筆で心をこめて伝統と芸を免許として狭い門の内側でこっそりと伝えていた人たちには考えが及びもしない術だ。大量に刷りまくり売りまくりバラまくり、モノを使って情報を伝えた人たちがいた。生き生きとした情報は、モノを使って複製され人々の手に渡り、そして新たな情報を生み出す。
そして、それは職人の町でのことだった。
バルトーク:ピアノ協奏曲第1番&第3番(ゼルキン(ピーター))
おお、ピーターサーキン(ただしゼルキン名義)と小澤のバルトークなんてのがあったのか(例によってアフィリエイト経由で買われたCDを眺めてる)。
これは買う(というか買った)。
あ、でも1と3か。微妙な組み合わせ。おれはパラパラパッパパッパラパラパーの2番が最高に好きなのだ(一方、3番は有名過ぎていまひとつ)。でもシェーンベルクの一番しんねりむっつりしたやつがおまけで入っているからいいか。で、この世代の音楽家ということで、アンソニーニューマンを思い出した。で、調べると
Brandenburg Concertos and other Works(J.S. Bach)
うーむ、プレミアが付いている。これでは買う気はおきない(LPは持ってるからな)。アンソニーニューマンのブランデンブルグには後にタッシに参加する女性チェリスト(アイダカヴィンとかいう名前だとなんで覚えてるんだろう? ちょっとびっくり。でも間違ってるかも)とか、あのあたりのヒッピー連中がうじゃうじゃいるのだが、ヒッピーバッハって好きなのだ(ヒッピーロックは嫌い)。
で、ブランデンブルク協奏曲はときどき聴きたくなるのだが、ああいうのってもう聴けないのかなぁ? (アーノンクールみたいなのとか、フルオーケストラなのかとかは、まったーく聴きたくない。自由でいい加減で、ふらふらしてて、小さな音のやつが聴きたいのだ……っていうかそれってアーノンクールなのか、もしかして)
って、いつのまにアーノンクールはブルックナーとか振る指揮者になったんだ?
ブルックナー:交響曲第5番(アーノンクール(ニコラウス),ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)
(霧のかわりにボンボン言うんだが、これもボンボン言うんだろうか? ケンペので丸暗記するほど聴きこんだ曲だな)
とか発見がいっぱい。
バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽&弦楽のためのディヴェルティメント(アーノンクール(ニコラウス))
む、聴きたい(が、これは我慢)。
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3,5&6番(ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス)
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1,2&4番(ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス)
よし、時代が変わったのだ。アーノンクールを買うことにして、買った。
来た来た来た来た、青いカヤックが来たぞ。
献本ありがとうございます。
早速ですがタイポ。P.141の真ん中へん「目端の利くな開発者たち」。どうみても「な」が余分です「な」。
さて、以前、メールベースでレビューしたときの印象から、いろいろな読み方ができる楽しい本だが、おれには役に立たなかったな、とか書いたけど書籍として図版が適切な位置に挿入された状態で読むと、またちょっと印象が異なる。
多分、おれの予想だが、この本を読む人間の半数以上は開発者側だろう(違うと、この本はすごく読まれたということになり、それはハッピーだろうけど)。で、これはおれの憶測ではあるけれど、彼らのほとんどが、この本を読んで次々と繰り出される図表の数々や大きなバレット付きのリストに大きな疑問を持つはずだ。これは一体、何を表現しているのか? これは単なる絵(文字を使わずに線で描いたポエム)ではないか?
その疑問は、論理的には正当なものだ。しかし、実務的には愚かな疑問、つまり愚問だ。
つまり、これこそ(開発者以外の)人々が求めるもの、可視性とか見える化とか、ヴィジュアライズというものだ。つまり、ここにはコードがある。
ブルース、さすがだぜ。
したがって、この本は図らずも、人を説得するための技法を駆使した紙媒体というものを、それまでそういったものを注意深く避けて通ってきた開発者に教える本になっている。
つまり、この本に価値を見つけることができない開発者というものは、「リファクタリング? ああん? 動くソフトウェアに手を入れるのはバカがすることですな」と小汚い取り敢えずバージョンのソースコードを良しとする人間と同程度に、コードの読み取り能力の不足を露呈していることになる。
奇書だ。
それはともかく、あらかじめ付けてある結論へ向けて、じわりじわりと分析っぽいもので周りを固めてその方向が正しいということを納得させるために巧言を弄する(虚言じゃないのは、実際にRailsが使えるからだが)技術というのは、やはり他でもなく「技術」なのだ。したがって、この本からそういう技術を学ぶことはできると思う(そこにコードの読解力が求められる)。
そして、なんであれ、技術を駆使して書かれた作品はおもしろいのだ。つまり、やっぱり、この本はおもしろい。
と、偉そうに読み方を指南しているおれにとって役にたったのかと訊かれると、うむ、おもしろかったと応える。
途中でふざけたことを書き始めてしまったが、まじめな話、戦略というのは、この本の書かれ方そのもののように立てて、この本の書き方のようにして記述するのだ。RailsやRubyの能力を知っていたり、あるいはJavaの良い点、あまり良くない点を知っていれば知っているほど、技術的な面から裏打ちされた読み方ができる。つまり、この本の裏の部分、戦略のメタな部分を読み取ることが可能なはずだ。こういった戦略的な本を裏から読むことができるということは、比較的簡単にどうやって戦略的な文書を書くのかという方法論を学ぶことができるということだ。この本を開発者が読むとした場合、そういった面からの価値が実際には大きいと思う。
あれ? これはマンガじゃないぞ。
あ、こっちか。
というマクラからわかるように、EZFeliCaのサイトをながめてたらnanacoアプリケーションが上がっていたのでダウンロードして先行登録してしまった。ばかですな。
おかげでいろいろわかった。
なんと、nanacoのマークのキリンの背中には7色の斑がある。それだけならばまだいいが、なんとnanacoの首は数字の7を現している。これはびっくりだ。
しかし、Edyと違ってセブンイレブンはえぶんぶんに行かなければチャージは出来ない。わざわざ通信しまくるアプリケーションをインストールしたというのにだ。なるほど。来店機会を増やそうって考えだな。いや、そんな甘いものじゃない。セブンイレブンへ行って、セブン銀行のATMでキャッシュを引き出して、それを握り締めてレジへ直行して、nanacoにチャージだ。すばらしいエコシステムだ。
だったらチャージはクレジットでできる(要するに通信さえできればいつでもできる=ほとんどポストペイ並みの利便性)Edyのほうが使い勝手がよろしい。ということは、セブンイレブンとam/pmが並んでたら、おれはam/pmへ行くだろうということだ。これは、Edyアプリケーションの発行母体がビットワレットで、つまりam/pmじゃないからだろう。
かように独占は生活に選択の不自由を強いる仕組みだ。
でも消さずに取ってはあるけど。
WAONは追随するだろうか? (iDというかDoCoMoとの兼ね合いはあるだろうが、さてどうだろう? というか、Brewアプリケーションまで用意しているところが、セブンの強さだな(きっとカプセル怪獣――これは強力なプログラム守護神をなぜか意味する――がついているんだろう))。
#っていうか、書影を眺めてたら読みたくなったのだがどうしようかな?
CFに申し込んだQUICPayがやっと(というか昨日)設定できた。
えらく時間がかかった。
最初は、テレフォンアンサーで資料請求を行う。来るまで1週間。で申し込んでから3週間。やる気ないだろ? (というか、作ったまま数年放置していたカードなので審査が厳しかっただけかも)
auのデフォルトかも知れないけど、JCB(すぐ発行されそうな雰囲気なのだが、CF発行カードではJCB扱いにならなかった)、CF、SAISONのKDDIカードのみ、OMCとか、どうもJCBと中京の愉快な仲間+KDDIお付き合いだけっぽいところがいまいち感が漂って(とはいえ、ニコス+UFJ連合のスマートプラスよりはシェアはありそうだけど)、やっぱりiDのほうが……という感はぬぐえない。が、auだからいまのところはしょうがない。
で、ロイヤルホストで使ってみた。最初(中野店)は与信処理があるはずなのに、やたら速かった(青がささっと緑)。でも、2回目(芦花公園の近く)は店員が不慣れだったせいか、なんか1秒じゃ終わらなかった。が、初回の速度は、PASMOの初回チャージみたいに素早くて、信用をチャージするのか、信用を元に現金をチャージするのかという差はあるにしても、ちょっと驚きではある。というか、本当に与信処理をしているんだろうか?
あと、引き落とし前後で端末の色を変えるというのは良いアイディアだとは思うが(チャリーンではなく色というのは、もしかしてチャリーンはビットワレットの特許なんだろうか?)この端末仕様だと複数のアプリケーションに対応した端末にはならなそうだし、サイズがでかい(店で場所を取る)し、どうもはやらなそう感がますます漂う。
使い勝手は、それなり(プリペイドのEdyと違って、確かに金額を気にしなくて良いというポストペイの心理的な楽さというのは感じたようには思う)。
それにしても、(単純化すれば)電話線のiD、道路のQUICPay、鉄道のSuica(+イコカ+……)、FeliCaそのもののEdy(ちょっと別格)と、日本の動脈それぞれがバトルしているのはなかなかおもしろい。
『RubyからJavaへ 開発者のための実践移行ガイド』(超訳)
と、かくたにさんが!してたのがおもしろかった。
(ここでの「RubyからJava」では、Javaオンリーの人は相手にされてないところが興味深い)
萩原さんがぽつぽつと更新しているが、そこではレイヤーアーキテクチャが当面の打倒対象にされているように読める。
打倒されるものはさっさと打倒してしまえば、それなりに結論が出るから(起き上がりこぼしみたいに再興してくるかも知れないし、あるいは期待通り消散してしまうかも知れない)それは良いのだが、なんか引っかかりを感じる。
それはおそらく、
僕はインプロセス呼び出しにより、呼び出し性能が優れている点にあると思っています。
を根拠の1つにしている点にありそうだ。
これそのものはきわめて正しい。確か、プロセス間通信には当時1000倍だか10000倍だかのオーバーヘッドがかかったからだ。とは言え、実際にはインプロセスであってもマーシャルが必要な場合には、Win32のスレッドスケジューリングのせいもあって(呼び出されるコード量は違ったように思うが)大して変わらないという事実があり、そもそも呼び出し性能を根拠にして済むのであれば、巨大なシングルスレッドのアプリケーションを作れば済み、そこにスケーラビリティを確保したければマルチプロセスにして独立して動かせば良い。というか、シングルスレッドアパートメント(これが呼び出し効率は最も高い)は、同一プロセス上でパラレルに各スレッドを実行させるという点において、同一アプリケーションのマルチプロセス実行モデルと変わらないと言っても良い(もし、複数のプロセスで共有したいシングルトンなオブジェクトが必要であれば、カーネルドライバとして実装してハンドルを共有すれば済む)。
したがって、論理の話をするはずが、物理の話になってしまっているからだろう。
そこで想起するのは、OSI参照モデルがえいやで決めたとしか思えないTCP/IPに打倒されたり、マイクロカーネルが徐々に打倒されて今のOS(最初にだめを出したのがLinusで、留めをさしたのがNT4ということになるのかな)のトレンドがあり(OS Xがどの程度まで忠実なMachなのかは知らないけど)、どうやってもXはXで別レイヤだからもっさり感が拭えないにも関わらず(疎結合のようで)、TTあたりのバグでカーネルごと落ちたりした(密結合だったり)のは割と記憶に新しかったり(でもないか)。
レイヤーの重なりとして全体を捉えることは、まだ海のものとも山のものとも言えないものに対して、適切な修正を加えることが可能な点で優れている。これはプロトタイプに向いている。したがって、グラフィックドライバが常時必要であり分離することなんて考えられないと判明すればカーネルに組み込むことに何の問題もないだろう。
したがって、既にしてプロトタイプの時代は終わったということであれば、レイヤーをまとめてみたり捨ててみたりすることにはまったく問題はないわけだ。
しかし、それは実際のところテンポラリなものに過ぎない。
というのは、必要とあれば、またまた新しいレイヤーを組み込んでも良いからだ。たとえば、セキュアなレイヤーを組み込んでみたり、IPフィルタを組み込んでみたり(TCP/IPの例)。でそれが常時有効であると確定すれば融合してしまえば良い(実際のところOSI参照モデルについて言えば実際のネットワークプロトコルとしては消散したかも知れないが、ネットワークを考える上では全然死んでない)。
ここまで書いてきて、ようするに死んだ(と呼ばれている)のは、素朴な論理層−物理層の1対1マッピングのことらしいと感づいたが、そうそう原理主義的な実装っていうのは無いような気もするので、どうでも良くなってきた。
物理実装を1枚岩にするのであれば、すべて(データ層まで含めて)1つのVM上で層化して入れれば、いやでも1プロセスになるだけだ。
そうではなく、論理設計……と書いたところでふと見ると『機能要求を論理的なノード上の配置で動作させるための実現法』について書いていたのだとわかったので(そうか、これがソフトウェアのアーキテクチャなのか、となんとなく納得。勘違いしてたようだ)、単に時間を無駄にしただけだと気づいたけど、書いたものは書いたのだから、このままsubmitしてしまう。
テレビを見ると、落ちたのも通ったのもみんな「無」なもんでさっぱり動向がわからない。っていうか、区長候補が全員「無」なもんでどれがどうだかまったくわからん。良く、他の人たちはこんなんで投票行動ができるなぁ。
数の論理で動かすって決めてるんだから、さっさと完全政党選挙にしてしまって欲しいんだが。マニフェストとか、そのためのコンセンサスが得られてきてるのかと思ったら、地方じゃ相変わらず、属人選挙か。
政治こそ、さっさと属人性を捨てて欲しいもんだ。
フィッシングのためのインフラ作りとまで言われてもなぜ、URLではなく検索キーワードなのか?
について、思うに、ケータイでのURL入力の面倒くささがあると思う。
(そもそもは2つあって、1つはおれがURLの入力が面倒でたまらんというのと(これについては後でまた蒸し返す)、1つは意外なほどEZWeb経由の積極的な検索が多いということだ)
実際、ためせばわかるが、変換機能と一種の補完機能みたいなものがついた日本語入力のほうが、簡単ですな。特にEZWebではいきなりGoogleが利用できるし、HTML変換もある程度してくれるし。
URL入力の面倒くささの理由は2つある。
1つは、英字と数字で入力モードを切り替えなければならないこと(直接入力の場合。というか、URLを日本語入力モードのまま入れるのって不可能じゃないか?)
そして、もう1つは、ケータイのキーボード固有の英字入力事情だ。
そのため、ケータイでのURL入力を想定すると、次のようなドメイン名が良いドメイン名だと言える。
1. .comより.co.jpのほうが断然入力が楽。
.comを入力する場合、次のキーストロークになる。
1222666→6
一方、.co.jpは
1222666157
ストロークは.co.jpのほうが1つ多い。しかし→が不要だというのは、ホームポジション(サムポジションというか)から指を離さなくて良い。さらに最後の157がすっきりと入力できるのが気分的に大きい。
もちろん、最高なのは、ただの.jp ドメインだ。
2. 英字重なりは最悪
ntt.com を入力すると次のようになる
668→81222666→6
→が2回必要。
もっとひどいのがgoo.ne.jpだ。
4666→666→16633157
いやはや、goo.comじゃなくてよかったね。
っていうか、wwwが9→9→9となるので、ケータイサイトに利用すべきじゃない。
同一英字の出現は必ず→が必要になるので避けるべき
3.同一キーの3度押し以上はだめ。
cfilosvyzあたりはできるだけ避けるべき。
4.同一グループは避ける
abc、def、hi、jl、on、rs、uv、xyz あたりの組み合わせは多そうだけど(これ、今キーボード見て決めた印象だけなので実際の頻度は知らない)、もちろん避けるべき。
5.数字を混ぜるのは悪。
www1.とかってそれだけで9→9→9[文字]91[文字]71 となってうんざりですな(9→9→911111とかでも良いけどやっぱり面倒だ)。
っていうようなことから、ケータイからURL入力させるのに一番なのは、次のホスト名みたいなやつだ。
gjm.ptw.jp
ホスト名についてはwwwはとにかくやめる。仮想ホスト使ってケータイ用にgjmとかadgとかを付ける。
問題は組織名のところだが、これは早いもの勝ち。ケータイ用にはajtとかtajとかmwpとかを取る。nttは覚えやすいだろうとか、ieeeは由緒あるとか言っているのはユーザビリティ無視野郎でしかない。ieeeはちなみに44433→33→33。
そして.jp。これ最強。157で済む。日本の組織なのに.comとか付けてるのはことケータイでのURL入力に関してはばかですな。
追記:(2007/05/05)同様なことをたださんが2003年秋に言及しているが、リンク先のITMediaが日本語ドメインの復権を予想しているのに、現実は検索のほうに進んでしまった。
スティーブンスでアマゾンを検索したら
詳解TCP/IP (ADDISON‐WESLEYプロフェッショナルコンピューティングシリーズ)(W.リチャード スティーブンス)
この2冊しかないし、どっちもマーケットプレイスになってる。
と思ったら
詳解TCP/IP〈Vol.1〉プロトコル(W.リチャード スティーヴンス)
スティーヴンスではあるわけか。
というか、vol3は持ってない(というか初版しか持ってない)のでそのうち買う。
詳解TCP/IP〈Vol.3〉トランザクションTCP、HTTP、NNTP、UNIXドメインプロトコル(W.リチャード スティーヴンス)
なぜデーモン君が波乗りなのかと思ったらソケットでHTTPだからか。
さっそく月曜には使ってみたりしてみたわけだが、青いのが緑に変わったり、すごく小さい音だがキャイーンとか音はするし、なんだこりゃと思ったら、夏にはQUICPay対応(色変わるのやっぱり必要なんだな)とか書いてあったり(というか、セブンイレブンで使えるようになるとQUICPay大逆転のような気がするんだけど、たとえばセブンイレブンの物流部門がトヨタのトラックを大量に導入するのとバーターとか裏事情があるんだろうか? というか、若者のケータイはauだからDoCoMo縛りを嫌ったとみることもできるのかな?)。
おもしろいのは、ペットボトル500ml買うと200ポイントとかで、250mlで済むはずを客単価ランクアップの手段に利用してるところで、わかっていてもまんまと500ml買ってるおれがいたり。このへんの販促にすぐさま利用するところは自分のグループのとこの電子マネーだからできるんだな。あと、Edyと違ってレシート上の番号を隠してるんだが、何か別口で利用する方法があるんだろうか? (たとえば、QUICPayと共用なら確かにクレジットの口座番号になって、それはまずいとか、あるいはFeliCaのセキュリティをまったく信用していないのかとか、いろいろ想像力が働くが大したことは思いつかないな)
初老のおばさん店員に頼んでチャージしてすぐnanaco使って購入とかやったのに(月曜の朝一で)、なんの問題もとまどいもなくすんなり動かしてたことで、よほどレジの操作性(UIってことか?)が良いのか、店舗指導が行き届いているのか、さすがはセブンだな、と感心した。
あとは、iDとWAONでほぼ全部制覇だが(クレジット契約を無闇に増やす気はないのでUFJニコスのやつは無視だけど)、auだしな。
いやぁ、おもしろい。
ところで、やっぱりPHPってのはデリジェントなんだろうな? (ASP時代のVBScriptがScriptと付いていてもデリジェントだったのを想起)
会社のマシン(ネットワークが腐りきっている)がまともに動かなくなる。でCPU100%の刑に処せられているとわかったとき。
直前にPDFを眺めてた。
家のマシン(ネットワークはそこそこまともだと思う)でIEが突然ハングして何もできなくなる。
直前にPDFを眺めている。
症状は違うけど(後者ではCPU100%の刑にはならない。でも大体2プロセス以上いる)、どっちもAdobe Updaterを殺すと万事快調となる。木馬の格好をしたAdobe Readerと一緒に入り込み、寝静まったところで湧き出して、ひっそりとシステムを壊してくれる。
Adobe Readerの「編集」「環境設定」から、このふざけたプログラムの起動を止めたいと考える。しかし、設定がない。「インターネット」に「バックグラウンドでのダウンロードを許可」というのがあるが、これはオンライン上のPDFそのもののダウンロードじゃないかな? と思う。が、まったくAdobeのネットワーク技術を信用する気持ちは消え去っているので、(デフォルトで入っている)チェックを外す。
次に、ヘルプから「アップデートを確認」を明示的にやってみる。
するとちゃんと動いて「Adobe Updater の環境設定」というウィンドウが表示された。で、「自動的に新しいアップデートを確認する」をオフにする(もちろん、Adobeはこれっぽっちも信用できないということから、PDF読み込みに関するいやな問題があり得るというリスクは背負うことになるので、難しいところだ)。
しみじみと、Windows Updateはうまくできていると感じているおれがいる。(というか、Firefoxの自動更新でも問題が起きたことはないので、Adobeが特別におかしいということではないか?)
あとで書く予定。
いや、ホント。つまりは、ゆとり教育の成果がちゃんと出ているということで(生じたゆとりに何をしたかで格差がつくのは当然といえば当然のことだ)。
連休中にはどうにかする予定ですが、今は、ClearSilverが無いよエラーで止まってます。
#こんだ、完全なクライアントマシンにクライアントOSだけど、さて、どうだろうか?
「1000円を米ドルに」を検索すると「1 000円 = 8.36820084 米ドル」と表示されるのはおもしろい。
同じ調子で「2007年を和暦に」とか「2007年を元号に」とかを実装してくれないかなぁ。
(っていうか、これはヤフーに望まれてることかも)
コメント欄に書いてたが単なる自分の思い出しになってることに気づいたのでこっち。
でも、移動してるうちに続きに何書こうとしてたか忘れたので尻切れトンボ。でもアフィリエイトは貼る。
そういえば、僕が小学4年の頃、たまたま家にあった(誰が買ったんだろう?)ボッコちゃんとか南極の犬を宇宙生物にしたやつが、ショートショートとの出会いであり、ジュヴィナイルじゃないSFとの出会いであり、日本のSFとの出会いであり、その他たくさん(この文脈でショートショート、SF、日本ってことで筒井康隆のにぎやかな未来や幻想の未来と出会ったり)
(ここでカットペしたので続きを忘れた)
(どうも最初はようこそ地球さんらしい。まさにようこそだったわけだ)
ここに、3Dシートを貼ったモノの世界の話や、オウムが通訳してくれるやつとか
(ここに何か思い出)
ここに、ゲームを作るやつ(以前も書いた)
(ここになにやら北杜夫で、角川文庫と新潮文庫、そして創元文庫と続く)
ここ、一転してどろんどろん
(で、春陽堂文庫とかが来て中学に入る)
というような、感じで狼男だよまで読んだ。
ケータイでのURL入力を考えると、これが落としどころなんじゃないかとか思った(っていうか、まだあるのか?)
つらつらと思うに、おれが星新一に出会い、筒井康隆に出会い、さらに小松左京に出会い(脳みそまで食べるやつとかくだんのくだんとか)、そのほか、藤原忘れた失礼(ふと思い出す。実際は石原藤*じゃなかったかな?)とか眉村卓とか豊田有恒でさえも(石*喬も。ヘイポーラとかアリスのとか)、平井和正とジュヴィナイルで読んでた光瀬龍を除けばみな、ショートショートで読み始めたのだった(オバQの脚本がどうしたみたいなのは除いて)。
そして多分、星新一が家にあったのも、それがショートショートだったからかも知れないな。
ってのは、やはり読みやすさにある。
いきなり、300ページとか400ページある、重力がとんでもなくある星に宇宙生物が探検に出かける話とかを商業誌が載せるのは無理かも知れないが、それが十分に短ければどれだけの思考実験があっても受け入れられやすいんじゃなかろうか。
あと時代的な特性もあるかも。高度経済成長期ってのは、実際にはドッグイヤーな時代なわけだから、そのスピード(お、3Sって言葉を思い出したけど、60年代の象徴的な言葉だよね3Sってのは)、深夜の有効活用、完成した高速道路網(首都高のことだけどな)、戦時下だという重苦しい事実(同盟国がだけどな)、家に映像がやってきて、しばらくするとそれに色が付く(ウルトラQは白黒だったけど、家の場合だと、2回目のバルタン星人から色がついた)、そういった時代背景とショートショートなSFというのはマッチしたんだと思う。
ここで、ではショートショートってのは誰でも書けるかっていうとそんなこたないのはすぐわかる。そして間違いなく経済領域もたとえば純文学書き下ろし1000枚な世界とは異なるってのもわかる。しかも、それは大衆小説とまではいけない(新聞の連載小説とは異なるジャンルだ)。
1000枚書き下ろしの純文学からみると鼻くそみたいなジャンルだろうし、経済領域から見た場合もなんか小さい市場に(作品規模含めて)見える。しかし間違いなく優れた技術と思考能力とセンスとスピード感とか、いろいろ要求水準は高い。
(で、エッセイ系のを読むと仲間内で集まって楽しそうなんだよね。天檀とかで馬鹿話大会とか。でも金無さそうなんだな、これが)
という感じで、時代要請、短さ、その特性からどこのご家庭にでも入り込んで知らずに読んでること、センスが要求されること、技術水準が高いこと、市場規模は実際には大したことないこと、職業的には類似しているというか外から見れば同じ世界なのに実は全然違うより規模とか伝統がある市場が横にあること、とかなんかLLっぽいな、と思ったのだった(関係ないけどね)。
おれ、ラノベ(ライトノベルってのか)は読んだことがない。
で、そんな話を誰かとしてて、ふと、あ、超革中だな、と気づいた。
超革命的中学生集団 (角川文庫 緑 383-10)(平井 和正)
こっちは1円からだが、200円からのほうは1974年ってあるから、おれが読んだのはそっちだ。まさに厨房時代。
永井豪が表紙に学生服を着た中学生集団(見えないけどな)がこっちに向かって走ってくる絵を描いてる。それだけならばまだいいが、そこら中に永井豪の挿絵入り。ヨコジュンと対峙する鏡明(でも絵は後の大槻ケンジそっくりなんだ、これが)。身長差は3倍はあろうか。
とか、そんなことは覚えてる。内容はまったく覚えてないけど。
……少し思い出した。
何かの理由で、主人公の中学生のヨコジュンは一夜にして超能力の持ち主になるんだ。多分、パーマンのパターンで、地球文明が滅亡に瀕しているのを危惧した宇宙の向こうのオブザーバーじゃなくてこっちを見ててくれてる人が、ヨコジュンを指名したんだ。で、与えた超能力がマンガを描く能力(SF小説を書く能力かも。覚えてないや)。
で、選ばれた人、ヨコジュンは近所の中学生を集めて迫り来る地球滅亡を阻止するために立ち上がるのであった。ほんとかな?
(女性に変化する能力だったような気もしてきたぞ)
多分、作品世界と読者との関係や、作品の持つ雰囲気とか、書き手の現実世界と仮想世界との間のバランスの取り方とか、センスオブワンダーとかが、SFってのとはちょっと違って、なんかもっと軽いノリ(ファンジンノリだってのは気づいてたわけだが)でありながら、特定ゾーンの読者にぐっと来るところの偏った普遍性を提示しているところ、とか。メディアミックス的な感じとか(ここでは永井豪の挿絵だけどな)。
そんなところが、話に聞いていて近そうだな、と思ったのだった。
ゾンビハンターがたくさんあるのを不思議に思って(おれが読みふけったのはデスハンターのほうだったのだ)アマゾンで書誌目録みてたら、ふと思い出したが、やたら新興宗教っぽくなってきた(アダルトウルフガイに出てくる巫女さんみたいな女を主人公にしたやつ読んだはず)のでうんざりしたからだ。
しかし、あれだけ作品を量産できるってことをふと自分で不思議に思うと神懸りってことに考えをめぐらせて、そっちへ入るってこともあるのかな。
ジェズイットを見習え |
_ atsushieno [スルー力を行使してツッコミを入れないことに成功しました。]