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ケータイでのURL入力を考えると、これが落としどころなんじゃないかとか思った(っていうか、まだあるのか?)
つらつらと思うに、おれが星新一に出会い、筒井康隆に出会い、さらに小松左京に出会い(脳みそまで食べるやつとかくだんのくだんとか)、そのほか、藤原忘れた失礼(ふと思い出す。実際は石原藤*じゃなかったかな?)とか眉村卓とか豊田有恒でさえも(石*喬も。ヘイポーラとかアリスのとか)、平井和正とジュヴィナイルで読んでた光瀬龍を除けばみな、ショートショートで読み始めたのだった(オバQの脚本がどうしたみたいなのは除いて)。
そして多分、星新一が家にあったのも、それがショートショートだったからかも知れないな。
ってのは、やはり読みやすさにある。
いきなり、300ページとか400ページある、重力がとんでもなくある星に宇宙生物が探検に出かける話とかを商業誌が載せるのは無理かも知れないが、それが十分に短ければどれだけの思考実験があっても受け入れられやすいんじゃなかろうか。
あと時代的な特性もあるかも。高度経済成長期ってのは、実際にはドッグイヤーな時代なわけだから、そのスピード(お、3Sって言葉を思い出したけど、60年代の象徴的な言葉だよね3Sってのは)、深夜の有効活用、完成した高速道路網(首都高のことだけどな)、戦時下だという重苦しい事実(同盟国がだけどな)、家に映像がやってきて、しばらくするとそれに色が付く(ウルトラQは白黒だったけど、家の場合だと、2回目のバルタン星人から色がついた)、そういった時代背景とショートショートなSFというのはマッチしたんだと思う。
ここで、ではショートショートってのは誰でも書けるかっていうとそんなこたないのはすぐわかる。そして間違いなく経済領域もたとえば純文学書き下ろし1000枚な世界とは異なるってのもわかる。しかも、それは大衆小説とまではいけない(新聞の連載小説とは異なるジャンルだ)。
1000枚書き下ろしの純文学からみると鼻くそみたいなジャンルだろうし、経済領域から見た場合もなんか小さい市場に(作品規模含めて)見える。しかし間違いなく優れた技術と思考能力とセンスとスピード感とか、いろいろ要求水準は高い。
(で、エッセイ系のを読むと仲間内で集まって楽しそうなんだよね。天檀とかで馬鹿話大会とか。でも金無さそうなんだな、これが)
という感じで、時代要請、短さ、その特性からどこのご家庭にでも入り込んで知らずに読んでること、センスが要求されること、技術水準が高いこと、市場規模は実際には大したことないこと、職業的には類似しているというか外から見れば同じ世界なのに実は全然違うより規模とか伝統がある市場が横にあること、とかなんかLLっぽいな、と思ったのだった(関係ないけどね)。
おれ、ラノベ(ライトノベルってのか)は読んだことがない。
で、そんな話を誰かとしてて、ふと、あ、超革中だな、と気づいた。
超革命的中学生集団 (角川文庫 緑 383-10)(平井 和正)
こっちは1円からだが、200円からのほうは1974年ってあるから、おれが読んだのはそっちだ。まさに厨房時代。
永井豪が表紙に学生服を着た中学生集団(見えないけどな)がこっちに向かって走ってくる絵を描いてる。それだけならばまだいいが、そこら中に永井豪の挿絵入り。ヨコジュンと対峙する鏡明(でも絵は後の大槻ケンジそっくりなんだ、これが)。身長差は3倍はあろうか。
とか、そんなことは覚えてる。内容はまったく覚えてないけど。
……少し思い出した。
何かの理由で、主人公の中学生のヨコジュンは一夜にして超能力の持ち主になるんだ。多分、パーマンのパターンで、地球文明が滅亡に瀕しているのを危惧した宇宙の向こうのオブザーバーじゃなくてこっちを見ててくれてる人が、ヨコジュンを指名したんだ。で、与えた超能力がマンガを描く能力(SF小説を書く能力かも。覚えてないや)。
で、選ばれた人、ヨコジュンは近所の中学生を集めて迫り来る地球滅亡を阻止するために立ち上がるのであった。ほんとかな?
(女性に変化する能力だったような気もしてきたぞ)
多分、作品世界と読者との関係や、作品の持つ雰囲気とか、書き手の現実世界と仮想世界との間のバランスの取り方とか、センスオブワンダーとかが、SFってのとはちょっと違って、なんかもっと軽いノリ(ファンジンノリだってのは気づいてたわけだが)でありながら、特定ゾーンの読者にぐっと来るところの偏った普遍性を提示しているところ、とか。メディアミックス的な感じとか(ここでは永井豪の挿絵だけどな)。
そんなところが、話に聞いていて近そうだな、と思ったのだった。
ゾンビハンターがたくさんあるのを不思議に思って(おれが読みふけったのはデスハンターのほうだったのだ)アマゾンで書誌目録みてたら、ふと思い出したが、やたら新興宗教っぽくなってきた(アダルトウルフガイに出てくる巫女さんみたいな女を主人公にしたやつ読んだはず)のでうんざりしたからだ。
しかし、あれだけ作品を量産できるってことをふと自分で不思議に思うと神懸りってことに考えをめぐらせて、そっちへ入るってこともあるのかな。
ジェズイットを見習え |
超革中はライトノベルだという発言をする人はときどきいます。<br><br>ちなみに、超能力を授かった中学生集団が最終的に内ゲバする話だったと思いました。女性に変化もしていた気がする。
ああ、やっぱり。>ときどきいます<br>自分が知ってる中では、どうもそれっぽい(というか、実際には逆にカテゴライズできない小説としてどこかでわだかまっていたものが解消できるというカタルシスなわけだけど)という感じを受ける人がいるってのは、なんか同志的なものを感じて楽しいですね。<br>#内ゲバになるのか……言われてみればそうだった気もします。
>やたら新興宗教っぽくなってきた<br> 同感です。幻魔大戦を放ってしまったのもそうでしたね。<br> デスハンター(ゾンビーハンター)では殆ど感じられなかったので楽しめました。
筒井康隆は「SF教室」の中で星新一について「普通の作家でもいいショートショートを1本や2本なら書ける。だが傑作を量産できるのは天才だけ」という意味のことを言ってます。LLとの比較ですが、LLは天才が使えば強力だけど、普通の人にもそれなりに使える、というものじゃないでしょうか。
LLで書かれた傑作ってどのくらいあるっていう想定ですか?