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日々の破片

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著作一覧

2017-12-10

_ ノットのドンジョヴァンニ

川崎ミューザに演奏会形式のドンジョヴァンニを観に行く。

が、風邪をひいてしまってぼーっとしてしまうのであまりまともに聴くことができなかった。しかもどこにも憩いの場がないために、離脱症状が出てしまって意図せずに意識を失うことが多くて閉口した。

聞いたことのない歌手がいっぱい出てきたが、皆、うまいもので感心した。というか、ホールの音響が無茶苦茶良い。


2017-12-09

_ 新国立劇場の薔薇の騎士(2回目)

先日観た薔薇の騎士がずいぶん良かったので、再度観に行った。当日券で2階最前列なので実にラッキーとは言える。

やはりウルフ・シルマーがすばらしい。3幕の3重唱が始まる直前の何かが産まれてくるときの静けさの中のざわめきのような瞬間とか。歌ももちろん良いのだ。マリー=テレーズが歌い始めると思わず涙が流れて鳥肌が立つ。リヒャルトシュトラウスの才能もすごいが、舞台芸術としての完成度の高さは圧倒的だ。

前回も感じたが、1幕後半のイタリア人テノールの歌だが、実に良い曲(今までは、それがポレンザーニだろうがパヴァロッティ(そういう無茶苦茶なCDがあるのだ)だろうが、あまりピンと来なかったのだが、この演出では、あるいは実際に舞台で観ると、かもしれないが、実に効果的)で感じ入る。

ふと同時代の作家の別の作品としてコルンゴルトの死の都が意外なほど近いものだと思う。テノールの歌は、曲調といい、歌詞の厭世的なほどの狂おしい恋心といい、ピエロの歌にそっくりだし、3幕3重唱前の不思議な間合いは、リュートの歌直前の不思議な静けさのような沸き立つような騒がしさの前触れのような感覚とそっくりだ。

薔薇の騎士は1910年。死の都は1920年だから、作劇上の影響を(薔薇の騎士という1つの作品ではなく、大作家たるシュトラウスの)受けていないことはないだろうが、それにしても近いものがある。

一番の違いは、1914年を挟んで、片や世界夫人が世界と別れを告げる作品で、片や世界夫人亡き後の市民の作品だという点だ。

というよりも、まさに元帥夫人は世界夫人そのものだ。

ヘッセが世界夫人に別れを告げたのは1944年で、ドイツ零年の直前だが、元帥夫人がオクタヴィアンとの享楽の生活に別れを告げて貴族の誇りを持ち威厳を保ったまま身を引くことを宣言したのは1914年の4年前、1908年のボスニア・ヘルツェゴビナ合併の後で、バルカン半島が十分にきな臭くなっているころだ。同じ頃に元帥はクロアチアで狩りをしている。イタリアの統一運動はまだくすぶっていて、実際、イタリア人がうろちょろしているし、オックス男爵はドイツ人のような名前だが、この演出ではチロル風(南チロルはオーストリーに取り残されたイタリアの一部)で、どうにも不安定な人たちばかりが登場してくる。

だからというわけでもないことはないと思うのだが、3重唱の圧倒的な美しさは滅びる直前の美しさに他ならず、その後に2回続く2重唱の美しさも、必ずしも未来ある2人の歌というよりは、戦争に突入していくことになる滅亡への予感があるからこその美しさとも言える(17歳のオクタヴィアンの4年後は21歳で、まさに戦場に突き進む必要がある年齢だ)。銀のバラの旋律の音程が異様なのは、まさにそれの予兆に感じられるからあまり好きではなく、最初の2重唱が純粋に美しかったものが、元帥夫人とファーニナル(この伯爵の将来岳父になる男はまさに戦争によって成り上がった武器商人だという設定が強烈だ)の登場によって認められて、そして息がとまるほど甘美なバイオリンのソロが入った後に、銀のバラのモティーフが散りばめられることで、手放しの幸福ではない未来が透けて見えるのだ。

最後は、ウィーン包囲の落とし子となったムハンマドによって幕が落ちる。未来はこちらの手に落ちるのかも? という意識がなかったとは言えない。

それにしても、第1次世界大戦によって、世界ががらくたの中に横たわることを予兆している作品として、薔薇の騎士の美しさは特筆すべきものがある。

新国立の演出が1910年代のウィーンにしているように(本来は女帝の時代だから18世紀のはずだが)、最近観たガランチャがオクタヴィアンを歌ったメトの薔薇の騎士もやはり舞台を1910年代あたりにおいていたが、作品が成立してから100年たった現在では、ホフマンスタールとシュトラウスが巧妙に設定した18世紀を舞台にするのはむしろ不自然と考えるほうが確かに自然だし、作品にふさわしいと思う。

もう1つ僕が心から愛する第1次世界大戦文学は、トラストDEで、最後の最後、主人公がガラクタと化したヨーロッパを心からの愛を込めて抱きしめるところは本当に美しい。

トラストDE―小説・ヨーロッパ撲滅史 (文学の迷宮)(イリヤ エレンブルグ/小笠原 豊樹/三木 卓)


2017-12-08

_ ジェネリックパラメータがいるときといらないとき

今、オーバーロードされたジェネリックメソッドDeleteがあるとする。

public void Delete<T>(string key);

public void Delete<T>(T entity);

で、下のを使うときは、ジェネリックパラメータを指定する必要はない。つまり、Delete(myEntity);で想定通りの動作をする(未確認なので、正しくはするはずだ)。

と、いうのに慣れきってしまって、ついジェネリックパラメータを指定せずに、上のほうのをDelete("key-001");のように呼び出して例外を食らって20分くらい(1ポモドーロ)悩んだ。

考えてみたら、上の場合、ジェネリックパラメータ抜きにDeleteメソッド側ではどうがんばってもDelete対象となるTを知ることはできない。当然であった。

・アマゾンのDynamoDBを操作してはまったのでメモ。

_ API Gatewayでx-www-form-urlencoded

いろいろな情報が錯綜していてさっぱりわからなくてえらく困った(2日くらい)。

C#かJavaの場合は、実は何も考える必要はなかったのだった。

・メソッドにはANYを指定する(ここで個々のメソッドを指定すると100%はまる)

・Lambdaプロキシ統合を選択する

これだけで良い。

あとは、リクエストをStreamで受けて、自分でJSONデシリアライズするか、またはプロパティ狙い撃ちで正規表現で引っ掛ければ良い。

カスタム統合をしようとすると、$input.body.jsonを作ろうとして、必ずリクエストボディをJSONとしてパースしようとする(というか、これは愚かな仕様だと思う)。しかも出て来る例外メッセージがtrue、false、nullを期待する、というものになる。

この訳のわからない例外メッセージはなんだろうと考えて、しげしげとx-www-form-urlencodedなリクエストボディ(たとえば、a=1&b=2)を眺めて、ふと気づいた。{で始まらないということはスカラーだと判断し、しかも文字列を示すダブルクォーテーションでもなく英数字が出てきた時、JSONデシリアライザーとしては、英数字が出現しても良いのは、true、false、nullだけだ。そこで上記の例外メッセージとなるのだろう。

が、PythonやNodeでLambdaを組むときはどうするんだろう? 現在のところ、どうやっても、bodyの中をJSONとしてパースしようとするのを止めることができないのだが。(これは間違っていたらツッコミが入ることを期待しているエントリー)


2017-12-04

_ Let's note

職場のマシンにはLTEモデルのSurface Proが良いと言ったものの、時期が微妙に合わずに、LTEモデルということでLet's noteになった。

軽いのは軽いのでその点には文句はないが、電源が昔ながらのプロプラエタリなジャックだったり(2017年の末になってUSB Type-cでもUSB3でもないってどうなんだろう)やたらと厚みがあったりするのが気にならないかといえば気になる。タッチパネルではないところも何で今どきという感じもする。

が、厚みが必ずしも悪いことではないということを知った。

どうも、普通にノートパソコンを使うと、カーソルがあっちこっちへ飛びまくって入力しにくいことこの上ないのだが、Let's noteではそれが全く起こらない。薄い奴と違って、タッチパネルが1段沈み込んでいるので、掌がまったくあたらないか、当たっても引きずらないからだ。

これはすごく良い。というか、こうでなくては。初めて、ノートパソコンで外付けマウス+タッチパネル無効化をせずにまともにキーボードが打てるマシンと出会った。これは実に良いものだ。

ただ、全角キーがEscの右隣というのは、おそろしく愚かな仕様だとは思う(CtrlとFnも腐った位置にあるが、BIOS設定で切り替えられるからOK)。


2017-12-03

_ 新国立劇場の薔薇の騎士

ウルフシルマーが出だしからなんかいつもと違う。

妙に区切って金管が始まり、異様にテンポが遅い。この曲の序曲(前奏曲かも)は、ローエングリン3幕やアラベッラ3幕の序曲と同じタイプの音楽で、オクタビアンが激しく元帥夫人とからみあう音楽のはずなのだが、まったくそういうふうには聴こえない。

逆にとにかく耽美的で、たとえばオックスのワルツが実に優雅で、あれこんなに良い曲だったか、と思ったり。

特に抜群だったのは、3幕、3重唱が終わり2重唱があり、親父がやってきて、若い者はこんなものですなぁと言って、次の2重唱が始まる、この隙間のバイオリンがとてつもなく美しくて、歌にばかり気を取られることが多かったのが、オーケストラもこんなにまで美しかったのかと思わず陶酔する。3重唱の始まる場面はいよいよ3重唱だという期待もあるし、とても緊張するところなのだが、ここも美しかった。シルマーの指揮が素晴らしい。

3幕になって元帥夫人が登場するところでは、この演出の最も美しい光景なのだが、それは元帥夫人の立ち居振る舞いとともに、黒いアシメトリクな服のせいでもあり、実に良い意味でフェミナンな服で、森英恵っぽい(本当に森英恵かもしれない、新国立劇場だし)。メルベートは最初声が小さいなぁとか思っていたが、ここでは立派だった。

2幕も良いのだが、ふと気づくとオクタビアンの声が高く、ゾフィーの声が低い(というかしっかりとした声)ので、相当に倒錯的であった。

これも実に良いプロダクションで、とにかく当たりが多い。


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