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メインマシンのキーボードは東プレのREALFORCE(JUSTSYSTEMロゴ付き)で、調べてみると、2006年の春頃に購入している。MBP用に買ったようだが、キーアサインが違うのでなんか困っていたりしているが、その後、メインマシン用として、すごく気に入ったらしい。というわけで同年夏に買い増している。
で、それから7年経って、マシンもマウスもすべて何代か変わっているのだけど、キーボードだけは変わらない。丈夫で長持ち、しかもキータッチは最高と本当に良いキーボードだ。
東プレ キーボード REALFORCE108UDK 日本語配列カナなし USB 有線接続 静電容量無接点 昇華印刷墨モデル ALL30g荷重 ブラック SJ38C0(-)
(おれが買ったときは106キーボードだったけど、今は108キーボードなんだなぁというところに時間の経過が感じられる)
で、やたら汚れた以外に文句はないのだが、あまりに長く使ってきたので、違うキーボードも使ってみたいなぁという気分になってきた。
と言う頃にCODE keyboardが話題になって、うーん使ってみたいなぁと考えているうちに品切れになってしまった。
が、先日、Cherry MX Greenというバージョンが売り出されたと@takekazuomiが教えてくれたので、REALFORCEより高い(円安だし送料も必要)じゃないかと一瞬気が迷ったが、迷ったまま買ってしまった。
で、箱から出してREALFORCEと並べてみて驚いた。次に驚いた自分に驚いた。そんなものUSキーボードに決まりきってるじゃん。
でも、落ち着いて考えてみれば、最初にタッチタイピングを覚えたのはASCIIキーボードだから(今はJISキーボードに慣れきっているけど)、別に困ることはないわけで、REALFORCEにはしばらく休暇を与えることにした。
で、打てばカチカチ音がするし、なるほどのメカニカルでキータッチが重い(追記あり)。そうそう昔(と言ってもいいだろうなぁ)はこうだったよなぁとか打っているうちに、すごく違和感がなくて違和感がある。
なぜ、違和感がないんだ? といえば、JISキーボードのタイピングのままで打てているからだ。(Enterの上半分が無いのはそれなりに引っかかるがほぼ慣れた)
USBで、プラグアンドプレイなんじゃないの?
しかも、Windows 8.1にはキーボードがコントロールパネルに無い。
まったくの憶測だが、一時、JISキーボードなのにUSB用コントローラがUSタイプのものがばかすか売られていて、すべてUSキーボードとして認識されるという問題があったから、ロケールが日本語なら有無を言わさず106(108)扱いするようにしたのかも。
困ったことに、CODE Keyboardなんだから、アンダースコアやバックスラッシュが打てなければてんでお話にならない。
で、Overrideという奇妙なエントリー名を持つレジストリ項目の設定のKBを見つけた。
設定したら再起動が必要な点が今一つ気に食わないけど、これでusとjpを切り替えれば良いのか。
というわけで、手作業でやって間違えると再起動後にとても悲しいことになりそうなので、切り替え用スクリプトを作った。
使い方は管理者権限でコマンドプロンプトを開いて、引数にusまたはjpを指定する。usを指定すると102(104)に設定し、jpを指定すると(106/108)に設定する。64ビットWindowsであれば、x64版Rubyが必要なんじゃないかと思う(x86版で試していないからわからない。HKLM\Softwareと違ってHKLM\SystemにはWow6432Nodeとか無いから実はこのあたりのエントリーは共通かも知れないけど)。
追記)全然わかっていないで買ったということが自分でも良くわかったが、Cherry MX Greenってゲーマー用キーボードに使う80g押下圧なのだった。どうりでやたらと重いはずだ(ただし、それが気持ち良いし、何か問題を感じたらREALFORCEへ戻るだけなのだが)。
ゲーマーは、ゲーム空間内のバグをすべて叩き殺して見通しを良くして筋を繋げる連中だから、こういったキーボードと相性が良いのだろう。
104キーボードを使うようになって、顕著に文頭にバッククォートが入ることが多くなった(気づくと削除するから実際にはそれほど多くは無い)。
JISキーボードとASCIIキーボードの慣れで最後に残った問題は、Enterの上半分ではなく、漢字キーにAltが必要がどうかなようだ。
木村さんは実在した人物の取り上げ方を酷評の理由ではないかと推測されているが、僕はまた違う推測をしている。
優れた作品だと思うし、その一番の理由は芸術に対するストレートな表現にあると考えているわけだが、それと同時に欠点もある。
おそらく、酷評のうち、「これはゴッホではありませぬ」という10月に対するプレハーノフのような愚かな連中はともかく(単に愚かだからだ)、打ち切り説とか兄貴が出てからつまらない説、後半駆け足説(打ち切り説の一種だな)についてはそう読むのもありだなとわかる。
巻頭というか第一巻の中途までのセオの快刀乱麻っぷりが絵柄の良さと相まって、あまりに魅力的だからだ。
結末を持ってくるには、セオが圧倒的な才覚の持ち主の必要があること、短期とはいえ連載をやる以上は最初に読者を掴まなければならないこと、この2点(もっと理由はあるかも知れないが、これだけで十分だ)を、最初のセオのパートが満たし「過ぎて」しまったのが問題で、そのあたりのセーブのできなさが作家がまだ新人に近いというところの経験不足なのだろう。
ようは、ここまで魅力的な主役を打ち上げてしまえば、その作品はこの主役が以後、パリの画壇(それにとどまる必要は全然ないわけだが)を舞台に、次々と発生する事象をスマートに解決していくタイプにしか読めない。
ところが、実は、スマートなセオ、当時のパリの画壇、画以外に何も能力がないフィンセント、二人の過去と因縁、フィンセントの飛翔、炎の画家の誕生という6つのパートをページ分量的にはバランス良く配分した作品だ。
ということは、頭でっかちでバランスが悪く、そのためぶざまにすっ転んだ(打ち切られた)ように、確かに読める。でも、ページ配分のバランスは別におかしくない。おかしいのは、最初に書いたように、冒頭からのセオの快刀乱麻があまりに魅力的な点だ。
実はフィンセントの無能っぷりパートでも、恋人に捨てられた婆さんのエピソードとか、なかなかうまく書かれているのだが(というか感動的でさえある)、セオと比べるといつもにこにこ、怒りを知らない無能もののフィンセントなので、お話の上ではともかくマンガとしては弱い。
と、作品としての欠陥があるのは読了して思ったが、そうはいっても、意図をはずさせないために、わざわざ現代のパートまで入れているわけだし、欠陥といっても、極度にポジティブ側に振り切れた結果なのだから、まあ悪いことではない(悲愴以外のチャイコフスキーの交響曲がどれもこれも、1楽章が実に素晴らしいのに、2楽章、3楽章、ああ、これもか(ピアノ協奏曲もそうだ)というのに良く似ている)。
というわけで、デビュー作も買ってみる。
寒いから(何しろ雪まで降る始末)江戸東京博物館の大浮世絵展へ行った。
いろいろ用が重なって、着いたのが14:30頃だったが、昼飯を食っていなかったので、7Fの和風レストランへ行く。好きな席へ行けと言われて(空いていた)、窓際の席へついたが、何しろ外はほぼ雪なのでガラスが曇りまくっていて外が良く見えない。国技館の屋根らしきものが認識できる。天気が良ければなかなかの眺めだろうに残念だ。ついでに味も残念だった(観光地のレストランと考えればこんなものだとは思うが、知っていたら丼ものにしておいただろうな。それはそれとして鰤はおいしい)。
入って最初に、自分がいかに浮世絵を知らなかったかを知った。菱川師宣あたりを祖とするものなのか。で、切手の単色濃淡のみで知っていた見返り美人が鮮やかっぽくて(この後も鮮やかではなく、鮮やかっぽい画がさんざんでてきたが、これらは経年劣化したものなのか、最初からそういう色なのかがさっぱりわからない。明治の芳年の犬塚信乃と犬飼現八は実に色鮮やかで、おそらく他のも最初は同じような色遣いだったのではないかなぁとは思うがわからないものはわからない)、ああそうなのかと見方が変わった。水墨画じゃないんだよな。
それから、春信があって、黒白二人連れを観て、ああこりゃすごいと思ったら、実に有名な作品なようで、またまた不明を知る。
で名前を忘れたが、順路上で入口をSの左下とした場合に、ちょうど右上に当たる壁にかけてあった画に惹かれる(Sよりは複雑だったような気がする)。モダンだ。これまた名前忘れたが、進行方向縦の右側の壁に3枚、顔の造形が三角錐の組み合わせで脱平面化したような書き方をしている(とは言っても浮世絵なので、別に線が入っているわけではない)不思議な画家がいたが印象的だった(が、忘れている)。
だんだん吉原風俗画が出てきて、浮世絵が大衆化しきってブームになりまくったことがわかる。遊女と客が恵比寿と大黒に仮装した画がおもしろい。
で、見ているうちに、歌麿が出てきて、なんか急に艶っぽい。なるほど世界の歌麿であるなと感心するが、とは言えしょせんは浮世絵の平面なので、何がどう艶っぽいのかと言うと、どうも唇が違う。それまでは、唇に紅(よりは薄いが、これも経年劣化かも)をひいていなかったのかな? と順路を逆に過去へさかのぼってみると、別に必ずしもそうではない。が、やはり歌麿に戻ると唇が特に艶っぽい。不思議だ。
で、写楽が出てくる。すると、210の説明に、196,197と同じ役者だがどうも精彩に欠けるとか書いてある。が、196,197なんて見ていないぞ? とまた過去へさかのぼって、どうやら目録の作品すべては展示されていないと知る。ちょっとがっかりだというか、比較できないものを比較した解説って役に立たないじゃん。
まあ迫力ある大首絵の次は全身が入った2人の画が出てきてまったく感心しない。ああ、それで写楽が何人もいたとかいろいろ説が飛び交ったのかと納得する。おそらく素人の迫力が数をこなすうちに技術力がついて、逆に二流の人に逆になってしまうという悲しい人だったのかも知れない。
で、広重。箱根の山が鮮やかではない(永谷園のお茶漬けだかのパッケージのおまけで見たことあるのと違う)。のあたりで、経年劣化で彩度が落ちているのかなぁとか思い始めたのであった。
が、月に雁に驚く。見返り美人よりも驚いた。すごく美しい。特に下方の青の美しさったらない。こんな美しいものが、切手になると枯淡の境地の構図だけの画になってしまっていたのか。
広重の直前のような、広重のような覚えていないが、着物の柄がでこぼこで色なく、はてこれはなんだろうと気になったが、後のほうの解説で、それを空摺りと呼ぶと知った。こういうのって、画家が指定するのか、それとも摺屋さん(というのかな?)が勝手にするのかどうなんだろうか。というか、画家の能力だけで決まるわけではないという点から、アニメみたいだなぁと思った(原画がどれだけ良くても、作画監督がだめだとアニメとしてはいまいちとかあるんじゃなかったけな)。
雪が降らない地方に53次に変化をつけるために雪景色にしたのだろうとかいう解説の次が、また雪景色で、この解説を書いているやつはいまひとつあてにならんなとか思いながら、先へ進む。
で、いきなり洋画のような北斎が出てきてこれまた驚いた。全然違うものが出て来た。(そういえば、そこより壁2つ分後ろに、実にきちんとした一点透視法で吉原の大門を描いたものを見て、浮世絵って実にしっかりとした遠近法で書かれている(良く良く室内風景を考えてみればそりゃそうだが、広重や北斎のようなデフォルメされた風景や、写楽の大首の印象が強いので遠近法は無視しているような印象があった))だなと知ったってのもあった。
で、遠くに富士山、近くに岩の上の漁師と釣り糸の2つの三角で、ああ、ゲームのルールをこいつが変えたのだなとつくづく感心する。
で、英泉。おれにとっては日本のクラナッハなのだが、ここに展示されているもの3枚を観てもそれほど感慨はない(ということもない)。でも青いのはほーと思った。そういえば月に雁も青が実に美しかったわけだが、当時は青がはやったのかな(青色LEDがはやったような感じかな)。
で国芳。化け猫のお約束は菰をかむった2匹の猫踊りとあるので、家の猫にも菰を買ってやろうと思いながら、かつをの解説に「猫好きの国芳がやってくれました」とか書いてあるので、一体この解説者はなにものかとますます謎は深まる。
明治になり、色が鮮やかになる(明治前でも黒船一覧みたいなのは色鮮やか)。女性の顔で妙に印象的なのがあったと思うけど、この時期は芳年の印象が強い。
とにかく、そういう調子で浮世絵の歴史を一望すると、構図の美しさが重要というか、構図が何より重要で、そして北斎はあまりに圧倒的で、残りの中では歌麿がまるでゴヤのように唐突にそびえたっている、というのが一言としての感想。でも広重や国芳がいたほうが良いのは間違いない。
天気も良くないし、平日だし、館内はそれなりに空いていて、見やすい雰囲気だった。
見終ると、ちょうど閉館時刻だったので、普通に眺めて2時間強くらい。
2/2は藤原歌劇団のオリィ伯爵を観に上野の文化会館。
藤原歌劇団は初見だが、目当てはオリィ伯爵を歌うシラグーザなのだ。国立のチェネレントラを観てから一発で気に入ったので、当然、観るでしょう。
オリイ伯爵は、ロッシーニらしい実にくだらないオペラで、曲もランスへの旅の多重唱曲を使いまくるは、例によって嵐は来るわなのだが、これぞオペラブッファという作品。
で、舞台セットはちゃち(子供によれば学芸会なみ)だろうがなんだろうが、実に楽しめた。というか、藤原歌劇団のソリストたちも達者なものだ。ランボーはランボーで楽しいし、アデル伯爵夫人(いや、これも例によって爵位の翻訳の難しさだろうが、伯爵令嬢なのだがコンテスなのだ)はアデルっぽいし、イゾリエは小姓っぽい。
オリィ伯爵の子分の騎士たちの修学旅行騒ぎ(部屋の中で酒盛りしながら放歌高吟していると、城の女性が見回りに来る、するとぱっと酒を隠して変装しなおしてお祈りを歌う(初回)、また放歌高吟、酒盛りしながら大暴れ、そこに女性が見回りに来て、あわてて変装し直してお祈り(今度は沈黙。すでに酔っぱらっているので歌えないという細かなシナリオ)。
アデルの寝室でのイゾリエ、アデル、オリィ伯爵の入り乱れての三重唱では、メトの演出のようにベッドの中での大騒ぎとはせずに、椅子を中心とした入れ替わりだが、それでもうまく位置を変えて飽かせずおもしろい。というか、シラグーザの声は好きだなぁ。
実に楽しい3時間だった。
Rossini : Le Comte Ory [DVD] [Import](Didonato)
ディドナートのイゾリエ、フローレスのオリィ伯爵、ダムラウのアデルと役者をそろえて、3重唱では斜めに立ててベッドの中で何をもぞもぞしているのか良くわかるような演出までしているので、つまらないはずはないメトのDVDも素晴らしい。騎士たちの修学旅行のばかばしいまでの面白さはこっちのほうが上だけど、でも、藤原歌劇団も良かったな。というか、シラグーザの声が好きなのだからしょうがない。
妻が図書館で借りてきて、おもしろいからお前も読めと寄越したので読んだ。
図書館の本にしては珍しく帯がそのままついていて、そこのキャッチコピーがすごい。
大奥の女中はエリート官僚!ひれ伏す幕臣、群がる坊主
群がる坊主! だいたいひれ伏す幕臣って、大奥には将軍以外は入れないんじゃないか? (でも絵島事件とかは知っていたから、大奥の人が外に出ることがあるという知識はあった)
新書らしく後半はページを埋めるために書きまくったという感じだし、整理が中途半端な感じで、いまいちまとまりが無いのが欠点だが、それでも十二分におもしろかった。
最初に桂川てやの死と、その周辺事情から書き起こす。全然、知らなかったが、ターヘルアナトミア翻訳チームの桂川甫周の妹(ちょっと曖昧。妻に返してしまったので調べ直せない)らしい。年齢16歳だが御中臈(局長クラス)。
つまりは、大奥の組織図や御典医(IMEの無教養っぷりに腹を立てながら辞書登録)を含む、特殊な幕臣の説明のパートだ。年収がどのくらいあり、どのような役割を持ち、どのくらいの人数がいて、どこにどう暮らし、といったことが書かれて興味深い。
はじめて知ったのは、当時の年俸は、米なのだが(五俵扶持とか)、同じ米でも標準米と魚沼産コシヒカリではえらく価値が異なるのは、現在でも江戸時代でも同じことで、大奥の人たちはブランド米相当の米が支給される(一方、普通の幕臣は普通の米)。支給された米は直接食べるわけではなく(それはそうだ)、換金するわけだが、当然、大奥の人に支給された米は高値で売れる。つまり、普通の武士よりも高給取りである。
が、好事魔多し。服代や部下の面倒などで金はがんがん飛んでいく。親父(御典医は世襲なので親父も医者)に呑んだくれてないで、もっと働いて金を稼げ(=大名を往診しろ)という手紙を書いていたりする。
というわけで手紙だ。
江戸時代の女性はこまめに手紙を書いている。桂川てやだけではなく、もっと下っ端の女中たちも実家に手紙を書きまくっていたりするので、当時の状況が調べられるのであった。恐るべし江戸時代。読み書きは武家だけでも男子だけでもなく、普通のことだったようだ(だから絵草子だの読み本だので商売できたわけだから、それはそうだよな)。
桂川てやは、大奥が火事になったとき、御年寄(取締役クラス)を探しに戻って焼死してしまう。
そこで、江戸では、別に猛火に飛び込んで死ぬこたないのに、とか、猛火の中に探させにいく(広大院――徳川家斉の正室、大奥の組織上は社長クラス――が御年寄の安否を聞いた)とはどれだけブラックな会社なんだとか、大騒ぎとなる。良い時代だ。
てやの姪っ子が家族から聞いた話を書き残している(これもおれは感心した)。猛火の中に取り残されているのだから、死んだようです、と不確定情報を報告するほど無責任な伯母ではないから、決死の覚悟で調べに行ったのだ、立派なことではないか。何も死ぬこたないなんて言ってくれるな。
というあたりから、では主命の主の広大院とは、お年寄りとはと、大奥の上のほうに話が移る。
一方、将軍の娘を嫁にもらう大名の事情(ところが、事実上は、将軍家への婿入りとなる)を、金銭の行き来をベースに説明する。薩摩藩が優遇されたことや、それにからんで一ツ橋家がどう根回ししたり、金を貰ったり、払ったりしたかとか。
(という具合に、なんとなく筋は通っている構成なのだが、トピックが飛びまくるので、いまひとつ読みにくく感じるのだが、抜群に面白い。とにかく金がかかりまくるのだ)
しかも、大奥には400人とかが勤務している(御用商人の相手をする人とか掃除夫とか、金勘定する役人とか、男も相当数存在する)。この人たちは、最後の賃金を終身貰える(しかし、年期があるので、30過ぎくらいで大抵は退職する)。
まるで倒産前のJALのように、退職した人たちへの企業年金で、幕府は疲弊するのだった。で、ついに年金の減額を行い不興を買いまくる。
一方、日蓮宗が大奥にしっかり信仰として食い込み、幕府お気に入りの天台宗と壮絶なバトルを展開している。
上野の感応寺(日蓮宗)は、他の宗派を認めない過激派だったので、幕府により住職遠島、天台宗への宗派替え、ついでに寛永寺の支部に変えられてしまった。そこで池上本願寺の坊さんが大奥を動かす。が、紆余曲折あって、日蓮宗の感応寺を雑司ヶ谷に新たに作ることになった。
そこに作れば奴らが来る。
たちまち、単なる田舎の百姓地だった雑司ヶ谷に江戸中から観光客がやって来る。
観光客がうじゃうじゃくれば商業が成立する。というわけで、雑司ヶ谷の百姓が次々に観光客相手の商店に鞍替えする(農工商の間を自由に行き来できているように読める)。
そこに、雑司ヶ谷復興計画に命をかける名主がからんで、大騒ぎ。
が、権力のバランスが崩れてしまう。家斉が死んだのだ。
たちまち雑司ヶ谷の感応寺は破壊処分となる。
名主の夢は破れ去る。
このパートもどえらく面白い。
紆余曲折の末、薩摩藩は怒る。犯罪者集団を藩邸に呼び込み、大奥に放火するわ、江戸市中で放火や強盗をしまくる。
幕府の滅亡は近い。
慶喜は鳥羽伏見から逃げてきて、洋装のまま大奥に入ろうとする(先代の奥さんの和宮に調停を依頼するためだ)。しかし、断られたのでしょうがなく、紋付袴に着替える。
官軍は江戸を略奪しまくり、虐殺しまくろうとしていたけど、和宮の調停がきいて、乱暴狼藉はあまりできなくなりがっかりする。江戸城は無血開城となる。
大奥も解散となり、年金を貰えない失業者が大量に明治の世に放たれたのであった。
(というくらい、本書の後半はあれよあれよというまに終わる)
おれのAmigaに、ダンジョンキーパーがやって来たときの衝撃はなかなか忘れられない。
死ぬよりも遅い2DDのFDを突っ込むと、扉があり、マウスカーソルが手のカタチになる。扉をあけてダンジョンをうろつくと、英雄たちの殿堂に入る。
額縁の中の画を見て、アメゲー丸出しの稚拙でカッコ悪いプレイヤーに多少幻滅しながらパーティーを組んで、さあ本当にダンジョンへ入ると……
おっかなかった。
いや、もう本当に恐ろしい。ゲームをやっていて恐怖を味わうなんて思いもよらなかった。
キキキキーとすごい声がしてはっと気づくと紫の丸っこいやつがいてアイテムを盗んで走り去るのは、声は怖いがなんかユーモラスで許せるが(アイテムを盗まれるのは許しがたいが)、巨大なピンクの牙のある芋虫がグキーグキーと鳴きながら襲い掛かってくればおっかないし、後ろに近づく音がして振り返ると、巨大な蟹の化け物がシャーシャーと針を振り上げるのもおっかない。ネズミもおっかない。
むしろドラゴンはおっかなくないが、強いからゲームの進行上はおっかない。
プレイヤーの絵のトホホっぷりに比較して、モンスターの姿と鳴き声に対する力の入れっぷりが凄まじいのだった(これがMSX版ウィザードリーのセンスの良いモンスターならおっかなくはないだろうが、ダンジョンキーパーの画は本当におっかなかった)。
でも、最後に魔法使いが出てくると、これがトホホホホホホホな爺さんで、このゲームを作った連中は人間嫌いなんじゃないか、とか考えてみたり。
(追記:ダンジョン・マスターの間違いでした。ダンジョン・キーパーも買ったはずなんだけど記憶ないや)
妻が図書館から借りて来て読んでいるが、お前向きでは無いから貸さないとか言うので、興味を惹かれて読んでみた。どうも、涙と感動の人情ものらしい。
ところがどっこい面白かった。例によって、返してしまったので記憶頼りだ。
ラテに感謝! How Starbucks Saved My Life―転落エリートの私を救った世界最高の仕事(マイケル・ゲイツ・ギル)
ニューヨーカーの60過ぎの爺さんがいる。足腰は弱っているし、脳腫瘍が(まだ致命的ではないものの)あって、その影響で片耳が良く聴こえない。
元はイェール大学を出て、すぐに友人の引きで大手広告代理店に入り、ばりばりのクリエイティブ(コピーライターだと思った)として活躍していた男だ。顧客のためによりよいサービスを提供するために利益を使い、ポジティブスパイラルで大きくなる。だが、52歳の時に転機が訪れる。切れ者の若手経営者がやって来たのだ。そいつの戦略は、ベテランを給料が安い若手に総取り替えすることだ。似たような売上を低コストで上げれば、つまりは利益率が上がり、利益が上がれば株価が上がる。それは良い、大賛成と株主も大喜びだ。経験を重ねた技術職なんていらないや。
というわけで、いきなり馘首(くび)になる。馘首を通告したのは、自分がダイバシティを取り入れるために、上司や同僚を説得して入社させた女性で、今では社長に収まっている。まあ悪いようにはしないから、リベンジは一切考えないことね。
というわけで、最初は起業した広告会社に、かってのクライアントから仕事を貰い順調に進む。しかし、さすがに年を取ると、かっては自分を可愛がってくれたクライアントの担当者も代替わりし、いつの間にか、まったく仕事がなくなっていた。
しかも悪いことに子供が5人もいる。5人目は浮気の結果の子供だ。というわけで、妻は馘首された後に去って行った。莫大な慰謝料と共に。
そこで浮気相手と暮らし始める。それまでの4人は、仕事一筋、クライアントのために徹夜でプレゼン作って、飛行機で世界中を飛び回っていたので、赤ちゃん時代を過ごしていない。ところが、今は仕事がろくにないので暇がある。赤ん坊をあやしていて、たったの二つの音節、pa-paという言葉の素晴らしさに気付き、感激する。一方、浮気相手は、ニューヨークのスマートなエクゼキュティブを引っかけたつもりが、貧乏な中年(当時)とわかり、これまた去っていく。後には子供が残った。
さて弱った、とスターバックスでコーヒーを注文し、飲んでいると、若い黒人の女性の店員が「うちで働く気はありますか?」と問いかける。
思わず「働きたいです」と答えてしまう。
それからいろいろあって、主人公(は、作者のマイケル・ゲイツ・ギルその人だ)は、ブロードウェイのスターバックスでバリスタとして働くことになる。
働き始めて驚いた。
スターバックスは従業員に保険がある。医師に診察してもらえるのだ。
上司は黒人の高校もろくに出ていない黒人の女性、同僚もみな黒人、これまでの人生ではあり得なかった環境だ。一日中立ち、生まれて初めてモップを使って掃除をする。だが、楽しい。
そして、彼は仕事を通じてそれまで知らなかった真実の幸福を手にするのだ。スターバックス万歳! 世界最高の会社だ。パートナーもゲストもベストなエクスペリエンス。
いや、粗筋を書くと、くだらないのだが、これは変な本だ。
まず、これは「全米が泣いた真実」の本だ。
書いているのは主人公本人だ。
そしてスターバックスのPR本ではない。(日本版にいたっては、スターバックスが書名に入らない。ダイヤモンド社だけど)
原書だって、ゴッサムプレスだ。ゴッサムね。
だが、これを書いているのは、真実の話であるならば、超優秀な(航空会社の社名をCIで変えて見事に成功したり、クライスラーの売り上げを激伸ばししたりした)広告マンだ。
仕事風景が始まる。主人公は過去の回想に入る。家族との交流であったり、子供にろくなことをしなかった反省であったり、広告代理店での成功であったり、上司としてのまずかった対応であったりする。そして現在に戻り、スターバックスで働いている現在の自分が(年取って、金がなくて、子だくさんで、いろいろなネガティブな要素があるにも関わらず)そこで働くことで交流している同僚(パートナー)や客(ゲスト)によって、いかに人間的であることか! と感激する。
このパターンをさまざまなバリエーションでこれでもか、これでもか、と繰り返す。
確かに、優秀なクリエイティブだったと見受けられる。うまい。
過去のエピソードが普通ではない。ジャクリーン・ケネディやパパ・ヘミングウェイは出てくる、父親は有名出版社の編集者なので(梶原一騎みたいだ)、父親の思い出話としてトルーマン・カポーティが出てきたり(梶原一騎の男の星座で太宰治が出てくるのを思い出す)する。クライアントもビッグネームばかりだ。
それに対して、かっては避けて通ったこと間違いなしの、黒人の巨漢の先輩(すごくいいやつ)や、黒人のラッパー志願のいかした気のいい先輩(こいつもいいやつ)、さすがに全員いいやつばかりでは話がおかしいと考えたのか、大学出たのにスターバックスで働いている自分の境遇に不満でいつも怒っている(おかげで、あやうく主人公は馘首になりかける)黒人女性も出てくる。
その同僚たちとの交流の合間に、かってまさに黒人女性を職場で追い出したことや、ショービニスト的な振る舞いや、人種差別的振る舞いを反省する。
要するに、えらく人工的な香りがする。強く炒り過ぎて、これはコーヒーの香りというよりは、コーヒーが焦げた香りではなかろうか?
何しろ、スターバックスでの唯一いやなやつの役回りの女性ですら、最後は海兵隊の士官候補になることになる。後味の悪さを一切残すことが無いようになっている。
だが、それがうまく計算されていて、おもしろい。
しかも、上に書いたように、すべてのエピソードが、序(ちょっとした出会い)破(過去の回想、たいていはネガティブ)急(現在の幸福。ほぼ常にハッピー)で構成されているから、淀みがない。ただし、エピソードは飛ばしながら、徐々に過去の全体像が明らかになるように構成しているので、読みながら頭を使う必要もある。
大した作家だ。
・店長(最初に就職するか? と聞いた女性)が、上部へのプレゼンで悩んでいると、昔取った杵柄が突き出してプレゼンの講義を始めるところは普通におもしろい。
・本当にアメリカ人って医者にかからない(かかれない)がデフォルトなんだなぁと唖然とする。どこが民主主義の親分なんだよ(というわけで、オバマは大したやつだなぁとか)
・大都会のブロードウェイに勤めていてさえ、通勤に1時間かかるというのは、あり得ないことらしい(まして1時間30分というのは、その時点で人間らしい働き方から外れるようだ)。
・売上は本来の金額から5ドルくらいまでは違算が許容されているとかあるけど、なんでこいつら、自動釣銭機を使わないんだ? (ローレルやグローリーが進出しているというのも聞かないしな)
・そこら中でアメリカのクラス(貴族とかがいるわけではないので、その時点での資産ということになる)についての格差が表現されているが、おもしろい
・というクラスまたがり(序(スターバックスのバリスタ)-破(一流出版社の編集者の子息、アイビーリーグの学生/卒業生、超一流広告代理店のクリエイティブ)-急(スターバックスのバリスタ)という構成)が、興味深く、しかもどちらのクラスの描写も説得力(本物っぽく思わせる書き方)があるが、こういうことをするのは難しそうだから、おそらく真実の物語というのは本当なのだろうなぁ、と思わせる
・真実の物語なら、なんとスターバックスというのは素晴らしい企業なのだ! と、結局はどう読もうとスターバックスという実在企業のよいしょ本になっている。
変な本だけど、というわけで、おもしろい。メタに読まずに感動しても良し、しかし普通に読めば、構成が過去と現在を行き来するし、過去は小出しなので、いやでもメタに読む必要があり、そういう点では知的な読み方を強いられるし、中身も知的好奇心を満たすようなことが相当あるので、おもしろい。
いや、おもしろかった。
アスキーの(カドカワだけど、アスキーメディアワークスはアスキーだからいいんじゃないかな)鈴木さんに昨年の末に頂いたんだけど、とりあえず読み終わった。
50 Android Hacks 開発現場ですぐに役立つヒントとコード (アスキー書籍)(Carlos Sessa)
(リンクはKindleだけど、貰ったのは紙の本)
ちょっと不思議な本だ。
Effectiveタイプの本ではないし、チュートリアル本でもない。
章立てとしては、第一章が「レイアウトに取り組む」、第二章が「クールなアニメーションを作成する」とくるけど、UIに特化しているわけでもない。第五章は「パターン」だし四章は「ツール」だ。
かと思うと、第8章では「他の言語とのやり取り」という章題でItoa(iOS to Android)というライブラリを使ってObjective-CでAndroidアプリケーションを書く方法を示したりする(NDK側に落とし込んで、JavaはMainActivityとかの最低限必要な処理だけ記述するのだが、それなりに良さそうな気もするが、試してみないとわからないよね)。
その一方、レシピには成りきれないのだが、第9章が「すぐ使えるコードスニペット」とかでMP3を使う方法とか写真を使ったり撮ったりするコード片が示される。
第10章では「データベース初心者からの脱却」と書いてあるのだが、SQLiteに被せるORMLiteというORMライブラリを紹介したかと思うと、SQLiteにネイティブ関数を埋め込む方法を示したり、なんでもあり。
第8章と並んでおもしろいのが第11章で章題は「断片化を回避する」とあって、はてメモリフラグメントとかのことか? と思うと、複数バージョンのADKに対応させるためのプログラムの書き方になっていたりして、最後の第12章が「ビルドツール」でJenkinsを使って、複数種類のデバイス用のビルド管理方法を示したり。
まとまりはあまりないのだが、個々のトピックはおもしろいので、雰囲気としては、往時のMSDNマガジンやDDJの連載の単行本化みたいなものがある。中にはAOPみたいに、実際に使うのかなぁとか思わざるを得ないものもあるけれど、そういったいろいろな割と高度(といって良いと思う)な、トピックを50種類、12章のカテゴリにまとめた本だ。
副題には「開発現場ですぐに役立つヒントとコード」とあるけれど、一部を除けばピンポイントですぐに役立つとは考えにくいものばかりと思う。しかし知っていると、必要になったときにえらく楽ができるのは間違いなさそうなので、すぐかどうかはともかく、役立つヒントとコードというのには偽りはなさそうだ。
そういう意味では、Android開発しているのなら、手元に置いておくというよりは、とりあえず眺めて、こんなときにはこんなことが使えるというのを頭に入れておくための本だ(そうなると、手元に置いておく必要が出てくるわけだけど)。
iPodの中には山のように音楽が入っていて、既に何がなんだかわからない状態だ。さすがに買ったやつは大体覚えているが、そうはいっても一番古いのは20年以上前だし、レンタル屋で借りたやつとか、友人から譲ってもらったやつまであるので自分でも全容がわからない(残念なのは、一番最初に思い立ってリッピングを始めた時、ロック/ニューウエーブはすべて64k MP3にしたことで、iPodやiBook(当時はiBookだった)で聴いているときはまったく気づかなかったが、異様に音が貧弱なことだ。が後悔先に立たない(Book Offに全部売ってしまったからだ))。
ふと気づいてみてみると、10年前で、まだiPodがたったの15Gしかない。
ここで自分を愚かだと思うのは、次の順に処理してしまったことだ。
1)そうだiPodに全部入れよう。
2)最初はクラシックではなく(この判断はOK)、ロックだろうな。移動向きだし。
3)とりあえず、何か忘れたけど1CDリッピングしたらしい。デフォルトだからAAC 128Kじゃないかな。
4)げげ、サイズでか過ぎ。これは入りきらないな。
5)良くわからないから、MP3の64Kにしてみよう。
6)お、これならいけそうだ。
7)まずはボウイ、リード、そしてポップグループとかだなという調子で、良く聴く、好きなやつからリッピングを始めている。
ウィ・アー・オール・プロスティテューツ(最後の聖戦)(ポップ・グループ)
(今でも好きだよ。ベースがブンブンブンブンと鳴るとマークスチュワートが、We Are All Prostitutes !とシャウトする。追記:嘘ばっかり。それはForces Of Oppressionだ。We are all prostitutesはピピピピピピと笛が鳴るやつだ)
あー、バカ野郎。なぜ、そこで好きなやつからMP3 64Kなんてやつで入れるんだよ。
で、1/11の日記を読むと、さすがに余裕過ぎだとAAC 128Kに設定を変えてやがる。(が、やはりでか過ぎて、すぐにAAC 64Kに変えていることがわかる。が、しょせんG4のiBookなので、エンコード速度が遅いとまたMP3 64Kに変えている。で、その後にダウランドコンソートのやつまで入れている。なんてバカなんだ。その後、容量が大きいやつに買い替えることになることをなぜ予測しないのか。あるいは、PowerBookに買い替えているんだから、もう一度リッピングし直せよ~と後知恵で考えても、死ぬほど面倒だったし、Book Offした後だから後の祭りの笛太鼓だよ。
それから10年経って、カーステレオである程度まともなスピーカーで音量を上げて聴く機会が増えて、唖然とするほど音が悪いのであった。ポップグループのダブはこんな音じゃねぇ。ボウイのヤングアメリカ時代はもっと切れがあるよ。でもSuicideはこんなものかな。
で、先日、車の中でやたらと音が悪いラボエームの二幕が流れてきて、まるでMP3 16Kくらいなのだが(もちろんそんなものはなく、クラシックのリッピングを始めるこ頃にはマシンもiPodもクラスが上がっていたのでAAC 128Kのはずだ)、すさまじく素晴らしい。クラシックの場合、ランダム再生だとすぐにトラックが変わってしまうのだが、これについては全然途切れないので、はてこれはなんの海賊版だ? と不思議になる(くらい音が悪い)。
音は悪いが、音楽はとにかく素晴らしい。
テンポは緩急自在。驚くほどだ。こんなに緩急自在にライブで演奏できるのは、世界広しと言えど、ウィーンフィル(だがオペラはやらないけどと思ったが、ウィーンシュターツオーパーになるわけか)かスカラ座しかいないんじゃないか。
なんのCDだろう? 雑踏の速度と4人組+ミミの速度がくっきり異なっていて、世間と4人組の世界が同時進行でありながら異なる世界であるように感じさせる。
ルドルフォの声は甘すぎて(というよりもドンくさくて)あまり好きになれない……つまりパヴァロッティだな。で、ミミは誰かわからないが、ムゼッタのワルツがこの世のものとは思えないほど美しい。しかもテンポは相変わらず緩急自在だ。
指揮者もムゼッタも普通じゃない。この声は、聞き覚えがある……ポップだ。とすると、指揮はクライバーなのか? でもスカラを振ったっけ?
と考えているのだが、音楽があまりにも素晴らしい。あまりに素晴らしくて、曲を切っていないのに、観客が拍手してしまう。田舎の劇場ならともかく、もし推測通りにスカラ座だとしたら、信じられない。スカラの観客は、いったい、舞台の上で何を目撃したのか? ほんものの音楽だろう。
あまりに素晴らしいので、同じCDを一幕から通して聴くことで子供と意見が一致して(ランダム再生をやめたり、結構面倒だが、子供が操作してくれた)、家にたどり着いたが、そのまま車を走らせることになってしまった。
1幕も素晴らしいのだが、あー、おれは本当にパヴァロッティが好きではないのだ。それでこれまでまともに聴いたことがなかったのだな、とわかる。
わかるのだが、やはり素晴らしい。指揮者とオーケストラがまず普通じゃない。美しき乙女よに入るところの本当に絶妙な間。本物の音楽は音が鳴っていなくても音楽がある(それは当然で、作曲家が休符を指示しているからだ)。
2幕、2度目なのでますますオーケストラの動かし方がはっきりとわかる。やはり普通ではない。遅いところは異様に遅いのだが、それがぱっとすごい速度に変わる。再生される音は最低なのだが音楽は最高以上だ。
3幕、ロドルフォがマルチェッロにミミは病気なんだと歌いはじめ、陰で聞いてきるミミがあー私は死ぬんだわと歌うところ、でロドルフォに戻るところ、が信じられない。パヴァロッティとは思えないほど、素晴らしい(もちろんパヴァロッティは天下の名歌手だがおれの好きな声ではない)。あまりの素晴らしさに、一瞬歌が途切れたところで、1人、見事なタイミング(うん、これはスカラ座だ)でブラーヴォと入れる。本物のライブだ。
というか、ポップのきんきんした悪口合戦もいいなぁ。というか、ここの4重唱がこれだけ美しく聞けるとはなんてことだ。
4幕、ロドルフォとマルチェッロがくだらない口喧嘩の後、あー、あの生活は夢だったよなぁとかしみじみと合唱するところの美しさ。
これまでクライバーはすごいやつだとわかっていたが、すごいやつどころの話ではなかった。
信じがたいプレミア価格をつけているやつがいるが、それ以上の価値はある。
それにしても、この演奏は本当に驚きだ。
昨日の夜、なんか妻がテレビを観ていた。オリンピックの話っぽかったのでスルーしようと思ったのだが、ちょっと観始めたらえらくおもしろかった。
観始めたあたりは、プルシェンコが4回転ジャンプをしたのに、アメリカの黒い天使の羽ばたきみたいに腕をくるくるさせる奴(名前は覚えていないし、調べるのは面倒なので、以下も一部を除き、こんな書き方するけど、こいつのスケーティングは観ていてえらくおもしろいなぁと思ったのは覚えていた)が金メダルを取ったのでプルシェンコがわざわざ1位の台に上ってから2位の台へ進むところだった。
で、そういうこともあって、オリンピック委員会でも競技の採点方法を変えて、ジャンプの比重を高くしたというようなことを言っていた。そのため、誰もが4回転ジャンプをする時代に突入した。
(というような、競技としての採点方法の話と、プルシェンコに憧れてとんでもなくカッコ悪いマッシュルームカットにした子供の羽生の写真を出して、とにかくプルシェンコが大好きというような談話をさせたりする羽生の話をうまく混ぜながら番組は構成されていた)。
で、1日に60回ジャンプの練習をする(多分、中学生のころだと思う)とか語っていて、そのころの練習風景が映るのだが、転びまくって体中傷だらけになっている。でも楽しそうだ。
おお、本当の天才だ。というわけで、俄然興味を惹かれて観ることにした。
天才ってのは、大山倍達みたいに、きみぃー、石を手刀で割るなんて簡単なんだよ。正拳突きを一日100回、10年やればいいだけだよ、と気軽に話して、その通りのことをしてみせる奴のことを言うのだ。あるいは、テニスの王子様(これはマンガだけど)みたいに、あーテニス部の部活が終わったー。疲れたねー、とか言いながら、他のやつが家帰ったら宿題やらなきゃとかゲームするぞとか言っているのに、おれは家に帰ったら親父とテニスすんだよ、とか言うようなやつのことだ。モーツァルトの曲はあまり好きではないが、「なんで他の作曲家は遊ぶひまがあるんだ? おれは朝から晩まで作曲しているけど、まだ作曲する時間が全然足りないのにな」とか不思議がっていたということを知ってから、人間は好きになった。
で、また試合の採点方法の話になって、その4回転時代にいち早く適応したチャンが出てきて、あっさりとアメリカの黒い服の人を抜き去った時の、ジャンプの技術点でどう差がついたのかが説明される。
そのころ、羽生はサルコウジャンプの練習をしている。が、とにかく着地に失敗して転んでは起き上がって飛んでは着地に失敗して転んでというのを延々と映す。そこで解説が入って、4回転は勢いがいるので普通はトウループでやるもので、トウループというのは左のトウで蹴って飛ぶのだが、羽生はサルコウで4回転を飛ぼうとしている。サルコウというのは右を回して左のエッジで跳ぶ方法で、難しいので4回転に使う選手はいないとか、図解が入って、おもしろい。
次に、キムヨナのコーチで今は羽生のコーチの人が、羽生とチャンのロングのプログラムの組み方の差を説明する。
羽生はサルコウが跳べる。これは必勝パターンなのだ。同じジャンプは1試合に1回しか飛べない。カナダは、4回転ジャンプはトウループしかできない。そのため、4回転のトウループを1回ともう1つは4回転と3回転(忘れたけど)のコンビネーションにする必要がある。前半の疲労度は高くなる。ところが羽生は10回に1回しか着地に成功しないが、サルコウの4回転ができる。そこで前半にサルコウとトウループの2つのシングルの4回転を入れることができる。チャンより疲労せずに後半へ進められる。これは猛烈なアドバンテージだ。すると後半の10%増し(後半は疲れるからかな? 点数を嵩上げする決まりらしい)では、より有利な状況でコンビネーションを跳べる。羽生の実力なら後半のコンビネーションジャンプでミスする可能性は限りなく低い。つまり点数が大きく稼げる。要するにサルコウに成功すれば問題なく勝てるし、仮に失敗しても後半の10%増しで点を取り戻して勝てる可能性がある。
おー、無茶苦茶おもしろい。スケートのコーチって、プログラムの点数配分設計のプロなのだな。
それはそれとして、練習重要だなぁとか、いろいろ感じるところがあった。コーチの設計もおもしろかったが、羽生はすごいな。
public class Foo implements Serializable { transient Bar barbar; private void writeObject(java.io.ObjectOutputStream out) throws IOException { out.writeBoolean(barbar == null); if (barbar != null) { ByteArrayOutputStream bs = new ByteArrayOutputStream(); barbar.dump(bs); byte[] ba = bs.toByteArray(); out.writeInt(ba.length); out.write(ba); } } private void readObject(java.io.ObjectInputStream in) throws IOException, ClassNotFoundException { boolean noBarbar = in.readBoolean(); if (!noBarbar) { int len = in.readInt(); byte[] ba = new byte[len]; in.read(ba, 0, len); barbar = Bar.undump(ba); } } private void readObjectNoData() throws ObjectStreamException { } static final long serialVersionUID = 0x121212121212L; }
クラスBarのundumpはファクトリメソッドで、与えられたダンプデータからBarのインスタンスを復元するものとする。だったら、Serializableにしておけよと思うが、そういうような仕組みになっている既存のやつだからしょうがない。
これが死ぬ。barbarのNullPointerExceptionだ。つまり、readObjectで読み込んだbaがおかしいらしい。
ところが、この後にデシリアライズするオブジェクトは正しく復元されている。つまり、ObjectInputStreamの読み込みポインタが途中でずれているという問題ではない。
正直、困りまくった。
結局、現場検証しかない。で、順番にいろいろログを仕込んで最終的に、次のがビンゴだった。
int resultLen = in.read(ba, 0, len); Logger.log(DEBUG, "unmarshal Bar", "size=" + len + ", result=" + resultLen);
読み込んだサイズが読むべきサイズより小さい。
????
で、あらためてObjectInputStreamのリファレンスを見て、以下のように修正。
in.readFully(ba);
これで正しく処理できるようになった。
でも、これってすさまじく愚かな仕様に見える。writeFullyがあるのならともかく、readだけなぜこんな仕様なんだ? (読み込み時間の短さがオブジェクトの復元よりも重要な場合に、早めに切り上げられるように小出しに読めるようにしたという理由はあり得るかも知れないけど、ならばwriteFullyがあっても良さそうに思えるのだが)
もう先月のことになるが、親のところに行ったら、なぜかスーホの白い馬がブームになっていて、何冊か置いてあったので全部読んだ。
物語は、どれも大体同じ。
スーフとかスーホとかいう名前の子供が白い馬と友達になり、いつも一緒にいて心を通わせているために、すばらしい乗り手となる。
王様が開催した優れた馬乗りを選抜する競技に参加するのだが、王様はみすぼらしいスーフだかスーホは気に食わないが馬はとても気に入る。かくして馬を没収してスーフだかスーホだかは叩きだす。(娘の婿選びとしている場合もある。次の王は優れた乗り手であり武人である必要があるのだろう)
馬は王様の元を逃げ出し家へ帰る。しかし素晴らしい馬を手放すくらいなら殺してしまえという王様の命令により、帰り着いたときには馬はすでに瀕死で、すぐに死ぬ。
馬の遺言により、スーフだかスーホだかは馬頭琴を作り奏でる。
粗筋にすると大した話ではないが、すぐれた画と文章がつくと、馬と少年の心の通い合い、権力者による裏切りと暴力、死による別れと芸術による再生の、見事な物語となる。
多分、一番普通のやつ。悪くはないが、今となっては、良くもない。
これは評価が難しい。正直言うとメメメメルフェン調に過ぎて気持ち悪いのだが、ここまで幻想的にしてしまうのも、それはそれでありかも知れない。
で、絵柄が古臭いし、ちょっと気持ち悪いので後回しにしたやつが衝撃的だった。
スーフと馬頭琴(ばとうきん) CDつき (モンゴル民話)(アルタンホヤグ=ラブサル)
つまり、これが最も素晴らしかった。
社会主義リアリズム調の画で、血は血として描かれる。棍棒が容赦なくスーフを襲う。血は大地に染みわたる。騎馬軍団が放つ矢が容赦なく駆ける馬に降り注ぎ、突き刺さり、血が流れる。
馬を解体して骨で楽器を作るところまで生々しい。
グロテスクで、生々しく、幼児に与えるとしたらちょっと考えてしまうかも知れない。まるで現実のようだ。
それだけに、孤独な少年が馬と出会って過ごした幸福な日々から一転して、暴虐の王への怒りや、その取り巻きの醜さ、馬と少年の最後の心の通い合いといったものが、ストレートに表出されている。
どれか一冊といったら、これだ。
追記:思い出したが、最後のスーフの馬頭琴が素晴らしいのは、画が持つリアリズムのせいで、暴虐の王の気持ちまで読めることだ。
他の本では王は単なる機械仕掛けの悪神に過ぎない。
しかしスーフの馬頭琴は異なる。
緻密なまでに王とその臣下、臣民を描いているために、政治状況から競技の意図までが読めるのだ。それは文章ではなく画の力だ。
年を取り戦闘力が落ちた王は、強い王国の後継ぎを本気で求めている。
そこに現れたみすぼらしい本来参加する資格もなければ勝利することもあり得ない身分が異なる異界の者が勝利してしまう。これを認めれば王の権威も臣下からの信頼も王国のありようも、これまでの政策も、すべてが覆る。
王として取り得る最も適切な手段として、勝利は馬によるもので、乗り手は無関係だとするしかない(本物の名君であるならば、ここでスーフを正当な勝利者であるとして万民を納得させることができるわけだが、そこまでの器ではない)。
そのため、臣下も臣民も喜んでスーフに対する迫害に加担する。
馬は武器なので、逃走して敵となる可能性があるのであれば、殺す。殺す側も命がけだ。
敵にも理があるからこそ、スーフと馬の悲劇は強調され、復讐へ向かうのでもなくいつまでも嘆くでもなく、スーフは馬頭琴を奏でることで折り合いをつけるしかない。機械仕掛けの神による運命の変転ではなく、自らの選択が招いた真の絶望がそこにはある。それはものすごく静謐でありながら哀情にあふれている。
別解)だが、庶民は権力に積極的にかかわるべきではないという封建主義下での処世術が導かれることこそ子供用の本としては避けるべきという考え方もある。
先日妻が充電式の掃除機が欲しいとか言い出した。以前もそんなこと言ってろくでもないものを掴まされたことがあったのでやなこったと返したのだった。
というのを忘れた頃、洗濯機が壊れてビックカメラに買いに行ったら、「これなんだけどなぁ」とか言うので何かと思ったら充電式の掃除機で、まだそんなこと言ってやがると思ったが、マキタと書いてあるので考えが変わった。マキタなら、モーターはまともなはずだし(以前のはモーターが弱すぎたけど卓上用だったから比較しようがない)、バッテリーもまともなはずだし、そもそもこんな製品で名前にケチをつけるようなことも無いだろう。というわけで試しに使ってみたら、当然だがまともに吸う。連続使用時間は20分とか書いてあって短いがまあ掃除なんだから10分も動けば十分だから問題なさそうだ。しかもメーカーがメーカーだから、バッテリーが使えなくなるころにはメーカーもなくなりました、ってことはないだろう(というのが以前のろくでもないやつ)。
で、その日は洗濯機の日なので後日ということにしたが、結局、通販で買ってしまった。さすがに、取り付け作業や古いのの引き取りとかが必要な洗濯機のような大物でないと、ビックカメラで購入するメリットは乏しいなぁ。
で、ビックカメラで何種類か見た結果、18Vのやつが吸引力と重さの兼ね合いから丁度良さそうだというのはわかったのだが、紙パックの有無とか他にも選択のファクターがあって迷う。が、家庭で使うのだから紙パック式にしてみた。案の定、紙パックはすぐにいっぱいになり、コストパフォーマンスは最悪だとわかったが、再利用できる不織布パックもついていたから、そちらを普段は使うことにした。
マキタ コードレス掃除機CL182 紙パック式 標準40分稼働/充電22分 ハイパワー上位モデル 18Vバッテリ充電器付 CL182FDRFW(-)
羽のようには軽くはないが、階段の掃除とかするには余裕だし、持ち上げて高いところも数分なら掃除できるし、こんなものだろう。吸引力は期待通り。後、わかってはいたが、やはりコードが無いというのは本当に素晴らしい。今まで、コンセントの付け替えとか、本当にくだらないことで余計な手間を取らされていたのだな、と実感する。
しかも、ビックカメラで使ったときは周囲が明るいので気付かなかったが、本体に白色LED(だと思う)がついていて先端を照らすようになっている。これが机の下とか掃除するときにすさまじく便利。
ただ、製品構成でバリエーションが多いので最初は悩んだ。
たとえば、
マキタ 18V充電式クリーナー CL182FDZW(本体のみ) +バッテリーBL1830B付セット(アクセサリーバッグ付)(-)
お、安いと思うと充電器が付いていないという罠。
それにしても、マキタとかダイキンとか以前なら業務用市場にしか出ていなくて、消費財としてはお目にかかることがなかった製品が普通に買えるようになったのはどういう変化があったのかなぁ。
追記:というわけで非常に良いのだが、気にくわない点もある。音はなかなか強烈(モーターが手元のほうにあるから耳を直撃する)。まあそれは言いがかりのようなものなのでどうでも良いとして、厭なのは静電気によって髪の毛がT型ノズルやチューブにくっついて取れないことだ。ナショナルの元々使っている掃除機ではそんなことはないので、そのあたりは家電(一般消費財)の王様のほうが材質の選択がうまいのではないかと思う。そういった細かい使い勝手では同じくナショナルのやつは先端ノズルがブラシあり無しをうまいギミックにしているけど、そういった考慮まではない(尖ったノズルはアマゾン書影の通り、筒にくっつけられて便利だが別売りのブラシノズルはそうはいかない)。
マンガでも読みまくるかと、Kindleマンガを買い漁っていたのだった。
(BWでは読む気にはなれないが、iPad4だとまともに読める)
で、いましろたかしと狩撫麻礼のやつは読んでいなかったなぁとタコポンを買っていたのだが、上巻、下巻ともにKindleだと3部に分かれていて6回もクリックが必要で面倒だったらありゃしない。
(おれにはえらくおもしろいが、今の感覚だとどうなんだろうなぁ。まだ携帯が出始めの頃で、女子高生の娘はポケベル買ってくれとかねだっているし。でもいかさま紳士が六本木でイタリアンスーツというのは今でもそれほど変わっていなくておもしろかったり)
しかも配信先はデフォルトでBWのほうにしているので、買う時に配信先をiPad側に切り替えるわけだが(BWに配信されても読む気にならないし容量を抑えたいから結局削除することになるので無駄過ぎる)、そうすると購入後に表示されるページからは切り替えられるのかどうかがわからないので、元のページに戻っては、この本を買った人はこの本を買っていますをたどったりするわけだ。
で、それをiPad上でやっていたからだと思うが、さてタコポンを読もうとしたら買った覚えがない本が配信されている。
なんだこれ?
で、マイkindleで見ると100円しないから、まあいいや(多分、おれのオペミスだろうし)とあきらめて読んでみた。
ら、おもしろいではないか。
なんというか、タコポンに引きずられて感覚が20世紀にスリップしたからかも知れないが、往年の吾妻ひで夫のSF書いてみましたみたいなセンスと絵柄に思えて好感も持てる(最初は、買ったつもりがないので結構憤慨して読んでいたのだが)。タコポンと違って、普通に21世紀の作品なので、その分シニカル度が上がっているのも良い。というか、アクションって一時期エロ漫画雑誌になっていたと思ったら、また以前みたく、ちょっとひねった通な作品の発表誌になったのか? (たとえば、大友克洋はアクション出身)
というわけでお約束の世界を山ほど散りばめているから普通におもしろいのだ。ちゃんと巨大怪獣対巨大超人ものになっている。
主人公(変身する)は黒髪おさげの女子高校生で当然相当に天然入っていて、その憧れの先輩がカメラ・ビデオの記録マニアで解説もしてくれるとか、怪獣が巨大でビルを壊すし、変身後の巨大正義の宇宙人も当然ビルを壊しまくって損害賠償されたら困るをネタにするとか、宇宙人が妙に客観的に批評をくだしたりとか(ちょっとパーマンの宇宙人みたいだ)。
宇宙人に肉体を使われるという点ではウルトラマンとかウルトラセブンみたいだが、あちらは事故で地球人側は死んで肉体だけを貸した状態だけど、ここでは主人公と宇宙人が脳内掛け合い漫才をするので、その点ではたった一つの冴えた方法みたいだったり、値段以上におもしろかった。
なので、Kindle化されている分は全部買ってしまった。まあいいか。
ジェズイットを見習え |
_ むらまさ [> で、写楽が出てくる。すると、210の説明に、196,197と同じ役者だがどうも精彩に欠けるとか書いてある。が、1..]
_ arton [どうもそうみたいですね。全部見るには何度か脚を運ぶ必要がありそうだけど、ちょっと無理ですねえ。]