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でもないが、
これはさすがに、悲憤慷慨がうっとおしい。それだけ使命感があるのかも知れないけど、単に溜まった鬱屈を迸らせているだけにも感じる。
ようするに、めぐまれてないと言いたいのだな。予算は少なく、しかも相手はすぐ腐るナマモノだ、と。なんとなく、実験家というか、臨床家が、理論家にコバカにされるようなアカデミズムの中にいるのかな、とか本の内容とは関係ないところの腐臭を感じさせるようなところが多い。実に多い。そのため、科学する心の大切さを説いても、なんとなく逆にバイアスがかかってしまうよ。
でも、待て、めぐまれてると思うぞ。ルーズベルトが撃ち殺しまくったスミソニアン博物館の収納庫を眺めまくり、カントの時代からの啓蒙君主に保護されて将来のためにきちんと集められたウィーンの博物館でコウモリを調べまくり、ちゃんと歴史の中で生命がどう変わってきたかを時空を超えて考察し、しかも見てくれではなく遺伝子のレベルで近似性を判断できる。
それにしても啓蒙の時代がこんなところにも出てくるとは、思わなかった。
うっとおしくはあるが、博物館の意義、意味というものを初めて言葉で納得させてもくれる。今は未知だが、将来の既知の種を撒くということなのだな。理性を使う準備のために悟性を育むってことか。
ちょっといろいろな意味で面白かったのが、西表島山猫についてのところ。日本独自の特別な山猫だと思ってたが、どうもマレー山猫に非常に近い(遺伝子のレベルでは。外見は似ても似つかない)。つまるところは、地続きだった大陸側からのこのこやってきて、(当時)陸の果ての西表島あたりに取り残されたってこと。
これって、地形的には尖閣諸島のあたりって大陸と地続きで、列島とは地理的に別の区切りだったってことだよね、とか。いや、日本のものになってるほうがたぶん魚が食えて良いのだけど。(ガスとか、燃焼が必要なエネルギーについては、また別の角度からも考えられるわけだし)
たまには博物館に行って、訪問者数をカウントアップしたりすることに貢献するとしよう。
という具合に、せっかくのおもしろい題材、こちらにとって未知の知見(良質な知見は見識を広げてくれるし、それは他の分野を見る場合に新たな角度を付ける役に立つ。見る角度が増えるというのは、洞窟の中の蝋燭の数を増やすことに通じる。つまり、影=イドラが減る。それは何者にも増して重要なことだ)の塊のような良書なのだが、筆者が論文ではなく一般のための新書という形式を勘違いしたか、あるいは編集者が筆者が書きやすいようにそうリードしたのかわからないが、あるいは専門的な話ばかり続くと読者が退屈するから筆者に感情移入しやすいように心情吐露をとろしまくれとサジェスチョンしたとかなのかも、とにかく自分の研究の恵まれなさに対する悲憤慷慨ががんがん出てくるのがうっとおしい。
というわけで、以前読んだ目玉カカシのような楽しさには欠けるのだが(あの本の著者もちょっと外れている地点にいるのだから同じような悲憤慷慨でがいがいできそうだけど、そういう点がほとんど見られない。もしかして、生きてるものと死んだものという分野の違いもちょっとは影響してるのかな、とも思ったり)、十分におもしろかった(かなぁ?)。
フォードのやつは、レーザーディスクで持ってるので何度も見たものだが。ジェームズキャグニーは最高の俳優だからえらく面白いわけだが。しかももちろんフォードはフォードだ。
栄光何するものぞ [DVD] FRT-040(ロバート・ワグナー)
えー、500円なのか! 見てないやつは是非買え、すぐ見ろ。と言った舌のネも乾かぬうちに↓
でもなぁ。違うんだよな。
近代フィルムセンターで見たウォルシュの栄光(こんなにミスリードなタイトルは無いね、それにしても。What Price Gloryなんだから、栄光何するものぞのほうが正しいし、直訳して栄光の価格でもいいじゃん。単に栄光で、戦争映画っていったら、突撃みたいなのを想像すると思うな)なんだよな、おれの見たい栄光は。
ノッポのヴィクターマクラグレンとチビのロウ(……いやロイベと読んでやっても良いけど)(追記:逆かな? フォード版だとフラッグがキャグニーだ。なんとなく背が高いのがフラッグのような記憶があるんだが)が肩組んで港を歩いている。で、殴りあうんだっけな? 女をめぐって。で、ストーンと埠頭のてっぺんから海へ落ちるシーン。あの、ロングでふざけあう野郎ども(殴りあうでもいいんだけど)、のロングってのは本当におもしろい。どれだけ血まみれの死闘でも、それをロングで撮るだけで愉快な光景になるってのは、ファスビンダーの悪い神々だったかな、でもすごく印象的だったわけだが、それが急転直下の縦移動でボチャーン。これだよ。これがコメディだよなぁ。とあまりの可笑しさに、笑い死ぬんじゃないかと、おれはあのとき、近代フィルムセンターの腐った椅子(思い出したけど、竹橋の地下でやってた時代のことだ。椅子のネジが取れてたり座面が傾いていたりひでえ環境だった)に苦しみながらもとても幸福だったわけだ。
あるいは、サイドカー付きのバイクのよたれっぷりとか。ウォルシュってすごくいい加減なんだが、つまりはいい塩梅なんだな。でもフォードはちょっと固い。だからどうしたって戦争の悲惨な側面とかラストにかけてるんじゃないかとか。
それは、第2次世界大戦を間に挟んでしまったから、というのも原因かも知れないけど。
でも、おれはウォルシュの栄光をもう一度見たいのだった。男の友情ってのは本来的にはああいうおばかな描き方のほうがしっくりくるしな。
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