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先日、妻がテレビを観てたのを、横から観たらやたらとおもしろそうなので一緒に観てしまった。速水御舟「名樹散椿」
番組では金地の謎(金箔にしては異様に暗い色調だそうだが、そのての知識はないので面白かった)にフォーカスしていたが、おれは妙な立体感がとても気になった。というのは、日本画というのはのっぺりした表現を基調とした芸術だという印象があったからだ。だが、椿の花が浮かび上がり、右側の幹はごつごつ畝っている。
というわけで、土曜に山種美術館へ行った。
東から(最近開通した)乃木坂へ抜ける道沿いにあるとは知らなかったが、チケット式路上駐車ができるので楽勝だ。
で、特設展を見ると、自分でも意外なことに実におもしろい。いつの間にか枯淡の境地へ立ち枯れたか、と自問自答してみるまでもなく、近代の日本画はイメージの日本画とは異なるのだなぁとか思って作者を見ると狩野派の画家で、全然近代じゃないじゃん(近世だ)とか、いかに自分が日本画を知らないかを知らされる。
そういえば、狩野の画が花見(しているのは玄宗と楊貴妃)なのだが、染井吉野は江戸時代末期にお江戸で改良されてできたということは、当然、この画の桜は本当の桜ではないはずだと思うがやはり淡い色の桜なので良くわからない(狩野常信という江戸初期の人と後で知るけど、いずれにしても染井吉野じゃないね)。
で、なぜ面白いのかと観ていくうちに、構図勝負ということがまずわかってくる。でっかな枠組みの中にどう配置するかがまず重要なようだ。それが単なる様式美に堕すかどうかは、筆致や色遣いで決まるようだが(したがって細部を眺めるとそれはそれで実に楽しい)、印象的な作品はとにかく構図が抜群に良い。
で、百段階段で見覚えがある名前の荒木十畝の大作を観たりしながら、突然、ゴッホとゴーギャンの真似してヒマワリ描いたら、どうにも止めようがない個性からとんでもなく変なものが生まれて来たという風情の作品が出てきて驚く。こりゃすげぇと作者を見ると梅原龍三郎で、なるほど毀誉褒貶がある作家だが、確かにただものじゃないのは間違いないなぁと感服する。
と、桔梗の画なのだが色が黒い小品があって、これまた思わぬ眼福感を得る。誰かと思うと、それが御舟だった。確かにこれまた只者ではないのだなぁ。
常設展のほうへ行き、それが目当ての名樹散椿。ところが、実物を観るとそれほどおもしろく観えない。はて、といろいろな見方をしてみると、どうやら屏風の折り曲げによって平面としての画が持つ立体感が損なわれているようだとわかる。わかるが、屏風画なのだから、これが本来の見え方なのか、と相当がっかりするのだが、それでもよくよく観てみれば、幹のうねりの存在感たるや見事なものだし、浮き出る椿の美しさ(が、桔梗のほうが衝撃的なのは、微妙な良し悪しの区別ができるほど日本画を見慣れていないからだなぁということを理解する)。
帰りに美術館の隣の八百屋で筍の先っぽを買って帰り、店の主に言われたままに皮ごと洗って半分に切り、電子レンジで2分加熱して、真ん中に切れ目を入れて剥がしながら醤油で食う。なかなかの春の日であった。
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