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新幹線の中で読了。外界と200Km/hの差で進みながら読んだわけだ。
インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 [ソフトバンク新書](白田 秀彰)
1点瑣末なところに引っかかった。P.169の「個人の身分を隠すこと」。身分=裏の世界からの収入を持つことなのかな、とは思うが3段階くらい飛躍してるように思った。政策の真意を隠すことに対応させるためかな。
P.193でいきなり『デジタル音楽の行方』が引き合いに出るところもちょっと唐突な感じ。
で、最初のところだが、読みながらずーと韓非子の文章が頭に浮かんでならなかった。
たとえば
法律を専門にして仕事にしている人たち……過去を学び、未来を見据えて、社会の法則性(law)を探し出し、時代の大きな流れの中で私たちの幸福を増大するような手当てを考えなければならないのだと思っている。(P.30)
という言葉は、
智術の士は、必ず遠見にして明察。明察ならざれば私を燭らす能わず。――孤憤
に正しく(驚くほどそのまま)対応する。
おそらく英米法の専門家だからわざわざ中国の法家の文を読んでるとは思えない。にもかかわらず、ここで書かれている法の成立の過程は紀元前の中国の法家の考えた国家や法のありようとそれほど違わないことに驚く。
法とは何かということが、2200年前の中国であろうが13世紀の英国であろうが、現代の日本であろうが、過去の社会のありようから法則性を探し(遠見)、時代の流れを正しく未来へつなげる(明察)ことだ、というのはそれほど不思議ではない。社会科学的な見方というのはいやでも遠見明察である以外に手法がないからだ。
しかし、なぜ、そのような法が、同じような権力観を持つ英国で現在の目から見て正しく発展し、中国(皇帝はおかしなことをしでかせば、簡単に易姓革命で取って代わられてしまう存在に過ぎない。したがって一時的な権力指標としての価値しかない。これは本書で描かれている英国のありようと近い)や(その影響下の)日本(Y染色体だからちょっと違うのかね? しかし現世権力はそこにはなく、征夷大将軍や摂政関白、内閣にあると考えればやはりその時々の情勢に応じて取って変わられる指標に過ぎない)では儒教のような単なる道徳的な規範に変節してしまったのか、それが不思議でならない。それが地域的な特質ならば、なぜ韓非子のような法家が生まれ秦帝国や漢帝国のような立法国家が成立できたのか、そしてなぜそれがわけがわからない儒教的な国家に変質してしまったのか。(さらには同じような錬金術と、丹術から、かたや自然科学が興隆して、かたやわけのわからない仙人の御伽噺になってしまったのか、というのも)
第2章以降は教養書として普通に読めた。もうちょっと子供が大きくなったら読ませる。そういう本だ。
『JLA 2006年7月セミナー in 仙台』で、Ruby on Railsについて話してきました。
佐藤さんの『ext3 諸元拡大に関する研究開発動向、及び改造方式の検討」の発表(どうカーネルグループに対してアピールして通させたかとか、横からミンミンに実装されてしまったとかいろいろ)がとても興味深かったほか、講師というより受講して面白かったセミナーでした。
どうもありがとうございました。>関係各位
#以前、仙台に行ったときは、仙台駄菓子をおみやげにすんなり買えたのに、今回はどこへ行っても牛舌ばかりでどこにも(仙台駅の話)置いて無くて(結局1軒見つけて買えたけど)ちょっと驚いた。おみやげものにも流行り廃りがあるんですなぁ。あんなもの永遠に変わらない(ものがあるわけありえないのだが)のかと思ってた。
IMEをオンにしたままスペースキー叩くと忠告してくれるところがおもしろい。(と思ったら、スペースキー叩かなくても忠告する。どうやってんだ? と思ったらIMEキーを見てるのか。叩かなくてもイベントが渡るのかな?)
#実はメッセージに違和感を覚えたわけだが、IMEをオンにしてはてぶを開く。オンじゃだめじゃん、と気づいてIMEキーを叩く(トグルなのでオフになる)。しかしIMEキーを叩いたのを検出してメッセージが出る。なんだろう? と感じたということのようだ。
ジェズイットを見習え |
仙台での菓子というと萩の月とか? あれはわたしも好きです。
あ、それはわりと売ってました。妻に後からそれ買ってくれば良いのにみたく言われてちょっとがくーりきたけど本当にうまいんですね。次機会があったら買ってみます。<br>仙台駄菓子ってなんだか良くわからないけど、有名でした(今は有名じゃないんだと思う。あの売られなさからは)。五家宝みたいなのとかいろいろ詰め合わせのやつです。
仙台駄菓子はやっぱり有名であって欲しいです。わたしは「かもめの卵」でしたけれど。