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いつ買ったのか忘れたが、1928年(昭和2年)刊で2009年に復刻された岩波文庫の恐ろしき媒を読了。といっても200ページに満たない戯曲。
書いたのはホセ・エチェガライというまったく知らない人だが、あとがきによるとノーベル文学賞(1904年)も取っているらしい。
久々の旧仮名旧字體で最初の数ページは読むのが苦痛だったが(例えばあとがきを読まずに普通に読み始めてしまったので、登場人物のところに記述された場所の馬徳里に最初マレーシアかいやそんなはずはあり得ないから多分マドリードでスペインのようだと思いつくまでで数10秒のラグが生じる)割とすぐに読み方を思い出して普通の速度で読めるようになった。なんでもやっておくものだ。
登場人物はテオドーラという20歳の妻、ドン・フリアンという40歳のその夫、ドン・セペーロというフリアンの弟、ドニヤ・メルセデスというセペーロの妻、ペピートというセペーロ夫妻の子供(20は越えているようだ)、そしてエルネストという24だか26歳だかの青年で、そのほか證人(この時点では意味わからなかったが要は決闘の立会人なので、それを知らずに読み進めたため、突如として血腥くなって驚いた)と下僕が出てくる。1800年代、近代になっている。
最初(プロローグの幕がある)、エルネストの部屋をフリアンが訪れる。エルネストは戯曲を書いているが、うまく書けずに困っている。フリアンはエルネストの父親の資金援助を受けて大成功して富豪となったため、恩義に報いるためならエルネストには何でも提供してやろうと考えている。少なくとも、冒頭を読んで、フリアンってのは実に良い奴だな、と感心する。
エルネストが困っているのは、書きたい題材は噂話のネットワークという世間様なのだが、戯曲という限られた空間、限られた人数による表現で、どうすれば世間様ネットワークを構築すれば良いのか見当がつかないからだ。
ウェルテル的人物なのでエルネストを観客代表とみなして作劇しているのがわかる。
さて物語が幕を開ける。
冒頭で示された人間関係がテオドーラ、フリアン、エルネスト3人の会話で克明に描写される。エルネストはフリアンの好意(部屋と小遣いと資金援助)に心底感謝している。フリアンは自分がエルネストの父親から受けた恩義に報いるためなら全財産をエルネストに与えても良いくらいの勢いである。その妻(20歳の年の差が具体的に示されるのは2幕だが、エルネストのフリアンのことを父親、テオドーラのことを妹として扱う様子から若いことはわかる)は、そういう律儀な夫のことを愛し尊敬している。とても良い関係である。
エルネストはフリアンの好意に甘え続けることに内心忸怩たるものがあるため、独立についてフリアンに話す。フリアンはエルネストを秘書として雇うことを提案する。意見が一致し、フリアンは別口で来ていた秘書の紹介を断るための手紙を書きに場を離れる。
そこセペーロとメルセデス、ペピートが観劇から帰って来る。そして世間ではフリアンたちが話題になっているということをほのめかす。何のことか見当もつかない2人が戸惑っていると、その戸惑いを見て3人は、噂の正しさを確信する。そもそも2人だけでいることがおかしい。
そこにフリアンが戻って来るので、再び世間の噂をほのめかしながら、エルネストを家から追い出すべきだとセペーロはフリアンに進言する。あまりのばかばかしさにエルネストは家から出ることをフリアンに告げる。
2幕、エルネストが独立して住んでいる家をフリアンとセペーロが訪問する。が、エルネストは留守だ。
フリアンは怒っている。噂のせいで、自分が妻とエルネストを見る目は以前のようにはいかなくったのだ、事実自分は40歳で妻は20歳、エルネストは美青年で24歳でお似合いだ。そんなことがないのはわかっているのだが、それでも疑念を持たされてしまったためにもう元には戻れない。お前が悪い、とセペーロに詰める。セペーロは、おれは兄貴と家名のために噂を紹介しただけでそんなことは考えてもいないという。(言葉の端々で、セペーロはエルネストのことを財産を使う寄生虫のように考えていることが明らかになり、当然、テオドーラとの仲も噂通りだと信じていることがわかる。そして家名と財産と同様に兄の名誉も大事に考えていることもわかる)。
そこにペピートが入って来る。エルネストが、噂話を耳にしてその噂を口にした子爵を殴ったために決闘の約束をしたと告げる。
フリアンはそれは自分の役目なのだと宣言してセペーロと共に出て行く。
ペピートが独白する。テオドーラは美しい。したがって噂は正しいに違いない。要は自分がテオドーラに横恋慕しているために、噂話に真実があると確信しているのであった。(エルネストの愛読書の神曲が机の上に置かれているのを眺めながら。場面はパオロとフランチェスカ・ダ・リミッニがランスロとギネヴィアの本を読んでいるところとなっていることで確信するのだが、冒頭からエルネストが仲立ちについて考察するためにそこを開いていることを観客はわかっている)
そこにエルネストが登場。2人で言い合いをしているところに下僕がやって来て、ご婦人が訪問ですと告げる。それじゃおれは行くわとペピートは気を利かせて帰る。
やって来たのはテオドーラで、決闘をやめてくれと懇願する。そうはいかないとエルネストは答える。でも、実際に2人の間の愛情は兄と妹のようなものでまったくの潔白なのに、決闘を受けて立ったら本当になってしまうではないか。名誉を傷つけられたのは夫なのだから戦うのは夫でなければ筋が合わない。でも子爵は強いから死にますよ。夫を侮辱するのですか? と、困った話し合いになったところに下僕がいっぱい人が来たと告げる。そもそも独身男の部屋を既婚のテオドーラが訪問しているのは噂話に尾ひれがつくので厄介だから、寝室に隠れていてくれと寝室に通す。
フィガロの結婚のような人に入れ替わり立ち替わりによるドタバタ劇でおもしろいが、話が深刻なので愉快ではない。
入って来たのは血まみれで瀕死のフリアン、セペーロ、ペピートと證人。(決闘の場所が同じ家ということになっているため、フリアン邸ではなくエルネストの部屋なのは合理的)
3人はフリアンを寝かすために寝室に入れようとする。必死に止めるエルネスト。わけがわからんとペピートとセペーロが扉を開けるとテオドーラが飛び出してくる。やっぱり、そうなんだとペピートとセペーロと瀕死のフリアン。わけがわからなくなってエルネストは飛び出していく。
3幕。フリアンは瀕死の病床でテオドーラとエルネストを呪っている。本気で殺そうとしている。
セペーロとメルセデスとペピートが話しているとエルネストが入って来る。フリアンに釈明したいというのだ。エルネストはいきなり子爵に再決闘を申し込んで見事に仕留めたことを語る。
セペーロはそれを許さない。エルネストは人を一人殺したことで完全に狂犬状態になっているのでセペーロを脅しつける。セペーロが屈服しつつあるところに、テオドーラが入って来ようとする。絶対に合わせないとセペーロとメルセデスが強行に出るのでエルネストは部屋を出て行く。
さあ、本当のところを白状させるて兄貴に謝らせるとセペーロが息巻くと、ここは私にまかせて男は引っ込んでとメルセデスが1人きりでテオドーラを迎える。
ここではメルセデスの真意がわかる。彼女は浮気をしたくてたまらないので、当然機会があるテオドーラがエルネストと浮気していることが前提となるのだ。かくして、あらゆるカマをかけまくる。呆れ果てるテオドーラだが、何を言ってもメルセデスには通用しない。
全員が集まる。フリアンは最後の力を振り絞ってエルネストを殴る。エルネストはあまりのばかばかしさにされるがままとなる。フリアン死ぬ。テオドーラは気を失う。
さらにやいのやいの攻め立てるセペーロ、メルセデス、ペピートに対して、気絶したテオドーラを両腕に抱きかかえたエルネストは、わかったわかった愚かな世間よ。お望みの結末をお前ら犬畜生にくれてやる。これで満足だろう、と2人(テオドーラは気を失ったままだが)で扉を開けて去って行く。
悲劇なのは間違いないし(言葉遣い)、会話は巧妙(とくに1幕の終わりの気分の悪さ(何もやましいことがない3人の間に徐々に疑惑が入り込むところ)や、2幕から3幕にかけて、弟家族の本心が透けだしてくるところ)、場面転換のうまさ、密室劇に近いのに入れ替わりをうまく利用した演出の幅の取り方、文句ない傑作だった。
しかし、あまりにもエルネストを高潔な文学青年として書いているため(というか、そういう観客設定だろうし)意図せぬ喜劇性がそこかしこにあって、おもしろさまでもが抜群になっていた。最後はあまりにもエルネストがかっこよすぎだろうし、一方で、おっさん代表にされてしまったフリアンの最後のみっともなさは酷過ぎる。
おもしろかった!
ザンドナーイのおかげでフランチェスカ・ダ・リミッニの物語を知っていたのでおもしろさ3倍増はしている。
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