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本棚に本を詰め込んでいたらカヴァレリア・ルスティカーナが出てきた。買ったことすら忘れていたし、どうも最初のカヴァレリア・ルスティカーナのみを読んだだけのようだ。
カヴァレリーア・ルスティカーナ―他11篇 (岩波文庫)(G.ヴェルガ)
(カヴァレリーア表記だけどな)
で、なんとなく読み始めて、とてつもなく嫌な気分になる。
江戸時代の東北地方の農民のほうが、19世紀シチリアの農民や羊飼いや炭鉱夫よりも、よっぽどハッピーじゃないかというくらいに、獣(というキーワードが頻出する)にきわめて近い位置で生活する人々がこれでもかこれでもかと不幸になり、病死し、殺され、死ぬ。
表題作のカヴァレリーア・ルスティカーナは望みどおりの生をある程度まで生きる話だから最後に刺し殺されても、まだハッピーだ。
しかし恋人を事故で失い、子供を飢え死にさせざるを得ない農婦を描いたネッダとか、身分違いの幼馴染(主人公は羊飼い、女の子は農園管理人の娘)と結婚するまで、事故で子馬を死なせたために失職したり豚飼いになりそこねたり、結局は羊飼いとしてそこそこ金を稼げるようになった、人間的にえらく好感がもてる羊飼いイェーリが、最後に「失う」ということの意味を理解し、幼馴染の大地主の息子の喉を鋏で掻き切るまでの人生行路とか、あるいは地中の奥深くへ足跡も残さずに消えていく獣のような少年の話とか、どこまでいっても何も救いがない。
おれが特に気に入ったのは、人殺しの醜い泥棒に想像で恋をし、まともな恋人を振り切って山の中で泥棒と一緒に逃げまくり、当然、泥棒は警官に捕まり、もちろん本人も捕まり、泥棒と同じくらいに醜くなり、獄中で子供を生み、家では父母とも死に、故郷の人々からは追い出され、刑務所の近くでぼーっと暮らしながら子供をいじめる近所の子供を罵る人生を生きるマリア(の愛称形の名前、失念)を描いた作品だが、もう、どうにもしようがない話である。
しかも、どの話もどの話もマラリア(訳注によると蚊が媒介するマラリアとは違うらしいので、どうもシリチアの風土病らしい)にすぐかかって両親や子供や本人や友人や恋人が死ぬし、食い物は生の玉ネギを齧れれば良いほどで、たいてい、何も食べるものがなくて死ぬ。恋人がいれば必ず裏切られ、財産があれば必ず失い(小地主ですら、エトナ山が噴火して流れ出す溶岩でブドウ畑や牧場や麦畑を燃やし尽くして没落して死に、小作人頭であれば凶作で請負契約を破棄されて失業して飢え死にする)、でも大地主は、貴族だし、エトナ山に多少農園を食われてもびくともしないだけの土地があるし、常に勝利する(イェーリに首を掻き切られた紳士は別)。階級制って素晴らしい。副王家の一族ですな。
で、訳者が、ヴェルガの本質を骨抜きにする虫歯の元になるメロディーと言わんばかりの非難の矢を向けるマスカーニの素晴らしい音楽を聴いて、心を洗う必要が出てくるのであった。
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