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東劇でメトロポリタンオペラのイーゴリ公。
指揮はノセダ。歌手はロシア人で固めている。
プロローグはすごくおもしろい。イーゴリ公は軍団を集めてポロヴィッツ人との戦争へ行こうとしている。それは戦場に身を置くことで自分を確認したいからだ(というような字幕で最初に説明する)。
12世紀の叙事詩だが、演出では20世紀以降の軍隊となっている。
日食が起き、凶兆として人々は進軍を止める。だがイーゴリ公はもっともらしい演説をする。このとき、一人の男が外から入ってきて何かを言おうとするのだが警備兵に押し止められ追い出される。歌がないので良くわからないのだが、1幕で出てくる斥候と同じ人ではないかな? 太陽が再び顔を出し出発する。イーゴリ公と一族を讃える歌が良い。
一幕が開く。真っ赤なケシの花畑だ。映像でイーゴリ公の軍団は壊滅したことが示される。ここは音楽が前半はソロが順番に歌われ(イーゴリ公の息子のウラジミールの歌が印象深い)、後半が合唱付きのバレエとなってバランスは非常に悪いが、夢よりも抜群に美しい。ボロディンの才能はすさまじい。中央アジアの平原からや、キスメット(ストレンジャーインパラダイス)の音楽を始め、良く耳にするボロディンの音楽が流れるのだが、それにきれいなコーラスが入って素晴らしい。すべては夢の中のできごとのようだ(という演出のようでもある)。
二幕。故郷の内政を預けた王妃の弟のガリツキー公とその一味は飲んだくれ、若い女性を館へ誘拐して、乱暴狼藉の限りを尽くす。王妃のところへ女性たちが陳情に来る。そこにガリツキーもあらわれ、民会を開けばおれが新しい公だと罵り帰っていく。ガリツキーの歌手は石橋蓮司に似ていて、悪役やる人は悪役の顔なんだなぁとか感じる(メトではスパラフチーレやフンディングを歌っている)。
ついにポロヴィッツが攻めて来るという情報が来て、王妃のもとに貴族たちが集まる。公、神、祖国への忠誠の歌(内容は好みではないが音楽は素晴らしい)を歌い、王妃が感激し、城(というのは街でもあるわけだが)を守ろうとしていると親衛隊を引き連れたガリツキーが乗り込んできておれが新しい公だと宣言しようとする。そこへ投石機による攻撃が始まる。まるでナブッコのようにいきなりガリツキーを直撃してガリツキーは舞台から退場する。幕。
二幕は緊迫感と、ユーモア(ガリツキーの館の無頼漢の響宴)あり、愛国讃歌ありと、歌が次々とすばらしい。
三幕。街は荒廃していてほぼ廃墟。廃墟の中で雨漏りの水を手に受けながら王妃が歌を歌う。美しい曲。イーゴリ公はウラジミールと汗の娘を置いて逃げ出し廃墟に佇む。街の人はイーゴリ公を発見し、歓喜する。イーゴリ公は、敗北した自分だから語れるのだ、今こそキエフの王のもと、各公は一丸となってポロヴィッツ人を殲滅せよ、と演説する(この歌も見事だ)。しかしイーゴリ公は軍団を全滅させた自責の念から逃れられない。手ずから(棺桶にしか見えないけど)板を片付け始める。人々も瓦礫を片付け始める。
20世紀の人物達として造形したのは廃墟がまさに廃墟(ベイルートでもガザでも1944年の東京でも見られる光景だ)として表現できるからかも知れない。この幕は演出が特に素晴らしい(その代わり物語の進行に邪魔になる有名な曲が使われるシーンを相当切り捨てたらしい)。
・ウィットフォーゲル曰くのアジアだなぁと見ていて(特に2幕の貴族たちの忠誠、3幕の民衆)うんざりする。どうして家父(公国という国の家父)へここまで無批判に忠誠を誓えるのだろうか?(ガリツキーとその親衛隊がよほど人間的だ)。
・ロシア、ロシアと言っても、王様はキエフなんだな(12世紀)。ということは、トルコの連中に北上されてどんどん北へ移動し、ついにどんづまりのモスクワでイワン雷帝が開き直って南進したというのが歴史なのかな。
・項羽ですら、故郷の若者を死に追いやった。どこに父祖に合わせる顔があろうやと烏江で自刎したわけだが、ロシア正教といってもキリスト教だから自殺はできないのだなぁとか苦悩しまくる姿を見て、同じアジアといっても宗教の違いはでかいなとか考える。
と、中央アジアの歴史も興味深いが、なんといってもボロディンの音楽は素晴らしい。(歌手も合唱も舞台も演出も指揮も良いが、素材の良さはまた別だ)
幕の構成がメトと同じだったのでキーロフのやつを購入して聴きまくる。
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