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12/1は新国立劇場でホフマン物語。
オッフェンバックといえばカステラ一番だしオペレッタだしで、アリア集でゴンドラの唄やオランピアの唄を聴くことはあってもあまり興味を持っていなかったのだが、驚きのおもしろさだった。ひとつには演出家の異様な解釈による(この演出家は、新国立劇場で僕が観たものでは、まるで紅衛兵のようなサンキュロットによる革命劇に仕立てたアンドレアシェニエを担当していた。舞台の色使いから、愛の妙薬の演出家かと思ったが間違っていた)。
(12/19につけているので、記憶が相当薄れている)
まず、一幕が良い。ミューズがピアノから生まれると歌うのを聴いてすごい違和感があったが、演出家の意図による改変だとプログラムにあって、納得した。が、音楽から生まれた詩神が、詩人の魂を恋愛による堕落から救済するというとてつもなく異様な物語が紡がれる。詩が唄に乗るのではなく、唄が昇華されて詩になるというのだから、コペ転のように感じる(本来は、アルコールから詩が生まれるのだから、そちらのほうは、ランボーやベルレーヌみたいだ)。
この演出では、ホフマンの3つの恋愛と進行形の恋愛はいずれも破局して当然のものとして扱う(もっとも、オランピアに関しては破局しなければ不気味だけど)。しかし、ミューズは常に傍観的な位置にいる。
歌手はいずれも良かった。ただ、オランピアはちょっと違うかなぁと(たぶん、デッセーの機械的なやつを聴き過ぎているからかも知れないが)感じた。オランピアの人は夜叉ケ池の人。アントニアは素晴らしかった。トゥランドットでリューを歌った人だった。あの時は演技も歌も良いが、それにしてもあまり通らない声だなと思ったが、管弦楽の厚さや他の歌手に負けていただけなのかも知れない。
最後、ホフマンは酔いつぶれるのではなく、明示的に死ぬ。したがって最後の合唱は魂の救済を意味する。オルフェウスのようだ。
フィガロの結婚に引き続き、連続してバックステージツアーに当たった。
子供はオペラグラスでみていたので、最初に舞台にある3つの扉にはドンナアンナ、ドンナエルヴィーラ、ツェルリーナと書いてあり、終幕ではドンナ・アンアがステラに変わったと教えてくれたが、なるほど確かにそう書いてある。ホフマン物語とドンジョヴァンニを重ね合わせているわけではないだろうが、片や恋愛にほとんど常に勝利して(ツェルリーナには勝てなかったが)地獄に落ち、片や恋愛に常に敗北して救済される、という対称は一応あることはある。
観ている間、ホフマンではなくエーベルス(存在すら忘れていた)の窓のことを時々想起させられたが、謎だ。
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