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鍵穴が渋くなって家に入るのが大変。
ラ・ボエーム*歌劇 [DVD](カラヤン(ヘルベルト・フォン))
メロディーとオーケストレーション(音色)、ハーモニー、人間の声、詩、状況、こういったものをすべて統合して完全無欠な作品を形成できるとしたら、それは天才だ。
つまり、プッチーニは真の天才だ。
ベリズモの時代にあって、ベリズモではなく、ポストワーグナーとポストヴェルディを他の作家が真剣に考えているのに、そんなものお構いなしに、ひたすら美しいメロディーがどばどば流れ出す。
この状況無視っぷりと出てくるものがすべて詩になるという意味では、なんとなく、石川啄木とかを思い出したりもする。
貧乏なクリエイターたちが明日の成功を夢見て歯を食いしばりながら、辛うじてカップヌードルとモヤシとかを齧りながら、暮らしている。たまたま隣の部屋に住んでる田舎から出てきてどうでも良い賃仕事で若さをすり減らしている可愛い女の子と知り合いになる。で、まあお互いに夢を語ってみたり。
でも、金がないと暮らせない。かくして女の子は援交に手を染める。金はいくらでも手に入るようになったかも知れないけど、かえって生活が荒れ出す。かくして病を得ておしごともできなくなり、元のアパートに戻ってくる。そして、彼氏にみとられながら息をひきとる。
ラヴィ・ド・ボエーム/コントラクト・キラー [DVD](アンドレ・ウィリアムズ)
アキカウリスマキでなくたって、おまえ、その話にその音楽は無いだろう、と茶々の1つも入れたくなるようなお話だ。
(が、このフィンランド化しているおっさんが、実はプッチーニが好きでたまらないってことは、こないだの「街のあかり」がプッチーニで溢れてしまったのを観なくても見当はつく。
メロディーの美しさはほとんど狂気の技と化す。どんな一部分を切り取っても良い。
たとえばロドルフォがマルチェロにミミとの別れ話を切り出さなきゃならない本心を打ち明けるとこと。
彼女は重い病気なんだ。日ごとに弱っていく。かわいそうにもう駄目なんだ
木陰に隠れてそれを耳にするミミ(このエンコー女は家から出てけ、とか言われて飛び出したところ)。
いったいなんのことかしら?
ロドルフォは続ける。
ひどい咳で胸は波打ち、頬には血の赤味が差している。
後半、ミミがきれいなメロディーで重なる。
ああ 死ぬんだわ
それに対してロドルフォが重なる。
僕の部屋は穴蔵のようで、暖炉には火もない。北風が吹きさらし渦をまいている
(ここの途中、渦の中に、すばらしいパウゼがある)
ロドルフォは続ける。
彼女は歌い笑うけど、僕は悲しい思いでいっぱいだ
どうすれば良いんだと、マルチェロのディアログが入ったあと、すばらしいメロディー。
ミミは温室の花……貧しさがそれを枯らしてしまった
書き写すだけでうんざりする陳腐で紋切り型の貧乏自慢、それをすばらしいメロディーとオーケストレーション、朗々たるロドルフォのテノール(ライモンディってこれでしか知らないのだが、良い歌手だ)。
そして3重唱となり、複雑な思いのまま、オーケストラは高揚に高揚する。ミミは咳き込み、ロドルフォは駆け寄る。マルチェロのかわりに軽いメロディを一瞬流し、マルチェロはそれにかこつけて二人だけにしてやるために退場する。
どうしようもない人たちのどうしようもない生活を描いた物語が天才の音楽によってこのうえもなく至高のものとなる(詩に目をとめなければ)。
そこで、ペロンパーを使って、どうしようもない人たちのどうしようもない負け犬っぷりをこれっぽちの美しさもなく描いたカウリスマキの気持ちはよくわかる。それにしても、ピクニックの場面の美しさ。それよりも、むしろ醜い女優のミミとの出会いの美しさときたら。カウリスマキもまた、映画の天才だったということだ。
そういえば、眼力王のいとこは、絶望王という名前だったな、と急に思い出した。眼力家の中で唯一眼力が使えないというコンプレックスから、しょっちゅうリストカットをしている黒マントの男で、早い話が太宰治なわけだが。最後には無事に川に飛び込んで死ねるんじゃなかったかな? とか書いた瞬間に思い出したが眼力王が眼力で川の水を干上がらせるから死ねないのであった。で、すてぜりふに「おまえのように眼力を持つやつに、おれの絶望がわかるかぁ!」とか言うような記憶が。
というか、眼力王はどこにしまってあるんだろう?
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