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高橋さんのところで見かけてからずーっと読みたかったムーンライティングを読む。持ってる人間を知ってたから借りれば良いやと考えてたまま、今日(って言うか、実際には昨日)まできたのだった。で、ムーンライティングの1は見つからなかったので、代わりにXDayというのもやって来た。
そりゃ、中学生の時にはみだしっ子のシリーズとかリアルタイムに読めば、まったく影響を受けないなんてことはありえない。確かエッダ(だと思った、確かグレアムの従姉妹だったような)が出てくるあたりで買わなくなったので最後まで見届けていないから、作家としてどこまで進んだのか知りたいってのもあったが、それより、年を取ったプログラマというのを見てみたかったってのもあるのかも。でも、その人は、主人公じゃなかったんですな。
あぁ、で、思い出したが、タバコを吸い始めるきっかけにはなったんだな。後、多分、夢野久作。
それはどうでも良くて、XDayを読んで、気が滅入ってしまっていろいろイやなことを思い出したり。
強い疎外感を覚えながら、世界が平和だと良いなと感じて(多分、その疎外感の代償なのだろう)、やらなくても良いことをやる主人公が出てくる作品というのを、受け手はどう扱えば良いんだろう? −−感情移入すべきなんだろうか?
唐突に、ガロの山田花子追悼号(だと思った)で、大槻ケンジが書いていた文章を思い出す。そのテに喰らいついてくる相手が一定数いるはずだから、そのへんを計算した上で作品として作るんだけど、多分、山田花子は計算しないで地だけでやってたんじゃないか、というような感じのやつ。
とは言っても、喰らい付くヤツがいるはずと、そもそも考えてしまうところで、大なり小なりそのケがあるわけで、要するに、そういうケのある人間がいるということなんだから、当然、感情移入してやるべきなのだ。
で、感情移入すれば、とんでもなく嫌な気分になる。久々に、本当に久々に離人感覚に襲われた。なんか、こいつら、何してんだろう、みたいな感じのやつ。ムーンライティングでは「探し始める」だし、dislocationとかslipping awayとか。
そこで、デプレシャンの魂を救えを思い出した。なぜ、親が死んで東から西へ教養あふれる外交官の息子が無為に帰る車中で、見知らぬ老人の首を拾い、その首の秘密を調べるために辛酸ナメ子して最後に破滅するなんて、気が滅入るか、途中で席を立つかするしかない映画を暗闇の中で最後まで付き合ってしまうのか。印象に残る明るい陽射しが溢れるシーンが、親の葬式だか墓参りだけで、後は全部、暗闇の中で展開される映画なのに。
本当にイヤなのは、SONYではなく、SONYのVAIOを使うワタシ達なのだ。ワタシ達は、無意識に誰かが使用しているノートパソコンを見、そして想像する。VAIOを使うワタシを。
SONYのデザイナーは、それを助けるためにちょっとした(しかし、間違いなく画期的な、まさにコペルニクス的転回−天と地を引っくり返す)工夫をしたに過ぎない。
これはまた、安上がりな方法でもある。トラックボールも不要だし、最速最新のCPUやそのための空冷機構も、不要である。まあ、カメラは必要な場合もあるだろうが。ただ重要なのは、誰にでも、ワタシが使うノートパソコンそれはVAIOだということがわかるような工夫だ。粗悪品で良いという意味ではない。粗悪品ではだめなのだ。しかし最高である必要はまるで無い。
カタログで仕様を検討するのではなく、誰かが使っているのを見て、購入するワタシ達、みんなが持っているのはそれが正しいから、正しいワタシが持つべきなのはみんなが持っているもの。その時、何を持っているか、一目でわからなければ、困るじゃないか。
しかし、世の中が意外なことに意外性に満ちていて面白いのも、このようなワタシ達がいるからだ。技術だけだと優勝劣敗になってしまう。ワタシ達のおかげで、広がりがもたらされる。だから、ワタシがSONYを選ぶのは大いに結構。
でも、オレは、絶対にSONYのVAIOは買わない。イヤなこった。←というオレもいなければ、世の中に広がりをもたらすことはできない。
大メロドラマ。レールを使った移動撮影がずーっと続き、誰も心がここにないかのようだ。老黄と呼ばれる下僕が出てきて若旦那と話しはじめるとやっと移動が止まる。老黄が家の中心のようだ。事実、先代から仕えてきているので、家のことを1番良く知っている。
船を漕ぐシーン。先頭に女神の代わりに妹が立ち美しき青きドナウを歌う。次が若旦那、その妻、漕ぐのは街帰りの医者だ。X字状に櫓を組み合わせて漕いでいる。大きめの船の櫓とはああいうものなんだろうか。
手巾という短編を思い出す。昼は刺繍。
押し留め、伝える相手を入れ替える、ささやかな陰謀。
家の釣り合いが生きている時代。仲人、君のお母さんが、町の子供達と、うちの両親も君を気に入って、といった言葉から伺える力関係。
うかつにも、8時を回ってから気付く。でも、まあ、明かりが消えた東京タワーでも見に行くとするか……って、街じゅう、相も変わらず煌煌としてんですが。外苑西通りからハリウッド化粧品のトンネル抜けると、六本木ヒルズは賑わいに賑わっているし(って言うか、完成してから初めて通ったよ)。でも、確かにいつもビルとビルの切れ目には必ず顔をのぞかせる東京タワーは見かけないね。で、飯倉の下の交差点まで来て全貌を見る。大展望台の部分だけちょっと点いてるだけ。そういや、こうだった時期もあったな、と思い出すが、あれはいつ頃だ? オイルショックの頃かな?
取りあえず、もし来年があれば、こんだは、ブルックスの裏の公園からでも(もしビルが建たなければ)見てみようと、妻と話して戻る。それだけ。
ジェズイットを見習え |
あー、それはたぶん、いくばくかは感情移入しつつも、<br>「あれじゃないのかね? ……よくあろうだろう? ”不憫な子だ”とか言って女どもが矢鱈とかばってはちやほや面倒見てやったり御機嫌取ってやった為に、自力では困難に立ち向かえなくなったり、最後まで自分で責任を取るという事を覚えられなかったりというパターン!」<br>(『ムーンライティング』第1巻でドクターがディーを評して言った言葉)と突き放してやればよいのではないかと。<br>とはいえ、↑こういう言葉を思いついてしまうところもやっぱりそのケがありまくりなことをまざまざと示しているわけで、結局気が滅入ることには変わりないかもしれません。<br>ちなみに文庫版『ムーン・ライティング』は単行本の1巻と2巻の合本なので便利(何に?)です。
あっ、どうもです。付き合わなければならない自分の1つを思い出したという収穫もあったことだし、これからまた夜が長くなるのに合わせて、文庫版を買います。1巻の分はXDayのDDだそうだし。