著作一覧 |
飯食ってたらスティービーワンダーのなんか有名な曲が流れてきて、サビの部分とかジョンレノンみたいだよな、とか考えながら、三色旗といえばシェルタリングスカイとか。
そのとき唐突に、広がる芝生、とうもろこし畑の追いかけっこ、トレーラー、キャスパーのお面を思い出した。
完全なものはない。
この物語は、誰一人として幸福ではない状況で、しかも、誰一人として幸福になれずに(多分)終わる。
ケビンコスナーは(PTSDもってますな)知能が高いが心の傷をいっぱい抱え込んだ犯罪者。脱獄の相棒は無意味な殺人鬼。人質に取られた男の子は、宗教的な抑圧でいっぱいの母親に育てられていてジェットコースターにも乗れないしハロウィンの仮装もできない。イーストウッドはたかだか州だか群だかの警察署長にすぎない。
少なくても殺人はしてなかったコスナーだが、子供を殺そうとする相棒から子供を守るためついに殺してしまう。というわけで、もともと親に会ったら自首するつもりが逃げ続けなければならなくなる。子供はむしろ抑圧から解放されて幸福だ。コスナーが自分に害意が無いことはその殺人のせいで了解している。かくして、奇妙な疑似親子関係が生まれる。ハロウィンの格好をしたがる子供(確か、服を買ってやろうとして入った雑貨屋でペロペロキャンディーとかキャスパーのお面とか仮装衣装とか訳がわからないものを欲しがるのを不審に感じたコスナーが、家庭の状況を聞くことになるからだーーで、このへんを出していて、共感を持てる美しい描き方をしている)とむしろ共犯関係のようなものが生まれる(社会に逆らった生き方をしているコスナーと、母親に逆らった生き方ができるようなになった子供という、反逆ということへの共通の感情)。
イーストウッドは本来の意味でのたたき上げなんで、このへんの事情が飲み込めてきている。そのため、人質を解放したら殺人については無視しようと決めている。
しかし、包囲の目はつまり、最後、美しく広がった草原でついにコスナーは包囲される。
人質の解放要求は? と聞かれて、ペロペロキャンディーをかってやれ、ローラーコースターに乗せてやれ、ハロウィンには仮装をさせてやれ。
この時点で、イーストウッドまで含めて、理由のない感情の共有が生まれる。あとは、子供を放して、コスナーは両手を上げて自首して監獄に戻るだけだ。子供とコスナーの共有した感情は永遠に残るだろう。それはお互いの成長のためにも結構なことである。
そこにFBIの冷徹な、一人だけで共感の埒外にいる犯罪捜査官が加わっているせいで話は急転する。
冒頭と最後のクレジットでは草原に肘枕で寝そべるコスナーの腕が見える。
という話だと記憶しているがあっているかな?
ジェズイットを見習え |