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出たときは聴きました。でも、あまり好みではなかったかも。
あの時期だと、ノーニューヨークやZE(リジメルシエデクルーとかジェームズチャンスとか)は好きだったんだけど、こっちのわりと高踏的な人たちはいまいち好きになれませんでした。どうしてだろう。ノーニューヨークなんかイーノの掌の上なんだから同じようなもんかも知れないけど、より感覚的というかビートが根底にあるんだけど、ローリーアンダーソンって先にコンセプトがある感じがしたのかな。それに妙な清潔感があるところ。高踏的で清潔――あ、おいらの好みだ、しかし、生活スタイルとしては好みでも、音楽としては好みじゃないようです。ウェーベルンには敬意をはらうけど、聴くのはベルクってことですね、新ウィーン派でたとえると。意味無いけど。(昨日の本のようだ。あるひとつの抽象的な概念を説明するために、周縁の事象を並べていけばどれかにヒットする可能性があり、ヒットすれば、そこから理解の糸口が掴める)。
#NY、女流、アーティストという生垣で囲むと、ローリーアンダーソンの他にシンディシャーマンとか出てくるんだけど、どちらもあまり興味を惹かれない。
追記:どうも低俗で不潔なものが好きなんだな。ms technology
3種類考えられるな。人は自分に無いものに惹かれる=オレは高踏派。人は自分と同じものに惹かれる=オレは低俗。人は好きなものが好きだ=オレとは独立。もう1個ありそうだ。ということにしたいのですね。
同時に想起したもの:
トーマスドルビーはイギリスのほうだけど、なんか、同じような感じでやはり好きになれなかった(全然、傾向は違うんだけど、どっちもエセサイエンス――単に題名の付け方だけだけど――のほのかな香りが漂ってくる)。
おお、ライブは別ですね。「ローリーさん自身もパフォーマンス」に一緒に行きませんか? >通りすがり
立花ハジメ……いや、NY、アーティスト……という連想の中には当然、プラスティックスが出てくるし、出てくればペパーミントグリーンにピンクのジャケット(Amazonにはジャケットが無いな。残念。とてもポップなのに)とか、トーキングヘッズの前座で見たなとか、屋根裏でやったの見たなとか、思い出したけど、ダンステリアDとかいうような名前のNYの店でも見たぞ(たまたま行ったときにブックされてたような)とか、涙のパーティーは違ったっけな、とかいろいろ想起してたんだけど、立花ハジメってのは欠落してました。
立花ハジメの音楽は正直、すごーーくつまらないと思うんだけど(少なくても好みではない。高踏的でしかもサマになってないし)、しかし、自分で変テコな楽器作ったりする精神はとっても好きです。自分で笛吹くふりをしたり、スパナ持つとこがいいですな。やっぱり、自作だな、うん。あおきさんはCPUを作れたんだろうか?
最近、クワイエットライフを聴き返していたり。こいつらも、高踏的で清潔でありたいんだろうが、全然、低俗で不潔で、すごく苦しそうなところにそこはかとない共感を覚えたりするんだな。で、1番、そのあたりのバランスが取れているのがクワイエットライフ(アルバムではなく曲)だと思う。
ジェントルマンテイクザポラロイドとかになると、バージンのプロデューサーが辣腕なのか坂本龍一とかまで引っ張り込んでるから、そのあたりの下品さが薄れてしまってどうにもつまらない環境音楽になりかけてたり。でもミックカーンのベースがどんどんうまくなっていくのには驚嘆。多分、まじめに練習したんだろうな、とか考えると、いい加減な売れ線アイドルとして始めたのにいろいろ妙なところにはまりこんで悩みながら、しかし黙々と練習しているであろう舞台裏を想像して、いろいろ考えさせられる。しかし、曲作りの才能には恵まれていないらしくソロの1作目買ってやったけどえらくつまらなくてがっかりしたという覚えも。しかし、Amazonでは誉めてる人がいるなぁ、実はこっちの耳が節穴で実は良いのだろうか? (っていうか好みがあるし)
っていうか、まだ活動しているのか。大したやつだな。
リリーフランキーとかタイガーリリーとかあるけど、フランキー堺と言えば幕末太陽伝、でも、ここではフランキーゴーズトゥーハリウッド。
なぜなら、リラックス。
さて、RELAX NGってどう読むんでしょう? やっぱりリラックスエヌジーなのかな、それとも間の空白を無視してリラクシングなのかな?
というのは、いつもXSDばかり使ってるとバカになるから(同じものに拘泥するのはよくないであろうというバランスだけど)、今のプロジェクトではRELAX NGでスキーマを切るように指令を飛ばしたのはいいけれど、なんて発音するのかわからないという状態なので。
#上のを読み返していたら、生垣というタームが出てきて、知らないうちにいろいろひっかかってることに思い当たった。
新山さんの労作を読む。
まず、SCOの嘆願書をきちんと訳出していることが素晴らしい。それが嘆願書であり、読み手が技術者ではないことを考えれば、論理的内容だけではなく、言葉そのものに意味があるからだ。民主主義は一応は言葉で動く社会だからな。
これは、この立場からすれば、実に誠実な文書だと思う。情に訴え、自分の主張を述べている。なんとなくだが、デトロイトの連中の論理(やつらはモノマネで我々の市場を盗む)を想起させるし、こういう物言いっていうのは効果的なんだろうなと感じる。
革新的な技術を共有し、これらを無料で使用可能にするというオープンソースコミュニティの実践は、開発を刺激し技術部門を鼓舞するものになっています。
すばらしい言葉だ。
USENIX側は、オリジナルの問題を(意味がないから、あるいは係争中なんだからそっちに任せとけと考えたのか)抜きにして、市場が決めるという原則を主張の中心においている。
ジェズイットを見習え |
なるほど、僕はいまだに0&1のビデオがどっかにうってないか探す口なんで、愛知万博には全く興味がなかったのに、そのためだけにいってもいいかと思ってます。<br>これ系だと(って大雑把なくくりだな)立花ハジメとかはどーなんだろう。
ローリーアンダーソンは、パフォーマンスを見てナンボな人だと思います。確かに。0&1にはかなりの衝撃を受けたですよ。なので、いけるものならぜひ。というか、来年の話だから、日程とかぜんぜん決まってないようなんですよね。ちょっと愛知万博のサイトとかpiaをチェックしておきます。<br><br>立花ハジメは、おバカなことをかっこいいんじゃなくってアホらしいと自覚してやっているのがかっこいいです(早川義男の逆ですか)。プラスチックスの頃の楽曲はちょっと好みじゃないんですけどね。
>おバカなことをかっこいいんじゃなくってアホらしいと自覚してやっているのがかっこいいです<br>確かにかっこいいかも(っていうか、自分で作るってことはどうしようもなくかっこいいと思う。世の中、かっこいいのはどんなおバカなものであろうと作る人です。自覚があろうがなかろうが、と思ったり。オッペンハイマーか……いや、使う人がかっこ悪いということで)。問題は、おそらく「自覚」が鼻につくことなのかなぁ。かっこ悪いってことはなんてかっこ悪いんだろうだけど。
立花ハジメはパフォーマーなので、自分が何をして、どう人にみられるかについては自覚的であらざるをえないのでしょう。オッペンハイマーはマッドサイエンティストだからかっこいい……のか。深く追求してみようと思ったけど、わけわからんくなったので、表層のみをなぞってみました。<br>2人の違いのキーワードは、個人活動と真理の追究、大義名分、国家、なんてあたりにあるのかもしれませんね。
あ、立花ハジメはマッドサイエンティストのふりをしているパフォーマーってことに自覚的なのか。それは鼻につくかも。<br>と、タバコを一服付けて思いました。
「リラクシング」らしいです(読み方マニアか?>俺)
おお、ありがとうございます。