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世界を獲得するために、世界を観るためのツールをまず手にするという考え方がかってあった。今も生きているかは寡聞にして知らない。ほとんど絶滅したんじゃなかろうか、と思わないでもない。
ツールはツールなんだが、よくあるように、ツールによって結果が制約されるということは良くある。制約されるというのを、属人性の排除(デター)と見ればそれは良いことのように見えるが、あいにく世界を観るためのツールなもんだから、そんなに単純ではない。
その結果、世界各地で同じツールを使う人間が良く似た言辞を吐くこと、それは十二分に考えられることだ。
それだけ。
重要なのは、そのツールの有効性で、今のところ、どっちにも振れてしまうから、そこそこ有効だとは考えられるが、絶対ではないだろうな、ってところか。
個人的には、教えてもらわなくても良いとも思う(だってこの理解は暗黙のうちに僕は共有しているようだから)が、この方のこの言い方は貴重だし、うまく言葉にしたものだと感心する(逆に言えば、こういう形で表現はできなかったわけだ、僕は)。すばらしい。
今まで見えなかった世界を暴きだし、創り出すことに等しい
もっとわかりやすいのは、次の文だ。
一般的に技術者といった場合にも、技術がもたらす新しい思考様式に対して興奮できる性癖をもった人々のように思える。逆に、それに興奮できなければ、技術者としてのセンスはなさそうだし、新しい考え方・世界観を感じさせない。
なんでもいいからこの考えを補強する例を考えてみる。
XMLやSOAPなんて、もっとも良い例のひとつだろう。
「かってにタグを決めてマークアップして構造的に表現できる? ――はぁ、それが何か? SGMLとかの簡易版ですな。」「CSVでもやっていましたが何か?」
もちろん、過去の蓄積というのはある。再発見というものもある。
「デザインパターン? 読んでみましたが100年前からステートしてましたが何か?」
だが、「何か?」と言う前に、それが「新しい考え方・世界観」を持っているかどうか、を見るのは重要だ。そうでなければ、「SOA、またバズワードですな、何か?」となってしまう。だが、それは多分、異なる。
実態は同一でも、そこに新たな世界観があれば、それは異なるものなのだ。事実と真実の差みたいなものだな。真実はコンテキストの数だけ存在できるのだ。
というか、センスか。センスってのは、センスオブワンダーを感じる能力のことだからなぁ。
やっぱり、誰でもわかる例ってのは、黒澤明の「生きる」のブランコだかで志村喬が夕陽を見てきれいだとかなんだか言うところだろう。そんなものは毎日見るものだが、毎日見ているものが違って見えることだ。
というわけで、慣れってのはやはり大敵だ。まず飽きて、投げ出すことから始めよう。
とりあえず窓から放り投げろ。何を? 自分を。
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どうも。技術者に『表現』を教えること、を書いた齋藤と申します。はじめまして。<br>僕もこういうことを悩みつつ考えてきまして、最近少しずつモノゴトが見え始めてきました。<br>mixi.jp での proce55ing コミュニティでもこういった議論がされていますので、興味がありましたら、どうぞ。<br>http://mixi.jp<br>http://www.saitatsu.net/blog-ja/
どうもわざわざありがとうございます。興味はあるんですが今はちょっと手が出せない状態です。