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ワイルドライフ (Volume7) (少年サンデーコミックス)(藤崎 聖人)
それはそれとしてダチョウ好き。
頭のちょっと平たい丸さと目の丸さと口の平たさが絶妙(ホンモノのこと)。なので、上野ではオオサンショウウオと並んでお気に入り。しかし子供が大きくなると動物園には行かなくなるものだな。
アーキテクチャの価値を考えるつもりは無いが、いくつもの疑問が。
例えばTCP/IPはHTTPやSMTPといったアプリケーションの存在によって現在の地位を得たのであり、その成功はTCP/IPそれ自体の革新性にあったかどうかは今となってはわからない。
あるインフラが生き残るためには、キラー「アプリケーション」の存在が不可欠ということの言い換え。あとHTTPはOSI殺しには間に合っていなかったと認識してるのだがそのあたり(OSIをやっつけるところ)は「インターネットの誕生」でも曖昧なままいつのまにかデファクトスタンダードになってたから良くわからない。
アーキテクチャの問題ではないだろう。(アーキテクチャ=インフラストラクチャならば成立するかも)
というか、「革新性」だけで成功したものったどういう事例があるんだろうか。そんなものは無いのではないか。汽車抜きで蒸気機関が成功するか? 映画抜きでフィルムが成功するか? レコード抜きで蓄音が成功するか? 夜になったら眠るだけの人々の間で電灯が成功するか? 高温多湿の日本で背広ネクタイが成功するか? ―― した! これは革新だ。(なんか書いているうちにイヤになってきたので、どうでもいいや)
そうなると、「各レイヤー間の独立性」という理想は、上層では事実かも知れないが下層では徐々に現実離れしてくる。
その前に、
データリンク層におけるイーサネット(IEEE802.3)と無線LAN(IEEE802.11)のように、実績のある方を模した互換性・透過性が求められることになる。
という非常に良い例を出して、それを自ら否定しているのだが。
重要なことは、各レイヤー間の「インターフェイス」の確立(それが確立するためには、デファクトスタンダードなインフラの勝利がおそらく必要で、それによりインターフェイスが「ロックイン」され、それにより逆に「スイッチングコスト」が低下する。
これを防ぐにはどうすべきか、逆から考えれば、その結論は、「インターフェイス特許」「インターフェイス脱共有化」となる。
しかし、ここではこのような積極的なロックイン手法を論じているのではないのであるから、逆に、デファクトスタンダードが決定することで百家争鳴しているインターフェイスに標準が確立し、それによって逆に交換可能性が高まり(負け組や新規参入者は、その「標準」インターフェイスに合わせることになる)、スイッチングコストは低下する。のでは?
例)INT21 とか、CP/M -> PCDOS (違うかな)
例)$変数など Perl -> Ruby (うそっぽい)
例)構文 C -> C++ -> Java
例)電話−ISDN−銅線−光 (家庭の人にとっては箱の交換に過ぎない)
例)Win32 Win9x -> WinNT (うそ)
例)Webサービス
インターフェイスの脱共有化とか書いてなんか変だと思ったら、本当はプロトコルの脱共有化なのであった。
インターフェイスのほうがカバー範囲が広く普通の言葉としても利用可能なもので、プロトコルは外交(ということは政治用語か?)と通信規約に限定した用語、という認識で合っているだろうか? とは言えCOMのプロトコル(広義には通信であるが、インプロセスなら単なるAPI――インターフェイス)だが、インターフェイス⊃プロトコル なのか?
なんていうか、久々に聴いているうちに泣きたくなるほど美しいっていう感覚を味わった。
今や、全世界でたった5万人にしか受け入れられなくなったボウイが、商魂たくましく、その5万人に何度でも同じものを買わせようと仕向けている(わけだろオイ)そのDVD付きのCDだが(特典付きCDは正月頃に買った)、だが、老いぼれたボウイが出てきて、バンドも爺臭いんだが(ビスコンティの代わりに不思議な女性がベースを弾いている? のがちょっと余りにも異質)、しかしだ、アップでは確かに爺さんになったボウイなんだが、そこから出てくる音楽がなんて美しく響くんだろう。3本のギターが勝手に鳴っている。
そして曲が進み、寒いMCを入れながら、でもだんだん年齢が解消されていく。ボウイはボウイだな。それにしてもアールスリックってのは不良オヤジの絵に描いた餅みたいなやつだな。
つまるところ、これもまた1つのスペースカウボーイ。
おっちょこちょいにも50過ぎのオヤジが何を勘違いしたかのこのこイラクへ盾になりに行って戻ってきたりのパンタ、90過ぎてもいい加減な映画を年に1作のペースで撮り続けるオリヴィエラ、(そう言えば公園通りを若い女性と歩いているのを見かけたことがあるが、さすがにサミュエルフラーは死んだのかな?)、相変わらず反骨がデコに光るニールヤング、革ジャンを脱がないルーリード、いつも黒いストラングラーズ、こいういった連中が世の中にいるってことを考えると、とっくにモーツァルトやヴィアンやカーティスやニザンやユスターシュを超えて生きているわけだが、まだまだやっていけそうだな、とにんまりとしてしまうのだ。
ジェズイットを見習え |
インターフェースはどう呼んでもらうかを定義するモノで、プロトコルはどう呼ぶかを定義するモノだと思ってます。<br>たぶんオブジェクトに対する視点(内側、外側)と静的、動的な違いがあると思います。なので集合で表してしまうとちょっと違うような...
Objective-CではJavaでいうinterfaceのようなものをprotocolと呼んだりしますね。というか発生順的には逆か。
コメントありがとうございます。<br>oginoさんの情報だとそこそこ交換可能みたいですね。<br>Saisseさんのはちょっとプログラムに限定し過ぎだと思います。HTTPのプロトコル(インターフェイスとは言わないな、この場合)はサーバーがクライアントにどう呼んでもらうかの規程ですよね? プロトコルはお互いの取り決めだから側は出てこないと思います。
一般的には、インターフェイス⊃プロトコルだと思います。<br>言葉の定義の問題はさておき、<br>インターオペラビリティ(同位レイヤの相互接続性 ex.TCP/IP)の観点でインタフェースを捉えているか?コンパチビリティ(レイヤ上位〜下位の互換性 ex. ソケット)でインタフェースを捉えているか?が重要と思います。