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少女漫画の文脈がないのではないか、と考えるのはまったく恋愛感情が存在しない世界だからだ(水野のいとこの水野に寄せる思いとかはあるのだが、なんか違う)。それどころかすべての感情がうまく相互作用せずに相手の前で屹立している。
しかし、そう考えるのは間違いなのだろう。この作品の中心は確かに安部の疎外感とバンドの中で時々感じる居心地の良さといったすごく自分勝手な世界で、その周りの人々もそれぞればらばらに相手が何を考えているか探り合い分析し論評し行動を予見しているのに、いざ自分のことになると実は何をしたいのかは誰もわかっていない。逆に言えば、すべての登場人物が正しく自分の生を生きている。これは、モデリングされた世界の中をロールにしたがって登場人物が機械として動かされていく作品とは異なる世界の物語だ。そしてこれこそは少女漫画が最初に獲得した手法ではなかったか。
ギタリストはギターをひき、ベーシストはベースをひく。そしてマネージャはマネージメントしてボーカリストは歌う。確かにロールは明らかなのだが、彼らはそれだけで生きているのではない。
たとえばギタリストは普段は郵便配達をし、既に10数回も職を変え、今度ツアーのために欠勤すればまた新しい職探しをしなければならない。ピアニストは自分の家を持ち一見安定した生活をしているが、家庭では満たされない何かを抱えてキーボードを弾き続けている。おしゃべりしかしないロックミニコミの編集室で黙々と作業を続け1人で雑誌を仕上げてしまうマネージャ。だから、単純なロックバンドのサクセスストーリーになるはずはなく、そこに描かれるのは彼らの淡々とした日常と、シャープに描かれるステージ、適度に散りばめられた固有名詞によって浮かび上がる音。それを支える細かなリアリティ。たとえばベースのトヨタに頼まれて水野のいとこがギターケースを受け取る。ギターはギターでもベースなのでケースには錘が仕込まれていてずしりと重く思わずよろけてしまい、ひーひー言いながら運んで行くシーン。梶山が連れてきたテクノバンドの衣装と髪型と喋り方、とその後に続く韜晦。
こういった細部の積み上げがこの作品に強烈なリアリティを与えている。その結果、あたかも自分自身が作品の中にあるような共感を得ることができる。いくら、ボーカルがいかれていてもだ(いや、このねじくれた精神の持ち主が主人公たりえるのも本来は少女漫画だからからだと言えるのかも知れないーーたとえば鉄鍋のジャンの主人公ですら、スランのボーカルに比べればよっぽど社交的だ)。
akonさんの日記から間接参照で。
JDOQL that would work with the new POJO persistence model
POJOに対するQL?
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