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いや、本当。たとえば横広のカット割で車が近づいてくるとかが代表的な例だと思うけど映画的な手法をマンガに取り入れたとか、表現としての革新者だってのはわかっていたけど(そりゃ歴史を踏まえて読めばわかるし)、だからと言ってなんで天才って呼ばれるのかはさっぱりわからなかった。赤塚不二夫がどんどんすごくなっていくのは(天才バカボン連載中の少年マガジンをリアルタイムで読んでたから)この目で見てたけど、それに比べてどうにも僕に取っては手塚治虫っていうのは、少年チャンピオンで安定した額縁スタイルのドラマ(50年代のアメリカ映画やTVドラマ―60年代にもあったなーで、最初に「スペース、ファイナルフロンティアー……」とかのナレーションが入って最後に再び教訓めいたナレーションが入るやつ、たとえばアウターリミッツやミステリーゾーンとかスタートレックもそうだと思ったし、RKOの幾つもの映画とか幾らでもある―みたいな構成のタクシードライバーモノや役者モノ)のマンガ家という印象が強いからだ(時代が前後しているが、なんとなく旬が過ぎた感じは否めなかったのだ)。
でも、それはすべて、僕が鉄腕アトムを当たり前のものとして受け取ってしまっていたからで、そこに至るまでのロボットというものの概念を根底から変えてしまった(ので、当然、こちらはそれが当たり前のものとして受け止めていると、最初に繋がるのだが)というその1点だけで、文句なく天才だったのだ、と理解した。
というか、手塚治虫もそうだが、こんな感動的な映画はひさびさに見た。わかっちゃいるけど、ASIMOが2足歩行するって事実にあらためてオレはすごい時代に生きているんだな、と実感したのだった。
それはそれとしてハップルの世界も美しいし。ブレードランナーでルトガーハウアーが壊れる前の独白に出てくる世界なわけだし。
#ユビキタス時代のユーザーインターフェイスも受講したかったが、家族と一緒だったので残念ながらパス。通り過がった時はマウスを右に移動すると大きくなる辞書(なのかな)の実演をしているところだった。
というわけで手塚治虫とかASIMOとか見て、で、一体オレは何をしたのかなぁ? とか。
で、いろいろ自省してみたり。で、考えてみるとセコイと言えばセコクはあるが、それでもそれなりの世界(というのはエコシステムがあるということなのだが)の創造主であるという自負も感じたりもするので(忸怩たるものもあったりもするわけだが)、明日からもやって行けそうだなと思ってみたりしてみたり。
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