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Walking, they were walking
Through the rainy days looking at all the faces
But no one ever noticed them, the quite men
――ULTRAVOX! QUIET MEN
歩いている彼等を見ているのに誰からも気付かれることがないクワイエットメン。
そんな大人に私はなりたい。
地味に働いてるわけだ。実際、地味だし。しかも長女の義務感みたいなものをなんとなく感じて。
でも、そんなこたしたいわけじゃない。
それがある日、外観ががらっと変わってそれまでのワタシじゃなくなった。
その途端、(実際には体が言うことを聞かないっていう設定だから面白くもあるわけだが)急にのびのびと、しがらみから解放されて、パンを片手に旅に出てく、足どりも軽く。
この開放感に共感できたから、僕には、これまで見た宮崎アニメの中で1番楽しめたんだと思う。
だから、呪いは呪いじゃない。だから荒地の魔女のことをこれっぽちも憎んでも恨んでもいない。むしろ共感と感謝がある。だからこそ意地の張り合いみたいなこともできるし、しおしおのぱーになった魔女と仲良く暮らせたりもする。
で、ハウルなんだが、こいつも同じ穴のムジナだ。だから自分が心臓を失おうと黒い鳥になっていこうが、実は全然気にしていない。自分のことは自分が1番良く知っているからだ。そんなもの気にする必要もない。しかし、世界が本当の自分を知ることは望んでいない。そのため防御壁として、世界がハウルと認知する金髪のハウルを築いている。そしてそれが崩されると途端に見た目があやふやになってしまう。これは世界に対しての防御壁である老婆の見てくれを手に入れていきいきとするのと対をなしている。
この連中にとっては、世界はそれが世界――自分という存在の外部にある自分と対峙する存在、というだけで戦時中なのだ。
しかし、結局二人とも世界と折り合いをつけることができる。そのままの自分を受け入れてくれる相手を見つけたからだ。だから世界と戦争をする必要もないし防御壁を作る必要もない。そこで戦争も終る。めでたしめでたし。
というオタとかニートとかの恋愛話と僕は見たんだけど。
折り合いがついてくるにしたがって、極端な老婆からどんどん腰が伸びてせいぜいおばさん程度に見てくれが変わっていくのがおもしろいね。
忘れてた。動く城が素晴らしい。っていうか、ハウルの動く城だからな、題は。
僕は小学生のころ、図工の時間に紙粘土でこんな城を作った。名称は忘れたけど升目が付いた工作用の厚紙の工作の時間にも(樹木の形をした)こんな城を作った覚えがある。家でもロウソクを使っていろんなガラクタを組み合わせてこんな城を作った。城を作らない子供なんていないんじゃないか? 海辺に行けば子供は砂で城を作っているぞ。
それがへこへこ動く。そりゃ心臓くらい呉れてやるだろう。
っていうのもこの映画が気に入ったところだ。
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