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休日のボーリング大会とか、係長にどうすべきか問い合わせてみたり、その係長もライン的に無難な指示を出したり、よほど日勤ってのはおそろしいことなんだろう。あるいは、噂に聞く関西の失業率の高さってのも遠因なのかな。
危機的な状況にあっても、決められたプロトコルが優先されるってのは、企業とか国家とかたくさんの人間を扱う場合には本来は有効なのだろう。
そこで思い出すのは上官の命令に従って殺した兵隊が罪に問われた幾つかの例だな。ドイツ(それとも東ドイツだっけな)にもあったし、私は貝になりたいだと(殺したかどうかは思い出せないけどその手の話は聞いたことがある)あれは日本だ。
なんて理不尽なんだろうと思ったものだが、結局、個人が個人として「自立」(と「」をあえて自立という言葉に使うってのはメタにメタを重ねてる駄洒落みたいなもんだけど、とさらにメタデータを入れてるのはいったいなんだろうかとか)するには、びしばし集団ではなく個人に罪をかぶせて見せしめちゃうってのが良いのかな、とか思ったり。
言われたとおりに仕事をしてたらある日突然、社会から糾弾されるとか。それがごく普通になった時、それでも言われた通りに振舞うだろうか?
でも、目の前の鞭と予測不可能な鞭だと目の前の鞭のほうが怖いってのが、たまたま乗り合わせた運転手の行動なわけだし(電話を入れて指示を仰ぐってことは、予測不可能な鞭――良心とかだってそうなわけだから――を予期したわけだろう)。
ちなみに、70年代の日本展を高島屋に見に行ったが、30年後の日本予想でケータイが日常化するのを予測していたのは当たっているわけだが、それを唯一の例外としてどうして揃いも揃って広々とした部屋に豊かに家電製品を並べる未来を想像したんだろうか? 成長を続ければ人口も増加する(そうでなければ成長に見合う市場が保てない)が、いかなる推測で1人あたりが持つ部屋の広さが100倍増(誇張が含まれるが)するなんてたわけた予測をしてたんだろうか? 人口に反比例して部屋の広さは狭まるはずだろう。
ばかでっかい4面テレビ(家族4人がそれぞれ異なる番組を見られるわけだが、それで行くと部屋の大きさは9倍されるはずだな)とか、自動風呂とか、なんでもテーブル(冷蔵庫が内臓されていて目の前に料理がせせり出てくる)とか、どれもこれも広い広い家を想定しているのだが。
#ちなみにという言葉はおもしろい。
実は梅田さんの例の日米比較にシンクロしているなぁ、と思ったのだった。
アランケイの真意はアメリカの事情で、おそらく1番じゃない状態を知ることでオレオレを抑えて周りを良く見ようよ、ということかも知れないが、梅田説を鵜呑みにすれば(というのは、どこまでその観察が普遍的なのかわからないからだが)日本では逆にオレオレ、オレ1番、みんなオレの言うことを聞け、というのが必要なんだろうな、ということにしてしまえば丁度話しが落ち着くなぁということなのであった。
だが、実はどちらにしても回りを良く見ていろんな見方を知って(ようするにシナジーというやつなのかな)ブレークスルーを生むというのとは違うからだめなのか。埋没して安心する状態というのは、時々僕自身も見かける何か言えば良いのになんか全員が黙っている状態で、これは良い状態ではないと考えるのだがそうではない人たちが黙るわけだ。こういう状態では独裁がまかりとおってそれはそれで非常に効率的だからうまく運べばうまく運ぶ。だめなら破滅というだけで、それはそれで良いのだが。
次の状態がオレオレ状態なのかな、と思う。で、その次に誰もが1番ではない(=全員が1番)という状態になるのではなかろうか。
自首した人間を死刑にしたら、自首という制度を否定するような気がするが、とメモ。
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